(つづき・・・といっても今回はどちらかというと前々回のつづきかな?)

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第11回ウルトラクイズの準決勝は、第1回ウルトラクイズのクイズ王・松尾清三さんとの1対1の早押しクイズとなった。
留さんの「まずは5本勝負、松尾さんとやってみたいと思う人、手を挙げて」の呼びかけに、僕は迷うことなく手を挙げる。この場面、どうしても自分が最初に手を挙げなくてはならないような気がしたからだ。

僕は、当時すでに関西クイズ愛好会の会員であり、同じく関クイの会員だった松尾さんとは、当然のことながら知り合いだった。8月末の関クイの例会でもご一緒していた。クイズの大先輩とはいえ、松尾さんの気さくなお人柄もあり、気心の知れたクイズ仲間だった(と思う)。
もちろん、ウルトラクイズをめざしていた僕たちにとって、栄えある第1回ウルトラクイズのクイズ王である松尾さんは、とりわけ特別な存在だ。まだRUQSを始めたばかりでなんらクイズ番組等でも実績を挙げていなかった頃、そして関クイにも参加していなかった頃、KBS京都のスタジオで行われた「100万円クイズハンター」の予選で、自分のすぐ前の席に座っていた松尾さんがふりむいてその存在に気がついた時、口から心臓が飛び出しそうになるくらい驚いたことがある。
そんな松尾さんと、ウルトラクイズの本番の、しかもあと少しでニューヨークという場面で、相対する。不思議で複雑な気分だった。

元の早押し席を立ってクイズの入った封筒を選び(他の3つの封筒も落としてしまったのはわざとじゃない)、その封筒を留さんに手渡した僕は、早押し席でウルトラハットをつけると、クイズの始まる前の刹那、松尾さんの顔をみて一言、マイクに入らないような小声で話しかけた。

「松尾さん、真剣でお願いします」と。

ここでの勝負は、そもそも松尾さんにとっては全く不利益な勝負だった。松尾さんは心優しきプレイヤーで、しかも大人である。ここで僕たちを阻止したとしても、賞金がもらえるわけでもない。せっかく苦労してここまでやってきた僕たちの夢をつぶすだけのことなのだ。もちろん歴代クイズ王としてのプライドはあるだろうが、若くて血気盛んな森田さんや石橋さんならばともかく、松尾さんのお人柄からは、自分のプライドよりも僕たちへの思いやりのほうが先に立って、結果的に本気になりきれないかもしれない。
クイズの内容も、松尾さんに有利な問題が多かったわけでは決してない。だいたいが、スタッフ側の事情から言っても、松尾さんに有利な問題をふやしてもメリットはない。むしろ、全く不利な問題も多く含まれていた。

そして実戦。
現場での瞬間瞬間のことは、実はあまり覚えていない。よほど緊張していたか、集中していたのか。テレビをみて、初めてそのときそのときが思い出される。
松尾さんは、自分が答えるべき問題を的確に答えている。解答のポイントも、僕のときが一番早かったかもしれない。1-2で後がない僕が「ポール・ニューマン」と答えたときは、本当に無理やりしぼりだしたといった感じだった。

そしてラスト問題。
Q.「将棋で、勝負を翌日に持ち越す/場合~ (その日の最後の一手を指さずに紙に書いて次の日まで立会人が保管することをなんという?)(A.封じ手)」

このときの僕の押しは相当早かった。「会心の押し!」と現場では思った。
でも、テレビでみてみると、僕がボタンを押すよりも一瞬早く、松尾さんの指が動いているようにもみえる。ただ単に指が少し動いただけなのか。それとも押すのを躊躇したのか。
たぶん手を抜いたわけではないだろう。でも、本能的に躊躇した可能性はある。
だが、僕はそれを松尾さんに確認することはしなかった。松尾さんにも失礼だと思ったし、1ヵ月間を人生を賭けて戦った自分に対しても、許されることではないような気がした。

ニュージャージーをヘリコプターに乗って飛び立った僕は、いったんはイーストリバー沿いにあるヘリポート(注:観光用ヘリコプターの乗り場があるヘリポート)に降り立ち、ここで長時間待たされた。
戦いをふりかえってみて、松尾さんには背中を押してもらったような気がした。とはいっても、仲間だから手を抜くとか、そんな低俗なことではない。松尾さんは自分らしさをだしながら戦い、結果的に僕の背中を押してくれた。そんな気がして、妙にすがすがしかった。

その後、高橋が到着していよいよ決勝かと思ったら、さらに待たされた挙句、なんと山賀までが到着して、前代未聞の3人による決勝になったことを悟る。
そのときに僕の脳裏をよぎったのは、ニュージャージーで唯一の敗者になった宇田川のことだった。

「早押しクイズで雌雄を決しよう」。その機会は永遠に失われてしまったのだ。

その後、僕たちを乗せた3機のヘリコプターは、3機ゆえに撮影が難しかったのか、世界貿易センタービル(今はない)とエンパイアステートビルの間を、時計回りに何回も何回も飛び続けた。たぶん1時間30分くらいは飛んでいただろう。
そして燃料も尽きかけた頃にようやく着陸。しかしそこはリバティ島ではない。実は、リバティ島にはヘリポートがないため、対岸にある川沿いのヘリポートに着陸し、そこからは小舟でリバティ島に向かったと言うのが本当だ。そう、その小舟こそが、ハドソン川に飛び込んだ僕が引き上げられた小舟だった。

その後、決勝が行われ、決着がついた僕たちをのせた船がリバティ島の桟橋を離岸したのは、もう午後3時半を回った頃のことと記憶している。制限時間ぎりぎりだったと、スタッフは胸をなでおろしていたに違いない。

(終わり)