これでも、政府&JR東海の言うことを信じますか?


リニアには前科があります。 


山梨県のリニア実験線を工事した時にも、沢などに水涸れが起きました。


 多大な電力を食うリニア新幹線を作る究極目的は原発稼働、維持·新設にあります。 


 その他にも、電磁波、地震災害、トンネル事故、自然·環境破壊、水涸れ、巨額の税金投入、人口減少社会におけるリニアの現実的な必要なさ等々、リニアには百害あって一利なしです。


まさに現代の「戦艦大和」であって、建造を止めさせなければなりません。


このリニアに使うお金はあっても、教員の定数増や残業代を支払うお金はない?

「異次元の少子化対策」⁉️ 笑止。


リニア新幹線のトンネル工事を一時中断へ JR東海社長が表明 井戸やため池など14か所の水位が下がった問題を受けて(CBCテレビ)#Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/d3dc8521f05f5cd13cad769c9b3014cee1d7f

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 昨日は泉小学校の「ふるさと大行進」があり、PTA会長として協力させていただきました。


  前日とは打って変わって快晴の天候で、最高の「大行進日和」でした。


  「ふるさと大行進」と聞いても耳慣れないと思いますが、他校でいう遠足を思い浮かべてもらうとイメージできると思います。 

  なぜ泉小学校では「大行進」と呼んだかというと、6年生から1年生までの縦割りだったからだそうです。日程も以前は全日の「大行進」でした。 

  それが今は学年ごとになっているのは、新型コロナウイルス対策で密集を避けるため。また半日だけの「行進」となっているのは、学校給食が自校給食からセンター給食に変わったからだそうです。 

 自校給食の時は天候によって「大行進」のスケジュールを調整しなければならなくなっても機動的に対応できましたが、センター給食となってからは対応できなくなったので、それ以来、半日の日程で開催しているという話でした。


  特色ある学校行事を大切にすることは、地域に対する愛情を育み、さらには地域の一体感を醸成していくように思いました。 


  真っ青な空の下、史跡を中心にふるさと·大泉を子どもたちと歩くことができて、とてもよい時間と経験でした。




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大型連休も今日で終わりです。皆さんは連休をどのようにお過ごしになられたでしょうか?

私は5月の連休初日の憲法記念日に、憲法に関わる催しに参加するために甲府までいってきました。

 

日本国憲法も施行から77年を迎えて人間の年齢で言えば「喜寿」となります。参加したうちの一つの「山梨護憲の集い」では、いわゆる護憲勢力の後退と改憲に前のめりである現政権、そしてそれに同調する一部の野党に対して危惧の念が主催者から語られました。

 


施行から77年が経ち、先の大戦の記憶が薄れていく中で、何を切り口にして日本国憲法を教えたらいいのか?続くパネルディスカッションでは、笛吹市の中学校で教えているという教員から質問が出ました。


憲法施行時から77年が経ち、当時と現在では時代状況も社会状況も異なります。その中で日本国憲法の意義を伝えるということは、日本国憲法の普遍性について伝えるということだと思います。


これについて、現在において日本国憲法を教える切り口は個人の尊厳にあると私は思います。


集会でも取り上げられていた自民党の改憲草案(20124月)は、日本国憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」を「全て国民は、人として尊重される。」と修正しています。「個人として尊重される」が「人として尊重される」に変えられているのです。

私はこれを重大な変更であると考えます。例えば、陸上自衛隊で深刻な性暴力を受けた五野井里奈さんが声を上げることができたのは、日本国憲法によって個人の尊厳が保障されていたからです。

自衛隊という階級制度が絶対的な組織内で、階級が下でかつ女性である五野井さんが加害者の先輩を告発するというのは至難のことです。個人の尊厳が保障されていなかった大日本憲法下ではほぼ無理だったでしょう。

組織や権力の前では、個人は弱い立場にあります。かつて個人は共同体や組合といったお互いに助け合う集団に属することによって、自らを守ってきました。しかし、市場社会の発達とともにそういった互助的な集団の力も低下して、現在、個人は孤立していく傾向にあります。

そのように社会の包摂力(共助)が低下していく中では、弱い立場の個人の権利を公権力が守る必要があります(公助)。具体的には個人の権利が憲法によって保障される必要があるのです。

生徒はこれからそういった現代社会に出ていくわけですから、憲法による個人の尊厳の保障が自分自身のウェルビーイングにとっていかに大切であるかということを、実際の事例を踏まえて教えていくことが憲法を教える切り口になると思いますし、日本国憲法の普遍性を伝えていくことであるとも思うのです。

 

