「新聞を開いて僕は世界を知った」・・・さらば、少年の日よ。ただいま新聞週間中。
「政治性は強いなと思ったけど、表現としてありだと思う」「目くじらを立てるほどの際どい内容とは思わなかった」上記は、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示再開翌日、中日新聞(10月9日付)の記事にあった、展示(件の映像を含む)を観た人のコメントです。再開当日のTVニュースでも、鑑賞した人々の「声」は、ほぼ同じような内容でした。果たしてこれは・・・メディア側がそういう声ばかりを集めたのか、事実として皆がそういう感想を抱いたのか、あるいは、メディアに問われた途端その空気(意図とか同調圧力とか?)を読んで発言しているのか。いずれにせよ、ちょっと怖いな、という思いがありまして。ついうっかり、ブワーッと書いてしまったのが前回記事、「表現の不自由展・その後」架空鑑賞物語・・・『2019年』あるいは『注文の多い展示会』です。既に自分の手を離れた「作品」ですので、如何様に読んでいただいても構わないのですが、私、小心者なので、野暮と知りつつ、ちょびっとだけ(「表現の不自由展・その後」実行委員会の方々と比較して1/100くらい?)自分で作品解説してみました。それはさておき、ここから本題。新聞を開くことのない人がエライ勢いで増えているらしい今日此の頃、令和の御世になっても「新聞週間(10月15日〜21日)」関連のあれこれが、業界内だけで(?)ひっそりと執り行われております。※日本新聞協会:新聞週間→https://www.pressnet.or.jp/about/shimbun_shukan/ということで、今日は、最早ある種のネタとしてでしか新聞なんて読まないよ、という方々のために、新聞週間と新聞協会≒新聞業界について。これまた、いくつかのネタをご提供いたしましょう。まずは、⚪「新聞週間ポスター」※日本新聞協会:新聞週間ポスター完成→https://www.pressnet.or.jp/news/headline/191015_13181.htmlこれは、なかなか・・・分かりやすくて良いですね。ここのところ、受け手側に超絶読解力を要求してくる「現代アート」(あいちトリエンナーレ)に関わり過ぎたからか、素直にそう思います。そして、⚪(ポスターにもありますが)「新聞週間代表標語」新聞を開いて僕は世界を知った※日本新聞協会:新聞週間 代表標語→https://www.pressnet.or.jp/about/recruitment/slogan/index.htmlうんうん、確かにね。私自身、新聞を開いて、そこに自分の知らなかった世界を発見する悦びみたいなものを感じた日々があります。メーテルが出てきそうです。懐かしいです。物凄くどうでもいい話ですが、私、高校時代、新聞部にも在籍してました(本職は・・・男子なのに演劇部!)。さて、お次は、⚪「新聞大会決議」 わが国では、急速な人口減少や情報通信技術の進展により、社会・経済の構造や人々の価値観に大きな変化が生じている。国の内外では、摩擦や分断も生じている。 正確で信頼性のある情報を提供し議論の場を形成するジャーナリズムの役割は、今こそ重要になっている。令和の時代を迎えても新聞は、人々の考える糧となり、地域や世代を超えて互いに尊重し合える社会を支えていく。 この秋、消費税率引き上げに伴い、宅配新聞の購読料に軽減税率が適用された。私たちは社会にとって不可欠な存在として、自由で責任ある報道に努めていくことを誓う。あわせて、公共財である即売や電子版の新聞、出版物への軽減税率適用を求める。※日本新聞協会:新聞大会決議一覧→https://www.pressnet.or.jp/about/shimbun_shukan/resolution/index.html「正確で信頼性のある情報を提供し議論の場を形成するジャーナリズムの役割は、今こそ重要になっている」のは、そのとおりなんだけど、その「正確」さや「信頼性」自体がですね・・・ま、皆まで言いません。何しろ、ほら、「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像」(朝日新聞)ですから。そんなわけで、新聞が「社会にとって不可欠な存在」なのかどうか、ちょっと、と言うか、かなり怪しくなってまして。「責任ある報道に努めていく」なんて誓いもいい加減聞き飽きたし、到底信じられませんわね。もっとも、新聞が(報道しない自由を含めて)自由だなってことは、そうね、ネット情報に触れる人々には、あまねく浸透しているようですけど。ちなみに、消費税軽減税率に関しては、新聞協会として、このような文書も出しています。⚪「消費税軽減税率の適用にあたって」 〜〜〜私たちは報道・言論により民主主義を支え、国民に知識・教養を広く伝える公共財としての新聞の役割が認められたと受け止めています。