9月7日、歴史学者の色川大吉さんが亡くなられた。

 色川さんといえば、自由民権運動の研究や自分史執筆の提唱で有名である。

 そんな色川さんを意識したのは、色川さんの著作集の月報にわたしの恩師である故・後藤総一郎が文章を寄せていたからであった。学部生の時に読んだその内容は忘れてしまったが、同じく民衆史を研究する者としての共感と敬意が込められていたと思う。「歴史は英雄やエリートのものではない。無名の民衆がつくっていくのだ」。それが、民衆史の根底にある歴史観だった。

 色川さんの学問は、民衆史から思想史、運動史、自分史など一つの枠にはまりきらないスケールを持っていたが、その基底にあったのは戦争の時に味わった不条理な体験だった。

 色川さんが発見した「五日市憲法草案」を読むと、140年前の日本人の知的熱意と水準の高さに驚かされる。翻って、現在の私たちはどうか。それだけの熱意と知的真摯さをもって憲法を考えているだろうか。立憲主義が簡単に踏みにじられている政治状況を見ると、とてもそうとは思えない。

 しかしそんな時代においても色川さんは希望を捨てなかった。「あきらめて投票を棄権するのではなく、投票して、その後の歴史がどうなるか、その成果を自分で体験してほしい」という色川さんの言葉からは、歴史とは生きられるものだという彼の信念を感じる。それをどのように引き継いでいくのか、今や実際の活動に踏み出したわたしは探っていきたいと思う。

 最後に、晩年の色川さんにお会いできたことは幸運だった。御自宅を訪ねた時、陽だまりのなか活発に話された色川さんのお姿が忘れられない。

 合掌。

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昨日、山梨県立男女共同参画センターの「集約」について、山梨県庁担当部局との意見交換会が甲府のぴゅあ総合であり、いってきました。

 県庁の方針としては、ぴゅあ総合に人的資源や財源を集中させ、機能を強化して、現在あるぴゅあ峡南とぴゅあ富士については閉館し、オンライン講座や相談を受けるサテライトとして別に設置するという説明でした。

 わたしからは概ね次のようなことを述べさせていただきました。

「この問題は男女共同参画の実現という目標に照らした議論をすべき。県庁当局は施設に来なければ男女共同参画運動に参加できないという状況を脱して、施設に来なくても参加できるという環境を整えるということが、多くの県民の皆様の参加の機会を提供するうえで重要である』と言っているが、施設(不動産としての拠点)とサテライト(機能としての拠点)を二律背反のものとしてどうして考える必要があるのか。両者は二律背反的な関係にあるのではなく、相補的な関係にあるのであり、機能としての拠点は不動産としての拠点と組み合わせることによって(逆もまた然り)より効果的になる。女性団体が求めていた『3館の機能の充実・強化』とはまさにそういうものだったと思う。しかし、県庁は両者を二律背反的に捉えることによって、二者択一の選択肢を出し、『サテライト案』という選択を迫っている。

 コロナ禍以降、大学でもオンラインの導入が急速に進んだが、1年間やってみて分かったのは、オンラインだけでは十分ではないということ。やはり、対面が基本であり、オンラインは対面と組み合わせることによって初めて効果を発揮すると思った。

山梨県の男女共同参画の現状を考えると、その実現のためには、不動産としての拠点と機能としての拠点両面から3館の維持、機能の充実・強化を図る必要がある。『そんな予算はない!』と言うかもしれないが、男女共同参画はそのくらいの予算を組まなければならない程度に優先順位の高い課題だと思う。」

 しかしその後、会場から「ぴゅあ富士を閉館しないで欲しい。」という意見が出ると、「ぴゅあ峡南とぴゅあ富士の建物の閉館は決定事項です。」と県民生活部長が言われて、びっくりしました。

 県民と意見を交換して、男女共同参画を推進するために今後のより良い方向性を探る目的で開かれるものと思って参加したのに、これでは県庁の決定を伝達する場でしかありません。

 堪りかね、「部長が言われたのは、男女共同参画を実現するために閉館するという話ではなく、お金の都合で閉館するという話です。男女共同参画を実現するためには何が必要なのかということについて合意がないまま2館閉鎖という決定がされるから、皆さん納得できないのだと思います。まずは男女共同参画を実現するための内容を煮詰めてから、2館の閉鎖を含めて答を出すべきだと思います。将来に禍根を残さないためにも、性急に事を進めないよう、お願いします。」と意見しました。

 男女共同参画は県民の福祉の問題です。県民の福祉とは、経済的な利益ではありません。人権、民主主義、地方自治など、憲法に保障された公共の価値を含みます。それが「効率」という物差しで測られては間違ってしまいます。

 今後この問題がどのように扱われていくのか、9月から始まる県議会を含め、県政の動向を注視していきたいと思います。

 

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 先般、市民が訪ねてきて昨今報道されている山梨県男女共同参画推進センターについて、尋ねられました。中身のあるやり取りができましたので、こちらでも紹介させていただきたいと思います。

 

市民 この頃、山梨県立男女共同参画推進センターの集約について報道が度々されています。つい先日も長崎幸太郎山梨県知事が方針を発表していました。男女共同参画の推進というと、もう社会的には合意事項という感もするのですが、そのセンターの集約をめぐって議論になっているようですね。問題の発端は何ですか?

 

飛矢﨑 山梨県庁は施設の維持費用の縮減と長寿命化を求める総務省の方針を受け、2017年度から公共施設の在り方を見直してきました。2015(平成27)年には「山梨県公共施設等総合管理計画」を策定し、2016(平成28)年度に外部評価を行って、2017年から公共施設のあり方検討を実施しました。

 

市民 かなり前から検討が進められていたのですね。県民の知るところとなったのはいつでしょうか?

 

飛矢﨑 2021210日に、新日本婦人の会山梨県本部が県民生活総務課へ知事宛要望書を提出した際に、県庁が男女共同参画推進センターの「ぴゅあ総合への集約」を検討していることを認めたのが、最初でした。それを受けて211日の「山梨日日新聞」に「県共同参画センター 一カ所に集約」の記事が載り、広く県民の知るところになりました。

 

市民 その後はどうなったのですか?

