前回で終わりだったはずのこのシリーズですが、ようやく書き上げて投稿しようとしたら、「文章は5000文字までです」との表示が出て、投稿できません。いろいろと行間をつめたりしましたが、やっぱりだめでした。
そこで、やむなく最後に書いていた後書きだけ、コピーペーストして新しく投稿します。前回の最後から続けて読んでください。

・・・・・
(終わりのつづき?後書き)

ようやく完結です。ちょっと恥をさらすようでためらいもあったのですが、多少の表現のあやはあるものの、僕の記憶をたどり、事実を事実として書いたつもりです。これまでの一連の話を読んで、第11回の決勝で圧倒的な強さをみせたところから実力派クイズ王のようにみられていた僕が、けっこう苦悩と幸運の中で勝ったんだということを、感じた人も多いのではないでしょうか。ちょっとイメージダウンですかね。イメージを壊して申しわけありません。
それと、これだけは強調しておきますが、僕は今でもウルトラクイズが大好きだし、いろいろな意味で感謝しています。もちろん否定するつもりは微塵もありません。
そして、今回のシリーズでは自分以外の人のことをあれこれと書いてしまっていますが、表面的な話ならばともかく、他人の内面に立ち入って言及するのは、ブログではご法度だと思います。ストーリー上重要な要素だったのであえて書きましたが、この点についてはお詫びするとともに、他の誰かをおとしめるつもりは全くなかったことを、どうかご理解ください。

それでは、また。機会とやる気があれば。

 

(前回のつづき)※敬称略

カンクンでの本番、最初にあったのは、第11回ウルトラクイズの優勝賞品の発表だった。
留さんが、まずは挑戦者たちが希望する優勝賞品を、一人ずつ順に聞いていく。ここでは車をあげる挑戦者が多かった。そして、柳井さんらしい希望賞品の後に、僕が答えた希望賞品は「飛行船によるアメリカ横断」。もちろん飛行船が大好きだったこともあるが、ウルトラクイズの賞品では土地や物にはジョークが多いため、必ずそのものが体験できる旅行関係を書いておいたという理由もある。

そして、最後に宇田川が「島」と答えた後に留さんからいよいよ賞品の発表。
留さんの「島をあげます」とのコールに、僕たちは大いに驚いた。賞品のすばらしさに驚いたのではない。宇田川が賞品をぴたり当てていたことに驚いたのだ。最後に希望賞品を答えたのが宇田川で、本当の賞品もその宇田川の答えた賞品とずばり一致。ちょっと作為だけではできないような偶然の一致だった。
ちなみに賞品が発表された瞬間、僕は当然カンクンにある島だと思って周囲をきょろきょろしているが、もちろんみつかるはずもない。優勝賞品となるべき島は、はるか北のかなた、カナダにあったのだから。

優勝賞品の紹介で、はやる気持ちと毒気をいったんは抜かれてしまった僕だったが、続くクイズのルール説明を聞いて、闘志は前にも増して燃え上がることになる。

「日の出タイムショック」

早押しクイズ。正解1ポイント、不正解-1ポイント。但し、勝ち抜け点数は、特に決まっていない。早押しクイズをひたすら出題し、太陽が水平線から昇りきったところでクイズを終了、その時点でポイントが一番低かった挑戦者が敗退となる。また、日の出の瞬間から1分間はボーナスクイズとなり、正解した場合は倍の2ポイントが与えられる。
このクイズ、今でこそ「タイムレース」の名で、クイズサークルの例会やオープン大会でもしばしば採用されるが、このときは目からうろこが落ちるほどの斬新なクイズだと思った。
なにしろ、何点とったら安全なのかがまるでわからない。
今から考えれば、ここで敗退するのは最下位の1人だけなので、たぶん、無茶押しはせずに確実にポイントを確保するのが勝利への基本戦術だと思う(注:タイムレースは勢いがものを言うので、慎重にやりすぎると全く答えられないままに終了してしまうこともある)。焦る気持ちから誤答・お手つきをすると自滅しかねないのはその後の実戦をみても明らかで、正解するよりも間違えないほうが本来はより重要なのだろう。
だが、このときの僕は無難に勝とうなどとは微塵も考えていなかった。
早押しクイズで、しかも無制限に出題されるクイズ。手数の多さが思い切りものを言いそうだ。僕にとっては願ってもないルールだと言えるだろう。僕の頭にあったのは「真剣勝負」の四文字のみ。今回ばかりはノーブレーキで、がんがんいこう。他の挑戦者には答えさせないくらいの勢いでいこう。そう思っていた。

そして、いよいよ「日の出タイムショック」のスタート。
それではここで出題されたクイズと正解、解答者をみていこう。なお、気がついたところには短い補足をつけることにする。

01Q.「夜明け前」を書いたのは島崎藤村。では、「ゴルフ夜明け前」を書いた落語家は誰?(A.桂三枝)稲川○+1
02Q.セニョーラとセニョリータ。独身娘に対して使うと怒られるのはどっち?(A.セニョリータ)稲川×±0 ※2択問題。独身女性ときたのでセニョリータと答えたが、その後にひねりがあった。
03Q.スペインの征服者コルテスが上陸した港は?(A.ベラクルス)高橋麻×-1
04Q.ひねくれた人が曲がっていると言われる体の部分はへそとどこ?(A.つむじ)高橋麻×-2
05Q.釈迦が誕生した所は現在の何という国?(A.ネパール)高橋麻×-3
06Q.手旗信号。白旗を持つのはどっちの手?(A.左手)山賀○+1
07Q.既婚女性が結婚式などに着る「江戸褄」とは何の別名?(A.留袖)山賀○+2
08Q.桃の節句と同じ日に、語呂合わせで設けられたのは何の日?(A.耳の日)高橋充○+1
09Q.ボクシングのトレーニングにも用いられ、英語で「ロープスキッピング」と言われるのは何?(A.縄跳び)高橋麻○-2
10Q.中国料理の中で、漢字で雲を呑むと書くものは何?(A.ワンタン)高橋充○+2
11Q.ヒラメやカレイの背ビレ・腹ビレに沿った部分をなんと言う?(A.えんがわ)宇田川○+1
12Q.「ロミオとジュリエット」。二人の出会いから悲劇的な死までは何日?(A.5日)宇田川○+2
13Q.日本の小京都。萩は山口県。では津和野は何県?(A.島根県)稲川○+1
14Q.ケーキなどの香りに使うエッセンスとオイル。香りが長持ちするのはどっち?(A.オイル)高橋麻×-3
15Q.週に一回発行するのは週刊誌。では、10日おきに発行されるのは何?(A.旬刊誌)稲川○+2
16Q.樹木の発散する化学物質を利用した健康法と言えば何?(A.森林浴)高橋麻○-2

ここから日の出が始まり、ボーナスクイズ。
17Q.アラン・ドロンの出世作。ニーノ・ロータのテーマ曲でおなじみの映画は何?(A.太陽がいっぱい)柳井◎+2 ※柳井さんの読み勝ち。予想していたのか?
18Q.「聞けわだつみの声」。この「わだつみ」とは何のこと?(A.海の神様)スルー
19Q.第一次世界大戦を舞台にしたヘミングウェイの出世作は何?(A.陽はまた昇る)稲川×+1 ※僕が答えた「武器よさらば」も第一次世界大戦が舞台だと思ったのだが。ここは出題意図を読めなかった僕のミス。
20Q.メキシコのメリダにあるオーラン病院の前に銅像が立っている日本人医学者は?(A.野口英世)スルー

