なんのこっちゃホイ! -14ページ目

なんのこっちゃホイ!

世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

韓国映画のリメイクらい。大雨の中、車を飛ばす男が一人。電話の向こうは奥さんで、彼の母親がもう死にそうだと言う。「今、病院に向かっているよ」と答える彼に、別の電話。彼の上司からで、所轄署の裏金について監察の調査が入るから、すぐに署に戻れと言う。彼はどうやら刑事のようだ。またしても奥さんからの電話。今、母親が亡くなったと。その時、車の前を横切る若い女。なんとか彼女をかわしたものの、次の若者は間に合わず、挽いてしまう。偶然向こうの通りをパトカーが走る。彼はあわてて、死体をトランクに隠す。病院へ急がねばならない彼の眼の前には飲酒運転の検問。「俺は刑事だ、仲間だ、急いでいる、見逃してくれ」という彼に、交通係は、トランクを開けろという。そこへ通りかかった一台の車から折りてきたのは、県警監察官の矢崎。母親が死んだから、後で必ず出頭すると告げて、その場を脱出。病院で母親の亡骸と対面、看護婦は死体は安置できないから、葬儀屋を紹介すると言われる。葬儀屋に紹介された葬儀場で、上司から電話。なかなか署に来ない彼を訝って、これからそこへ行くという。もう目の前だという。慌てて彼は、葬儀会場のダクトに死体を隠す。明日は署に行くと告げて、通夜を理由にやり過ごした彼は、外のダクトが遺体安置所に繋がっていることを発見し、外のダクトから死体を引きずり、ダクトを通じて安置所へ。母親の棺の中に死体を隠す。携帯に「お前は人殺しだ。俺は知っている」というメッセージが届く。翌日、監察官と面談。「やくざから金を受け取っていただろう」と聞かれて、渋々認める。しかし監察官は、それはもういいという。それより、お前が轢き殺した男はどこにいると聞く。メセージの送り主は、あの県警の監察官だった。追い詰められて行く工藤は、裏で金をもらっていたヤクザの親分に会いに行く。親分いわく、どうやら彼が轢き殺した若者は尾田といい、あるお寺の金庫番だったらしい。そのお寺は地方の小さな村にあり、そこには政治家が表に出せない金をお布施と称して持ち込み、ロンダリングをしているようだ。その金庫を開けるためには、矢崎の持っているICカードと、若者の指紋認証が必要らしい。矢崎はカードを持っているので、尾田の指紋を欲しさに死体を探しているらしい。「死体はどこにある」と葬式にまでお仕掛けて工藤を脅す矢崎。工藤の娘を人質に取り、死体を持って来いと要求される。しかし死体は母親の棺桶の中。まさに焼かれる直前に、死体を取り返した工藤は、矢崎の元へ。親分からもらった時限爆弾を尾崎の死体に仕掛けて娘を取り返す。その時、爆弾が爆発。矢崎の車は池へと沈んでいく。矢崎からカードを奪っていた工藤は、尾崎の人差し指を切り取り、お寺の金庫へ。無事に解錠に成功し、扉を開けたその向こうには、何千億はあろうかという現金が整然と積み上げられていた。金を奪おうと用意したバッグには、とても入らないと呆然とする工藤の後ろに、死なない男、矢崎が。矢崎と戦い勝利した工藤だったが、ヤクザの親分に金を奪われてしまう。娘を連れて、家路についた工藤だったが、またしても死なない男、矢崎の車が追ってくる。「金さえあれば、何でもできる」そう言いながら、2台の車は遠ざかっていった。

実話かと思っていたら、なんとフィクションだった。

世界的な指揮者となったリディア・ターの栄光と凋落の物語。クラシック音楽界特に、オーケストラという家族的な大競争グループの中には、歓喜、快楽、嫉妬、陥穽が渦巻いている。頂点から落ちる、才能と努力の人の物語だ。少しばかりクラシックについての知識と音楽の知識があれば、より理解しやすいでしょう。面白いけど、長〜〜〜い。150分の映画。最近の映画は、長くなってきているよなぁ。