最後に、当日の資料として、自民党による「改憲4項目」の提案が配られていました。その資料では、憲法に自衛隊を明記する理由として、自衛隊の活動が国民の支持を得て、自衛隊に対して国民がよい印象を持っていることが挙げられていました。



しかし上述の五野井さんが受けたような性暴力や隊内でのいじめ、続出する自殺のような自衛隊の実態は国民に広く伝えられていません。

最近ではさらに、「有事だョ!全員集合」といった悪ふざけでは片づけられない自衛隊のポスターや、陸上自衛隊大宮駐屯地さいたま市)の第32普通科連隊が、X(旧ツイッター)で同隊の活動を紹介する際に、「大東亜戦争」という言葉を使って投稿していたなど、日本国憲法の成り立ちを無視し原則から逸脱するような実状が見られます。

そういった現状がある中で自衛隊を憲法に明記するというのは説得力がないと思います。

 

いろいろ憲法とその周辺について考えさせられた今年の憲法記念日になりました。

 憲法記念日、皆さんは憲法について何を考えたでしょうか?

 



 ある日は「土方」、別の日は草刈り、と思えば「左官」、そして伐採、等々、日雇人夫の日々。

 適性のない私だけれど、「続ける力」はあると思う。

 これまで2人が辞めた。私よりずっと能力のある手練れの人たちだった。


 幼い頃から政治に興味を持って、大学は政治学科に進み、さらに大学院にいって政治を研究して博士号を取得した。

 そして現実に政治を良くしたくて、政治活動を始めた。学問したことを現実に役立たせなければ意味がない。しかし、それから5年が経ったが、当選することはできていない。

 いつまで続けることができるだろうか。立てた志を実現するために、毎日を必死に生きている。

 生活に追われながら志を持ち続けることの辛さや大切さを今痛感している。


新年明けましておめでとうございます。
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 今日は、今年最初の国際平和論の授業でした。


 前月は、沖縄戦から現在の南西諸島へのミサイル基地配備までを取り上げて、沖縄から平和を考えました。
 その去年最後の授業の日に、沖縄県名護市の沿岸で進む米軍辺野古基地の建造をめぐり、福岡高裁は玉城デニー知事に対し、国が申請した設計変更を承認するよう命じる判決を出しました。そして国土交通大臣は28日、沖縄県に代わり工事の設計変更を承認する代執行に踏み切りました。



 それを受けて今日は、この辺野古新基地建設問題について玉城沖縄県知事の意見陳述など紹介して、これまでの議論を踏まえてそれぞれの感想を発表しました。


 「沖縄にとっての戦争は終わっていない、と思った。」「沖縄が地政学的な要地である限り、たとへ辺野古に新基地が造られなくても沖縄に基地負担が残ることは避けられないと思う。」「沖縄県に基地負担を押し付けていることを国民は薄々感じていて、沖縄を可哀想と思っている。だけれど、じゃあ、自分の選挙区のある県に米軍基地を移設しようと訴えたらその政治家は当選しないと思う。だから現状は変わらないと思う」などなど、いろいろな感想が出ました。
 その中で「辺野古代執行訴訟の資料を読んでも、辺野古に新基地を造ることはおかしいと当たり前に思う。それにも関わらず沖縄県が敗訴し、新基地の建設が止まらないのは、昨月の沖縄戦の授業で話された個人と組織人の問題なのだと思う。基地建設を進めている人たちも、心のどこかでこれは間違っている、と感じていると思う。しかし組織人として行動して(お給料をもらっている)ので、建設を止められないのだと思う。」という感想は印象的でした。
 確かにアジア・太平洋戦争の時も、少なからぬ人たちが「この戦争を続けても勝てない。」と思っていました。しかし負けると分かっていても、戦争をやめられませんでした。
 他ならぬ牛島満沖縄守備軍司令官も部下に対して、「この戦争は負ける。敗戦後の日本の復興のために貴君らの若い力が必要だ。貴君らが故国復興の原動力になってほしい」と語っていました。その一方で、「南部撤退」を命令し、「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」と徹底抗戦を命じました。
 つまり、個人としては「戦争が敗北に終わる」ことを認識しながら、組織人としてはその認識とは反対の決断を下した訳です。
 「これは現在の辺野古新基地建設をめぐる状況と同じではないのか?」と学生は言ったのです。
 官僚や裁判官、そして基地建設に従事する労働者たちの中にも、「辺野古への新基地建設は間違っている。この基地建設はうまくいかない。多大な血税を浪費して、国と沖縄県の関係に禍根を残す。」と思っている人がいるかもしれません。彼らはひょっとしたら、家庭や居酒屋でそのことをポツリと呟いているかもしれません。
 しかし組織人として、彼らは周知の通りに決断し行動しているのです。その中身を私たち国民は徹底的に追及して変えていかない限り、「現状は変わらない」でしょう。

