ありのまま(保存版)
おはようございます自分の周りの人たちや、自分以外のよく似た人たちは、どんどんどんどん先に行っているし、どんどんどんどん変わっていってるし、どんどんどんどん成長しているし、どんどんどんどん輝いているし、どんどんどんどん良くなっているし、それに比べて私は…ふむふむどこが?エッどこがって?そりゃあ皆んな明るい表情だし、そりゃあ皆んな活発に行動してるし、ふむふむじゃあ同じようにしたら?でも、私も私なりに同じようにやったけど、努力したけどダメだったのやっぱり私はダメで、皆んなと同じように出来ないのふむふむ同じようにって何をするの?エッやっぱり沢山本を読むとか、やっぱり沢山講座に行くとか、やっぱり沢山の人と話すとか、やっぱり勉強を毎日続けるってことかな?ふむふむじゃあやればそれが出来ないから悩んでいるんじゃないの全然あなたは分かってくれないのねどうせ、私のことなんて誰も分かってくれないのよこんなに辛く悲しいのに。ふむふむそこは分かるよ辛く悲しいのは、やれないのではなく、やらないってことをね。よく、最近はインスタ、ちょい前はFacebookにアメブロなんかのフォロワー数とかいいね数とかを気にしながら同じようなタイプや環境の人と比較しながら勝手に^_^競争しながら、一喜一憂したりする人や、その比較している人の記事の内容なんかを見て、これまた、自分よりも凄いし、とてもじゃないけど自分よりも前に先にもいっているし、離される一方だからやっぱり自分はダメなんだって言う人がいらっしゃったりする。で、そんな人は、必ず、同じようにしんどそうな方々を探し、同じような悲しみや苦しみを共有し、一時的な安心を得たりする。いいと思いますよ。そんな想いを共有するのであればね。でも、共有していたはずの自分からしたら同じくらいのレベル?の人が、ある日突然に、これまた自分よりも先に、前にいったように感じ、輝き出したように見えたらどうでしょう?また、同じことを繰り返す。で、また同じようなタイプの人を探す。で、前に、先に行ったと思っている人に対し、更に焦りや自分はダメだのレッテルが強くなってしまったり、羨望が動機となり、自分もよーし、あの人みたいに頑張ろう!なんてのがあるのならまだしも、下手したら、その人の小さな穴をなんとか探して、見つけようとしたり、足を引っ掛けるまではいかなくとも、つまずけ、転べなんて心の底で思っちゃう。素直に称賛したりすることがなかなか出来なくって、そんな自分も大嫌いってなる。自分自分に気づいてますか?この一連の流れは、人間であれば、誰しもにあって然るべきもの良い悪いじゃなく、あって当たり前でも、そこに甘んじ、ぐるぐるする人と、そこからいち早く脱出し、それこそ先に、前に行く人がいる。この差って何?私は思います。そんなに自分を過信しないってことよく、逆を言う人がいる。例えば、そのまんまのあなたでいいのだから。ってね。確かにその通りです。僕たちは、ありのまま、そのまんまでいいのです。ただ、意味が違う。捉え方が全然違う。ありのまま、そのまんまってのは、状況や状態を指すものではなく、存在性や本質を表すもの。つまり、どんな人間も、ありのまま、そのまんまで良いということ。でも、状況や状態は自分で変えていかないと仕方がなく、ありのまま、そのまんまではなく、ありのまま、そのまんまって存在を維持し、高めていく日々が必ず必要だってこと。そこに気づけるかどうかだねそこで出てくるのが、先ほどの過信。私たちは大した人間だって、誰しもが思っている。間違いなく思っている嘘やん!私は何にもないし、自信もないし、バカやしアホやし何が大した人間だって思っているって?全然違うわ!はい立派に自分は大した人間だって言ってますねだって、自分のことをよく分かってらっしゃる。何にもない。自信もない。バカアホそれを本当に思っているのなら、何故、誰かと比較する?違うでしょ。比較するのは、自分は素晴らしい人間だ。こんははずじゃないんだ。