レナード・バーンシュタインの指導を受け、アメリカの5大オーケストラで指揮者を務めた後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に女性として初めて就任したリディア・ター。天才的能力と類まれなプロデュースのスキルで、その盤石な地位を築いた彼女だった。穏やかではあるが、その傲慢な言葉は、周囲の人間を圧迫する。ベルリン・フィルの団員を家族と呼び、民主的などと言うが、実際には彼女の圧倒的権力の前に、全員は沈黙するよりない。冒頭のインタビューシーンでは、「指揮者は動くメトロノームかと」と問う司会者に「音楽は時間(テンポ)で、指揮者は時間を刻むのだが、その針(指揮棒)が止まれば、時間は止まる(それを支配しているのは自分だ)」と不敵に言う。SNSを嫌い、批評は読まないと言い切る。ジュリアード音楽院での指揮者志望の学生を指導している時、「バッハは嫌いだ。白人優越主義だ」という生徒に対して彼女は、彼を隣に座らせてピアノでバッハを弾く。「バッハの主義ではなく音楽を評価すべきだ」と言い、教室を去ろうとする学生に「ロボットだ」と侮辱する。

山あいの小さな村「霞門村」。そこには典型的な村文化が続く集落と、森を切り開いて建造した「産廃最終処分場」が、村を見下ろすように建っている。処分場は村に雇用をもたらし、村人の多くは処分場での仕事に依存している。中に、片岡優(横浜流星)という若者がいる。彼は、犯罪者の父の咎と、ギャンブル依存の母の借金を背負い、ヤクザに金を返すため、来る日も来る日も処分場でのゴミ分別作業をしている。村人達からは、犯罪者の息子と差別を受け、いじめにあっている。そんな中、片岡の幼馴染の美咲(黒木華)が東京から帰ってくる。彼女も東京でつらい思いをし、傷ついて故郷に帰ってきた。しかし、彼女がまとう「都会の空気」は、村人達には、ある時は新鮮に、ある時はよそ者として映る。彼女は村をもっとプロモートして、観光客を集めようと、ごみ処理施設を見学するツアーを開催する。これをTVに売り込むことで、近代的な設備の処理場を見よう、村の名産を買おうと観光客が増加する。村人は、この観光客を喜び歓迎しながら、どこかで毛嫌いしている。処理場のツアーの担当を、片岡にやらそうと美咲が動き、施設の管理者を説得して、これを実現する。村がどんどん広く知られるようになると、片岡の評判も上がる。「罪人に子供が!」というねたみから、片岡へのいじめは暴力に変化していく。美咲との距離も近づきはじめると、美咲への妬みも強くなり、遂に事件が起こる。村長の息子、大橋透が美咲を襲い、それを救おうとした片岡は反撃にあい袋叩きにされる。見かねた美咲は、透を殺害してしまう。「透が行方不明だ」と捜索を始める村人達。だが、一人の若者がこれを警察に知らせてしまったことから、県警が乗り出してくる。こうなると、もう村だけの問題ではなくなる。そんな時、村長の大橋から呼ばれた片岡に、「産廃場の水質検査で、大幅に基準値を超える結果が出た」と告げられる。なんとか隠さなければ、処分場は閉鎖に追い込まれる。片岡に不正を頼む村長。その片岡が夜間作業としてヤクザにやらされていたのが、不法投棄の埋設作業だった。美咲の弟、恵一は、ある日埋設場のゴミの中に、危険品を知らせるマークのついたゴミを発見する。それは、あちらこちらに散見されるような量だった。恵一はその写真を村長の弟、光吉に見せて相談する。光吉は村長の弟で、10年前に村を出て、今は刑事をしている。不法投棄したゴミの掘り出しを行う警察は、そこに透の遺体を発見する。ここから、村の陰湿な結束は崩れていく。そして誰もいなくなった。エンドロールの後、恵一は、旅行かばんを引きずりながら、村を出ていく場面で終わる。
この映画の中心は、能の「邯鄲」だそうだ。うたかたの夢が「邯鄲」のストーリーらしい。能はこの映画を貫くテーマの一つだ。ドラマの中盤、村祭りに参加する村人達は、全員松明をもち、能面をかぶり、無言で行進する。表情の無い能面をかぶった村人達は、村の封鎖性を象徴するような場面だ。これは村を舞台に描かれるが、実は日本社会全体を見せているのではないか。伝統的な日本文化「和をもって尊しとなす」という自己主張のない、全体圧力と、近代的なテクノロジーが両立している、日本文化。現在の子どもたちは「米国式民主主義」を良しとするような自己主張を重んじる教育がなされているようだから、我々の世代が死ねば、日本の文化も変わるのだろうか。いや、日本人のDNAに刻まれた「沈黙は金」という価値観は、永遠に続くものではないか。考えさせられる映画でした。

