11月15日に北杜市長選挙が執行されます。それに向けてわたしは後援会会報を相次いで発行し、市民の皆様の間を廻り、政策提言を行うなど、活動を続けて参りました。そうしていたところ、同じく北杜市長選挙に立候補を予定されている上村英司さんから、「飛矢﨑さんと合同したい。」というお願いをいただきました。

 それによると、「移住者の本当の気持・考えについて、飛矢﨑さんを通して把握したい。」「独自の哲学をもって日本国憲法の平和主義を追求した石橋湛山を尊敬する者どうし、停滞した北杜市政を刷新していきたい。」というお話でした。

 この依頼を受けて、わたしは熟慮、検討した結果、これに応じることを決めました。その理由は、この2年間上村さんがわたしの主宰する「市民政治塾やまなし」や「近現代史学習会」、「政治家の学校」に出席され、わたしの理念に理解を深められ、その上でわたしの理念と政策を実現したいとお話を持ってこられたこと。魅力ある学校づくりを通して、魅力ある持続可能な地域づくりを目指すことで一致したこと。そのために、従来にとらわれない発想で、上村さん自身が新しいことに恐れることなく挑戦することを約束されたからでした。

 そして合同するに当たって、上村さんとわたしは次の四つの政策協定を結ばせていただきました。

 

 ①医療・介護・教育現場で働く人びとから始まって、受けたい人が受けられるようなPCR検査体制を行政として整備すること。

 ②学校と地域との協働により、子どもの多様性を認め、少人数であることを活かした教育を行うこと。

 ③従来の保育・教育に係わる公的支援が受けられない認可外保育・教育施設に対し、従事者の処遇向上を目的として助成を行うこと。

 ④北杜市は自衛官募集協力のため、若者の名簿を作成し、自衛隊山梨地方協力本部に提出することを中止すること。

 

 わたしたち二人は話し合ううちにお互いに対してそれまで抱いていた幾つかの疑問も氷解しました。そして一緒にいろいろ協働できる余地が大きいことが分かりました。少子高齢化、人口減少、財政難、新型コロナウィルス感染拡大など、北杜市は現在大きな課題を抱えています。こうした課題に向かい合いながら、持続可能な地域をつくっていくために、二人が合同することによって北杜市政に貢献できるということで、一致したのです。

 今回の合同に当たって、わたしと上村さんとの特別講演会を以下の日時と場所で企画させていただきました。

 

 〇日時〇2020年10月31日(土)午後7時〇須玉ふれあい館会議室

   〇2020年11月1日(日)午後2時〇甲斐駒センターせせらぎホール

 

 以上今回の北杜市長選挙における上村英司と飛矢﨑雅也の合同の趣旨について、御報告致します。



いつもわたしのブログをお読みいただき、有難うございます。

 

 今日は、息子の通う泉小学校の秋季運動会にいってきました。

 

 

 

 

 

 

 朝方は雨でしたが、開始時刻までには晴れ上がって、めでたく運動会を行うことができました。

 

 

 

 

 新型コロナウイルス感染症拡大のため、今年は分散開催。中学年、低学年、高学年に分かれて、それぞれ約1時間ずつ、種目も最低限に絞って行われました。

 異例の形式での開催でしたが、子どもたちは練習の成果を存分に発揮して、精一杯競い合い、協力し合っていました。

 

 

 

 

 先生方の御指導のおかげで、子どもたちの素晴らしい成長を見ることができました。

 

 

 

 

 PTAの皆様も含め、準備もたいへんだったと思います。本当に感謝です。

 

 

 

 

 一方、子どもたちがマスクをして競技に臨んでいたのは可哀想でした。炎天下の中、マスクをしての進行は先生もたいへんだったと思います。

 

 

 

 

 これがPCR検査を受けることができていたら、あるいはマスク着用なしで運動会をできたかもしれません。PCR検査を受けて陰性でしたら、教員も保護者も児童も、マスクなしで校庭にいられた訳です。そうだったら、みんながもっと楽に快適に、運動会に参加できたでしょうし、分散開催ではない運動会もできたかもしれません。

状態が不透明のままであるために、しなくてもいい疲労と無駄をしていると思いました。

こうした負担を取り除き、児童、教員、保護者が気持ちよくスムーズに臨める環境を整備することは行政の責任である、と考えます。

そしてこれに類したことは、教育現場だけではなく、医療、介護を始めとするさまざまな現場で起こっているのではないでしょうか?

そこで、市民のこうした負担を軽減するべく、「いつでも、どこでも、誰でも、何度でも」PCR検査を受けられる体制を北杜市が整備することを、わたしは提言しています。

残念ながら、北杜市では現在この体制が整っていません。そのために、市民は疑心暗鬼のなか、生活することを余儀なくされています。

この「金縛り」を解くことができれば、さまざまな活動も活発化して、ひいては最大の経済支援ともなると考えています。

今日の運動会を見ながら、改めてその思いを強くしました。

PCR検査を社会的検査として行うことを、この北杜市でも実現していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

人間が最終的に目指している幸福とは何だろうか?それは、自分にとって貴重な人と出会い、その人とどれだけ豊かな時間を過ごせるかということだとわたしは思う。そんなことを確信させられるような出会いをいくつか持ってきた。一昨年に亡くなられた戸田三三冬さんとの出会いもその一つである。

 

 わたしが戸田三三冬さんに初めて会ったのは、『日本アナキズム運動人名事典』の完成記念会だった。「乾杯!」とイタリア語で力強く音頭を取っていたのが印象的だったが、その時自分はまだ大学院生で、戸田さんに積極的に近づいていくのは恐れ多い気がし、名刺の交換をしただけでその場は終わった。

その後、ちょうど出版したばかりだったわたしのデビュー作『大杉榮の思想形成と「個人主義」』を郵送で献呈したが、何の反応もなくて、彼女との関係はそれっきりになっていた。

それから一年ちょっと過ぎた頃だっただろうか。一枚の便箋が届いた。差出人を見ると、「戸田三三冬」とある。封を切ると、返事の遅れを詫びる言葉とともに、『大杉榮の思想形成と「個人主義」』読了し、感動しました。」「大杉の『社会的個人主義』に立つ反逆は、平和学に私が応用している『構造的暴力』の『内面化』への闘いともつながるように思います。」と書いてあった。

当時わたしは博士論文の執筆に掛かっていたが方向性を見いだせずに苦しみ悩んでいた。それだから彼女の言葉は嬉しかった。また「構造的暴力」という語も初めて見るもので、それが大杉の反逆とつながるという言葉には研究のヒントを見る思いもした。それで彼女が別送してきた平和学の本を貪るように読んだ。