 

飛矢﨑 県民が知らない中で、重大な検討が進められ、集約の方針が出されたことに対して、女性団体を中心に驚きと怒りが広がり、31日には、山梨県女性団体協議会が、「県立男女共同参画推進センターに関する『集約』方針の見直しを求める請願書」を桜本広樹・山梨県議会議長に提出して、38日、「請願書」が県議会総務委員会において全会一致で「採択すべきもの」と決定されました。それを受けて、39日、県立男女共同参画推進センター「集約」問題を考える連絡会による「集約」方針の見直しを求める署名活動が開始され、約80日間で累計13,010人分が集まり、528日、長崎知事に提出されました。

 

市民 それに対する長崎知事の対応はどうだったのでしょうか?

 

飛矢﨑 617日、知事名にて、県議会議長宛に請願書への対応についての報告書が出されました。その内容は次のようなものでした。

意見を聞いて検討してきた。

男女共同参画の推進は県政の最重要課題の一つ、施策を充実・強化する必要がある。

このため、ぴゅあ総合に人的資源・財源を集中、機能強化する。オンラインでの相談、講座により全県各地でサービスを利用できる仕組みづくり、リニューアル、利便性を高める。

峡南、富士を利用している団体の活動拠点の在り方は、当事者の意見を丁寧に聞いて支援策を講ずる。

その後、720日、長崎知事は定例記者会見を開き、2020年度末に都留市と南部町の2施設(「ぴゅあ富士」と「ぴゅあ峡南」)を閉館した後、新たに23年度に別の拠点を設ける方針を明らかにしました。拠点には職員を配置する方針で、男女共同参画の普及啓発などの機能は維持するとしました。甲府市の施設(「ぴゅあ総合」)はICT(情報通信技術)環境などを充実させるほか、男女共同参画事業の企画などを担う専門スタッフを配置し、男女共同参画関連の予算を現状通り維持する方針も示しました。但し、拠点の施設規模や施設の機能の中身については具体的に述べませんでした。

 

市民 なるほど。今話された知事及び県庁の方針について、どのように評価しますか?

 

 飛矢﨑 知事は6月県議会定例会での「所信表明」において、「ICT等により全県各地でサービスを利用できる仕組みづくりを進め、利便性を高めていく」としていますが、男女平等、女性の社会参加の問題は「文化・慣習」「根深い偏見による観念」に基づくもので、単に「サービス」を提供したり、利便性を高めることで改善するものではありません。

「熱心な担当者がいた時は活動が盛り上がったが、異動で下火になった」と話している市民もいます。ICTにより提供されたサービスは、直接会っての話し合いや、現実的な地域活動につなげなければ、男女共同参画にかかわる課題の解決にはつながりません。「男女共同参画」を地域に浸透させるために、地域の人々が直接交流しつつ、さらに地域の人々の自主的活動を支援してネットワークをつくり、実情に合わせて学ぶ仕掛けを作る専門的知識を持った人財がいる「拠点」があることが不可欠です。

施設の老朽化や維持管理の経費がかさむことなどを理由に、長崎知事は、「ぴゅあ富士」(都留)と「ぴゅあ峡南」(南部)の2館を「独立した施設として維持するのは非効率的で難しい」と述べました(「山梨日日新聞」202158日)。

2館を「独立した施設として維持するのは非効率的で難しい」という知事の発言からは、今回の統廃合、集約の根拠は「男女共同参画」の評価に基づくものではなく、建物の維持管理、資金的問題から発していると考えざるを得ません。

長崎知事は「男女共同参画推進や女性活躍は県政の最重要課題の一つであり、山梨再生の王道である」と発言されています。しかし、ジェンダー平等の学習や男女共同参画推進活動の拠点の評価を「効率」という物差しによって測る知事の姿勢を見ると、知事の言う「男女共同参画推進や女性活躍」は「女性の経済参加や経済的活躍の推進」という限定された参画でしかないのではないかという疑いを持ってしまいます。

 

市民 山梨県の男女共同参画の現状はどうなのでしょうか?

 

飛矢﨑 都道府県議会における女性議員の割合が2.7%で全国最下位(全国11.4%)、女性議員がゼロの市区町村議会の割合33.3%で全国45位(全国17.9%)(内閣府「女性の政治参画マップ」2020.12)、自治会長に占める女性の割合3.3%(全国6.1%)(内閣府「全国女性の参画マップ」2020.12)に見られるように、山梨県は男性主導の社会構造に対する意識改革を、まだまだ男女ともに推進していないのが現状です。

その中で2館を閉鎖する方針を出すことは、知事及び県庁当局がジェンダー平等・女性の活躍を重要な政策と位置づけていないという誤ったメッセージを発することになると思います。山梨県では「男女共同参画課」も廃止されたと聞いています。

 

市民 確かに、山梨県の男女共同参画は道半ばという現状ですね。何かお話を聴いていると、今回のことについては議論を進めていくための軸が定まっていないように見えます。何を軸にしてこの問題を考えていくべきなのでしょうか?

 

 飛矢﨑 知事の説明を辿ってみると、男女共同参画促進の問題が「建物の統廃合」の物差しで評価されて、さらには現在、男女共同参画の「機能集約」へと問題がすり替えられています。男女共同参画促進のために、本当に何が必要なのか、山梨県の何が問題なのか、という議論がなされないまま、事が進められようとしています。

  意見交換会において「県施設全体の外部評価」を質問したが、回答がなかったと聞いています。今回の施設・建物評価は県施設全体に行われたはずです。利用率が低く老朽化が進む施設は他にもあるのに、なぜ、男女共同参画推進センターなのか。他の施設と比較して、廃止・集約の優先順位が高いのか、妥当なのか、を検討する必要があります。

その際には優先順位を測るための物差しが必要です。その目盛りは県民の福祉であり、「効率」であってはならないと思います。県民の福祉とは、経済的な利益ではありません。人権、民主主義、そしてそれを支える地方自治など、憲法に保障された公共の価値を含みます。物差しの目盛りは県民の福祉でなければならないのです。そして、男女共同参画とは何より、人権の問題です。

 

市民 分かりました。問題を考えるための視点を皆で共有することがまず必要ですね。そういったことを含めて、今回の件から得られたものがあるとしたら、それは何でしょうか?

