ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

 

今日は、長所を伸ばそう、

というお話です。

 

 

船井総研という経営コンサルタントの会社を、

この業界で初めて株式上場を果たしただけでなく、

さまざまな領域でご活躍された、

 

船井幸雄さん(2014年没)をご存知でしょうか。

 

この方の著作は200冊くらいは読んだかと思いますが、

その中によく出てくるのが、

「長所伸展法」です。

 

人が成長していく上で、

短所に触れずに「長所」を伸ばすことが、

天地自然に理に適っており、

最も効率が良いというのです。

 

少し船井幸雄さんの紹介をします。

 

いま流行りの引き寄せの源流である、

キリスト教異端思想のニューソート、

ジェーム・スアレンに引き寄せが注目される

ずっと前から着目していたり、

 

スピリチュアル、精神世界の人脈がすさまじく、

オウム事件以降、

スピリチュアル界のドンと言われたり、

 

スピリチュアルな事象を、

極めて論理的に整理整頓して紹介した著書を多数出版したり。

 

という様な方です。

 

船井幸雄さんのメッセージが

当時の自分のニーズにマッチして、

特に20代~30代の頃は心酔しきっていました。

 

広々とした精神世界、

輪廻転生の可能性、

長所を伸ばすことの大事さ、

 

などなど、

今の自分の考え方の基本的なところは、

船井幸雄さん(と河合隼雄さん)の思想に、

大きく影響を受けています。

 

今回のテーマの「長所伸展法」ですが、

店舗の経営を例にとると、

 

ある店を繁盛させるには、

一つ「日本一」のものを作ればよいそうです。

(簡単ではないでしょうが)

 

船井幸雄さんはそれを「一番化」と呼んでいます。

 

また、すでに売れ筋のものがあるなら、

そこに力を注いで、他はできるだけ縮小する。

 

それだけでも、劇的に売り上げがアップするそうです。

 

欠点を直していくだけでは、

効果が小さくて、

こういうことはできないとのことです。

 

しかし、

経営コンサンサルタントの初心者程、

欠点を直そうとしてしまうそうです。

 

成功の本質を理解していないからでしょう。

 

 

ここから、音楽の演奏の話です。

 

ます、好きは長所であることの印です。

なので、もし音楽を演奏することが好きなら、

 

出来る限り続けるべきです。

 

人生は長いですし、

その長所が自分を助ける時がきっと来ます。

 

(自分は15歳で初めて以降、

 止めようと思ったことはありませんが。)

 

よくあるのが、

子供が出来て止める人。

かわいそうで残念です。生活には代えられないですから。

しかし、あきらめずにチャンス狙って再開してほしいです。

もし、好きなのであれば。

 

自分は音楽があるおかげで、

生きる意欲が無くならずに、

また、自分が世の中に存在する理由がいつでも確認できて来ました。

 

 

また、演奏面での「長所伸展法」ですが、

(超初心者の方を除く)

 

まずは、

自分の長所を見つけることが大切です。

 

例えば、

 

音色

リズムが的確

メロディーを歌う

ビブラートが美しい

音程が正確

音量がある

 

等々、

どれでもいいので、

自分が気に入っている、

音楽上の長所を伸ばすべきです。

 

例えば、音色が美しいなら、

まず、そこに注目して、

なぜ音色が良いのか、

どうしたらもっと音色が良くなるのか、

 

を研究して、

周りの人が追い付けないレベルまで、

研ぎ澄ませてみるという感じでしょうか。

 

 

得意な技能は大体自分で好きなので、

好きで得意なことを選ぶと良いと思います。

 

 

そうやって一つの要素を伸ばすことで、

他の要素も引っ張られて成長します。

 

出来ないことをできる様に

一つずつ均等につぶすのも大切ですが、

長所に着目して伸ばす要素が有った方が、

結果として効率が良いというのが、

船井幸雄の考え方です。

 

私事ですが、

 

チェロの演奏では、

メロディーを歌うのと、

音色が充実しているというのが長所だったので、

その部分を武器として、

磨いてきました。

 

また、バッハの無伴奏チェロ組曲が大好きで、

20代から30代にかけてずっと弾いていました。

好きだからこそ続くし、

そこから学べることも多かったと感じています。

 

自分の欠点は、

放っておいても周りの人が指摘してくれます。

 

しかし、

長所だけを抽出して言ってくれる人は少ないですし、

好きなことは自分しか分かりません。

 

結局、

自分を育てるのは、「自分」ですので、

 

好きなことで長所を伸ばして、

自分で自分を育てましょう。

 

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!!!