〜〜〜 最近では、不確かでゆがめられたフェイクニュースがインターネットを通じて拡散し、世論に影響するようになっています。そうした中で、しっかりとした取材に基づく新聞の正確な記事と責任ある論評の意義は一段と大きくなっています。〜〜〜※日本新聞協会:消費税軽減税率の適用にあたって→https://www.pressnet.or.jp/news/20191001.pdf出ましたよ、昔ながらの「社会の木鐸」論。でもさ、ぶっちゃけ「軽減税率適用してくれたら、税率アップへの批判は控えめにするね、くらいの裏取引とかがあったんじゃないの?」という気分は拭えません。それに、「フェイクニュース」拡散の罪は、インターネットばかりではなく、新聞(やTV)にもありますよ、ということを知らしめているのも、やはりネット情報ですから。「しっかりとした取材に基づく新聞の正確な記事」「責任ある論評」・・・読んでるこちらが恥ずかしくなってきます。(ちなみに、私個人は消費税に反対ではないし軽減税率なんて不要だと思ってます。税は簡素が一番。低所得層の高負担云々は、その分、政府支出面=手当・補助の充実で補えば良いんです)かつて、文豪ゲーテが言ったそうです。Wenn man einige Monate die Zeitungen nicht gelesen hat, und man liest sie alsdann zusammen, so zeigt sich erst, wieviel Zeit man mit diesen Papieren verdirbt.(何か月か新聞を読まずに後からまとめて読んでみると、こんな紙切れを相手にいかに多くの時間を無駄にしていたかがわかる)また、こんなことも。Seit ich die Zeitungen nicht mehr lese, bin ich viel freieren Geistes.(新聞を金輪際読まなくなってから、私は実に気持ちがいいです)何ともまあ酷い言いようですが、ゲーテさんですから。ちょっとね、その口を借りて腐してみましたよ(学者さんがよくやる手口です。えへへ)。おっと、つい調子にのって業界への悪口ばかり言い過ぎましたか。これで終わってしまうと単なる鬱憤晴らしになってしまうので、一応、新聞業界内にも、それなりに自浄作用がある(かもしれない)、ということもお伝えしておきましょう。あいちトリエンナーレに関する朝日VS産経のお話です。⚪(新聞記事の中で最も読まれていないらしい)社説比較。まずは、あいちトリエンナーレ2019の閉幕(10月14日)を受けて、10月16日付(15日は新聞休刊日)朝日新聞社説から抜粋。 騒ぎの発端は、作品を見ることも、制作意図に触れることもないまま、断片情報に基づく批判が開幕直後に寄せられたことだった。河村たかし名古屋市長ら一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え、火に油を注いだ。 美術、文学、音楽を問わず、既成の概念や価値観をゆさぶる作品が、次の時代を切り開き、自由で多様な方向に世界を広げる原動力になってきた。それが否定されてしまえば、社会は閉塞(へいそく)状況に陥るばかりだ。 表現の自由への過度な制約にならぬよう、規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた。明らかにそれに当たらない作品をヘイトと指弾することは、蓄積を無視し、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない。※朝日新聞:(社説)あいち芸術祭 閉幕後も山積する課題→https://www.asahi.com/articles/DA3S14218963.html?iref=editorial_backnumber「河村たかし名古屋市長ら一部の政治家が、同じく表面的な事象だけをとらえて攻撃を加え・・・」ってアナタ、彼等の「攻撃」する姿だけを切り取り、その理由(陛下への侮辱)については無視・黙殺を決め込んだのはどっちですか?「既成の概念や価値観をゆさぶる作品」は大抵、公金から最も遠いところで生まれるんであって、公の機関に否定されようが拒否されようが、しぶとく生き残っていくもんですよ。「閉塞」してるのは、この社説を書いている人(達)の思考です。「規制すべきヘイト行為とは何か、社会全体で議論を重ね、定義づけ、一線を引いてきた」って、マジで? 私はそんな「定義」や「一線」なるもの、聞いたことも見たことも無いんですけど、どうしたことでしょう? 朝日新聞をずっと取っていたなら、どこかに書いてあったのかしら?という具合でして。どうせ「最も読まれない」からと言うんで、開き直っているんじゃないでしょうね、くらいのお粗末さです。で、呆れていたところ、翌日、産経の社説(主張)が噛み付きました。こちらも抜粋です。 どこに一線を引くかこの社説は語っていない。