映画「シン仮面ライダー」を鑑賞

DVDか、配信でいいや、と思って観に行ってなかったんだけど、無料券があったので、見に行きました。正直に言って、「なんじゃこりゃ~」な作品でした。愛だ、人間だと評論つけるんだろうけど、やっぱり出来が悪いものは悪いでしょ。なんで21世紀になって、こんな品質の映画を見るんだろう。懐古主義?安物みせられて、時計をみて「まだ1時間も見ないと行けないのか」とうんざり。ポップコーンもなくなりウトウト。しまった!市川実日子を見逃したぜ!!

映画「仕掛け人・藤枝梅安2」を鑑賞

京へ上る梅安と彦次郎。ふと立ち止まった川端を、お侍が通る。それを見た彦さんは、表情を変える。「梅安さん、おれのかかぁと子供の仇だよ」と、ここで藤枝梅安1が終わった。2ではこの続き。お侍の後をつけ京についた二人は、侍と同じ宿に止まり、女中に袖の下を渡し宿帳を見る。侍は松平甲斐守の家来、峰山又十郎。狼藉を働くような男には見えない。さらに追跡を続けると、又十郎は梅安の師匠である津山悦堂の墓がある寺に立ち寄る。寄ってみると墓参りをしている。そこで梅安は、又十郎には双子の弟がおり、これが乱暴者で困っていると話を聞く。人違いの仇だ。京の宿で見張りを続けると、上方の大物つなぎの白子屋菊右衛門が訪ねて行くのが見えた。ということは、仕掛けが動く。梅安は、菊右衛門を訪ねて、菊右衛門の色がやっている料理屋へ。そこで、仕事の内容を聞く。というお話の始まり。前回につぎ今回も、悪~~い奴らが狼藉を働き町民を苦しめる。仕事人同士でルール破りの戦いもある。うまそうな料理も出てくる。池波正太郎、いいなぁ。豊川悦司、椎名桔平、小林薫、いいなぁ。エンドロールの後、前回同様に次回へのつなぎの場面が。ってことは、梅安3ができるのか?期待に胸が膨らむ。

