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なんのこっちゃホイ!

世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

AEONモールの八百屋でふとみると、とんがらし(ししとう)が、1パック¥100で出てた。「ああ、もうそんな季節かぁ」と思ったら、おかんがいつも作ってくれてた、「とんがらしの炊いたん」が猛烈に食べたくなった。それで、とんがらしを5パック買って、施設にいるおかんに電話。

「なぁ、とんがらし売っててん。いっつも作ってくれたとんがらしの炊いたん、どうやって作るの?」って聞いてみた。おかんはえらく懐かしがって、詳しく教えてくれた。

さっそく夕食の前に仕込んだ。とんがらしとくれば、醤油ご飯である。ぬかりなく、鳥のモモ肉も買った。味を整えて、炊飯器にしかえて、さて!

まずはとんからしの袴を一つづつ外して、沸騰したお湯にさっと。色が鮮やかな緑になったらお湯からザルにとり、しっかり握って水分を取る。温めておいた鍋にサラダオイルをたらしたら、とんがらしを入れてざっと炒める。醤油、砂糖、酒、みりん。さらに出汁の素を加えて旨味をだして、弱火でじっくると煮る。これでできあがり。炊飯器もピーピー言ったしOKだ。

酒のあてによし!醤油ご飯の供によし!ときどき、ピリっと辛いのにあたるが、それもよし!

あ〜〜〜〜夏だ。

 

 

一方、ハリウッドにもゴジラファンはいて、「よ〜し、作ってやろうじゃないか!」とエメリッヒを起用して作ってみたら、なんと「マグロを食べるトカゲ」だった。日本中はため息に溢れた。

しかし、制作費が180億円と巨額にのぼり、さすがのハリウッドも、「ゴジラはあかんわぁ〜」と諦めかけた。

(脚本・製作を務めたディーン・デヴリンの反省)

https://theriver.jp/1998-godzilla-mistake/

しかし、やっぱりいたんだゴジラオタク。ギャレス・エドワードだ。前作「トカゲゴジラ」に疲れ切った彼は、日本のゴジラに敬意を評して、新しいシリーズの製作を開始。さすがにアメリカ映画って感じで、ゴジラは人類に見向きもせず、ひたすらMUTOを追いかけやっつけて姿を消す。清々しいまでに、怪獣映画に徹していた。これは大ヒット!

一方、日本では「シン・ゴジラ」が製作され、ガキンチョなんか眼中にないって感じで、ひたすらに恐怖のゴジラを描き切った。日本の映画も、やればできるんじゃん!

 

そのシリーズの2作目。

東宝へのオマージュたっぷりに、キングギドラ、ラドン、モスラと3大怪獣を登場させた。

「なんか、こけそう」という僕の心配をよそに、公開された映画は、すごい出来だった。ラドンとモスラがガチで戦い、あんな技でモスラがラドンに勝つなんて!キングギドラはゴジラに首をむしられるが、なんと!(ここはネタバレしません)

人間たちは、「ゴジラは人類の味方で、ゴジラがギドラを倒せば、人類も救われる」と勝手に言ってるが、ゴジラはそんなことにはお構いなく、ゴジラなりの理由があって、ギドラと戦う。その姿が勇ましいこと。なんとなく、家族の絆的な「お涙ちょうだい」に行きたいだろう脚本も、そんな日本的なウェットなものにはなっていない。戦っているんだ。家族が。自分達と自分たちの未来のために。

ハリウッドの実力を、存分に観せてもらった。非常に満足な1作。

 

次は、コングか?では、エンドロールの後に観せられた、「あれ」はどう絡むんだろう。

もう、待ちきれないわ!