その後彼女にお礼と感想の返事を書いて送ったら、後日電話がかかってきた。「今、布留川信というアナーキストの蔵書の整理をしている。何人かでしていて、あなたも会わせたいからこないか」という話だった。

「わたしにとって欠くべからざる出会いである」と言う勢いであったので、博士論文にもがいていた自分は気分的には乗らなかったが、訪ねてみた。するとそこには戸田さんの他三人がいて、その中にはOさんやKさんもおり、初めて知己を得た。

ひと作業終わった後、皆で鍋を囲んだが、戸田さんの料理の腕は見事で、彼女の取っていた「大地を守る会」の美味しい食材と相俟って、孤独だったわたしの心と胃袋を一杯に満たしてくれた。

その後、定期的に彼女のところに御邪魔して、布留川さんの蔵書の整理をしながら交流した。その雰囲気はとても温かく、わたしを柔らかく包んでくれるようだった。そこで彼女はよく布留川さんのことを話してくれたが、その話を聞きながら「大杉たちが共に過ごしていた空気と場所とはこういうものだったんじゃないだろうか」とよく思った。いま共に過ごしている場によって、布留川さんについて戸田さんの話されていることがありありと伝わってきたのであった。それは共同性と自由の不離一体の関係であり、平たく言えばアナーキズムの核心には「居場所」があるということだった。

しかしそんな訪問も長くは続かなかった。通い始めて一年ぐらい経った頃、戸田さんは脳梗塞を再発されて倒れられたからだった。その後、幾度か御見舞いにいこうとしたが、「とても面会できるような状態ではない。気持だけ受け取らせていただきたい」という御連れ合いの意向もあって、叶わなかった。

戸田さんと出会ったことによって初めて、わたしはアナーキズムの魂を知った。それによって博士論文の執筆をスタートさせることが出来たといっても過言ではない。

戸田さん、有難うございました。御冥福を心からお祈りします。



 

いつもわたしのブログをお読みいただき、有難うございます。

 

8月に入ると同時に梅雨が明け、連日暑さが続いています。

そしてそれと日をほぼ同じくして、わたしの後援会会報No.4も発行されました。



今号の主な内容は、北杜市の新型コロナウィルス感染症対策にたいするわたしの提言です。

新型コロナウィルス感染症は今日明日の中に終息するものではありません。長丁場となることが予想されます。そうした新型コロナウィルス感染症にたいして、北杜市の取るべき対策は何か?そのことを提言としてまとめさせていただきました。

 

そしてただ今、提言を携えてわたしは北杜市内方々を廻り、市民の皆様と意見交換をさせていただいています。提言というのはその後の意見交換が大切でして、そのために提言を行うとまで言っても過言でありません。

今日は、そんな中で考えさせられたことを紹介させていただきます。

 

北杜市は名だたる山に囲まれた風光明媚な場所です。そんな環境に惹かれて、多くの別荘があり、そこを拠点として少なからぬ人びとが北杜市で過ごしています。それは北杜市がもつ特徴の一つと言ってもいいでしょう。

したがって、歩いていると、必然そういうかたがたにもお会いします。そういう中で昨日はこんな意見をいただきました。

 

「新型コロナウィルス感染症対策として、北杜市が全市民に8万円を給付する案を出したことは知っている。またそれが減額されて3万円の商品券となって配られることも知っている。しかしその対象は北杜市民なのでしょう。わたしはここに住民票がないから関係ない。でも、おかしいよね。わたしたちはここで買い物を多くしているし、いろいろな施設も利用してお金を使っている。税金も北杜市に納めている。それなのにわたしたちは蚊帳の外に置かれているのだから。」

 

考えてみれば、確かに一理あります。新型コロナウィルス感染症は人を選びません。北杜市に住民票がある人は罹り、住民票のない人は罹らないというものではありません。そしていったん罹ればそれは住民票の有無を問わず北杜市に関わる人びとの生活に影響を及ぼします。そうであれば、北杜市が取るべきはもっと視野の広い対策だったのではないでしょうか?

 

「関係人口」という言葉があります。関係人口とは、地域外から旅行や短期滞在で訪れる人とは異なって、自分のお気に入りの地域に週末ごとに通ってくれたり、頻繁に通わなくても何らかの形でその地域を応援してくれるような人たちのことをいいます。

「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない関係人口は、しかし地域や地域の人びとと継続的に関わっています。

彼ら彼女らは多様な人びとであり、また多様な生活形態を持っています。北杜市を廻り、そういう人びとと会って話していると、彼ら彼女の存在が北杜市に独特の深みと面白さを与えており、北杜市の魅力を生み出しているということが分かります。


対象となる人を問わないのが、政治のはずです。わたしの出会ったような地域のファン、地域の課題解決にも関わってもらえる地域外の人びととの絆を強くし、ネットワークを広げられるような取り組みこそが、北杜市に現在求められているように感じられました。

 

北杜市の新型コロナウィルス感染症対策にたいするわたしの提言をお知りになりたい向きは、どうぞわたしまでご連絡いただければと思います。



これからも、わたし飛矢﨑雅也は市民の皆様の間を歩き、共に考え、提言し続けていきます。

 

いつもわたしのブログをお読みいただき、有難うございます。

 

 202062、北杜市は、新型コロナウイルス感染症対策の「支えあい北杜! 心がつながる応援プロジェクト」の第2弾として、市民に一律5万円の商品券と3万円の現金を給付するなどの施策を発表しました。

 

 

報道によれば、今後商品券を利用できる店舗を募り、8月をめどに配布を始め、現金3万円は9月以降に給付する予定ということです。

その他、「お出かけキャンペーン」として市民バスを3ヵ月無料にする。18歳未満の子どもを持つ親を支援する「お父さん、お母さん応援給付金」として1世帯に5千円。保育園に入園していない子どもがいればさらに「おうちで保育応援給付金」5千円をそれぞれ給付する、といったことも発表されました。

そのために市は、69日に開会する6月定例市議会で、補正予算案に4915万円を計上し、財源として市の基金を約40億円切り崩すということでした。

 

この発表についてわたしはやや唐突な感じを覚えました。それは、発表された施策がこれまでの市政が推進してきた路線と正反対の内容だったからです。

 

1 基本的な疑問

 

渡辺英子・現市長は前の白倉政司市政の継続を訴えて4年前当選しました。そして当選後は前市政が敷いた緊縮財政路線を継承してきました。その結果、誕生時にあった市の借金1000億円余は約560億円まで削減され、一般の預金に当たる基金のうち使途が定められていない財政調整基金は47億円にまで積み上げられました。

