なんのこっちゃホイ! -8ページ目

なんのこっちゃホイ!

世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

太陽の内部で水素がヘリウムに変わるスピードが加速していることに天文学者が気づいた。これはいわば太陽の老化であり、いずれ太陽は膨張し白色恒星となり、300年後には膨張した太陽によって太陽系が消滅するというショッキングが予測が成立し、人類は選択を迫られる。

1.脳内の記録(記憶)の全てをデータにして、AIとして肉体的には消滅しても、仮想的に生存を確立する。

2.地球を移動させ、太陽系から離脱する。

喧々ガクガクの議論の末に人類は、地球を移動させる案を採択する。世界の様々な場所に1万機のロケットエンジンを設置して、地球の軌道を外し、太陽系の外に出るという「移山計画」が中国中心に国連で始まる。まず邪魔な月を追放せねばならない。残された時間は300年。宇宙ステーションまでのエレベーターを作り、そこから月へと資材を運び、ここにもロケットエンジンを取り付け地球の軌道から外そうと計画する。しかし、却下されたプラン1を支援する者達の攻撃により思わぬ事態が起こり、このままで36時間で月が地球に落下する。それを阻止するためには、月面に月の核までとどくような4000機の核爆弾を設置して月を破壊、同時に地球のエンジンも吹かして、軌道を脱出するという、荒唐無稽なお話。

 

原作は、劉慈欣。言うまでも無く「三体」の作者で、これも荒唐無稽な話ではあったが、背景にある理論がしっかりしているので、すっかり虜にされてしまった。この作者にして、これか!?という映画。ところが、漢字ばかりのエンドロールをみていると、どうやら劉慈欣自身もこの映画の制作に関わったようなので、原作者のお墨付きということなんだな。

 

VFXのレベルは非常に高いと思う。この映画を63億円で作ったのは、ゴジラ-1.0の22億円から見ても、頑張った方だ。

残念なのは、VFX以外の部分の構成や演出が少々雑なことかな。特殊撮影やCGのせいで、画面は非常に賑やかで、音響も響き渡るのだが、一体なんでそんなに騒いでいるのかが、ついていけない。中国語の音のせいか、中国語以外はロシア語のせいか、あるいは字幕翻訳か。僕は脚本や構成だと思う。早口の中国語でわぁーわぁー話しを進めるのでは無く、しっかり大切なところは押さえてほしい。

例えば、まず、なぜ地球を移動させよういう荒唐無稽な結論になったのか。なぜ、人々はそれが可能だと思ったのか。移動させれば自転が止まるような気がするが、その場合どんな事が起こって、どう対処するのか。少なくともこういう部分の背景はしっかりと描いてほしい。その上で、月で間違いが起こり、地球は300年も経たずに危機に直面し、可能な限りのエンジンを使って移山計画を実行に移すという決断にいたる理論と納得。世界中の核ミサイルを月の海に並べて一斉に起爆しようと言うときに、各国の起爆コードが暗号化されていてそれが解読できずに、解読までに700時間以上かかるとか、ありえない。みんな納得で核を提供したんだから、爆破コードも提供するでしょ、普通。

このあたりは劉慈欣の原作にはないので、映画の制作陣の追加だと思うが、お粗末に過ぎる。

VFXに力がはいりすぎ、どうだ、どうだ、これでもか!と派手なシーンを連続してくるが、それだけじゃアカデミー賞には届かない。

 

登場人物が、中国人中心であるのはまあ、仕方ないとして、友好的な立場の外国人はロシア語を喋る。中ロ関係の表れか。英語を喋るアメリカ人と思われる人たちは、みんな無礼な暴れ者で知性のかけらもなくわめき回るという、中米関係を如実にあらわしたキャスティングは笑える。しかも、全部のアメリカ人の英語が上手くないので、英語の台詞もどうやらMade in Chinaなんだろうな。

月の破片が流星になって流れ落ちてくる。被害に遭う都市は、ニューヨーク、パリ。それ以外は聞いたこともないような都市が写る。どこ、それ?もう少し、西側のセンスもつかんでやってもらわないと、分からないよ。緊迫感が。

 