 「この授業を受けて初めて、沖縄県の辺野古に新基地が作られていることを知った。」という学生が大半でした。
 知ることで、彼ら彼女らは実にいろいろなことを感じ、考えます。重いテーマでしたが、取り上げてよかったと思いました。
 
 授業が終わった後、辺野古で、防衛省が軟弱な地盤の改良工事を含む大浦湾側の海の埋め立てに向け、工事を始めた、というニュースが入ってきました。
 学生たちはこのニュースをチェックするでしょうか。

 辺野古代執行訴訟における沖縄県知事の意見陳述をアップしますので、ぜひご覧ください。



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 今、鹿児島県から沖縄県に至る南西諸島への自衛隊配備による軍事化が進行し、中国を事実上の仮想敵としたミサイル網が急速に構築されつつあることをご存知でしょうか?

 そんな状況に光を当てた映画の上映会が北杜市であり、12月17日、高根図書館まで足を運びました。

 

 「ドキュメント石垣島」というその映画は、2023年3月の陸上自衛隊石垣駐屯地開設の過程を追ったドキュメンタリーです。

 映像制作者の湯本雅典さんによると、もともとは、来年1月完成予定の「この島に戦争という言葉はない(仮題)」の一構成要素だったのを、3月の石垣島の基地建設の報道が本土であまりにもされていないのを見て、ピックアップして先行上映したということでした(;^_^A



 

 映画は3月4日の市民による交流集会の模様から始まり、翌5日の軍用車両の搬入、全国集会、16日の部隊発足、18日のミサイル弾薬の陸揚げ・搬入、その後に行われた沖縄防衛局による住民説明会の模様まで、駐屯地開設をめぐる動きを追っていました。

 畜産農家の避難は可能なのか、外交努力はできないのか、など、集会では住民の不安と心配の声が飛び交っていました。

 

 ドキュメンタリー映像の後、補足として石垣島に住む4人のインタビュー映像がありました。

 その中で引っかかったのが、高校卒業後自衛隊員4年で満期除隊し、その後漁師を続けているという方が、自衛隊基地建設に賛成する理由として、尖閣諸島への中国艦船の侵入の増加を挙げていたことでした。それというのも、私の理解では、尖閣諸島に中国艦船の侵入するようになったのは、故石原慎太郎元都知事が尖閣諸島を東京都が購入する意向を示したのを受けて、野田佳彦政権が尖閣諸島を国有化したためであったからです。要するに、中国が突如として侵入を始めたのではなく、原因があってのことで、それを飛ばして中国の侵入と自衛隊基地を結びつけて基地開設に賛成することに違和感を覚えたのでした。

 

 映像の上映後、制作者の湯本さんから補足のお話がありました。そこで湯本さんが話されたのは、尖閣諸島に中国艦船が侵入する割合が激増したのは、野田政権が尖閣諸島の民有地を国有化して以降であること。2014年の日中4項目合意以降はそれも月2~3回に減り、問題解決のための外交努力の余地は充分にあるということでした。

 問題はメディアがそうした事実を正確に伝えていないことであり、『東京新聞』のような比較的リベラル傾向の強い新聞でも、「2012年の国有化以降、中国海警局の船による領海侵入が常態化。」(2022年)という共同通信から配信された記事を載せている、と紹介されていました。そういったメディアの情報を鵜吞みにしていれば、先の漁師のかたのような意見になるのかもしれません。

 したがってそうした情報を反省的に受け止めることのできるリテラシーの有無が重要だと思いました。漁師のかたのインタビューを耳にしたとき私が違和感を持てたのは、日中国交正常化をしたとき田中角栄首相と周恩来首相の間で尖閣諸島の領有問題については棚上げで合意され、後に鄧小平からは「領土の主権にかかわらない状況下であれば、釣魚島(魚釣島)付近の資源の共同開発を考慮することができる」と海域の共同開発の提案もあったことを知っていたからです。

 中国艦船の領海侵入の引き金をひいたのは日本のほうであり、そのことを知っていれば中国の行動についてもいたずらに不安を感じることはないのです。

 歴史的知識を踏まえたリテラシーの重要性を痛感しました。

 

 また、湯本さんが力説されていたのが、自衛隊ミサイル基地建設の是非を問う石垣島の住民投票運動でした。

 陸上自衛隊ミサイル基地建設に対して様々なリアクションが起きました。その中で特筆すべきが、島の若者たちが始めた住民投票運動です。

 この運動は2018年、1ヵ月間で石垣市の有権者の3分の1以上の署名を集めましたが、市議会は住民投票条例案を否決しました。

 また石垣市の自治基本条例には、有権者の4分の1以上の請求があったときは、「所定の手続を経て、住民投票を実施しなければならない」とされているにもかかわらず、市長はそれを無視しました。

