さて、第11回ウルトラクイズの復刻第4弾は大長編となった「日の出タイムショックで大暴走」。
元々はカンクンの日の出タイムショックについて書こうと思ったんだけど、発端となるハワイから書いていったら、ハワイからカンクンまでの話になってしまった。おまけにこのブログにはいろいろと問題発言も多いので気が引けるところなんだけど、、、まあいいか。

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ついにこの話を書くのか。ひょっとしたらウルトラファンの夢を壊すことになってしまうかもしれないな。でも、第11回の僕の戦いの中では、これも重要なファクターのひとつだし……
ということで、今回はおっかなびっくりで書きます。

・・・・・(例によって本文敬称略)

ウルトラクイズのスタッフは、ときとしてとても罪つくりなことをする。番組をより盛り上げ、よりおもしろくするためにだ。
もちろん、クイズドキュメンタリーを標榜するウルトラクイズのこと、そして正統派クイズ番組たるウルトラクイズのこと、さすがに、クイズの出題や答を事前に教えたりといった、いわゆるやらせをすることは一切ない。しかし、それ以外の許容範囲ぎりぎりのところでは、いろいろと仕掛けをしてくる。方々で噂されていた、女性挑戦者が勝ち残っているときに早押しクイズが中盤に差し掛かってくると、とたんに生活や料理の問題が多くなるといった出題操作なんかは、実際に行われたことが何度もあるのだろう。

ウルトラクイズの旅行中、スタッフはたいへん多忙である。あるチェックポイントでクイズが終了して勝者敗者が決定すると、引き続き罰ゲームを収録し、機材を撤収してホテルに帰る。それからはホテルの一室に集合して収録したばかりのビデオを流し、どの問題のどのポイントで誰が答えたか、正解したか不正解だったかが細かくチェックされる。中には、実際に解答した挑戦者だけでなく、解答権を得られないまでも、ボタンを押している挑戦者も、その問題の答を知っていた可能性が高いと判断されてチェックされる。成田からグアムに向かう飛行機の中で行われる400問ペーパークイズも、実は挑戦者一人ひとりの実力や得意分野・不得意分野を分析するための重要な基本資料になるという。
こうして、挑戦者一人ひとりの個性や実力は、しだいにまる裸にされていくわけだ。

僕は出題の操作なんかは、出題者側に選択権があり、ある程度は許容範囲内だと思っている。アンフェアな部分はあるかもしれないが、クイズ王をめざす以上は、それくらいの壁は乗り越えていかなくてはならないんだろうとも思う。ウルトラクイズがクイズドキュメンタリーを標榜しているとはいえ、当然のことながら企画段階でコンセプトやイメージ、めざすべき方向性は設定されているわけだし、それに近づけたいと思うスタッフの気持ちは理解できる。僕も今はイベント屋の端くれなので、もしウルトラクイズを企画する側に立てば、同じような仕掛けを行うかもしれない。

でも、第11回ウルトラクイズでのスタッフの仕掛けは、僕にとっては相当つらいものだった。そしてその結果が、カンクンでの日の出タイムショックの大暴走につながるのである。

・・・・・

暑さと疲労でたいへん過酷だったハワイの綱引きクイズが終わった夜、勝ち残った24人の僕たち挑戦者は、珍しく夕食を留さんはじめスタッフとご一緒した。名目は懇親会だったと思う。

そして、宴たけなわとなった頃、僕と高橋(充成)の2人は留さんに呼ばれ、他の挑戦者とは離れた席で、3人だけで話をした。
留さんは気さくに、しかしながら語気を強めて僕たち2人に言った。

「今回の挑戦者にはクイズの経験者が少ない。稲川と高橋(充)がみんなを引っ張っていけ!」

第11回ウルトラクイズの元々のコンセプトが「過去10回のウルトラクイズを超える」ものだったということはすでに述べた。そのために歴代クイズ王を使ったクイズが予定されていた。しかし、勝ち残った挑戦者たちを見渡したとき、スタッフの間には相当な不安があったのだろう。全体的なクイズの実力そのものについても不安があったと思うが、たぶんそれ以上に不安だったのは「闘争心の欠如」だったのではないだろうか。
クイズ未経験者が大多数を占める中、しだいに挑戦者が脱落して別れが続くウルトラクイズの形式が、すでに仲間意識が芽生えていた挑戦者たちには大きな重荷になって、ともすれば肝心のクイズでも真剣さや闘争心をなくしてしまう危険があった。その結果、フィルムがまわっている最も重要な時間を、たいへんつまらないものにしてしまう可能性があった。それを察知したスタッフが、大陸に渡って本格的なサバイバルクイズが始まる前のこの夜、なんとか打開しようとしたのではないだろうか。

留さんのこの激励に、僕と高橋(充)は気持ちが引き締まる思いだった。そして自分たちの重要な人生の1ページとなるであろう第11回ウルトラクイズを、よりよいものとして記録し残すためにも、思い切り頑張っていこうと考えた。

しかし、スタッフの仕掛けはこれだけではなかった。
僕と高橋(充)に言った言葉とは裏腹に、僕と高橋以外のみんなのところ、とりわけ機内トップの高橋(麻)と実力者の宇田川を中心とするグループの席に行った留さんは、全く反対の言葉で、みんなを叱咤激励したのだった。

「稲川はあまり強くない。だからおまえらも頑張れ。」

第11回ウルトラクイズにおいて、「クイズ経験者対未経験者」「稲川・高橋(充)対宇田川・高橋(麻)」の構図が、深く静かにできあがった瞬間だった。そして、そのことを僕が知ったのは、それからずっと後のことだった。

(スターウォーズ中盤のような暗さを漂わせながら・・・つづく。)

※(注)誤解のないように言っておきますが、僕らはクイズのライバル関係になったというだけで、ふだんはふつうに楽しく交流していました。ご心配なく。

 

(つづき・・・といっても今回はどちらかというと前々回のつづきかな?)

