
深く敬愛するハイドンの専門家で、いつも辞書代わりに参考にさせて頂いているDaisyさんの『ハイドン音盤倉庫』には、作品77-2第3楽章(アンダンテ)を評して以下のような称賛の言葉が度々語られています。私はその言葉にいつも憧れを持っていましたが、中々それほど迄の世界を体験できませんでした。
『・・・まさにハイドン最晩年の澄み切った心境を表すような純粋無垢な音楽。弦楽四重奏というジャンルを作ったハイドンが最後に到達した澄み切った世界・・・
・・・美しいメロディに泣かされるアンダンテは抑制の美学。程よく抑え込まれた音楽の美しさは、ハイドンの音楽に仕込まれたさまざまな要素がミックスされ、情に訴えるのではなく、純粋な音楽としての控え目な美しさの頂点といいでしょう。このサッパリとした演奏にハイドンの魅力が全て詰まっています。なんと幸せな気分。・・・
・・・まさに天上の音楽。晴朗なのに物憂げでもあり、哀愁を帯びてもいて、この楽章は淡々とした演奏でこそその可憐な美しさが活きますね。・・・
・・・どの演奏で聴いてもぐっとくるこの楽章、ことさら媚びずに淡々と演奏するほどに枯れた心情が滲む見事なものです。これまでの人生を振り返りながら、秋空の下を晴れやかな気持ちで散歩するような音楽。良い思い出を回想しながら景色や花に目をやり、遊ぶ子供の声の喧騒を楽しみ、空に目をやる、そんな気分にさせられます。・・・』
私もそのような、至福の時間を体験したいものと思い、今回この曲の色々な演奏を聴いてみました。
作品77は、ハイドン67歳の時に作曲され、完成された弦楽四重奏曲としては最後の作品です。(その後1803年に中間の2楽章のみの作品103が作られています)
作曲された1799年といえば丁度ベートーヴェンが最初の弦楽四重奏曲作品18を作っている時期ですね。
ベートーヴェンの作品18には、この作品77のサウンドに似た箇所があります。(例えば作品18ー6は作品77-2のスケルッオが聴こえます。)
両者の作品は共に同じ人物の発注によるもの(ロプコヴィッツ侯爵)というのも奇縁ですね。
ハイドンは『慈愛と愉悦感に満ちた作品』というイメージの一方、又『永遠の前衛作曲家』であるという一面も併せ持っていると理解しています。常に新しい表現へ挑戦していました。
当然、この作品77は、今までの集大成とも言うべき、ハイドン音楽の最先端でもあります。
20世紀後半以来、古楽器によるピリオド奏法のハイドンが一般化してハイドンのサウンドも多様化しました。
ギーギーガーガーと聴こえるピリオド奏法は苦手でしたが、いつの間にか現代楽器にピリオド奏法が取り入れられ、誠に新鮮なハイドンが聴けるようになりました。
ドーリック四重奏団の演奏等今では普通です。
作品77でもカザル四重奏団の作品77-1を聴いた時はとても衝撃的でした。
正に当時の前衛音楽ですね。

当然作品77-2もそのような演奏がある筈ですね。
・・・ありました!
ローズバッド四重奏団の演奏です。
優しいサウンドのアルカン四重奏団と同じカナダの四重奏団です。
しかし、サウンドは全く違います。
ピリオド奏法のトゥッティは、幾分不協和な響きで不気味な迄に心の闇を照らし出します。
そういえばかつて聴いた『アレア・アンサンブル』のサウンドに似ていますね。
しかし、第3楽章のアンダンテは全く感動できません。『アレア・アンサンブル』の演奏も心には響きませんでした。
アルカン四重奏団に聴くような慈愛のアンダンテを持って、なおかつ新鮮な前衛的サウンドの演奏が理想像です。
作品77-2は『あの雲が過ぎ行く迄待とう』というのんびりした通称(あだ名)で呼ばれることも多いので、一般的には老境にある枯淡の境地の作品と思われているのかも知れません。
しかし、前記のように当時の最先端のサウンドでもあるのです。


そして、私が現在たどり着いた演奏は、アーツィエス四重奏団(2007年)の盤です。
溢れんばかりの輝かしい生命力と愉感悦に満ちた演奏で、何よりも『ハイドンの声』が聴こえるのが凄い。
ベートーヴェンの前座ではではなく、モーツァルトの引き立て役でも無い、ましてやその後に続く作曲家達の単なる教科書などでは決してない
『孤高にそびえ立つハイドンの音楽』が聴こえるのです。
バリリ四重奏団のワルター・バリリやアルバン・ベルク四重奏団のギュンター・ピヒラーの音色に繋がるようなオーストラリアのアーツィエス四重奏団のベンヤミン・ツィールフォーゲル(第1Vn)の輝かしい音色は、この曲が老境の枯淡の音楽ではなく、若々しい生命讃歌の音楽として、眼前に再現してくれます。
第1・3・4楽章の迫力は申し分ありません。ローズバッド四重奏団のようにネグラサウンドではありません。生命の爆発です。緊張感に満ちた圧倒的な迫力です。
隅から隅までズーッと素晴らしい❗
今まで、他の演奏では、弱音の箇所はわかりますが、強音の箇所は何とも居心地が悪く感じていましたが、この演奏で全て理解できました。生命の讃歌の強音なのですね。完璧に美しい。
私は、このアーツィエス四重奏団の演奏でこの曲の偉大さ・素晴らしさを理解する事ができました。
多分、ハイドンの愛好家の方には、この演奏でなくとも、この曲の深遠で偉大な世界を解っておられるのでしょう。
誠に後れ馳せながらの理解です。

アーツィエス四重奏団盤に比べれば幾分大人しいですが、それでもアルカン四重奏団盤等に比べれば緊張感に満ちています。
流れるような流暢でなめらかな旋律線は、誠に美しく、これぞハイドンというサウンドです。
アーツィエス四重奏団のアンダンテが輝かしい春の光りとすれば、ミンゲット四重奏団は、柔らかな秋の木漏れ日のように美しいアンダンテです。
無窮動的な躍動感に満ちた生命の讃歌のような最終楽章を聴き終えると、ハイドンのおかげで、又明日も頑張れるなあという幸せな気分になれます。