 

2018年3月3日に書いた記事の再掲です。

 

オーケストラで「共感」

に初めて気づいた時のことを書いています。

 

これ、ホントに大きな発見でした!

 

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こんにちは、ひでちぇろです。

 

今日は、「共感」についてです。

 

「共感」は、英語(グーグルの辞書)では

“Empathy” ですが、

これだと、同情とか憐れむ様なニュアンスが入ります。

 

それとは少々異なり、

私のお話しする「共感」は、

“Share sense”、

 

まさに感覚を共有するという感じです。

 

これを初めて自覚したのは、

オーケストラでの演奏中でした。

 

私は某アマチュアオーケストラで、

普段は一応首席奏者の席で弾いています。

 

その首席奏者の席からは、

コントラバス奏者が一切見えません。

(指揮者も譜面もコンサートマスターも見ないといけないので、

後ろを見る余裕はゼロです)

 

よく同じ音(コントラバスは一オクターブ下)を

弾く機会があるのですが、

見えないので、

相手が合わせてくれないと、

絶対に合わせられません。

 

と思っていました。

 

しかし、ある時、

チェロとコントラバスの、

曲の終わりの大事なピッチカート(弦をはじく)の時に、

 

今日もダメモトで、

コントラバスの首席(自分より先輩)の視野を

なんとなくイメージしてみました。

 

この時、

コントラバス首席の席からの視覚情報と

音楽を感じる体の感覚みたいなものが伝わってきて、

それに合わせてピッチカートを弾いたら、

 

何と寸分たがわず、

同じタイミングで音が出ました!

 

これが、

 

「共感」体験

 

の始まりでした。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!


今日は過去記事の紹介です。

読み返していて、

音楽とコンテクストのところで、


おっ!


と思ったので投稿しました(^^)


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こんにちは、ひでちぇろです。

 

西湖での体験の翌年辺りに、

当時通っていた大学OBオーケストラで、

よく話をしたビオラの後輩の女の子に、

河合隼雄さんの本を貸してもらいました。

 

河合隼雄さんは日本人で初めて

ユング研究所で学んだ心理学者で、

 

京都大学教授を経由して、

文化庁長官まで勤められた方です。

ご存知の方も多いと思いますが。

 

貸してもらった本は、

「日本人とアイデンティティ」という題名でした。

 

これが、あまりに面白くて、

勉強とかではなく、純粋に面白くて、

一日で読み終わってしまいました。

 

そこから、河合隼雄さんの大ファン

というか、ほとんど信者になってしまい、

当時売りに出されている本はほとんど読破しました。

 

よく覚えている言葉は、

「100%正しい忠告は役に立たない」

「二つよいことさてないものよ」

みたいな感じです。

 

河合隼雄さんは、

心理カウンセリングを長年続けてきた方なので、

 

理屈ではなく言葉に含蓄があり、

一見遠回りの様でいて、

実践的で何故かうなずいてしまい、

共感してしまうんです。

 

あと、言葉がみんな魅力的なんです。

 

そして、ユングの心理学をベースに、

日本人にも通用する様な心理療法を

実践されてこられました。

 

実際の思想は著作に譲るとして、

 

特に印象深い考え方が、

「コンステレーション」です。

 

日本語では「布置」というそうです。

星座の配置という意味もある様です。

 

ここでの「コンステレーション」とは、

直線的因果関係ではなく、

周囲の色々な事象や人、状況を含めた全体の状況、

のことを意味します。

 

この目の前の人にこういう症状が出ているのは、

単に誰かから何かを言われたとか、

考え方がおかしいとかではなく、

 

網の目状に関連し合うすべての状況の中で、

結果としてそうなったと観るのです。

 

出発はユングですが、

どちらかというと東洋的な考え方かもしれません。

 

これを知った当時、

本当に救われた思いでした。

 

直線的思考のサラリーマン社会で、

いじめ抜かれ、自分を否定してしまっていましたが、

物事ってほんとはそうだよね!