・・・・・

第11回ウルトラクイズの準決勝は、第1回ウルトラクイズのクイズ王・松尾清三さんとの1対1の早押しクイズとなった。
留さんの「まずは5本勝負、松尾さんとやってみたいと思う人、手を挙げて」の呼びかけに、僕は迷うことなく手を挙げる。この場面、どうしても自分が最初に手を挙げなくてはならないような気がしたからだ。

僕は、当時すでに関西クイズ愛好会の会員であり、同じく関クイの会員だった松尾さんとは、当然のことながら知り合いだった。8月末の関クイの例会でもご一緒していた。クイズの大先輩とはいえ、松尾さんの気さくなお人柄もあり、気心の知れたクイズ仲間だった(と思う)。
もちろん、ウルトラクイズをめざしていた僕たちにとって、栄えある第1回ウルトラクイズのクイズ王である松尾さんは、とりわけ特別な存在だ。まだRUQSを始めたばかりでなんらクイズ番組等でも実績を挙げていなかった頃、そして関クイにも参加していなかった頃、KBS京都のスタジオで行われた「100万円クイズハンター」の予選で、自分のすぐ前の席に座っていた松尾さんがふりむいてその存在に気がついた時、口から心臓が飛び出しそうになるくらい驚いたことがある。
そんな松尾さんと、ウルトラクイズの本番の、しかもあと少しでニューヨークという場面で、相対する。不思議で複雑な気分だった。

元の早押し席を立ってクイズの入った封筒を選び(他の3つの封筒も落としてしまったのはわざとじゃない)、その封筒を留さんに手渡した僕は、早押し席でウルトラハットをつけると、クイズの始まる前の刹那、松尾さんの顔をみて一言、マイクに入らないような小声で話しかけた。

「松尾さん、真剣でお願いします」と。

ここでの勝負は、そもそも松尾さんにとっては全く不利益な勝負だった。松尾さんは心優しきプレイヤーで、しかも大人である。ここで僕たちを阻止したとしても、賞金がもらえるわけでもない。せっかく苦労してここまでやってきた僕たちの夢をつぶすだけのことなのだ。もちろん歴代クイズ王としてのプライドはあるだろうが、若くて血気盛んな森田さんや石橋さんならばともかく、松尾さんのお人柄からは、自分のプライドよりも僕たちへの思いやりのほうが先に立って、結果的に本気になりきれないかもしれない。
クイズの内容も、松尾さんに有利な問題が多かったわけでは決してない。だいたいが、スタッフ側の事情から言っても、松尾さんに有利な問題をふやしてもメリットはない。むしろ、全く不利な問題も多く含まれていた。

そして実戦。
現場での瞬間瞬間のことは、実はあまり覚えていない。よほど緊張していたか、集中していたのか。テレビをみて、初めてそのときそのときが思い出される。
松尾さんは、自分が答えるべき問題を的確に答えている。解答のポイントも、僕のときが一番早かったかもしれない。1-2で後がない僕が「ポール・ニューマン」と答えたときは、本当に無理やりしぼりだしたといった感じだった。

そしてラスト問題。
Q.「将棋で、勝負を翌日に持ち越す/場合~ (その日の最後の一手を指さずに紙に書いて次の日まで立会人が保管することをなんという?)(A.封じ手)」

このときの僕の押しは相当早かった。「会心の押し!」と現場では思った。
でも、テレビでみてみると、僕がボタンを押すよりも一瞬早く、松尾さんの指が動いているようにもみえる。ただ単に指が少し動いただけなのか。それとも押すのを躊躇したのか。
たぶん手を抜いたわけではないだろう。でも、本能的に躊躇した可能性はある。
だが、僕はそれを松尾さんに確認することはしなかった。松尾さんにも失礼だと思ったし、1ヵ月間を人生を賭けて戦った自分に対しても、許されることではないような気がした。

ニュージャージーをヘリコプターに乗って飛び立った僕は、いったんはイーストリバー沿いにあるヘリポート(注:観光用ヘリコプターの乗り場があるヘリポート)に降り立ち、ここで長時間待たされた。
戦いをふりかえってみて、松尾さんには背中を押してもらったような気がした。とはいっても、仲間だから手を抜くとか、そんな低俗なことではない。松尾さんは自分らしさをだしながら戦い、結果的に僕の背中を押してくれた。そんな気がして、妙にすがすがしかった。

その後、高橋が到着していよいよ決勝かと思ったら、さらに待たされた挙句、なんと山賀までが到着して、前代未聞の3人による決勝になったことを悟る。
そのときに僕の脳裏をよぎったのは、ニュージャージーで唯一の敗者になった宇田川のことだった。

「早押しクイズで雌雄を決しよう」。その機会は永遠に失われてしまったのだ。

その後、僕たちを乗せた3機のヘリコプターは、3機ゆえに撮影が難しかったのか、世界貿易センタービル(今はない)とエンパイアステートビルの間を、時計回りに何回も何回も飛び続けた。たぶん1時間30分くらいは飛んでいただろう。
そして燃料も尽きかけた頃にようやく着陸。しかしそこはリバティ島ではない。実は、リバティ島にはヘリポートがないため、対岸にある川沿いのヘリポートに着陸し、そこからは小舟でリバティ島に向かったと言うのが本当だ。そう、その小舟こそが、ハドソン川に飛び込んだ僕が引き上げられた小舟だった。

その後、決勝が行われ、決着がついた僕たちをのせた船がリバティ島の桟橋を離岸したのは、もう午後3時半を回った頃のことと記憶している。制限時間ぎりぎりだったと、スタッフは胸をなでおろしていたに違いない。

(終わり)

(前回のつづき)・・・・・敬称略

それでは、前回提示した3つの謎について、その真実をお教えしよう(ちょっと幻滅する部分があってもご容赦あれ)。

まず、松尾さんとの1対1のクイズで、勝ったのが1人、もしくは全員が敗退してしまった場合はどうする予定だったのか?

実は、その場合は、松尾さんとの対戦で得たポイントを持ち点として、残りの挑戦者(3人ないしは4人)で早押しクイズ(正解1ポイント、不正解-1ポイント)を行い、3ポイント先取した挑戦者が勝ちぬけて決勝に進出、決勝進出が2人となった時点で終了することになっていた。つまり、例えばすでに1人が松尾さんに勝って決勝進出決定、残りの3人がそれぞれ3対2で敗退していた場合、2点ずつを持ち点として、3人で早押しクイズを行い、3人のうちの誰かが3ポイントになった時点で決勝進出者が決定して準決勝は終了となる。たぶん、早ければ1問、どんなに遅くとも10問とかからずに、2人の決勝進出者が決定して準決勝は終了していただろう。
僕はこのルールを聞いたとき、あまりの安易さに驚きを通り越してあきれてしまった。結局は史上初めてそして唯一3人が決勝に進出したために、番組としてはそれなりにおもしろくみえたが、それはむしろスタッフにとっては想定外のこと。実際に松尾さんに勝ったのが1人だけ、もしくは全員が敗退してこのルールが適用されていたならば、まるで尻切れ蜻蛉のような結末となり、後味の悪さを残したに違いない。
どうしてそんな中途半端なルールを採用したのかは、ここでは言わない。つづきを読めばわかる。

次に、ここで本来予定されていて、直前に変更されてしまったルールとはどんなものだったのか。

それは、松尾さんによる通せんぼクイズだった。
つまり、4人で早押しクイズ(正解1ポイント、不正解-1ポイント)を行い、3ポイント(2ポイントにしていたかもしれない)を獲得した挑戦者が松尾さんと1対1で対決、ここで解答権を得て正解すれば決勝進出、不正解、スルー、もしくは松尾さんに答えられてしまった場合は0ポイントに戻って再び4人で早押しクイズというものだった。誰が考えてもこのクイズが自然だし、ここでのセットにも合点がゆく。前回ブログのコメントで、正解者多数だったのもある意味当然だと思う。

そして、このクイズが直前で変更されてしまった理由とは?