実は2019年に「流転の地球」は映画化されていて、NETFLIXで公開されていた。最近をそれをみて、この映画にたどり着いたってわけ。

NETFLIX版は、この映画の後を描いている。首尾良く月の墜落を免れて、太陽の引力でスイングバイして速度をあげ、次に木星の引力を使ってさらに加速し、2500年をかけてプロキシマ・ケンタイリ星雲までの4.3光年を旅する予定だったが、途中の木星で引力に引き寄せられ、地球は大ピンチを迎えるというもの。だから、この映画は2と言われているが、実は1の前を描いている。スターウォーズみたいにややこしい。

 

中国のVFX技術に興味がある方は、絶対におすすめします。

 

You Tuberの所に持ち込まれた、この家の間取りには、違和感がある。まず、1Fの台所とリビングの間にある、壁で囲まれ入口のない空間。2Fには中央に、四方を壁に囲まれて、窓もなく、二重扉になっている子供部屋。子供部屋?普通、子供部屋は、窓を作って風通りもよく日当たりもいい、そういう環境の部屋をつくるはず。この子供部屋は、まるで監禁部屋のようだ。周囲からは絶対に見えず、中からは出ることができない。ここに誰を監禁していたのか。さらに1Fと2Fの間取りを重ねてみると、1F例の空間が、2F子供部屋とシャワー室の真上に重なる。これは一体、何を意図してデザインされた間取りなのか。この家について知っているという投稿があり、訪ねてきた音あは、さらに同じような不思議な家が、埼玉にもう一軒あると告げる。持ち主が同じだと分かった時、この謎の家とそれにまつわる一族の、驚くべき真実が浮かび上がる。

 

原作を読んでいたので、謎は知っていた。

原作小説は、雨穴というWebライターが書いたもので、小説というよりは、脚本のような構成になっている不思議な本だ。原作では、淡々と謎解きが進められ、「こういうことだったんじゃ、ないの?」という推測から徐々に真相が明らかになっていくが、実際に現場に出て行って謎を暴くということはない。

映像化するなら、まぁこれしかないかと思うが、サスペリア的怖さというか、そっちが前面に出てしまったの残念。やっぱり作者は、謎解きがしたかったのであって、恐怖を体感したかったわけではあるまい。

 

佐藤二朗が出ていると知った時点で予測はしていたが、案の定の佐藤二朗演技。これは頂けない。はっきり言って臭い。役者なら役を演じて欲しい。自分のキャラを役に押し込んでほしくなく。これは、ムロツヨシにも言えるし、キムタクにも言える。佐藤二朗の芝居は、はっきり言って臭い。残念!!!

 

沖縄の山中、老夫婦が義理の息子に促されながら山道を登っている。

「もう少しですから」

「どうしても、主人が私にプロポーズした場所で写真を撮りたいって言って」

着いたのは、海を一望できる崖の上。

写真を撮ろうと崖のそばで海を背にポーズを取る老夫婦。

突然、義理の息子はカメラを置き、老主人を崖から突き落とす。

さらに驚く老妻も、突き落とす。

 

13歳の男女3人。

それぞれに家庭の問題を抱えている3人が、少女の写真を撮ろうと海へ来ている。

「死んだお父さんが言ったの。私の成長する写真を撮って燃やすと、天国のお父さんに届くんだって」

二人の少年は少女にポーズをつける。

「じゃ、撮るよ!チーズ!あれ?ごめん、動画だったわ!」

爆笑する三人。

撮れた動画を見ていた一人が気づく。

「なぁ、何か落ちたよ。ほら!これ。人じゃない?それも二人」

偶然に映り込んだ動画をPCで拡大した三人は、これは事故ではなく、殺人だと気づく。

 

墜落死したのは、地元で大手の企業グループのトップ夫婦。

突き落としたのはその娘婿。

そのニュースをTVで観た少年達は、

「なぁ、これって金になるんじゃない?」

そして三人は、突き落とした娘婿を訪ねていき、こう切り出した。

「一人2000万円、合計6000万円、払ってくれますよね」

 

脅される大人と脅す子供達。

遺産を狙う娘婿、家庭に問題を抱え、13歳なら何をやっても罪にならないと信じる子供達。

 

しかし、ここからお話は急回転してく。

 

警察に届け出るより先に、金になると考え行動に移す子供達が怖い。

中に一人、猛烈に頭のいいのが一人混じっていると、ますますその行動は恐怖を共って動く。

脅されている者が脅し、脅しているものが脅される。

完全犯罪をもくろんだのは、本当は誰なのか。

そんな大人と子供の終着点は!

