山手最初七福神を歩く! | ちゃちょのブログ

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実践している健康のことや近況

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

ちゃちょの「東京散歩」のブログに、ようこそ!3年目に突入です!

2024年辰年最初は、江戸最初の七福神をご一緒に巡りましょう!

 

1月5日(金)は、最低1.6℃、最高13.0℃のまずまずの小春日和でした。

 

1月~3月の長期予報では、暖冬が続き、春の訪れも早いようです。

ただ、急な大雪や寒暖差には注意が必要です。もろ地球温暖化の影響です。

 

元旦の令和6年能登半島地震で、2万5千人が避難生活中で、コロナ感染、

孤立地域の断水・食糧難・足元不如意など関連死が増えてきています。

13日(土)の北陸は大雪で、深夜早朝は零下になっています。東京初雪。

 

正月初7日が勝負の七福神なので、5日(金)の混雑の収まった隙に、巡って

きました。それは、目黒の不動堂の参詣道筋に設置された江戸時代から続く、

江戸最初の七福神巡りです。サクッと回れる4.8㎞、1時間20分の距離です。

 

ご開帳・ご朱印の他に、七福神だるまを配ります。それぞれの七福神だるまの

底には、おみくじも入っています。(毘沙門天・布袋尊・弁財天が大吉でした)

玄関や床の間、金庫や財布を置く所に一緒に置いて金運をアップさせます。

 

ことの言われは、3代家光の愛鷹が目黒の鷹狩りで行方しれずになり、自ら目黒

不動尊に額づき祈願したところ、たちまち愛鷹が本堂前の松に飛び帰ったので、

不動尊瀧泉寺に帰依し、12万㎡、五十三棟に及ぶ大伽藍を造立します。

 

庶民にとっても、宏壮な『目黒御殿」は、列を成して詣でる江戸随一の名所となり、

当時、信仰の1つとして定着しつつあった七福神巡りと合体したのでした。

東京には、40コースくらいの七福神巡りがありますが、江戸山手最初を狙います。

 

妙圓字というところで、寿老人と福禄寿を兼ねており、ご朱印は全部で

6枚なのですが、今年から200円の色紙は廃止され、ご朱印も前もって書かれた

ものに日付を入れるだけで、かつ300円から500円に値上がっていました。

 

最後に瀧泉寺を回る「無業息災・長寿祈願コース」を採りました。ご朱印を

貼るには35cm四方の紙が台紙が必要になります。それと、ちゃんと賃上げの

好循環も来て経済が回り、金利も上がってくることをも、祈願いたしました。

 

現地には、10時半から3時までいて、14.35㎞、776kcal、22,420歩とやや

コンパクトな散歩でした。ちゃちょは寒いのが、暑いのより苦手で日暮れも

早いので、冬場向きでした。

 

1~3番に回った覚林寺(毘沙門天)、瑞聖寺(布袋尊)、妙圓寺(寿老人・福禄寿)

は、品川区で、ゆるキャラはシナガワンです。おなかのブチは「品」背中のブチ

は「川」。どうにもならない世の中に「笑顔」を取り戻すために最後の戦いに挑戦だワン!

 

4~6番に回った、大圓寺(大黒天)、蟠龍寺(弁財天)、目黒不動尊(恵比寿)は、目黒区。

ゆるキャラのめぐろンは、目黒区の桜の木から生まれた妖精で人々を癒しハッピーに

する力を持っています。体に触ると恋が成就するというラッキーパワーをもっています。

 

大圓寺、伴隆二、目黒不動尊は、2023年9月15日の「目黒を歩く!で回ったばかりです。

3年目になると、どうしてもコースの半分はかつて歩いたという場面がが出てきますが、

新鮮な視点で巡ります。今回は、ご利益の仏像や言われを、たくさん紹介します!

 

太赤字は、それぞれのサイトやHPに、リンクしてるからタッチして詳しく見てね!