第11回ウルトラクイズでは、準決勝と決勝が同じ日に行われていた。そして、リバティ島で行われた決勝には、重大な制約があった。
Youtubeなどで確認してもらうとよくわかるが、決勝が行われたリバティ島の桟橋には、大小2つの船が係留されていた。そのうち小さい船はハドソン川に飛び込んだ僕が引き上げられた船、この船も実は重要な役割のある船なのだが、ここでは言わない。もう一つの、バンドが乗っていた大きな船、これが問題だ。この船は決勝が終了した後、僕たちを乗せてニューヨークへ連れて行ってくれた船なのだが、この船が干潮時になると離岸できなくなるため、この日の決勝は、どうしても午後4時までに終了しなければならなかったのである。

「時間的制約」。そう、全ての理由は、準決勝と決勝が同じ日に行われるための、時間的制約によるものだった。


だがしかし、そんなことはだいぶ前からわかっていたはず。それが直前まで決まらなかったのは?

第11回ウルトラクイズには、企画段階で「過去の10回のウルトラクイズを超える」という基本コンセプトがあった。後楽園でのオープニングで歴代クイズ王が登場してエキシビションマッチを行ったのもその伏線だし、それゆえ準決勝には挑戦者4人による通せんぼクイズではなく、松尾さんによる通せんぼクイズを行うことになっていた。一説には、後楽園でのエキシビションマッチで高得点をだした2人のクイズ王=森田さんと石橋さんが通せんぼをするばずだったとも言う。
しかしながら、こうしたコンセプトとは裏腹に、後楽園での○×クイズの気まぐれゆえか、この年後楽園を突破した100人、ひいてはグアムに到達した40人+αには、クイズ経験者が少なかった。そしてクイズが進行していくに従い、スタッフの間に「準決勝でなかなか決勝進出の2人が決まらなかったらどうしよう」との不安が広がる。「数回の通せんぼで決まるならばまだよし、ひょっとして10回、20回、いやいや永遠に勝ち抜け2人が決まらなかったらどうしよう」ということで、結局はリスクを回避し、ルールの変更を決断した、ということではないだろうか。

これは杞憂かもしれないし、現実にありうる問題だったかもしれない。通せんぼする側と突破しようとする側の実力差がある場合だけにこうした問題が起きるのではなく、例えば第13回のボルチモアのように、全員が一定以上の実力を備えている場合にでも、十分に起こりえるものなのだから。確かに、結果論として時間的な問題は起きなかったわけだし、3人が決勝進出となったことで、それなりの話題性ももちえた。逆に、第13回ボルチモアのような長丁場となれば、クイズの進行にも重要な影響を及ぼしたかもしれない。

(つづく)

ウルトラクイズには、長い歴史の中で培われてきた伝統がある。いろいろな場所で、いろいろなクイズが試されては消えていく中、いくつかのクイズ形式は人気がでて定番クイズになっていく。後楽園(東京ドーム)の○×クイズ、成田のジャンケン、機内ペーパークイズ、グアムのドロンコクイズ………決勝の10ポイント先取の早押しクイズもまた、ファンにとってははずせないクイズ形式といえるだろう。

こうした定番クイズの一つとして、準決勝といえばやはり!第13回ボルチモアに代表される「通過クイズ(通せんぼクイズ)」じゃなきゃいけないと考える人が多いことだろう。何を隠そう、かくいう僕もその一人である。
では、第11回ウルトラクイズではなぜ、これほどまでに支持の高い通せんぼクイズを行わなかったのだろうか?

・・・・・(ここからは例によって敬称略)

準決勝前夜、ニュージャージーの(場所はよくわからなかった)ホテルで国内の知人親戚に電話をかけるシーンの収録を終えた僕たち4人は、それぞれの部屋に帰って行った。
この日僕は宇田川と同室だった(注:ウルトラクイズの旅は基本的に二人部屋)。そして僕と宇田川は、どちらが言い出すともなく、「明日は正々堂々と戦い、雌雄を決しよう」と誓い合う。実は、第11回における僕の真のライバルはといえば、高橋ではなく宇田川だったのだ。もちろん、高橋は実力者だったし、何度も勝ち抜けで先を越されていた。でも、いろいろな意味での真のライバルは宇田川だった。たぶん彼もそう意識していただろう。(その理由は後日述べる)

そして夜が明けてロビーに集合した僕たちは、いきなりアイマスクをさせられてそのままバスに乗り込み、どこかへと向かっていった。バスに乗っていて外をみるなとか、部分的に目隠しされることはあったが、ホテルからずっと目隠しは初めてだった。
そして手をひかれてクイズの解答席らしきところに座らされた僕たちは、ようやくアイマスクをはずすことができた。この瞬間が、ニュージャージーの最初のひとコマで、僕たちがまぶしがっているのは、その直前まで目隠しをさせられていたからだ。

ここで、栄えある初代クイズ王・松尾清三さんの登場。

そして、いよいよルールの発表。

僕はその意外なルールに驚いた。てっきり通せんぼクイズが行われるものと思っていたからだ。

ここで実際に行われたクイズは、松尾さんと1対1で対戦し、3ポイント先取すれば勝ってそのまま決勝進出、負ければ敗退というものだった(と、テレビをみる限りでは理解できる)。そしてそのルールゆえに、本来は「ニューヨークまでたどりつけるのは、たったの二人」のはずなのに、史上初めて(そして唯一)決勝に3人が進出することになるのである。

しかし、テレビでは全く説明されていないものの、これでは一つの疑問が残る。

松尾さんと1対1で対戦した結果、全員が敗退、あるいは松尾さんに勝ったのが1人だけだった場合は、どうなっていたのだろうか?

また、実はここで行われるべきクイズは、直前まで別のルールが予定されていたという。

そのクイズのルールとは?