 若者たちは裁判で住民投票の実施を求めましたが、1審、2審でそれぞれ、却下、棄却されました。

 日本政府が琉球弧を軸に日米一体の軍事戦略を展開、強化している中、憲法と地方自治の破壊が進んでいる時に、あくまでも話し合いを求め、地方自治のあるべき姿を追い続ける若者たちに湯本さんは希望の光を見出していました。

 

 実を言うと、この日湯本さんが言及された「石垣市自治基本条例」については私も以前から注目していました。それは2020年に北杜市で選挙があった際、私は北杜市に自治基本条例を定めることを政策提言しましたが、その時全国の自治基本条例を調べた中でこの石垣市自治基本条例が住民自治に関する規定において特に目を惹く条例だったからでした。

 しかしその「自治基本条例」を廃止するための条例案が2019年12月16日に石垣市議会で採決されたという報道もありました。幸いにしてその条例案は否決されましたが、「これは一体どういうことなのだろうか?」と訝しく思っていました。

 それがこの日の湯本さんのお話を聴いて理解できました。それは、この上映会の主題である陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票実施を求めて「市住民投票を求める会」が2018年12月 に直接請求した際に、「自治基本条例」を実施の根拠としていたからだったのでした。

 「自治基本条例」を廃止するための条例案が否決された後も、「自治基本条例」に対する攻撃は止まず、2021年6月28日とうとう市議会は住民投票実施の根拠である第28条(住民投票条項)を削除してしまいました。そして今年5月23日、那覇地方裁判所は「2021年に自治基本条例の住民投票条項が削除されたため、原告に最早投票権はない。」として、若者たちの訴えを却下したのでした。

 ドキュメンタリーの中で、私はこの「事件」に最も注意を惹かれました。自衛隊基地建設、台湾有事、中国の脅威と聞くと問題がやや遠くに感じられます。しかしこれを私たちの自治の問題ととらえると、ぐっと近づきます。実際そうしてとらえて運動を起こした若者たちが石垣島にいたということは、暗い日本の政治における「光」のように感じました。

 

 今年の秋から私はとある大学で国際平和論を担当しています。この授業を引き受けるに当たって、日本から平和を考える上で沖縄を外すことはできないと考えて、6月には沖縄県の辺野古や沖縄戦の戦跡を探訪しました。そして沖縄戦が決して過去の出来事ではないということを伝えたくて、前週の授業では学生と一緒に「ドキュメント石垣島」の映像も視聴しました。

 

 「政治に無関心でいることはできるかもしれない。しかし誰も政治と無関係でいることはできない。」わたしはそれを、戦争体験者だった祖父から、戦争から、学んで、6年前に政治活動に足を踏み出しました。

 

 「誰も政治に無関係でいることはできない。」その最大の例は戦争です。

 

 今、日本は平和を脅かされる暗雲に包まれつつあります。「ドキュメント石垣島」が映し出した世界はそのシグナルを私たちに送っているかのようでした。

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 山梨県北杜市では中学校を始め、図書館、公民館など公共施設の統合が行政によって模索されています。そのうち、中学校の統合については適正規模等審議会を傍聴したり、学校説明会や地域説明会に参加して報告させていただきました。

 図書館については、今年7月に北杜市立図書館適正配置等検討委員会による「北杜市立図書館適正配置に関する提言書」が行政に提出されました。そこでは北杜市に8館ある図書館を3館に統合することが提言されています。

 一昨日、この計画について考える「学習と交流の集い」が長坂農村環境改善センターであり、私も参加してきました。

 

公共施設統合の背景にある財政の見通し

 

 上村市長は行財政改革を自らに使命と課しています。そしてその取り組みとして新・行政改革大綱を策定し、それを第3次総合計画に加えました。こういったことはそれまでの二つの総合計画になかったことであり、現市政の特徴です。

 この行革の柱の一が、公共施設の保有量の最適化です。新・行革大綱は「(北杜市の)保有する延べ床面積の約55%を縮減する必要」があるとしています。その理由として挙げられているのは、持続的な行財政運営です。新・行革大綱によれば、「人口減等に地方税収入の減少に伴い、一般財源収入の減少が見込まれ」、「実質単年度収支が令和7(2025年度)までプラスを維持できる見込みですが、合併特例事業債の発行期限終了などの影響が顕在化してくる令和8(2026)年度以降は、マイナスに転じ、財政状況が悪化する見込み」であり、そのために公共施設の保有量の最適化が必要であるとされています。合併による国からの交付税の支援措置がなくなったり、公共施設等の適正管理に対する国による地方財政措置が終わったりして、「借金できる額が減るから公共施設を減らしますよ。」と言っているのです。

