今年のイースターには特別な感慨がありました。

125日に僕は事故に遭い、生死をさまよいました。

首の骨と背骨を5本も骨折した結果、

全身はピクリとも動かず、

息も満足にできずにICUに担ぎこまれた僕は、

体中が痛む中、一晩中眠れない苦しい夜をすごしました。

 

「助けて、、、イエスさま、、、」

「イエスさま、、、」

 

インマヌエルのキリストは今も共にいてくださる、、、

十字架で苦しまれたイエスさまが一緒だ、、、

 

でも、あまりにも痛い、、、
苦しい、、、

 

(水も睡眠薬も禁止された危篤状態は続きました)

 

耐え切れず、見回りの看護婦さんに何度も時間を聞きました

 

「夜の1時です。」

「夜の2時です。」

「夜の3時です。」

「朝の4時です。」

「朝の5時です。」

 

なかなか、苦しい時間は終わりません、、、

 

その中で瞬きの詩人の水野源三さんの詩を思い出しました。

 

夜明けを待つ

 

歯が痛む夜

咳が出る夜

けいれんが起こる夜は

夜明けが待ち遠しい

あと五時間

あと四時間

あと三時間と

夜明けを待っている

主よと呼びながら

朝の光

雀の声を待つ

 

 

事故の翌日、
主治医は(死に備える)人工呼吸器に関する質問をしました。

事故の4日後、
主治医は一生車椅子の生活を覚悟するようにと告げました。

 

 

4ヵ月後、
手足のしびれ、首から腰にかけてのしびれ、
つぶれた足の指の痛みなど未だありますが、
僕はバスとモノレールを乗り継いで歩いて

教会のイースター礼拝に行きました。

 

 

マルコ16:1-5

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」

 

 

石は私たちが直面する冷たい現実かもしれません。

その現実の只中でキリストは復活されたのでした。

 

茨城春日丘教会のイースター礼拝後に

祝会(料理を持ち寄ったパーティ)がありました。

今では僕を知らない人のほうが多いでしょうが、

司会者に促されて、挨拶と事故からの回復の報告をしました。

(僕は1990年の神学生時代に夏期伝に来て以来、
 この教会と関係があります。)

 

前任牧師の娘さんからは
Mさん(妹)のお兄さんということは知っていても、

「シンちゃんでわかる人は少なくなったね」と言われました。





 エルサレムの園の墓のドアの言葉