 


さあ、地元の練馬区・西武池袋線の石神井公園駅を9:27の急行ノンストップで、

池袋9:38着。JR山手線9:46発の内回りへ。

 

JR目黒駅10:09着。「東京」メトロ南北線で白金高輪駅を目指します。

南北線は、目黒から山手線の外側へ、東急目黒線と乗り入れしてます。

 

目黒~白金高輪間は、なんと「都営」メトロ三田線とも共有乗り入れです。

交互に同じホームに電車がきます。

 

上の池袋から新宿、渋谷と回って、次の下(南)が恵比寿、その次が目黒です。

そこから緑のメトロ南北線が、白金台。白金高輪と続いていますね。

その先が地理的には、赤穂浪士の墓がある泉岳寺やJR浜松町駅です。

 

目黒から、メトロ南北線9:41発です。日本の普通鉄道では、この1991年開業の

メトロ南北線がいち早くホームドアを採用しました。

 

ホームドアの設置で、鉄路への転落や自殺が一気に減りました。日本でホームドア

の世論が高まったのは、2001年のJR山手線新大久保駅での転落事故や2011年の同じく

JR山手線目白駅で視覚障碍者の転落事故で善意の救助者自身が引かれてからです。

お正月は、酔っぱらいの事故が多いことは周知の事実です。

 

白金高輪駅10:33着。今やここは、押しも押されぬ高級住宅街ですが、1968年に

三田線が開業したものの、1991年に南北線が開通するまでは、バスの方が各方面に

通じていて、陸の孤島に近い感じでした。

 

 

ちゃちょは、早稲田で1年時の英作文が弱く、どうしても暗記できなかったのを、試験で

そっと前の席から書いた答えを垂らして見せてくれた恩人も、白金高輪で新聞配達を

しながら早稲田に通う苦学生の友達でした。不二家に勤めています。

 

ちゃちょも学生会長のコネで集まった過去問を、お返しに渡しました。早稲田は、

「~について書け」という1行だけの試験が多く、A4の1枚裏表にびっしり順を追って

論を展開できる人が高得点でした。何通りかの事前準備必須。私立はずっと先生が同じ。

半年20回ぐらいの授業全体に通じる大きなテーマが、たいてい試験問題になりました。

教授にとっては問題傾向がばれていても痛くなく、論の展開力を重視していました。

 

さて、白金高輪駅から、桜田通りを南下すると、歩5分で、高輪署の向かい側に

清正公前の交差点に出ます。そこが、加藤清正の位牌を置く覚林寺です。

白金の清正公様(せいしょうこうさま)と、親しまれています。

 

桜田通りを行きます。国道1号線です。

 

港区白金台1-1-47。日蓮宗 最正山 清正公 覚林寺。開山1631年。

9:00-17:00。

 

覚林寺につきました。目黒駅から直接歩くには、ちょっと遠かったね。

 

秀吉家臣の加藤清正(1562-1611)は、朝鮮から王族の子を連れ帰り大切に育てました。

子が長じて出家した日延は、幕府から白金村をお花畑として下賜され、清正公の

恩義と遺徳を偲んで、開運守護神として泰安したものです。庶民からも崇敬されました。

初代熊本城藩主で、工事で洪水を減らし、農作物の生産性を向上、南蛮政策で成功。

 

端午の節句のパワースポット「清正公大祭」5月4,5日には、葉菖蒲の入った

「勝守り」が授与され、人生の様々な苦悩に打ち勝つ、と言われ列ができます。

また子供の日にちなんだ、開運出世祝鯉が授与され、多数の参詣祈願者が訪れます。

 

本堂には、有栖川宮熾仁親王書の「破魔軍」の大額があります。拝殿・貨幣・本殿

から成る権現造り形式です。木鼻(柱の端)、獅子、龍、懸魚=どれも魔除けまじない

の精巧な木彫り彫刻が施されています。

 