今回切り崩そうとするまちづくり振興基金、財政調整基金は、緊縮財政の下でそれぞれ積み立てられたものです。

その基金を切り崩して行われる今回の施策はこれまでの緊縮財政路線と矛盾しており、これを議会に提出するならば、市はこれまでの路線との整合性を市民に説明しなければなりません。

 

 

またもしこれを新型コロナウイルス感染症拡大という未曽有の事態を受けた措置だと主張するならば、それは市政の路線転換ともいえるような政策ですから、執行部はそれについて市民に説明し、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けた新しい路線、つまりビジョンを市民に示さなければなりません。それがなければ、今回の支援策はビジョンを欠いた「バラマキ」という評価を免れる訳にはいかないでしょう。

そもそもこれだけの規模の財政出動を行うならば、それは市のビジョンとの関係において策定される必要があります。

北杜市の令和2年度の予算(歳出合計)は2926,388万円ですから、今回の補正予算額はその約6分の1という巨額の規模となります。これは今年度の市の教育予算を15億円近くも上回る額です。

「コロナ後」の市民の生活を見据えた時、それは本当に効果的な支援策なのか?今回の支援策が「コロナ後」の市民の福祉にどのようにつながっていくのか?そうした検証を欠いたままの目先のことに囚われたものであっては、市民に対して無責任でしょう。

 

2 わたしの提言

 

新型コロナウイルス感染症の拡大を受けた生活変革は始まったばかりです。新型コロナウイルス感染症は終息していないどころか今後もそれに付き合っていかなければなりません。そのことを考えれば、「コロナ後」を見据えた支援策を市は講じていく必要があります。

そのためにまず取り組むべきはPCR検査などの医療体制の整備です。現在、北杜市ではPCR検査体制が確立していません。今後も続く新型コロナウイルス感染症との関わりを考えれば、市民の不安を和らげる自前の医療体制の整備は必須です。さらにそれに関わる医療支援も必要です。

ところが、「市内の経済は非常に厳しい状況にある。思い切った対策を実行する必要がある」(「山梨日日新聞」202063日)という市長の言葉にある通り、今度の支援は経済偏重でその主目的は事業者支援となっています。

しかしそのような内容の支援は国からすでに出されており、むしろ市は現場の実情に即したきめの細かい支援を行っていくべきです。

たとえばわたしの子どもが通っている放課後児童クラブでは、新型コロナウイルス感染症の拡大が始まってからマスクは100枚しか配られていないということでした。そのため、職員は止むを得ず自分で買うなり、作るなりしたマスクを着用して働いています。「せめて111枚分のマスクは支給して欲しい。」という切実な声を聞きました。

また保育園で働く保育士にもマスクの支給はなく、保育士は自腹で買うか作るかしてマスクを着用しています。

一斉休校期間中も保育園は開いていましたし、放課後児童クラブは朝から児童を受け入れていて、両施設の先生方とも必死で子どもたちを引き受けていました。このような現場の実態に即した支援を漏れなく行っていくことは、市の役割ではないでしょうか?

保育所、放課後児童クラブなどへのマスクやその他の感染防護用品に対する財政支援の必要性については、320日のブログで既に提言させていただきました。しかし市は動いていません。

また聞くところによると、臨時休校や自粛要請の影響で、福祉事業所の利用者は激減して、ある事業所などは3月、4月は通常の半分以下の収入で職員の給料が追い付いていないと言います。医療、介護、福祉施設への財政支援を強化する必要があります。

山梨日日新聞が県内の公立病院に昨年と今年4月の医業収益を聞いたところ、北杜市の塩川病院と甲陽病院は、前年同月比でそれぞれ1200万円(7.4%)、2000万円(12.3%)の減となっていました(「山梨日日新聞」2020613日)。新型コロナウイルスの感染予防のための受診控えや感染者用の病床確保に伴う入院制限などが影響したと見られ、病院側は財政支援を求めています。

同じく、新型コロナウイルス感染症の拡大は、県内の民間病院の経営も圧迫しています。県内37の病院でつくる県民間病院協会の高原仁会長は、患者が受診控えをしていることなどを挙げ「どの民間病院も4月以降は赤字になっているだろう」と話しています。

高原会長は「公的病院と異なり、民間病院は赤字を補填してもらえるわけではない」と指摘し、感染者を受け入れている民間病院に対しては「損失を十分にカバーするシステムがつくられなければならない」と訴えています。

また感染第2波への懸念も高い中で、入院患者受け入れのために各病院で抗原検査を可能にするよう求めました(「山梨日日新聞」2020613日)。

教育現場、医療現場、福祉現場といった場所の被害は数字に表れません。したがって被害を受けたままである恐れが高いため、市はきちんとした実態調査を行うべきであり、そうした丁寧な手続きの上に支援策は定められなければならないと思います。

その他にも、経済的に大きな影響を受けている中小事業者や生活困窮者等の支援に関する事業を継続的に行うための基金を新たに設置することについても、検討する必要があります。

また財源についても、基金を切り崩さないお金の捻出の仕方も探ってみるべきです。

わたしはお金を使ってはならないと考えていません。むしろ使わなければならないところには積極的に使うべきだと考えています。しかしそれは、使って終わりという使い方ではなく、北杜市と市民への投資とならなくてはいけません。

その一例として小規模校・少人数学級の実現を挙げることができます。今年の1月から2月にかけて、市は学校の適正規模等に係る地域説明会を開きました。

「学校の適正規模をどのようにしたらよいか?」というそこでの議論は、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けた現在、喫緊の課題です。3密の点から教室の人数を減らす工夫が求められ、分散登校などの措置が取られています。

こうした「コロナ後」を睨めば、小規模校・少人数学級の実現は現実的な必要事項であり、そのためには教員を加配しなければなりません。その実現のためには多額の財政措置が必要であり、これまでそれは財政上困難であるとされてきました。しかし今回の件で、そのためのお金はあるということははっきりした訳です。

この実現やICT機器の整備・活用によって、新型コロナウイルス感染症の拡大に対する子育て世代の不安が除かれ、併せて教育の魅力化が図られれば、子どもたちを伴ったUIターンや教育移住も増えることでしょう。

このように、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けた支援策は継続性とまちの持続性の視点から策定される必要があり、さらにそれは市のビジョンとの関係において評価されなければなりません。

今回の支援策が「コロナ後」の北杜市民の幸福にどのようにつながっていくのか?

