府中を歩く! | ちゃちょのブログ

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いつも、ちゃちょの東京を歩くブログへ、ようこそいらっしゃいました。

今回は、都会と自然が調和する、暮らしやすい街として人気の東京の中央、

府中を12月1日スペシャルで歩いてきました!

 

11月30日(木)は、最低5.2℃、最高15.8℃の平年並みの暖かさでした。

 

週末にかけ、冬型の気圧配置が続き、北海道は大雪のところも出ます。

路面凍結に注意です。週明けは、低気圧が本州南岸を進み、広く雨になります。

雨の去った週後半は、気温は上昇傾向です。アップダウンにご注意を。

 

すごく小さな字でごめんね。右上に行くほど、住み続けたい街ランクが高く、

2008年では、30日行った「府中市」が首都圏では断トツの1位でした。

 

あらゆる視点で、将来も住み続けたいという人が住民の8割を超えています。

特に財政力は都内3位で、施設が整い、図書館数13、蔵書130万冊はトップクラス。

公園もすごく広く、緑豊かな一方、京王府中駅とJR府中本町駅間は、多摩地域

 

有数の繁華街です。人口も立川、町田、八王子に次ぐ26万人です。昼夜人口が

ほぼ同じなのは、歴史のある分、地元志向が高いことを示しています。他の街の

ように、日中、首都圏へ通勤で出ることがないのです。東芝、NECなどの大型施設が

あり、情報産業は、都内13位です。

 

新宿からは、京王線特急で22km22分です。これをベースに東京41分、渋谷26分、

吉祥寺は30分、立川16分です。但し、その分、土地は160万円/㎡と高いです。

 

 

府中市マスコットキャラクターは、ふちゅこま、です。大國魂神社の国の重要文化財

の木造狛犬をベースに、しっぽはケヤキ、財布は、市の花、梅と、市の鳥、ひばりです。

大國魂神社に、昔、武蔵国の国府があったので「府中」の名の由来となっています。

 

太い赤字は、そのページ(ホームページ)にリンクしてありますから、タッチして詳しい

情報をゲットしてね。

 

府中市内には、飲食店やショッピングモールなどの商業地域の他、東京競馬場、

日本一大きい刑務所もあります。交通は、東西南北を結ぶ府中宿がありました。

今も交通の要所で、甲州街道、川越街道、相州街道が交差しています。

 

そう1968年に、白バイ警察官に3億円強奪され未解決の事件が起きた府中市です。

 

今回、回ったのは、整備多摩川線の多摩駅から、著名人も多く眠る多摩霊園を抜け、

自然の雑木林で覆われた浅間山公園を歩き、府中の森へと続く自然を感じながら

散策を楽しむコースです。後半は古社を参拝し、多摩地域管轄の東京卸売センター

やサントリーモルツ工場も巡ります。

 

日没が早いので、ちょうど行き先へのバスが出るところだったので、1kmちょっと

バスに乗ってしまいました。それでも4時間弱、25,991歩でした。

新しいアプリは何曜日に歩いたかも出るね。スマホを持って歩かなかった日は点滅せず。

実際は、日々、5~6千歩は、用事で歩いてます。

 

地元の東京都練馬区の西武池袋線・石神井公園駅を8:59発急行で、池袋と

反対の所沢・秩父方面へ乗って、急行1駅目のひばりが丘9:03着です。

 

東京は、円環状のJR山手線の各主要駅から放射線状に東西に電車が出ています。

バスは、ちょうどそれを補うように、南北にいくつもの電車をまたぎ、つなぎます。

ちょうど赤色がひばりが丘ー武蔵境です。

 

その、ひばりが丘9:10発、武蔵境行き西武バスに乗ります。武蔵境9:43着。

たぶん池袋ー新宿ー武蔵境でもほぼ同じ50数分です。こちらは、乗り換え1回。

 

西武線としては、孤立した西武多摩川線に乗るのは、初めてです。1917年創業の

多摩鉄道を1927年西武鉄道が買収、全面高架化自動改札になったのは2008年と遅く、

8kmを6駅12分、1時間に12分間隔で5本出ます。乗降客数は、武蔵境駅で2万4123人、

多摩駅で1万0284人、終点是政駅で6159人です(2022年)。

 

武蔵境駅9:54発、3駅目、多摩駅着9:59。単線なので、左右のプラットフォーム

から交互に発車します。途中の駅では、プラットフォームの両側停車。各駅のみ。

 

多摩駅に着きました。

 

