
























夜の世界に見切りを付けて
ハワイに留学するまでのお話を
書いています
以前のものはザックリ書いたので
詳細を足しながらの再投稿です
ホステスを20年間してきた私が
37歳の時にすべてを手放し
ハワイに留学したお話
いつも読んでくださり
ありがとうございます
気軽にコメントくださいね
それまでの流れや方向性が
大きく変わる
ターニングポイントって
あるじゃない?
私の人生の
ターニングポイントは
水商売に足を踏み入れた
17歳
元彼と別れた、26歳
渡米をした37歳
娘を出産した、43歳
そして、まだまだ
やりたいことが盛り沢山なので
きっとこの先にも
ターニングポイントが
幾度か、来ると思ってる。
みんなさんは、現在までで
何回くらい
ターニングポイントを
経験してる?
今日は、この続きで
元彼のお話にまります
私が26歳の時に別れた元彼
雇われママの時
お客さんとして、店に来た人で
年は、私の6つ上(仮名 直樹)
私は、21~22歳だった。
最初は、彼の存在を
意識したことはなく
でもある夜、彼が私のことを
気に入ってくれていることを知り
それからは、彼が毎晩
お店に通うようになった。
仕事でどうしても
お店に来れない夜は
彼の友達とか、後輩が
彼に頼まれて
ケーキなどのスイーツやら
店が終わったあとに
私が食べれるようにと
私の好きなデパ地下のサラダとか
サンドイッチなどを届けてくれて。
だからと言って、彼は
めちゃくちゃ口説いてくるとか
そんな感じでは、全然なくて。
毎日来店するようになってから
1ヶ月経ったくらいかな。
聞かれたので
携帯の番号を教えたの。
それからは、日中に
彼が仕事の合間、移動中とかに
電話をかけてくるんだけど
起きてた? とか
聞いてくるくらいで
じゃ、また電話する
と、それで会話は終わりで
1~2分で切る。
この人、なんなんだろ?
こんな短い電話を
かけてくる必要があるの?
って、不思議に思ってたけど
3ヶ月くらい経つと
でさ? 俺たち
いつデートする?
と、そんな事を
言ってくるようになった。
私は、当時
雇われママのポジションで
必死で、沢山のお客さんの
接待をしていたので
彼もお客さんの1人だし
信用して良いのかもわからないし
デートってなに?
食事ってことかな?
ま、いっか....
って、そんな感じで
特に気にすることもなく。
そんなある日
私より1つ年下で
募集で入ってきた女の子がいてね
(以後リコちゃん)
リコちゃんと彼は、同じ地元で
彼はリコちゃんの先輩。
彼がうちの店に
飲みに来るようになったのは
後輩のリコちゃんが
うちで働き始めたから。
そのリコちゃんが
私にそっと教えてくれたの
ママに言ったら
ただじゃおかないって
言われてるから
絶対に言わないで
欲しいんだけど。
直樹先輩が(仮名)、リコに
何度も電話をしてきて
俺は、どうすればいいんだよ?
って、毎日、毎日、すごいの
最近、直樹先輩が
ママによく電話してると
思うんだけど...
なんか、ママに電話をかけても
なんか、言いだせなくて
ご飯に誘えないんだって。
え~、そうなの?
全然、そういうタイプに
見えないけど....
だから、リコからママを誘って
食事にお前も一緒に来いよ
って、頼まれてて....
自分で誘ってよ....
って何度も言ったんだけどね
あ、3人で行くんじゃなくて
直樹先輩が後輩を連れてくるから
4人でお寿司を食べに行こうって。
ママ、行くのやだ?
ママってお酒が飲めないし
ママみたいなタイプの女の人が
直樹先輩には
初めてらしくて...
どう扱っていいのか
わからないんだって~
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ホステスを20年間してきた私が
37歳の時にすべてを手放し
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俺を一番にチヤホヤしろよ系の
店は自分のハーレム空間と
勘違いしている社長から独立して
外国人もOKでファンキーな
新しいスタイルのお店に変えて
再スタートをした、私。
私のお店は、今で言う所の
ガールズバーのような雰囲気で
女の子がいて
接客をするのが主なんだけれども
カジュアルに
低料金で飲みたい人は
女の子が席に付くのを断れるし
女の子に沢山付いてもらって
接待されながら
飲むことも出来る。
働いてくれてる女の子たちも
Theホステスって感じの
スーツやドレスではなく
あの頃のファッション雑誌の
Vivi とか キャンキャンとかで
流行っていたような服装とか
安室やHITOMIの小室ファミリー
浜崎あゆみなんかも
ブームだったので
当時のギャルっぽい感じの
ホステスって感じでした。
なので
社長が経営していた頃よりも
客層も若くなり
ノリの良い人が集い
それがうるさいと感じる
俺様オジーたちは
少なくなっていったので
毎日の営業が
本当に楽しかったです
そんな日々を送っていた
26歳になった年
5年間、同棲していた彼氏との
終わりが来ました。
これから
元彼とのことを
少しだけ話したいなって
思っているんだけど.....