と強く共感でき、救われました。

 

また、東洋と西洋の違いについても、

考える様になりました。

 

音楽も同じで、直線的、短絡的ではない、

複合的、重層的なコンテクストを大切にするべきだ、

とこのころから考える様になりました。

 

この後、河合隼雄さんの著作をはじめに、

フロイト、ユング、アドラー、

ロジャーズ、ジェンドリン、フロム、マズロー

等の著作(訳本です)や、

 

スピリチュアルにもつながる、

トランスパーソナル心理学の、

ウィルバーや、グロフの著作も読み、

 

国内の臨床心理学関連の本も含めて、

5年くらいで、

200冊以上の本を読みました。

 

仕事には興味ゼロで、

ほとんど、心理学オタクでした。

 

しかし、だからと言って、

本当に救われたというわけではなく、

また、次の危機(学び)が訪れます。

 

次の段階の学びは、うつ、共感、神道です。

 

では、また次回。

ようこそ、ひでちぇろブログへ。


今回は、
音楽における自由というテーマです。

まずは、「自由」とは?

です。

「自由」っていう言葉だけ見ると、
ちょっと哲学的ですね。


ドイツの大哲学者、
カント先生によれば、

欲望に支配された状態から、
その欲望を抑え、
自分自身の意思で設定したルールに従うことこそが本当の自由

だそうです。
なかなかできないので、
耳が痛いですねー。。。


続いて、フランスの
サルトル先生の場合。

「選択の自由」には「結果の責任」が、
自由は必ず責任を伴う。

とのこと。

たしかに、
ごもっともですね。


ここで、
一挙に東洋に飛んで、

お釈迦様の始めた
ほとんど哲学でもある
仏教ではどうでしょう。

他人の言うことに惑わされず、
自分で決めて行動できること(自灯明)

が、
自由のようです。

お釈迦様が
亡くなられる直前、
弟子達に、

自分がいなくなっても
自分の心の中にある真理に従って
生きなさい

と、
言われたんですね。
それができれば自由と。


ここまで、
哲学的な「自由」について見てきましたが、

音楽の「自由」
ってあるのでしょうか?


欲望に支配されずに、
自分にルールを課し、

責任が伴う自覚を持ち、

自らの心の中の真理に従い。。。

しかも、演奏なら、音程、ハーモニー、リズム、メロディ、アンサンブル(共演者の音楽)、をちゃんと成り立たせ。。。

と考えると、束縛だらけで
自由とかどこにあるのか?

となってしまいます。

実際、音楽の諸条件をすべて満たして初めて自由があるという意見も結構ありそうです。

もちろんそれは、
概ね真実です。

特に、
プロの演奏家の方にとっては。


しかし、
ここからは私の意見ですが、

本来の音楽という営みは、
自由とか束縛とかを超越した、
いまここでの創造行為である。

神と一つになれる創造行為である
音楽にとって、

自由などは本質とは関係無い。

ということです。

結局、俺が私が!!俺の音楽がっ!
ってなると、
俺の、私の自由
となるのであって、

そういう自我の垣根を取っ払えるところに
音楽の価値があり、

俺の自由とか関係無くなるから、
音楽っていいんじゃないか?

というのが、
私の考えです。

自我の境界線が薄くなって、
神や周りの人たちとの一体感が感じられる
体験を目指したいと思います。

カント先生に怒られそうな結論に
なっちゃいましたが、

以上です。

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

題名の通りですが、

一生に一度はやりたいのが

 

チェロコンチェルト(チェロ協奏曲)の

ソロパートを弾くことです。

 

しかしアマチュアの私がこれをやろうとすると、

相当の壁があります。

 

ひとつはテクニック。

今のまま一人で曲を練習してもダメで、

先生を探して見てもらう必要があります。

 

次にオーケストラ。

やってもらうオーケストラを探したり、

演奏会時期を合わせたりがあります。

 

そして時間。

上に書いた諸々の事をやりきる時間がとれません。

少なくとも今の生活では。

 