 その一方で、北杜市の基金(預金)の累積残高は217億円で合併時から167億円増えています。また市債(借金)の累積残高は480億円でピーク時から529億円減っています。実際、公債費による財政負担の度合いを示す指標である実質公債費比率は、平成19(2007)年度には19.0%でしたが、令和3(2021)年度は5.5%となっています。また“現在、市が負担している債務総額は、1年間に見込まれる税収等の何倍にあたるか”を示す将来負担比率については、平成19(2007)年度の160.5%から令和3(2021)年度の0.0%へと大きく変化しています。

 県内の類似自治体である山梨市と甲州市の令和3年度の実質公債費比率がそれぞれ11.5%、15.9%、同じく将来負担比率がそれぞれ62%、90.8%であることと比べても、北杜市の財政状況はそれほど悪くないことが見て取られます。特に積立金現在高は169億6547万1千円で、山梨市の84億4279万9千円、甲州市の44億2864万4千円を大きく上回っています。

 ちなみにこの積立金のうちの少なからぬ額が新庁舎建設に関わる財源として確保されています。要するに使うところには使っている訳です。



 


 北杜市立図書館統合の問題点

 

 新・行革大綱は、市立図書館の今後の基本方針として、「中核的な図書館3施設程度に集約・再編し、機能の充実・強化を図ります。」「集約・再編にあたっては、教育的な支援の拡充など、図書館サービスの質的な強化充実を図るとともに、賑わいの創出、市民交流、コワーキングなど新たな価値創出としての機能の充実・強化も図ります。」と示しています。

 実際、今年7月に行政に提出された北杜市立図書館適正配置等検討委員会による「北杜市立図書館適正配置に関する提言書」は、新・行革大綱に書かれている通りに図書館を8館から3館に統合し、残りの5館は北杜コミュニティ・コモンズというものにするとしています。そしてその機能として、図書館サービスポイント、地域活動拠点、居場所機能、図書館の利用に障害がある人へのサービスを記しています。

 市民団体の質問に対する検討委員会の答では、書架は無し、蔵書は無し、図書館員は無しで、あるのは、新聞雑誌の閲覧、くつろぎ、学習、イベントに使えるスペースだけで、パソコンなどで申し込んだ本の受け渡しはするが、図書館員はいないため、相談等はできないといった図書館ではなくなる内容でした。

 日本は1954年に「図書館の自由に関する宣言」を採択しました。その宣言では、「図書館は、基本的人権の一つとして知る権利をもつ国民に、資料と施設を提供することを最も重要な任務とする」と謳われています。したがって、統合による図書館サービスの低下は、知る権利の侵害として基本的人権にかかわる問題です。効率化の名の下に周辺部の住民の基本的人権が侵されてしまうのです。

 

 住民自治と図書館

 

 行財政の効率化をどこまでも進めることを目指すなら、いっそ図書館を無くしてしまえばいいかもしれません。しかしそうしないのは、図書館が自治と民主主義を機能させるために必要なものだという価値を、私たちが共有しているからです。

 教育基本法では、図書館は社会教育施設に位置づけられていて、図書館は市民(=主権者)を育成する役割をもっています。

 図書館が3館に統合されれば、居住地から図書館までの距離が遠くなり、住民が図書館に足を運びにくくなります。コミュニティコモンズでは、調査研究といった図書館の固有の役割は果たせません。それは私たちの自治の力を弱くさせます。図書館は単なる本の貸し借りの施設ではなく、住民自治を育てる公共空間なのです。

 その意味で、今度の図書館統合問題によって盛り上がった運動は、まさに住民自治を作り出す図書館運動であり、住民みずからが図書館維持に関わり、その図書館によって住民自治を進めようとしていると言えます。

 議会としては、公立図書館を地域経営の核に位置づけて活動すること、総合計画の中に公立図書館のビジョン、ミッション等を明記することに関わる必要があります。

 最近の北杜市図書館資料購入費をみると、令和元年度の1,194万円から令和4年度の881万円へと大幅に低下しています。予算編成のシーリング目標(予算の前年比削減目標)も、白倉市長の時の3%から10%に上がっています。

 住民自治によって図書館はつくられ、図書館によって住民自治は進化・深化します。議員・議会として図書館に関わっていかなければなりません。

 そのことを確認した集いでした。



私のブログをご覧いただき、有難うございます。

 

 度々お伝えしていますように、山梨県北杜市では中学校の統合が行政によって模索されています。2019年8月から昨年2022年3月まで北杜市立小中学校適正規模等審議会が設けられ、その答申を受けて昨年7月から今年2月まで北杜市中学校再編整備検討委員会が計4回開かれました。

