イエスは多くの譬え(παραβολή、מָשָׁל マーシャール)を語りました。その多くは個性的なもので、イエスの歴史的存在を物語るものです。ヘブライ語マーシャールは譬え(parable、強調点は一つ)、寓喩(allegory、各所に意味を込める)、格言(proverb)などを含む範囲の広い言葉でしたが、ギリシア語パラボレーは一つの強調点を持つ文学ジャンルでした。イエスの譬えも一点を強調するものがほとんどでしたが、時が経つにしたがって、人々には理解しにくいものとなりました。
イエスの宣教は紀元30年前後でしたが、福音書が編集されて完成するのはそれから1世代から2世代離れた紀元60~90年頃と考えられます。その結果、福音書編集者たちはしばしば本来の譬えに寓喩的解釈を付加したり(マルコ4:13-20、マタイ13:37-43)、別の設定を与えたりしました。その結果、ユダヤ人指導者に対する裁きの譬えが、再臨を待ち臨むクリスチャンのあり方に再解釈されたり、弟子たちに対する宣教を奨励する譬えが、御言葉をどう受け止めるべきかという教えに再解釈されたりしました。
邪悪な農夫の譬え(マルコ12:1-12、僕はかつてこの譬えで修士論文を書きました)は珍しいことに、寓喩的要素を元来から持つ真正の譬えと言えます。ぶどう園の主人は神、僕(しもべ)たちは預言者たち、愛する息子はイエス自身を意味します。この譬えはイエス自身がエルサレム入城後、生命の危険(受難)を意識していたことを意味します。
イエスは、たとえで彼らに話し始められた。(枠)
「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕(しもべ)を農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。
更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。
まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。
さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。
(譬え)
聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」
(詩編118:22-23、使徒言行録4:11、Iペトロ2:7、
ユダヤ人から捨てられ、十字架に掛けられたイエスがキリストであったという解釈)
彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえをで話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。(枠)