本当に6駅のみです。マイナーさでは、おもしろいかも。

 

京王も、自前の東府中駅から900mの競馬場線で府中競馬正門前駅まで

行けます。コロナ以降、京王側の乗降客は1日200人前後です。

こういう駅は、テレビドラマやCMの撮影穴場になります。

 

道案内図がありましたが、ちょうど今日歩く範囲を全部カバーしています。

右端やや上の赤い所が、多摩駅です。

 

多摩駅の西側がすぐ多摩霊園でした。府中市多摩町4-628。8:30-17:15。

 

1923年開園です。公園墓地としては国内最初でした。ここは都立です。

 

128haと都内では最大規模で多くの著名人が眠ります。毎年6月15日から7月3日まで

公募します。競争倍率は、一般で3.6倍、合葬で6.2倍と、滅多に当選しません。

価格は、1.75㎡で161万円、8㎡で738万円と適正価格です。

 

樹木葬2565人を含み78,171人使用、26区2種85側48番まであり、管理事務所(042-365-2079)

で配っている案内図や区番札があっても、同じような風景なので、初めて来た人は

必ず迷います。図の右下の茶色は、標高80mの都立浅間山(せんげんやま)公園です。

 

まず、一気に人気の霊園にした東郷平八郎の墓です。7区特殊1側1番。日露戦争で

バルチック艦隊を撃破1934年86才没、戒名はなく「元帥海軍大将○○○○東郷

平八郎之墓」とすっきり気品を感じます。212cmと背丈より高い棹石で、慎重・

大胆で秘密を外へもらさない名将を忍ばせます。

 

あとは、浅間山公園へ行く途中の26区にある、江戸川乱歩の墓だけにしました。

「陰獣」「明智小五郎と少年探偵団」など推理小説を多数執筆、1965年70才没です。

本名の平井隆太郎の通り、平井家の墓に、わざわざ手前に「江戸川乱歩」と立って

 

いました。きょろきょろ迷っていると、墓参りに来ている人が「江戸川乱歩の

墓だろ?」と図星で聞き返して来たので、ぎょっとしました。たくさん、人が

来て、たくさん迷っているんですね。

 

多摩霊園と浅間山(せんげんやま)公園は同じ都立なので、霊園からすぐ浅間山行きの道が

ありました。府中だと、都心より夏の最高気温は5℃高く、冬の最低気温は5℃

低いと言われていますが、都心ではまだ青いモミジがもう赤くなっていますね。

 

手前、標高80mの堂山の頂上には、浅間神社があります。創建、縁起は不詳

ですが、対になっている小山、中山の清泉からご神体が出現したといわれています。

浅間町4、若松町5。

 

木製のキスゲ橋を渡って、対の中山(南西方向)へ向かいます。橋の下は、細い

浅間山通りが通っています。

 

浅間山公園は、かつて陸軍火薬庫だったのが、1970年、公園として整備解放

されたものです。多摩の台地が古多摩川で削られ、小高い山として残ったもの

です。堂山と、中山より低い前山の3つの山頂を持ちます。

 

写真はお借りしましたが、5月上旬から浅間山公園だけに自生するムサシノキスゲ

が咲きます。他に、ヤマユリなどの野草や多くの野鳥が見られます。コナラなどの

雑木林で覆われ、都心でちょっとした登山気分です。

 

府中市は、99.7%が平地で、この北東部の標高80mの浅間山と、多摩川沿いの

府中(立川)崖線(がいせん)10~20mと、北側をかすめる国分寺崖線10~15mだけが、

高みをもっています。「崖線」とは、武蔵野台地の断層が見える切れ端を言い、

ハケとも言われています。

 

浅間山で次に行く府中の森公園に迷っていたら、早歩きしているおばさんに

出逢い、「私も今から行くから連れて行ってあげる」と言って下さり、富士山の

見える丘も教えてくれました。今日は良く見える日でした。山頂の雪が

見えました。高いビルがいっぱい建ったらダメかも。富士山まで81㎞の表示。

 

地図の右上の浅間神社と、府中の森の間の青く囲ったのが、17万8000㎡もある

航空自衛隊府中基地です。後方支援や研究開発です。北側の留保地には米軍通信施設が

残ります。米軍が 1957年に一部、1975年に通信施設を除き、全面返還しました。

 

カヤのヤブの中に社宅アパートが並び、内側には、1997年退役した古参F-104から

対地攻撃を除いて日本用に改修したものが飾ってあります。4名以上2週間以上前予約で

見学可能です。平日9~16時の間。渉外班042-362-2971。受付9~15時。浅間町1-5-5。

 

