自我が・・・3
こんばんは第3回最終回です。苦しくって辛いが話すのか?何故そのような質問をするのか?↓苦しくって辛いは自分の感情であり、感情は思考(枠組み)から来ています。確かに、事象(出来事)により、人は過去の経験や自身の枠組み(知識や智慧)などからその事象についての捉え方が決まっていて、その捉え方が感情を生み出します。万人が苦しく辛いって感じる事象も勿論ありますが、人によっては、その事象が、苦しく辛いってならない場合もあります。又、感じたとしてもそれ程感じないとか、それ程長引かないとかもあるようです。それらは個人差もあり、その個人差は、経験値か、知識量か、そんなものから生まれるかも知れません。では、経験値か知識量が多ければ、苦しさや辛さは軽減されるのか?苦しさや辛さは解消されるのか?って言うと、私は多少はあるとは思いますが、それなりのご自身の努力は必要だとは思いますが、全てではないと思っています。苦しさや辛さは事象によって引き起こされる。これはいたしかたないこと。でも、事象によって、僕たちの人生を誤った方向や暗闇の方向に向けたいか?って問えば、皆さん、きっとNOでしょうそりゃあ、僕だってNOですよ。断固ねだから、苦しさ辛さに聞いてみる。そう、聞いても返ってくるわけないでも、苦しさや辛さを自分の中から分離し、敢えて擬人化することにより、改めて気づくことがある。それは、その苦しさ辛さは自分の一部であって、決して全てではないってこと。そして、噓みたいですが、苦しさ辛さがたまに語ることがある。分かってくれてありがとう大丈夫だよって言ってくれたから安心したなどなど。フォーカシングインナーチャイルドセラピーEFTタッピングを私は自身でやっていて、その度にそんなことに気づくことがありますそして、その次のステップが大切。高次の自分存在であって存在じゃない。つまり、自分を自分として感じれるのは、誰かに自分を認めてもらう(見て)もしくは、屁が臭いなどと自分を有機体として確認する作業などがないと、自分で自分を実体化することが出来ないってこと。全ての感覚器官を遮断すると(感覚遮断実験)人は狂人と化します。自分で自分が認知出来ないから。で、認知とは感覚と知覚が統合された概念であり、厳密には違いますが、大きく括ると、意識とも言える。で、意識は何で出来ているか?って言えば、これも厳密にはちょっと違いますが、僕は自我と思うで、自我は自我として確立しないと自我として存在出来ない為、様々な悪巧みを働いたり、構ってちゃんになってみたり、様々なお試し行為をする。そいつが、苦しみや辛さを代表としたネガティブな感情たちの正体。そいつに支配されると自我の思う壺。でも、思う壺だけど、自我は自我自身の存在を確立せんが為の苦肉の策だから、認めてあげないとってのもあるだって、それも自身の大切なものの一部なんだからねだから、人は智慧を働かせ、コーピング(対処法)を発見した。それが、宗教に代表される神の子や神との一体感変な意味ではなく、宗教を信じるってある意味では当たり前のことであり、人間の趨勢だとも思われる。誤解を恐れず言うならば、委ねれるから楽だと思う。(修行や信心は大変だろうけど方向が決まっている分、楽って意味だし、真理に近づける楽しさもあるでしょう。)で、私は特定の宗教はないので、(無宗教って皆んな思っているが、現実的には、日本人は森羅万象に神は宿るって思っていたり、クリスマスを祝ったり、初詣に行ったり厄祓いをしたりするから、厳密には無宗教ではないんだけどね)自我から離れる対処法というのが必要となってくる。そして、その感覚が、日常的に起こる自我のイタズラとのバランスを取り、心の平衡を保つ。(敢えて、自我のイタズラとシンボリックに表現しますが、苦しみや辛さを揶揄するものではありません。)つまり、3回に分けて、シリーズとしてお伝えしたかったのは、自然や宇宙や神さま?との一体化や、統合した自分を創造することにより、悩みを生み出す自我との適切な距離を保つ。ってこと。それは、自分が自分で自分自身を見れないように、敢えて、対象を置かないと理解や感じることが出来ないという私たち人間の本質があるからに他ならないってことです。それは、正しいことを感じる為に間違いを創るとか、善を全うさせる為に悪を仕立て上げるとか、それらと同じ。で、そいつを司るのが、自我の為せるものだと私は思うのです。で、私のこれらの対処法(コーピング)は、瞑想(座禅)ってことで、このシリーズの帰結は、メルマガで23時にお送りします。瞑想のススメ←こちら良かったらご登録くださいませ今週もご覧くださり誠にありがとうございましたどうぞ、素敵な週末をお過ごしくださいませ。ココロテラスつむらけんじ