って思っているからでしょなら、グチグチ言わんと、人様と比較なんかせんと、自分で自分のことだけをやればいいだって、これもまた、僕たちは、皆んな、自分はもっと素晴らしい人間で、もっともっと輝ける存在だってことを知っているから何故、人は怒る?何故、モンスタークレーマーになる?めっちゃ個人的には嫌いやけど、何故、イジメをする?自分が素晴らしいって思っているけど、その基準が他者にあるから(評価という)だからでしょ。だから、ありのまま、そのまんまって、口あたりの良い言葉だけを拠り所に生きてしまうと、ややこしいことになる。それは、方法論ではありません。あくまでも、存在性。方法論は別。存在性は、否定せず、自らを落とすことも必要なく、自分は素晴らしいって、自分で誰もが思っているのものなんだから、そのまんま思ってあげればいい。でも、方法論は別。方法論とは、経験値や行動値から得られ、自分で体得していくもの。だから、すり替えてはダメ。方法論を今までやってこなかったのなら、やればいい。だから、やりたければやったら?に繋がり、その根底には、方法論を知らないだけだから、自分の存在性とは別の視点であり、方法論を知らないだけなんだから、過信をし過ぎず、自分はまだまだなんだから、地道に、自分のことだけを、自分の足元だけをしっかりと見て、着実に少しずつ進もうって思えばよい。運動会の50メートル走隣のヨシコちゃんはライバルです。よ〜いドンヨシコちゃんは遥か先、もう、ゴールに着きそうです。アッこけたしめしめって思い追い越すか?わっ、ヨシコちゃん大丈夫って止まって助けるか?ほとんどの人は助けるはず。で、そこをよーく考えてみて〜ヨシコちゃんって子が、元々、走るの速いが評判の子なら助けずに抜かすって子が増える。また、ヨシコちゃんが自分と元々同じくらいのタイムの子であれば、助けるって子が増える。で、ヨシコちゃん、実は陰で猛特訓していて、でも、自分は何にもそれに気づかないから、当然、かけっこしても、自分が勝つ!なんて思っていて、(自分より走りの能力は下と思っている。)遥か先にプッチンされて、ゴール手前で転んだら、多分、助けるって人は増える。負けたことを認められず、助けることによって、負けたって事実を消そうとする。でも、ヨシコちゃんは、あなたに勝つ為に陰で猛特訓していたって他の友だちに聞いたとしたら?何よか何よってなる。人間なんて、「そんなもの。」「そんなもの」でも素晴らしい。と想いたくないから、(本当は、「そんなもの」だから素晴らしいんだけどね)「そんなもの」を認める為に、「そんなもの」をより高めていくしかない。つまり、かけっこのレーンの横には誰もいなくて、自分一人だけのレーンがあるだけのことで、「そんなもの」を「そんなもの」としての存在性自体をただただ認めていく為には、やっぱり、かけっこの練習せんとね。それは、速く走ることじゃありません。前に、先に、進むことそれをいつも元に戻しているのはだーれだお前や〜繰り返しときますよ。存在と方法を別に考えましょう。だって、僕たちは、そのまんま、ありのままでいいんです。でも、そこを拠り所にするから過信が生まれ、自分を上げすぎて、逆に言えば、甘やかすつまり、甘えたら何とかなる人を探すっていう、め〜ちゃ嫌な狡い自分と向かいあわざるを得ない。でも、それをしている内は、進んだ感を自分では得られない。やらない理由を大切な ありのまま そのまんまの自分という存在性に求めてはいけない。自分を穢すことになりますよ。棲み分けて定義してみて自分の素晴らしさを真に感じたいのならね。朝から長いわ素敵な一日をお過ごしくださいね自分なりに生きればいい。僕たちは、皆んなただただシンプルに素晴らしいのだから。本日の生き塾ブロググッ←こちらサイバーエージェントさん(Ameba)から特別オファーなるものを頂戴したのでこちらに出品しましたまだ、なんじゃらかんじゃら多少いじりますけど、よろしくお願いいたします自分の素晴らしさ、多少なりとも感じて頂ける講座かなココロテラスつむらけんじ