 

飛矢﨑 男女共同参画推進センター「集約」方針の見直しを求める運動の盛り上がりは特筆すべきものでした。そこで注意したいのは、それらが集約の見直しと3館の機能強化を求める請願が2月定例県議会で採択されたことを弾みにして、展開されたことです。それと同時に、県庁も当面、センターのあり方について検討を続ける方針に転換しました。

議会は、社会の中で政治化された問題が争われ、世論を形成し、その上で何らかの合意を形成するための中心的な場です。その役目を議会は今度果たすことができたと考えます。

政治の主役は一人ひとりの市民です。市民が知るべきなのに「知らないまま」進められる問題を少しでもなくし、問題を考えるための情報を提供する務めを議会は担っています。

県政を私たちに身近な政治にしていくためには、県民の直接参加、すなわち住民自治が欠かせません。住民の意思に基づく地方自治の運営をするために、議会が重要な役割を果たすことを再確認できたことは、大きな収穫だったと思います。


市民 なるほど。「男女共同参画」から始まった今回の問題は、私たちの民主主義、その中心的な場である議会の役割も明らかにしたということですね。男女共同参画は私たちの民主主義の問題でもあると思いますから、そういう収穫が得られたことも腑に落ちる気がします。今日は有難うございました。

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 昨週710日、北杜市南アルプスユネスコエコパーク地域連絡会が主催する登山道整備についての講演を聴いてきました。

 


 ユネスコエコパークとは、国連のユネスコが指定する生物圏保存地域のことですが、自然を守ることはもちろんのこと、自然と人間社会がうまく共生していくことを目指しています。北杜市では、甲斐駒ヶ岳、鋸岳、鳳凰三山などが含まれ、北杜市南アルプスユネスコエコパーク地域連絡会は、中山を中心に、自然環境の保全活動等を行っています。

 今回は、北海道の大雪山・山守隊の岡崎哲三さんから、近自然工法を用いた登山道整備の実践について話を聴きました。

 


 近自然工法とは耳慣れない言葉だと思います。わたし自身も、この日初めて聞きました。

 登山をするためには、「道」が必要ですが、道を保つための管理も必要になります。山の環境は土壌や植物、水や雪がバランスよくあることで成り立っています。しかしそこに登山道がついてしまうと、そのバランスを崩すことになり、管理をしないと登山道が荒廃の切っ掛けになってしまうのです。

 自然を利用するためには保全が必要であり、近自然工法の登山道整備は「生態系の復元」を目標にしています。そこで、近自然工法は自然観察から始まります。この方法は自然界の構造を施工に取り入れ、生態系を復元させる方法ですので、近自然方法は技術を知る前に、自然観察が一番必要となるのです。

 「構造物の構造は、自然界の構造から学ぶ、というのが、近自然工法の考え方です。今日はこれだけ持ち帰ってもらえればいいです。」とまで、岡崎さんは言われていました。

自然界の構造を取り入れた施工が自然に優しいのであり、自然に優しいということは人間に優しいのだそうです。そして、自然の真似をしていくときに「正解」はないので、常日頃自然を見て、自然が作り出した形を頭の中にたくさん入れておくことを勧められていました。



 そこで興味深かったのは、自然の真似をするために最も必要なのは「感性」だと強調されていたことでした。感性とは、「美しい」と感じる力です。

近自然工法での施工には美しさがあります。それは自然の風景の意味を知り、施工物に伝わるように心がけるからです。「美しい」と感じるとき、わたし達は自然と対話しています。だから、謙虚に自然と対話しながら施工することにより、自然な形の「美しさ」を再現できるのかもしれません。

山岳管理の課題は登山道の荒廃だけでなく、トイレ問題、山小屋の運営問題、資材運搬のヘリコプター問題、気候変動による生態系保全の問題など、今までの管理体制では解決策はなく、厳しい状況にきています。本気で国立公園を活用しようとしても、保全ができなければ利用は続かないことに気がつかなければなりません。予算がない中で、国立公園管理も、登山者からお金を徴収して管理に利用するという方向に向かっています。



他方、自分が歩くことで山が崩れていることを知っている人も、保全に関わる「きっかけ」を探しています。そういう状況のなか、自然との対話を本質とする近自然工法には豊かな将来性を感じました。

この可能性を開いていくためにも、このノウハウを蓄積し、技術を地元に残していくことが必要であり、そこで行政の役割が重要であると思いました。

豊かな緑とそこから育まれる綺麗な水があってわたしたちは生きることができます。山を保護することによって保護されるのは、実は人間です。

多くの山岳のある北杜市、山梨県で、豊富な可能性を持つ近自然工法がどのように追求されていくのか、注視したいと思います。

 

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昨週、今週と、北杜市の子育て・教育環境に関係する二つの審議会が開かれたので、傍聴してきました。
一つは、第1回北杜市ほくと子ども育成戦略会議。もう一つは、第7回北杜市立小中学校適正規模等審議会です。
 ほくと子ども育成戦略会議は、子育て世代を始めとする人口増加につなげる取り組みについて、従来の発想に囚われない意見を聴き取り、総合計画等に反映させる目的で開かれました。
 移住者を含めた若い世代や女性の委員も多く、初回から活発なやり取りがされました。
 今後の展開が楽しみです。
小中学校適正規模等審議会の方はもう幾度目かの傍聴です。今回は5月から6月にかけて各町で開かれたワークショップの結果について報告があり、それについての意見が委員からありました。
 統廃合をめぐっては、現状維持、小中学校統合、中学校統廃合の三つの選択肢が現在示されています。
 ワークショップを見学した委員からは、「各選択肢の問題点をカバーする方法が語られていなかった。」
 「学校単位の部活動運営について今回は切り離すはずだったが、それを根拠にした統合案が話されていた。」
 「財政問題に寄った資料になっていた。」「この問題を学校や子どもだけに負わせてはいけない。」と言った意見が出ました。
 とくに、「北杜市の教育、学校ビジョンと学校統廃合との関係が分からない。」という意見が複数出ていました。これは、以前からずっと出続けている疑問・意見ですが、未だに答えられないままきています。
 北杜市の教育、学校ビジョンは北杜市のまちづくりビジョンと深く関係します。それですから、統廃合については、今年度から始まる北杜市総合計画審議会の議論とも関わらせながら、検討する必要があると思います。
 教育は地域づくりの根幹ですし、学校の存続は地域の存続とも直結します。
 北杜市は子育て・現役世代の移住・定住を促進しようとしています。子育て世代が定住において重視することの一つが教育です。魅力的な学校や教育がない場所に、子どもを連れて住みたいとは思いません。
 委員からは、「ワークショップの資料の量が多く、1回では消化しきれない。もっと回数をかけた方がいい。」とか、「この議論について、まだ多くの保護者が知らないので、情報発信を活発にするべきだ。」といった意見も出されていました。
 拙速は誤りのもと、ましてや子育て、教育です。
 あとから後悔することのないように、熟議を尽くしていただきたいと思います。