どうしてそのルールが直前で変更されてしまったのか?

これらすべての解答の先に、第11回ウルトラクイズで通せんぼクイズが行われなかった理由が存在している。

(つづく)

(前回のつづき)※本文中敬称略

まさに因果応報ともいうべき大トラブルによって、カルタバラマキ地点に立ち往生してしまった僕。
しかし、このこと自体が敗退の危機ではない。本当の危機はこの直後に訪れる。・・・

結局「ジェットエンジン搭載」の僕の乗ったエアーボートは復旧しなかった。しばらくクイズが中断した後、スタッフによって別のエアーボートが横付けされ、僕と操縦者のおじさんは、そちらに乗り移ってクイズを続行することになった。
しかし、このエアーボートをみてびっくり! エンジントラブルを起こした元のエアーボートとは、比べようもないほどのボロボロエアーボートだったのである。
なにしろ、大きさが一回りも二回りも小さい上に、フレームがむき出しで、疾走時に草の影響をもろに受ける船首部にもカバーがついておらず、どうみてもスピードがでる代物とは思えない。まるでレーシングカーからいきなりポンコツの中古車へと乗り換えさせられたような気分だ。恐らく、挑戦者の乗ったエアーボートがトラブルで使えなくなるとは、スタッフも全く予想していなかったのだろう。その場で撮影用に使っていたエアーボートを流用せざるを得なかったはずで、そのエアーボートがハンドメイドのこだわりエアーボートとは雲泥の差であったのも、仕方のないことだった。

例によってビデオ等をお持ちの方、Youtubeをみられる方は、確認してみてほしい。6台の中でも一番大きくて立派だった僕のエアーボートが、(乗り換えて撮影が再開された直後の)第4問を答えるときには突如としてボロボロのエアーボートに変わってしまっている(今からみると相当笑える)。僕がやけくそで「パンの材料小麦粉」と大誤答したのも、ほとんど開き直ってのことだった。

Q5.イブ・サンローランやピエール・カルダンを門下生にもつ、今は亡きパリモード界の有名デザイナーといえば誰?(A.クリスチャン・ディオール)

この問題からボロボロのエアーボートでスタートした僕だったが、他のエアーボートとのスピード差は歴然だった。パワーの少なさもさることながら、とにかく草の影響で、全くスピードがでない。他のエアーボートの半分くらいしかスピードがないんじゃないだろうか。そしてそのスピード差は、スタート/ゴール地点からカルタバラマキ地点の往復2kmを行き来するにはまさに致命的だった。
たまたまこの問題が難問だったので、全員が解答権があったが、そのチャンスにも僕は「ち」をもってきて「ジ(ヂ)バンシー」と答え不正解。結局は高橋が「て」をもってきて「てにてんてんでディオール」と答え、見事3ポイント獲得で1抜けとなった(僕も「ちにてんてんでヂオール」と答えたらよかった、とテレビをみて思った)。高橋にはバッドランドに続く完敗だったが、このときの僕はそんなことを悔しがる余裕はない。自分がどう勝ち残るかを考えるのが精一杯だった。
→高橋3(勝ち抜け)・山賀1・柳井1・稲川2・中村0・宇田川2

Q6.別名をサクラウオともいう、氷に穴をあけて釣ることで知られる魚は何?(A.ワカサギ)

問題を聞いた瞬間、答はどうみても「ワカサギ」だったので僕は焦った。スピード差がものをいいそうだ。テレビの実況解説では留さんが僕のエアーボートと誰かのエアーボートを間違えていたが、実際には僕がカルタバラマキ地点に到達するはるか前から、他の4人はカルタボードの捜索に入っていたほどだった。おまけに、このとき僕が想定した答が「ワカサギ」の「わ」か、「諏訪湖で冬によく釣れるワカサギ」の「す」。そのどちらも「わ」が山賀、「す」が中村に拾われた後で、見当たらなかった。
僕はどうせ時間切れになるのならと、適当にカルタボードを拾っていくことにした。そしてたまたま拾ったのが「れ」。スタート地点に帰る途中、どうやってつなげようかと考えた末にでてきたのが、例の「冷酒と一緒に食ってもうまいワカサギ」だった。でも、正解2人がでた後に僕の番になって答を言うときには「これはいくらなんでも強引すぎて不正解だろう」というのが正直な気持ちだった。僕が苦笑しながら答えているのもそのためである。

しかし、この苦し紛れの答がなぜか正解と判定され、僕はなんとか勝ち抜けが決定。因果応報というか、自業自得というか、自分のミスから招いた敗退の危機を脱することが出来た。次の問題や、その後に行われた敗者復活戦の形式をテレビで始めてみたが、ここで勝ちぬけていなければ本当に危なかったと思う。
→山賀2・柳井1・稲川3(勝ち抜け)・中村1・宇田川2

(参考)
Q7.お茶の葉を茶臼でひいたのは何茶?(A.抹茶)
宇田川、山賀が正解して勝ち抜けの4人が決定。
→山賀3(勝ち抜け)・柳井1・中村1・宇田川3(勝ち抜け)

・・・・・

ちなみに、敗者復活戦で中村くんが復活した後に行われた罰ゲーム。テレビでは子どものワニを背負って帰っていくというもので、柳井さんとはそれはそれでマッチしていたんだけど、これは天候の悪化から急遽変更して行われた罰ゲームだったと後でスタッフから聞いた。本当は小屋の中に敗者が待機していると、爆音とともにエアーボートの送り出す突風が吹いてきて、屋根も壁も吹っ飛ばされるというものだったようだ。もし当初の予定通りの罰ゲームだったならば、その豪快さから、歴代のウルトラクイズの罰ゲームの中でも、印象に残る罰ゲームの上位にランクされていたんじゃないだろうか。
 

↑前回のクイズサミットでは最初から最後まで敬称略にしてみたんだけど、やっぱり不自然なので、本文以外は「さん」「くん」づけにしてみました。統一感がなくて申し訳ない。