1.7haの府中の森公園です。1991年米軍基地跡地利用です。野球、テニスなど

さまざまなスポーツグラウンドや、図書館・プール・レストランなどの複合文化

施設、美術館もあります。浅間町1。

 

バーベキュー設備や200本の桜並木もあります。芝生広場もあります。

 

公園内ジョギングコースもあります。

 

赤いリュックの方がここまで案内して下さいました。地面を踏んで小山を

上り下りする小走り走法は、毎日欠かさずやっていらっしゃるそうです。

府中市に住めて、本当に幸せだとおっしゃっていました。

 

府中市美術館は、近代の油絵を中心に、江戸時代から現代までの府中ゆかり

の絵画作品など1800点があります。年5~6回の企画展の展示物の入れ替えで

11月27日から12月15日まで休館でした。10:00~16:30。月・祝翌日休。200円。

浅間町1-3。

 

どんぐりのなる木は、ブナ科の木の新芽の枝先です。あと栗もドングリの仲間で

食べられるのは、とっくに知ってるよね。

 

小金井街道甲州街道の交差点まで来ました。ここから「小金井街道入口」

交差点まで歩いて、京王線を府中駅の手前でくぐります。

 

そのためにまず、甲州街道の横断歩道を渡ります。JR武蔵野線の方が

大きなビルがいっぱい建ってて繁華街になっていますね。

 

今度は、「八幡宿」を曲がって旧甲州街道沿いに行くと、モナムール清風堂

があります。宮町2-1-1。1868年明治元年創業。10:00-22:00。無休。

 

イタリアンランチ、ジョルノ950円。2500円まで種類があります。

 

おいしそうなケーキもいっぱい。モナムール650円、ショートケーキ580円、

シュークリーム330円などなど29種類。ブレンドコーヒー500円など。全て税抜き。

 

大國魂神社。宮町3-1。武蔵国の国府跡地で、府中の地名の由来になったことは、冒頭の

ふちゅこまのところで、お話ししましたね。大國魂神社は、創建111年、主祭神大國魂大神

馬場大門のケヤキ並木は、国の天然記念物になっています。福神、縁結び、厄除け、厄払い。

 

提灯が、馬場大門のケヤキ並木を10m行く毎に、大量にぶらさがっています。

 

拝殿です。写真撮影OK。プロのカメラマンは許可が必要です。

 

5月5日を中心に1週間、くらやみ祭があります。神輿渡御(みこしとぎょ)を行います。

 

今年最後のおみくじは、めでたく大吉でした。

 

府中高札場跡。宮西町5-1。旧甲州街道と府中街道が交差する、かつての

府中宿の中心にあります。高札場とは、江戸時代、幕府の政策や禁止令などを書いた

板の札を掲示する施設で、屋根があり、6枚くらい掛けられていました。

 

江戸後期の姿をとどめるものは少なく、歴史的にも価値が高いものです。後ろには

大國魂神社の御旅所があり、8基の神輿渡御が行われ献饌、奉幣等の儀式を行います。

 

高札場の向かいに、蔵カフェがあります。宮西町4-2-1。10:30-17:00・水・日休。

酒屋さんが経営するカフェです。

 

酒粕ラテ600円。

 

自家製チーズケーキ500円。エスプレッソバニラ750円。

 

日替わりランチ850円。

 

ランチに必ず付く粕汁。

 

JR武蔵野線を渡り、400m行った左側に、曹洞宗の高安寺があります。

開基は、1340年、室町幕府所代将軍足利尊氏であり、手厚く保護を受けました。

鎌倉時代末期、分倍河原の戦いで新田義貞が本陣を敷き、寺は炎上しました。

 

本堂1624年、再建1803年、都選定の歴史的建造物です。

 

1872年山門、都選定の歴史的建造物です。

 

1856年鐘楼。都選定の歴史的建造物です。

 

高安寺裏手の清水下少路は、2016年3月上映「ちはやふる」のロケ地です。

末次由紀による女性漫画BE・LOVEで2007年12月~2022年8月、全247話。

 

綾瀬千春(広瀬すず)が真島太一(野村周平)におんぶされたシーンです。

おんぶ坂とも言われます。「ちはやふるin府中」グッズも売ってます。

 

探すと、デザインマンホールもあります。

 

JR南武線を越えます。

 

JR南武線と京王線は交叉する、分倍河原(ぶばいがわら)駅です。

「左側が京王線、右側がJR南武線です」と途切れないアナウンスです。

 