6月定例市議会での議論を注視したいと思います。

いつも私のブログをお読みいただき、有難うございます。

 新型コロナウイルス感染症の影響は拡大し続け、それは長期にわたることを覚悟しなければならないようです。
 今回はこの事態の下で起きているある出来事についての記事を紹介させていただきます。
 紹介するのはコロナ危機の深刻な影響が広がるなか、権利を行使し、生活を守ろうと実際に立ち上がり、声を上げ始めた労働者についての記事です。

 国が整備した制度(新型コロナウイルス感染症による小学校休業等対応助成金)を会社に利用してもらえず、困っている労働者は少なくありません。それは助成金を申請するのは企業であり、労働者個人が申請することはできないからです。そして、企業には助成金を申請しなければならない法的義務はありません。
 日本国憲法に則るならば、労働者個人を救済するに充分でないこの制度設計に問題があるといえます。第13条は基本的人権の保障として「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあるからです。
 その一方で、紹介されている事例は、要求しなければ権利は実現しないということ、権利の上に眠る者はその権利を失くしてしまうということも、知らせています。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。」(日本国憲法第12条)という訳です。
 しかしそうは言っても、会社に対して個人が権利を要求することは、心理的にも、物理的にも難しいこともまた事実です。そこにおいて私たちに必要であるのが、仲間です。仲間に相談することによって分からないことも分かり、独りでは言いにくいことも仲間と一緒に交渉すれば主張しやすくなります。そしてこの場合の仲間は、労働組合です。

 「会社が助成制度を利用してくれない場合、労働者 がそれを実現させるための手段は、労働組合による 交渉が唯一の方法だと言っても過言ではない。労働 局に相談すれば、会社に対して利用するよう働きか けてくれるかもしれないが、会社がそれに従わなけ ればならない法的義務はない。他に頼れるのは労働 組合以外にないのだ。」

 新型コロナウイルス感染症による緊急事態の下で、私たちは権利の上に眠るのか、それとも権利を行使するのか。憲法を実行することこそが今求められている、とわたしは思います。

 「2つの事例から分かることは、ただ制度が整備さ  れただけでは、労働者の権利行使は実現しないとい うことだ。労働法の知識やユニオンの力を使って声 を上げることによって、はじめて法的権利や制度を 有効に利用できる。」

 そしてそれを実行するために不可欠なのは、協同の力です。
 新型コロナウイルス感染症によって、私たちの社会は分断に向かうのか、それとも協同を強くするのか、その分かれ道にわたしたちは現在立っているのかもしれません。

 日常の生活現場の記事からそんなことを考えさせられました。

https://bunshun.jp/articles/-/37228

 いつもわたしのブログをお読みいただき、有難うございます。

 

 新型コロナウイルス感染症の影響が拡大し、それはわたしたちの生活にもさまざまに及んでいます。そこで新型コロナウイルス感染症対策に関して、わたしから山梨県・北杜市へ四つの提言をさせていただきました。今回は前回の続きからです。

 

提言① 時短勤務による減収分の補償を!

提言② マスクや感染防護用品などの資材確保へ財政支援を!

提言③ フードバンクや子ども食堂へ未利用食品の寄附を!

提言④ 「経済支援・生活支援・医療支援総合窓口」の設置を!

 

提言③ フードバンクや子ども食堂へ未利用食品の寄附を!


 (前回の続きから)

  そこでさらにそちらに問い合わせましたら、厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課母子家庭等自立支援室と厚生労働省社会・援護局地域福祉課生活困窮者自立支援室との連名で、「新型コロナウイルス感染症対策に伴い発生する未利用食品の利用促進等について」という事務連絡を発出していました。

それによると、310日に創設された「学校臨時休業対策費補助金」によって、学校設置者がキャンセルせずに事業者から購入した食材に係る経費が補助されるということでした。

未利用食品の具体的な活用方法としては、生活困窮者自立支援制度を活用した生活困窮者支援やひとり親家庭の支援に役立てたり、公共料金を滞納されている世帯等を中心に配布し、生活上の困りごと等のきっかけとすること、一時生活支援事業や子どもの学習・生活支援事業利用者に配布し、生活を支援したり、訪問と組み合わせて見守りに役立てること、学習支援と子ども食堂の一体的な実施を進める中で当該食品を活用して食事を活用すること等、取組みが挙げられています。

そのための有効な策として、フードバンクへの寄附が推奨されていました。フードバンクとは、「食品関連事業者その他の者から未利用食品等まだ食べることができる食品の寄附を受けて貧困、災害等により必要な食べ物を十分に入手することができない者にこれを無償で提供するための活動を行う団体」です。フードバンク等の協力によって、一人親家庭及び生活困窮世帯に対する学習支援事業における利用者宅への食品等の配布を促進しようというのです。

そのためにフードバンクへ寄附した場合の経費も補助の対象となるということでした。念のために言い添えますと、この補助金の補助対象にはキャンセルせずに事業者から購入した食材の処分に要した経費も含まれます。すなわち、寄附しなかった食品を北杜市が処分したとしても、それにかかった経費はフードバンク等への寄附に要した費用と同様に補助されるのです。廃棄しても寄付してもそれにかかった費用はわたしたちの税金から払われるということであり、文科省の担当者はフードバンクへの寄附を推奨していました。

以上を確かめてから、もう一度北杜市の担当部署に問い合わせましたら、「先に回答した以外にありません。」とにべも無く言われて終わってしまいました。

しかしこの事務連絡は、山梨県教育委員会学校給食主管課を通して、管内市町村に周知されているものです。

実際、甲府市では市内の小中学校の給食で使われる予定だった食材で作った100円の弁当が、子ども食堂を運営する20の団体でつくる「グループにじいろのわ」によって子どものいる家庭を対象に販売されました。

また甲府市総合市民会館の中にある「なないろカフェ」では、学校給食で使う予定だった食材を有効活用して、格安の弁当を販売することになりました。

また山梨県では、南アルプス市にある「フードバンク山梨」が今度の事態を受けて支援に動いています。318日の朝刊には、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う休校措置で子どもが食事を取れなくなったり、収入減が予想されたりする世帯への支援を目的に、県内で就学援助を受けている世帯を対象に食料を無償提供することが報じられていました。すでに9日に申し込みのあった約700世帯に食料を発送しましたが、生活に困窮している世帯はさらにあるとみて、追加の支援を決めたということです(「毎日新聞」2020318日)。

