エベレストは特に有名ですが、ヒマラヤ山脈は長さ2400キロメートル、8000メートルを超える山が10もあります。

 

実はこの高い峰、大昔は海底だったのです!!

 

どうして海底だったと推定されるかというと、それは山脈中で発見される魚や貝類の化石と地層によります。

 

長い地球の歴史の間には、幾度もの地殻の変動があり、土地が隆起したり陥没したりが繰り返されています。

 

そして、世界中のどんな土地もかつては海底であり、海底はまた陸地でした。

 

ヒマラヤは7000万年前のアルプス造山運動で生まれました。

 

中生代には、巨大な堆積層を持ったテティス海の底だったといわれています。

 

ヒマラヤの険しい山脈は、特に風化浸食が激しいので、山肌の深い部分が露出し、古い時代の地層が現れているのです。

 

それらは石灰岩の層だったり、ムリー堆積層、シワリク堆積層といわれるもので、明らかに海水中や海底で生活していた魚や貝類の化石が見つかっています。

 

いつ頃海だったのかを知るには、この化石の見つかった地層を、放射能の測定で調べてみると、正確な年代が分かります。

 

世界中の他の土地と同じように、ヒマラヤも海底だったということがこうして推定されているのです叫び

太陽は地球の生物にとって欠かすことのできない、ありがたい存在ですね。

 

太陽があるのは当たり前、と思いがちですが、太陽最期の日は確実にやってきます。

 

太陽は、おもに水素とヘリウムからなるガス体で、中心にある核が核融合反応をおこなうことによりエネルギーをつくり出しています。

 

核融合では水素が消費されヘリウムが生み出されてエネルギーが放出されますが、水素がなくなり核融合がおこなえなくなると太陽のエネルギーがなくなるという状態になります。

 

太陽がすべての水素を消費してエネルギーを放出しつくすまでにかかる時間は約100億年、つまり太陽の寿命は100憶年であり、太陽が誕生したのはおよそ50憶年前といわれているので、今はちょうど折り返し地点といえるのです。

 

太陽の寿命が残りわずかとなってくると、太陽の構造は中心がヘリウム、外層が水素という構造へと変わり、中心のヘリウムは質量が増えるにつれて温度が高くなり熱いヘリウムの核となります。

 

すると水素からなる太陽の外層は膨張し、太陽は大きくふくれあがり巨大な星になります。

 

そうなったとき、地球は太陽に飲み込まれてしまうといわれています。

 

太陽外層部の密度は低いので、しばらく軌道を周り続けるという説もあります。

「これでいい?」

 

「いや」

 

「それじゃあ、こうしたら」

 

「いや」

 

「困ったな。それじゃあ、こうしよう」

 

「いや」

 

こんな会話が続いたら、さすがにカーッと頭に血が上ってしまいますムキーッ

 

しかし、女性の「ノー」は男性の本音を聞き出す常套手段である、ということを知っていますか?

 

気の小さい人は、交渉の席などでもなかなか「ノー」といえずに苦労しています。

 

しかし、交渉上手な人が共通して指摘するのは、「交渉はNoから始まる」ということです。

 

旧ソ連で長い間外交手腕を発揮したグロムイコ外相は、国連の場で反対を続けたので、ミスター・ニエットというあだ名で呼ばれました。

 

ニエットとは、ロシア語の「No」を意味する言葉です。

 

「相手に話させて、自分はできる限り反対し続ける」ことで、リスク(危険性)が最小限になるというのです。

 

これが、ソ連流ニエットの交渉術なのです。

 

「ノー」というと、相手は別の手の内を見せなくてはならなくなります。

 

こうして、「ノー」を繰り返していると、やがて相手の本音が見えてくるというわけですニヤ

 

女性の「ノー」は、反対のための「ノー」ではなく、自分が損しないかどうかを見極めるための「ノー」であると心得ましょう。

 

 

新潟県は日本海に面しており、南北に細長い形をしていますね。

 

北の方の地域は下越(かえつ)、中央地域は中越(ちゅうえつ)、そして南のほうの地域を上越(じょうえつ)といいます。

 

地図では上が北になっています。

 

新潟県の地図でいうと、下越のほうが上側アップになり、上越のほうが下側ダウンということになります。

 

上越市という町がありますが、この町は地図上では下のほう(南のほう)にあるのです。

 

上にあるのに下越、下にあるのに上越。

 

なんだか不思議な感じがします……あせる

 