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昨日は山梨県政について取材を受けました。その模様をお伝えします。

 

 

 

インタビュアー 身近にある市政と異なって、県政は普段あまり知られていません。しかし新聞などを見ると、県政についての話題がよく報じられています。そこで今日は飛矢﨑雅也さんに山梨県政について話を聞いてみました。

 

県政の課題

インタビュアー 山梨県政は、県が富士急行に貸し出している県有地の賃料や弁護士費用をめぐって、県と議会の間でいろいろなやり取りがされていますね。県政の直近の課題は何ですか?

 

飛矢﨑 議会改革です。日本の地方自治制度は、とかく優位になりやすい首長に対して、議会を対置させ、相互に抑制と均衡を図りながら、地方自治を運営・発展させる仕組みです。その仕組みのもとで、議会は条例の制定や、予算・決算など地方自治の重要な権限を担っています。ところが、山梨県では4月30日、議会への説明もないまま、知事が弁護士費用約1億4千万円を専決処分しました。

 

インタビュアー 予算・決算は議会の基本的な権限ですよね。それを知事が奪うことができるのですか?

 

飛矢﨑 「専決処分」は、議会を開く時間がないなど特別な事情がある場合、議会の議決抜きに首長が条例をつくったり、工事を発注できる仕組みです。専決処分すれば、議会が議決したのと全く同じ法律効果が発生します。その後、議会で不承認となっても、すでに法律効果が発生していて、専決処分そのものに影響はありません。したがって議会としては、その慎重な運用を監視しなければなりません。地方自治法は、専決処分を国の制度改革に伴う条例改正や災害時といった特に緊急を要するため議会を招集する時間的余裕がないことが明らかであると認めるときのみに限っています(第179条)。弁護士費用の支出が緊急の事態に該当するとは考えにくいのです。

 

インタビュアー 専決処分は今回が初めてですか?

 

飛矢﨑 実をいうと、山梨県議会で専決処分が行われたのは今回だけではありません。2016年3月下旬、2016年度当初予算案が専決処分されました。県議会が予算案などを議決しないまま終わってしまったためです。予算の成立が4月以降にずれ込むと、県民生活や経済に混乱が生じかねないと当時の後藤斎知事が踏み切りました。都道府県では異例のケースでした。

 

インタビュアー どうして県議会は予算案を議決しないまま終わってしまったのですか?

 

飛矢﨑 専決処分に至った理由は、議長ポストを巡る当時の自民系2会派間の争いでした。会派の離合集散が続くなかで、本来ならば予算案などを成立させるはずの議会の最終日に議長に対する不信任動議を可決。混乱のなか流会しました。

 

インタビュアー そんな事件があったのですか。すると、それが今回の専決処分の伏線になっていたことも考えられますね?

 

飛矢﨑 伏線とまでは言いませんが、そういう先例があったことが、今回の知事の処分を出しやすくしたという面はあったかもしれません。

 

インタビュアー なるほど。背景として指摘できるということですね。

 

飛矢﨑 議会制民主主義から見れば、専決処分は望ましくありません。首長の独断専行を招きかねないためです。全国都道府県議長会は昨年7月、地方議会が直面する課題に対応するため、予算、条例案については原則、専決処分の対象から外すことを決議し、地方自治法の改正を国などに要望しました。その導入が明治時代にさかのぼる専決処分はいずれなくすべきだと思いますが、「山梨のような例があるから」と廃止は遠のいてしまっています。山梨県議会は地方議会史に汚点を残してしまいました。

 

県議の役割

インタビュアー そうすると、この問題に対する県議会議員の役割は何なのでしょうか?

 

飛矢﨑 今回の処分に代表されるような行政のやり方を厳しく監視していくことだと思います。

議院内閣制のもと国会議員が総理大臣を選ぶ国政と異なり、首長と議員を住民が直接それぞれ別に選挙して選ぶ地方政治においては、「与野党関係」は存在しないことが前提です。しかしこの問題をきっかけに立ち上がった新会派からは、「県政与党」という発言が聞かれます。「県政与党」として行動するなら、議員は行政職員と変わりません。議会と首長が融合(癒着)すれば、議会は行政の追認機関となり、行政を監視する議会の役割を果たせなくなってしまいます。それでは、わたし達の福祉が脅かされてしまいます。

 

インタビュアー そうすると過去の苦い経験をへて、山梨県議会は大きな岐路に立っていると言えますね。

 

飛矢﨑 はい。2億円の弁護士費用をめぐって対立していた議会側と知事側が、一夜にしており合い、70万円に減額した再修正予算が可決されるなど、このところ議会内での主導権争いや知事との権力闘争が目立ってきています。この問題を政争の具にせず、独立したチェック機関として、県民の負託にこたえる試金石とできるかが、議員に問われています。今こそ、議決・監視・政策立案という議会の本来の役割を議員は理解し果たしていくべきだと思います。

 

地域民主主義の創造

インタビュアー 最後に、議会改革の先にある展望をお話しください。

 

飛矢﨑 2016年の流会事件の反省を踏まえて議会基本条例が制定されるなど、議会を改革していくための下地はできています。今後改革を進められれば、地域民主主義を創り出す足場となることができます。具体的には、若者、女性といったこれまでの議会にない多様性に基づく公開と討議の場となり、そこから論点を明確化し、合意を作り出し、世論を形成する役割を議会は担っていけるでしょう。そうなれば、現在問題となっている男女共同参画推進センターの「集約」などについても、当事者県民の納得のいく答えが導かれると思います。

