(前回のつづき)

第11回ウルトラクイズは、アメリカ本土に渡った人数が異常に多い回だった。
ハワイを終えた時点での挑戦者は残り24人。例年の約2倍も残っている。いつもの年なら、アメリカ本土に渡ってからは各チェックポイントで1人ないしは2人しか落ちなくなるので、そこそこ勝ち残る自信はあった。だが、この人数では今後どうなるのか予想もつかない。

僕はウルトラクイズの再招集の前、会社の上司と「(有給休暇の範囲内で収まる)ハワイまでにしておこうな」という約束をしていたから、ハワイを勝ち残ったら、ただちに上司に電話してこのまま行くことを宣言するつもりでいた。そしてそれはそのまま「自分が敗退すること=帰国してただちに辞表を提出すること」を意味していた。
だが、僕はここでは会社に電話しなかった。まだ即敗退の危機が去っていないことと、幸いにして有給休暇6日間をフルに使えば次のロサンゼルスまで持ちそうなことの2つがその理由だ。

そしていよいよアメリカ本土上陸。
僕らが連れて行かれたのは、どこだかわからない荒涼とした広場だった。本物そっくりにつくられた(とはいっても戦車ファンの僕からはひと目で偽物とわかる)戦車が何台も登場し、激しいアクションが披露された後、クイズのルールが発表される。
1対1のロシアンルーレットクイズ。2つの解答席のまわりには、5台(だっけ?)の戦車が配置され、それぞれに番号がつけられている。まずは増田アナが挑戦者にはみえない位置にある2つの回転盤をまわし、当たり番号(戦車)を2つ選ぶ。そして早押しクイズを出題し、正解した挑戦者は番号を一つ選んで目の前の蛸壺へ。もしその番号(戦車)が当たりならば、戦車が発砲してただちに勝ち抜けが決定。もしはずれならば解答席に戻り、改めて早押しクイズを出題する、というものだった。ちなみに、お手つき・誤答をした場合は1回休み(つまりその次の出題は相手だけに解答権がある)、そして気になる対戦相手は、挑戦者24人の番号(注:後楽園を勝ち残った100人には1~100の固有の番号が与えられ、この番号はずっと変わらない)の、小さいほうと大きいほうから順に1人ずつでていく形と決められた。
そして、ここで留さんから強烈な一言。「ここでは敗者復活はありえない」との言葉に、僕の(たぶん僕以外も)緊張感は頂点に達した。

オンエアをみた人や、ビデオを持っている人の中には、僕がロサンゼルスでは全くでてこない(つまり対戦部分がカットされている)ことを、不思議に思っている人がいるかもしれない。もちろん、ここでは12組もの対戦があるため、ここで敗退してしまう人を優先したと思えなくもない。だが、僕にはわかっている。ここで僕が登場していない理由、それは、あまりに無様な戦いぶりだったからに違いない。

僕はここでは掛村と対戦した。だが、最初の問題をいきなり早とちりで誤答し、掛村をフリーにしてしまう。幸い次の問題を彼がスルーしたため、戦車発砲の危機を迎えることもなく第3問へ。ところが、なんと同じことを計3回も繰り返してしまった。僕が誤答、掛村スルー、僕誤答、掛村スルー、僕誤答、掛村スルーと、正解が全くでないままに6問が経過したのだ。掛村がたまたま3問連続でスルーしたから敗退せずに済んだが、ふつうならば確実にここで僕は敗退していただろう。現にここでは多くの番狂わせが起きている。実力的には24人中の上位にいると思われた何人かが、敗者復活で救済されることもなく散っていった。
そして第7問、思い切り解答ポイントを遅らせた僕はようやく正解し、「1番」をコールして蛸壺に潜る。結果は大当たり。これ以下はないくらいの無様な戦いぶりで勝ち抜けを決定した。

勝ち抜け12人が決定したとき、他の勝ち残りの挑戦者たちは、半数もの仲間が去っていくことにショックを受けてか、バンザイに力がなかった。
だが、僕だけは別の意味で大ショックだった。みんなを引っ張るどころではない。こんな調子でやっていけるのか。「あまり強くない」どころではない。「全然弱い」としかみえない状態だった。

その日の夜、残りの挑戦者が12人になり、有給休暇も残り1日となった夜、僕は意を決して会社の上司に電話をした。もう逃げることはできない。

「このまま行きます。申しわけありません」

「わかった。今後は定期的に電話連絡を入れるように。」

上司(課長)の声は驚くほど穏やかだった。だが、それゆえ逆に僕ははっきりと自覚した。

「これで帰ったらすぐに辞表をださなくてはならない」

全く調子の上がらない戦いぶり。そして辞表覚悟のプレッシャー。不安ばかりが先に立つ夜だった。


(つづく)