無駄を甘受する心根
こんにちは『よ』よく出来たようでけへんかったその感覚は、一見真逆のように思えます。でも、よう出来ようが、よう出来まいが、何かに挑むことはどちらに転んだとしても素晴らしきことであり、結果重視の世の中で、結果を出さなけれならないってことだけに捉われ、挑み失敗することは、失敗という結果がただ単にもたらされたに過ぎないものなのに、価値なく無駄なことは不要だとのたまわり続ける社会システムに色濃く影響されてしまっている私たち。失敗や挫折やに寛容的に振る舞ってはいるが、その実、ただ振る舞っているだけの見せかけで、他人事では挑戦するってことそのものを美徳の一つとして取り上げたりもするが、いざ、自分が挑む時、人は良い結果を出さなければならないなどと思ってしまう。そんな心の余裕もなくしてしまいがちな自分にもウンザリ、辟易することも多々あるだろね。だから、そいつをカバーする為に結果が伴わないものを無駄と切り捨てることなく、そのプロセスや心根が大切なんだよと人は説き、チャレンジャーを称賛したりもする。なーんてのはちと違うんじゃないのって私は思いますそもそもが、無駄というものに何か意味づけが必要としてしまうと、無駄が無駄として存在出来ず、無駄というものに何らかの価値を持たさなければならないってことになる。無駄に寛容的であれ。って私は思う。それは、勿論、時と場合にはよるのだが、無駄も人生にとっては必要なんだって、人間存在に対する優しさを身につけることの方が実はとてもとても大切で、自分に対しも、勿論、他者に対しても、人は機械ではなく生ものなのだから、血の通った温かさを肌身離さず持って進むってこと。それが無駄を甘受する心根。なんでもかんでも意味づけし、なんでもかんでも価値、無価値で判断するからこそ無駄を許容出来なくなる。許容出来なくなるから当然ながら、効率なり、スピードなりがもてはやされ、ありがたがられ、それを嬉々として享受する私たちは、益々、無駄から遠ざかる。活用するのと知らず知らずに呑み込まれるのとは違います人に寛容的であり、我に寛容であれるのは、無駄を無駄として何の意味もないものとして取り扱える勇気であり、 自分の心奥の心根にその勇気とその真理があるかどうか?何よりどれより大切だって思います。多分に語弊はありますが、人間に価値をもたらすのは人間の主観。でも、自然や宇宙から見れば、人間なんて無価値です(無価値だけならまだいいんだけどね)だから、生かされていることに感謝なんて宗教は説くんじゃないのかね。無駄を生きるってのが僕らの本質なんじゃないのかな。偏らず、バランス感覚を養いながら生きましょう『人生に無駄なんてことは無いさ〜なんて、思ってもせんことをみんな言うから人は絶望し、苦悩する。人生は無駄があって良いこっちの方がしっくり来ませんか』見方によってひっくり返るってことってあるどの角度から見ていくか?生きることに意味があるかないか?ってのも、まさに同じことですねさてさて、明後日はキャリアコンサルティング技能士の学科、論述の受験日ですね2級は年に2回。1級は年に1度の自分を試す日々の先ずは最初の一日目です。来年早々には面接試験。なかなか年末年始ゆっくりと出来ないかもしれませんが、本日のテーマに沿っていうと無駄の捉え方を鑑みて、無駄って概念を決して悪しきものとはせず、もとより、その無駄と捉えるものに意味づけを殊更にする必要もなく、仮に無駄であったとしてもその無駄を十二分に甘受しながらもなんとかかんとか乗り越えようとする自分自身に注意を払い、不必要にはならないようなコンプリメントを適切に自らにしていくそれが、特に面接において対応してくれる擬似だけど、クライエントさんには変わりはないヒト(人間)に対する接し方の基本姿勢となります。論述も同じこと学科は理論の意味づけだからチト違う受検は受検しようと思った時から既にもう始まっているこの試験は特にそう思います。受検生の方々は、お互いに(私も受検生^_^)自己一致して挑みましょうよ内的準拠枠の中に自身は自己研鑽に励む優秀なカウンセラーであるという自負心と同様に、仮にだとしても無駄を無駄と捉えれるというそこに何ら意味づけを必要としない寛容的な自我を合わせ持ち臨むそいつはある意味では無知の姿勢をもたらします。全ての技能士受検の方々のご健闘を心よりお祈りしております。私も懸命に自然体で顔晴りま〜す皆さま素敵な週末をお過ごしくださいませ今週もご覧くださり誠にありがとうございました。来週は通常通り、生き塾ブログ、メルマガ、YouTube再開しますねココロテラス大阪梅田ホームページつむらけんじ