(前回のつづき)※本文部分敬称略

ここで、「爆走!エアーボートカルタクイズ」のルールをおさらいしよう。
クイズが出題されると、6台のエアーボートは挑戦者の指示により一斉にスタートし、大湿原を爆走して約1km先のカルタバラマキゾーンへ。そこには直径数百mにわたり、いろは48文字のうちの1文字が大きく書かれた巨大ボードがばらまかれている。そして、挑戦者はその中からクイズの正解の頭文字のボードを拾ってスタート地点に戻り、正解すれば1ポイントというものである。
但しそれだけだと毎回1人しか正解がでないため、答をアレンジしたり、修飾語句をつけてもよいことになっていた。テレビでは、答が「切手」の問題で、「き」のボードを持ってきて「切手」と答えるだけでなく、「す」を持ってきて「スタンプ」、「ゆ」を持ってきて「郵便局で売っている切手」でもよい、と説明されている。もっとも、このアレンジや修飾がどこまで許されるのかは不明だった。
また、1問につき正解先着3名までが有効となり(つまり1問につき最大3名が1ポイント獲得できる)、誤答しても減点はなし、3ポイント獲得で勝ち抜け。そして僕たちを驚かせたのは、勝ち抜け人数が6人中4人(2人が敗退)しかいないことだった。

Q1.国民栄誉賞とアメリカ大リーグのベーブ・ルース賞を受賞。小学校の副読本にも載った、日本プロ野球界を代表する存在といえば誰?(A.王貞治)

第1問を受けて一斉にスタートしたエアーボート。僕の「ジェットエンジン搭載」エアーボートは生い茂る草をものともせず、軽快に大湿原の上を疾走していく。風を切って豪快に走るのが本当に気持ちく、まさにいかにもウルトラクイズといった感じだった。。
答はすぐにわかったものの、ストレートな「お」はみつからず、「き」(巨人の王貞治)もどうかと思い、ちょっとひねりを加えたいとあれこれ考えていると、「そ」の札が目の前に。これを拾ってスタート地点に戻った僕は、なんとか3番手で「早実出身の王貞治」と答えて幸先よく1ポイントを獲得した。
→高橋0・山賀0・柳井1・稲川1・中村0・宇田川1

Q2.ここエバーグレーズで撮影された日本でも人気のあったテレビドラマ。子どもと一緒にでてきた動物は何?(A.イルカ)

この問題、まあアメリカのテレビドラマで少年と動物といえば、「名犬ラッシー」か「わんぱくフリッパー」くらいしかないだろう。でもこの風景はどうみてもラッシーじゃないし、かといってフリッパーが泳ぐ雰囲気でもないしなあ……などと考えながらカルタバラマキ地点に向かうと、いきなり「い」のボードが目の前に。ひねりも何もないんだが、まあとりあえず、ということでこのボードを拾って「(いちおう)イルカ」と答えた。最初の2問で2ポイントを獲得。今日の俺はなんだが調子いい。

~と思ったのもつかの間、これ以後は調子が急降下していくんだから勝負はわからない。
→高橋1・山賀0・柳井1・稲川2・中村0・宇田川1

Q3.相手をだますために、ウソの涙を流すといわれる爬虫類といえば何?(A.ワニ)

この問題は過去に聞いたことのない問題だった。クイズ本はおろか、雑学本でもみた記憶がない。爬虫類でウソといって思い浮かぶのは「ヘビ」。でも、ヘビと涙が結びつかない。むしろ爬虫類で涙といったら「ウルガメ」が真っ先に思い浮かぶ。
そんな僕の目にとびこんできたのは「へ」のボードだった。これも何かのお導きか。僕は自分の迷いを払拭してこのボードを拾い、スタート地点に戻った。しかし、判定は無常にも不正解。結局この問題で正解したのは宇田川だけだった。彼は答に自信があったのだろうか?

そして、運命の第4問を迎える。
→高橋1・山賀0・柳井1・稲川2・中村0・宇田川2

Q4.竜田揚げを揚げるために使われる粉は何?(A.片栗粉)

この問題、立命館大学の学食で竜田揚げをのせた竜田丼というメニューがあったので、その食感とかを冷静に思い浮かべれば、あるいは答を思い出せたかもしれない。だが、一瞬考えても何も思い浮かばなかった僕は、カルタバラマキ地点に到着すると、操縦者のおじさんに向かってとんでもない指示をだした。しかも右手ではなく口頭で(つまりはつたない英語で)。

「山賀のエアーボートを追ってくれ」

今となっては正確になんと言ったかは覚えていないが、とにかく僕は山賀のエアーボートを追跡してくれるように指示した。料理問題の得意な山賀がどんなボードを拾うかをみれば、あるいは答がわかるかもしれないと思ったからだ。(結果的には無意味な行動だった。この問題で片栗粉の「か」を拾ったのは高橋で、山賀が拾ったのは「し」。「白い色の片栗粉」の「し」では、答がわかろうはずがない)

ところが、ルール違反(と思われる行為)であるばかりか、元々無理なこの指示が、その直後にとんでもないトラブルを生み出す。ようやく僕の指示の意味を理解したおじさんが、山賀のエアーボートを追いかけようと舵を切ったところ、急なターンでエンジンに過大な負荷がかかったのか、エンジンが悲鳴を上げ、そのままストップしてしまったのである。
おじさんがなんとかエンジンを再始動させようとしたが、エンジンはうんともすんともいわない。
他の挑戦者のエアーボートがスタート地点に戻っていく中、僕のエアーボートだけがカルタバラマキ地点に取り残された。

他のエアーボートが遠くに去ったその場所は、大湿原の真っ只中。静寂に包まれた空間の中で大空を仰いだ僕は、クイズの最中であることも忘れ、「俺は今、どうしてここにいるんだろう」と、不思議な気持ちでいっぱいだった。

※この問題の結果は以下の通り。高橋と山賀が正解。
→高橋2・山賀1・柳井1・稲川2・中村0・宇田川2

(つづく)

第11回ウルトラクイズのブログ、復刻第2弾は、マイアミのエバーグレーズで行われたエアーボートかるた取りクイズについて。
このクイズでは、本番中に僕の乗ったエアーボートが故障してしまい、途中から急にボロボロのエアーボートに変わっているのだが、僕がブログに書くまで、おそらくは誰も気がつかなかった。
それでは、始まり始まり。

 

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第11回ウルトラクイズは、他の回に比べて経由地に特色がある。過去に訪れたことのないような、言い換えれば、日本では無名だった場所ばかりを経由している。今やメキシコ観光の定番となっているカンクンやチチェンイツァだって、当時は日本人がほとんど行かない観光地だった。ウルトラクイズで紹介されたのをきっかけとして、徐々にツアーのコースに組み込まれていったんだと思う。

