1泊2日 山梨・長野一人旅
甲府駅前から初日のレンタカー旅のスタートです。
今回の旅は紅葉を楽しむ旅。
甲府で紅葉といえば昇仙峡。
新宿から乗った特急あずさの車内にもパンフレットがありました。
最初は昇仙峡に行こうと思っていたのですが・・・
この日は日曜日。
紅葉シーズンの土日は駐車場が満車で入庫待ちになるという情報をネットでみかけました。
混んでるだけならいいのですが、駐車場に入るのに並ぶのはちょっと・・・
ということで、昇仙峡は平日などまたの機会にして、混雑していなそうなところを回ることにしました。
でレンタカーで最初に向かったのは、甲府駅前から20分程、釜無川の信玄堤です。
こちらが甲斐市を流れる釜無川。
釜無川の先には南アルプスの山々が見えます。
釜無川は富士川の上流部の名称です。
富士川町と市川三郷町の境界の鰍沢で釜無川は笛吹川と合流して富士川になります。
最上川(山形県)、球磨川(熊本県)とともに日本三大急流のひとつに数えられている富士川。
雨が降ると暴れ出し、氾濫を繰り返していた釜無川。
大きな水害に悩まされていたこの場所で武田信玄の命で治水事業がおこなわれました。
信玄堤の「堤」は堤防のこと。
堤防というと、先月に三陸を旅してきたので、このような堤防が頭に浮かびました。
しかし、時は戦国時代。
コンクリートや機械の無い時代の治水事業です。
一見すると、どこにでもあるような堤防ですが、堤防だけでない武田信玄の知恵がこの地にありました。
川岸に並ぶ三角形の構造物。
『聖牛』です。
三角錐型の木組みに、重りとして石積みを乗せた聖牛。
上の部分が牛の角のように見えるためこのような名前がついたという。
この聖牛は川の流れを変えたり弱めたりして、氾濫を防ぐのに効果的だったそうです。
土手の上にも聖牛が展示してありました。
この聖牛の他にも「石積み出し」と呼ばれる堤防で川の流れを変えたり、「将棋頭」と呼ばれる石積みで川の流れを二つにわけたり、堤防と堤防の間に「かすみ堤」という隙間を作り、あふれた水を洪水のあとに釜無川に戻す工夫をしたそうです。
信玄堤は堤防だけでなく、これらの治水構造物を含めた総合的な治水システムを指すこともあるようです。
完成後450年以上たった今でも信玄堤は治水機能を果たしているというから凄いです。
武田信玄は信玄堤というハード面だけでなく、堤防の重要性や仕組みを民衆に周知させたり、堤防に携わる人の年貢を軽減させたりとソフト面でも能力を発揮させたそうです。
信玄堤沿いは「信玄堤公園」になっています。
公園はちょっと見ただけ。
以上が、戦に強かっただけでなく政治にも優れた武田信玄ということが少し学べた信玄堤でした。
つづく