寅さんの柴又を歩く! | ちゃちょのブログ

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実践している健康のことや近況

東京は、梅雨入り11日目だけど、ここ3日はどんよりした

肌寒い、ムシムシする日々でした。

 

もんもんとする気分を吹き飛ばすべく、「男はつらいよ」(1969~1995)

48作(映画シリーズ最多・ギネスレコード)の舞台となった柴又を歩き、

対岸の千葉県松戸まで「矢切の渡し」を渡し船で、渡ってきましたっ!

 

西暦721年から「嶋俣(しままた)」42戸370人が暮していた記録が

あります。1629年創建の日蓮宗経栄山題経寺(柴又帝釈天)の門前町

として知られ、1932(昭和7)年に東京に併合されました。


帝釈天界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されています。

 

今は1万千世帯2万3千人が住む東京の北端、葛飾区の一角です。

 

柴又へは、いくつもルートがありますが、ちゃちょの場合、

JR日暮里駅乗換、京成本線(京成上野~成田空港)の京成高砂駅から

単線2駅の金町線の1つ目です。

 

今回は、柴又駅から柴又七福神の良観寺(布袋尊)にまず寄ります。

そして、帝釈天参道、帝釈天、山本亭、寅さん記念館、矢切の渡しから、

対岸の千葉県松戸市にある、野菊の墓の碑を見て矢切駅から高砂駅へ。

 

帝釈天までだったら、20分2500歩くらいだったけど、柴又七福神を

ちょっと見て、矢切の渡しの向こう側まで、迷いながら歩いたので、

1万7千歩、行きましたっ!

 

たっぷり、寅さんの名セリフを入れながら、いきますよ!

さすがの名作の舞台となっただけあり、柴又には下町らしい懐かしさと、

人々が集う活気とがありました。

 

東京都練馬区の石神井公園駅から9:09発の急行池袋行きで出発!

 

柴又駅には、10:25着。「男はつらいよ」第一作(1969)から

撮影協力してきた京成電鉄としては、駅自体が寅さんの宣伝です。

 

駅の広告も、映画に出てくる「とらや」の草だんごです。

団子は、高木屋老舗、とらや、亀屋本舗の3店で売ってます。

(荒川の外側の支流の江戸川河川敷のよもぎを練り込んでます)

 

よく映画で使われた寅さんと妹・さくらの別れのシーンは、

この上野方面行きの真ん中あたりのプラットフォームでした。

 

4作(11.15.25.48)マドンナ役のリリー(浅丘ルリ子)さんを

やはり本命と見て、ここでは、第15作「寅次郎相合傘」の

場面が、駅の柱に飾ってあります。人気上位作ばかり、

かつ、最終話にも出てくるからね。

 

いつも女性の前から自分から逃げてしまう寅さんらしいセリフ。

人に幸せになってほしいという、義理と人情いっぱいの映画でしたね。

他人の悲しさや寂しさが、よく理解できる人間でしたね。

(普通の人なら、自分のお尻を先に拭きますが、そこは寅さん)

 

ちゃちょも、早大政経の学生会長だった頃、「早稲田の寅さんみたい」

と正門で待っていた後輩に言われたことがあります。飄々と現れ、

後輩の面倒を見る。けれども、自分のことはいつも後回し。

 

当時は映画館で見て「自分は、こんなフーテンな人生を歩むものか」と

馬鹿にしてました。一流企業の一流社員。でも、自分からチャンスを幾度も

つぶしてしまい、似た人生を歩んでます。後輩の慧眼に恐れ入るばかりです。

 

寅さんは、日本各地を回りました。一緒のマドンナも一覧です。

 

43作目「寅次郎の休日」、48作目「寅次郎紅の花」も。

さくらの息子満男も叔父の寅さん並に、女性に奥手でした。

 