そんな中で、今思い返しても一番よかったのが、マイアミ郊外のエバーグレーズ。まあ、大湿地帯の風景もよかったんだけど、ここで行われたエアーボートを使ってのクイズが、とにかく気持ちよかった。
なにしろ、1人1台ずつのエアーボートに乗って大疾走!なんてスケール感は、ふつうの観光では絶対ありえない。最終週のオープニングで、残り6人の挑戦者を紹介するシーンがあるが、このときにでてくる10人乗りくらいのエアーボートが、たぶん観光用に使われている一般的なもののはずだ。
では、ここでクイズに使ったエアーボートはなんだったのか? 実は地元のエアーボート愛好家たちが自分専用につくったハンドメイドのエアーボートたちなのである。1台ずつの形や大きさが違うのもあたりまえ。その違いや、細かな装飾へのこだわりを、ビデオなどを持っている人は、今一度確認してみてほしい。

というわけで、今回はエバーグレーズで行われた「爆走!エアーボートカルタクイズ」について。
大げさな話ではなく、僕はここでも危うく敗退しかけている。しかも、自分自身のルール違反が招いた一大トラブルによって……。
ほめられた話じゃないんで言いたくはないが、まあ、乗りかかった船ならぬエアーボート?(ってこのブログが)ということで、恥をしのんで公開してしまおう。
※以下は例によって敬称略

・・・・・

この日、マイアミのホテルからバスに乗った僕たち6人(高橋、山賀、柳井、僕、中村、宇田川)は、街をはずれて郊外へと向かっていった。マイアミっていうから、てっきり砂浜でタイヤひきでもさせられるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。手持ちのガイドをみると、どうやらエバーグレーズ国立公園のほうに向かっているようである。
僕はそこで、クイズ形式がエアーボートを使ったクイズではないかと直感的にひらめいた。どのチェックポイントでも、クイズをやる場所やクイズの形式は、そのときにならないと教えてもらえないが、おしゃべりな僕はいつもいいかげんにクイズ形式を予想してスタッフのひんしゅくを買っていた。そして、たいてい自分の予想は大ハズレだった。
僕がエアーボートをイメージしたのは、作品名は忘れたが、以前の007シリーズの映画の中で、エアーボートを使ったカーチェイス(いやいやボートチェイス?)をみた記憶が鮮明に残っていたからだった。
そして、エバーグレーズの一角だと思われる道路の脇にバスは停車したものの、なぜか僕らに降車の指示はなく、2時間ばかりもそのまま待機させられることになった。

僕たちが待機させられた原因は、クイズの準備が整っていなかったからだった。
もっとも、スタッフは時間厳守でその機動力はピカイチ。ではなにが準備不足だったかというと、エアーボートを操縦する地元のおじさんたちの準備がなかなか整うわなかったのだ。

テレビでは特に説明していなかったが、ここでのクイズで挑戦者が乗るエアーボートには、一段高いところに操縦者のおじさん(たぶんそのエアーボートの所有者)が乗っている。そして、エアーボートの操縦はもちろんおじさんたちがするが、そのおじさんへの指示は、挑戦者がすることになっていた。といっても言葉でやりとりするのではなく、挑戦者が自分の右手をあらかじめ決められたとおりに動かして指示する。前進するときはまっすぐ前に右手をのばして指差し、右へ旋回してほしいときは頭の上で右手を時計回りにまわす、徐行してほしいときはひじを折って手首から先を小刻みに上下動させる、などなど。あとでスタッフから聞いたことだが、日本人ならば簡単に理解するこれら5~6種類の動作による指示をおじさんたちに理解させ、徹底させるのに苦労していたとのことだった。

ようやく準備が整ったらしく、僕たちはバスを降りて波止場らしきところへ。そこから最終週のオープニングにでてくる大型のエアーボートに乗り、クイズでスタート/ゴールだった場所に向かった。

テレビではいきなり6台のエアーボートが横一列に並び、第1問が出題されるが、実際にはここでもその前にもう1ステップあった。まずは、誰がどのエアーボートに乗るかを決めなければならない。
エアーボート選びに使われたのは、本物のカルタ、しかもウルトラクイズのそれまでの出来事を題材に作られたオリジナルのカルタだった。そしてカルタをとった挑戦者から順に、好きなエアーボートを選ぶことになっていた。
6台のエアーボートは事前に1台ずつ紹介され、それぞれにはキャッチフレーズがついていた。2番目にカルタをとった僕が選んだのは、「ジェットエンジン搭載」というのをキャッチフレーズにしたエアーボートだった。まあ、実際にジェットエンジンは搭載していないものの、6台のエアーボートの中では一番大きく、馬力もありそうだったし、僕としてはたいへん満足だった。(ほかのエアーボートのキャッチフレーズは忘れてしまった。山賀のは「恋人募集中」だったような気がする)

そして全員のエアーボートが決定し、それぞれのエアーボートに挑戦者の名前を書いたのぼりが立てられ、さらに操縦者のおじさんとおそろいの(同じ色の)ポロシャツを着て、スタート位置に。

エバーグレーズの大湿原を使った壮大なスケールのクイズが、ついに始まった。

(つづく)

前回の説明で、第11回ウルトラクイズのクイズサミットでは、指名されないことこそ悲劇であり、「指名される=得点のチャンス」であることが、よくわかったことと思う。テレビで他の挑戦者の集中砲火(とりわけ稲川のいじめ?)を受けて沈没したと思われた中村が、実は繰り返し訪れるチャンスをものにできずに敗退したということを知っただけでも、クイズサミットの見え方が大きく違ってくるはずだ。

それでは、実際のクイズサミットはどう展開したのか、僕の心の動きを交えながら追体験してみよう。
※敬称略

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最初の指名権を争うクイズ「Q.現在のアメリカ大統領はレーガン、では副大統領は? A.ブッシュ」を答えた僕は、とりあえず指名権を得たことに安堵しながら、クイズボードを留めていたテープをひきちぎって中身を確認した。でてきた問題は以下の3問。1は確か六甲山だったと記憶していたし、2はアタック25の問題集でみた問題。そして3は誰に出題しても答えられてしまいそうな常識問題に思えた。

1「Q.日本で最初のゴルフコースができた都市はどこ? A.神戸市」
2「Q.縦割りにしたナスを油で焼き、練りミソを塗った料理を、鳥の名前を使って何焼という? A.しぎ焼」
3「Q.今年話題となっている税制改革。『少額貯蓄非課税制度』を一言で言うと何? A.マル優」

僕の最初の選択は、1のクイズを中村に出題することだった。実力者の高橋と宇田川は答を知っているかもしれなかったし、山賀はあてずっぽうで当ててしまうかもしれない。だいたいがこの手の問題は長崎か神戸、横浜あたりが答に思えるからである。そして中村は、答を知らなければ何も答えない可能性が高いというのがその理由だった。
見事予想通りに1ポイントを獲得した僕だったが、次の出題に当然2を選択したものの、誰に出題するかで大いに迷う。クイズらしい問題なので、やはり高橋と宇田川は答を知っているかもしれない。そして山賀は料理問題に滅法強い。中村はたぶん知らないだろうし、どう考えても中村に出題すべきなんだが、2問続けて同じ挑戦者を指名することが、ずいぶんと悪いことのように思われた。これが悩んだ挙句の「申し訳ないが中村くんにもう1問」というセリフにつながった。

