現在の東北地方はかつて奥羽と呼ばれていました。

 

陸奥国の「奥」と出羽国の「羽」をとって奥羽という地名になったもので、東北地方は陸奥国と出羽国の2国から構成されていたのです。

 

1868(明治元)年に陸奥国は磐城国、岩代国、陸前国、陸中国、陸奥国の5国に分割され、出羽国は羽前国と羽後国の2国に分割されました。

 

そして現在の秋田県の北東部、鹿角市と小坂町からなる鹿角郡は、羽後国ではなく陸中国の一部でしたが、その後短期間のうちに県名が目まぐるしく変貌していきます。

 

1868(慶応4)年に新政府軍と旧幕府軍との間におこった内乱・戊辰戦争は、東北地方で最も激しかったそうで、鹿角でも激しい戦闘がありました。

 

明治元年に盛岡南部郡は秋田官軍に降伏し翌年に盛岡県となります。

 

盛岡藩領だった鹿角地方も盛岡県の一部となり官軍が進駐します。

 

その後、盛岡藩は復活しますが鹿角地方は九戸県に編入され、その九戸県は八戸県に改名、さらに三戸県と改名されたあと、今度は三戸県が江刺県に編入されます。

 

廃藩置県後、1871(明治4)年に江刺県は廃止されて鹿角郡だけ秋田県に編入されることになりました。

 

もともとは陸奥国の一部だった鹿角が官軍側の秋田県に併合されたようなものでしたが、大きな混乱もなく鹿角郡は秋田県に同化していき現在に至るのです。