ウルトラクイズには、長い歴史の中で培われてきた伝統がある。いろいろな場所で、いろいろなクイズが試されては消えていく中、いくつかのクイズ形式は人気がでて定番クイズになっていく。後楽園(東京ドーム)の○×クイズ、成田のジャンケン、機内ペーパークイズ、グアムのドロンコクイズ………決勝の10ポイント先取の早押しクイズもまた、ファンにとってははずせないクイズ形式といえるだろう。

こうした定番クイズの一つとして、準決勝といえばやはり!第13回ボルチモアに代表される「通過クイズ(通せんぼクイズ)」じゃなきゃいけないと考える人が多いことだろう。何を隠そう、かくいう僕もその一人である。
では、第11回ウルトラクイズではなぜ、これほどまでに支持の高い通せんぼクイズを行わなかったのだろうか?

・・・・・(ここからは例によって敬称略)

準決勝前夜、ニュージャージーの(場所はよくわからなかった)ホテルで国内の知人親戚に電話をかけるシーンの収録を終えた僕たち4人は、それぞれの部屋に帰って行った。
この日僕は宇田川と同室だった(注:ウルトラクイズの旅は基本的に二人部屋)。そして僕と宇田川は、どちらが言い出すともなく、「明日は正々堂々と戦い、雌雄を決しよう」と誓い合う。実は、第11回における僕の真のライバルはといえば、高橋ではなく宇田川だったのだ。もちろん、高橋は実力者だったし、何度も勝ち抜けで先を越されていた。でも、いろいろな意味での真のライバルは宇田川だった。たぶん彼もそう意識していただろう。(その理由は後日述べる)

そして夜が明けてロビーに集合した僕たちは、いきなりアイマスクをさせられてそのままバスに乗り込み、どこかへと向かっていった。バスに乗っていて外をみるなとか、部分的に目隠しされることはあったが、ホテルからずっと目隠しは初めてだった。
そして手をひかれてクイズの解答席らしきところに座らされた僕たちは、ようやくアイマスクをはずすことができた。この瞬間が、ニュージャージーの最初のひとコマで、僕たちがまぶしがっているのは、その直前まで目隠しをさせられていたからだ。

ここで、栄えある初代クイズ王・松尾清三さんの登場。

そして、いよいよルールの発表。

僕はその意外なルールに驚いた。てっきり通せんぼクイズが行われるものと思っていたからだ。

ここで実際に行われたクイズは、松尾さんと1対1で対戦し、3ポイント先取すれば勝ってそのまま決勝進出、負ければ敗退というものだった(と、テレビをみる限りでは理解できる)。そしてそのルールゆえに、本来は「ニューヨークまでたどりつけるのは、たったの二人」のはずなのに、史上初めて(そして唯一)決勝に3人が進出することになるのである。

しかし、テレビでは全く説明されていないものの、これでは一つの疑問が残る。

松尾さんと1対1で対戦した結果、全員が敗退、あるいは松尾さんに勝ったのが1人だけだった場合は、どうなっていたのだろうか?

また、実はここで行われるべきクイズは、直前まで別のルールが予定されていたという。

そのクイズのルールとは?

どうしてそのルールが直前で変更されてしまったのか?

これらすべての解答の先に、第11回ウルトラクイズで通せんぼクイズが行われなかった理由が存在している。

(つづく)