映画「妖怪の孫」を鑑賞。

故安倍晋三のドキュメンタリー。まぁ、そんな見方もあるのね?だって、真実は本人にしか分からないから。

  1. アベノミクス 概ねの評価では、効果はなかったばかりか、格差を広げ、富めるものは更に富み、貧しきものは追い込まれる結果しか産まなかったと、各種評論家が語る。安倍さんに近い友人からは、酒の席や手紙の節々に、「民主党政権の時には、何もやってないと批判を繰り返した。だから何かやってるフリをする必要がある。アベノミクスはやってるフリでいいんだ」との発言があったとのこと
  2. 統一教会 半日、排日の団体であることは承知していたが、街のコンビニみたいに便利に使えた。特に選挙の時には、動員、PRの面で便利だった。便利なものはみんなで共有する。だから周りの老若男女の候補者や議員に紹介した。結果、自民党みんながそうなった。教会の根底は排日であっても、彼らの主張には、安倍さんを後押しするものもあった。それはすくって、頂いた。それだけ。
  3. 憲法改正 安倍さんの幼少期は、父(安倍晋太郎)と母は多忙で、ほとんど乳母に育てられた。それほど父への思いは強くはないが、祖父である岸信介を信奉している。「昭和の妖怪」と呼ばれた祖父は、国民皆保険、国民年金、最低賃金法など、重要な仕事を成し遂げたが、一方で黒い霧も濃く漂っている。その祖父が言っていた「日本国民自主憲法」を安倍さんは受け継ぎ、達成を目標としていた。一方、2世議員の多くが(現在は国会議員の46%を占める)が憲法について、「なぜ自分たちだけが、憲法の縛りを受けるのか」という根本を理解していない。権力による驕りが憲法99条、天皇、摂生及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負う」ところが自民党の改正憲法案では、「第24条 家族は互いに助け合わなければならない」これは、明らかに憲法が国民を縛ろうとしている。また家族がいる場合に生活保護等を受けることができなくなる可能性があるので、国民を不利に縛る。露骨なのは「改正第99条  すべて国民は、この憲法を尊重しなければならない。国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」憲法を尊重し、擁護する義務を負っていたのは為政者の方なのに、いつのまにか「すべての国民」にすり替えられている。これらはすべて、安倍晋三が妖怪岸信介の亡霊に取り憑かれていたからだ。

概ねこんな主旨であったが、皆さんはどう思いますか。僕は、興味深くみました。うかつに憲法改正に手を挙げられなくなりました。自民党の憲法改正案は、このURLで観ることができます。とかく9条に話題が行きがちですが、それ以外にも多くの改正点があり、よ〜〜く見ないと、「昭和の妖怪の孫」の思惑に騙されそうです。死してなお、その存在は派閥に影響力を持つ。恐るべき「妖怪の孫」でした。 自民党憲法改正案 https://kaikensouan.com

 

映画「Air」を鑑賞。

1984年、スポートシューズのメーカーであるNIKEは、バスケットシューズ部門の不調に悩まされていた。なんとかバスケットシューズ事業を立て直すために指名されたのがソニー(マット・デイモン)。この部門での世界シャアーの83%をコンバースとアディダスが締めていた。NIKEは自社製品を売り出すために、スターを必要としていた。スターに自社のシューズを履かせる。それをみた世界中のバスケファンが、NIKEのシューズを買って履く。そこで目をつけたのが、まだNBAでデビューすらしていない黒人選手のマイケル・ジョーダンだった。しかし、彼の才能に注目していたのは、NIKEだけではない。TOP 3が虎視眈々と狙うジョーダン。その争いに勝ち、何としてもジョーダンを勝ち取る必要があると考えたソニーは、社内での軋轢や争いを抑え、遂にジョーダンのマネージメントをしていたジョーダンの母親と強引ではあるが面談に成功する。遂にプレゼンに漕ぎつけたソニーは、一世一代のスピーチを行う。「A shoe is just a shoe until someone steps into. 価値ある誰かが履くまで、靴は靴のままだ」彼は、ジョーダンの才能を認め間違いなくNBAのトップ選手になると褒めながら、選手生命の限界、怪我等のリスクを説く。そうなった時、真にジョーダンを伝説にできる、ジョーダンシューズを開発すると。その名は「エアー・ジョーダン」しかし、ジョーダンの母は、驚く様なカウンターオファーを出す。それは業界のビジネスを根底か覆すような提案であった。
ビジネスに賭ける男たちの熱い戦い、口論、そして行動。「仕事の情熱」を思い出され、心臓が熱く震えた

パピヨンといえば、実話をもとに作られた、スティーブ・マックイーンと

ダスティン・ホフマン主演のあの映画が頭に浮かぶ。

それを、チャーリー・ハナムと、ボヘミアン・ラプソディーでエディーを

演じたラミ・マレック主演でリメークしようなんて、なんで考えたんだろう。

 