 今回の専決処分は、議会をそういう「みんなの広場」にしていく機会を閉ざしてしまうことであり、その意味でも見過ごされてはなりません。

 

インタビュアー 山梨県議会を「みんなの広場」という議会の本来の姿にどうしたら近づけていけるか、みんなで考えていかなければいけませんね。今回の「県有地問題」についても、その機会にしなければならないと思いました。有難うございました。

 

 

 

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 先週末の3月27日の北杜自主上映会で、「被ばく牛と生きる」(松原保監督)という映画を観ました。深い問題を取り扱ったとても考えさせられる映画でした。

 

 舞台は、福島県の浜通りと呼ばれる太平洋沿岸地域です。10年前の福島第一原発事故から1ヵ月後、国は20km圏内を“警戒区域”に指定して立ち入りを厳しく制限しました。事故から2ヵ月後の5月、農水省は、放射能に汚染された食肉を流通させないという理由から、20km圏内にいるすべての家畜を殺処分するように福島県に伝達します。強制非難を強いられた農家は、涙をのんで家畜の殺処分に従うしかありませんでした。しかし、国が定めた殺処分に納得できず、被ばくした牛を生かし続けようとする農家が現れます。

 事故の翌年、被ばく牛に原因不明の白い斑点模様が出現し、被ばく牛を科学的に調査する岩手大学・北里大学を中心とした大学合同研究チームも動き出しました。しかし、国は初期の被ばく量がわからないという理由から、研究の価値はないと判断し、人類に有益と思われる低線量被ばく研究にさえ協力しません。

 長期にわたる経済負担、避難先での老老介護など、やむを得ぬ事情から脱落していく農家。原発事故から5年、当初十数軒あった殺処分反対農家はついに5軒となりました。映画はその間の牛と農家の歩みと思いを丁寧に追うとともに、わたしたちの生きる文明社会や国家の問題にも迫ります。

 この映画を見ながら、最初のうちは何をどのように理解したらいいのか、よくわかりませんでした。国の方針に逆らって被ばくした牛を飼い続ける農家の姿に圧倒されながら、その中で起きていることが直ちに理解できなかったのです。しかし不思議な迫力に押されて観ているうちに、或る既視感に襲われました。それは被ばくした牛を飼い続ける彼らの姿が、100余年前に政府から立ち退きを命じられた後も、それに逆らって村に残り続けようとした栃木県下都賀郡・旧谷中村の農民たちの姿と重なったからです。

 明治時代に起こった足尾銅山の鉱毒事件は、「日本の公害の原点」というに止まらない近代日本の国家と文明のありようを問うた問題でした。栃木県足尾銅山から流出した鉱毒で1880年代後半から渡良瀬川沿岸の農地は著しく汚染されました。代議士田中正造や農民たちの運動は弾圧され続けましたが、社会主義者やキリスト教徒らの支援が活発化し世論の支持も高まると、政府は各地の鉱山へ問題が波及するのを恐れ、また政治問題化することを恐れて鉱毒調査会を設置します。そして日露戦争へと、次第に世論の関心が変わるなか、洪水防止の遊水池をこの地に造成することを画策し、ついに谷中村をつぶし、遠くは北海道のサロマベツ原野などに村民を移住させました。

 足尾鉱毒事件は、国家の殖産興業政策の柱の一つとして、また重要な外貨獲得産業として、さらには兵器生産などに必要な戦略物資として産銅業の保護育成をはかろうとする国策遂行の中で起きた事件でした。それゆえに、鉱毒に対する古河の企業責任は免罪され、鉱毒問題の解決策として一大遊水池の建設が計画され、谷中村の強制廃村とその遊水地化という形で「解決」を見ました。しかし、谷中村の強制収用は、鉱毒問題の本当の解決ではなく鉱毒問題の治水問題へのすり替えに過ぎず、鉱毒の被害や足尾山地の荒廃は続きました。足尾の汚染された堆積地が決壊すれば、今後も流域の汚染は再発するといわれています。

 映画を観ながら、足尾鉱毒事件と福島第一原発事故がダブりました。ともに国策遂行の中で起きた事件であり、問題は構造的に相似していました。原発事故の痕跡をリセットしたい現在の国と、鉱毒事件を「なかった」ことにしたかった当時の国、厄介な存在として、原発事故の生き証人ともなる被ばく牛と強制廃村された谷中村が、重なりました。それはともに国家社会の利益のために犠牲にされた“存在”であり、被ばく牛や強制退去を命じられた谷中村村民に対する扱いは、現在国によって帰還を強要される住民に対する扱いにも重なります。

 一方、谷中村の廃村という政府が打ち出した鉱毒問題の解決策に対して世論の強い反対があれば、政府の目論見は失敗するか、あるいは少なくとも難航したはずでした。そうならなかったのは、谷中村村民とそれ以外の地域の被害民とが分断され、谷中村廃村が政府や県当局の路線に進んで沿おうとする県内世論の存在によって促進されたという、もう一つの要因がありました。そこにあったのは、県全体のためという立場から谷中村の存続を非効率とする議論でした。谷中村の強制収用が、鉱毒問題の本当の解決ではなく、鉱毒問題の治水問題へのすり替えに過ぎないものであったにもかかわらず、谷中村の廃村に対し村民とともに異を唱えようとするものは県内にほとんどいなかったのです。

 翻って、国の方針に逆らって被ばくした牛を飼い続ける農家に対する福島県民の態度はどうなのでしょうか?映画に描かれていたのは、彼らに対する低い関心とさらには非難でした。その意味で言えば、これは私たち一人ひとりの意識のありようと態度を問うているようにも思います。

 強制廃村という悲劇にあった谷中村について、田中正造は次のように書いています。

 「谷中村の地勢たるすこぶる水利に富み、かつ天与の肥沃地たるにおいては日本無比、関東の第一位にあり。もし政府の悪干渉を除かば、天は即ち人民と協力して忽ち天下無比の一大美村を造り出して、社会の公益を増進するや毫も疑ひなし。ああ鉱毒はよく人の生命を刻みまた多くの町村を滅ぼしたり。今や鉱毒は変態して、土地を収用し土地を奪ふに至れり」