ここから再び通常問題。
21Q.京都の広隆寺にある国宝第1号の仏像は何?(A.弥勒菩薩)稲川○+2 ※いかにもクイズといった問題。
22Q.「ユアン」といえばどこの国の通貨単位?(A.中国)稲川×+1 ※どこの国の~と聞いて、たいていは答えられるだろうと思ったが、あまりの意外な展開に答えられず。
23Q.昭和49年、日本の女子プロゴルファーとして、初めて海外タイトルを獲得したのは誰?(A.樋口久子)スルー
24Q.人形劇ドラマ「サンダーバード」はどこの国のテレビ映画?(A.イギリス)稲川○+2 ※僕の小学生の頃にやっていた。けっこう好きな番組。
25Q.モモイロ・アカ・シロ・クロに共通する海の生き物は何?(A.サンゴ)稲川○+3
26Q.歌舞伎俳優のファンクラブ「T&T」。玉三郎と誰?(A.片岡孝夫)稲川○+4
27Q.動物園の人気者「ラッコ」は元々何語?(A.アイヌ語)稲川×+3 ※何科と思って答えたら何語だった。冷静さを欠いたためのケアレスミス。
28Q.「雷の土地」という意味のヒマラヤ山麓の地名がついた紅茶は何?(A.ダージリン)稲川○+4 ※これまたいかにもクイズ問題。
29Q.お灸をすえる時のむこうずね上部のツボは?(A.三里)高橋○-1
30Q.マックス・ウェーバーが示した支配の3つの形は、伝統的支配、合法的支配と、もう一つは何?(A.カリスマ的支配)スルー

僕が自分の勝利を確信して我にかえり、ボタンから手を離したのは、ようやくラスト2問になったときだった。そのときまでの僕は、半ば無意識の中にいた。
そして、太陽が昇りきり、さわやかな空気に包まれた中での結果発表。

高橋充2・高橋麻-1・山賀+2・柳井+2・稲川+4・中村±0・宇田川+2

僕はトップだった。出題30問中12問に解答と、占有率も断然多い(つまり誤答も多くて正解8、不正解4)。留さんからも、「さすがだね、力でてきたね」と言われ、このときは正直悪い気はしなかった。
もっとも、ボーナスクイズの4問をはさんで、前半ほとんど答えておらず、逆に後半はほとんど僕が答えているのに、不自然さを感じた人はいなかっただろうか。この流れが本当にそのままならば、僕は後半に怒涛の攻めで逆転トップをとったことになるが、その結果の2点差ならば、留さんから前述のようにほめられるほどでもないような気がする。この真相については後述する。

そして、ここで敗退したのは、機内トップといわれた高橋(麻)。誤答の多さが仇となり(2択が全て裏目にでるという不運もあったが)、結局1問も答えなかった中村が勝ち抜けるという、おそらくはスタッフも想定していなかったであろう結果となった。

高橋(麻)の敗退が、第11回ウルトラクイズのひとつのターニングポイントだったことは、その後の戦いをみれば明らかだ。彼女は僕と同じく緊張しやすい性格で、それまでの戦いでも安定性を欠く場面が少なくなかったが、実力者であったことは間違いない。スタッフも第4回以来の女性クイズ王の誕生を切望していたはずで、彼女には大いに期待していたことだろう。
そして、もし彼女がここを勝ち残っていたならば、次のエバーグレーズのカルタクイズか、ワシントンでのクイズサミットで僕が敗退していた可能性は高く、第11回ウルトラクイズの様相は全く違ったものになっていたと、僕は今でも思っている。

また、彼女の敗退に、僕が大きな影響を与えた可能性のあるのも否めない。
ここで最後の大きなネタバレをしておくと、オンエアされたカンクンの戦いの映像は、スタッフによる大きな作為が加えられている。それが映像の一部をカットしただけなのか、それとも出題順をも大幅に変えているかは、僕にもはっきりとはわからないが、重要な改変をしていたのだけは確かだ。

実は、僕のここでの獲得ポイントは、4ポイントではなく、9ポイントだった。つまり、最低でも正解5問分がカットされている。
僕の中に残っている断片的な記憶をたどれば、ここでのクイズで、僕は前半戦からリードしていたと思う。カットされた問題には、いかにもクイズらしい問題が含まれていて、とんでもなく早いポイントでボタンを押していたものもあったはずだ。
もし、カットされたのが正解した5問だけだとしたら、総出題数34問中17問に解答と、僕の解答占有率は50%にもなる。クイズの冒頭でマイナススタートとなった高橋(麻)にとって、僕の情け容赦のない怒涛の押しはより大きなプレッシャーとなっただろうし、本来ならば高橋(麻)が答えられたはずの問題のいくつかも、僕がその芽を摘んでいたに違いない。

スタッフが僕の正解をカットして点数を低くみせたのは、ここであまりに点差がつくのは、視聴者にとって興ざめだと判断したからだろう。それでも全体における僕の解答数があまりに多かった(逆に言えば他の挑戦者の解答数が少なかった)ために、自然な形のまま編集して接戦にみせるには限界があり、その結果が前半は実力伯仲、後半は稲川ばかりが解答するという、極端な形にまとめざるをえなかったんだと僕は考えている。

・・・・・

スタッフが期待していた激戦や接戦が展開されず、僕がまわりの空気を読まない暴走をしたために、ここでのクイズが終わった後のスタッフミーティングにおいて、スタッフの多くは僕の戦いぶりを一様に激怒していたと言う。
だが、その話を人伝えに聞いても、僕には悪びれる気持ちは全くおきなかった。

「こっちにはこっちの事情があったんだよ」

(終わり)

(前回のつづき)

せっかくのチチェンイツァだったが、ピラミッドの頂上でバンザイをした後、階段を降りた僕たち勝者は、全く観光する時間も与えられず、すぐにバス(注:リンカーン組が乗ってきたバス)に乗ってカンクンに戻ることになった。
ウルトラクイズでは、勝者と敗者が決定すると、すぐに両者を引き離し、話もさせてくれないのが慣例だ。おまけにオンエアをみて初めて知ったことだが、ここではピラミッドの内部を使った罰ゲーム(この罰ゲームは本当に貴重な体験で価値あるものだと思う)が行われることになっており、勝者たちをその場においておくことなどできなかったに違いない。でも、わかっていたこととはいえ、やっぱり残念だった。

チチェンイツアではリンカーン組と合流してすぐにクイズが始まってしまったため、リンカーン組が前日すでにカンクンに、しかも僕と高橋(充)が泊まっていたホテルの隣のホテルにいたことを知ったのは、帰りのバスの中でのことだ。そして僕たちがバスを降りたのは、まさにこの隣のホテル、リンカーン組が泊まっていたホテルだった。
まあ、これも後から考えれば当然も当然のことだ。僕と高橋(充)が泊まっていたホテルのデッキが、翌日のクイズの会場になるとは、思ってもみなかった。