私は、

大学のOBオーケストラに所属している時、

10分くらいのチェロ独奏付きの小品で、

ブルッフ作曲「コルニドライ」

という曲を弾いたことがあります。

(年齢は28歳でした)

 

コンチェルトとまではいかない

小さい規模曲でしたが、

 

一年間練習し続けて舞台に臨みました。

 

舞台直前の袖で待っている時は、

すごく怖かったし、孤独でした。

 

そして、舞台に上がって、

演奏が始まりますが、

 

時間が止まりそうなっくらい、

ものすごく長く感じられました。

 

あとは、

チェロの指板はフレットなどなにもないんですが、

それがすごく絶望的なことに思えました。

 

ものすごく精神的負荷が大きい

10分間でしたが、

終わりの音の音程が取れた時、

「これで救われたー!」

と思ったのを今でも覚えています。

 

演奏会が終わった後は、

器大きくなった気がしたものです。

(たぶん誤解ですが。。。)

 

 

もし、コンチェルトができるならば、

やってみたい曲としては

たとえば

 

ハイドンのチェロ協奏曲第2番

チャイコフスキーのロココ風主題による変奏曲

エルガーのチェロ協奏曲

 

あたりですね。

 

 

オケを探すのか、

作るのか分からないくらいの妄想ですが、

なにをどうすれば

演奏会までできるか考えるのも結構面白いです。

 

この案はしばらく、

心の中で温めみたいと思います。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

宮崎アニメと、

今後の日本の音楽について書いていきます。

 

私から言うまでもないことですが、

 

宮崎アニメは人間と自然という、

重要なテーマを表現しています。

 

自然は神と人間のインターフェース的存在で、

 

神は自然界を通して人を育み、

人は自然を通して神の意図を感じるという様な、

汎神論的価値観を日本人であれば

心の片隅に持っていると思います。

 

そして、

 

唯物的な物質文明にも適応して、

両者の矛盾を肌で感じてきた、

日本人だからこその世界観を、

 

宮崎アニメは代表して表現してくれています。

 

 

高度成長期に自然とのつながりが希薄になって

忘れてしまった大切な物を

取り戻そうとする試みも含めて、

 

それを、

強いメッセージで思い起こさせてくれたのは、

大きい功績だと思います。

 

一方、

 

戦後より以前の、

明治維新後の西洋化で失った、

昔の日本の生活様式、考え方や、

 

太平洋戦争で失った、

日本人としてのアイデンティティ

 

についても、まだトラウマとして残っていて、

癒されていないと思います。

 

これらのトラウマが解消されていなということは、

表現者としてはチャンスかもしれませんが、

下手をすると、

そこをつつくと強く拒絶される可能性もあります。

 

ここまでのトラウマまでは、

さすがに宮崎アニメでは強く触れられていませんが、

日本の周りの国がきな臭くなると、

だんだん表面化してくるのではないかと思われます。

(右と左の)国内的な意見の対立として。

 

最終的には、

海外からの何らかの武力による干渉があって、

始めて意見の対立が解消されて一体化するのかもしれません。

 

東日本大震災の時の様に。

 

 

だいぶ音楽と関係の無い話が続きましたが、

 

音楽の状況も戦後どんどん変わっています。

 

クラシック音楽は導入されてから、

どんどん高度に発展しています。

 

しかし、

キリスト教文明についての理解を抜きにしたままで、

しかもヨーロッパの本体があるのに、

日本でクラシックをやる意味は一体何かと問われる時期に

来ているのかなと思います。

 

キリスト教文化を背景にせずに、

 

ポップスをやっても、

ジャズをやっても、

クラシックをやっても、

 

どこか上滑りな感じがします。

 

ここで、

宮崎アニメで問題提起された、

日本人と自然(と神)の関係の登場です。

 

 

これまで、

日本人と自然の関係を軸にして、

 

仏教とか、

ユダヤ(私個人の意見です)とか、

インドのカレーを(英国経由)日本のカレーにしちゃったりとかして

取り込んできた様に、

 

やはり、日本人と自然の関係性をバックボーンにして、

日本の八百万の神にキリストさんを加える勢いで、

 