新田義貞公之像です。分倍河原の戦いの前の小手指の戦い、八国山の将軍塚は

9月29日のちゃちょのブログを見てね。さて、8月4日の行田で車に乗せてもらい、

7月28日の日野を歩くでも土方歳三の家まで炎天下、市ミニバスに乗ってしまいました。

 

なんと、新田義貞の銅像前でバスが「ハイ、郷土の森まで行きま~す!」とドアを

閉めかけていたので、次の行き先だったので、条件反射的に飛び乗ってしまいました。

冬の日はつるべ落とし、多摩霊園でもたついた分をリカバリーすべく、1kmちょっと

でしたが、歩けば30分は稼げました。後で考えると正解。でも3~4000歩、損しました。

 

という訳で3分後に、14万㎡の府中の森博物館前に来ています。1987年オープン。

歴史・人・文化の調和を目指して作られました。入場料300円。地図の上(南)の水色は

多摩川です。そうです。ここは、府中崖線なのです。ハケの上は畑作、下は稲作です。

 

美術館に続いて、入口脇の博物館本館も、改修工事中でした。原寸大の国府の役人、

原始~近現代の歴史・民俗・自然の常設展示と、府中市のジオラマが残念。

 

でも、水音のする方へ歩いていくと、今日一番の絶景、モミジの滝が

見られました。プロカメラマンが何人もへばりついています。完全に

寝てしまっている人もいました。

 

どの角度から見ても、きれいなのでした。これは、イロハモミジです。

真向いが南側だから、葉っぱがすこし明るい赤になってしまいます。

これでも、崖の上の木の陰に入って、うまく撮りました。

 

このように博物館14万㎡の真ん中を東西に武蔵野台地の崖の切れ目が

走っています。府中(立川)崖線が、しっかり見られるのは、この自然があってこそ。

 

すぐ南側(ここでは下側)は、多摩川です。羽村福生の下流で、武蔵小杉の上流だね。

この図も今日歩いているコースが、うまく全部、出ています。ほとんど平地で、わずかな

崖線も楽しめる、2度おいしいコースだね。

 

府中の森博物館の出口に、戦後すぐから10年位製造されていた都電(チンチン電車)

が、展示されていました。昔は、都内の40路線、ほぼすべての道路に、都電が走って

いたんですね。まだ、天井のパンタグラフを妨害する高さの車が通ってなく、道も

 

混んでいなかった時代があったんですね。今は専用軌道の早稲田―三ノ輪間のみ。

回りは、府中市のプール、体育館、野球場が並んでいて、施設の充実ぶりを感じます。

 

さて、そろそろJR武蔵野線沿いに帰路に向かいます。途中で2ヵ所道沿いに

寄ります。まず、多摩地域をさばいている大東京綜合卸売センター。約80店。

1966年オープン。矢崎町4-1。

 

朝5時から水・日休は豊洲と同じですね。5本の縦通路と、東西の横通路があり、

鮮魚、精肉、青果の生鮮食品から、アジア食品、菓子、服、料理道具まで軒を連ね、

プロから自転車で来る一般の人まで買物を楽しめます。

 

次は、サントリー東京・武蔵野ブルワリーです。9:30-17:00。矢崎町3-1。

荒井由実の「中央フリーウエイ」でも出てきます。調布・八王子ICができる1967年

より早く1963年から本格的にビールを作っています。1968年からモルツ製造。

 

1989年からミニブルワリーを運転、全国の工場(京都、熊本、大阪、山梨)でもここだけです。

2003年から工場の壁にも張ってあるプレミアムモルツ製造。2005~2007年3年連続モンド

セレクション最高金賞受賞。


 

二条大麦麦芽、欧州産ファインアロマホップ、天然地下水の原料だけを使います。

 

ダブルデコクション製法と、アロマリッチホッピング製法。仕込み釜で2回煮出します。

麦汁煮沸でアロマホイップだけ使用し、さらにファインアロマホイップ投入します。

 

見学はサイトからの予約だけで2か月先まで、1日5回10:00~15:15。70分(製造工程見学+試飲)

今なら12月2日~21日、1月9日~19日。以降2月末までメンテナンス作業で休み。

ビールだけなら無料。ウイスキー山崎コース1500円。恵比寿の試飲は2022年9月にやったね。

 

さあ、中央自動車道の下をくぐり、JR府中本町駅を目指します。あと650m。

 