寺務所には、高校生と思しき助勤(アルバイト)の巫女さんがいました。

神仏混交時代からの密接な関係で巫女さんと呼びます。

 

「七福神のそれぞれに、だるまにおみくじが入っているなら、どれを信じれば

いいのですか?」と聞いたら、「え~?」と顔を見合わせて「そういえば、、、」

で終わりでした。

 

毘沙門天は「威光」を司っています。勝負の神様です。ご真言:オン べイシラ マンダヤ ソワカ

金運・開運・商売繁盛・合格祈願・健康長寿・厄除けのご利益があります。多聞天と同一と

されます。インドの神様ヴィシュラヴァナを前身とし、日本では、平安時代に京都の鞍馬から

信仰が始まりました。室町時代には、恵比寿・弁財・大黒が拝められました。江戸時代、

七福神に揃ったことによって、7つの災難を避け、7つの幸せを得ることができます。

 

毘沙門堂です。歩いて気づいたのですが、そのお堂1つのために旗が両脇にあります。

 

さて、覚林寺から2番目に、目黒駅へメトロ南北線を1つ戻った白金台の

瑞聖寺へ向かいます。桜田通りを折れ、メトロ南北線の上の目黒通りを行きます。

 

途中、家康から家光まで仕えた、天下の御意見番と言われた江戸幕府旗本・

大久保彦左衛門(忠教1560-1639)の屋敷跡にある、八芳園を通り過ぎます。

港区白金台1-1-1。1万2千坪の敷地を持つレストラン・結婚式場です。

 

2022年来日したバイデン米大統領を招き、岸田首相が夕食会を開きました。

2022年11月25日の「品川を歩く!」でも紹介しましたね。2022年8月14日の

「新大久保~護国寺を歩く!」で紹介した目白台・椿山荘とも似ています。

 

八芳園の園内見学は、自由です。新緑や紅葉で、はとバスの立ち寄り先にも

なっています。

 

歩いて10分で、白金台駅へ着きました。

 

目黒通り反対側を折れ曲がって、坂道を1分下ります。

 

港区白金台3-21-19。禅宗 紫雲山 瑞聖寺。山門。開山1670年。

9:00-16:30。

 

大通りから離れたパワースポットらしい清々しい気分になれます。

国指定の重要文化財、大雄宝殿を庫裏からながめると、水盤に向こうの世界が

映し出される設計をしたのは、世界的建築家・隈(くま)研吾氏。

 

2022年11月11日の「神楽坂を歩く!」で紹介したグッドデザイン賞の赤城神社、

2023年5月5日の「吉原を歩く!」でも同じくグッドデザイン賞の浅草文化センター

も、隈研吾氏の設計でしたね。

 

ご開帳された本堂内です。

 

濡れ縁にも風情があります。

布袋尊は、「大度量」を司っています。笑う角には福来る!ご真言は、

オン マイタレイヤ ソワカ。無病息災・商売繁盛・金運などのご利益があります。

中国に実在した伝説的な僧がモデルです。底なしの度量で弥勒菩薩の生まれ変わりとも。

 

瑞聖寺から、妙圓寺へ、やはり目黒通り沿いを目黒駅へ、歩6分、戻ります。

 

高級住宅街・ビジネス街らしく、右下の写真から、お化け屋敷?と思ったら、

トリミング・ペットホテルのDOG ESTでした。教育型で4回2万円+税です。

白金台3-2-7-112。水休。03-6277-0241。

 

と思うと、極安の殿堂、ドン・キホーテ白金台店。白金台3-15-5。

24時間営業、無休。

 

とまた隣に、100均のCan☆Doキャンドゥ白金台店。白金台店3-15-2。

10:00-21:00。どうして都心の山手線内側にこんな店が並んでいるのか?