僕がゴジラを初めてみたのは、新開地の映画館で「モスラ対ゴジラ」を観たのが最初じゃないかな。

多分、おじいちゃんに連れられて、観に行ったと思う。1964年(S39年)の映画だから、辻褄があう。だから僕のゴジラは、とっても大きくて、怖い顔してて、卵を守るモスラを炎で焼く悪い奴。

それが作品を重ねるごとに、目が丸くてぱっちりした、なぜか人間と話もできる優しい怪獣になった。

その後、観客動員が落ち込んでしまい、製作は中止された。

ゴジラ復活を待ちわびるファンの声に応えて、東宝が平成ゴジラを製作するのは1984年。

この時は、やや大人の鑑賞にも耐えられるよう、ゴジラは太古から目覚めた大怪獣として描かれ、日本人とゴジラの対決が描かれた。沢口靖子の残念な演技が記憶に残った。

 日本は、憲法で戦争の放棄を誓い、国の交戦権を認めないとした。安倍首相はじめ、保守派の政治家さん達は、憲法改正で9条に自衛隊を明記しようと考えている。これには国民投票が必要だが、国民はこのことを理解していない。特に若い世代は、本当に何にもわかっていないし、分かろうともしていない。領土問題など、自分たちには関係ないと思っているようだ。

 尖閣諸島先島に数名の漁師がたどり着くところから物語は始まる。彼らは自分達は中国人だと名乗り、尖閣諸島は中国の領土であるから、日本の海上保安庁巡視船になど助けてもらう必要はないと、救助を拒否。やむなく、政府は彼らの中国艦船への引き渡しに合意。不敵な笑みを浮かべながら、漁師達は帰っていった。

 数ヶ月後、中国の揚陸部隊が突然、与那国島に上陸し、自衛隊のレーダーサイトを破壊、事実上の占領をはたし、山の頂きに中国の国旗を立てる。島民は全員捕らえられ、駐屯の自衛隊員も捕虜となる。この過程で、突発的に中国軍、自衛隊双方に1名づつの戦死者が出る。

 動揺する政府を尻目に、状況確認に飛び立った自衛隊の偵察機が、敵のレーダー照射にあい、威嚇ミサイルを発射され、「次は撃たれる」と引き上げる。

 これらは全て、中国側が日本の出方を見るために、試している行動だ。どこまでやったら、日本はどんな反応をするのかを見ている。

 中国は北方艦隊基地から、空母を主力とする部隊を尖閣諸島へ派遣。自衛隊も、就役訓練中であった「空母いぶき」を旗艦とする、第5護衛隊群を急ぎ尖閣へと向かわせる。敵の潜水艦と、海自の潜水艦のチキンレース、空母から発進した敵戦闘機「殲」からのミサイル攻撃。敵の搭載能力は60機に対し、いぶきの搭載能力はわずかに15機、3編隊。数では勝ち目のない戦闘を、優秀な自衛官が知力を尽くして敵に挑む。

 

 これは、かわぐちかいじの原作の冒頭部分のお話。映画化されてみると、雑な脚本と演出のせいで、なんで「戦闘」やってるのかが、リアルに伝わらない。おまけに、何の関係もない、のんきなコンビニ店長まで登場し、緊迫感を奪っていく。渋谷のスクリーンに映し出される、炎上する護衛艦の姿に「まじ、やっべぇ〜」と写真を撮っている若者達。この姿だけが、もっともリアルに感じられた。

 こんな事は、絶対に起こらないのだろうか。アメリカが日本のバックについているから、もし日本と交戦すれば、それはアメリカと交戦するようなもので、とても勝ち目はないから、中国も北朝鮮も、現実的に攻撃はしてこないのだろうか。アメリカはあくまで「領土問題には中立」と言っている。尖閣をもし、中国が占領しても、アメリカは「それは日本が解決しなさいね」と言う事になる。

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と教えているキリスト教信者の国、アメリカ。彼らは、右の頬を打たれる前に、相手を撃ち殺すことが正義だと思っている国でもある。

 

 「正義は力ではないが、力がなければ守れない正義もある」

 

映画はくだらないが、そこに描かれていることは、リアリティーだ。もっと、憲法の問題は、国民が議論をする必要がある。戦争から目を背けるのではなく、その向こう側にある、日本としての信念を、見つめる必要がある。
 