この日の僕は、久しぶりに中村と同室だった。
中村は、成田のジャンケン前夜、最初の宿泊ホテルで同室(注:このときだけ3人部屋で、もう一人はパチンコ敗者復活の後深夜のグアムブーブーゲートで敗れたもう一人の宇田川さん)だったこともあり、気のいい彼の性格もあいまって、僕にとっては気の許せる友人だった。ハワイでの綱引きでは、僕を含めて明らかに非力なかげろう組にあって、先頭で孤軍奮闘、僕たちを敗退の危機から救ってくれている。そのときには大いに感謝したものだ。

その中村と久しぶりにゆっくりと話のできる機会をもったわけだが、この日の中村はなぜか表情が暗かった。そして、意を決したように重い口を開いた中村が、僕に話してくれた話は……


バッドランドでの「国境突破一足跳びクイズ」を終えた日の夜、メキシコへ向かうことになった僕と高橋(充)がリンカーン組とは別れてモーテルに泊まった夜のこと。リンカーン組が一室に集まって宴会をしていたことは、前に述べた。

その宴会の中ではもちろんいろいろな話がかわされたのだろうが、その中で、誰言うとなく「打倒 稲川」で盛り上がっていたと言う。

この話は僕にとってはもちろんおもしろい話ではなかったが、元々ハワイでのスタッフの仕掛けに端を発することだし、十分にありえる話だった。だから僕としても「まあしようがないなあ」くらいの軽い受け止め方だった。
だがしかし、中村の口から続いてでた言葉を僕は聞き流すことはできなかった。

「バッドランドでは一足跳びの2人が決定するまでクイズを真剣にやる気がしなかった」という話があった。

つまり、言葉通りに解釈するならば、バッドランドでは、僕と高橋(充)の勝ちぬけが決まるまで、クイズの手を抜いていたということになる。
バッドランドといえば、僕は敗退の危機を少しでも回避したいがために、思い切りいこうと思いながらも、高橋(充)に完敗したところ。その後、僕は世紀の大珍答で1回はふりだしに戻り、宇田川の猛追を受けた末に、辛くも2抜けしたところだ。僕としては、ロサンゼルス以来の無様な戦いの尾を引きながらも、なんとか2抜けで一足跳びにすべり込み、心の底から安堵した。それが、リンカーン組の手抜きに助けられての勝ち抜けだったのか。

ちなみにこの話、オンエアをみてみると、誰も手抜きをしているようには見受けられず、実は単なる気分的な話だったのではないかと推察される。実際のところも、宇田川なんかは本気で勝ちに来ているのがはっきりわかる。
しかしながら、この話を聞いたときの僕には、そんなことを冷静に考える余裕はまるでなかった。ハワイの夜以後、期待をかけられながらも、繰り返される無様な戦い。思えばカンクンに至るまで、クイズ経験者として、らしさをみせたことは一度もなかった。元々緊張しやすい性格で、さらに辞表のプレッシャーもあってか、思うような戦いができなかった。それが、こともあろうにクイズ未経験者に助けてもらうことになろうとは。立命館大学でRUQSを設立し、仲間たちと楽しくやってきた自分のクイズ人生が、根底から否定されたような気がした。誇張でもなんでもなく、このときの僕が受けた衝撃には、計り知れないものがあった。

中村は、「この話を稲さんにするまでは負けられないと思った」とまで言ってくれた。それを聞いて僕は涙がでるくらいにうれしかったが、それとは裏腹に、自分の中に、青白い炎が燃え上がるのを感じた。

「やってやる」

僕は心の奥底で、そう叫んでいた。

・・・・・

チチェンイツアとカンクンは、珍しく2日続きでクイズが行われることになっていた。
そしてカンクンのクイズの日、集合時間はなんと午前4時30分。

僕は当初、カンクンでのクイズを、かつてマイアミでやったような浜辺でタイヤをひくクイズか、もしくは泳ぎを伴うものと予想していた。いずれにしても体力クイズ、どちらであっても自信はない。もし泳ぎに関係したクイズだったならば、自分の不利は決定的になる。だが、こんな未明に集合して、何をやるというのか。

前夜の決意とは裏腹に、自分の力を発揮できそうもないクイズを予想し、不安を抱えたままの僕は、中村とともに集合場所のロビーに向かった。そして全員集合を確認したディレクターは、珍しくバスではなく、徒歩で僕たちをクイズの舞台へと誘導した。

そこは、僕と高橋(充)がバカンスを楽しんだところ。そして、強制的に日焼けをさせられたところ。全くの暗闇の中、無数のライトが当てられて、ギリシャの神殿を思わせる列柱が浮かび上がり、その中には早押し席がセットされている。暗闇の中、プールサイドに浮かび上がる早押し席は、はるか以前、グアムで経験したベッド争奪クイズの会場にも似ていたが、それとは比べものにならないほど神々しかった。

この段階では、ここで行われる革新的とも思えるクイズのルールはまだ知らされていない。
だが、早押しクイズであることは明らかだ。

その瞬間、僕の脳裏には昨夜の話が強烈によみがえり、ふたたび青白い炎が燃え上がるのを感じるのだった。

(つづく)

(前回のつづき)

バカンスの最後に罰ゲームをやらされることになった翌日、僕と高橋(充)の2人はいまだにひりひりする肌と寝不足で最悪のコンディションのまま、乗用車に乗ってチチェンイツァに向かった。

ひたすらジャングルの中を1本の舗装された道が延びており、車は猛スピードで走り続ける。ところどころに集落が点在しており、その入口と出口のところだけは道路を横切るように凸状の段差が設けられていた。たぶん、交通事故の危険を少なくするために、車のスピードを緩める目的で設けられているのだろう。同じものを地元の大学の構内でもみたことがある。
飲食物や手づくりの土産物らしきものを販売している店も集落の中にはいくつかでていた。たぶん物価も安いに違いないから立ち寄りたいなと思いつつ、もちろんそんな余裕もないので許されるわけもない。
そんなこんなで2~3時間ほども車で走った後、ようやく僕たちはチチェンイツァに着いた。

このチチェンイツア、ピラミッドが「新・世界の七不思議」のひとつに選ばれたりして、相当注目されている。カンクンと同じく、今やメキシコ観光の定番ともいうべき観光地だ。
だが、当時はまだまだ日本では無名に近く、僕も実はほとんど知らなかった。ウルトラクイズの影響か、メキシコのピラミッドといえば、すぐに頭に浮かぶのは、ティオティワカンの太陽のピラミッドだ。
それと、第11回ウルトラクイズで訪れたときは、スケジュールの都合だったと思うが、クイズが終わるとすぐに出発してカンクンに戻ってしまい、戦士の宮殿とか生け贄の池とかも見られずじまいだった。後のアサヒ・スーパードライのテレビCMで、落合信彦がこのチチェンイツアを背景にビールを飲んでいたとき、本当に残念だったと思った。

車を降り立った僕たち2人は、カメラがまわるまでもなく、その場でリンカーン組と再会した。しかし、温井の姿がない。ついに運も尽きたかと思うこと半分、残った人数をみて、だいぶ絞られてきたなと思う気持ちが半分だった。

ここからはオンエアされたシーンである。

荷物を持った僕たちは、留さんに案内されるままに、ピラミッドに近づいていった。そして、観光客が上り下りする面(注:階段の中央に鎖がつけられていて、この面だけが観光客の上り下りが認められていたような気がする)を左側に回りこむと、視界に入ってきたのは、見るからにクイズのセット。階段の途中に数字のパネルがつけられているのを見て、この階段を使ったクイズを行うのだとわかった。