 

また細い脇道を、誠瀧山という看板を1分下ります。

 

港区白金台3-17-5。日蓮宗 誠瀧山 妙圓寺。開山1620年。9:00-17:00。

閑静な住宅街にある小さなお寺。足利尊氏の念持仏・妙見大菩薩像を祀って

います。老夫婦の休むベンチの前が本堂です。

 

本堂内部。左手のビニールの貼ってあるところまで靴を脱いで上がると

だるまとご朱印がもらえます。三方祖師木坐像、鬼子母神木立像があります。

 

寿老人。ご真言はオン バザラユセイ ソワカ

延命長寿・諸病平癒・身体健全のご利益があります。寿命の神様。

頭が長く、耳たぶが大きい、巻物を持っている、鶴を従えています。

 

福禄寿。ご真言はオン マカリシ ソワカ

財運招福・子孫繁栄・延命長寿・富貴栄達のご利益があります。人望の神。

帽子を被っている、不老長寿の食べ物の桃を持っている、鹿を従えます。

 

2人ともご真言は一緒で、どちらも中国の道教の神様で、南極星の守護神

とされます。同一視され、役割もほぼ同じです。

 

目黒通り反対側には、国立科学博物館附属 自然植物園があります。

白金台5-21-5。9:00-16:00。月・祝翌日休。320円。高校生以下、65歳以上無料。

 

ここも、2022年2月23日の目黒の自然教育園を歩く」でも、2022年11月25日の

「品川を歩く!」でも、歩きましたね。いつも冬場になってしまいます。

 

ここも、都心に残る武蔵野の自然です。400=500年前の豪族の館から、

高松藩主下屋敷、軍火薬庫、白金御用地と一般人が入ることができなかった

ため、20haも、明治神宮のように極相林にまで発達した自然です。

最近は、カワセミも、わずかですが観察できるところまで来ています。

 

朝、来た目黒駅を通過し、大通りではなく、北側の行人(ぎょうにん)坂を下ります。

 

目黒駅周辺までは品川区でしたが、十字路を渡ると、品川区の標識の

隣に、目黒区の散歩道案内図が、対向して立っています。残りの三福人を

巡るには、この目黒不動コースを辿ることになります。

 

妙圓寺から大圓寺までは、目黒駅を超えたところで、目黒通りの脇の行人坂を

西へ目黒川の方へ下ることになります。歩12分。

 

寛永(1624-1644)の頃、出羽(山形)の湯殿山の行人(ぎょうにん=仏道を修行する人)が

大日如来を建立し修業を始めました。しだいに多くの人が集まり住むようになったので、

行人坂と呼ばれるようになりました。かなり、勾配の激しい坂が目黒川まで続きます。

 

道路わきに目黒川架橋供養勢至菩薩石像です。台座を含め190cmで、右ひざを立てて座る

勢至菩薩像です。区指定文化財です。

1704年、西運という僧が目黒不動と浅草観音から毎日受けた寄進で、目黒川の

両岸に石壁を築き、太鼓橋をかけたと書かれています。ここは、異界感いっぱい。

 

さあ、目黒区下目黒1-8-5、天台宗 松林寺 大圓寺です。開山1615年。

行人坂の説明でも触れた出羽湯殿山大海放印が祈願所を開山しました。8:00-17:00。

新東京百景指定。小さい入口ですが、一歩中に入ると壮絶な石仏群に出迎えられます。

 

開運出世大黒天は徳川家を守護した天台の僧、天海大僧正が江戸城鬼門にあたる

大圓寺に、護国豊穣の神仏である大黒天を納め、江戸の安泰を祈願しました。

大黒天に7日間の願を立てて、開運出世した方も多いと聞きます。

 

大黒天。ご真言は、オン マカキャラヤ ソワカ

五穀豊穣・商売繁盛・縁結びのご利益があります。裕福の神。

ヒンドゥー教の神シヴァと、大国主命(おおくにのぬしみこと)が習合した神様。

比叡山で最澄が台所に祀り始めて広まりました。

 

大圓寺本堂です。ここは狭い境内に○○菩薩のオンパレードでサービス精神満載です。

 