それですので、フードバンクについても、子ども食堂についても、市から話が一切出てこないというのは解せません。フードバンクが未利用食品を必要としていることは明瞭であり、北杜市の抱える未利用食品が役立てられる道はあります。さらにフードバンクへの寄附に要する費用は国によって補助されるというのですから、躊躇する理由はどこにもない訳です。廃棄にかかる費用も、寄付にかかる費用もわたしたちの税金によって賄われるなら、困った人びとへの寄附に使われた方がいいに決まっています。

また北杜市には子ども食堂もありますから、そちらに未利用食品を提供するということも検討できるのではないでしょうか?実際、埼玉県加須(かぞ)市では33日、市立小中学校の臨時休校に伴う給食の中止で廃棄する予定だった食材を、市内の子ども食堂運営団体などに提供し、生活に困窮しているひとり親家庭への支援などが検討されています。

北杜市では、何らかの理由によって親が面倒をみられない子どもについては、今般の休業中も学校に受け入れているということです。しかし彼らに昼食は提供されていないということす。そうでしたら、文科省の「連絡」に書かれていたような支援を必要とする状況がまさにある訳です。

2019年住みたい都道府県&市町村ランキング調査を行ったブランド総合研究所の田中彰雄社長は、若い世代を呼び込むのに「教育・子育て」は必須の施策で、これに「デザイン・センスが良いまち」というイメージを加えて両者を向上させれば、住みたいという居住意欲度だけでなく、住民の住み続けたいという定住意欲度を高めることにもなると述べています。

北杜市は「2020年版 第8回住みたい田舎ベストランキング」(『田舎暮らしの本』20202月号)の小さな町ランキング総合部門で第2位となっています。フードバンクや子ども食堂といった団体に寄附を行うことによって「教育・子育てのまち」というイメージがアップすれば、都市格(ブランド)は高まり、「住み続けたい」という定住意欲度も上がるのではないでしょうか?

子育て支援で注目を浴びている明石市は、あかし版子ども食堂、里親100%プロジェクト、無戸籍者支援、離婚前後の養育支援、児童扶養手当の毎月支給といった取組みによって、子育て層の増加と出生率の上昇が掛け合わさり、人口がV字回復しています。その結果、税収は平成24年度から28年度にかけて約15億円も増加しました。

少ない歳出施策であっても、それらを創造的な子育て支援政策につなげることよって民間の力を最大限に引き出して、「明石ブランド」の創造に成功している訳です。

新型コロナウイルスという逆境は見方を変えれば、北杜市の都市格(ブランド)を高めるチャンスです。このチャンスをものにするための具体的な施策の一つとしても、フードバンクへの寄附を提言したいと思います。

 

提言④ 「経済支援・生活支援・医療支援総合窓口」の設置を!

 

 最後に、小中高校等が一斉休校になった事態にともなっていくつもの休業補償制度が国や自治体から出されています。これらについては、対象となる人や事業者が実際に使えるような周知徹底が必要です。補償が最も必要なのに、毎日の生活に追われている非正規労働者などは、“情報弱者”でもあることも多いからです。情報が届きづらい人にも届けるようにし、対象となる人全員が使えることが大切です。そのためには市などに支援のための「総合窓口」を設置するのが有効です。

今回、新型コロナウイルス感染症への対策を知るに当たって、わたしはいくつもの部署を回されました。そこに行きさえすれば円滑に手続きできる緊急の相談窓口が役所に設けられれば、忙しい労働者や経営者が複雑な制度を一つずつ調べて、どれが使えるかを考えて申請手続きをする労が省けます。市民が役所でたらい回しされるようなこともないでしょう。

山梨大学の島田真路学長は313日までに、新型コロナウイルスに関する山梨県の情報開示について、「不十分」と苦言を呈し、「不十分な情報共有は不安感や不信感をあおることにつながりかねない」と指摘して積極的な開示を求めました(「山梨日日新聞」2020314日)。県民への正確な情報提供、相談窓口の充実・強化は必須です。しかしそうした「総合窓口」は山梨県にありません。

それを見かねたのか、民間の有志によって「山梨県 新型コロナウイルス感染症対策サイト」が立ち上がりました。東京都が立ち上げた対策サイトのオープンソースのコードを複製して作ったそうですが、神奈川県では県が公式に作っているそうです。

公開した鈴木啓太さんは、「できれば県とデータ面で連携して公式にしてもらうのが理想」と言っています。県はもちろん、市町村にもそれぞれ総合窓口を設け、それらが連携していけば、こうした民間の力も最大限に引き出すことができると思います。

さらに、提言③で挙げた未利用食品の活用と生活困窮者やひとり親家庭の支援という両方をスムーズに実行するためにも、教育委員会や福祉部局、農林部局、環境部局などの庁内部局が連携して、情報共有しながら進めることが必要です。そうした連携を市民とつなぐためには情報共有の基盤ともなる「総合窓口」を設けることは効果的です。そのような庁内の連携体制の構築は、例えば学校給食センター、フードバンク、自立相談支援機関の顔の見える関係の構築に繋がり、今回の新型コロナウイルス感染症への対応だけでなく、今後のまちづくりを進める上でも役立つでしょう。

 

以上の四つをもって、わたしからの提言とさせていただきます。有難うございました。

 

 

いつもわたしのブログをお読みいただき、有難うございます。

 

 新型コロナウイルス感染症の影響が拡大し、それはわたしたちの生活にもさまざまに及んでいます。そこで新型コロナウイルス感染症対策に関して、わたしから山梨県・北杜市へ四つの提言をさせていただきたいと思います。

 

提言① 時短勤務による減収分の補償を!

提言② マスクや感染防護用品などの資材確保へ財政支援を!

提言③ フードバンクや子ども食堂へ未利用食品の寄附を!

提言④ 「経済支援・生活支援・医療支援総合窓口」の設置を!

 

提言① 時短勤務による減収分の補償を!