下は、さくら(倍賞千恵子)が、息子の恋い慕っていながら

言えなかった泉(後藤久美子)に「満男(吉岡秀隆)は、やはり

振られちゃったのね」と、ホームで見送りつつ、間接的に

代弁しました。

 

寅さん(渥美清1928~1996,68歳没、翌年国民栄誉賞)の偉作となった

第48作「寅次郎紅の花」でリリーと、満男が、奄美の砂浜に「泉」と

書いて波に消されるのに、泉が駆け寄っていくのを見守っています。

 

「人情味豊かな演技で国民に喜びと潤いを与えた」と早稲田出身の小渕恵三

首相は、言い添えています。1988年の40作「寅次郎サラダ記念日」では早稲田

の授業を笑いの渦にしました。

 

1898年から渥美清さんは、肝臓癌の肺への移転で、立ち続けられなくなりました。

甥の満男の恋に映画の時間を割くようになり、演技の合間は痛いのを耐えるのに

必死で、ファンの歓声にも全く答えられなく、じっと黙って休んでいました。

 

人生後半は、「男はつらいよ」だけに出演していた、まさに役者魂の人!

 

仁義を切っています。任侠、的屋、香具師、博徒、渡世人などが

初対面の際に自己紹介の手段として交わす挨拶の形式です。

 

口上が淀みなく、歯切れのい良い口調か、気の効いた台詞や言い回しか

で、当人の力量が判断される儀式です。続きは、、、

 

「わたくし、不思議な縁もちまして、生まれ故郷にわらじをぬぎました。あんたさん

と御同様、東京の空の下、ネオンきらめき、ジャンズ高鳴る花の都に、仮の住まい

まかりあります。故合って、わたくし、親分子分もちません。」

 

あと、有名な縁日のテキヤのときのたたき売りのセリフがマドンナたちを喜ばせました。

やけのやんぱち 日焼けのなすび 色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ

 

松竹「男はつらいよ」公式サイト(家族構成、マドンナ、ロケ地、名ゼリフなど)

 

柴又駅の外に、フーテンの寅さん像。

 

近くで見ると、よく似ていて、よくできています。

後ろに5軒あったせんべい屋などはコロナでつぶれ、大きなビルへ。

 

見送るさくらの像に、寅さんが振り向いている位置関係が、

わかります。

 

出るとすぐ、観光案内所があり、パンフレットも地図も

タダでくれ、中の人が丁寧に質問に答えてくれます。

(つぶれた米屋の店を改装して、使っています)

 

ここで、すぐ目の前の帝釈天参道に行かず、今乗っていた

単線の京成金町線を終点の金町へ向かって5分歩きます。

といっても柴又、金町の2駅だけだけどね。

 

線路の反対側に、そこだけ線路が踏切になっていて入口です。

柴又七福神の良観寺です。江戸時代初期創建。真言宗。

 

ご朱印は1月1日~31日の間だけでした。柴又七福神は、金町線柴又駅、

北総線新柴又駅、京成本線京成高砂駅に囲まれた3km三角形内に、

点在しています。

 

大きな布袋尊があります。大きなお腹に両手を当てて、達成したい

願いを一心に念じ、時計回りに三度撫でます。

「どうせ生きるなら、人生は楽しくほがらかに」と書いてあります。

 

柴又帝釈天の参道です。

界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されています。

 

参道のお店です。何屋かは、縮小して読み取れませんが、心配ご無用、

主だったところは、これから、入口から順に説明していきます。

 

帝釈天参道の袂には、渥美清さんが寄贈した常夜燈や山田洋次

監督が書いた寅さんの口上の石碑が立って、盛り上げています。

 

まず出だしに大きく出っ張っているのが、高木屋老舗です。

 

「男はつらいよ」柴又ロケの都度に、スタッフ、キャストの

休憩や衣装替えの場所として利用されました。出演者が

ロケの合間に撮った写真がぎっしり埋め尽くされています。

 

草だんご12個800円は、昼には売り切れます。

よもぎだんごの上に、餡をなすって付けて、食べます。

 