2ポイントを先取した僕だったが、ここまでは得点しても全く表情を変えていない。クイズサミットの恐ろしさをわかっていたからである。ところが3を出題する段になって、急に笑顔いっぱいになる。それもそのはず、3は誰でもわかる問題だと思ったので答えて当然、3回続けて中村を指名したのは、2ポイントくれたお礼?として1ポイントと指名権をプレゼントするつもりだったからである。もちろんそれはその後の僕の苦しい戦いを意味することでもあったのだが……。
中村がこの問題を間違えたため、僕は3ポイント目を獲得した。だが、中村がこの問題をスルーして不正解になった瞬間、僕は首をかしげてくやしがっている。「何やってんだあ、中村」という気持ちのあらわれだった。

手持ちの問題がなくなったので、僕はディーラーから新しく3枚1セットのクイズボードを配られたが、中身をみてびっくり! 目の前が真っ暗になった。3問とも答えられてしまいそうな問題だったからである。
詳しく見てみよう。4は僕もキリンビールの新聞広告(1ページ広告)をみるまでは2本と思っていたので、簡単な問題ではないと思うが、どちらにせよ1本か2本の2択問題。でも、5と6は誰にでも答えられる常識問題だと思った。だいたい6なんか、その場で口ずさめば簡単にわかる。

4「Q.中国の伝説上の動物、麒麟に角は何本? A.1本」
5「Q.選挙の方法の一種で、主に北欧や西ドイツなどで採用され、日本でも参議院選挙で行われている制度は何? A.比例代表制」
6「Q.童謡『はと』『ななつのこ』『ぞうさん』。三拍子の曲はどれ? A.ぞうさん」

僕はとりあえず4を山賀に出題した。このときはなんとなく山賀に出題すれば、2本と答えるような気がしたからだ。こうして4ポイント獲得でリーチ、しかも他の4人は0ポイントのままという圧倒的なリード。しかしながら、僕の気持ちは暗かった。残りの2問で、最低2人が勝ち抜ける。勝負は次に配られる3問。そんな気持ちだった。
ここに至って初めて、僕はどうせ誰かが勝ち抜けるのならば、強い奴から勝ちぬけさせたほうがよいことに気がつく。かといって宇田川に出題するには不安がある(前回参照)。ならば「強敵の高橋くんに」ということで、5を高橋に出題した。たぶん宇田川でも正解していたはずだ。

その後、高橋がストレートで勝ち抜けるとはさすがに予想していなかったが、これは結局は僕にとって最高の形、計算通りというか、計算以上の結果だった。
そして、次の指名権を争う出題「Q.今年行われた世界初の太平洋横断ヨットレース。フィニッシュは大阪、ではスタートの都市はどこ? A.メルボルン」を快答した僕は、「行くぞ!中村くん」と元気いっぱいに6を出題する。「この問題、中村は当然正解する。そして僕は1度も指名されずに次の勝ちぬけがでる。勝負は次の指名権争いのクイズに僕が正解して得られる新しい3問。」僕の気持ちは先の先へと向かっていた。

ところが……
中村が6の問題をまさかの不正解にしたために、不意に僕の勝ちぬけが決定する。僕が一瞬あっけにとられたり、留さんの握手にきがつかなかったのもそのためである。そして、勝者席に向かう僕が発した一言、中村に向かっての「がんばれよ」の一言は、心の底から中村に勝ち抜いてほしいとの思いから、無意識に飛び出した一言だった。(この一言が嫌味のように思われたのはたいへん残念)

・・・・・

その後、実力のある宇田川がなかなか指名されず、苦戦したのは周知の通り。彼は大半の問題の答をわかっていた。そしてそれは、一歩間違えば僕がそうなっていたという暗示だ。
もし、エバーグレイズで柳井が負けなければ50%くらい、そしてカンクンで高橋(麻)が負けていなければ80%以上の確率で、僕はワシントンの敗者になっていたであろう。それほどまでに恐ろしいクイズサミット、後にも先にも実際に行われたのが第11回ウルトラクイズだけなのも、当然といえば当然なのかもしれない。
 

いよいよ今回から、第11回アメリカ横断ウルトラクイズについて書いたブログを再掲してみる。

かつてブログを書いたのは2007年、第11回ウルトラクイズからちょうど20年の年だった。当時は第11回の映像がyoutubeにあがってはすぐに削除されていた時代。ビデオテープをもっていた人はともかく、そうでない人は僕がどんなにブログを書いても、それを確認することもままならなかった。

ところがこの13年の間に、CSで第11回が再放送され、youtubeでも削除されることなくみられるようになっている。いまだったらこのブログを読みながら、実際の映像を確認することもできるだろう。

ということで、まずは元々僕が第11回のことをブログに書こうと思った一番のきっかけから。

 

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ウルトラクイズでは、テレビでみた印象と、実際とは大きく異なる場面がいくつかある。第11回ウルトラクイズの場合、その最もたる例は、まちがいなく「クイズサミット」だろう。
(以下、敬称略)

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ウルトラクイズは、どの回でも残り人数が少なくなってくると、1回は実力者(と目される挑戦者)に圧倒的に不利なクイズを行う。第11回の場合は残り5人のとき、ワシントンで行われた「クイズサミット」がそれだった。
現地でクイズのルールが説明されたとき、僕はすぐにその恐ろしさに気づいた。ビデオ等をもっている人は確認しながらみてもらえばわかるが、念のため紹介すると次の通り。
5人の挑戦者にはまず、3枚1セットになったクイズボードが渡される。そして最初に指名権を争うクイズを出題。正解者に得点はなく、自分がクイズを出題する相手を選ぶ指名権のみが得られる。そして自分が持っている3枚のクイズボードの中から1枚を選んで出題。相手が正解できなければ自分が1ポイント獲得で引き続き次の出題相手を選び、再び手持ちのクイズボードの中の1問を出題する。逆に相手に正解されてしまうと、出題相手が1ポイント獲得になってしまうばかりか、自分が持っていた指名権もその相手に移ってしまう。その繰り返しで進行していき、5ポイント獲得で勝ちぬけ、最後まで残った1人が敗者になるというものである。
これだけだとわからないかもしれないので、補足を2つばかり。手持ちのクイズボードは常に3枚1セットで、最初は5人に1セットずつがディーラーから配られる。そして手持ちのクイズボードはその3枚を使い切らないと(つまり3枚とも全部出題してしまわないと)補充されないし、補充されるときはディーラーがふせてある3枚1セットのクイズボードを1セット配るだけで自分では選べない。また、指名は自分以外の勝ちぬけていない挑戦者であれば、同じ挑戦者を続けて指名してもかまわない。逆にいえば、残り人数が少なくなれば、指名できる挑戦者も当然に限られてくる。もうひとつ、勝ち抜けがでた場合のみ、指名権をもった挑戦者がいなくなるため、改めて指名権を争うクイズが出題される。但し、ここで正解してもやはり指名権を得るだけで得点にはならない。……