 今年6月からは市内各小中学校の保護者に「これまでの検討内容について知っていただくとともに今後の方向性に関わるご意見を伺いたい」という趣旨で、中学校の再編整備(統合)に関わる説明会が開かれました。

 その説明会には私も出席し、その模様ならびに説明会後に北杜市教育委員会に提出した私の質問や意見についても、このブログで報告させていただきました。

 そして今度地域説明会が開催されるということで、昨日11月16日、大泉総合会館で行われた北杜市立中学校再編整備地域説明会に参加してきました。

 

少ない参加者

 

 会場の受け付けで名前を書いた時に驚いたのは、人数が少ないことでした。開始時刻の10分前に受け付けをすませましたが、私が4人目でした。その後始まるまでに入ってこられたのは、私の気がついたかぎりでは1名でしたから、合計で5名程度だったことになります。会場である2階のホールはガラガラでした。

 

ビックリさせられた回答

 

 説明会で配られた資料は学校説明会で配られた資料と同じで、それに「学校説明会での主な意見」が書かれたA3の紙と山梨県の「はぐくみプラン」の説明資料が付いていました。



 説明会はまず、北杜市立中学校再編整備のこれまでの検討経過について教育長から説明があり、続いて教育委員会の担当者から資料内容について説明があった後、質疑応答に入りました。

 参加者からの質問をいくつか紹介すると、「『小学校の地域の上に、北杜市全体を我が町という意識を醸成し、市全体を地域ととらえた教育を推進する』と言うが、学校規模、通学範囲が大きくなることによって子ども同士が本当につながることができるのか?」「統合で各地域ならではの教育を深めていくことができるのか?」「今回の中学校再編整備の検討を北杜市の教育内容について考える機会にして欲しい。」「今日の地域説明会の参加者はとても少ないが、今後説明・意見交換の機会を設ける予定はあるのか?」といった質問が出ていました。

 私については7月の学校説明会の時に質問しましたし、さらにそれらを書面にして教育委員会に提出もしましたので、「改めて質問することもないかな」と思いました。しかし参加者も少なく時間を持て余しそうな流れでしたので、今回も質問を大きく2つさせていただきました。

 

 ①「2つの観点を踏まえた方向性の検討」と言いながら、説明の基調は行財政運営の観点(新・行政改革大綱)であり、相変わらず教育的観点(適正規模審議会からの答申)を踏まえていない。1例として、適正規模審議会で示された提言の「水平統合による教育の主なねらい」の中に「複数の小学校から集まることにより、さらに人間関係を広げ、社会性を高めるとともに、互いが刺激し合い切磋琢磨する関係を築く。」と書かれているが、答申にはそのような記述はない。却ってそこには、「大規模校であれば、広い人間関係が得られ、新しい友達をつくる機会がもてる、人間関係が広がる、趣味、関心などの世界が広がる、社会性を培える、競い合い、切磋琢磨できる、といった言説は、『人の数が多ければ人間性が豊かになるのか』という問いを失っている。人間性が豊かになる多様性のある環境では、人数の多寡ではなく、コミュニティにおける人間関係の質が問題となる。多様な人間関係やコミュニケーションの経験は、大勢の集団ではなく、むしろ少人数のコミュニティの中で育まれることが、さまざまな分野で指摘されている。」と述べられている。そして、「少人数・小規模であること自体が解決すべき課題だとするためには、このような学校で学んでいる子どもたちやかつて学んだ人々が人間関係上どのような課題を抱えているか、また、クラス替えができないことでどのような課題が生じるのか、個別の数少ない事例ではなく一般的に言えるレベルの根拠を明記することが不可欠である。」と指摘している。しかし今日の資料ではそのような根拠が明記されているとは思えない。これについてはどのように答えるのか?

 

 それに答えた教育長の回答はビックリさせるものでした。「適正規模審議会には答申に書かれているもの以外にもさまざまな意見があった。資料はそれを踏まえたものである。」と言われたのです。

 教育長の回答にしたがうならば、審議会が答申を出す意味はどこにあるのでしょうか?

 答申とは、諮問機関が、諮問を受けた事項について行政官庁に意見を具申することです。審議会の中ではさまざまな意見が出されます。時間をかけて議論し、それらを精査、検討した上で審議会としての意見がまとめられて答申書として行政に提出されます。

 教育長の回答はこういう答申の意味に見向きもしないでいるわけでして、答申を無視して「中学校再編に係る基本的な方向性」を出したと言っているに等しい。しかし資料には、踏まえた観点を「適正規模審議会からの答申」と明記しているのですから、資料に整合性がないことに加え、市民を欺いていることになります。

 私がこれを問題視する理由は、市教委による公的な資料に書かれたことは市民に影響を与えるからです。市教委が作成した資料に書いてあれば、「そういうものか」と市民は受け取ってしまう恐れがあります。それですから、公的な説明資料に書かれるものは、市民をミスリード(誤導)しないように、それなりに検証されて科学的な根拠を持つものでなければなりません。それは教育長が答えたような「委員の意見」の記載であってはならないのです。

 

どうして説明会に市民の関心が向かないのだろうか?


