私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。


議会の報告や制度の話を書いてきましたが、

最後に少しだけ、私自身のことを書きたいと思います。


私が政治に関わるようになった原点は、

とてもシンプルなものでした。


それは


「地域のことを、自分たちで決める社会であってほしい」


という思いです。


政治というと、

遠い世界の出来事のように感じることがあります。


しかし本来、政治とは


・学校のこと

・地域の環境

・子どもたちの未来

・地域の暮らし


など、私たちの生活そのものに関わるものです。


だからこそ、


地域のことを、地域の人たちが考える

ということが大切なのだと思います。


議会の中では、

思い通りにならないことも多くあります。


それでも私は、


政策の前提を問い、

議論を可視化し、

市民に説明すること


が議員の役割だと考えています。


政治は、一人で変えられるものではありません。


しかし、


市民・行政・議会がそれぞれの立場で関わることで、

地域の未来は少しずつ形づくられていきます。


北杜市の将来について、

これからも市民の皆さんと一緒に考えていければと思っています。


政治は、一人で変えられるものではありません。

しかし、
関心を持つ人が少しずつ増えていくことで、
地域のあり方は確実に変わっていくのだと思います。

もし、この考え方に少しでも共感していただける部分があれば、
これからも一緒に考えていただければうれしく思います。



私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。


北杜市では現在


中学校8校 → 2校


という統合計画が進められています。


建設費は

約155億円


今議会では


基本設計費 約5億円


が計上されています。


ここで


一つ、立ち止まって考えたいことがあります。


それは


何から決めているのか


という問題です。


「箱」が先に決まると、「中身」は後から合わせることになります。


本来であれば


・どんな教育を目指すのか

・子どもたちにどんな環境が必要なのか

・どのような支援や人材が必要なのか


といったことを考えた上で


その結果として


どんな学校が必要なのか


が決まるはずです。


しかし現在の議論は


学校の規模や配置、校舎の設計など


いわば


「箱」から考えているように見える


部分もあります。


学校は


単なる建物ではありません。


それは


子どもたちの学びと生活の場


です。


だからこそ


「どんな箱をつくるか」ではなく


「どんな教育をつくるのか」


から考えることが大切ではないでしょうか。


北杜市の学校は


何を大切にしてつくられるのか。


皆さんは

どう考えますか。


もし、これから学校をつくるとしたら——


まず考えるべきは、

“どんな建物にするか”でしょうか。

それとも、

“どんな教育を実現したいか”でしょうか。


ご自身の立場で構いません。

率直に、どちらから考えるべきだと思われますか。



私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。

 

北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。

 

「地方自治」という言葉はよく聞きますが、
少し分かりにくい言葉かもしれません。

 

私は地方自治とは、
とてもシンプルに言えば

 

「自分たちの地域のことを、自分たちで考えること」

 

だと思っています。

 

道路や学校、福祉、子育て、地域の環境など、
私たちの暮らしに関わる多くのことは
国ではなく自治体が決めています。

 

つまり地方自治とは、

 

地域の暮らしのあり方を
地域の人たちが決めていく仕組み

 

です。

 

その中で

 

行政は政策を提案し、
議会はそれを検証し、
市民は関心を持ち意見を伝える。

 

この三つが重なって
自治は成り立っていきます。

 

議会は万能ではありません。
行政も完璧ではありません。

 

だからこそ、

 

市民・行政・議会がそれぞれの立場で関わること

 

が大切なのだと思います。

 

地方自治とは、
誰かが代わりにやってくれるものではなく、

 

地域に暮らす人たちが
少しずつ関わりながらつくっていくもの

 

だと私は感じています。

 

北杜市の将来について、
これからも市民の皆さんと一緒に
考えていければと思っています。

 

地方自治というと少し難しく感じるかもしれませんが、
日々の暮らしの中で感じていることも、大切な出発点だと思います。

 

北杜市での生活の中で、
『こうだったらいいのに』と感じていることはありますか。

 

差し支えない範囲で、ぜひ教えていただけるとありがたいです。


私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。

これまで、

・早起きは本当にすべての子どもに適しているのか
・学校の時間は誰に合わせて設計されているのか

という点について書いてきました。

では、その先の問いです。

この仕組みは、変えられるのでしょうか。

現在の学校は、

・朝から一斉に始まる
・同じ時間割で進む

という前提で成り立っています。

しかし実際には、

・朝が苦手な子
・体調や生活リズムに個人差がある子
もいます。

もし、その前提が一部の子どもにとって負担になっているとすれば、

制度として見直す余地はないのでしょうか。

すでに一部の自治体や学校では、

・始業時間を遅らせる
・柔軟な登校時間を認める

といった取り組みも始まっています。

つまり、

学校の時間は

「変えられないもの」ではなく、
「設計できるもの」

でもあるのです。

これからの教育を考えるとき、

子どもを時間に合わせるのか、
時間を子どもに合わせていくのか。

この選択が問われているのではないでしょうか。

皆さんは、どのように考えますか。


学校の時間は見直すべきだと思われますか?
それとも今のままでよいと思われますか?