胸に蝶の刺青あることから、仲間から「パピヨン」と呼ばれている腕利きの

金庫破りが、仲間にはめられ無実の罪で南米ギアナになる刑務所に送りこま

れる。そこは脱走できそうで、できない鉄壁の刑務所。守衛と囚人の間には

賄賂が横行しており、地獄の沙汰も金次第を絵に描いたような刑務所。

ドガは偽の証券を発行して大金持ちになった。しかし逮捕され、パイヨンと同じ

護送船で刑務所へ運ばれる途中、「お前の身を守るから、脱走資金を出してくれ」と

いうパピヨンの要望を聞き入れ「用心棒」として雇うことに。

それからパピヨンの脱走計画が進む。しかし脱走に失敗したら、1回目は2年の

独房入り。2回目は5年。そして「悪魔の島」送りになる。守衛を殺害したら、

ギロチンで処刑。

無謀とも思える方法で脱走を試みるも、裏切りにあい捕まったパピヨンは2年間の

独房生活を強いられる。それは「沈黙」だけがルールという、過酷な刑罰だった。

ドガが守衛を買収して毎日の食事にココナッツの実を半分だけ差し入れてくれる。

薄いスープしか提供されない独房では、貴重な栄養源だ。ドガは狭い独房でも自身の

体を鍛え、次の脱走計画を練る。

 

最初は、やっぱりマックイーンのパピヨンとかぶって、「イメージ違うなぁ」とか

「あのテーマ曲がよかったんだよな」と思っていたんだが、中盤くらいから明らかに

このパピヨンの世界観が前面に出てくると、俄然面白くなってくる。

これはこれで、全然ありなんだわ。

 

★★★★☆

ごめん、本当にごめん。寝てしまった。

映画がつまらないからではない。多分、面白かったんじゃないかな?

でも、疲れすぎていたんだよ。ごめん。本当にごめん。

最初に、スペースシャトルが太陽フレアに見舞われて操縦不能になり、

ジーンをはじめとするX-MENがサンダーバードの基地みたいところから

飛行機に乗って飛び出し「宇宙に行けるのか、これ」「いけんじゃねぇ?」みたいな

ノリで行って見事宇宙飛行士を救出、脱出じゃーと思ったら、二度目のフレアでジーンが

それを浴びてしまうという、衝撃のオープニングは覚えている。あとは・・・

ごめん、本当にごめん!

岡田准一、木村文乃、山本美月出演

 

どんな相手でも、6秒以内に殺せる凄腕の殺し屋ファブル(岡田准一)は、仕事のボス(佐藤浩市)に、決して人を殺さず、普通の生活を1年過ごすように命じられ、相棒のヨウコ(木村文乃)と一緒に大阪へ。ボスのツテで関西のヤクザ的ブラック企業の社宅での生活を始める。「殺したら殺す」というボスの絶対命令を守り、インコを飼ったり、街で知り合ったミサキ(山本美月)に紹介されたデザイン会社でバイトをしてみたり、普通の生活を送ろうと努力する。街で絡まれたチンピラには、冷静な判断と巧みな演技力で、相手に殴られながらもダメージを受けず、逆に相手の拳を折る。痛くはないが、痛いふりして、鼻血も流してみたりする。

そんな時、ブラック企業の内部でくすぶっていた揉め事が一気に表面化し、クーデターが計画され、これに巻き込まれたミサキを救うため、否応無く闘争の世界に入っていく。「殺すな」という命令を守りつつ、この抗争に決着をつけるべく、ファブルの凄腕がうなる。

 

アクション&コミック!岡田准一の、もう一つのコメディアンな面が全面に出されていて、とにかく笑う笑う笑う。手に汗握る格闘シーン、岡田准一の鍛え上げたボディーゆえに可能な「壁登り」。銃撃戦。

手に汗握る2時間。楽しめる。

 

評論などを観ると、やれ岡田にはもったいない映画だの、アクションがどうだのと色々言っている人もいるようだが、そんな事関係ねぇ!とにかく、頭空っぽにして(元から詰まってはいないが)ひたすら楽しめ!な、映画。

★★★★☆