ちなみに、留さんの「どんなことをやると思う?」との問いに、僕が「ジャンケンして、勝ったら、チ・ョ・コ・レ・イ・トとかって上がっていくんでしょう」と答えたのは、その場での思いつきである。階段でやる遊びと言ったら、やっぱりこれでしょうってな感じで自信満々に答えたジョークだった。
これを話したとき、僕の地元のルールでは「パーで勝ったらパイナップル」「チョキで勝ったらチョコレート」「グーで勝ったらグリコ」なんだけど、「グリコ」は企業名だからまずいだろうということで避けた。でも、そもそもこのゲームは全国共通なんだろうか? そしてこの僕の話は一般に通用するもんだろうか? などとちょっと心配だった。実際はどうだったんだろうか。教えてほしい。

「恐怖のピラミッド かけのぼり数字クイズ」

答は全て数字になるクイズが出題され、挑戦者は正解と思う数字を各々が表示する。正解ならばその段数を上がり、不正解の場合は自分が表示した数字分の段数を下がる。答に自信がない場合は表示するのを保留してもよく、その場合は当然上り下りはない。その繰り返しでクイズを進行し、92段ある階段を上りきった挑戦者が勝ち抜け。そして、最後まで階段を上りきれずに残った挑戦者が敗退、というルールだった。

「Q.国外脱出を賭けて戦った成田でのジャンケン。あの日から数えて今日で何日目の旅?(A.17日目)」

僕はとっさに自分の腕時計をみた。このときつけていた僕の腕時計には日付と曜日が表示されており、しかも僕はウルトラクイズの旅の間中、あえて時差による時計の調整は一切せず、日本時間のままにしていたからだった。
表示は22日の火曜日、成田のジャンケンは6日の日曜日だったから、6日から数えて17日目になる。

ここでは全員が答を表示したが、正解したのは、山賀・僕・宇田川の3人だけ。僕たち3人は階段を上り始めた。まるで自宅の階段を思わせるほど急な階段で、しかも手摺などは一切ない。ちょっとでも体を起こそうものなら、後ろに倒れてしまいかねないような感じだ。

第2問は、ここで出題された中では一番の難問だった。
「Q.1492年にインドをめざして探検航海を行ったコロンブスが、サンサルバドル島に上陸したのは、10月の何日?(A.12日)」※問題はうろ覚えなので正確ではない

この問題はさすがにわからなかった。ここで解答権のあった僕たち3人は誰も答を表示せず、第1問を間違えてペナルティボックスに入っていた残り5人も元の位置に戻った。そしてこの問題は結局オンエアされずに幻となった。

つまり、オンエアでは紹介されなかったが、ここではある問題に間違えて階段を下りる場合に段数が足りない場合、階段の下、僕たちが並んだ後ろに布いてあったシートの中に入り、1回休みすることになっていた。たまたま唯一の機会となった第2問で誰も正解も不正解もなくカットされたため、このルールがうやむやになってしまったのだ。

それからの出題は、どちらかといえば簡単な問題が多かった。たぶん、ゴールまでの段数が92段と多かったため、難問を出題して収拾がつかなくなるのを恐れてのことだろう。個人的には巨人軍の永久欠番や祝日のような、答が複数ある問題とかを、もっとだしてほしかったと思う。

その後の山賀・僕・宇田川の3人は、順調に正解を重ね、6問目(オンエアでは5問目)にゴールに到達した。そして、柳井・高橋(麻)・高橋(充)の3人が勝ち抜け、最後は大学生同士、中央大学の中村と、慶應義塾大学の藤村の2人の対決となった。
一進一退でどちらが勝ってもおかしくなかったが、最終的に中村が抜け出し、ゴールにたどり着いた。僕たちは留さんに促されて狭い頂上で万歳をしたが、何人かは元気がなかった。好青年だった藤村の敗退に心を痛めていたのだろう。

それにしても、ピラミッドの頂上からの眺めは絶景だった。ここに来るまで、車はひたすらジャングルの中を走っていたが、その答がこの風景だ。
ピラミッドの周囲は、360度、どこをみても緑色のジャングル。その広さたるや半端ではない。地平線に至るまでが全て緑色なのだ。水平線ならぬ、緑の地平線をみたのは、これが最初で最後だった。

「ここは日本ではない」

僕は、自分がウルトラクイズで海外にいることを、改めて実感するのだった。

(いよいよ核心に向けて、つづく)

(前編からのつづき)

デンバーで泊まった翌日、空港にはなんのトラブルもなく、僕たち3人は、いよいよカリブ最高のリゾート地・カンクンに向かった。
そして数時間後、カンクン空港に降り立った僕たちを出迎えたのは、高温高湿のカリブの熱気だった。

とはいっても、このときの僕は、これからバカンスを過ごすことになるカンクンのことを、ほとんど何も知らないでいた。
この10年ほど前に、ユカタン半島の北岸にあったジャングルを切り開いて開発された、新しいリゾート地。ラグーンにはさまれた細長い砂洲の上に、まだ真新しいホテルが、いくつも並ぶ。人工的に開発された観光地らしく、物価は周辺と比べて10倍も高いという。

僕たちが入ったのは、数多くのホテルの中でも、たぶん1、2を争う最高級の巨大リゾートホテル。後に日の出タイムショックの舞台となるホテルだった。ホテルの敷地内にも広大なプールがあるが、そのすぐ向こうは、信じられないくらい粒の細かい白い砂浜、まさにパウダーサンドというにふさわしい。そしてその向こうには紺碧の海が広がり、近づいてみてみると、透明な海水の底には、白いパウダーサンドがそのまま広がっている。
第11回ウルトラクイズの旅において、グアムよりもハワイの海のほうがきれいだと思ったが、このカンクンの海は、そのハワイよりももっともっときれいだった。

いよいよバカンスの始まり。さてどんなバカンスが待っているのかと思いをめぐらす僕たちだったが、チェックインを終えたプロデューサーは、僕たちのところへやって来ると、部屋の鍵とともに、一人200ドルずつの現金を差し出した。

「まあ、これからは2人で、自由にやってくれ。」

つまり、200ドルはよく言えば僕たちの小遣い、悪くいえば生活費で、バカンスの間は全て自由行動というのが、バカンスの正体だった。

その日の夜、僕と高橋(充)は夕食をすませた後、ラウンジで行われていたショーを見物しに行った。いかにもアメリカ人のエンターティナーといった司会者がでてきて、客席の宿泊客らに話しかける。

「ニューヨークから来た人」
「カリフォルニアから来た人」
「カナダから来た人」
 ・・・・

宿泊客たちがどこから来たのかを想定しつつ、順にその場所をひとつずつ挙げていって、該当者が歓声をあげている。
しかしながら、「日本から来た人」との問いかけは、最後までなかった。それもそのはず、当時のカンクンは、古くからのリゾート地であるマイアミやアカプルコに飽きたアメリカ人たちが、より新しいリゾートを求めて立ち寄る場所で、日本人はまだ1ヵ月に数組程度がハネムーンで訪れるだけのようだった。今日のメキシコ観光の定番となった感のあるカンクンとは、全く状況が異なっていたのだ。