JR武蔵野線、府中本町発14:40東京行き。新秋津14:53着。

前の若い男性の後を追って小走り全力疾走。最後に追い抜いたね。

 

西武池袋線秋津発14:58。たった5分で余裕のホームtoホーム。普通は3倍

かかります。3駅目の、ひばりが丘15:06着。

 

ラッキーなことに、ひばりが丘でFライナー15:07発に乗り換え。石神井公園

15:12着、自宅15:33着。余裕で日暮れまでに新太郎君と会え、日暮れまでに

朝顔も撮影できました。シャワー、うがい、洗濯。

 

11月30日もまだがんばってる朝顔ヘブンリーブルー。12月1日朝も咲いてる。

 

ほら、もうベランダのプランターは、葉ボタン、パンジー、シクラメン、

ノースポールと揃い踏みだね。火曜に買ってきて、アパートの花壇も植えました!

4時半で刻々と外は暗くなっています。

 

日日草だけは、良い1株を鉢で家の中に入れて置いたら、ストーブとガラス越しの

日光の暖かさで、また元気になって、花もいくつか咲きました!

 

庭のイロハモミジも真っ赤。植木屋さんが大分、剪定しちゃったね。

 

10月5日の区無料相談会から始まって、10月30日に手続きできた建物登記も、

無事11月28日に、登記簿に記載が完了しました!一切、土地家屋調査士や

司法書士に頼らず、一から全部、自分で勉強し、済ませることができました。

 

実は2つの事務所から断られ、もう自分でやるしかなかったんです。無理して

頼めば100万円は、吹っかけられたね。やり始めれば原則わかって簡単でした。

 

雨戸を閉めた上で出し、「府中、行ってきたの?」と府中のパンフレットの上で、

遊ぶのを「今か」と待っている4:46の新太郎君です。べっちょり遊んだよ~。命。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

ゆっくり休んでくださいね。

みんなに来年もよいことがありますように!

年末までに、どこに行ったかの目次を去年みたいに作るね。

今度は、リンク張ってタッチすれば、すぐ飛んでいけるようにします!

今でも、上の方のタブ「記事一覧」から東京のあちこちの散歩を探せます

 

もう都内の主だった見所は、2年で歩き尽くしており、どうブログをつないでいくか、

年末年始によく考えたいと思います。一度、暗闇に落ちて、また、這い上がります。

がんがん、いこうね!今は、大充電中!

 

(ちゃちょは、東京生まれ・育ちだけど、繁華街は実は苦手で、人気スポットは、一から

調べてフォローで、1週間かかり切りでした) みんなの意見も待ってま~す!

 

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あのさ、「ファーミ―」で、ずっと前から最初の1列しか畑を耕せません。うえ~ん。

どうすれば、耕せる畑は、4列に増やせるんですか?

 

つらいときに見てね⇒ インコダンス、笑えるよ!(太赤字をプッシュ!)

過去を振り返らず、目の前の今を、生き抜いていきましょう!

人は誰でも何度でもやり直せます。自分で人生を切り開けるのです。勇気と希望とやさしさ。

 

自分に合うの自分で見つけて行ってね。寒くても部屋でも体を動かそう!

 

この歌は、山口百恵さんの24枚目のシングルで、累計100万枚を超えた最大のヒット曲。

 

2023年10月6日、谷村新司さんは、74才で超がんでなくなりました。

2002年、中学校の教科書にも採用され、2007年、「日本の歌百選」にも選出。

大切な人を失った悲しい現実から逃れる孤独な旅ながらも、前を向いています。

 

自分を待つ人はもういなくなってしまったものの、日本のどこかには、きっと運命の

人との出会いが待っているという、不確実ながらも、希望が語られています・

悲しいだけでなく、おぶって歌を歌ってくれた母や、子供の頃にみた夕焼けが、あたた

かな気持ちのまま、ずっと心の中に息づいています。

 

2番は、蒼いススキの小径を少し寂しげに帰り、思い出を作るために旅立つ決意の「

さよなら」は波が来れば消え、枯れた枝では折れて書けないかもしれません。

旅立つ不安や弱弱しさを暗示していますが、春を迎える雪解け間近に、前を向いています。

 

1番の母も2番の父も一緒に歌を歌ってくれたというのは、とても暖かい家族です。過去を

引きずらないで旅立つ日は「いい日であるはずだ」としっかり自分に言い聞かせています。

当時30代で書いた内容としては、深いです。ちゃちょも名曲中の名曲だと思っています。

 

じゃ、それまで、みんな、元気でね。じゃ、またね。