こんばんはおねがい


大阪は終日、土砂降りの雨。

そろそろ梅雨入りなんでしょうかね。

さすがに昨日は蒸し暑くて

今年初めてクーラーが稼働されました。

文明の利器、感謝です照れ


クーラーが無かった
昔の人は、酷暑の際に
様々な工夫をしました。
クーラーが初めて家庭に出回った時は
さぞや快感だったでしょうね照れ

でも、
快感は長続きせず、
やがては 当たり前 となる。


僕たちは
幸せを快感と捉えてしまうという癖を持つ。
誤りではないけれど、近接要因とは
なるかもしれないけれど、
快感や快楽は長続きはしないし、
そうやって考えてみるとそれらを
幸せって定義に入れてしまうのは
いかがなものかと思われます。

恋愛における交わり後の一体感や満足感や
出会った時のトキメキなども
いつか風化し、
当たり前として僕たちは認識してしまう。

幸せと、
快感、快楽(刺激)は別のものとして
捉えたほうがどうやら良さそうですね照れ


何故なら、

快感や快楽は、
いつも追い求めないと得られないものだし、
きりのないものであり、
多分に社会的影響によっても
変化してしやすいものだし、
例え、得られたとしても
前述のように瞬時のものだから。


幸せは主観的なものであり、
想像性によって永続化していく。


つまりは、

自分が幸せだって思っている人は、
特筆すべき出来事に別に出会わなくとも
日常の何気ない少しの出来事にでも
想像力をオートマティックに発揮し、
幸せに結びつけることが出来る。

でも、

自分が幸せだと思っていない人は、
常に特筆すべき出来事を探す。
それは、多分に快感、快楽の要素が
色濃く、やはり、それではなかなか
幸せを感じにくいであろうと思われる。

幸せと満足度は相関関係にあり、

幸せを感じる人は人生における満足度も
やはり高いでしょうし、幸せを感じない人は
人生における満足度もやはり低い。

裏返すと、

満足度を低く設定してみるのも
幸せを感じられやすくなる
一つの方法かも知れない。


高い満足度を求めない。


自分がそうだから相手もそうだと
思ってはいけない。


例えば、

恋愛において、

ラインのレスポンスが遅い。


返ってこないえーん

私なら直ぐに返すのにチュー

私は直ぐに返しているのにチューもかかわらず。

私は喜ぶだろうからいつも可愛い絵文字を
つけているのに相手は味も素っ気もないチュー

私はいつも気遣いの人だから、
(お便りなどは)早く返さないとダメだから、
ちゃんと返しているのにチュー
もう!!信じられない!!!

私はこんなにあなたを愛しているのにチュー
私のこの気持ちがあなたに少しでも
分かるの?


のにのにのに


「のに病」に人は一度駆られると、

満足度の欲求が一段と上がる。

一段と上がるけれども満たされる確率は

欲求が上がっている分低くなり、


寂しく思う。

悲しく思う。


腹立ちブチ切れるムキー


自分がやりたいからやっているのに
相手に同じことを望むってさ


何様?俺様?王女様?


そんなことを望むより、


時には、


ラインを送れる相手がいることに
感謝しようよ。

好きだと言える相手がいることに
感謝しようよ。

同じ空気を吸い、同じ朝を迎え、
同じ映画を見て笑い、
同じ哀しみを分かち合い、

同じ、同じ、同じ

から

共に、共に、共に

へ少しずつ移行していく為の
努力をしようよ。


当たり前を見直し、
期待値を修正し、

幸せを再定義しようよ。


のに病に囚われた人は、
苦いノニジュースでも飲んでさ爆笑


幸せを感じましょうよ。


当たり前の中から掘り出してさ、
当たり前の中にその萌芽があり、
いっぱい水や肥料をあげて
その芽を育てましょうよ照れ

それらは、
決して一過性の快感や快楽とは違い

断続的なものではなく、

比較的 永続的に続く


気分


つまり、

平均以上の良い気分の連鎖。


つまりは、

育てがいウインク

の役割の一員を担っているという

創造の喜びと自負。



ご参考になれば幸いですおねがい


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どうぞ、
よろしくお願いいたします。


素敵な週末をお過ごしくださいね。

ありがとうございます照れ

ココロテラス
津村健司