寅さんの好物でもある草だんごと、焼きだんご、磯おとめ

のだんごセットは600円税込みです。

 

隣の大和屋でもロケが行われ、おでんと天丼の店です。

 

大エビ、キス、ししとうの天丼998円税込みは、渥美さんにも

人気の料理でした。

いくつもブレンドした油で、カリっと揚げられています。

 

せんべい屋の金子屋です。

 

1枚60円からあります。

 

1887年創業のとらやは、「男はつらいよ」の第1作から4作まで、

寅さんの実家のロケとして使われました。柴又屋を1989年にとらやに

改名しています。第5作から松竹神奈川大船撮影所セット内です。

 

第1作の妹さくらと、尻込みする隣の朝日印刷工員の諏訪博(前田吟)を

相思相愛と知り、くっつけようと奮闘する寅さん。

 

映画で実家に帰った寅さんが寝る2階へ上がる階段。

 

いっぱい過去のシリーズのポスターが貼ってあります。

 

とらやの草だんごです。高木屋より安いね。

 

店内ではコーヒーと草だんごセットが550円です。

 

2019年10月1日発行の東京スイーツの郵便切手にも

草だんごは、右下に入っています(当時82円切手)。

 

浅野屋では、1枚1枚ていねいに手焼きで実演しています。

下町風景だね。

 

松屋ではコック帽をかぶった職人が飴を切っています。

 

振り向くと足元には、菖蒲の水鉢が満開です。

 

京成本線にも、上野寄りに、堀切菖蒲園駅があります。

入場無料で、ここら辺の人の軽い散歩に、よく使われています。

(写真は、借りました。菖蒲まつりは6月19日[日]まで)

 

松屋の2軒先は、シリーズでたびたび名シーンを彩っています。

創業1770年代。第23作で桃井かおりと布施明が結婚披露宴を

演じました。

 

うな重は、3410円~4950円です。

 

京成電鉄プラットフォーム出口に草だんごの広告を

出していた亀屋本舗です。あちこちで、草だんごは

売られています。

 

木彫りの園田では、右手前に2つあるツゲを手彫りした

身代わり地蔵600円が、よく売れていました。

 

1軒置いて、神仏具店の方の園田です。老いた姉・弟で

交代で入れ替わり、やっています。映画では、くるまやへ通う

さくらが、自転車に乗って、この前をよく通っていました。

 

帝釈天の裏には、1790年から、最近の2021年6月までやっていた、

「川甚」が、かつてありました。第1作のさくらと宏の結婚式会場です。

式に遅れたタコ社長(太宰久雄)が原付で乗りつけままの風情。

寅さんの小学校の同窓会場にも、なりました。(写真は借りました)

 

夏目漱石「彼岸過迄」、尾崎四郎「人生劇場」、谷崎潤一郎「羹」、

松本清張「風の視線」にも出てきます。三島由紀夫、岸伸介のサインもありました。

コロナ自粛の打撃をもろに受け、残念でした。昔は、江戸川の新鮮な魚をその場で。

 

参道の奥に、柴又のシンボル、柴又帝釈天が見えます。

1629年創建。日蓮宗。まさにこの門前町から発展しました。

 

映画では、源公(佐藤蛾次郎)が、良く箒で掃除をしていました。

さくらが御前様(笠智衆)と、寅さんのうわさを話していました。

 

寄進者の石柱には、渥美清、倍賞千恵子、三崎千恵子の名も

見えます。

 

源公が出入りしていた、大鐘塔もあります。

界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されています。

 

脇の寅さんみくじは、なんと松竹株式会社のものでした。

200円で、人が近づくと、映画の幕開けの音楽が、幾度となく

鳴ります。一日中聞いている社務所の人は、飽きるだろうなあ。

 

中吉でした。寅さんの映画のセリフがついていますが、

下は、普通のおみくじ。

 