衝撃のラストと「ゴールドボーイ2」というエンドロール。

刑事と対峙する、頭のいい少年の物語が、まだ続くのか。

 

 

 

 

アメリカの典型的なドタバタ喜劇である。

スパイを主人公にした小説を書いている人気作家のエリーは、実家へ帰省する列車の中で、不思議な男と出会う。彼は、自分はスパイであると彼女に告げる。その時、別の席から立ち上がった男が、サインを求めてエリーの席へ来る。その男の持つペン先にはするどい針がついている。突如、スパイと名乗る男が、エリーを守るべく男と戦い、さらに襲い来る男の仲間が次々に襲ってくる。まんまと列車から脱出したエリーとスパイの男は、ロンドンへ飛び立つ。

 

別に真剣にスパイ同士の戦いを描いているわけでもなく、ロマンスを描いているでもなく、なんかみんながバタバタと騒いでいる。途中で意識を失ったので、ひょっとすると何か大事なシーンを見逃したかもしれないのだが、そのままバタバタと終わった感じ。

 

今年はスタートから大した作品の公開もなく、あまり劇場で見たい作品がないなか、しばしの暗闇一人きりでの憂さばらしのために、つまらない映画を観ている。

 

ナチョスという食い物の匂いには辟易とする。

なんであんな臭いものを売るのか、また買うのか。

コンセッションから排除したい www

ムロツヨシの、

ムロツヨシによる、

ムロツヨシのための映画だった。

 

なんか、ストーリーとか説明するのが面倒くさい。

面白くないことはないので、クスリと笑いたい人、ムロツヨシ的なギャグが嫌いでない人は、

鑑賞をすすめます。

 

 

恋愛にオクテなブライダル会社に勤める輪花(土屋太鳳)は、親友の半ば強引な進めで、

マッチングサイトWILLWILLに登録する。

アプリでマッチングした相手は吐夢(佐久間大介)。

デートに進んだ輪花の前に現れたのは、プロフィールとは全くイメージの異なる、暗い男だった。

それから、吐夢はストーカーと化して、輪花に再開を迫る。

困った輪花は、マッチングアプリ開発エンジニアにこのことを相談。

彼は、考えがあるとほのめかして、いつしか輪花といい仲になっていく。しかし吐夢のメールは続く。

 

この頃、連続殺人事件が発生する。被害者は新婚夫婦ばかり。

顔にX印を付けられ、思い思いの新婚ポーズで残忍に殺害されている。

さらに共通点として、すべてマッチングアプリWILLWILLを通じて結婚した二人ばかりだった。

そして、輪花のブライダル会社がアレンジし、輪花が担当したカップルまで殺害される。

 

輪花の母親は、輪花が子供の頃に家を出てしまった。

最後のシーンを彼女はしっかりと覚えている。

幼稚園の園庭。母の背中に「お母さん!」と呼びかけても、振り返ることなく立ち去った母の背中。

輪花の父には、不倫相手の女性がいた。

その女性と母の失踪は、関係があるのではないかと輪花は薄々感づいていた。

その父も、何者かによって殺害され、橋から吊るされていた。

 

ここからストーリーは一気に動き始める。

真犯人を求めて。

 

前半は少々退屈で冗長な進行だが、後半にかけてスピードアップしていく。

色々なイベント、謎。回収される伏線。

なのになぜか、薄っぺらいのはなぜだろうか。

 

土屋太鳳の叫ぶ演技が、すばらしい!

 

 

 

 

 

先日、機会があって某国会議員秘書の方と酒を飲む機会があった。

自然と話題は、今世間を賑わせている、国会議員の金の問題になる。

領収証を必要としない様々なお金の中で、文書通信交通費というのは、どのような使われ方をしているのだろいう。そんなにしょっちゅう、出張したり、文書を送ったり、通信しているのだろうか。

 

秘書の中には、銀座、六本木、赤坂等のクラブ遊びが大好きなのもいて、誰と行ったかもわからないが、月に60万くらいのつけを回してくるものもいる。しかし、この秘書は、パーティー券などを300万円くらい売り上げてくるから、議員としても、クラブ遊びには目をつぶっているらしい。

 

一般の企業であれば、損得考えたらこの考え方は、ある程度受け入れられる。しかし、元々秘書が使った金は「税金」である。パーティー券の収入は、民間からの寄付なりで、いづれにせよ、税金が払われた金である。