 2つ目の質問は、「大切な中学校の再編整備の説明会にも関わらず、これほど少数の参加者しか得られないことについての理解を教えていただきたい。」というものです。

 これについて教育長の最初の回答は「残念に思う。」でした。「これでは回答になっていない。私はこの現状に対する市教委の理解を尋ねている。」と再度訊いて、返ってきたのは「市民の皆さんが出席されない理由について私が分かるはずがない。」という答でした。

 この回答を聞いて、それこそ残念に思いました。これまで相当の時間をかけて議論をしてきて、今日の現状であるのには理由が何らかあるはずです。

 その理由の一つに、「意見を言っても、反映されないから。」「どんなことを言ったって、結局は市の持っていきたい方に持っていくのだろう。」「参加しても、『説明会を開催しました。』という市のアリバイ作りに加わって終わるだけだろう。」という失望、諦め、無力感が広がっていることがあると私は思います。

 こう言う私自身も冒頭に述べた質問書に対する回答を市教委からいただいていません。これについて会場で問い質したら、「検討委員会の委員の皆さんには伝えている。多くの質問や意見に一つ一つ答えることはできない。」という回答でした。正直に言って、力が抜けました。少なくない時間と労力をかけて書いて提出したものに対する対応がこれでは、私だって関心が殺がれてしまいます。

 市民からの意見をのらりくらりかわしてたとえ行政が目的を達したとしても、それと引き換えに地域からは自治の気概が損なわれます。「どうせ、何を言っても無駄だ。」という感想は市民の間に行政に対するシニカルな感情を醸成して、自治と民主主義の基盤を掘り崩していきます。

 実際私の周りにも初めは関心を抱いていた人が上に書いたような感想を抱くことによって、関心を失っていく例をいくつか見ました。

 昨晩私が目撃した場景は、ひょっとしたら北杜市の自治をめぐる寒々しい現状だったのかもしれません。

 そしてその中心に今の北杜市行政があるのだとすれば……

 「このままいっていいのか?」

 そう強く思いました。



わたしのブログをご覧いただき、有難うございます。

 

 昨日、山梨県立文学館で映画「荒野に希望の灯をともす」(谷津賢二監督)の上映がありました。この映画はアフガニスタンとパキスタンで病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた医師・中村哲の生き様を追ったドキュメンタリーです。中村医師の業績と生を伝える機会が山梨で持たれるのが尊くて主催の末席に加わってお手伝いをさせていただきました。



 会場はほぼ満席で中村医師に魅かれる人の多さを窺い知ることができました。



 今回の上映会では、映画の前に撮影・監督した谷津賢二さんからお話もありました。中村医師の人間味あるエピソードなどが紹介され和んだ雰囲気で映画を迎えられました。



 映画は、なぜ医者である彼が井戸を掘り、用水路を建設したのか?という問いをめぐって展開されます。

 日本で精神科医として勤務していた中村医師が、パキスタン・アフガニスタンで診療活動に従事し、やがて襲い掛かった干ばつと戦って、食糧配給、井戸掘り、用水路建設へと活動を進めていく様を見ていると、「平和とはいのちを大切にすることに尽きる。」「私たちにとって平和は理念ではなく現実の力なのだ。」という彼の言葉が腑に落ちました。

 中村医師は本当に平和主義者なのです。彼にとって、診療活動に従事することも、井戸を掘り、用水路を建設することも、「いのちを守る」ということで共通していて一貫していたのだと思いました。平和を「現実の力」として捉えていたからこそ、診療活動から用水路建設まで彼は至ったのでしょう。

 そのとき、真正の平和主義者であった中村医師が水にこだわった訳が分かりました。水さえあれば、人間は生きていくことができるからです。だからいのちを大切にするなら、水を大切にせざるを得ません。「いのちの水」なのです。

 また、中村医師は、「水が善人、悪人を区別しないように」、地域や宗教や文化を「優劣」や「善悪」で裁かないことをくり返し語っていました。

 

  「私たちは、地域の宗教や文化を『優劣』や『善悪』で裁かないのが鉄則です。私たちは現地に、社会改革のために行っているのではありません。人々にいのちの尊さを知らせ、いのちを守ることに腐心してきました。」