彼との別れのあと
私は、長い間、心が疼き.....
得体の知れない気持ちに
戸惑い、苦しみ続けます....
同時に哲学的思考に入り
なぜ、人は誰かを
好きになるのか?
愛する、愛されるとは?
人を好きって気持ちとは
なんなのか?
私はなにを求めているのか?
私は、どこを目指して
生きているのか?
これらの答えを
自分自身で
見つけることが出来たときは
7年くらい経ってたと思う。
でも、その後も、何年間も
誰かにトキメいても
めちゃくちゃ強いブレーキで
相手に心を許すことをせず
自分の心が相手に動いていても
それを1mmも見せずに
恋愛に発展する前に
相手から逃げることを繰り返しました。
私は、26歳の時に終わった
元彼を最後に
誰とも男女関係にならず
寂しいと思うことも
男性を求めることもなく...
気がつくと
13年もの長い間
独りで
自分の心の声と
向き合い続けていました。
(13年間、誰とも
関係を持ちませんでした)
ちょっと、前置きが
長くなってしまったので
元彼との出会いのお話は
次回に書かせてください~
興味がある方は
読んでくれると嬉しいです
ちなみに....
あの彼との終わりがあっての
13年後
ホステスを辞めて
第二の人生を歩き始めた
新しい私が
心の底からトキメいて
迷うことなく選んだ相手
それが、ハワイで出会った
韓国人旦那です。
読んでくれてありがとう
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ハワイに留学するまでのお話を
書いています
以前のものはザックリ書いたので
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ホステスを20年間してきた私が
37歳の時にすべてを手放し
ハワイに留学したお話
いつも読んでくださり
ありがとうございます
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何の話?という方は
こちらから、読んでみてください
25歳でオーナーママに
なった、私。
店を買い取った金額の
具体的な数字は伏せるけど
ざっくり言うと
数百万円ほど
社長は、私を
ママとして雇っている4年間
偽造の経費項目を設けて
自分の利益にしていたんだけど。
(その話は、こちら)
今までで、社長がどれほどの
金額を儲けているのか
内装工事費や諸費用など
もろもろの経費を差し引いて
ざっと計算してみたけど
すでにそれらの資金は
十分に回収済みであることは
明らかで 。
そして
私に店を譲ることになり
彼から提示された金額を見て
それでもまだ
利益を得たいんだね…
って、思ったけど....
でも
彼のもとで雇われて働くことは
これ以上、真っ平御免だったし
その提示された金額に対して
ふぅ~ んって思う気持ちも
あったけど
現金一括でお支払いしといたわ
(バイバイ社長~ )
もちろん、今後、彼を
うちの店のお客様にして
ガッツリと回収しようと
目論んでいたのもあるけどね。
以前に書いたお話の
親友のチヒロ
私の店になった後
チヒロが、手伝いに来てくれた時
彼女を見た社長は
本当に凄かったよ
こんな美人、見た事ねぇよ
なんで俺の店の時に
紹介しなかったんだよ
と、めちゃくちゃ
文句を言ってきて
( 謎の苦情よ、やめてね)
社長は、チヒロの顔を
マジマジと見つめては
うわ~ 俺が会った中で
1番の美女だな~
チヒロが
他のお客さんの席にいても
そこに追いかけて行って
この子は、もう予約済だぞ
絶対に手を出すなよ
(自分より下に見ている相手に)
すいません、この物件は
もう売却済なんで~
もう、僕たち愛し合ってますんで
(偉そうに出来ない相手に対して)
マジで営業妨害っ
って感じだったから
社長には
それ相当の料金を請求すると
なんで、俺だけ
こんなに
高いんだよ
って、また怒るってくるので
そこで、毎回チヒロが
チヒロとの時間が嫌だった?
社長には
安すぎる金額じゃない?