ここで、寅さんの名セリフをいくつか紹介しましょう。

 

・取り組みが不安な方に

「おてんとうさまは、見ているぜ!」

第11作「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」

 

・落ち込んだとき、勇気づけられる言葉

「どうした みんな元気をだせもうすぐ青い鳥が見つかるぞ」

第37作 「男はつらいよ 幸福の青い鳥」

 

・なんとなく生きている人に

「生きてる?それは結構なことだ。」

第48作 「男はつらいよ 寅次郎紅の花」

 

・人生に悲観的になったり、深く悩んだら

「何というかな

ああ生まれてきてよかった。

そう思うことが何べんかあるだろう。

そのために生きてるんじゃねえか。

そのうちお前にも

そういう時が来るよ、な?ま、がんばれ」

第39作 「男はつらいよ 寅次郎物語」

 

どんなにフーテンでも、究極のプラス思考が、愁いのある

マドンナたちを、気軽に涙で笑わせてきたんだね。

 

柴又帝釈堂の奥には、池泉式庭園の邃渓園(すいけいえん)が広がります。

 

帝釈堂は、拝殿と内殿2つの入母屋造瓦葺の棟から成り、

内殿の東、北、西の外壁は装飾彫刻で覆われています。

胴羽目板の法華経説話の浮き彫りは、沿道の園田屋の祖父が彫ったそうです。

 

帝釈天から、江戸川沿いに進むと、「山本亭」があります。

大正末期から昭和初期の近代和風建築で、東京都選定

歴史的建造物です。カメラ部品メーカーの創立者の住居跡です。

 

この次に回る寅さん記念館、山田洋次ミュージアムとセットで

入場550円です。全部、葛飾区の運営です。

 

1923年の関東大震災を機に、浅草から移転されました。

富裕層の間で流行った明るい洋風建築を取り入れており、

1988年に葛飾区が買い取り、1991年から一般公開しています。

 

270坪の書院庭園は、アメリカの日本庭園専門誌で、公開された

2003年以降すべて7位内で、2016年に3位、2020年に4位です。

 

明るい座敷では、500円でお茶を飲むこともできます。

女性が三々五々、おしゃべりしていたね。

 

亭内廊下。爽やかで、きれいですね。

 

昔の人力車。(ビニールは、ほこりよけ)

 

昔の応接間。立ち入り禁止。

 

立派なところばかり見てきましたが、周りは下町らしく

ごみごみ立て込んでおり、建築基準法上、建て替えられない、

相続がうまく兄弟間で行かないなどでの空き家率は12.8%と、

東京都の水準より1%高いのです。

 

さて、いよいよ江戸川沿いの「寅さん記念館」です。

寅さんが扉の上で看板の取り付け作業をしています。

草履のひとつが床に落ちていました(写ってない)。

 

「男はつらいよ」全開です。

 

5作目以降、神奈川県大船のセット内で撮影していましたが、

2000年6月完全閉鎖で、ここに移築しました。

 

もちろん、主な原因は、1995年で打ち切りとなった

「男はつらいよ」シリーズによる松竹の経営悪化です。

渥美さんの体調のよいときまでは、年2作製作してました。

 

寅さんのカバン。「全財産」と書かれています。

 

くるまや入口セット。

 

くるまやガラス戸セット。

 

くるまや内部セット。寝ている寅さんは、段ボールの写真。

 

実家に帰った寅さんが、自分のことを心配していなかったろうと

文句をいい、中に入るのを、いつも駄々をこねる場所。

 

とらやにあった階段を模して作ったもの。寅さんの部屋は2階。

 

典型的な中小企業、朝日印刷。さくらの亭主、博が勤めていました。

とらやの裏手に、薄い垣根1つで、隣です。よそから丸見え。

 

いかにも中小企業の社長の事務机らしいセット。

 

昭和の町並みセット。

 

柴又が描かれている文学作品15編。「川甚」と少しダブります。

 

