おはようございます
本日のタイトル
「あんたはそこまで偉いのかい?」
結構、
センセーショナルなタイトルかも
知れませんが
僕たちは、
自分自身を守る為や、
自分自身の正当性を全うする為、
自分以外の他者を審判するってことを
よくします。
逆に、
謙虚になったり、へりくだったり、
下手に出たり、
反省っていう逃げをうったり、
自己否定や自己憐憫に陥った方が良い。
っていう訳では決してありません。
言わば、
そのどちらもが自分の中にあることを
知っておいた方が良い
ってこと。
感情的になればなるほど
僕たちはどちらかについつい偏りがち
になる。
相手を責めるか自分を責めるかを
仮にしたとしても、
解決策や妙案が生まれることはまずないし、
嫌な感情が癒えることもまずありません。
それは、
仮に憎むべき相手に、
仮に復讐を果たせたとしても、
一生引きずる十字架になる例えと同じ。
自尊感情が強すぎても、
逆に弱すぎてもどちらも苦しく、辛いこと。
要はバランスであり、
そのバランスを取るには、
自分の傾向を知ることがとても大切です。
彼氏がひどい!と彼女が言う。
彼女は最低だ!って彼氏は言う。
選んだのはだ〜れだ
そこから決して逃げてはダメです。
いや〜、そんな奴とは思わなかった
って、やり過ごしてはあきまへん。
選んだのは、
誰でもなく、
無理矢理でもなければ、
お前や〜
ってことを押さえておく。
もし仮に騙されたのならば、
残念無念と泣き叫び、
腹立たしければ
横っ面の一つも引っ叩けばいい。
信じていたのに〜
とショックのあまりに寝込んだとしたら、
起き上がって
お別れの電話を即座にすぐにすれば良い。
自分のことを棚に上げる。
ってことを僕たちはしてしまう。
悪いことではありません。
でも、
棚に上げ続けるからこそ
シンドさが続いていくってことがある。
自尊感情が強い、弱い。
一見、強い方が良いって思いがちですが、
プライドが高すぎて、邪魔をして、
素直に謝れない
っていう弊害も生じるだろうし、
弱い場合、
自己否定のルツボに入り、
どうせ自分なんか や やっぱり自分なんて
って思考を益々強化していくことにもなる。
又、
自己否定のルツボに入る人は、
ある側面から見ると自尊感情がとても強い
とも言え、プライドが高いとも言える。
何故なら、
本当の意味での
自尊感情が強い人は、
人に何をされても、決して怒らず、
人に何を言われても、決して抗わず、
自分で自分を正しく尊重出来得る人だから。
人格者って意味じゃなく、
自分の全てをよく知っているから
環境や状況に左右されにくい
っていう特性を持っていると私は思います。
つまりはね。
私って、そんなに偉いの?
俺って、そんなに偉いの?
ってのをいつも問い続けれるのかどうか。
審判した時は特にそう。
その審判とは、
他者審判
と
自己審判
人を裁けるほど、
お前はそんなに偉いのかい?
自分を裁けるほど、
お前はそんなに偉いのかい?
をいつもいつも考えていくことにより、
自分自身の傾向を見つめることとなり、
自分の中でのバランスが、
自然と勝手に取れていくものです
又、
生き方の大前提として、
『全ては自己責任で生きる。』
を持つと、
清々しいくらい
審判
って感覚が薄れていくものでもあります。
但し、
その自己責任で生きるってことを
(その他にせよ、自分の大前提というものを)
人(他者)に当てはめない限りはね。
あらゆる人は
自由であり、
自由を謳歌する為には、
例外なく、
自己責任が必要です。
だから、
選んだ相手が嫌ならば、
サッサと終わって次に行く。
だから、
選んだ相手を本当に心の底から
愛しているのが分かったのなら、
何がなんでもいけるところまで、
二人三脚で相手と自分の為に
惜しみない努力をしていく。
「自分はそこまで偉くない。」
と思えてはじめて、
自己責任を全う出来る。
それは、
自分や自分以外の他者に
レッテルを貼らずに済むからこそ、
新たな道が開かれやすいってことにも
繋がっていく。
それは、
新たな価値観の萌芽かもしれないし、
本当の自分に気づく瞬間かもしれません。
って、
私は真に思うんです
そんなに僕らは偉くない。
大した人間じゃないからこそ
大した人間っていうことに対する
歪で変で、苦しい価値観が生じなくなり、
結果的に、
審判は終息していくもの。
素敵な日曜日を
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津村健司
