すれ違いの法則性 2
こんばんは今日は暑かったですね〜でも夜はヒンヤリお腹冷やさないように気をつけないとですねさて、本日は昨日の続きになります。1から続けてご覧になられる方は、[すれ違いの法則性 1←こちら]2のスタートです↓で、相手にあなたを分かろうとする努力のカケラもクソも何ももし感じ取れないのなら・・・残念ながら、さよならの季節が来たのかもしれません。(大概は、そう言っているその人も、相手のことを分かろうとはしていな〜いなんてこともよ〜くあるのも事実。そんなことに気づけたらいいけどね。それは言わば、お互いさん。ってことにね)+(その関係性が習慣となり、その習慣を形造る ある意味、その力関係なりをひっくり返したいのならば、そのひっくり返すだけの価値があるのかどうかを慎重に真摯に勘案し、再構築すればいい。その場合は、茨の道ではあるかもしれないけれど、関係性を変える方策はいくらでもあります。その方策は、長くなるから又今度メルマガにでも機会があれば記します。ただ、簡単に一つだけ言うと、無関心、無表情などなど相手へのリアクションのパターンを今までとは違った形で意図的に変えてみるとかね。相手が[AC]アダルトチルドレンの場合とか特に。)で、その相手が肉親ならば、心の中でのさようなら。(まあ、後悔しなければ、物理的に さようなら も私はありでよいとは思いますが、そこは人それぞれ。おススメするのはあくまでも心の線引きだけど。)つまりはさ、相手に(あなたへの)愛はあるのかい?相手の愛を感じるのかい?ってこと。多分、その確認の為に人は、分かってくれない!!って、嘆き、悲しみ、憎しみ、怒る。(愛の確認行動ってこと。試し行動とも言える。)その繰り返しの果てにいつの間にか、付き合っているや結婚しているやの家族だからやの形式のみや期間のみが形骸化し、〇〇だから、私は愛されて当然だ!〇〇だから、私は大切にされるべき存在だ!だって、私はこんなにも辛く悲しいんだからって、かたくなさや意地やある種の傲慢さが自らの内にないのかどうか?ってことも自らがしっかりと確認しないといけませんね。又、自分という存在は、(その相手にとって)愛される価値があるのかないのか?[逆に、こんな相手は自分が愛すだけの価値なんてありゃしない。あははってなるケースがかなりの確率で高くある。それは、ひとえに、ご自身を愛し始めた大切にし始めた証左であり、新たな人生のスタートだと私は感じます。]それは、自分の為にってのから一旦外れて、相手の為という視点を持ってみるってことには一見なるが、それは、見方を変えることにより自分がより分かることにも繋がり、ひいては相手越しに見つめることで、真に自分の為ともなることを発見出来るということを理解しながら行うってことまで突き詰めて考えないといけない場合があるかもしれません。でも、それらは、愛されることの経験や、愛したことの経験が薄いと感じる人には辛い過程となるに違いない。愛着過程においてのパターンである安定型、回避型、アンビバレント型のいずれかに人はいて、絶対的なものではないですが、ある程度の対人関係パターンにそれらは深く影響を与えているとは言われてはいますが、人は学習する生き物だから、何十いくつになっても歪で歪んだ苦しいパターンであるならば学び直せばいいとも言える。愛し、愛される感覚ってやつをね。その学びの時期がさ、今、まさに来たんだってもし思えればどうでしょうか?すれ違いという事実だけを見れば、確かにキツく苦しいだけの事象が、新たな自分を形創れるかもしれない可能性の学習と変わり得、愛し、愛される体験を感じていきたい!という強い欲求に基づく揺るぎなき動機さえ明確にあるならば、それは、人生における大切な学びの貴重な機会となるということ。だから、苦しくっても、小手先だけの方法論ではなく、自分自身を見つめ、自分自身の為にを進行していった時、いつの間にか、すれ違いってのが嘘のように無くなっているってことが往々にしてあるもの。すれ違いの現象がなくなるか?あるいは、すれ違いの相手と離れるからすれ違いということ自体がなくなるか?だって、乗り越えられたんだから無くならないわけがないもんね。その事象もそうだし、そして向かっていった自分の過去たち?もそうだし、そして、一番は、愛を体得しようという世界に入ったのだから。さあ大変です言わば、すれ違いなんて次元を超えた世界に突入するってこと。マトリックス 1のキアヌリーブスに向かってくる弾丸の波形が突然スローモーションとなり、目の前でピタリと止まり、その後、バラバラバラって床に散乱するラストシーンのようなもの(分かりにくい?)まあ、それはさておき愛は実はそこら中に転がっています。でも感じるのはとても難しい。大切にされているのに当たり前に思えたり、配慮や尊重や、丁重に対応してくれているのにキチンと感謝を出来なかったり、又、表さなかったり、折角、相手が示してくれているのに、分からない難しいって言って、分かろうと努めなかった結果が今を招いているとしたならば?ゆっくりと考え直した方が良いかもしれませんね。でも、ただそれだけで、ある人には、ホラホラ見えるでしょ自分の中に沢山、豊富にある温かいものたちを感じることがきっと出来るって人もいる。それそれそれ〜ってやつ。皆んな皆んな実は持っているものです。あったかいやつ目を静かに閉じれば誰もが必ず感じるはず。曇った眼鏡越しに見たり感じたりするから分からない。それは、過去の悪い影響が全て今の自分を創っていると思い込んでいるってことだから分からない。自分の正しさや正義は、実は間違えているってことだって、充分にあるんだってことを知らないから愛を感じられなかったりもする。違うやん。ホラホラそこにも、あっほら そこにもねあるやんそれでも感じられないならば、それらを感じる為にはね。感じて、考えてを行きつ戻りつしながら苦しむ時期が人には必ず必要であり、(自分との闘い)その学びの機会の代表例が、すれ違いという辛く苦しい出来事からもたらされる。そう考えるとしたら、いかがでしょうかすれ違いで悩んだのならば、それは、きっと今が初めての経験じゃないはずだからということは、それを断ち切るのはいつですか?素敵な夜をお過ごしくださいお知らせキャリアコンサルティング技能士2級直前対策講座のご案内です。6月ワークショップのご案内です。カウンセリングのご案内です。心理学講座のご案内です。ココロテラス津村健司