 映画に映った福島・避難指示区域の美しい山河と、そこに生きる被ばく牛と生きる農家の運命を見て、わたしはこの田中正造の言葉を思い出さずにはいられませんでした。

 しかし田中正造は、先の文章の最後に続けて次のように言っています。

 「しかれども天はこれに与せざるなり、谷中村は早晩必ず復活致すべく候。」

 「被ばく牛と生きる」を撮った松原監督は、次のように語っています。

 「本作品は反原発を声高に叫ぶ映画でもなく、動物愛護を謳うでもない、福島の警戒区域の中で起きたありのままの5年間を描いています。6年経った今も福島を忘れさせない、その役目を担いたいと考えています。」

 110年の時を経て、谷中村は「復活」し、「福島」は確かに意味を得たと思いました。

 


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 昨日は「やまなしの女性史を学ぶ」15周年記念講座として開かれた上野千鶴子さんの講演「女性史とフェミニズム:出会いそこねと再会」を聴きに甲府のぴゅあ総合までいってきました。

 コロナ禍で定員を50名のところを何とか参加させてもらいましたが、聴けたことは大正解でした。それまで未整理のままモヤモヤしていたものが上野さんの講演を聴くことによって、だいぶ整理できました。

 「日本女性史とフェミニズムの出会いは不幸なものであった。」という言葉から始められた女性史とフェミニズムの関係を、上野さんは「婦人問題論から女性学へ」とまとめられました。婦人問題論というのは一言でいうと問題婦人の研究です。売春女性の更生や労働婦人の出産障害等といった「問題婦人」の研究から、女の上がりであり、標準化されたライフコースであった「主婦」研究への転換を述べられたお話は刺激に満ちていて、久しぶりに知的興奮を覚えました。

 「問題婦人」の研究というのはどこかそこに自分がいないのに対し、「主婦」の研究というのはまさにそこに自分がいる。いわば女性研究における当事者性を問うたものと言ってもいいでしょう。

 これと関わって興味深かったのが、歴史学の記憶論的転回についてです。1990年代に関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめる口述歴史、オーラルヒストリーが盛んに行われました。しかし、記憶は事実とは違います。話し手はすべてを話す訳ではありません。或ることは話し、或ることは話さないのです。

 これを聴いた時、わたしはかつて水俣を訪ねた際に現地で聞いた「サバルタンは語れない。」という言葉を思い出しました。サバルタン(従属者)は語ることができない。そうだとしたら、わたしたちの目の前に残されているいわゆる歴史とは何だろう?水俣を訪ねた際に思った問いが、上野さんの講演を聴きながら再び甦ったのです。そして同時に閃光のごとく頭に走ったのが「歴史とは思い出である。」という文芸批評家・小林秀雄の言葉でした。

 歴史を書く者の心得として、小林は「ただ思い出すのでは駄目だろう。よく思い出さなければならない」と言いました。同じく、オーラルヒストリーにおいても、「ただ語るのでは駄目だろう。よく語らなければならない」のでしょう。それでは、サバルタンが語れるための条件は何なのでしょうか?それを上野さんは、よき聴き手が存在することだと言われました。話し手が先にいるのではなくて、聴き手が先にいるのだと。これが歴史学の記憶論的転回の意味だとわたしは思いました。

 そうであるとすると、女性史において聴き取りをする聴き手の存在が、決定的な意味を持つことになります。女性史の聴き手の当事者性が、まさにそこで問われる訳です。

 これを上野さんは、「歴史は物語である」とする立場と実証史学者の対比として語られましたが、換言すれば歴史家と歴史学者の違いということができるでしょう。

 彫刻家、画家、音楽家、作家、思想家、「家」がつく職業の人は、何らかの世界を創る人です。歴史家もまた世界を創る人でしょう。物語ることによって、彼・彼女は世界を創ります。そしてよく物語るためには、よき聴き手がいなければなりません。

 ハッとそこでしました。政治家も世界を創る人です。言葉によって、彼・彼女は世界を創ります。そしてよく対話するためには、よき市民(主権者)がいなければなりません。

 政治家として自分が歩んでいくための自覚をも喚起されました。コロナ禍の中で会場にいらした上野さんと山梨県立男女共同参画推進センターのスタッフの皆様に感謝したいと思います。

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 現在北杜市では議会が開かれています。そこに「18歳・22歳北杜市民名簿を防衛省に提供しないでください」という請願書が出されています。これについてはわたしも、昨年11月の市長選挙に当たって上村市長と結んだ政策協定の内容の一つであったことから、昨年12月以来市長と話してきました。そして先日、この問題についての報告を市長に手渡せていただきました。

 英明な市長はわたしの指摘を理解され、「北杜市による自衛隊への個人情報提供については議会の議決に従う」と言われました。以下は市長に渡した報告です。

 

北杜市による自衛隊への個人情報提供について

 

はじめに

 2016(平成28)年から、北杜市は市内の18歳と22歳のすべての個人情報をみずから作成して自衛隊に提出しています。一方多くの自治体では、18歳や22歳の適齢者情報の「閲覧」に止め、自衛隊にそのデータを積極的に「提供」まではしていません。2017年に防衛省が全自治体に実施した募集状況に関する調査では、全国の市町村のうち、住民基本台帳の閲覧に止めたのが53%の931自治体、名簿を提出したのが36%の632自治体、残る約10%は小規模自治体などで防衛省が情報提供を求めていません。

 これについては、2019年2月10日の自民党大会で安倍前首相が、市町村の6割以上が隊員募集に協力を拒否しているとして、それを改善するために憲法を改正して自衛隊を正面から明記すべきだと発言し、物議を醸しました。

 上村市長は憲法第九条の改正に反対されています。自治体が適齢者の個人情報を自衛隊に提供しないことは、国に対して非協力だと非難されなければならないことなのでしょうか。以下では、北杜市の自衛隊への個人情報提供の諸問題を検証し、それに対する市の採るべき判断について述べることとします。