翌日、僕たちはなんとはなしに過ごした。カンクンがリゾート地とはいっても、主要なものは全てホテル内にあって、ホテルを一歩外に出れば、特にこれといったものは何もない。おまけに物価が高くてぜいたくもできない。僕は元々泳ぐのが苦手だったし、それほどアクティブではない高橋(充)も、休日を持て余していたようだ。(注:実はこの日の記憶は曖昧で、ひょっとしたらこの日自体がなく、この日の記憶は前日のものだったかもしれない。なぜって、リンカーン組がバッドランドの翌日から移動・クイズ・移動という動きをしていれば、カンクンのバカンスは元々が中3日、デンバーでロスした分を含めると2日しかなかったことになるのだから・・・)

そしてバカンスの最終日、僕たちにはとんでもない罰ゲーム?が待っていた。

朝、ドアをノックする音がするのでドアを開けてみると、リンカーン組と同行していたはずの出演者担当のディレクターが立っていた。
ディレクターが強い調子でまくしたてる。

「なんだあ、おまえら。4日間のバカンスを楽しんだとはとても思えないほど白いじゃないか」

僕たち2人はディレクターに連れられ、プールサイドにでた。途中ショップでディレクターが買った、日焼けオイルの一番きついのを渡されると、全身に塗るように言われる。

「今日は、このまましばらく日焼けをしろ。入室を禁じる」

というわけで、僕たちは数時間も炎天下で日焼けをさせられることになった。

そして、午後もたいぶ昼下がりになった頃に再びディレクターがカメラマンを伴って登場すると、今度はバカンス風景の収録が始まった。
思い切りネタバレだけど、まあいいだろう。つまり、オンエアでリンカーンのときにやっていたバカンス風景は、全くのやらせである。そのときだけは、僕たちは美女からココナツジュースをもらって飲み(僕はオンエアのこのシーンは音楽と動作がマッチしていてたいへん気に入っている)、バカンスを満喫しているように紹介されたが、そんなのはここだけのことだった。

その日の夜、僕と高橋(充)は日焼けで肌が真っ赤になり、激しい痛みにのた打ち回っていた。タオルを水で冷やして肌に当ててみるものの、熱が全くひかない。「これぞ因幡の白兎状態」と笑えないギャグを思いついていた。
ちなみに、ここで日焼けしたため、つづくチチェンイツァやカンクンでの戦いでは、僕はきれいに日焼けしている。しかしそれもそこまで。ワシントンのあたりからは、無理がたたって肌がぼろぼろになっていた。今ビデオをみても痛々しい。

そしてチチェンイツァの戦いを翌日に控えたこの夜、僕はリンカーン組(リンカーンで敗退した温井を除く)がすぐ隣のホテルに泊まっているのを、全く気がつかないでいた。

(チチェンイツァへつづく)

(前回のつづき)

バッドランドで、僕と高橋(充)の一足跳び組と、その他7人のリンカーン組に分かれた僕たちだったが、バカンスへの出発は翌日早朝、ということで、別々の車でラピッドシテイに戻った。
但し、リンカーン組は元のホテルに戻ったものの、僕たち2人が連れて行かれたのは、元のホテルからは歩いて5分ほどのところにあるモーテルだった。

このモーテル(といってもラブホテルではない)というのが、とにかく怪しかった。
「ターミネーター」とかのアメリカ映画やテレビドラマにでてくるような、平屋で各部屋が横並びになっていて、車が部屋のまん前に駐車できるようなところ、ドアを開けるとすぐにベッドルームといえば、想像がつくのではないだろうか。
たぶん、ラピッドシティにはホテルらしいホテルが元のホテルのひとつしかなかったので、スタッフとリンカーン組をそのホテルに留め置き、僕たちだけをこのモーテルに移動させざるをえなかったのだろう。ドアを開けて遠目に元のホテルを眺めつつ、「どちらが上位の勝ち抜けなのかわからないな」とこのとき思った。
夕食もたしか50ドルばかりを渡され、僕と高橋(充)だけの2人で、モーテルの隣にあったステーキハウス?で食べた。夕食後に部屋に戻ったとき、元のホテルの電話番号を知っていたので試しにかけてみたところ、リンカーン組はひとつの部屋に集合していて、宴会になっていたようだった。なんとなくさびしかった覚えがある。

・・・・・

そして翌日の朝早くモーテルをでた僕たちは、カンクンに先乗りする制作会社のプロデューサーと3人で、ラピッドシティ空港に向かった。
いよいよカンクンでのバカンスが始まるのだ。おまけにクイズも当分ない。つまり、敗退=即帰国の危機が少しの間だけだが、ない。開放感とも安堵感ともとれる、中途半端な気持ちだった。

だが、ラピッドシティ空港に着いてすぐ、僕はとんでもないミスをしていることに気がついて青ざめる。

「パスポートがないっ」

前夜泊まったモーテルがあまりに怪しいところだっため、万が一泥棒とかに襲撃された場合にパスポートを奪われないように、パスポートだけは枕元の家具の引き出しに入れておいたのだった。そして、そのまま忘れて空港に来てしまったというわけだ。

幸いにして飛行機の出発まではまだ時間があったため、プロデューサーが元のホテルにいるツアーコンダクターに電話をしてたたき起こし、このツアーコンダクターがモーテルに出向いてパスポートを回収した上、空港まで届けてくれた。
この一件で、制作会社のプロデューサーからは、バッドランドでバッファローに似ていた話とあわせて、「バッファロー・タコス・稲川」という、ありがたくないニックネームをつけられてしまった。


ラピッドシティは地方空港にすぎないため、いったんは国内線のハブ空港になっているデンバー空港に行き、ここでカンクン行きの飛行機に乗り換えることになる。僕たち3人は、4日前に一度降り立っているデンバー空港に、再び立ち寄った。何度みても、国内線用の空港とは思えないほど巨大だ。ターミナル間が非常に離れているため、空港内をコンピュータ制御の電車が走っているほどの巨大さなのだ。

でもまあ、あくまで立ち寄り地だから、ゆっくりはできないなと思っていると、ここでまたトラブル発生。なんと空港一帯に低くたれこめた霧のために、飛行機が発着できないという。

しばらく待ったものの、結局この日はデンバー空港からカンクンへ行くことはできなくなり、僕たち3人は仕方なく空港に隣接する近代的なホテルに泊まることになった。

・・・・・

こうして、カリブ最高のリゾートで過ごすはずの4日間のバカンスの初日を、僕と高橋(充)はカンクンにたどりつくこともなく終えた。

(後編に続く)

(前回のつづき)

荒涼とした風景の中、不意に道路近くにたくさんの解答席が見えてきたかと思うと、僕たちを乗せたバスは停車し、降車するように指示された。
いよいよバッドランドの戦いの始まりだ。

しかし、バスを降りてみてまずびっくり! 暖かだったデビルスタワーとはうってかわって、冷たい風がつきささる。
気温は8度。しかし、前日までが非常に暖かかったので、全く心の準備のできていなかった僕たちにとっては、まるで氷点下にでもなったかのように、気温が低く感じられた。直前に買ってもらったトレーナーを着込んでいたので、なんとか身体は我慢できるが、とにかく顔や口のあたりが寒い。頭の回転にも影響しそうだし、口がうまくまわるかも疑わしい。それでいてクイズ形式はみるからに早押しクイズなので、どんな展開になるか予想できない。