隣接した山田洋次ミュージアム。山田監督の代表作が

全部スチール写真で出ています。映画ランキング順に15位まで、、、

 

・遥かなる山の呼び声 1980年 日本アカデミー賞 高倉健

・男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け 第17作 1976年 渥美清・太地喜和子

・男はつらいよ寅次郎知床慕情 第38作目 1987年 渥美清・竹下景子

・息子 1991年 日本アカデミー賞 三国廉太郎

・男はつらいよ寅次郎紅の花 第48作 1995年 渥美清・浅丘ルリ子

・男はつらいよ寅次郎あじさいの恋 第29作 1982年 渥美清・いしだあゆみ

・男はつらいよ口笛を吹く寅次郎 第32作 1983年 渥美清・中原理恵

・人情噺文七元結 2008年 中村勘三郎

・15才 学校IV 2000年 金井勇太

・シネマ歌舞伎 連獅子 中村勘三郎

・たそがれ清兵衛 2002年 日本アカデミー賞 真田広之

・男はつらいよ寅次郎相合い傘 第15作 1975年 渥美清・浅丘ルリ子

・幸福の黄色いハンカチ 日本アカデミー賞 1977年 高倉健

・なつかしい風来坊 1966年 ハナ肇

・男はつらいよ第1作 1969年 渥美清・光本幸子

 

江戸川河川敷へ出ると、寅さんのオープニングなどで

何度も出てきた実家へ帰ってくる場所です。朝日印刷の工員も

野球をしていました。

 

サイクリング道路にもなっています。何人も、レース用の

自転車で疾走練習していました。ジョギングする人も。

 

「武蔵野の路」水元・柴又コースです。風雨で、よく見えません。

東京都を周回できる散策路で、全部で21コースあります。

ちゃちょの家の坂下にも「千川・石神井コース」があるよ。

 

たくさんいたムクドリ。草の間の虫を食べています。

上空にも、ピーチュルピーチュルと絶え間なく、

ヒバリが旋回してたけど、カメラには入ってくれませんでした。

 

矢切の渡しは、寅さん記念館よりやや左の真ん前の河川敷だけど、

ちゃちょは、気づかず2㎞ぐらい先まで歩き、人に聞き、戻れました。

地図の通り、野球場の右側の細い道をまっすぐ行きます。

 

柴又公園の中央に、矢切の渡しがあるのです。200円。

住所は、柴又7丁目先の江戸川河川敷で、唯一現存する

江戸川の農民渡し船です。寅さん記念館から川に出れば見えます。

 

ほぼ直角に河川敷を下りる階段があり、こんもり繁った樹々に

白い旗が見えます。野球場の右側の、人の踏み跡がある細い道の先です。

 

去年6月から再開、3月中旬~11月の毎日、

12月~3月は土日祝のみです。10~16時。1艘30名まで。

天候や水位に心配があれば、047-363-9357の松戸市観光協会事務所へ。

 

川幅150mで5分もあれば着きます。帰りはちゃちょのように北総線

矢切駅から京成本線押上へ戻れ、上野方面へ出られます。また16時までに

帰りの船に200円で乗ってもよし。一人でも出してくれます。

 

 

 

寅さんが、第1作で20年ぶりに故郷に降り立った場所です。

 

松戸市観光協会が運営しているはずですが、垢だらけの

こぎ手は、3年前の大雨で3m水位が上がり、モーター2基

が流され、1基が壊れ、その後すぐコロナで中止と、ひどかったと、

不満たらたらの、ぞんざいな口利きでした。一瞬、ヒヤッと。

 

これが、川に出た船の前方を写したもの。出だしはこいでくれますが、

10回くらい漕ぐと「ああ、かったれえな」とモーター操作に切り替え。

 

千葉県松戸市側は、なんと田んぼでした。

 