古い時代、北陸地方およびその以北は「越(こし)」と呼ばれていたそうです。

 

その越の国から、越前、越中、越後の三国が分立しました。

 

この「前・中・後」は都(京都)からの遠近によるものです。

 

都から最も近いのが「前」で、逆に遠いのが「後」だったのです。

 

「越後」は新潟県の旧国名ですが、下越・中越・上越の「越」は旧国名の「越後」に由来するものです。

 

そして、「下・中・上」は、同じく都(京都)からの遠近によるものなのです。

 

ですから、都から最も近いのが「上」で、逆に遠いのが「下」ですねキラキラ

 

上越は地図の上では下に位置しているのですが、都からの距離が近いことから、「上越」と呼ばれているのです。

現在の東北地方はかつて奥羽と呼ばれていました。

 

陸奥国の「奥」と出羽国の「羽」をとって奥羽という地名になったもので、東北地方は陸奥国と出羽国の2国から構成されていたのです。

 

1868(明治元)年に陸奥国は磐城国、岩代国、陸前国、陸中国、陸奥国の5国に分割され、出羽国は羽前国と羽後国の2国に分割されました。

 

そして現在の秋田県の北東部、鹿角市と小坂町からなる鹿角郡は、羽後国ではなく陸中国の一部でしたが、その後短期間のうちに県名が目まぐるしく変貌していきます。

 

1868(慶応4)年に新政府軍と旧幕府軍との間におこった内乱・戊辰戦争は、東北地方で最も激しかったそうで、鹿角でも激しい戦闘がありました。

 

明治元年に盛岡南部郡は秋田官軍に降伏し翌年に盛岡県となります。

 

盛岡藩領だった鹿角地方も盛岡県の一部となり官軍が進駐します。

 

その後、盛岡藩は復活しますが鹿角地方は九戸県に編入され、その九戸県は八戸県に改名、さらに三戸県と改名されたあと、今度は三戸県が江刺県に編入されます。

 

廃藩置県後、1871(明治4)年に江刺県は廃止されて鹿角郡だけ秋田県に編入されることになりました。

 

もともとは陸奥国の一部だった鹿角が官軍側の秋田県に併合されたようなものでしたが、大きな混乱もなく鹿角郡は秋田県に同化していき現在に至るのです。

ツバルは南太平洋に位置する、世界で4番目に小さい島国です。

 

総面積は約26㎢で東京ドーム5.7個分、一番大きなフナフティ島でも縦12㎞最大幅100mしかありませんショック

 

人口約9600人で、国民は自給自足の生活をしながら質素に暮らしています。

 

そんな小国が、地球温暖化にともなう海面の上昇などにより水没の危機にあるといいます。

 

家庭でつくる根菜が流されたり、ヤシの木が倒れるなどの被害が出ていたりで、このままだと21世紀中に海中に沈んでしまう恐れがあると言われています。

 

日本は沈みつつあるツバルに土地をつくり、この危機的状況から救おうとしています。

 

土地をつくるといっても埋め立てをするのではなく、生物が陸地をつくる力を利用して、水没を防ぐという方法ですガーン

 

ツバルは島を構成する堆積物に占める有孔虫の割合がとても高いのですが、その有孔虫が水質の悪化により減っています。

 

有孔虫とは、多くが鉱物質の殻をもつ微小な生物です。

 

日本の研究チームは陸上水槽で有孔虫の増殖を行なう実験施設を建設し、長さ5mの水槽4つを使い、現地で棲息する3種類の有孔虫を飼育しています。

 

小さな島国に棲息する小さな生物に秘められたパワーに大きな期待がかかっているのですウシシ

 

 

 

プロ野球でリーグ優勝したときなど、優勝チームの選手たちが勝利を祝ってビールかけをしますaya

 

テレビでもその場面が中継されますが、どれほどのビールが使われているんだろうと思って見てしまいます。

 

そういえば、今ではお馴染みになった優勝のビールかけは、いったいいつから始まったのでしょうか。

 

昭和34年(1959年)、プロ野球のセントラルリーグは読売ジャイアンツが5年連続の優勝を飾り、パシフィックリーグでは南海ホークス(現在のソフトバンク)が優勝しました。

 

そして、日本シリーズでは南海が4勝0敗で優勝を果たしました。

 

日本シリーズの4戦目は後楽園球場(現在の東京ドーム)で行われました。

 

試合後、南海の選手たちは宿舎のホテルに戻り、祝勝会を開きました。

 