 

1.住民基本台帳法上の問題――「閲覧」と「提供」の差違

 住民基本台帳法(住基法)第11条は、国による住基データの「閲覧」を認めています。防衛省は、この規定によって入手した個人情報(氏名、住所、生年月日、性別の4情報)を基に募集を行ってきましたが、いつの頃からか閲覧を超えて「提供」を求めるようになってきました。しかし、住基法第11条で規定されている「閲覧」を「提供」にまで膨らませることは、法的に問題があります。住基法第11条には、国または地方公共団体の機関が、法令で定める事務の遂行のために必要である場合に限って、市町村長に対し、住民基本台帳に記載されている個人情報のうち「氏名・生年月日・性別・住所」の4情報の写しの〈閲覧〉を認めると書いてありますが、これを超えてより積極的な「(個人情報の)提供」までも認める規定は存在しないからです。

 

2.北杜市個人情報保護条例上の問題

 次に、自衛隊隊員募集と北杜市が制定している個人情報保護条例との関係です。北杜市個人情報保護条例は、個人情報保護のために、個人情報の利用及び提供の制限として、実施機関による個人情報の目的外利用を禁止しています。「実施機関の長は、法令等に基づく場合を除き、利用目的以外の目的のために保有個人情報(保有特定個人情報を除く。以下この条において同じ。)を自ら利用し、又は提供してはならない。」(第8条)

 自衛官募集に関して問題になってくるのは、北杜市が自衛隊の要請に基づいて住基台帳のデータの一部を「提供」することが、「法令等に基づく場合」に該当するのかどうかです。自衛隊法第97条及び同法施行令第120条によっているので、提供には法令の根拠があるというのが政府の主張です。

  しかしそれについては、これから見るように、自衛隊に対する適齢者情報の提供に関して「法令等に基づく」と言えるのか、疑問です。

 政府によって情報提供の法的根拠とされているのは、次の自衛隊法第97条とそれを受けた同法施行令第120条です。

 「都道府県知事及び市町村長は、政令で定めるところにより、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う。」(自衛隊法第97条)

 「防衛大臣は、自衛官又は自衛官候補生の募集に関し必要があると認めるときは、都道府県知事又は市町村長に対し、必要な報告又は資料の提出を求めることができる。」(自衛隊法施行令第120条)

 ①まず自衛隊法第97条1項により、自衛隊募集業務は市町村の法定受託事務とされていますが、同条は市町村長が行う募集事務内容を具体的に定めるものではなく、例えばポスターの掲示や資料の備置等、さまざまな事務遂行の方法が考え得る下で、プライバシーや個人情報保護に抵触する恐れのある適齢者情報の提供という特定の事務遂行方法を根拠づけるものではありません。

 ②次に自衛隊法施行令第120条は、防衛大臣が市町村長に対して資料の提出を求める旨定めていますが、同条のような、いわゆる「できる」規定に基づく提供は、北杜市個人情報保護条例第8条でいう「法令に基づく場合」には該当しません。自衛隊法施行令第120条は、防衛大臣の協力要請を根拠づけるものに過ぎず、防衛大臣の要請に対し自治体が応じなければならない「義務規定」はありません。

 事実、同条による資料提出要請について、2003年4月23日衆議院・個人情報の保護に関する特別委員会において、宇田川政府参考人は「市町村長に対しまして適齢者情報の提供を依頼しているところでありまして、あくまで依頼でございます。」石破防衛庁長官(当時)も「市町村は法定受託事務としてこれを行っておるわけでございます。私どもが依頼しても、こたえる義務というのは必ずしもございません。」と答弁していて、あくまで依頼に過ぎず市町村長にこたえる義務がないことは確立した政府解釈です。法定受託事務は、法律・政令による「委任」によりはじめて地方公共団体が処理することができることになるので、「依頼」によるものついては、市町村は断ることができるのです。

 また、自衛隊法施行令は国会が制定した法律ではなく、内閣の判断で制定できる政令に過ぎません。本来、法律の施行に当たっての細目的事項を定める下位法規である政令に、法律による授権の範囲を超えた定めをおくことは許されません。自衛隊法施行令第120条は、同法97条の施行を目的とするものですが、97条本体に個人情報の提供に関する定めがないのに、施行令により広範な個人情報の提供が認められるというのは解釈上無理があります。施行令第120条による個人情報の提供は同法97条の授権の限界を超えるものです。

 以上により、自衛隊に対する個人情報の提供は、「法令等に基づく場合」には該当しておらず、北杜市個人情報保護条例に違反していると言えます。

 ただ、問題は北杜市個人情報保護条例第8条2(3)「他の実施機関、国の機関、独立行政法人等、地方公共団体又は地方独立行政法人に保有個人情報を提供する場合において、保有個人情報の提供を受ける者が、法令等の定める事務又は業務の遂行に必要な限度で提供に係る個人情報を利用し、かつ、当該個人情報を利用することについて相当な理由のあるとき。」についてどのように考えるべきか、ということです。ここで言う「相当な理由」がある場合とは、大規模災害や、現実に日本が他国から侵略を受け、国民の生命・身体・財産等の利益や国家の基本的な設備や組織、国土等が具体的に危険にさらされているような緊急状況においては、公共の利益のために個人の権利が事前にしかも包括的に制限されることが許されるという趣旨です。したがって、この「相当の理由」というのは、個別具体的で一般に緊急性を要するような理由であるとか、明らかに公益性を優先するような場合でなければならないと考えられます。適齢者情報を市町村長が積極的に提供することは、自衛隊の隊員募集についての事務・経費の軽減に過ぎず、条例における個人情報の目的外利用を許容する理由としては薄弱です。

 

おわりに

 以前から自衛隊には住基台帳の「閲覧」は許可されてきたのであり、「提供」が許可されなかったとしても募集業務に特段の不都合が生じるとは考えられません。同じく国民の安全、国土の安全に携わっている海上保安庁や警察、消防職員などの募集についてはされていないのに、どうして自衛隊の募集に個人情報が提供されるのか。構成員の募集の手段として、住基データを包括的に収集し、個別にダイレクトメール発送するなどということを行っているのは自衛隊だけしかなく異質な方法であると言えます。