日本文化で西洋音楽を飲み込んで、

自分達の物にできないかなと

妄想しています。

 

なかなか、

具体的なイメージはないのですが、

何か気づくことがあれば、

また発信します。

 

 

話があちこちに飛びましたが、

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

会社の忘年会があり、

2次会でカラオケのある店行きました。

 

3人で、

1時間か1時間半くらい歌いました。

 

私は、歌謡曲とかポップスとか、

全然わからないので、

 

持ち歌が数曲しかなく、

今回も、

すぐに持ち歌を使い果たしてしまいました。。。

 

 

で、カラオケに行くと、

いつも思うのが、

 

世の中でみんなが聴いている曲は、

ホントに全部4分の4拍子で、

1フレーズ4小節だなーってことです。

 

 

構成も、

 

イントロ(序奏)

Aメロ(第一主題)

Bメロ(第二主題)

サビ(展開部とコーダ)

 

みたいに大体決まっているし。

 

ほとんど決まった枠組みの中で勝負しています。

 

なぜみんなこれを破らずに従っているんだろう?

と疑問に思ってしまいます。

 

クラシックだと、

 

拍子も何種類もあるし、

しょっちゅう変拍子している曲もざら。

 

現代まで行かずとも、

近代でも変拍子なんてたくさんあります。

 

今のポピュラーな曲の形態って、

 

神話学者のジョーセフ・キャンベルが言う神話論みたいに、

人の心を打つ定型的な物語みたいな感じなのかもしれませんね。

しかも一番手軽で短いバージョンの。

 

ということは、

今後もなかなか変わらなそうです。

 

こんな状況を退屈に感じてしまうので、

 

私としては、

今後も当分クラシック音楽に関わり続けそうです。

 

カラオケの感想でした。

 

 

それでは。

 

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今回は、日本の伝統音楽と、

西洋のクラシック音楽の比較についてのお話です。

 

西洋の音楽は、

緊張と弛緩が基本にあります。

少なくとも、

17世紀以降くらいには

すでにそうなっていると思われます。

 

3度を二つ重ねた和音を使って、。

ハーモニーで緊張と弛緩を表現します。

 

ドレミファソラシドの音階も、

半音の手前で緊張して、その後弛緩します。

 

調性(ハ長調とか、二短調とか)も

変化してから元に戻ると落ち着きます。

 

これは、音楽が、

緊張を弛緩を繰り返す、

人間の心とか人生とかと

同じ性質だということでしょう。

音楽イコール人の心ということですね。

 

これに対して、

日本の明治以前から伝わる音楽は、

全く異なります。

 

音階は、

ヨナ(四七)抜き音階といいます。

 

半音階で緊張を感じさせる、

4番目のファと、

7番目のシを抜いた音階です。

 

これは長調ですが、

実際は短調が主で、

始まりをラからにずらして、

ニロ(二六)抜き音階(構成音は同じ)

とも言います。

 

西洋音楽の様な、

和音とか調性のシステムはありません。

 

緊張させる要素が避けられている様でもあります。

 

ここからは、

私の体験による推測ですが、

 

日本の伝統音楽は、

自然の中で、

自然に溶け込んで一体となった時の

感情をベースにしているのだと思います。

 

西洋音楽(キリスト教)には存在しない、

神(創造主)と人を仲介する自然(八百万の神を含む)があり、

 

このベース(神道)の上に思考や感情が乗っかっていたのではないかと思います。

 

だから、緊張とか弛緩とかは

西洋音楽ほど求められなかったのかなと思われます。

 

私が新入社員のころ、

友達のお父さんが尺八の師範をしており、

その流派の方々が出演する尺八の演奏会に行く機会がありました。

 

どの演奏もクオリティが高くて驚きましたが、

 

最後の家元の尺八は、

全く聴いたことのない様な透明感のある音で、

なぜか日本の海岸と松林の情景が浮かび、

その景色に入り込んで感極まった様な感情を感じました。

 

こういう状態は、

実は風景写真の撮影で、

自然と一体になる感覚と似ています。

 

目の前に存在する自然に共鳴しながら、

魂が軽くなり、

自我が薄くなる感じです。

 

