mizusumashi-tei みずすまし亭通信

映画 アマデウス

 

このところ、大岡昇平を読み返したりしている内に、以前から気になっていた『大岡昇平音楽論集(1989)深夜叢書社』を読みたくなった。図書館蔵書『大岡昇平全集』の第14巻・16巻に分載されているようなので連休用にと借りだした。

 

なんでも『野火』のある部分はモーツァルトのト短調弦楽四重奏のテーマを聴きながら『武蔵野夫人』は「椿姫」「ルチア」を聴きながら書いたそうだ。コクトーの文学の雰囲気はストラヴィンスキーを聴くと一番わかる。スタンダールの小説はモーツァルトと切り離せない。「ジュリアンとファブリスは浮気な小姓ケルビーノの変身」などとある。

 

work desk

 

復員後はしばらく小林秀雄の離れに世話になっていて、蓄音機の「魔笛」パパゲーノの歌が鳴り響く中で、小林と大岡の子どもがわあわあと騒ぎまわっていた。大岡の音楽の指南役・音楽評論家の吉田秀和とは海外で幾度か一緒になった。吉田は音楽の修道僧のように音楽会を聴きまわっていた。

 

吉田の音楽紀行に「大岡昇平氏はワグナーを性交音楽だといってけなすけど、それがどうしていけないんだろう。そんなこと馬鹿げた非難だ。性交だって退屈なものだ。退屈だと思えば、或いは退屈な人には。しかしワグナーのこの音楽は退屈じゃない。よく書かれた立派な音楽だ。それだけで十分じゃないか」云々。

 

この吉田の文句反論がきっかけで、大岡は雑誌「芸術新潮」に音楽評論を書くことになった(ワグナーを聞かざる弁)

 

障 子

 

私の画学生時代の知人にワグネリアンがいて、彼のアパートで度々ワグナーのレコードを聴かされた。特定の登場人物、剣や指環といった物などに固有の旋律を割り当て、それを変形・組合せて劇の進行や心理描写を行う、ライトモチーフについてさんざ聞かされ、以来、すっかりワグナー嫌いになってしまった。