本堂内です。本堂内には、ご本尊でない、もう1つの開運出世大黒天があります。

三面(右に勇気と力の毘沙門天、左に実と才能の弁財天)大黒天と言って比叡山から

奉安された秘仏です。徳川家の繁栄と江戸発展守護のためです。

 

他に比叡山から勝軍大黒天が奉安されています。

 

秘仏の木造十一面観音立像は、2020年に解体修復されました。

 

代わりの観音さま立像が、本堂前に立っています。

 

大圓寺は、大黒天が「推し」で、常灯炉まで大黒天の小槌が模られています。

 

大圓寺には、大サービスで七福神全部の石像が揃っています。

 

江戸三大火事(他は明暦1657年、文化1806年)の1つ、明暦の1772年の大火は、

ここ大圓寺の坊主の放火でした。死者は1万4千人。石仏群五百羅漢像は、行人坂の火事で

亡くなった人々を供養するため50年かけて建立されました。

 

釈迦三尊3体 十大弟子像10体、十六羅漢(最高の悟りを得た聖者)像16体 五百羅漢

(ブッダに付き従った実在の弟子)像491体が、釈迦の説法を聴く形に配置されています。

繰り返し大都会を焼き払った史実は世界に類例がありません。267年に49回です。

 

ちなみに江戸時代、京都9回、大阪6回、金沢3回でした。東京は、現代も地震等で著しく

木造密集地に火災リスクの高い地域が、23区内に1割強の面積もあります。

 

とろけ地蔵。明暦の大火で目黒川に投げられたお地蔵様が、品川で引き揚げられ、

とろけてまで残った縁起の路さに「悩みをとろけさせて消す」ご利益があると

言われるようになりました。脇に摩尼車(まにしゃ=チベット仏教の経典を収めた

円筒で、黒石側面に真言が刻まれ、1周回せばお経を1度読んだことになる)があります。

 

魔仁車は、2023年7月7日の「武蔵小杉を歩く!」でも多摩川の丸子橋を渡った

大田区の多摩川浅間神社の男坂手前にも、ありましたね。

 

秘仏 生身(しょうじん)の木造釈迦如来立像:京都嵯峨の清凉寺に伝わる宗からの国宝・

釈迦如来立像を模して胎内に絹製の五臓六腑が納められ脳や目、歯、膝の皿まで表現し、

お釈迦様の生前の姿を写し取ったものです。

 

各地にありますが大圓寺のものは、細かな点まで原型に相似しており、四肢、五体の均衡に

至っては、より自然実を増しています。ご本尊であり、国指定重要文化財で、正月7日まで

ご開帳でした。鎌倉の釈迦堂ヶ谷に安置されていたものが縁あって奉安されたものです。

 

秘仏の木造阿弥陀如来三尊像は、珍しく中尊が左足を垂らしています。三尊とも

江戸時代の仏像のこじんまりしたのに対し、気宇壮大な特色を持っています。

1770年の大仏師桃水伊三郎の銘が入った貴重なものです。この堂の中にはお七の像

も入っています。

 

八百屋お七・吉三の石碑。八百屋お七の伝説は脚色されていますが、明暦の大火で

避難したお七は寺の小姓の吉三と恋人に。放火すればまた逢えると浅知恵で放火、

火あぶりの刑になりました。吉三はその後、西運上人になり、目黒川の石柱の架橋に

尽力しました。行人坂の途中にも勢至菩薩がありましたね。石碑には、うっすらと

西運上人がお七の菩提を弔う様子が描かれています。

 

目黒川太鼓橋に使われた石材の碑。西運上人がお七を弔うために行人坂の

石畳、太鼓橋を石材にしたものです。

 

金箔の薬師如来。金箔3枚500円。悪い所に、気になる所に貼るとご利益が

あるそうです。見ると、頭、顔、胸、腹が金箔が厚めでした。家族た友人の

ためでも良いのです。

 

