こんばんは
2年前のブログです
たまたま
2年前にあなたはこんなん書いてましたよ
って出ていて、自分で読み返してみると
まさにその通り

と思ったので
リブログさせて頂きます
その記事は一番下です。
それを読みながら、
今日はこんなことを感じました
ってやつをツラツラ書きますので
どうぞお付き合いください
「過去」
私の中でのおそらく生涯の
ベストスリーに入るであろう書籍の中に、
フランクルの「夜と霧」があります
年に一度は必ず読み返したくなる本であり、
そんな本は滅多にない。
彼は絶望の中に、
ひたすら「今」を見て生きました。
逆に言えば、「今」を見るしかなかった。
そして、
今を生きることにより、未来が見えました。
未来を見ようとしたから今を生きれたとも
言える。
いずれにしても、
今を生きる為に未来を活用しました。
でも、
その未来に実体はなく、
そのパラドックスの繰り返しの中で
到達したものは、
自分という存在に対する確かな感触。
勿論、解放された後に
「夜と霧」は書かれたものですが、
その内容は、
過去を嘆いたりする意味でもなく、
彼の経験を高らかに
披瀝したりする意図もなく、
勿論、歴史書として後世に伝える
為に編纂したりといった
決してそんな意図じゃなく、
そんな逆境の中でも
いかに人は
今を生きるのかということ。
つまり、
確かな今を感じるからこそ、
自分という存在を全う出来る
ってことが
主題テーマだと私は感じます。
中でも、
とても印象に残る一説があります。
(原文にはないですが、
あくまでも私の解釈ね
)
その逆境の経験を
(収容所の心理学と題して)
沢山の聴衆の前で話す時、
人々は熱心にそれに耳を傾け、
涙するだろう。
それは、
今まさに逆境に立たされた人々にとっての
非常に役に立つ経験になるかもしれない。
自分が逆境の只中にいる時に、
その逆境を自らの経験と引き受け、
誰かにその話を聞かせるという、
ある意味、
生きる為の情報提供の場に立っている
自分を夢想することにより、
つまりそれは、
自分は高次の存在そのものとなり、
ある意味、触媒そのものともなる。
(学術として次元を変えるから
客観的に俯瞰出来る。)
さすれば、
逆境は逆境でさえなくなり、
現実の出来事や現象は変わらずとも、
いかなるものも私の心(精神)に
最後に残るその神聖な領域を、
決して侵食することは出来得ない。
身体も心もボロボロだけど、
存在自体が滅びることはない。
それは、生や死を超越したものである。
みたいな一説が出てきます。
(あくまでも私の解釈ね
間違ってるかもしれないし、
原文の抜粋ではありません。)
裏返すとね。
過去はない
ってこと。
ただの出来事に過ぎない
ってこと。
その苦しみを俯瞰し、
未来の糧とし、
自分と分離し、
今を生きるってこと。
又、
同じく、「夜と霧」の中で、
心から愛する奥さんの生死が分からないし、
知るスベも勿論持たないけれど、
彼女の生死はもはやどちらでもよく、
その存在を愛することが出来る自分は
このとてつもない逆境を生きられる。
って場面もあります。
愛を始めて知り、
愛によって救われ満たされる。
つまり、精神の自由の獲得。
深い愛は、
結局は存在性にあり、
愛すべき存在がいる強みはそこにあり、
その存在は、
存在性なので、
決して消えることはなく、
過去(も未来も)関係ないってこと。
形而上的なものだから、
その感覚は、実に難しいけどね
多分、
それが、
私なりに解釈すると、
魂
この本を浅く読んだり
偏ってみてみたりすると、
一見、
他者承認の弊害ばかりを目にする人は、
強い憧れをフランクルに見出すかも
しれません。
(その弊害に気づき、
乗り越えようと取り組んでいる人は特に)
彼の希求は壮絶なる葛藤の末に得られた
紛れも無い自己承認だから。
でも、
彼は自己承認せざるを得ない
環境だったからとも言えるし、
アドラー(フロイト)に師事した人
だってことも大きく影響しているのは
間違いないと思われる。
フランクルが生き延びたのは、
運、不運や彼の選択の連続もあるだろうが、
大きくは心理学者であり
精神科医だったからと私は思う。
それは、
自分の経験を人間の存在性を
見極める為の貴重な資源と提起し、
ひたすらに学究心と
分析するという知的好奇心を
持てたからに他ならない
職種だったからと思います。
でも、
彼が単にその職種のみで
その域に達したかというと、
決してそういうわけではなく、
極めて特殊な人だったかと言うと
私はそうは思わない。
私たちと同じ、
ただの一人の人間だと思う。
私たちと同じ共通項から言えば、
彼は苦しみから決して逃げないで、
自分の内に向かい合って、
厳しい事象を突破する気概に
満ち満ちていた人だからに違いない。
自らの存在という
尊厳を守り通した人だと思う。
私たちは皆んな誰もが
基本的にはそうだと私は思う。
(はなからそれをする必要はない。
何故ならば、フランクルの環境下に
僕らは現にいないし、
だからといって自分に向き合うことを
先延ばしにするのもどうかな?とも思う。
癒し続けるのはとても大切です。
でも、
向かっていき、乗り越えるのも
結局は自分の為であり、尊厳の為。
その為のサポートをしてくれる人は
フランクルにとっての当時は、
奥さんや収容所の仲間しかいなかった。
(奥さんや家族は全員いないが、
心の中のサポートとしては明確にいる。)
でも、
現代の日本に住む僕たちには、
サポート資源は幸いなことに沢山ある。
一人で向かうのが不安や怖いなら、
そのサポート資源を
活用するというのも大切な智慧であり、
全ては自分の為である。
それは例えば、
宗教であれ、哲学であれ、心理学であれ、
スピリチュアルや占いや何であれ、
向かっていくのか?