それと、自分の席に着席してすぐ、勝者席と思しきところにかかっていた札が気になった。

「ひと足お先にメキシコ行き」

あれっ? 事前に手渡されていた資料では、次の予定地はリンカーンのはず。なんでメキシコなんだ。(注:この時点ではまだ、「遠まわりのリンカーン行き」の札はかかっていなかった)

僕の疑問は留さんのルール説明で、ようやく解けた。

早押しクイズ。2ポイント獲得(1問正解1ポイント、間違いは-1ポイント)で国境越えクイズに挑戦、そこで不正解の場合は0ポイントに戻って再び早押し席へ。そして正解の場合は、次のリンカーンをスキップしていきなりメキシコへ行き、カリブ最高のリゾート地で4日間のバカンスを楽しめるというものだった。
但し、国境越えできるのは先着2名までで、残りの8人は早押しクイズ2ポイントで勝ち抜けて遠まわりのリンカーンへ行く。そして最後までの請った1名が敗者になる。

国境越えのルールと枠が2名と聞いた僕は、帽子をかぶりなおして気合を入れた。敗退=帰国して即辞表の僕にとって、敗退のリスクをわずかでも少なくしたいというのが正直な気持ち。もし気分的に余裕があれば、あるいはリンカーンを飛ばすのはもったいないと思ったかもしれないが、このときの僕には、リンカーンに行く気などはさらさらなかった。

・・・・・

そして、いよいよ実戦。
それでは、ここでの戦いぶりは、高橋(充)と僕、そして宇田川に焦点を絞ってみてみよう。

Q.おやじの川、オールマン・リバーという別名をもつアメリカの川は?(A.ミシシッピ川)

最初の1問を答えたのは宇田川だった。しかし、すぐに高橋(充)の怒涛の攻めが始まる。

Q.合衆国・ユナイテッドステイツといえば、アメリカと/もうひとつどこ?(A.メキシコ)
Q.乾燥した空気の成分は、大部分が窒素、次が酸素。ではその次に多い/成分といえば何?(A.アルゴン)

続く第2問を高橋(麻)が答えた後、高橋(充)が連続正解。この2問はどちらもクイズ知識としては常識に近く、僕もボタンを押したが、2問とも高橋(充)に押し負けた。この日の高橋(充)の冴えに、尋常ならざるものを感じた。

Q.松や杉の樹脂が化石となった、中国でいう七宝のひとつといえば何?(A.琥珀)

2ポイントを獲得した高橋(充)は、1人通過席に立った。そして上の問題。正直このときの僕には答が浮かばなかったのだが、高橋(充)はひと呼吸おくと、なんなく正解を答える。
まさに完璧な圧勝劇だった。同じクイズ経験者とはいえ、このときまで、僕は高橋(充)のことを全くマークしていなかった(失礼!)。それが、勝ちにいった勝負で、僕は高橋(充)に完敗。ショックというか、そんな気持ちにもならないほどの、あっという間の勝ち抜けだった。

Q.地球が自転しているのを、振り子の/実験で証明した、19世紀のフランスの物理学者は誰?(A.フーコー)
Q.「地球は青かった」の名言で知られるガガーリン少佐が乗った、ソ連/の有人宇宙船の名前は何?(A.ボストーク1号)

高橋(充)が勝ち抜けて残り9人となってから、僕はようやく早押しクイズで正解する。1問おいて上の2問を連続正解した僕は、問題を選んで通過席に立った。

Q.釣り用語で、魚が泳いでいる層のことを何という?(A.タナ)

ちょっと考えて答が浮かばなかった僕は、この問題に「生簀」と答えて挑戦者・スタッフ全員の大爆笑を受けた。間違えるにもほどがある。いくらマイナスがつかない場合はとりあえず何か答えるのが常とはいえ、なんでそう答えたのかわからないほどの大間違いだった。答を聞いてなんとなく聞いたことがあるような用語だったが、「魚が泳いでいる」から連想したのは「生簀」。う~ん、恥ずかしい。でも、わざとじゃないよ。

Q.ここバッドランドと同様、浸食作用によってできた、アリゾナ州/を代表する大峡谷といえば何?(A.グランド・キャニオン)
Q.有史以前の植物といわれ、樹齢3000年のものもある、アメリカ杉と/いったら何?(A.セコイア)

大間違いで0ポイントに戻った僕は、すぐに「グランド・キャニオン」を答えて挽回したが、ここで宇田川か゜「セコイア」を答えて2ポイント、通過席へと向かった。僕は大いに焦った。

Q.C.W.ニコルの小説、漢字で「勇ましい魚」と書く「勇魚(いさな)」は、どんな動物について書いたもの?(A.鯨)

僕はこの答にピンときたが、宇田川は知らない問題だったようだ。「熊」と答えて0ポイントに戻った。

Q.大自然に生きる動物たちの生活をテーマにした漫画「ジャングル大帝」の原作者/は誰?(A手塚治虫.)

その後2問ほど別の挑戦者が答えた後、この問題に僕が答えて2ポイント。2度目の解答席に向かった。

Q.アメリカでの題名が「ローンウルフ・アンド・キャブ」。翻訳本が22万部も売れた、小池一夫原作の劇画といえば何?(A.子連れ狼)

「子連れ狼」は原作本も読んでいたし、萬屋錦之介のテレビドラマも大好きでよく見ていたから、すぐにわかった。今度は確信をもって正解し、やっとのことで二つ目の国境越えの席を確保することができた。

その後、残り8人の挑戦者は、2ポイント勝ち抜けの早押しクイズに突入し、次々に勝ちぬけが決まっていった。通過クイズで一度不正解になり、0ポイントに戻った宇田川が勝ち抜けたのは7番目。そして、天国と地獄とはこのことをいうのだろう。前のデビルスターではトップで勝ち抜けた天沼が、ここでの敗者に決定した。

・・・・・

高橋(充)には完敗したものの、なんとか国境越えに成功し、一息つけたことで、この日の僕は満足だった。しかしここでの戦いが後に、僕に大きな衝撃を与えることになるのだ。

(つづく)

(その3からのつづき。敬称略)

Q.その昔、栄養不足を補うために飲んだのは肝油。では、唐ごまの油からとった、下剤にもなるのは何油?(A.ひまし油)

バラまきクイズの冒頭、思惑通り最初に解答席に戻ってきた僕に出題された問題は、典型的なクイズ問題だった。すぐにタイムショックの問題集でみたことがあるのに気づきはしたが、答がでてこない。お茶濁しに?「ラー油!」と答えた僕は、当然のことながら不正解になり、次のバラまき封筒をとりに走ることになった。
ちなみに、誤答やスルーをしてもマイナス点がつかないクイズの場合、僕たちクイズを趣味とする者は、条件反射的にとりあえず何か答を言うことが多い。だって、何も言わなければ100%不正解だけど、何か言えばまぐれでも正解になることがあるからだ。まあ、そのために、ときとしてとんでもない珍答を言ってしまうことにもなるんだけどね。