おわかりだろうか?
つまりこのクイズは、自分が他の挑戦者から指名されない限り、自力では得点できないルールなのである。もっと言うと、自分が得点できるのは、他の挑戦者から指名されて出題されたクイズに正解した場合と、自分が指名権を得て出題した相手が不正解だった場合の2つだけ。よって、自分が他の挑戦者から指名されなければ永久に自分の解答によって得点できることはないし、苦労して指名権を得ても、出題するクイズの難易度は配られて手持ちとなったクイズボードの難易度に100%左右されてしまう。

残った5人の中で、僕はクイズ番組で優勝経験がある唯一の存在だったので、一番警戒されていたし、残り2人でもならない限り、僕が他の挑戦者から指名される可能性はたいへん低かった。よって、僕は指名権争いのクイズはなにがなんでも答えて指名権を自力で獲得するしかなかった。また、指名権を得た場合、手持ちのクイズから出題するのだが、これが幸か不幸か(仕組まれていたのか偶然なのか)簡単な(と思える)クイズばかりが僕のところに集まってくる。そして、僕が出題した相手が正解して指名権が移ったが最後、僕を指名する人は誰もおらず、誰かが勝ち抜けして再び指名権争いのクイズが出題され、しかもそれに僕が正解しない限り、僕に出番がまわってくることはない。さらにここで運よく指名権を得たとしても、やはり出題できるのは手持ちのクイズからだけで、これが正解されればやはり自分の出番は誰かが勝ち抜けるまで訪れない。……

もうひとつ、このクイズには「必勝法」に近い戦法があることにも気づいた。自分が指名権を得て出題した相手に正解された場合、相手が1ポイント獲得の上、指名権も移動するが、出題者が減点されることはない。つまり、2人あるいはそれ以上が組んでキャッチボール(=つまり出題しあうことを)すれば、仲間内でひたすら得点を伸ばしていける。ルールの性質上、3点以上、ひょっとしたら2点でも致命的な得点差になりうるだろう。
クイズのルール説明があったのは開始の直前で、もちろん事前に打ち合わせることはできなかった。しかし、ことクイズに関する限り、僕と高橋はクイズ経験者と言うことでどちらかといえば警戒されていたし、宇田川と山賀、カンクンで敗退した高橋(麻)たちはクイズ未経験同士で仲がよかった。ちなみに、テレビで僕がいじめたかのように言われた中村と僕とは仲がよかったが、もちろん組もうとは思わなかったし、たとえそうしても中村は返してこなかっただろう。
そんなこんなで、僕は宇田川と山賀がキャッチボールすることを恐れた。僕が指名権を得ても、よほどのことがなければこの2人は指名できないと思った。(実際には宇田川はこのことに気がついてキャッチボールしようとしたが、山賀が全く気がついておらずに不発に終わった。しかもそれは高橋と僕が勝ち抜けた後の話)

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たいへん長くなってしまった。さて、こんなことをルール説明からクイズ開始までの短い時間に考えていたこの日の僕は、たぶん相当冴えていたのだと思うが、実際の戦いはどうだったのか、その真実は次回にお話ししよう。
 

まだまだ勝手がわからないまま、テキトーにブログを始めます。

まずは、ヘッドの写真にも使っているパチンコ島について。旧ブログ記事の転載ですが、書いたときから13年経っているので、明らかに違うところは修正しています。後、気が向いたところは自由気ままに。

 

【パチンコ島のプロフィール】
第11回アメリカ横断ウルトラクイズの優勝賞品である小島。正式名(登記名)はEastern Woody Island。カナダの大西洋岸に位置するノヴァ・スコシア州の州都ハリファクスより海岸沿いに北東へ約50km、オストリア湖(といっても深い入り江で日本でいえば浜名湖のようなところ)の中にある。
広さは直径約30~40mほどだが、周辺の海は干満の差が大きく、干潮時には周囲が干潟状になるので正確な広さはわからない。かといって、満潮時に全てが沈んでしまうこともない。島の中央部にはエゾマツがびっしりとはえていて、構造物は何もなく、当然のことながら住んでいる人もいない。
第11回ウルトラクイズでは、福留功男さんと稲川が味噌汁を飲んでいた所がそれで、その後テレビでは近くにある岩礁こそ優勝賞品であるパチンコ島だと紹介したが、実際にはこれはジョークで、元の島がそのまま賞品として授与された。ちなみにウルトラクイズの歴代賞品のうち、土地関係の賞品には場所が特定できないものが多く、実際に賞品として授与され、場所が特定されており、現在も所有しているという点において、パチンコ島は稀な例であると思われる。
稲川はテレビの賞品受取時と、新婚旅行時の2度この島を訪れているが、最後に訪れてから今年で28年が経過している。毎年ハリファクスから土地の資産通知書と税金の請求書が送られてくるが、現在の島の資産価値は6,000カナダドルほどで、年1回5,000円ほどの税金を払っている。
 

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というわけで、今回はパチンコ島のプロフィールを紹介。

ちなみにヘッドの写真はパチンコ島の全景(干潮時)。地図は新婚旅行のときにハリファクスの不動産やでもらったもので、Indian islandの下にある2つの小さい島のうち、右がパチンコ島、左がオンエアでパチンコ島とされた岩礁です。

このパチンコ島、グーグルマップの航空写真ではっきりみることができますので、暇なときに探してみてください。ノバスコシア州の州都ハリファクスから海岸沿いに右のほうへたどっていくと、オストリーレイクとか、プレザントポイントとかの文字があります。誰でも簡単にみつけられると思いますよ。
 

それともうひとつ、カナダからは毎年、資産通知書や税金の請求書らしきものが届くのですが、ここ何年もほったらかしで、たぶんプールしていたお金もマイナスになっていると思います。ひょっとするともう没収されているかもしれません。