 

 中村医師にとって、水は、「優劣」や「善悪」といった人間の勝手な物差しを超えたいのちのイメージであったのでしょう。

 対テロ戦争の名の下に、米軍が空爆をしていたとき中村医師が発した「彼らにはわからぬ喜びが地上にはある」という言葉は、「いのちを守る」喜びから生まれた確信だったと思います。

 翻って現在、ガザではハマスの攻撃に対するイスラエルの報復爆撃が行われています。犠牲になっているのは主に女性、子供、老人、弱い人たちで、アフガン報復爆撃の時と同じ構図です。

 中村医師が急逝してから4年が経とうとしていますが、彼の訴えに私たちは愈々耳を澄まさなければならないと感じます。

 

  「憲法は我々の理想です。理想は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と。」

 

 「憲法は守るのではない、実行すべきものだ」。かつてこの中村医師の言葉を目にして以来、それは脳裏に焼き付いて離れませんでした。

 そして、映画を今回観て思いました。

 「憲法を実行する目的は、平和を創り、守っていくためなのだ」と。

わたしのブログをご覧いただき、有難うございます。

 

 1026日に「中部横断自動車道 長坂~八千穂 都市計画に関する説明会」が八ヶ岳やまびこホールであり、いってきました。



会場は満席で関心の高さが窺えました。説明会ではAIの音声を使った都市計画原案の自動説明の後、質疑応答がありました。

山梨県の職員が質問に答えていましたが、充分な回答とは言えなく、疑問が多く湧きました。

特にわたしが気になったことは、これまでの計画段階評価手続きについてでした。

配られた資料によれば、平成252013)年1月~2月に行われた地元説明会で、地域のルート検討としてA案とB案を提示したとあります。しかし質疑応答の中で、この時に提示された両案はそれぞれ中央自動車道長坂ICから分岐するルート案で、同時期に作成されていた中央自動車道須玉ICから分岐するルート案が提示されていなかったということが知らされました。

計画段階評価では複数ルート案の提示と比較検討が必要とされます。山梨県の説明者はこの「須玉ICから分岐するルート案が急勾配かつ不経済だったために提示しなかった」と回答していましたが、答えになっていませんでした。全ての条件を満たすルートなどはあり得ない話であって、「長坂IC案」も問題点を抱えています。(根強い反対運動はその証左です。)したがって、「長坂IC案」なり「須玉IC案」なり、それぞれを提示してそれらが持つ長所と短所を住民に比較検討する機会を与えることは必須です。それを役人が勝手に独り決めして住民に対して判断の機会を与えないことは主権在民に反しています。判断するのは国民であり、国民がよりよく判断できるための材料と機会を用意することは公務員の責務です。比較検討の機会を与えるためには、最低でも須玉IC・双葉IC分岐のルート案を複数ルート案として提示すべきだったと思いました。それをしなかったということは計画段階評価の施行に重大な瑕疵があることになります。

また配られた資料に記されている計画段階評価の中には、地域住民の皆様等とのコミュニケーション活動(アンケート、オープンハウス、意見交換会)とありましたが、今日の質疑応答の模様から見るとそれもかなり不充分なようでした。その資料中の「引き続き都市計画法の手続きにより公平性・透明性の確保により合意形成」という記載は、実態と乖離しています。

昨年61日に開催された全国高速道路建設協議会の第58回総会で、長崎幸太郎山梨県知事は「中部横断自動車道のミッシングリンクである長坂~八千穂間が解消されることで、その先の国際拠点港湾の活用が身近となり、海と空に拓かれた『開の国』へと進化します。」と話しました。

しかし道路は海と空に拓かれるだけではいけません。最も大切な道路の役割は、人と人の間を拓くことにあります。人と人の間を拓くとは、コミュニケーション活動を活発にするということです。それは先ず地域住民の間を拓くことから始まらなければなりません。そこで行政はその先導役を務めなければなりません。そのためには、行政が情報をオープンにして住民に信頼されることが必要です。そうしたことがなされた時に、山梨県は海と空に拓かれるだけでなく、住民に拓かれる「開の国」へと名実ともに進化すると思います。

道路がそのための「道」となったならば、それは素晴らしいと私は思うのです。

それには今からでも計画段階評価をもう一度やり直し、これまでの反省に基づいて「どういう道路にすればやまなしを拓くことができるか」、地域住民と考え話し合うことが大切です。そうしなければ作られる道路の基礎も確かなものとならないからです。

 最後に、説明会の議事録を取らないというのも不可解でした。道路建設に向けた「透明性の確保」を謳っていても、これでは説得力がありません。本当に『開の国』へと進化する道路を建設しようとするならば、最低限のことでしょう。残念でした。