そして、挑戦者の解答(もしくはハズレ※全体の20%)が一巡して2回目の僕の番。出題は、またしても典型的なクイズ問題だった。

Q.今年公開された映画「二十四の瞳」で田中裕子が扮した大石先生役。昭和29年最初の映画化のときは誰?(A.高峰秀子)

この問題はクイズグランプリ(って若い人は知らないだろうなあ)の問題集に載っていた問題だった。しかし、今度も瞬間的に答が浮かばない。「吉永小百合」と確信を持って?間違えた僕は、再びレイを掛けてもらうこともなく、そして相当に焦りつつ走り出した。

Q.歌「椰子の実」のモデルとなった愛知県の岬の名前は?(A.伊良湖岬)

僕がようやく最初の正解をだしたのは、この問題に答えてのことだ。この問題もクイズらしい問題なのだが、愛知県で岬といったら真っ先に伊良湖岬が浮かぶ。僕の地元は隣の岐阜県で、伊良湖岬に行ったこともあるし、なんとなくこの歌のことを覚えてもいたので、確信を持って正解することができた。
このときの僕は、出題を聞く間も腕組みをしてうつむき、じっと耳を傾けるなど、相当に追い詰められた感じである。それもそのはず、白状してしまうと、実はオンエアされたこの問題の前にもう1問、どんな問題だったかは忘れてしまったが、オンエアではカットされてしまった幻の1問があり、僕はその問題にも不正解だったのだ。

Q.今年30年目を迎えた日本の南極観測。現在の観測船は「しらせ」。では、最初の観測船は何?(A.宗谷)

僕の最後の出題は、得意分野からの出題だった。小学生の頃から「なぜなに学習事典」などで南極探検や南極観測のことに興味をもっていたので、この知識はクイズの知識以前からの僕の中に根付いた知識だった。

結局、僕はここでは4番目の勝ち抜けだった。
しかしながら、3連続不正解の後の2問正解という内容は、ロサンゼルスの無様な戦いを想起させるに余りあるもので、到底納得できるものではなかった。たまたまハズレを1回も引かなかったから4番目に勝ち抜けたが、例えば宇田川のように3連続ハズレとかだったならば、最下位争い、いやいやひょっとしたらまさかの敗退となってしまったかもしれない。
大学を卒業してからの半年間のブランクと、全くの準備不足の影響が色濃くでていることを痛感せざるを得なかった。

バラまきクイズ全体の戦いは、勝ち抜けトップが天沼、2番目が中村と、意外な(失礼!)メンバーが上位を占めた。そして最下位争いは、女性軍と渡辺が最後の席を争い、渡辺の敗退で終了した。

ウルトラクイズでは、勝者と敗者が決定すると、すぐに勝者はバスに乗って移動し、敗者のみが残って罰ゲームを行うことになっているので、勝者が罰ゲームをリアルタイムでみることはない。ラピッドシティのホテルへの帰途、ログハウス風のスーベニアショップ(記念品売り場)に立ち寄った僕たちは、思い思いの記念品を買った。
僕はこのとき、壁にかけてあったふくろうの巨大な剥製(直径40~50センチもあり、木のブロックにホワイトオウルの顔をはりつけたもの。但し後で考えるとまがいものくさい)をたいへん気に入り、迷った挙句に85ドルも出して購入した。たいへん重いものでかさばるため、以後僕のスーツケースの大部分は、この剥製が占めることになった。

・・・・・

デビルタワーでバラまきクイズがあった翌日は、移動もなく僕たちはまったくのオフだった。ここで僕たちは、ツアーコンダクターに連れられて、ラシュモア山まで観光に行った。4人の大統領の巨大な顔が彫られたこの岩山は、今回のクイズコースには入っていなかったが、僕にとってはぜひとも行きたい場所のひとつだったので、本当に感動した。

そしてその翌日、ラピッドシティのホテルで3回目の朝を迎えた僕たちは、バスでバッドランドへ向かった。途中なぜかスーベニアショップに立ち寄ったところで、どれでも好きなトレーナーを買うように言われる。
その理由は、すぐにわかった。そしてバッドランドでは、予想していなかったルールが待ち受けていたのである。

(つづく)

(前回のつづき)

ロサンゼルスで勝ち残りが一気に半分の12人になってしまった翌日、本来ならばパームスプリングスに移動するこの日、僕たちは本場のディズニーランドへ連れて行ってもらい、思い切り遊ばせてもらった。
ディズニーランドを後にしたのは、もう夕方も近い頃だったと思う。僕たちを乗せたバスは一路東へと向かい、すっかり日が落ちた頃に、その日泊まるホテルに着いた。

夜だったのでどんなところに建っているのかはよくわからなかったのだが、このホテルのスケールは異様に大きかった。上にではない。平面的に大きいのだ。フロントでチェックインして自分の部屋の鍵を手渡された僕は、その部屋へと向かったのだが、その部屋というのが完全に別棟になっていて、フロントのある建物をでて外を歩くこと5分余り(10分くらいだったかも?)。到着したその部屋も、ものすごい広い部屋が2部屋つづきになっていて、しかもバスルームもとにかく広かった。日本だったら高級ホテルのスイートルームといった感じで、1泊何十万円もするんじゃなかろうか。
この広い部屋に1人(注:ふつうは2人1室なのだが、この日は端数がでたのか1人だった)なので、とにかく落ち着かなかった上、夜遅くに到着したのに翌日の集合時間も早かったので、せっかくの部屋もゆっくりと満喫することはできなかった。

翌日。朝に集合場所であるフロントに向かうときになって、初めてこのホテルがゴルフ場の隣に建っているホテルだとわかった。帰国してから知ったことだが、たしか「ミッションヒルズ」とか言って、アメリカの女子プロゴルフの4大タイトルの一つ、ナビスコ・ダイナショアの行われているゴルフ場とそのホテルだった。

バスに乗った僕たちは、アイマスクをはめさせられた。そして、どれくらい経ったろう。ようやくアイマスクをはずした僕たちのまわり、窓の外に広がっていた風景は、何百基もあるかと思われる風力発電機の群れ「ウインドファーム」の風景だ。
バスを降りてからがまたたいへんだった。とにかく常時風速20mくらいの風が吹いているところだ。砂も思い切り舞い上がっている。そんな中を、重い荷物を持って、自分の解答席まで歩いていくのだ。

そしてルール発表。
僕たちが留さんに促がされて振り向くと、ウルトラクイズのスタッフの中でも若手(つまり下っ端)のスタッフ、体格もあまりよくない岸さんが、パラシュートをつけてふらふらよたよたと蛇行を繰り返しながら、僕たちのいた解答席までやってきた。

「強風駆け込み大声クイズ」

体力と持続力のない僕にとっては鬼門の、体力がものを言うクイズだった。実際にパラシュートをつけてみると、風の抵抗が半端ではない。

「俺の体力では、全力疾走で3回くらいが限界だな」

まるで、アストロ球団・宇野球一のスカイラブ投法(注:1試合に2球が限度)のようなことを感じた僕は、ここでの敗者が12人中1人しかいないこともあって、あまり他の挑戦者と解答を争わないようにしようと考えた。つまり、極端な話、自分だけがわかる問題だけ走ろうとした。
だから、実戦で「東京だよおっかさん」の問題がでたときは、ほとんど全員が走っているが、僕だけはぴくりとも動いていない。
もっともオンエアでチェックしてみると、結局は自信がなかったのか、相当むだな動きをしている。「ふいご」の問題を宇田川と争ったときなどは、定番のクイズ問題なのでとりあえず走ってみたが、答を思い出せずに途中で走り負けたふりをしてもいる。やっぱりここでもさえない戦いに変わりはない。