 国と地方自治体の関係は、1999年に地方分権一括法が制定されて以降は対等となっており、防衛省からの請求・依頼に応じなければならない法的義務はありません。自治体側が、自衛隊側からの名簿提供の求めに応じるかどうかは任意であり、提供を義務付ける根拠は存在しません。

 例えば、札幌市、水戸市、横浜市、相模原市、鎌倉市、座間市、平塚市、茅ケ崎市、小田原市、大井町、松田町、山北町、真鶴町、湯河原町、逗子市、三浦市、厚木市、大和市、海老名市、綾瀬市、藤沢町、秦野市、伊勢原市、愛川町、寒川町、大磯町、二宮町、中井町、箱根町、清川村、上越市、飯山市、須坂市、中野市、小布施町、高山村、木島平村、上田市、小諸市、東御市、長和町、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村、伊那市、加賀市、羽咋市、かほく市、川北町、志賀町、能登町、小松市、珠洲市、白山市、能美市、野々市市、宝達志水町、大津市、千早赤阪村、橿原市、広島市、大分市などの自治体は、閲覧のみに留めています。

 このように全国1729市町村のうち、約6割の自治体が防衛省からの請求・依頼に応じておらず、神奈川県葉山町のように名簿提出から閲覧に戻した自治体もあります。自衛隊が自衛隊法や同法施行令を根拠に、自治体に適齢者情報の「提供」までをも求めるのは、法的な権限を超えるものであり、北杜市がこれを拒否したからといって、政府から「非協力的だ」と非難される理由はありません。前市政にはこのことが浸透しておらず、求められたら個人情報保護との関係を十分に検討しないまま応じるという対応の実態が浮き彫りとなりました。

 2017年(平成29)に阿部知子衆議院議員が、適齢者情報提供など自衛官募集事務への地方公共団体の協力姿勢について政府の認識を問うたのに対し、安倍前首相は「自衛官及び自衛官候補生の募集に係る資料については、その重要性について地方公共団体から一定の理解を得ているものと考えている。引き続き、その提出につき求めて参りたい。」と答弁しています(「内閣衆質187条第二号平成26年10月7日)。そうであるとすれば、「その重要性について地方公共団体から一定の理解」を得られていないとなれば、その提出につき協力する必要もないことになります。

 集団的自衛権行使等を容認する2015年9月19日の安保法制の制定の結果、自衛隊の活動範囲が拡大し、隊員の生命・身体への危険は増大しています。現実に南スーダンに派遣された部隊が内戦の渦中におかれて全滅の危機に直面しました。しかしそういう自衛隊をめぐる実態は国民に伝わっているとは言えません。そういう下で、今日の自衛隊への入隊勧誘は、勧誘対象者の生命身体への現実の危険を不可避的に伴うものであり、そのために個人情報が利用されることに対する若者やその父母ら、市民の不安は軽視できないものです。事実、北杜市ではこのような不安を感じた市民から、一昨年、昨年のそれぞれ6月定例市議会、そして今年3月の定例市議会に「北杜市当局が個人情報を防衛省に提供することは止めて欲しい」旨の請願が提出され、今年3月の請願については「継続審議」のままです。「その重要性について地方公共団体から一定の理解を得ている」とは言い難い状況です。

 他方、自衛隊は、自然災害を始めとする災害の発生時には、地方公共団体などと連携・協力し、国内のどの地域においても、被災者や遭難した船舶・航空機の捜索・救助、水防、医療、防疫、給水、人員や物資の輸送といった、さまざまな活動を行っています。実際、平成23年3月の東日本大震災では、大規模震災災害派遣及び原子力災害派遣において、最大10万人を超す隊員が対応しました。そうした活動の結果、平成 24 年 1 月に行われた内閣府の「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」において、東日本大震災に係る自衛隊の災害派遣活動は高い評価を得、平成 27 年 1 月以降に行われた同世論調査でも、自衛隊の災害派遣活動に対する高い評価は維持され、認知度も高くなっています。自衛隊が地道に積み上げてきた献身的努力が実を結んだと言ってもいいでしょう。また近年異常気象による大規模災害が多発していることを考えれば、北杜市においても自衛隊の災害派遣活動を求める可能性があります。そういうことを考えたとき、市民の間にある懸念と反対を横において名簿提供を行うことは、自衛隊に対する評価を低下させるという意味で、自衛官募集という目的を達成するうえにおいてだけでなく、自衛隊との信頼関係を築くうえでも却って、マイナスになると思われます。

 以上のようにさまざまな問題点を孕んでいるにもかかわらず、前市政は、市民に対してパブリックコメントを募るなどの市民の意見表明の機会も設けませんでした。少なくとも北杜市はこの問題について住民に情報を提供しその声を十分に聞いた上で、住民の権利擁護の視点から主体的判断を行うべきです。

 場合によっては、北杜市が自衛隊に適齢者情報を提供する是非について、市は審議会を設置してその意見を聴くことも必要であると思います。

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 昨日は、子どもと一緒にシャトレーゼスキーリゾート八ヶ岳に行ってきました。

 何と、北杜市内の保育園や学校に通う中学生以下の子ども達に無料のリフト券が配られたのです。


 子どもは初めてのスキー🎿自分の子どもの頃を思い出しながら、付きっきりでボーゲンを教えました。教えているうちに、指導のコツを思い出して、最後には息子も転ばないで下まで滑ることができました

 その後、わたしもスノーボードで滑りました🏂

久しぶりの滑走でしたが、身体は覚えていて、思った以上に滑ることができました。

 信州で生まれ育ったわたしは冬になれば決まったように滑りにいっていましたが、昨日はおまけ程度に滑ったきり。子どもをもつと自分の滑りは二の次になるということが分かりました。そう言えば、結婚してからスキー場にきたのは昨日が初めてでした😅


 わが家からシャトレーゼスキーリゾート八ヶ岳まではクルマで約20分。八ヶ岳スケートセンターまでも同じくらいの所要時間です。

 信州の実家から一番近いスキー場まで、50分程度かかっていましたから、今はウインタースポーツをする環境としては抜群と言えます。

 八ヶ岳で育つ魅力をまた発見しました‼️