学校の時間は、見直すことができるとしたら——

皆さんは、どのような形であれば現実的だと感じられますか。

例えば、
・始業時間を少し遅らせる
・登校時間に幅を持たせる

など、どんな小さなことでも構いません。

『これならできるのでは』と思う案があれば、ぜひ教えてください。






私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。

北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。

政治の話になると、

「自分には関係ない」
「何をしても変わらない」

と感じる方も多いかもしれません。

しかし地方自治は、
本来とても身近なものです。

市民が政治に関わる方法は、
必ずしも大きなことではありません。

例えば

・議会の議論を知る
・意見を伝える
・地域の課題について話し合う

こうしたことも、
立派な「市民参加」です。

地方自治の基本は

住民自治

です。

自治というのは、
誰かが代わりにやってくれるものではなく、

地域に暮らす人たちが
少しずつ関わりながら形づくっていくもの

だと思います。

議会の議論も、
市民の皆さんの関心や声があってこそ
意味を持ちます。

北杜市の将来について、
それぞれの立場で

少しずつ考えていくことができればと思っています。


政治に関わるというと難しく感じるかもしれませんが、

日々の暮らしの中で感じていることを言葉にすることも、立派な一歩だと思います。


もし普段感じていることや気になっていることがあれば、

差し支えない範囲で教えていただけるとありがたいです。

私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。


連続で、「早起きは本当にすべての子ども適しているのか」という点について書きました。


ここで、もう一つ考えたいことがあります。


それは、


学校の時間そのものが、誰に合わせて設計されているのか


という問題です。


現在の学校は、


・決まった時間に登校する

・同じ時間割で授業を受ける


という前提で成り立っています。


しかし実際には、


・朝が苦手な子

・体調や状況によってリズムが異なる子


もいます。


そうした中で、

すべての子どもに同じ時間を求めることは、


一部の子どもにとっては“通いにくさ”につながる可能性もあります。


これからの教育を考えるとき、


子どもを時間に合わせるのか、

時間を子どもに合わせていくのか。


この視点が重要になってくるのではないでしょうか。


皆さんは、どのように考えますか?


