必ずや名を正さんか。


孔子の論語の故事で出てくるやつです。

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子路(しろ)が孔子に尋ねました、
「衛公が先生をお迎えして政治をなさるとしたら、先生はまず何をなさいますか?」
孔子は、
「まず名の秩序を正すつもりだ。」
と答えられました。それを聞いた子路が、
「これだから先生は、本当に遠回りがお好きですね。どうして名の秩序を正す必要がありますか?」
と言ったので、孔子は、
「お前は本当にがさつだね、人格者たるもの自分に解らぬことには口出ししないものだ。もし名の秩序が正しくなければ、言葉の意味が混乱する。言葉の意味が混乱すれば、何事もできなくなってしまう。何事もできなければ、礼儀や音楽といった文化が盛んになることも無い。文化が盛んでなければ、刑罰をもって公正に人を裁くことができなくなる。刑罰が公正でなければ、人々は安心して体を休めることもできなくなってしまうだろう。だから人格者は、正しい名をもって正しく話すのだ。一度話したら必ず実行せねばならない。慎重に言葉を選び、軽々しい口を利いてはならんのだ。」
とおっしゃいました。

(訳はこちらのブログから引用しました。http://blog.mage8.com/rongo-13-03
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これって有名な孔子の言葉ですが、かなりの名言だと思うんですよね。

検索したらこの変なタイトルのブログが出てきちゃったのはご愛嬌。
(ブログ主さんスミマセン<(_ _)>記事はすばらしかったです。)


これは、孔子が、弟子の子路に、

『政治をなさるとしたら、先生はまず何をなさいますか?』
って聞かれたときに答えた、『まず名の秩序を正すつもりだ。』にあたる部分です。

『きっと名目を正しく定義するだろう。』って訳もあります。



これを私なりに解釈すると、

『ものの名前や言葉を正しく定義して使うようにする』ってことだと思います。


いろんな分野で、ものの名前ってのはいちいち説明してたら長ったらしくなって

ややこしくなるので、それを簡略化するために使われます。



たとえば、『信号機』という言葉を正確に定義するとすると、wikipediaでは、

信号機(しんごうき、英語:signal、traffic signal、traffic light)とは、鉄道や道路に
おける交通の安全の確保、若しくは交通の流れを円滑にするために、進行許可・停止指示
などの信号を示す装置である。

ってなってますが、道を聞かれて説明するときに、いちいち

『あそこの、「鉄道や道路における交通の安全の確保、若しくは交通の流れを円滑にするために、
進行許可・停止指示などの信号を示す装置」を右に曲がって・・・』

なんて言ってたら時間がかかってしようがないので、

『あそこの信号を右に曲がって・・・』とやれば、すごく説明がスピーディになるわけです。

このように、いろんなものに名前を付けて簡略化することで、分かりやすさも、思考のスピードも

早くなるし、高度で複雑な思考も可能になってくる、というメリットがあります。

しかし、この『名前を付ける』という行為には、大きな欠点もあります。

きちんと定義づけをしないで名前を付けたり、定義をまちがってしまった結果、思考停止したり、思考全体が狂ってしまうリスクがあることです。

典型的なのが、いわゆる「レッテル貼り」。

ネトウヨ認定やブサヨ認定はその典型でしょう。しかしそれだけじゃないです。

現代社会のいろんなところに名前の定義づけをおろそかにすることによる思考停止の

罠があります。


例えばですよ・・・・今の政治で言えば、

『集団的自衛権を容認したら戦争できる国になる!』ってレトリックを使う人たちに対して、

『戦争できる国って何ですか?』って聞いたら答えられなかったりします。

現実には、厳密に言えば今の日本だって、たとえば尖閣に中国軍が上陸したら、個別自衛権は

あるのだから、応戦の結果戦争になる可能性はありますので、日本は元から戦争ができる国です。


この場合は、『戦争のできる国』に対して、『必ずや名を正さんか』が出来ていないわけです。

だから、レトリックに踊らされて思考停止し、事実でないことを事実と思い込んでしまう。

その結果、行動も正しい行動がとれなくなるし、色々混乱が起こってくるわけです。


そういう時こそ、『必ずや名を正さんか』。



自分の思考に矛盾がないか、をチェックするためには、『必ずや名を正さんか』

が出来ているかな、をチェックすればいいのではないか、と思うんです。


自分の使ってる単語や名前が、人に聞かれたときに『こういう意味ですよ』って説明できるかどうか。そしてそれが正しい意味であるのかどうか。



考えてみれば、現代人にもとても応用が効きますよね。

孔子ってすごいな。


右も左もレッテル貼りだらけで、思考停止しがちな現代にこそ有用な名言である

ような気がします。



現代の中国共産党政府にもこれを学んでいただいて、名を正して欲しいものです。


釣魚台なんて名前勝手につけるのは名を正してるとは言わんだろ。