振り替えって、

現代の我々は、

ほとんど西洋人の感覚に近いけれど、

 

日本の言語と残った自然に助けられて、

少しだけ日本人としての感性がまだ残っています。

 

多分、

この日本古来の音楽と西洋音楽とを

安易に掛け合わせて何か産み出そうとしても、

表面的なものになると思われます。

(真剣にやられている方は別ですが)

 

何か、

お互いににとって嘘っぽくなりそうです。

 

今、私は西洋の音楽に没頭していますが、

日本の音楽にトライするなら、

まったく別ジャンルのものと思ってやるのが良いのでしょう。

 

祖父の片見の尺八が部屋の隅にあるので、

余裕が有ったらそのうちやってみようかなと思っています。

 

それでは。

 

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ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

 

唐突ですが、

 

人生、苦しいときってありますよね。

年齢に関係なく。

 

みんなそこ乗り越えてきています。

 

で、その苦しさは、

一人で引き受けなければなりません。

 

例えば、歯が痛いっていうのは、

誰かに話しても痛みが軽減するわけではなく、

治療するまで耐えざるを得ません。

 

誰かに励まされて嬉しかったとしても、

痛みは同じく存在します。

 

肉体的につらいのも、

精神的につらいのも、

 

つらさに耐えるのは、

 

肉体と精神を持ってこの世に存在する限り、

避けられない体験なのでしょう。

 

肉体の痛み

死の恐怖

集団の中でで生きられなくなる恐怖

大事な異性失う、近親者と死別する恐怖

 

ブッダの言う、四苦八苦ですね、まさに。

 

そして、音楽でもこういう苦しみは表現されています。

 

教会音楽や、バロック音楽では、

音楽みんなのもので。音楽は「神」相手でした。

 

しかし、

ベートーベン以降あたりから、

明確に個人の苦しみを表現する様になります。

 

主人公が”I”、「私(わたくし)」になる訳ですね。

 

本当に一人でその苦しみを引き受け、乗り越えていく訳ですが、

その、苦しみに対峙する姿こそが音楽としては美しいのですね。

 

苦しさから始まり、それを乗り越える物語が美しいんですね。

 

自分がうつで辛かった時を考えると、

生きるか死ぬかの世界なので、

安易なことは言いづらいのですが、

 

生きてそこを通過できれば成功レベルの、

個人単位でしか体験できない、

苦しみを通した「成長」こそが、

実は普遍的な音楽の「美」なのかもしれません。

 

そして、みんな、

この普遍的な「美」を体験する為にこそ、

この世に生を受けたのかもしれませんね。

 

 

それでは。

 

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今日は、

会社の飲み会の翌日で疲れ気味だったので、

 

「ジョン・レノン」の名言を

ネットで検索して癒されていました。

 

一番気に入った名言は、

 

 「人の言うことは気にするな。

  『こうすればああ言われるだろう』

  こんな下らない感情の為に

  どれだけの人がやりたいことも出来ずに、

  死んでいくのだろう。」

 

でした。

 

自分を「幸せ」にすることを再優先にしろ、

人生はすぐ終わってしまうのだから。

 

ということでしょうか。

 

自分を「幸せ」にする、

っていうこと、

 

自分と向き合うこと

 

をおろそかにしてきたなと、

我に返る感じがしました。

 

 

やはり、

自分が心の底から本当にいいと思う音楽を突き詰めて、

世界の音楽の流れを変えた人の言葉は、

突き刺さります。

 

 

クラシック音楽っていうのは、

100年から300年くらい前に作曲された音楽を

演奏するので、

 

まず、

その作曲者がどう感じたかが

優先されたりします。

 

しかしやはり、

作曲者がどう感じたかというのは、

前提として必要な知識ではあるけれど、

 

演奏者がどう感じるのか、どうしたいのか、

ということを最も大切にすべきなんでしょうね。

 

現代に生きる私たちが演奏する意味は、

そこにあるのでしょう。

 

 

もちろん、作曲者の気持ちを

自分なりに理解する勉強はおろそかに

すべきではないとは思います。

 

ただ、つねに自分に対してどうしたいか問う姿勢を

忘れない様にしたいです。

 

それでは。

 

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