「キングダム」を観てきた。

原作は50数巻を数える長いものらしいけど、今回の映画化は、1〜5巻なんだそう。

Amazonのサンプルで1巻の最初だけ読んでから観に言ったんだけど、面白かった。

紀元前245年。中国の西方の国、秦に住む奴隷の子供二人が、奴隷から抜け出すためには、剣の技を磨いて、取り立てられるしかないと考え、二人で毎日、剣の練習をする。ある日、通りかかった高貴なお方から、一人だけを都に取り立てると言われ、二人は離れ離れに。

ある夜、その一人が血を流しながら奴隷小屋にたどり着く。彼が言うには、王宮で反乱があり、ここまで逃げてきたと。秘密の地図を渡され、その道を辿った先には、さっき死んだはずの友の姿が。ここから、物語は動き出す。

群雄割拠の戦国時代、中華統一を夢見る一人の王と、それに付き従う将軍や兵となる貧しきものたち。

ワイヤアクション全開で、ジャンプしたり吹っ飛ばされたりと、派手な演出や戦闘シーンの連続は、なかなか手に汗握るものがある。ふと「るろうに剣心」を思い出した。なんの関係もないけれど。

山崎賢人君。まぁ、主人公は若くて野心に燃えていて正義感が強くて無鉄砲なのは分かる。が、もう少し演技に深みがほしい。ただうるさいだけの、そこらにいる若者にしか見えないのが残念。精進してほしい。

周りを固める役者は超一流。さすがの脇役陣のおかげで、おチャラけに終わっていないところが良い。

★★★☆☆

 

彼女の言っていることで、完全に同意するのは、日本政府が常に記者会見で述べる「遺憾」という単語についてである。日本語では「遺憾」とは、怒りを抑えた慎ましやかな怒りの表明かもしれないが、聞いてるのは外国人であり、彼らに日本語の慎ましやかな表現が理解できるとは思えない。やはり、「怒り」は「怒り」として率直に表現する必要があるのではないか。「遺憾」は英語では、regretかpity程度の強さにとどまる。韓国語は知らないが、韓国の人たちは漢字も理解できるので、「ああ、残念だと思っているのか」と理解するだろう。ここはやはり「憤懣やるかたない」くらいの表現を使って、「怒り」は率直に表現しないと、伝わらない。

このウェブサイトについて

BUSINESS.NIKKEI.COM

「韓国には日本人の怒りが伝わっていない」女優の黒田福美氏

日韓関係がかつてないほど冷え込んでいる。元徴用工訴訟で日本の対韓世論は悪化し、韓国国会議長が天皇陛下に謝罪を求める発言をしたことで、関係修復の糸口が見えなくなった。日本と韓国は良好な関係を取り戻せるの...

 最近、親による子への虐待といった事件が多く、毎日のようにワイドショーを賑わしている。一方、しつけのための体罰を禁止する法律を作るという話題も、関連してよく耳にする。しかし、「虐待」と「しつけ」は根本的に違う。

何が違うかというと、明らかに「愛情」の存在だ。例えば、子供がスーパーで転げ回ってゴネている。うるさいので、母親は困り果て、周りの人は、迷惑な顔をしている。そんな時、「ダメと言ったらダメ!そんな恥ずかしいことを、してはダメ!周りの人に迷惑だから!」と大きな声で言う。子供はそれでもダダをやめない。そんな時に「げんこつ」登場だ。ゴツン!「やめなさい!」ここからが大切な点だが、ゴツンの後、親ならどうするか。「痛かったか?あんなことは恥ずかしいこと。やめなさいと言ってもやめない。だからゲンコツ。分かった?恥ずかしい子供には、なってほしくはないの。可愛い可愛い子供なんだから」と、頭を撫でて言ってくれる。それで子供の気持ちは整理がつく。これが「しつけ」だと僕は思う。

 プールに連れて行けと泣き止まないから、浮き輪をつけて風呂に放置するなんざ、愛情のかけらもない。こんなのは虐待。

 そもそも、「暴力」と「体罰」は違う。暴力は暴力の連鎖を生む。暴力を受けたものは、暴力が当たり前だと思って、また別の人にも暴力を振るう。だから、体罰は行けない。法律で禁止。ここが間違っている。しつけのための体罰は暴力ではない。理由は上述のごとく、「愛情をもって整理をつけてあげる」からだ。

