小田急相模原駅から座間方向へウォーキングすると左手に出てくるお寿司屋さん、その名も「寿司処六ちゃん」
名前からして気さくなお店だが、そこのお昼の看板に、こんなことが書いてある。
そもそも店主のその時の気分で振る舞われる「おまかせ丼」だが、ネタにはすでに味付けが施されているから、そのまま食べて欲しいという意味なのだろう。
ではその下の「店主・難聴気味ですので」の一節は何を意味しているんだろう。
「いろいろ、あれこれ言ったって、聴こえないんだからね!」という牽制球か。
随分前から気になっていたことがある。
ウォーキングの遊歩道で、なぜ向こうから来る人と衝突コースを進んでしまうのか。
神戸生まれの神戸育ちの僕は、「人は右、車は左」と学校で教えられてきた。
学校にお巡りさんがきて、校庭に道路を作って、横断歩道のわたり方とか、通学のあるき方とかをシミュレートして、交通ルールを学んできた。
ところが、遊歩道を歩いていると、こんな看板を見つけた。
なんだと!「児童は左側を歩け」だと!
「人は右、車は左」
僕の中では絶対のルールである。
しかも合理的。
人が右を歩けば、左を走る車は、常に前方から接近してくる。
所が、人が左を歩けば、車は常に後方から接近してくる。
危険の予測も回避も、確実に遅れるではないか。
早速様々にこの違いの理由を探してみた。
江戸時代に遡る。
江戸の街は、小さな路地が行き交う大きな街で、多様な人々が住んでいた。
幕末ともなると、そこへ田舎浪人や武士が流れ込んでいる。
狭い路地を右側通行で行き交うと、左腰の下げている刀の鞘が、前から来る人のものとぶつかる。
あっと言う間に切合が始まってしまったらしいのである。そこから自然と江戸では、人は左側を歩く習慣ができた。
明治になって、馬車や車が街を行き交うようになった。事故も多発したので、政府は規則を作った。「人は道路の左側を通行すべし」と。田舎から来た人たちは、特に田舎では必要でもなかったが、お江戸の決まりはおらが村でも決まりである。そうして、東日本には「人は左」が一般的になったとか。
関東と関西だけではなく、各地域によってこのルールは様々であるらしい。
エスカレータの右立ち、左立ちと同じように、これはローカルルールであるらしい。
しかし!大和警察署によると、道交法上は、やはり「人は右、車は左」なのだそうだ。
じゃ、この看板は小学校に通う児童達だけのための、しかも遊歩道だけにおけるルールなのか?なぜ遊歩道も右側を歩いてはいけないのだろうか?
さっぱり分からない(ガリレオの湯川教授風に)
・台風のせいなのか、梅雨前線のせいなのか、あるいは両方か、とにかくまた雨。気分が晴れないし、空気の入れ替えに窓を開けても、ジメッとした風が入ってくるのは、気持ちが悪い。
・クレーマーという言葉が出現して久しいが、最近よく考えるのが「クレームと苦情」。ファミレスへ言ってスパゲティーを頼んだら、なにか見慣れぬ異物が入っている。店員を呼んで「なんか入ってるよ」「申し訳ございません、作り直します」これは、俗に苦情である。しかし、店側をこれをクレームを受けたと理解し、客が店員に強く当たったと警察に連絡する。客は、ミートスパゲティーを待っているはずなのに、なぜかお巡りさんがやってきて、ちょっと来いと言われたりする。これ、どっちがクレーマー?
小学生の登下校の時、ダラダラ遊歩道を広がって歩く小学生の群れ。誰も保護者がいないし、見た所、集団下校のリーダーもいない。そこでその様子を写真に撮って小学校へ行き「これは、指導した方がいいのではないでしょうか?遊歩道はお年寄りも通るし、ジョガーも通る。こんなに広がって歩いていては、邪魔だし、子供たちも危ないのでは?」と申し入れる。学校は担任、教頭、校長と出てきて「本当に申し訳ございません。以降はこのようなことがないように、担任にしっかりと言い聞かせて、下校時には教員が立っているように致します。何卒、お許しください」等と、頭を下げる。「いや、そんな、先生方に謝って欲しくて言ってるんじゃないです。ただ、子供たちが危ないなぁと思ったし、ジョガーやお年寄りにも迷惑だなぁと思ったから、指導してはどうですかと提案しているのです」と説明しても、申し訳ないの一辺倒。これじゃ、まるでこっちがモンスター(化物)ではないか。映画じゃあるまいし。
子供がふざけて醤油さしを舐め、レーンの寿司につばをつけ、あろうことかその動画をネットに公開するという事件。6,700万円の賠償訴訟になった。少年側の対応に、更に賠償金は上積みされるらしい。訴訟して罰を加えて、もう懲りたと思わせるのは痛烈なしつけだ。そのことをネットに上げて、「お前ら、明日は我が身だぞ」とさらしものにするのも一つの方法だ。が、どっちがモンスター(化物)?
