ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

宮崎アニメと、

今後の日本の音楽について書いていきます。

 

私から言うまでもないことですが、

 

宮崎アニメは人間と自然という、

重要なテーマを表現しています。

 

自然は神と人間のインターフェース的存在で、

 

神は自然界を通して人を育み、

人は自然を通して神の意図を感じるという様な、

汎神論的価値観を日本人であれば

心の片隅に持っていると思います。

 

そして、

 

唯物的な物質文明にも適応して、

両者の矛盾を肌で感じてきた、

日本人だからこその世界観を、

 

宮崎アニメは代表して表現してくれています。

 

 

高度成長期に自然とのつながりが希薄になって

忘れてしまった大切な物を

取り戻そうとする試みも含めて、

 

それを、

強いメッセージで思い起こさせてくれたのは、

大きい功績だと思います。

 

一方、

 

戦後より以前の、

明治維新後の西洋化で失った、

昔の日本の生活様式、考え方や、

 

太平洋戦争で失った、

日本人としてのアイデンティティ

 

についても、まだトラウマとして残っていて、

癒されていないと思います。

 

これらのトラウマが解消されていなということは、

表現者としてはチャンスかもしれませんが、

下手をすると、

そこをつつくと強く拒絶される可能性もあります。

 

ここまでのトラウマまでは、

さすがに宮崎アニメでは強く触れられていませんが、

日本の周りの国がきな臭くなると、

だんだん表面化してくるのではないかと思われます。

(右と左の)国内的な意見の対立として。

 

最終的には、

海外からの何らかの武力による干渉があって、

始めて意見の対立が解消されて一体化するのかもしれません。

 

東日本大震災の時の様に。

 

 

だいぶ音楽と関係の無い話が続きましたが、

 

音楽の状況も戦後どんどん変わっています。

 

クラシック音楽は導入されてから、

どんどん高度に発展しています。

 

しかし、

キリスト教文明についての理解を抜きにしたままで、

しかもヨーロッパの本体があるのに、

日本でクラシックをやる意味は一体何かと問われる時期に

来ているのかなと思います。

 

キリスト教文化を背景にせずに、

 

ポップスをやっても、

ジャズをやっても、

クラシックをやっても、

 

どこか上滑りな感じがします。

 

ここで、

宮崎アニメで問題提起された、

日本人と自然(と神)の関係の登場です。

 

 

これまで、

日本人と自然の関係を軸にして、

 

仏教とか、

ユダヤ(私個人の意見です)とか、

インドのカレーを(英国経由)日本のカレーにしちゃったりとかして

取り込んできた様に、

 

やはり、日本人と自然の関係性をバックボーンにして、

日本の八百万の神にキリストさんを加える勢いで、

 

日本文化で西洋音楽を飲み込んで、

自分達の物にできないかなと

妄想しています。

 

なかなか、

具体的なイメージはないのですが、

何か気づくことがあれば、

また発信します。

 

 

話があちこちに飛びましたが、

それでは。

 

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