平成28年成立のヘイトスピーチ(憎悪表現)解消法に依拠するつもりなら乱暴な話で説得力はない。同法は、日本以外の出身者やその子孫への不当な差別的言動の解消を目指している。その解消自体は当然としても、同法には日本人を守るべき対象としていない大きな欠陥がある。 そもそも法律以前の話でもある。左右どちらの陣営であれ、誰が対象であれ、ヘイト行為は「表現の自由」に含まれず、許されない。この当然の常識を弁(わきま)えず、天皇や日本人へのヘイト行為を認める二重基準は認められない。※産経ニュース:【主張】愛知の企画展閉幕 朝日はヘイトを許すのか→https://www.sankei.com/column/news/191018/clm1910180002-n1.htmそうですよね。そうだと思います。でもまあ、これは私の感想。朝日の社説と産経の主張と、どちらに理があるか、全文読んで、皆さんご自身で判断なさってください。それにしても、こういう業界内での相互批判を、もっと早くから、もっと目立つところでやってきてたら、新聞業界がここまで斜陽化することも無かっただろうに、とか思います。あるいは、たとえ今からでも、例えば一面とかでビシバシやり合ってくれれば、この先、新聞が生き残る可能性もでてくるような気がするんですけどね。如何なもんでしょう?ゲーテのように偉大な人間じゃない私には「新聞を金輪際読まない」というところまで悟ることはできないので、これでも、新聞には頑張ってほしいと思ってるんです。それはそれとして、最後に、純真な少年少女に。ついでに、未だネットに触れず新聞しか読まない昔少年少女であり、今も純真な老紳士・淑女に。ネットの海へ飛び込めば、新聞で知った世界のその先に、光と闇とが混在する無限に広がる大宇宙があると知りますよ。「こういう展示を公共施設でやると国民全体が展示内容を認めたことになる。表現の自由という名の暴力だ」(名古屋市長の言葉)「日本国民に問う! 陛下への侮辱を許すのか!」(同市長が掲げたプラカード)いずれも中日新聞が報じた「世界」ですが、これだけでは、「こういう展示」が、どういう展示を指すのか、「陛下への侮辱」とは如何なるものなのか、つまるところ、河村さんが何に対して怒っているのかさっぱり解らないわけですよ。ネット情報に嘘が混ざっているの確かですが、それを含め、新聞(とTV)が捉えることのない「大宇宙」があるのも、また確かです。※こちら、旧ブログの関連過去記事です。よろしければどうぞ。「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」いや、素敵ですね。日本新聞協会が選んだ今年の新聞週間代表標語だそうですが、これはその「笑うとこ」でしょうか?何しろ昨今の新聞は、限りなくフェイクに近い憶測記事を一面大見出しにするし、ネット上で周知のファクトも気に入らなければ全く報道しないし、そういうモノと考えた方が良いですからね。→#213 「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」・・・日本新聞協会、放歌高吟。※さらにこちらは、上の記事を含む、旧ブログのテーマ「メディア論」一覧です。→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/3cc1a1cec53d3eaa83c57e387bf4c893🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥⚪おまけ:事件事故の被害者実名報道について。新聞を含め、マスメディア業界としての「マスコミ倫理懇談会」というものもあるのだそうで。先の全国大会では、このような「大会申合わせ」を発表しています。 また、京都アニメーションで起きた放火殺人事件では被害者の実名報道に対する批判が強く、報道姿勢が厳しく問われている。事実を正確に伝え、事件の真相に迫るためには、実名報道が不可欠であるということを、メディアがより丁寧に伝える必要がある。 メディアが果たすべき役割と社会的責任は何か、メディアの信頼をどう回復していくのか。マスコミ人として一人一人が真剣に考え、より高い倫理に基づいた報道を実践していくことを申し合わせる。第63回 マスコミ倫理懇談会全国大会 大会申し合わせ→https://mec-nc.net/pdf/20190926.pdf残念ながら「事実を正確に伝え、事件の真相に迫るためには、実名報道が不可欠であるということ」は、その後も、ちっとも伝わってきません。自分の生業について「真剣に考え」る暇なんてないのがフツウではありますが、それをできるかのように言うのであれば、是非「実践して」くださいな。※関連過去記事→被害者実名報道と真相解明再発防止と・・・いやいや、そりゃ、ほとんど関係ないでしょ。→京アニ被害者実名報道・・・マスメディアはその意義を謳ってるけど、やっぱり、どこかズレている。