・薄曇りからどんよりした空へ。
・Walkingは雨の前にと68分5.6km。整骨院へ。腰痛。Walkingして腰痛で整骨院に通うのは、なにか間違っているような気がするのだが。
・藤本さんとアポ成立、楽しみ。
・若尾に溝の口の場所と時間を連絡した。
・弘子母に電話。元気そうで安心した。
・干からびたみみずの死の原因判明。「環形動物のミミズは、呼吸のための装置を持っていません。なので、からだの表面全体で呼吸をしているわけです。つまり“皮膚呼吸”です。呼吸器が無いために、雨水が溜まった土の中ではやがて息苦しくなります。また、土が太陽光で熱くなった時、体温調節のできないミミズは必死で地上にはい出てしまいます。いずれも目の無いミミズにとっては、最も危険な生きるための逃避。それで生命を落とすことになるというわけなのです」(藍名誉教授)暑くて息苦しくて、逃げた場所がアスファルトだったということか。悲劇だな。
・地方再生で拠点を京都に移した文化庁の、東京への出張予算は14000回、4800億円らしい。その理由の多くは国会議員への説明で、リモートを嫌い「直接説明に来い」と言う議員や議員事務所が多く、その原因は議員の特権意識で、役所は身分が下だと思っている議員が多いと、池上彰が言っていた。そんな議員は即座に辞めてほしいのだが、地方での利権に絡んだ企業や団体などの組織票が当選させてしまう。大体、世襲議員ではないかと思う。日本の政治を腐らせるのは、世襲議員ではないかと、怒りを隠せない。
・梅雨入り宣言。気象庁の気象官が、「なんとなく梅雨だなあ〜」と思ったら、梅雨入りらしい。台風3号が発生して北上し、日本列島上空の梅雨前線を刺激して、ずーっと雨の予報。地すべりやがけ崩れに注意が必要らしい。
・アメリカのJesus君から電話あり。バリアの不具合はリモートコントローラを操作したせいで、ポジションを見失っているらしい。現場にPC持っていかないと。来週半ば、雨でない日がいいな。
・昨日、Facebookに別れを告げた。予想通り、誰からも、反応はない。こんなものなんだ。
・女という生き物について考えた。好きな男の前では、デレデレと甘えるくせに、女3人集まると、妙に大人ぶって、男をガキ扱いするのが頭にくる。
・最近、道路で干からびて死んでいるミミズをみたことがない。なんでだろう。そもそもミミズが干からびて道路で死んでいるメカニズムはなんだろうか。
・スシローが、醤油をなめて、寿司につばをつけてSNSで拡散した少年に6,400万円の賠償金を求める訴訟を提起した。スシローに限らず、ドンドン訴訟をして、ガキどもには、「調子乗りは高くつく」ことを教えてやるべきだ。しかし親は困ったなぁ。6,400万円って、下手すりゃ家が2件買えるぞ。最後は和解して、払えるだけに免除してもらうしかないか?