かわすのか?
誰にも強制出来ないし、
誰も代わってくれないけれど、
涙が出るだけ出尽くして、
その涙が枯れた時に、
はじめてきっと人は、
出来事(過去)から学ぶことが
出来るんじゃないのかなって私は思う。
誰かのせいとか自分のせいとかさ。
何かのせいに出来るほど、
そんなに偉くないんだってばさ。
僕たちは。
弱くチッこいんだから、
苦しめばいいし、悲しめばいい。
責めるとか許すとかは、
一つの方法論であり、
本質ではない。
いかに在るか?
ただ、それだけを考えて生きる。
在り方が存在であり、
在り方は普遍となり、
在り方は尊厳となり、
在り方こそ
魂
だと私は思う。
だから、
「夜と霧」から
学べることが沢山ある。
彼が心理学者とか精神科医だからじゃなく、
一人の人間として全人的に捉えれるから
これだけのベストセラーになっている。
出来事ではなく、
その出来事から何を学ぶのか?
学べる自分をいかに創るのか?
だから、
繰り返しますが、
過去はただ単に出来事の連鎖に過ぎず、
ただの積み上げに過ぎず、
そこに意味をつけるのは
今の自分。
誰も自分の代わりにはなり得ないし、
その苦しみは自分が乗り越えるしかない
という気概。
辛く厳しいかもしれないが、
乗り越えれば、
道は拓ける。
必ずきっと。
過去に縛られないで。
過去に操られないで。
過去に惑わされないで。
今の自分を信じて生きる。
信じきれないのなら、
色んなことから学べばいい。
教材はそこら中に無数に転がっています。
それもせずに、
ブツクサぶつくさ
頭がいいとか悪いとか
理解力あるとか理解力ないとか
知らんがな
私は頭が悪いから、
学ばざるを得ない
でも、
だから、
幸せだと思っています
ちょっと前、
物事の理解力をもっと身につけたくて、
小学校低学年の分数ドリルを
買いました
(メチャメチャ掛け算、割り算難しい
)
感情表現がもっと豊かになりたいので
本屋さんに行くごとに、
子ども向け絵本の立ち読みします
(高いやん絵本
やし、
感受性まだまだ鈍いな〜って思う
)
だから何やねん
そう。
だから何やねん
です。
だから、
幸せなんですって
まだまだやって思えるから。
最後に、
もし、
「夜と霧」
まだ読まれていなくて、
読まれるなら、旧版より新版の方が
現代にマッチしていてかなり読みやすいです。
繰り返し、
ことあるごとに読み返されることを
おススメします
アフリエイトはしていないので、
リンクは貼ってはおりませんので、
アマゾンなりなんなりで
ポチッてみてください
お持ちの方は、
悩みや詰まっている時ほど、
引っ張り出して再読されるのが
良い活用法だと思います
その度に、
何らかの気づきが得られ、
これでいいのだ
って思えるから。
素敵な日曜日を。
ps)
明日はキャリアコンサルティング技能士2級
の学科と論述ですね。
受検生の皆さま、どうぞ体調に留意され、
悔いなく顔晴ってくださいませ。
心よりご健闘をお祈りしております。
お知らせ
ココロテラス
津村健司

