セクシュアリティと政治と宗教

              - 絵画と宗教文書から(R15指定)

 

1.リリス

 

 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。

 そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、

 地を這うものすべてを支配させよう。」

 神は御自分にかたどって人を創造された。

 神にかたどって創造された。男とに創造された。

                            (創世記1:26-27)

 

 イタリアのフィレンツェ駅すぐ近くにその教会はある。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。ルネサンス期の数々の名画が描かれる教会であるが、今回扱うのはウッチェルロの地味な壁画の肉眼では確認しにくい一部である。天地創造の動物の創造とアダムの創造を描くこのフレスコ画は外気にさらされた中庭を取り巻く壁に描かれたものなので、残念ながら劣化が激しい。背景の赤、植物の緑の色は残るが、登場人物の色彩は脱色してモノトーンに近い状態にある。この動物の創造の中に顔だけが描かれるのが今回の主人公リリス(ヘブライ語 לִילִית 、ラテン語Lamia)である[1]

 

パオロ・ウッチェルロ「動物の創造とアダムの創造」UCCELLO, Paolo, Creation of the Animals and Creation of Adam, 1432-36 Fresco, 244 x 478 cm Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence

「エバの創造と原罪」Creation of Eve and Original Sin, 1432-36 Fresco, 244 x 478 cm Green Cloister, Santa Maria Novella, Florence

 

 旧約聖書の創世記の第1章は天地の創造と人間の創造を扱い、第2章は再びアダムの創造とアダムのあばら骨から女エバが造られる様を描く。(聖書学では祭司的文書とヤハウェ文書という異なる伝承が編集で合併されたと考える。[2])伝統的なユダヤ教、キリスト教では1章の女と2章のエバを同一視しするが、中世のあるユダヤ教文書は第1章の女はアダムの最初の妻リリスで、彼女はアダムと同様に土から創造されたので、アダムと平等の権利を求め、アダムの男性優位の性行為を拒否して、アダムの元から出ていき、紅海沿岸に住み着いたと考えた[3]。(実在したなら、人類史上最初に女性の権利を主張した人物と考えられる。)リリスはメソポタミアの伝承とも結びつき、妊婦や乳児(特に男児)を襲う悪鬼、魔女と考えられた。アダムが遊牧民の父系社会の象徴、リリスが農耕民の母系社会の(大地母神的)象徴とも言える。

 

 ウッチェルロの絵画では動物の中に顔だけが描かれるリリスの額にはその名(Lamia)がラテン語で記されている。

 

 

 また、その絵の真下に描かれるエバの創造と堕罪の場面ではリリスがアダムとエバを誘惑する蛇として登場している。

 

 

 更にこの教会の天井にはフィリッポ・リッピの絵画「アダム」があるが、アダムの隣にはリリスがいて、アダムはリリスから男児を守るように描かれている。

 

フィリッポ・リッピ「アダム」LIPPI, Filippino, Adam, 1487-1502 Fresco Strozzi Chapel, Santa Maria Novella, Florence

 

 聖書にリリスという言葉が登場するのは旧約聖書の預言書のイザヤ書の1節のみである。

「荒野の獣はジャッカルに出会い、山羊の魔神はその友を呼び、夜の魔女(リリス לִילִית )は、そこに休息を求め、休む所を見つける。」(イザヤ34:14)

 

 

 余談だが、アニメ「ヱヴァンゲリヲン」では第1使徒(怪物のような生命体)アダムによって、人類を脅かす数々の使徒が生み出されたのに対して、第2使徒リリスは動物や人類など、すべての生命の母とされる。使徒から人類を守るために主人公の少年、少女がヱヴァンゲリヲンと呼ばれるロボット(生命体?)に乗って戦う。彼らの基地の地下深くにはリリスの遺体(?)が保存されている。

 

 

 


[1] Virginia Tuttle, Lilith in Bosch's "Garden of Earthly Delights", Simiolus: Netherlands Quarterly for the History of Art, Vol. 15, No. 2, 1985, p. 125

[2] 野本真也、「創世記」、『新共同訳新約聖書注解I』、日本基督教団出版局、1996年、23-26頁。

[3] バーバラ・ウォーカー、「リリス」、『神話・伝承辞典』、大修館書店、1988年、440-441頁。「リリス」、『世界宗教大事典』、平凡社、1991年、2047頁。