日本は、憲法で戦争の放棄を誓い、国の交戦権を認めないとした。安倍首相はじめ、保守派の政治家さん達は、憲法改正で9条に自衛隊を明記しようと考えている。これには国民投票が必要だが、国民はこのことを理解していない。特に若い世代は、本当に何にもわかっていないし、分かろうともしていない。領土問題など、自分たちには関係ないと思っているようだ。
尖閣諸島先島に数名の漁師がたどり着くところから物語は始まる。彼らは自分達は中国人だと名乗り、尖閣諸島は中国の領土であるから、日本の海上保安庁巡視船になど助けてもらう必要はないと、救助を拒否。やむなく、政府は彼らの中国艦船への引き渡しに合意。不敵な笑みを浮かべながら、漁師達は帰っていった。
数ヶ月後、中国の揚陸部隊が突然、与那国島に上陸し、自衛隊のレーダーサイトを破壊、事実上の占領をはたし、山の頂きに中国の国旗を立てる。島民は全員捕らえられ、駐屯の自衛隊員も捕虜となる。この過程で、突発的に中国軍、自衛隊双方に1名づつの戦死者が出る。
動揺する政府を尻目に、状況確認に飛び立った自衛隊の偵察機が、敵のレーダー照射にあい、威嚇ミサイルを発射され、「次は撃たれる」と引き上げる。
これらは全て、中国側が日本の出方を見るために、試している行動だ。どこまでやったら、日本はどんな反応をするのかを見ている。
中国は北方艦隊基地から、空母を主力とする部隊を尖閣諸島へ派遣。自衛隊も、就役訓練中であった「空母いぶき」を旗艦とする、第5護衛隊群を急ぎ尖閣へと向かわせる。敵の潜水艦と、海自の潜水艦のチキンレース、空母から発進した敵戦闘機「殲」からのミサイル攻撃。敵の搭載能力は60機に対し、いぶきの搭載能力はわずかに15機、3編隊。数では勝ち目のない戦闘を、優秀な自衛官が知力を尽くして敵に挑む。
これは、かわぐちかいじの原作の冒頭部分のお話。映画化されてみると、雑な脚本と演出のせいで、なんで「戦闘」やってるのかが、リアルに伝わらない。おまけに、何の関係もない、のんきなコンビニ店長まで登場し、緊迫感を奪っていく。渋谷のスクリーンに映し出される、炎上する護衛艦の姿に「まじ、やっべぇ〜」と写真を撮っている若者達。この姿だけが、もっともリアルに感じられた。
こんな事は、絶対に起こらないのだろうか。アメリカが日本のバックについているから、もし日本と交戦すれば、それはアメリカと交戦するようなもので、とても勝ち目はないから、中国も北朝鮮も、現実的に攻撃はしてこないのだろうか。アメリカはあくまで「領土問題には中立」と言っている。尖閣をもし、中国が占領しても、アメリカは「それは日本が解決しなさいね」と言う事になる。
「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と教えているキリスト教信者の国、アメリカ。彼らは、右の頬を打たれる前に、相手を撃ち殺すことが正義だと思っている国でもある。
「正義は力ではないが、力がなければ守れない正義もある」
映画はくだらないが、そこに描かれていることは、リアリティーだ。もっと、憲法の問題は、国民が議論をする必要がある。戦争から目を背けるのではなく、その向こう側にある、日本としての信念を、見つめる必要がある。