 

 新型コロナウイルス感染症に関する対応に世界中が追われています。日本においてもそれは同様です。新型コロナウイルス感染症には未知な部分が多く、それによる社会や人心の動揺を完全に抑えることはできないでしょう。しかしそこに人為が加わって二次災害といえることが起きているとしたら、見逃すことはできません。

その一例が、新型コロナウイルス対策だとして安倍晋三内閣総理大臣が打ち出した全国小中高校等の一斉休校の要請でしょう。

突然の要請による影響は、学校現場や保護者、給食に関係する食品関連事業者や農家・事業者等、広い範囲にわたっています。そしてこういう場合に影響を強く受けるのは、自宅で子どもの面倒をみるために仕事に出ることのできない母子家庭の母親、特に非正規のシングルマザーのような人びとです。

「新型コロナウイルス感染症による小学校休業等対応助成金」の中で政府は、働く保護者に休暇を取らせた会社に1日最高8330円の助成金を出すとしています。当初、政府は「事業主と雇用関係にない方は対象とならない」として、フリーランスや個人事業主などは対象外としていました。しかしその後の批判を受け、それらの人びとに日額4100円の休業補償を決めました。

ただしその場合も、半日単位の休暇、時間単位の休暇の扱いが対象となるだけで、勤務時間短縮は所定労働時間自体の短縮措置とされて、休暇とは異なるため対象外となっています。しかし子どもを持つ従業員が通常通り出勤できず、スーパーや飲食店で営業時間の短縮が広がっています。そういう時短勤務による減収分の補償はなされないのでしょうか?毎日8時間、週に40時間働いていた被雇用者が15時間、週25時間しか働けない、といった場合に、欠勤以外は補償しないのでは非正規雇用を含める意味がありません。

国の制度では補償されないというなら、自治体の出番です。国の制度から漏れた人びとを救うような措置を自治体には求めたいものです。

山梨県はいち早く、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う臨時休校で仕事を休まざるを得ない一人親世帯などへ14000円を支給する独自の制度を長崎幸太郎知事が打ち出しました。さらにそれを個人事業主などフリーランスで働く保護者にも拡大する方針を示しました。しかし時短勤務への補償は現時点ではありません。それならば、北杜市で補償してはどうでしょうか?

その場合、支給はできれば3月中にしていただきたいです。1年の中で子育てに一番お金が要るのは4月です。新年度には買わなければならないものが増え、入学する段には制服や体操服、部活動の用品も必要になります。お金はいくらあっても足りません。6月や7月に受け取るのとは意味が違います。

NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」が、ひとり親の会員に行った調査では、今回の一律休校で、43%が「収入が減る」、5%が「収入がなくなる」としています。

そこで言わせてもらえば、現在、中学生以下の子どもを持つ家庭に支給されている児童手当に前月並みの給料分を上乗せして支給したらどうでしょう。こういう場合、自治体は決まって支給する上でかかる費用を難として挙げます。既存の制度を使えば、時間も費用も少なく済みます。そうすれば、非正規のシングルマザーのような人びとに対しても、きめの細かな補償をした子育てに優しいまちという評価が生まれ、将来的な人口増にもつながると思います。

 

提言② マスクや感染防護用品などの資材確保へ財政支援を!

 

次に、今回の新型コロナウイルス感染症の発生を受けてマスクの品薄状態が問題となっています。街の薬局やドラッグストアーに足を運んでも、容易に手に入らない情況です。またマスク以外にも、除菌消毒用品、防護服等の感染防護用品が、介護施設や障害者施設、保健所、保育所、放課後児童クラブなどの現場で今後も必要になることが予想されます。そこで人びとの不安に対処するためにも、これらの物を確保するための財政支援が求められます。

ところが北杜市の担当部署に問い合わせたところ、マスクや防護服などの資材確保への財政支援は行っていないし、検討もしていないという回答でした。職員については各自用意してもらっているということでした。しかし新型コロナウイルス感染症をめぐる情況は長引くと推測されます。そういう中で、職員の自助努力だけに任せていては、現場は疲弊していってしまいます。

現在マスク等を自身で用意できない職員に対しては災害用に備蓄していた在庫を供しているということでしたが、今般の学校休業にともなって放課後児童クラブに回していることもあり、いずれそれらは尽きていくことでしょう。

職員が安心して対応を行えることは何よりの新型コロナウイルス感染症対策です。

市には早急の検討をお願いしたいと思います。

 

提言③ フードバンクや子ども食堂へ未利用食品の寄附を!

 

さて、今般の学校休業にともない、学校給食で使用する予定だった食品が未利用となり、場合によっては廃棄されることが懸念されます。

これに対して、甲府市教育委員会は給食食材のうちキャンセルできなかった冷凍、冷蔵食品の無駄をなくそうと、市の関係機関で活用する方針を決めました(「山梨日日新聞」202036日)。

具体的に、市内の公立保育所や市立病院、福祉施設に活用を打診し、市社会福祉協議会の関係団体への提供も予定しているということで、「食品ロスにならないように有効に使ってもらいたい」とこれについて説明しています。

そこで北杜市ではこの問題に関してどのような対応をしているのか、問い合わせてみました。 

担当部署によると、「発注した食材のうちキャンセルできなかったものについてはチーズやデザートといった食材を中心に保育園にのみ提供した。市立病院、福祉施設、社会福祉協議会、学童保育、生活保護、特別養護老人ホーム、知的障害者施設などにも提供できないか当たったが、甲府市と違って冷凍等の保管場所がないため、見送った。したがって提供できなかった食材は廃棄する。」という回答でした。

釈然とせず、何かの手立てはないものかと調べていたら、農林水産省のホームページに「フードバンク活用の促進対策及び再生利用の促進対策」という事業を見つけました。その趣旨を読むと「新型コロナウイルス感染症対策に伴い、食品関連事業者等から発生する学校給食で活用する予定であった未利用食品の有効活用を図るため、未利用食品をフードバンクへ寄附する際に必要となる輸配送費を支援します。また、フードバンクへの寄附を含めた食品としての活用が困難な場合に、飼料、肥料等として再生利用するために必要となる輸配送費及び再生利用事業者に対して支払う再生利用に係る処理費を支援します。こうした取組により、新型コロナウイルス感染症対策に伴う小学校、中学校等の一斉臨時休業による食品ロス発生の防止及び資源循環の促進等に向けて万全を期すため、緊急的に措置するものです。」とありました。

さっそく農水省に問い合わせて聴いてみると、「学校給食センターを所管しているなら市も食品関連事業者等に入っており、この事業を利用できる。また市の職員の方で、取引している食品関連事業者を取りまとめて申請することもできる。」ということでした。ただし、「この事業は、自治体からキャンセルされて未利用の食品が対象であり、自治体がキャンセルできなかった食品については各自治体の裁量」という回答でした。しかし文部科学省の方で何かの対応があるかもしれないと言って、文科省の健康教育・食育課を紹介してくれました。(続く)

 

 

いつもわたしのブログをお読みいただき、有難うございます。

 

 202027、森のようちえんピッコロの見学をしてきました。ピッコロは2007年に北杜市須玉町上津金に開園して今年で14年目を迎えた森のようちえんです。自然保育というものに関心があったことと、以前から懇意にしていただいていた中島先生が代表を務めるピッコロの保育を実際に見てみたかったというのが、見学の理由でした。


