豪州では1974年に壊滅的な被害を与えたサイクロン・トレイシーから50周年に当たり、ダーウィンでは式典やイベントなどが催されます。台風王国の日本にとって慣れっこですが、南半球で大きな被害が出る事は珍しく、又クリスマスの夜だったこともあり、多くの人の心に刻まれた悲劇でした。
66名の方が亡くなりましたが、その中には日本人もいたのです。当時ダーウィンはオーストラリアの水産物輸出の拠点で、多くの日系企業が船を持ちビジネスを行っており、日本水産の吉田幸治氏と、極洋の小笠原茂治氏が亡くなりました。首席駐在員だった吉田氏は船を守るために沖に出て亡くなったと遺族の方から聞いており、船長だった小笠原氏も同様だったのだろうと思われます。
市役所にある碑銘にはお二人のお名前がありますが、遺族がダーウィンを訪れたことは無いようです。
連絡を取っている吉田家の方は、父親の最期の地を訪れたいとおっしゃり(当時は町は壊滅騒乱状態、取るものもとりあえず帰国)、50周年記念は良いダーウィン再訪の機会ですし、私も現地の人間としてお手伝い出来ないかと日本水産や極洋、日本の外務省に連絡をするものの無反応、又は無関心で、酷く気落ちしておりました。
しかしそんな中に一条の光が!吉田幸治さんのご家族が、父親が亡くなったダーウィンを50年も訪れていないなんて気の毒だ、と同じくサイクロントレイシーを経験したオージー女性が協力してくれることになりました。当時吉田悦子さんは12歳、可愛らしい女の子でした。
悦子さんん達の為に、私の友人のリンディさんが色々奔走してくれ、なんと豪州アルバニージー首相と面会する機会があった際に、当時日本人も亡くなったことや、その家族がダーウィンを訪れていないことなどを伝えると、首相も大変同情し、何とかオーストラリアに来てもらえるよう手配できないかと、なんとダーウィン選出の国会議員に話を通じて下さると言う経緯がありました。
しかしこれ大変ありがたい申し出ではあるものの、豪州全土、又世界各地に散らばったサバイバーや遺族が居る中で、この日本人家族だけ特別扱いしてしまえば、国会議員の地位が危うくなるのでは、と恐縮し、おろおろとしている所です。
と言うのも豪州は日本と違い「自国民ファースト」ですから批判される可能性有。にも関わらず手配の申し出をしてくれた豪州政治家たちの寛容さに感動すると共に、日本政府の日本人への冷たさにはいつも悲しくなりますよ。
左側がゴスリン議員、元軍人でとても頼もしいですが、心優しい方です。
さてサイクロン・トレイシーに話を戻しますが、亡くなったお二人は、私の様な自発的移民とは違い、会社の命令で出向した駐在員。食糧自給率の低い日本の為に海外で奔走し、命を落とした人たちですから、感謝の気持ちを持って弔いたいと思っております。
聞くところによると、日本政府は「海外在住者の孤独感」を調査し、NPOを作るらしいですがそんなことより、海外在住者を見捨てるのをやめるのが先ですよ! それから、遠く日本に住んでいる事情が分からない人が相談に乗ってくれても余り力にはならないですから、必要なのは在外邦人の助け合いネットワークを作る事が大事なのではと思っています。それには過去に亡くなった方々のお世話も入るはず!という事で、50年前にダーウィンで亡くなった小笠原茂盛氏(英語表記はODAWARAなので小田原茂盛の可能性も)のご遺族を探しています。それから日本水産と極洋と日本政府にはぜひともバックアップをお願いいたしたく、どうぞよろしくお願いします。
日系企業にお勤めの駐在員さん、水産業界の方々、是非ご協力お願いいたします。