ようこそ、ひでちぇろブログへ。
今回は、日本の伝統音楽と、
西洋のクラシック音楽の比較についてのお話です。
西洋の音楽は、
緊張と弛緩が基本にあります。
少なくとも、
17世紀以降くらいには
すでにそうなっていると思われます。
3度を二つ重ねた和音を使って、。
ハーモニーで緊張と弛緩を表現します。
ドレミファソラシドの音階も、
半音の手前で緊張して、その後弛緩します。
調性(ハ長調とか、二短調とか)も
変化してから元に戻ると落ち着きます。
これは、音楽が、
緊張を弛緩を繰り返す、
人間の心とか人生とかと
同じ性質だということでしょう。
音楽イコール人の心ということですね。
これに対して、
日本の明治以前から伝わる音楽は、
全く異なります。
音階は、
ヨナ(四七)抜き音階といいます。
半音階で緊張を感じさせる、
4番目のファと、
7番目のシを抜いた音階です。
これは長調ですが、
実際は短調が主で、
始まりをラからにずらして、
ニロ(二六)抜き音階(構成音は同じ)
とも言います。
西洋音楽の様な、
和音とか調性のシステムはありません。
緊張させる要素が避けられている様でもあります。
ここからは、
私の体験による推測ですが、
日本の伝統音楽は、
自然の中で、
自然に溶け込んで一体となった時の
感情をベースにしているのだと思います。
西洋音楽(キリスト教)には存在しない、
神(創造主)と人を仲介する自然(八百万の神を含む)があり、
このベース(神道)の上に思考や感情が乗っかっていたのではないかと思います。
だから、緊張とか弛緩とかは
西洋音楽ほど求められなかったのかなと思われます。
私が新入社員のころ、
友達のお父さんが尺八の師範をしており、
その流派の方々が出演する尺八の演奏会に行く機会がありました。
どの演奏もクオリティが高くて驚きましたが、
最後の家元の尺八は、
全く聴いたことのない様な透明感のある音で、
なぜか日本の海岸と松林の情景が浮かび、
その景色に入り込んで感極まった様な感情を感じました。
こういう状態は、
実は風景写真の撮影で、
自然と一体になる感覚と似ています。
目の前に存在する自然に共鳴しながら、
魂が軽くなり、
自我が薄くなる感じです。
振り替えって、
現代の我々は、
ほとんど西洋人の感覚に近いけれど、
日本の言語と残った自然に助けられて、
少しだけ日本人としての感性がまだ残っています。
多分、
この日本古来の音楽と西洋音楽とを
安易に掛け合わせて何か産み出そうとしても、
表面的なものになると思われます。
(真剣にやられている方は別ですが)
何か、
お互いににとって嘘っぽくなりそうです。
今、私は西洋の音楽に没頭していますが、
日本の音楽にトライするなら、
まったく別ジャンルのものと思ってやるのが良いのでしょう。
祖父の片見の尺八が部屋の隅にあるので、
余裕が有ったらそのうちやってみようかなと思っています。
それでは。