 今季一番に冷え込んだ朝、受付を済ませて、中島先生とスタッフと一日園長による朝ミーティングに臨みました。「一日園長」とは耳慣れない言葉ですが、ピッコロの運営は保護者と保育者の共同運営で、保護者全員が各係に就いており、園長もその係の一つなのです。

 今日の視察者は8名ほどで、岩手、茨城、埼玉、東京、神奈川といった各地から参加していました。それに中島先生を始めとするスタッフ・保護者が加わって、子どもたちについての報告、視察者それぞれの自己紹介と参加理由が話されました。

 見学の理由はさまざまでしたが、「本音で生きていない。幼い頃から他人が求める自分だけで生きてしまう」という悩みが印象的でした。それは、今年度のわたしの授業に出た大学生の中にも似たような悩みを表白した者がいたからでした。

6歳の時に妹が生まれ、「お兄ちゃん」になることを余儀なくされたその学生は、親の求める「よき」兄に熱心になろうとしたそうです。そのため、それまで親から「よき」子であることを求められる存在だった彼は、妹に対して今度は自分が「よき」妹であることを求める存在となりました。そうしていわゆる面倒見の良い子になっていった彼ですが、高校3年生の頃から何となく不登校になり、卒業後はフラフラした後に自殺を試みたというのでした。

それは、彼が、「やりたい」ではなくて、「やらなければならない」を生きていたということであり、社会の中の自分を生きたのではなく、社会から求められる役割を生きていたということだったのだと思います。その結果、「役割ロボット」のようになった彼は自己を見失って、自殺しようとしたのではないでしょうか?そのようなことをわたしからは話しました。

朝ミーティングが終わると、朝の会です。皆で外の庭に丸くなって座ります。子どもは25人くらいで、男女比はだいたい12でした。

「今の気持を教えてください。」中島先生がそう言うと、子どもたちが順々に答えます。「鬼ごっこしたい。」「普通。」「家族ごっこしたい。」「~ちゃんと遊びたい。」「あまりない。」

あらかじめ決められた予定がないからこその始まり方でした。

次に「どこにいきたい?」と先生がまた尋ねると、子どもたちが次々とやりたいことを答えます。その中から多数決を取って、その日は川にいくことになりました。


印象的だったのは、道路を横断する時に年長の子どもが年下の子どもの手を取って、しっかりと確認してから道路を渡っていることでした。そこからは子ども達一人ひとりが場面に応じて自分以外の子を思いやりながら動いている様子が見て取られました。


そうして辿り着いた林の中の小川で、スタッフに見守られながら、指に擦り傷を負ったのも気にせずに、子どもたちは土だらけになって遊んでいました。冷たい川の中にもどんどん入っていき、長靴の中に水が入ってしまうのも御愛嬌。自然の中で異なる年齢の子どもたちが混ぜこぜになって支え合い、教え合い、遊び、その中には大人も混ざっていました。




そんな子どもたちを見ながら、「氷を食べようとした子どもに、『汚いから食べちゃダメ』って言えないんだよなぁ。」と中島先生はぽつりと言いました。それは大人が制止する前に、子どもの自主的な判断を尊重したほうがいいということではないか、と思いました。子どもが氷を食べることを制止するということは、子どもがそれを食べてお腹を壊す可能性を摘むということですが、それはその失敗を通じて子どもが成長する可能性を摘むことでもあります。いわば氷を食べるということはその子にとっては氷以上のものを食べている訳であり、手前で管理することは子どもがそのいずれかの可能性を選び取る機会を奪っていることでもある訳です。白黒つかないのが自然であり、教師としての自然のその力を中島先生は最大限に尊重して保育しようとしているようにも見えました。

さて、いっぱい遊んだ後はピッコロハウスに帰ってお昼ご飯。皆で一緒にお弁当を食べました。その中でも中島先生は、気になった子どもと対話をしたりしながら、御弁当を食べている子どもたちの様子を観察しているようでした。

昼食・自由遊びの後は午後の活動・帰りの会。丸くなって子どもたちが仲良く、静かに絵本の読み聞かせを聴いている光景が印象的でした。中島先生と子どもたちの間に確かな信頼関係が出来ていることが見て取られました。

読み聞かせの後は動物園に行くバスの席を決めました。その様子が凄いのです。「~ちゃんの気持、かわいそう。」「皆のせいで言いたくなくなった。」「どっちも悪くない。」「今、お話しの勝負していない。」子どもたちが集団の中のそれぞれのことを考えながら議論しているのです。それは答を出すというよりも、議論の過程を大切にしている風でした。異年齢の子ども同士が言い合えて、それぞれが自分の意見を言えるのは、その場の参加者全員に対する敬意があり、そういうを中島先生が創られているからでしょう。これが「信じて待つ保育」なんだと思いました。

帰りの会が終わると建物を換えて保護者から保護者への報告会が行われました。そこで出された参加者の感想を紹介します。

「保育の現場が大人の現場だった。」

「中島先生が誘導しないのが凄い。それでも収まるのが凄い。」

「保育者のスケジュールを敷いてその上に子どもを乗せていない。」

「安心する場があれば、意見の違いも怖くない。意見の違いを前提にして議論ができる。大人の社会でも必要なことだと思った。」

「存在に〇をつけないと、皆本音で話し合えない。」

「自分はどれだけ子どもたちの可能性を潰してきたか。」

「全てが他人事ではない。群れの世界ってすごいなあ。」

こうした参加者の感想を聞くだけでも、いかに濃い時間が流れていたか分かっていただけるのではないでしょうか?

最後に、全体を通してわたしが感じ考えたことを書きたいと思います。

まず、ピッコロの保育は「場」をつくるということを軸に据えている、ということを覚えました。ピッコロでは個人と集団の関係を整え続けます。それも集団の中で個々の役割が定まっているのではなくて、場面によって、状況によって、個々の子どもが違った役割を果たしています。皆のなかのわたし、わたしのなかの皆、皆とわたしの関係を常に意識しながら、自分のあり方・他との関係の仕方を考え続ける場を、機会あるごとに全員がつくり続けているのです。

それだから、ピッコロは話し合いに時間を丁寧にかけます。群れでなければ育たない保育だからこそ、その場づくりを大切にします。そこで育つのは、皆の事を自分の事として考えて自己を実現しようという市民の自覚です。ピッコロの光景は、さながら森の中の市民たちを見ているようでした。

 絵本の読み聞かせの時、子どもたちは誰に言われなくも、仲良く、丸くなって座って静かに読み聞かせを聴いていましたが、それについて中島先生は「どうしたら丸く座らせられるかを考える保育ではなく、みずから丸く座るようになるにはどうしたらよいかを考える保育をしてきた。」と話されていました。