そのとき、選手の一人であった日系二世のカールトン半田が、鶴岡一人監督をはじめ選手たちに突然ビールをかけ始めましたビール

 

それをマネして、他の選手たちもかけ合いました。

 

これが、優勝のビールかけ第一号ですビールビールビール

 

それ以来、ビールかけは祝勝会における欠かせない恒例行事となっていったのです。

 

ビールかけは楽しいし盛り上がりますが、後片付けを考えると……やってらんねぇ・・・

 

1日のうちで交通事故が多発する「魔の時間帯」は、18時台です。

 

この時間帯の道路は、会社帰りの人や学校帰りの人などで混雑します。

 

1日の疲れによって注意力が散漫になり、運転手の視野も狭くなります。

 

さらに、夜間用のライトを点灯しないまま走行するドライバーも少なからずいます。

 

こうした理由により、18時台は事故の確率が高くなるのです!

 

曜日や月によっても、交通事故が起こりやすい「魔の曜日」は、金曜日と土曜日です。

 

週末ということで交通量が多くなるのに加え、休日となるとふだんは運転しない人も車を動かすからです。

 

「魔の月」となるのが12月です。

 

12月はふだんからどっしりと構えている先生ですら走り回るといわれるほど忙しい月(師走)です。

 

その言葉通り、誰もが何かと追い立てられるようになり、交通量も1年で最も多くなります。

 

その結果、事故が発生しやすくなるのです。

 

交通事故が起こりやすい「魔の場所」もあります。

 

どこかというと、やはり交差点です。

 

死亡事故の約5割が交差点での事故となっています。

 

特に危険とされるのが、見通しのよい交差点です。

 

ちょっと意外ですが、見通しがよいとドライバーは警戒心を失い、そのままのスピードで交差点に入っていってしまうのです。

 

 

https://jiko-ask.com/search/pid:5

 

かつて、白いマーガリンが売りに出されましたが、さっぱり売れなかったそうですほろり

 

マーガリンは黄色いものという固定観念が強く、白いマーガリンは消費者の支持を得られなかったのです。

 

ところが、マーガリンは本来白いものなのです。

 

マーガリンが考案されたのは1869年のフランス。

 

ナポレオン3世が、バターより安く作れて、日持ちのする代用品を公募したところ、メージュ・ムーリエという科学者が考案したのがマーガリンでした。

 

その名は、ギリシャ語の「マルガリテス(真珠)」に由来しますが、この名がついたのは、マーガリンが真珠のように白かったからといいますパール

 

日本の市販のマーガリンが黄色いのは、バターに合わせて黄色く着色されているからなのです。

 

このマーガリン同様、自然な色では売れないものに、タラコがあります。

 

タラコは本来鶏肉のような白っぽい色をしています。

 

しかし消費者には、辛子明太子の赤色のイメージが強いため、昔から食紅で着色した真っ赤なタラコが売られてきました。

 

もっとも最近では、タラコは本来白っぽいものという知識がかなり広まってきました。

 

添加物を敬遠する消費者も増えてきたので、自然な色の無着色タラコが人気を集め始めているようですたらこ

 

夏でも冬でも関係なく、ラーメンやうどんなどの熱い汁物を食べていると、鼻水が出てきますうさこうさこ

 

鼻風邪でも引いたのかとも思えるのですが、そんなことはありませんね。

 

熱いものを食べて鼻水が出る原因は、湯気によって直接鼻腔の粘膜が刺激されることと、口の中に熱いものが入ってきたことで鼻腔の粘膜の血管が開いてしまうことにあります。

 

刺激されて温められることで、鼻腔の粘膜がムズムズして、さらに湯気が冷やされた水滴が付着することで、鼻腔はそれを鼻水として外へ押し出すのです。

 

これは一時的なことですから、鼻をかむことですぐ治りますはなみず

 

風邪をひいたときなどのように、原因がウイルスなどの場合の鼻水は、鼻の粘膜に炎症が起きているので、熱いものを食べたときとはずいぶん違います。

 

ほこりやチリなどのわずかな刺激に対しても敏感に反応してしまうので、粘液の分泌が止まらず、なかなか治らないのです。

 

ちなみに、鼻には人体の空調システムともいえる働きがあるようです。

 

鼻から吸った空気が肺に届くまでに、温度37度、湿度95パーセントに調節しているそうです。

 

熱いものと一緒に熱い空気を吸うと、それを冷やすために鼻水が多く分泌されるんだとかうさこうさこ