大圓寺道祖神。2022年6月17日の「寅さんの柴又を歩く!」で紹介した

矢切の渡しから千葉県側に渡ったところに、悲恋となった伊藤佐千夫の

「野菊の墓」の政夫と民子が結ばれている「やすらぎの像」を見つけた

とき、「あっ、結ばれている」と架空の世界に飛びましたが、あれは、

道祖神の一変形だったことに気づきました。

 

六地蔵もあります。

 

水子供養尊です。脇にあるのは、摩尼車ではなくて、供養車です。

 

鐘楼の裏側に行くと、鬼がやぶにらみで、こっちを見ていました。

まだまだたくさんの地蔵尊が、あちこちにいます。

 

ここならば、と引いたくじは、十三番の大吉でした。(13番は大吉だよ)

 

大圓寺から、目黒川を渡って、蟠龍寺へ向かいます。

 

途中、ホテル叙々園東京の脇を行きます。1931年創業。目黒区下目黒1-8-1。

日本画家を応援してきた百段階段の目黒叙々苑が、2017年、リブランドしました。

 

目黒区下目黒3-4-4。浄土宗 霊雲山 称名院 蟠龍寺です。

行人坂付近から芝・増上寺が移設し、浄土宗として1709年開山。

山手通り沿いに入口があります。

 

弁財天。ご真言はオン ソラソバテイエイ ソワカ 愛嬌の神様。

技芸上達・財運開運・学業成就・恋愛成就のご利益があります。

 

江戸名所図会にも載った、小さいながらも静謐な鳥や虫が鳴く不思議な空間です。

 

蟠龍寺本堂です。必ず左に、大きな生け花があります。今は南天でした。

 

本堂内です。ご本尊は、阿弥陀如来と弁財天です。知恵と弁財を司ります。

但し、金銅の阿弥陀如来は、廃仏毀釈の際に行方がわからなくなり、現在は

パリのチェルニスキー美術館にあります。

 

弁天堂内が御開帳され、七福神グッズがダンスを踊るように並んでいます。

 

本堂東脇にも、岩屋弁財に行き当たる道があり、洞窟内にも入れます。

天の岩戸を思い起こさせます。

 

弁財堂小山の左下に、おしろい地蔵があります。地蔵様の顔におしろいを

塗ると、顔の病気が治り、美肌になると言われています。

 

住職は余り良い顔をしませんでしたが、甥の副住職の吉田龍雄さんが、早大生の頃、

バンドを組み、今も居住区手前にスタジオを貸しており、芝・増上寺のイベントも

引き受けてやっています。近くにホリ・プロがあり、芸能関係者の参拝も多いようです。

 

蟠竜寺から最後の目黒不動尊の本殿脇の近道までは、徒歩6分です。

 

山手通りから裏道を登ります。

 

徳川吉宗の命で、救荒作物のサツマイモを関東地方でも作れるようにした

青木昆陽(1698-1769)の墓が右側の崖の上に現れます。墓に書かれた「甘藷

先生の墓」は、生前の自著です。国指定史跡。目黒区下目黒3-5、瀧泉寺墓地内。

昆陽は、江戸中期の儒者であり、蘭学者でもありました。

 

目黒区下目黒3-20-26。天台宗 泰叡山 瀧泉寺。(目黒不動尊)

開山808年。比叡山に赴く途中の慈覚大師・円仁が、霊夢により、

自ら不動明王の像を彫ってこの地に安置したことに始まります。

 

関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と合わせて

日本三大不動尊の1つに上げられます。秘仏・目黒不動明王は、12年に一度酉年

のご開帳です。

 

堂宇建立の敷地を定めるに当たり、大師が所持の法具「独鈷」を投じた浄池より

湧出した「独鈷の滝」の流れは、不動業者の洗心浄魂の場として今も滔々として

漲り落ちています。

 