伊藤佐千夫(1864-1913)の「野菊の墓」1906年の石碑が田んぼの脇に。

矢切の渡しは、民夫と民子の最後の別れの場です。

昔の小学校の国語の課題図書では、必読書でした。

 

映画では、1981年、松田聖子さんの初主演でしたね。

15才の政夫の、2才年上の従姉・民子への淡い恋を描きました。

 

「私は野菊の花が大好き。民子さんは野菊の花のようだ」

「私は、自分が野菊の花の生まれ変わりだと思ってる。うれしい」

この部分のやりとりが正確に、石碑に刻まれていました。思わず涙。

 

長じて政夫は、民子と親戚から引き離され、普通に結婚しました。

民子は、絶対結婚話にうんと言わず、段々瘦せて死んでしまうのでした。

親戚は、民子が本当に政夫を好きだったことに気づき、嘆くのでした。

 

小さいながらも「人生は思い通りにはいかないんだなあ」と思いました。

「野菊の墓」は悲恋ですが、明治時代にギリギリ許された恋愛感覚は、

今のオープンな人たちには、わからないかも知れないなあ。

 

野菊のこみちを歩いていくと、大きな原生林のような山に

ぶつかりました。「ちかんに注意」と出ています。

 

ここには、田園や山林を一気につぶして、物流倉庫を

建てる構想が最近まで、ありました。

 

この掲示では、矢切特別緑地保全地区で、2016年から向こう20年と

出ています。1.9haを、現状凍結的に保全できるようです。

 

ここでも、何の標識もなく、逆方向に歩きましたが、

実は、柴又観光案内所でもらった地図と逆に歩けば

すぐ裏に、この、野菊の墓文学碑があったのでした。

 

伊藤佐千夫が、「野菊の墓」の出だしで、矢切の渡しから、

秩父、富士山、上野の山まで全部、見えると書いてます。

 

「野菊」という名の花はなく、いろいろな野草の総称だと

いちいち、ていねいに書いてあります。

 

松戸市側は、緑が多い家が多く、丘の上のアジサイは

特にきれいでした。

 

ほがらか地蔵菩薩もありました。どうせ、同じ人生なら

笑って過ごそうと言う趣旨です。これは、柴又の良観寺

の布袋尊と同じことを、言っています。

 

昔の農民生活は決して、楽ではなかったことを示しています。

 

この、やすらぎの像は、どうも、「野菊の墓」の政夫と民子が

結ばれたとした架空の、願望を実現させたようです。

ここまで散歩した人はちゃちょだけで、これを見られて有終の美。

 

帰りの北総線(京成電鉄系列)の矢切駅は、地下にあり、

これは降りる階段の入口の駅でした。駅には見えない。これも、

見落として、1㎞くらい歩き、聞いて引き返しました。

マツモトキヨシの道路反対側真ん前にあります。

 

道を尋ねたとき、地元の皆は、「やきり」と発音していましたが

駅名は「やぎり」でした。千葉に入ると言葉遣いが、

少し粗くなり、話し慣れていない感じがしました。

 

13:30発。押上駅で京成本線へ。

 

山の手線は、頻繁に来るので、何時何分と表示しないの

ですね。最近、変えたのに、気が付きました。14:30自宅着。

 

文鳥さんは、待ってましたと、出すと遊んでくれたよ。

一人で寂しかったんだね。ごめんね。

 

「男はつらいよ」は、必ずどこかのテレビ局で50作(48+再編集2)を再放送しています。

今は、BS東京テレビが、土曜夜6時半から、再放送中。

アマゾンプライムで、タダで見られるのは、第1作と再編集の第50作だけ。

あとは、レンタル300円です。下は、YouTubeのコード。クリックで映画のエッセンス。

 

https://www.youtube.com/watch?v=uV-gAMV6J-Y 

 

https://www.youtube.com/watch?v=qCHIVJERLkE

 

また、長くなっちゃったけど、つきあってくれて、ありがとう。

梅雨だけど、皆、元気でね。じゃ、またね。

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