ここで僕が勝ち抜けたのは、結局5番目だった。もちろん勝ち抜けたのはほっとしたが、その勝ち方には可もなし不可もなし。次のデビルスタワーにはどうしても行きたかったので、デビルスタワーへの期待だけが膨らんでいた。

・・・・・

パームスプリングスからデビルスタワーへは、いったんロサンゼルスに戻り、ここから空路デンバー空港へ(デンバー空港は国内線の乗り継ぎによく使われる空港らしい)、そこで乗り換え、ラピッドシティ空港に降り立った。ラピッドシティはこのあたりの中心都市ではあるが、アメリカの典型的な田舎町といった感じのところだった。市内にはこれといった高級ホテルがないらしく、市内では1番の、しかしながら日本で言えば地方都市の駅前にあるシティホテルといった感じのところに泊まった。

翌日。バスで2時間ほども乗っていただろうか。州境を越えてワイオミング州に入った僕たちは、映画「未知との遭遇」の舞台として有名な(というかそれぐらいしか知らないが)、デビルスタワーに降り立った。
正直、「未知との遭遇」でのイメージから、相当おどろおどろしいところをイメージしていたんだが、実際のそこは、まるで奈良の若草山のようにのんびりと明るい場所だった。
到着する直前の2~3分間、バスに乗っていて急に「その場でかがめ。窓の外を見るな」と言われたので何事かと思っていたが、その理由はすぐにわかった。バスの横をこの日のゲストであるインディアンたちが通っていたのだ。

そしてルール発表=クイズ開始。
ここでのクイズは、ウルトラクイズの代名詞のひとつ「バラまきクイズ」だった。

バラまきクイズでは、最初の問題以後は常にクイズを読む時間のラグがある(ハズレの場合はタイムラグが少ないが)ので、並び順がほとんど変わらない。だから最初にどこにつけるかがたいへん重要だ。
そのため、体力的には全く劣っている僕だったが、最初だけは全力疾走で問題を取りに行き、そして一番手前にあった封筒を手にすると、一直線にまた全力疾走で戻ってきた。

「狙い通り一番に解答席に戻り、クイズに答えることができる。まずは順調な滑り出しだ」

そう思ったのもつかの間、ここでも大失態を演じることになるのである。


(今回はまったりとした展開だったなあと思いつつ・・・つづく)
 

(前回のつづき)

第11回ウルトラクイズは、アメリカ本土に渡った人数が異常に多い回だった。
ハワイを終えた時点での挑戦者は残り24人。例年の約2倍も残っている。いつもの年なら、アメリカ本土に渡ってからは各チェックポイントで1人ないしは2人しか落ちなくなるので、そこそこ勝ち残る自信はあった。だが、この人数では今後どうなるのか予想もつかない。

僕はウルトラクイズの再招集の前、会社の上司と「(有給休暇の範囲内で収まる)ハワイまでにしておこうな」という約束をしていたから、ハワイを勝ち残ったら、ただちに上司に電話してこのまま行くことを宣言するつもりでいた。そしてそれはそのまま「自分が敗退すること=帰国してただちに辞表を提出すること」を意味していた。
だが、僕はここでは会社に電話しなかった。まだ即敗退の危機が去っていないことと、幸いにして有給休暇6日間をフルに使えば次のロサンゼルスまで持ちそうなことの2つがその理由だ。

そしていよいよアメリカ本土上陸。
僕らが連れて行かれたのは、どこだかわからない荒涼とした広場だった。本物そっくりにつくられた(とはいっても戦車ファンの僕からはひと目で偽物とわかる)戦車が何台も登場し、激しいアクションが披露された後、クイズのルールが発表される。
1対1のロシアンルーレットクイズ。2つの解答席のまわりには、5台(だっけ?)の戦車が配置され、それぞれに番号がつけられている。まずは増田アナが挑戦者にはみえない位置にある2つの回転盤をまわし、当たり番号(戦車)を2つ選ぶ。そして早押しクイズを出題し、正解した挑戦者は番号を一つ選んで目の前の蛸壺へ。もしその番号(戦車)が当たりならば、戦車が発砲してただちに勝ち抜けが決定。もしはずれならば解答席に戻り、改めて早押しクイズを出題する、というものだった。ちなみに、お手つき・誤答をした場合は1回休み(つまりその次の出題は相手だけに解答権がある)、そして気になる対戦相手は、挑戦者24人の番号(注:後楽園を勝ち残った100人には1~100の固有の番号が与えられ、この番号はずっと変わらない)の、小さいほうと大きいほうから順に1人ずつでていく形と決められた。
そして、ここで留さんから強烈な一言。「ここでは敗者復活はありえない」との言葉に、僕の(たぶん僕以外も)緊張感は頂点に達した。

オンエアをみた人や、ビデオを持っている人の中には、僕がロサンゼルスでは全くでてこない(つまり対戦部分がカットされている)ことを、不思議に思っている人がいるかもしれない。もちろん、ここでは12組もの対戦があるため、ここで敗退してしまう人を優先したと思えなくもない。だが、僕にはわかっている。ここで僕が登場していない理由、それは、あまりに無様な戦いぶりだったからに違いない。

僕はここでは掛村と対戦した。だが、最初の問題をいきなり早とちりで誤答し、掛村をフリーにしてしまう。幸い次の問題を彼がスルーしたため、戦車発砲の危機を迎えることもなく第3問へ。ところが、なんと同じことを計3回も繰り返してしまった。僕が誤答、掛村スルー、僕誤答、掛村スルー、僕誤答、掛村スルーと、正解が全くでないままに6問が経過したのだ。掛村がたまたま3問連続でスルーしたから敗退せずに済んだが、ふつうならば確実にここで僕は敗退していただろう。現にここでは多くの番狂わせが起きている。実力的には24人中の上位にいると思われた何人かが、敗者復活で救済されることもなく散っていった。
そして第7問、思い切り解答ポイントを遅らせた僕はようやく正解し、「1番」をコールして蛸壺に潜る。結果は大当たり。これ以下はないくらいの無様な戦いぶりで勝ち抜けを決定した。

勝ち抜け12人が決定したとき、他の勝ち残りの挑戦者たちは、半数もの仲間が去っていくことにショックを受けてか、バンザイに力がなかった。
だが、僕だけは別の意味で大ショックだった。みんなを引っ張るどころではない。こんな調子でやっていけるのか。「あまり強くない」どころではない。「全然弱い」としかみえない状態だった。

その日の夜、残りの挑戦者が12人になり、有給休暇も残り1日となった夜、僕は意を決して会社の上司に電話をした。もう逃げることはできない。

「このまま行きます。申しわけありません」

「わかった。今後は定期的に電話連絡を入れるように。」

上司(課長)の声は驚くほど穏やかだった。だが、それゆえ逆に僕ははっきりと自覚した。

「これで帰ったらすぐに辞表をださなくてはならない」

全く調子の上がらない戦いぶり。そして辞表覚悟のプレッシャー。不安ばかりが先に立つ夜だった。


(つづく)