 昔の先生には、よくぶん殴られた。バケツを持って、廊下にも立たされた。グランドを20周走らされたこともある。そんな僕が、子供を虐待し、他人に暴力を振るう人になったか?いや、そんなことはない(自己防衛のための暴力は別だけど)。昔の先生は、体罰をする時にも、理由を説明して、覚悟を決めさせてくれた。「あ〜、バカなことやっちゃったなぁ。仕方ないか・・・」と「覚悟を決めて」体罰を受けた。だから、それを暴力だなんて思わない。

 では、暴力としつけの体罰の区別がつかない親をどうすればいいのか。

体罰を禁止するのではなく、虐待した親に刑事罰を以って償わせるべきだ。親にも「しつけ」が必要で、「こういう暴力はしつけではなく、虐待なんだ」と、身を以て知らしめるべきだ。

 なんでも法律で禁止すればいいってもんじゃない。

60分戦争(人類が中性子兵器を打ち合い、わずか60分で全滅した戦争)の結果、地球表面の地殻は変化し、もはや住める場所ではなくなった。しかしそれから1,000年。生き残った人類は、空、海、陸を移動できるプラットフォームに都市を乗せ、移動都市として、資源が枯渇した地球上の弱小都市を捕食して生活している。中でも最大の都市「ロンドン」。その圧倒的大きさとパワーで世界中から恐れられていた。しかし、その移動都市には、ある企みが・・・・
ロード・オブ・ザ・リング、ホビット3部作のピーター・ジャクソンが作り上げた世界は、シュールで感動的に美しい映像。更に迫力ある映像に、舌を巻いた。ぜひ、オススメです。
評価:★★★★★ 文句なし。
https://youtu.be/TL72o9YH78E
本編冒頭の映像です。まぁ、みてください。

まさか、あのGACKTが、こんな映画に出て真面目にやってるなんて😳
埼玉をここまでディスって良いのかってくらいディスりまくる。
千葉と埼玉の決戦に、群馬が絡む?
神奈川は東京と手を結んでる。
神奈川県民以外、埼玉県民は言うまでもなく、山梨、千葉、栃木、群馬県民は、
手形が無ければ東京へは入れない。くだらん映画だが、ひたすら爆笑の連続ではある。
関西方面の方には、ちょっと理解されないかも知れないなぁ。「意味分からんわ」と、
関西人は言うだろうなぁ。
あまりにくだらんが、GACKTの本気と、埼玉県人のおおらかな心に敬意を表して、
オススメ度:★☆☆☆☆
 

 

もはや、映画のCG技術はここまできたのか。CGの役者(?)と実物の役者が完全に
溶け込み、何の違和感もない。また、人間では絶対にできないような描写やアクションを
軽々とやってのけるのだ(当然!CGだからな)。
アップでの肌の質感や、表情の豊かさ。もはや映像の世界では、役者は要らないという
時代が来そうな気分だ。
さて物語は、日本のコミック「銃夢」を原作にした物語。
スクラップ置き場で拾われた1台のアンドロイドの頭部。それはまだ生きていて、再生が可能な
ものだった。イド博士は持ち帰り、そのアンドロイドに身体を授けアリータと名付けた。
それは、博士のなくなった娘の名。アリータは記憶をなくしてはいるものの、所どころで
フラッシュバックのようにシーンを思い出す。NO.99と呼ばれ、見知らぬ戦地で戦っている。
そして驚くべき身体能力と戦闘能力。墜落した古い宇宙船の中からアリータが見つけてきたものは、
戦士のボディーだった。
 
この世界は二つに分かれている。
一つは天空に浮かぶ都市ザレム。裕福な上流階級の人たちが住み、決して下界に降りてくる
ことはない。格差と階級の世界。ザレムに憧れる青年と、300年前の武術を習得した戦士の
少女。この二人が上流階級ザレムに向かうのは、憧れだけではなく、大いなる憎しみのせいだ。
どう考えても、続編必須な映画。
オススメ度:★★★★★