税金60万を使って、納税済みの金を300万手に入れる。これって、体の良いロンダリングではないか。しかも、今もめているように、この300万にも、記載さえすれば税金はかからないと言っているわけだ。

 

なんだか、やくざのしのぎみたいな話だなぁと、顎をなでながら聞いていたんだ。

 

米ソが宇宙開発を競い合っていた1960年代、NASAの技術者は、無重力の宇宙ではボールペンは使えないことを発見したと発表した。そこで、NASAの依頼を受けてフィッシャー社は、当時の価値で100万ドル(3億6千万円)の開発費をかけて、無重力でも使えるペンを開発。これに「スペースペン」という名前をつけて、NASAに売り込んだ。

こうしてNASAは、宇宙空間での記録作成において、ソ連を一歩抜きん出たと考え、歓声を上げた。だが、ソ連は、自国の宇宙船では、鉛筆を使ったそうだ。

 

有名なジョークである。

実際、NASAも鉛筆を使っていたが、折れた鉛筆の芯や、書くときに拡散する鉛筆の粒子等が船内を漂い、精密機器に悪影響を与えると懸念して、スペースペンを導入したそうだ。

 

その後、スペインの宇宙飛行士が、無重力状態で普通のボールペンを使ってみたら、普通に使えた。NASAは理論におぼれ、実際に使ったことがなかったので、宇宙空間でも普通にボールペンが使えることを知らなかったとか。

 

こっちのオチの方が、面白い。

 

 

 

 

 坂本龍馬は、司馬遼太郎が描いた小説「竜馬が行く」で、一躍幕末のスターとなり、多くの国民に慕われ、

尊敬されている。しかし、それは小説の中の話で、実は坂本龍馬が考案したとされる「船中八策」は

記録として存在もしないし、それが明治憲法の素案になったという記録もない。

つまり、作中の坂本龍馬はあくまで物語の主人公であり、実際の姿とはかなり違うと主張する。

大政奉還自体も、実は坂本龍馬は直接的には絡んでいない。その頃、史実(記録)によると、坂本龍馬は長崎にいて、

江戸にはいなかったとか。

 

 吉田松陰は、百姓、漁師の子供など、身分をはばからず松下村塾に入学させ、人材を育てたと「世に棲む日々」の

中で述べられているが、実は、そのような子どもたちは3人しかいず、その他100名近くの門人は、すべて武士の

子でもであった。作者によれば、吉田松陰はただのテロリストなのに、司馬遼太郎が持ち上げたばかりに、立派な

悲劇の大学者となってしまったという。

 

 作者もこの点は認めているが、司馬遼太郎は作家であって、歴史の研究者ではない。

故に、面白い小説を書こうと努力する人であり、その点において、司馬遼太郎は成功している。

作者没後にこんな方法で非難じみた言葉を投げる必要があるのだろうか。

むしろ筆者も含めて歴史学者と呼ばれる人たちの筆が、司馬遼太郎を追い抜けなかった。

あるいは、史実だけをつらつらと書き連ねてみても、何にも楽しくはないのである。

自らを恥じるべきは、歴史学者達ではなかったか。

 

 

 

 

 

 

湯河原の「飯田商店」プロデュースの「ラーメン翔太」が1月8日に閉店した。

開店当時には、広い駐車場は満杯、行列ができていたが、1週間程で、水が引くように客が引いた。

確かにうまいのだろうが、醤油ラーメン¥1,390という強気の値段は、ラーメン銀座の鶴間エリアでは、群を抜いて高級ラーメンだし、「飯田商店」のブランドに、これほどの値段を払って、常連になる人はそうはいまい。

最初はブランドに引かれて大勢が押しかけ、¥1,390のラーメンを食べるだろうが、「また来よう」とは思うまい。

月1くらいなら・・・

それが庶民の感覚だ。

 

僕の住む街中央林間にも、多くのラーメン屋ができており、それぞれに個性を誇っているが、やはり浮き沈みは激しく、開店しては閉店を繰り返しているようだ。

店主と話すと口を揃えていうのは、「ラーメン屋は常連客が命。特に小さな街では、ふらっと立ち寄る「フリの客」を狙ってはいけない。奇をてらったラーメンは一時のもの。客に常習性をもたせるためには、オーソドックスだが個性が光る。そしてリーズナブルでアフォーダブルな価格。あとはトッピングで単価を上げていくのがいい」

 

どれにも当てはまらなかったら、やっぱり潰れた。