徳川家光がこの地で鷹狩りをした際、行く絵知れずになった愛鷹を、自ら不動尊の

前に額ずき祈願したところ、たちまち鷹が飛び帰ってきたので、家光はその威信に帰依し、

53頭に及ぶ大伽藍を造営しました。約12万㎡あります。

庶民にとっても、宏壮な『目黒御殿」は、列を成して詣でる江戸随一の名所となり、

当時、信仰の1つとして定着しつつあった七福神巡りと合体し、江戸最初になりました。

 

恵比寿天。ご真言はオン インダラヤ ソワカ

商売繁盛・金運・五穀豊穣のご利益があります。

日本古来の神様で、隣のJR恵比寿駅の恵比寿天が有名です。

 

恵比寿天は、弁天池脇の三福神にいらっしゃいます。

 

恵比寿天が、恵比寿堂の前に、いらっしゃいました。

 

5円玉を銭洗いするとよいというので、水洗いしてみました。

 

広いので、たくさんの菩薩様・地蔵様がいらっしゃり、代表的に紹介します。

本堂左に、愛染明王像があります。縁結びの神様です。

 

本堂右に、胎蔵界大日如来坐像があります。まだたくさんいらっしゃいます。

 

本堂右は、青木昆陽にちなんだサツマイモ畑で、近所の幼稚園児の

奉納画が、飾ってあります。実際に掘った観察からツルから芋がぶら下がっていました。

 

本堂からまっすぐ下る男坂です。急な47段。

 

男坂の右回りに昇る坂に、宝剣塔があります。

 

銅造役の行者倚像が、宝剣塔の下にあります。1792年制作。

 

水かけ地蔵が、男坂を登る左側の独鈷の滝の手前にあります。右の

柄杓で自分の体の悪い所にかけるのですが、皆、うまく届かず、かけた水は

体全体にまんべんなくかかるだけでした。

 

坂下左側に、青瀧大権現があり、さらに左側に、勢至堂があります。

境内の度重なる火災を免れた江戸時代の簡素な風格です。

 

北向六地蔵尊です。伽藍陀山は南にあり、南を向いて祈れるため、

直ちに浄土を発し北の我々を救いに来て下さることができます。

 

男坂手前の仁王門です。

 

目黒区下目黒3-13-10に、1960年に巣鴨とげぬき地蔵通りから暖簾分け

した、さばき立ての国産ウナギを80年以上の継ぎ足しているタレで焼き上げる、

八つ目や にしむらがあります。テイクアウト3300円でしたが、冷めた

見切り品を2500円で売っていたので、ためらわずにゲット。

 

東急目黒線・不動尊前駅15:06発で帰り路へ。目黒15:10着。

JRホームへ乗り換え、15:13発山手線、池袋着15:35。

 

お賽銭は、11円が一番いいのかな。5円「ご縁」もいいよね。安いのが、いい!

 

西武池袋線準急15:39発、石神井公園着15:51、自宅着16:01。

日暮れ16:33前に帰れました。さっそく、うがい、シャワー、洗濯。

 

日暮れ前に庭に出ると、真冬でも野ばらがけなげに咲いていました。

 

ラッパ水仙も、庭のあちこちで、これからたくさん咲きそうです。

 

12月28日に夏ミカン300個は切り落とし、木の負担を減らしましたが、

八朔は、甘くて食べられるので、採ったら66個ありました。フルーツ代浮いた!

 

文鳥の新太郎君は、雨戸を閉めた後で部屋に飛んでくる賢さで、

八つ目うなぎ重に、「なんだ、これ」とちょっと警戒しています。

この後、手の平にすっぽり入って「遅かったじゃないかよ」と

頭を丸めて、安眠体制に入りました。

 

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

温かくして、ゆっくりお休みください。

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19(金)0時に、江戸川区一の江地区散歩をアップします!今年も良い年になりますように。

★本ブログは、アップ初日に、東京の暮らし分野で30位にランク・インしました!感謝!