子どもを時間に合わせるのか。

それとも、時間を子どもに合わせていくのか。


もしご自身のお子さんのこととして考えたとき、

今の学校の時間のあり方をどのように感じられますか。


一言でも構いません。ぜひ教えてください。


そしてこの問題は、単なる意見の違いではなく、

制度としてどのように設計していくのかという課題にもつながっています。


次回は、“学校の時間をどう変えることができるのか”という視点から整理します。




私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。


学校は


朝から始まるのが当たり前になっています。


しかし


この「当たり前」は


どのように決められてきたのでしょうか。


近年の研究では


青年期の子どもたちは


・夜型になりやすい

・朝の覚醒が遅れる


といった


生体リズムの特徴があることが

指摘されています。


つまり


現在の学校の時間は


必ずしも


子どもたちの身体のリズムに

合っているとは限らない


可能性があります。


通学の問題を考えるときにも


・何時に起きるのか

・どの時間帯に移動するのか

・その状態で学習に向かうのか


といったことは


とても重要な前提です。


学校の時間は


・社会の都合で決められているのか

・子どもたちの成長に合わせて決められているのか


この問いは


これからの教育を考える上で

避けて通れないものだと思います。


皆さんは

どう考えますか。


“朝から始まる学校”という前提は、

子どもたちにとって本当に無理のないものなのでしょうか。


もしご自身のお子さんのこととして考えたとき、

この時間設定をどう感じられますか。


一言でも構いません。ぜひ教えてください。


そしてこの問題は、単に“朝が早いかどうか”ではなく、

学校の時間そのものをどう設計するのか、という問題にもつながっています。


次回は、“学校の時間は誰のために決められているのか”という視点から整理します。




私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。

北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。

私たちはこれまで

「早起きは大切」

と教えられてきました。

学校も

朝から始まるのが当たり前です。

しかし

最近では

青年期の子どもたちは
生体リズムの関係で
朝早く起きにくい

という研究が知られています。

むしろ

少し遅い時間から活動した方が

・集中力
・学習効果

が高まる可能性があるとも言われています。

もしそうだとすると

これまで当たり前とされてきた

「早起きが大切」という考え方は

すべての子どもにとって
本当に適切なのでしょうか。

通学の問題を考えるときにも

・朝決まった時間に起きられるか
・その時間に間に合う交通手段があるか
・無理なく学校に向かえるか

といったことが関わってきます。

学校は

子どもたちが
無理なく通える場所であるべきなのか。

それとも

決められた時間に合わせることを
求める場所なのでしょうか。

私たちは

何を「当たり前」として
教育を考えているのか。

皆さんは
どう考えますか。

この問題は、“早起きが良いかどうか”という話にとどまらず、
子どもたちにどのような環境を用意するのかという、教育の前提そのものに関わる問題だと思います。

もし同じように感じられた方がいらっしゃいましたら、

ぜひ周りの方とも共有していただければと思います。




私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。


最近、議会報告の投稿に対して
市民の方からこんなコメントをいただきました。

「予算は結局、賛成か反対かですよね。
意図しないものも通ってしまうのでは?」

これはとても大事な疑問だと思います。

実際、議会という制度は
すべての問題を完璧に解決できる仕組みではありません。

多数決で決まる以上、
少数の意見が通らないこともあります。

それでも、なぜ地方議会が必要なのでしょうか。

私はその理由は
「行政の提案を公開の場で検証すること」
にあると思っています。

市の政策は、基本的には行政が提案します。

もし議会がなければ、
・その政策が本当に必要なのか
・前提は正しいのか
・他の選択肢はないのか

といったことを、公開の場で問い直す機会はほとんどなくなります。

議会は、行政の提案に対して

問いを出す場所

です。

そしてその議論を

市民の前に可視化する場所

でもあります。

地方自治の基本は

住民自治

です。

その住民自治を制度として支えるのが
議会の役割だと私は考えています。

議会は万能ではありません。

しかし、

行政だけでもなく、
議会だけでもなく、

市民・行政・議会がそれぞれの立場で関わることで
自治は成り立つ

のだと思います。

今回の議論も、
北杜市の将来を考える一つのきっかけになればと思っています。

この問題は、特定の議案にとどまらず、
北杜市の“自治のあり方”そのものに関わるものだと考えています。

 もし同じように感じられた方がいらっしゃいましたら、
ぜひ周りの方とも共有していただければと思います。

そしてこの“議会の役割”という問題は、
実は教育の現場にも深く関わっています。 

次回は、その具体的なつながりについて書きます。



私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。

北杜市議会議員の飛矢﨑雅也です。


通学距離が遠くなると
何が遠くなるのか?

学校統合の議論では、

通学時間や距離が
よく話題になります。

何分かかるのか。
どれくらいの距離になるのか。

とても大切な視点です。

一方で

こんなお話を伺いました。

「行ける時は親の送迎で通っています。
二時間目だけの日もあれば、五時間目だけの日もある。
行けない日の方が多いです。

でも、行けないと思っていた日に、
“やっぱり行く”と気持ちが動くことがあるんです。」

この言葉を聞いたとき、

通学という問題は
単なる距離や時間ではないと
改めて感じました。

距離が遠くなると、
「気持ち」も遠くなるのでしょうか。

通学距離が遠くなるということは、

単に移動が大変になる
というだけではなく

「行けるかもしれない」という気持ちが
遠くなる可能性もあるのではないか。

学校は

毎日必ず行ける場所であると同時に

「行けるかもしれない場所」

でもあるのだと思います。

だからこそ

通学条件を考えるときには

時間や距離といった数字だけでなく

子ども一人ひとりの状態や気持ちも含めて
考えていく必要があるのではないでしょうか。

学校統合の議論は

単に学校の数や配置の問題ではなく

子どもたちと学校との距離を
どう考えるのか

という問題でもあります。

皆さんは
どう考えますか。

学校は、毎日必ず行ける場所であると同時に、
“行けるかもしれない場所”でもあるのだと思います。

もしご自身のお子さんのこととして考えたとき、
通学距離が変わることで、その“気持ち”にどのような影響があると感じられますか。

一言でも構いません。ぜひ教えてください。