・長嶋一茂は、いつみても大嫌いだ。大学も野球も中途半端なくせして、TVに出て偉そうに解説やっている。金にあかしてハワイだナンだと調子に乗ってる。親の七光りってのは、本当に羨ましい。サラリーマンの玉川も嫌いだ。最近また調子にのって番組をやっている。したり顔で、何でも解説(?)というか、コメント(?)する姿勢、態度、声、内容。すべてが嫌いだ。
・藤本さんから連絡あり。再会を約す。楽しみ。
・LGBT理解増進法案、性同一性→性自認→ジェンダー・アイデンティティ。全部同じ意味だ。なぜ英語にする?日本の法律なのに。こういう所が、政治家の頭の中を割って見たくなる。そもそも「理解増進」って、なんだ?許容でも、保証でもなく、理解を増進する?わからん。
【あらすじ】
東京・池袋で男の刺殺体が発見された。警視庁池袋署刑事課長の本宮は、捜査の過程で捜査一課長からある密旨を受ける。その約半年後、東京・新木場で爆殺傷事件が起きる。やがて容疑者が浮上するが、捜査に携わる警視庁組織犯罪対策部の植木は、その経緯に違和感を抱く。そしてまた、捜査一課の管理官となった本宮も違和感を覚えていた。捜査の裏に、いったい何があったのか——。
本書は3部構成になってる。
第1部「裏切りの日」
警視庁池袋署の刑事課長である本宮は、西池袋で起きた男性の路上殺人事件の捜査にあたる。犯罪捜査で防犯カメラの画像解析が大きな役割を果たしているが、その分、警察は足を使った捜査に弱くなっているのではないかと、危惧している。捜査は遅々として進まず、本部の捜査方針に疑問を持ちながら本宮は捜査を続けている。警視庁捜査支援分析センター(SSBC)による画像解析で、黒いスーツの男が浮上する。ところが、被害者が追われているのではなく、被害者が尾行しているように見えた。この黒いスーツの男は何者か。そんな時、捜査一課長から内密に、被疑者の妻の過去を調べるよう命じられた。その調査の結果が犯人特定に繋がり事件は解決に向かうのであったが、本宮は捜査一課長がなぜそのような命令を自分に出したのかぎもんに感じる。捜査一課長の態度を見ていると、本宮自身、なにか大きな間違いを犯したのではないかと思うようになる。
第2部「顔のない眼」
警視庁組織犯罪対策部の植木は、違法薬物の売人をマークし、取引現場を押さえるべく捜査を進めていた。慎重だった売人が動き出し、ライブ会場のロッカーで受け渡しが行われると見て、ロッカーを開けようとした売人に近づいたところで、ロッカーが大爆発。売人は死に植木は重症を負う。傷から回復した植木は、捜査本部の片隅で情報整理班として復職したが、植木のコンビである佐古にタレコミ電話があった。その情報に基づき容疑者を逮捕にいたるが、佐古にかかってきたタレコミを不審に思い、情報の出処を調査し始める。
第3部「背中の蜘蛛」
この章からが、いよいよ本番、物語のスピードも上がってくる。
捜査一課の管理官として赴任した本宮も、第2部の瀑殺傷事件の担当となり、被害者となった植木と、タレコミ電話を受けた佐古に興味をもつ。本宮は植木に声をかけ話を聞こうとする。第一部で感じた共通点を頼りに、植木と佐古を従えて、調査を開始する。昔本宮と同じ署にいた後輩刑事の上山という警察官の動きに注目し問い詰めると、「情報管理課運用第三係」という部署に所属しているという。しかし、警察の組織図にその運用第三係はない。「運三」と呼ばれる部署の実態は、セキュリティーが強化された窓のない部屋に無数のPC画面が並び、そこで100人を超える人間がPCを触っている。さらに聞き出すと、アメリカのFBIやCIAが使っているダークサイトを検索するシステムの日本語版で「スパイダー」と呼ばれている。このシステムは、国民のあらゆる通信、ネット上での書き込み、特にダークサイトでの犯罪行為、ないしはそれを誘発しそうなやり取りを完全に傍受して、犯罪の兆しや進行中の犯罪を調査している。現在の法律では、これは完全に法律違反であり、したがってここで集めた情報を、直接捜査に利用することはできない。そこで、係員を通じてタレコミを装い、現場の捜査官へ情報を流して、被疑者へ誘導している。一般国民のありとあらゆる情報に自由にアクセスし、行動、言動を監視する組織。それが「運三」の実態であった。その結果浮かび上がる被疑者の行動は、数百万台あるビデオカメラを通じて把握され、実際の刑事がそれを追い詰めていく。これには植木もボーゼンとしてしまうが、これにより犯罪の検挙数は飛躍的に上昇する。悪なのか、善なのか。
【感想】