とか言ってくれるので
渋々、私に支払ってくれて
で、チヒロにもお小遣いを
握らせていく~
みたいな感じだった。
店を買い取った後は
どうしたかというと
キリの良い月末まで
社長の店として営業をして
その時で、社長の
唾の付いた3~4名のオナゴ達は
辞めて行き~(バイバイ)
静香ちゃんや
募集で来た女の子達には
オーナーチェンジなので
時給も変わるかもしれないし
どこまで店を保てるかは
わからないけど
残ってくれるのであれば
是非、一緒に働きたいと伝えると
有難いことに
みな、残ってくれました。
確か、1ヶ月間くらい
新たな開店の準備で店を閉めて
各種書類の名義変更
お店の名前を新しくして
看板や備品、酒屋の新契約
3日間のレセプションの招待状
お客さんに配る
記念品のTシャツを作ったり
社長のお店の時は
The 水商売
ホステス
っていうスタイルだったけど
もう、ワガママ
俺様気質
チヤホヤされたがりのオッサンが
くるような店は嫌だったから
楽しみたい人達が
集う場所
という、お店にしたくて
私は、外国人用の価格も用意して
異国の人も入店可にしたの
女の子の服装も
個性を生かし、オシャレに
カッコよく着こなせていれば
革パン、デニム、ブーツもOK
私の店がオープンした2~3年後に
コヨーテ・アグリーという
アメリカの映画が出てね
そして、この翌年
26歳の時に
5年間、同棲していた彼との
終わりが来ます。
彼との別れをきっかけに
私は長い間
哲学的な思考の
迷路に落ちていきました。
なので、次は元彼の
お話になると思います。
読んでくれてありがとう
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ハワイに留学するまでのお話を
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以前のものはザックリ書いたので
詳細を足しながらの再投稿です
ホステスを20年間してきた私が
37歳の時にすべてを手放し
ハワイに留学したお話
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何の話?という方は
こちらから、読んでみてください
随分と時間はかかったものの
クズ旦那と揉めることなく
離婚をすることが出来て
母子生活を始めた静香ちゃん。
前回のお話の続きです
声も小さく物静か
言葉を慎重に選ぶ
思考型の彼女なので
ホステスとして3年以上も
働いているのに
やはり口下手は健在だし
盛り上げる会話や
受け答えが出来ない....
それが静香ちゃんの
悩みでもあったんだけど。
でも、一生懸命
心のこもった会話を心がけ
丁寧な接客をしてきた彼女には
3人のお客さんがいてね
彼らは静香ちゃんに
携帯電話を買ってくれたり
引っ越し祝いとして家電を
プレゼントしてくれたんだけど
こんなものを頂いてしまったら
後に彼らと付き合わなければ
ならないのか....
その先の関係性が怖い....
と、プレゼント(実用品)を
買ってもらうだけでも
めちゃくちゃ時間がかかってね
その度、お客さんと静香ちゃんと
私が同行して、買い物に行く
ってスタイルだった。
(彼らは静香ちゃんと2人っきりで
出かけたいだろーに。
おじゃま虫な僕 )
そんな感じで
静香ちゃんは離婚後も
苦手意識を抱きながらも
週3でお店に出勤し
昼のお弁当屋さんの
パートを続けながら
あゆちゃんと必死で
頑張ってたんだけど.....
ある日の夜
オーナー社長が
ホステスとして雇われている子
(昔オーナーと関係のあった) と
これから食事をしてくるとやらで
随分と早い時間に店に来て
(まだオープン前)
あゆちゃんを連れて出勤してきた
静香ちゃんと鉢合わせたの。
オーナー社長は
前にも3回くらい
あゆちゃんに会ったことが
あるんだけど
その日は
あゆちゃんを見つけると
わざわざあゆちゃんの顔を
覗き込むのように近ずいて行って
しっかし
ほんと~に
ブスな顔してんな~
こんなブス
滅多にいないぞ~
この顔じゃ
一生、男が
出来ないだろ~
本当、可哀想なくらい
酷い顔してるなっ
わははははっ
そう言って、あゆちゃんに
2千円を渡していて....
もうね、それを聞いた時
開いた口が
塞がらないと言うか....
子供に面と向かって
ありえない酷い言葉を
他人様の子に
母親の静香ちゃんだって
すぐ横にいるのに
しかも、笑いながら
てか、社長はまだ飲んでない
素面でそんな酷い言葉を
こいつ、どんだけ
心が腐ってんだよ
あゆちゃんを目の前にして
笑い飛ばしたんだから
2万円でも足りないくらいなのに
小遣いが、2千円って....
(どんだけセコビッチなん?)
いや... もうマジで....
この人... 最低....
と、このとき私は
心の底から呆れて....
そして不思議なことに
この出来事と
後に彼が
税務署の調査を受けて
追徴課税を
支払うことになった時期が
まるで、すべては必然だったと
思えるくらいに重なり
私が25歳の時
社長から店を買い取ることに
なりました