最近、親による子への虐待といった事件が多く、毎日のようにワイドショーを賑わしている。一方、しつけのための体罰を禁止する法律を作るという話題も、関連してよく耳にする。しかし、「虐待」と「しつけ」は根本的に違う。
何が違うかというと、明らかに「愛情」の存在だ。例えば、子供がスーパーで転げ回ってゴネている。うるさいので、母親は困り果て、周りの人は、迷惑な顔をしている。そんな時、「ダメと言ったらダメ!そんな恥ずかしいことを、してはダメ!周りの人に迷惑だから!」と大きな声で言う。子供はそれでもダダをやめない。そんな時に「げんこつ」登場だ。ゴツン!「やめなさい!」ここからが大切な点だが、ゴツンの後、親ならどうするか。「痛かったか?あんなことは恥ずかしいこと。やめなさいと言ってもやめない。だからゲンコツ。分かった?恥ずかしい子供には、なってほしくはないの。可愛い可愛い子供なんだから」と、頭を撫でて言ってくれる。それで子供の気持ちは整理がつく。これが「しつけ」だと僕は思う。
プールに連れて行けと泣き止まないから、浮き輪をつけて風呂に放置するなんざ、愛情のかけらもない。こんなのは虐待。
そもそも、「暴力」と「体罰」は違う。暴力は暴力の連鎖を生む。暴力を受けたものは、暴力が当たり前だと思って、また別の人にも暴力を振るう。だから、体罰は行けない。法律で禁止。ここが間違っている。しつけのための体罰は暴力ではない。理由は上述のごとく、「愛情をもって整理をつけてあげる」からだ。
昔の先生には、よくぶん殴られた。バケツを持って、廊下にも立たされた。グランドを20周走らされたこともある。そんな僕が、子供を虐待し、他人に暴力を振るう人になったか?いや、そんなことはない(自己防衛のための暴力は別だけど)。昔の先生は、体罰をする時にも、理由を説明して、覚悟を決めさせてくれた。「あ〜、バカなことやっちゃったなぁ。仕方ないか・・・」と「覚悟を決めて」体罰を受けた。だから、それを暴力だなんて思わない。
では、暴力としつけの体罰の区別がつかない親をどうすればいいのか。
体罰を禁止するのではなく、虐待した親に刑事罰を以って償わせるべきだ。親にも「しつけ」が必要で、「こういう暴力はしつけではなく、虐待なんだ」と、身を以て知らしめるべきだ。
なんでも法律で禁止すればいいってもんじゃない。