読者をはじめ、個人によっては情報監視社会になんにも感じない人も多くいるだろう。犯罪が摘発できたり、未然に防げるなら、それは有意義なシステムだ。しかし、あくまでこれは、現行法では違法な捜査だ。エドワード・スノーデンが、闇の中にあった警察のシステムを暴露し、世界中が大いに騒ぎ、本人はロシアに亡命した事件があった。調査の対象者は一般大衆から有名人、著名人、富裕層、貧困層さらには政治家や内閣閣僚、総理大臣に至るまで、本人のしらないところで、身ぐるみ剥がれて明らかにされていく。それらの膨大なデータベースを警察組織が維持、管理していて、適切なタイミングをみて現場の捜査へ情報をおろしていく。それも秘密裏に。個人Aが某銀行で3000万円の元気を引き出した。その指示は電話で行われたが、その指示した人間は、アジアや欧州、米国のネットワークを使って末端に指示を出す。引き出された3000万がどこへ流れ、何に利用されるのかも、スパイダーを使えば、立ち所に分かる。もう個人に秘密はなく、国家権力が調べようと思えば、たとえそれが捜査のためであろうが、または個人の興味であろうが、国民を丸裸にし、さらに不利な情報を付加して被疑者に仕立て上げることなど、簡単だ。イデオロギー、宗教、右翼、左翼、それらが属する団体とその構成員。全部彼らの思いのままだ。
ある日玄関のチャイムがなって、「はい」と答えたら、「警察のものですが、少しお話を伺いたい」と見知らぬ察官が、あなたの前に立つかもしれない。簡単な質問を2,3交わしたあと、「任意同行」を求められる。任意がから拒否もできるが、それはなにか、話せない秘密を持っていると心象を持たれると、あなたの回りのありとあらゆる情報機器を通じて、行動を徹底的に監視され、「やってない」という無実の叫びには、あなたの全く知らないダークな情報がすでに背中に貼られていて、まるで黒い大きな蜘蛛が、あなたの背中を這い回るような気持ち悪さ、恐怖、苛立にさいなまれ、こねくり回した「事実」というものを積み重ねて「真実」と名付けられた見に覚えない犯罪の、首謀者として逮捕される。「そんなことはありえない」と本当に信じられるか?身の回りになにか、不思議なことが起こってないか?あなたは、見張られている。
僕は見知らぬ警察官に僕の全てを監視されるなど、冗談ではない!だが彼らは、足音を忍ばせて、あなたの背後に近寄り、赤い蜘蛛を背中にはるかもしれない。
「怪物だ〜れだ」
非常によく練られた脚本だと関心した。さすが、カンヌ映画祭脚本賞を取った作品だけのことはある。冒頭の火事のシーン。駅前のガールズバーのあるビルが全焼、それを小学5年の息子とシングルマザーが、アイスキャンディーを食べながらベランダから見ている。この火事を対象点にして、それぞれの立場の人たちの行動や考えが映し出される。子供に暴力を振るったと学校に苦情を申し込んだシングルマザー、あれは怪物だ、モンスターだと笑う教職員。張本人の教師の側から見た時、理解不能な5年生の少年の行動。恋人の言葉。国会質問のように、紙に書かれた文章を繰り返し読み続ける校長。彼女の闇の真実は。それぞれの立場や見方、反応や行動、激しい怒り、静かな怒り、消えない炎。誰が本当の怪物か。怪物だ〜れだ?
怪物探しに夢中になり、忘れてはいけないことは、脚本賞と同時にクィア・パルム賞も受賞していること。この賞はLGBTQに対して与えられる。なぜこの映画が受賞したのか。頭に豚の脳が入っている、病気だと親からも軽蔑の言葉を投げかけられる子供。彼を守りたいが、周囲の空気がそれを許さない少年。二人だけでみつけた秘密基地。「僕は病気なんだ」と明るく言い放った子供。大人の怪物だけではなく、この二人の子供達も、見落としてはいけない大切な要素。一度鑑賞する価値あり。
惑星ソマリスの住人が、難病の娘の治療費をかせぐため、宇宙探索のパイロットを引き受ける。
その帰り道と思われるところで、予想外の小惑星帯に突っ込み、知らない惑星に緊急着陸する。
宇宙船は2つに分裂し、冷凍睡眠装置で眠っていた旅客が全滅する。
ただ一人、別惑星の少女コアだけが生き残る。
パイロットのミルズが外を調べると、巨大な恐竜や、酸の間欠泉などが噴出する6500万年前の地球だった。
隣の山の頂上に光を見つけたミルズは、そこに残り半分の宇宙船があり、緊急脱出用の宇宙船があることを発見。
言葉が通じないコアを連れて、徒歩で脱出船へ向かう。
恐竜たちに襲われながら山頂を目指す二人。
しかし、その空に巨大な隕石が迫っていた。
この隕石が激突すると、生き残ることはできない。
あと48時間。
脱出船は起動が可能で、逃げられるかと思った時、隕石群が降り注ぎ、その一つが脱出船の近くに落下、衝撃で崖から落ちてしまう。
そこには、3頭のTレックスが。
結局、「猿の惑星」の焼き直しのような話。
ジュラシックパークもパクっているけど、規模が全然違う。
恐竜の数が圧倒的に少ない。そもそもソマリスという惑星の住人が人間そっくりで、完璧なアメリカ英語を喋り、かなり高度な武器を惑星探査の技術をもち、知らない惑星の少女に英語を教える。
なんかなぁ。
巷で言われてる程、悪くはないが、色んな映画のええトコ取りやね。