ようこそ、ひでちぇろブログへ。


今回は、
音楽における自由というテーマです。

まずは、「自由」とは?

です。

「自由」っていう言葉だけ見ると、
ちょっと哲学的ですね。


ドイツの大哲学者、
カント先生によれば、

欲望に支配された状態から、
その欲望を抑え、
自分自身の意思で設定したルールに従うことこそが本当の自由

だそうです。
なかなかできないので、
耳が痛いですねー。。。


続いて、フランスの
サルトル先生の場合。

「選択の自由」には「結果の責任」が、
自由は必ず責任を伴う。

とのこと。

たしかに、
ごもっともですね。


ここで、
一挙に東洋に飛んで、

お釈迦様の始めた
ほとんど哲学でもある
仏教ではどうでしょう。

他人の言うことに惑わされず、
自分で決めて行動できること(自灯明)

が、
自由のようです。

お釈迦様が
亡くなられる直前、
弟子達に、

自分がいなくなっても
自分の心の中にある真理に従って
生きなさい

と、
言われたんですね。
それができれば自由と。


ここまで、
哲学的な「自由」について見てきましたが、

音楽の「自由」
ってあるのでしょうか?


欲望に支配されずに、
自分にルールを課し、

責任が伴う自覚を持ち、

自らの心の中の真理に従い。。。

しかも、演奏なら、音程、ハーモニー、リズム、メロディ、アンサンブル(共演者の音楽)、をちゃんと成り立たせ。。。

と考えると、束縛だらけで
自由とかどこにあるのか?

となってしまいます。

実際、音楽の諸条件をすべて満たして初めて自由があるという意見も結構ありそうです。

もちろんそれは、
概ね真実です。

特に、
プロの演奏家の方にとっては。


しかし、
ここからは私の意見ですが、

本来の音楽という営みは、
自由とか束縛とかを超越した、
いまここでの創造行為である。

神と一つになれる創造行為である
音楽にとって、

自由などは本質とは関係無い。

ということです。

結局、俺が私が!!俺の音楽がっ!
ってなると、
俺の、私の自由
となるのであって、

そういう自我の垣根を取っ払えるところに
音楽の価値があり、

俺の自由とか関係無くなるから、
音楽っていいんじゃないか?

というのが、
私の考えです。

自我の境界線が薄くなって、
神や周りの人たちとの一体感が感じられる
体験を目指したいと思います。

カント先生に怒られそうな結論に
なっちゃいましたが、

以上です。

それでは。