また、「子どもたちの才能が出るような場をつくりたい」とも言われていました。子どもたちの才能は安心できる関係があって初めて出てきます。そういう居場所があると、自己肯定感が育ちます。自己肯定感とは、全地球の人間、自然との繋がりを感じ、その中で自己を肯定、尊重できること。全体における掛け替えのないわたしという感覚・意識です。

多様なものを尊重し、支援する。これが本当の平等ですが、多様性の中の統一としてのピッコロという場が成り立っている理由は、「自分の答を子どもに向けている時期もあったが、子どものほうがずっとすごい答を出していた。子どもに教えてもらっていればいい。」という中島先生の言葉の中にありました。

中島先生は場を誘導しません。それでも場が収まるのは、彼女がその場に居る子どもたち全員に対する敬意を抱いているからです。それが、「子どもを信じて待つ保育」ということなのだとわたしは確信しました。

そうすると、いかに自分が評価に曝され続けてきたかを思うと同時に、「わたしはわが子を子ども扱いしていないか?対等の存在として尊重しているか?」と自らに問わざるを得ませんでした。

子育てとは、子どもたちを通じて自分と他との関係の仕方を振り返り、調える、親の成長の場なのだということを改めて痛感しました。

見学の最後に行われた懇談会はまるで神々の集いのようで、車座に座った参加者一人ひとりがまるで神々のように見えました。それはピッコロ保育という場を共にして、参加者全員の中に参加者それぞれを尊敬する心が生まれたからでしょう。

そんな素敵な教育をしているピッコロですが、残念ながら、幼児教育無償化の対象園から外れています。聞くところによれば、ピッコロが自主保育型の運営体であることや、園舎などが行政の定めた基準に合っていないこと等が、理由のようです。基準に合わせなければならない事情はさまざまあるでしょうが、幼児無償化の対象園から外れていることは、ピッコロを運営する上において逆風となっています。

ピッコロへ通わせるに当たっては、初年度だけをざっと見ても、40万円を超えるお金がかかります。収入の厳しい若い世帯は少なくないでしょうから、これはかなりの負担であると思います。そこに幼児教育無償という選択肢を出されたら、多くが幼児教育無償化の対象園を選ぶのではないでしょうか?事実、そうなっていると中島先生は話されていました。

しかし、同じ森のようちえんについて、例えば鳥取県智頭町では、2016年という早い時期から鳥取県と智頭町による保育料減免措置が講じられ、201910月より始まる幼児教育無償化の対象園にもなっています。その効果もあって、森のようちえんまるたんぼうへの入園を目的に移住してくる家族が後を絶たず、町の少子化対策にも大きく貢献しています。

また、子ども一人ひとりが生きる目的に合った場所を選べるようなさまざまな選択肢として、多様な教育施設が制度的に保障されていることは、重要です。

ここ山梨県・北杜市でも、広い視野をもって多様な教育施設を支援していくことが必要ではないでしょうか?

森のようちえんピッコロが間違いなく、そうした教育施設の一つであるということを確認できた見学でした。



 

わたしのブログをご覧いただき、有難うございます。

 

今日は、自然電力株式会社による「大平ファーム太陽光発電事業計画方法書に就いての住民説明会」に出席するため、北杜市須玉ふれあい館にいってきました。

 

 

東日本大震災以降、北杜市でも太陽光発電設備が増加し、それに伴い種々の問題が発生しました。それに対処すべく昨年7月には「北杜市太陽光発電条例」が公布され、10月から施行されました。

そんな問題の渦中にある太陽光発電所ですが、今回ことさら大規模な発電設備、いわゆるメガソーラーを北杜市須玉町の大平牧場跡地に建設するための環境アセス方法書に関わる住民説明会が開かれるということで、出席しました。

 

 

1330分から15時までというスケジュールでしたが、市民からの質問や説明を求める声が止まず、予定を大幅に超えて17時まで行われました。

手続き、地権者の同意、説明会の仕方、会社の信用性、事業内容、事業展開、事業規模、雇用内容、環境に与える太陽光発電設備の影響についての認識など、論点は多岐に渡りました。電力会社側は住民の納得のいく答えを返すことができず、今回出た声を会社に持ち帰って経営陣にも伝えることを約束して終わりました。

市民の関心の高さと危機感の強さを感じた説明会でしたが、ここではわたしの注意を引きながら会場では出なかった論点について簡単に指摘させていただこうと思います。

会社の事業内容を尋ねられて、ブラジル、フィリピン、インドネシア、アフリカといった国、地域にもメガソーラーを展開しているという答えがありました。それを聞いて、「それらの国々でも問題が起きるかもしれない、いやもう起きている。」と思いました。それというのも、実際にブラジルではアマゾンの森林の大規模伐採が問題となっており、地球温暖化に大きく影響していることが指摘されているからです。そこにも今回のようなメガソーラーの建設がされているかもしれません。その他の地域も同様です。

太陽光発電設備の中でもメガソーラーが問題なのは、それが中央集権的な発電施設だからです。メガソーラーは利益を地方に落としません。都市・中央が利益をもっていきます。その意味でメガソーラーは原発と同じ仕組みです。メガソーラーが展開されるのは過疎化の進んでいる地域が多いというのも、原発と同様です。要するに中央が地方を収奪して成り立っている施設が、メガソーラーであり、原発なのです。

今日の資料では、会社が保有する発電所の売電収益の0.51.0%程度を地域のために活用する『1 for Community』というプロジェクトや、地域の価値を高める社会的事業をサポートする“自然基金”の設立を紹介していました。しかし地方が収奪されている価値は、「売電収益の0.5-1.0%程度」では追い付きません。一方で会社にも収奪しているという自覚はあるのでしょう。それだからこその『1 for Community』である訳でしょうから。

 

 

この中央が地方を収奪する仕組みがメガソーラーであるとすれば、それをブラジル、フィリピン、インドネシア、アフリカといった地方に展開しているのは理が通っていますし、罪深いともいえます。世界大においては、日本という中央(「文明」)がブラジル、フィリピン、インドネシア、アフリカといった地方(「自然」)を収奪しているのですから。そうして地球温暖化対策の名のもとに、森林の伐採が行われているのですから。

北杜市で起きている問題は世界的規模の問題なのです。

大平牧場跡地の森からアマゾンの森林が見え、アマゾンの森林から大平牧場跡地の森が見える。北杜の問題と世界の問題は見事につながっています。そんなことを感じ、考えさせられました。