日野を歩く! | ちゃちょのブログ

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実践している健康のことや近況

ちゃちょの東京を歩くブログへようこそ!今回は、猛暑の中、東京郊外

の多摩地域を巡りました。義を重んじ、生真面目に一直線に、幕末に

生き、一瞬で消え去った新選組のふるさとです。多摩人魂を追います。

 

信条とした義を尊ぶ、誠に生きるが、今も大事に街の至る所に、わずかですが、

大切に守り抜かれています。多摩は、徳川直轄領で、その治世は永遠に続くと

信じたのを、単に視野が狭かったとは言い切れなかったものが、あります。

 

幕末の京都で活躍し、その後の戊辰戦争を旧幕府側として戦い抜いた新選組。

司馬遼太郎(1923-1996)の「燃えよ剣」(1964)は、2回映画化され、2021年

にも副長・土方歳三を岡田准一さんが演じましたね。

 

近年は、新選組をテーマにしたマンガやアニメ、ゲームなども大人気です。

 

下見取材に出かけた7月16日(日)の日野市は、最低23.7℃、最高38.3℃でした。

猛暑の午後2時半、全行程を歩き通すのをあきらめて、日野市中心部の天然理心流

道場から、土方生家・墓へ2.5km移動するとき、初めて市交流バスに乗りました。

 

第1・3日曜のみ開館の2つの資料館があり、この日しか選択肢がありませんでした。

関東東北も、やっと22日、梅雨明けしました!じりじり猛暑日が続きます。

 

新選組ゆかりの地が集中する日野市は、都23区に対して、多摩地域にあります。

 

日野市は、八王子市の手前にあります。甲州街道でいくと、日本橋から40.8km、

隣の府中から15.8㎞、八王子から6.6kmのところにあります。府中、八王子の大

きな宿場にはさまれ、日野宿は通り過ぎる人も多く、歓楽街はありませんでした。

 

当時は多摩川に大きな橋がなく、「日野の渡し」という渡船と、日野本郷からたくさん

とれるお米と、多摩川でとれるアユで、めぐまれた豊かな盆地だったのです。

 

JR中央線の特別快速で新宿から40分です。「特別快速」は、新宿から立川まで

4つしか停まらず、あと高尾まで5つの駅は、各駅停車になります。

高尾から山梨県甲府市まで、JR中央本線は1時間26分、特急で55分です。

 

今回は、日野からさらに1つ先の豊田で降ります。

 

右側が北ですが、上の豊田駅から始めて、多摩清流公園沿いに行き、JRを南側(左)

へ渡り、野鳥の森、日野市役所と北上すると、新選組のふるさと歴史館に出ます。

さらにJR日野駅前に集中する近藤勇、土方歳三ら幹部や後援者のゆかりの地から、


多摩都市モノレールの万願寺駅付近の土方歳三の墓や生家を見て、多摩都市モノ

レールと京王線が交錯する、高幡不動尊まで行きます。高幡不動にも多くの新選組

資料があります。豊田、日野、高幡で、各1軒ですが、パティスリーも訪ねます。

 

途中、炎天下、初めて日野市交流ミニバスに2.5km乗ったものの、ほぼ4時間、

16.07km、25,105歩、歩きました。計算上29,233歩で1,000kcalでした。

乗らないと、午後4時までの高幡不動の新選組資料が見られなかったからです。

 

地元・練馬区石神井公園で、8:45準急池袋行きに乗るところ、早く駅に着き、

「終点池袋まで先着する」8:33各停に乗ります。石神井は26.0℃の熱帯夜。

 

新宿で山手線隣の「快速」大月行き9:10に飛び乗ります。

ここで、「あわてる乞食は、もらいが少ない」ことをやらかします。

 

車内アナウンスで、結局、当初予定していた「特別快速」新宿9:16発に

国分寺駅で追い越されます。あわてて、9:33に出る特別快速に乗換え。

中央特快」というんだね。快速は吉祥寺から各停、特快は立川から各停なのでした。

 

結局、当初予定していた通り、豊田駅9:49着。

 


北口商店街にあるイオンモール多摩平の森店へ、開店と同時の10時に入ります。

田んぼの中にあるような巨艦じゃないけど、一応、イオンモール。

日野市多摩平2-4-1。10:00-21:00。無休。

 

ここの2階に、豊田駅では数少ないパティスリーBASELがあります。

八王子を中心に13店舗展開しています。当日3時間前のWEB注文で、

八王子・日野は、3000円以上の注文で1650円のデリバリー料が無料です。

 

バナナのタルト715円、渋皮栗のタルト715円、たまたまプリン418円、

和栗のモンブラン748円。下段にシュークリームが見えます。
 

ここのイチオシは、濃厚シュークリーム324円です。ただこれからの炎天下を

何時間も歩くことを考えると、断念せざるを得ませんでした。

 

黒川清流公園です。日野市東豊田3-22-16。日野台地の段丘崖から湧き出す湧水と、

クヌギやコナラなどの雑木林の斜面を利用した公園です。

東京都は1975年、弓状に細長く「東豊田緑地保全地域」6haを、指定しています。

豊田駅から往復30分くらいの道のり。周りは団地や民家です。

 

散策路も整備されています。背中を、「ホーホケキョッ」と鳴きながら、

ウグイスがどこまでも、付いてくるので、鳴き声のやりとりを4回しました。

清流には、鯉が泳ぎ、カルガモも逃げずに岸にとどまっているのもいます。

 

子供たちが集まって親と網・バケツをもって、魚や虫を取っています。

途中の誰もいない所を狙えばいいのに、どうして一カ所に集中するのかな。

沢ガニ、ザリガニは市が放流している?夏は蛍も出ると書いてあります。

 

ここで、1984年にかけられた日野跨線橋を渡ります。近くの多摩平陸橋

は、1日141人しか渡らないそうで、野党の税金無駄遣いのポスターがありました。

 

神明野鳥の森公園です。JR中央線の脇ですが静かに野鳥の声が響きます。

日野市神明2-3。★印は夏場、いません。もっと山奥かシベリアへ。

 

ホオジロ★「チチッ」、コゲラ「ギィー」、シジュウカラ「ジュクジュク

ツーピー」、コジュケイ「チョットコイ」、メジロ「チ―」、スズメ「チュン

チュン」、ウグイス★「ホーホケキョ」「チャッ」、オナガ「グエーキュイ」、

キジバト「デデッポー」、ツグミ★「クィクィ」、カワラヒワ★「キリリコロロ」、

ジョウビタキ★ヒッヒッカッカッ」、イカル★「キョコキー」、ヒヨドリ「ピーヨ」、

ムクドリ{キュルキュルリャーリャー」。

 

行き先案内板に「新選組」の名が出てきました。

 

目印となる日野市役所です。日野市神明1-12-1。平日8:30-17:15。

市役所駐車場が第七まで、ずらっと周りにあって、職員は皆、車で

通っています。

 

市役所から先の道1本まで書かれた新選組ゆかりの地巡りの地図です。

ネットでは事前にここまで出ているのはありませんでした。ふるさと館で

もらうことになります。

 

これから回る、新選組ゆかりの地は、JR日野駅、多摩都市モノレール

万願寺駅、京王高幡不動駅に囲まれた、この地域になります。

 

日野市役所隣にあるはずの実践女子大学がなかなか見つからないので、

かなり下り、坂下の角に見えるご主人に聞くと、実践はもう移転している

とのこと。近道として、地元で百段階段と呼ばれる、ここを登るはめに。

 

やっと出ました。新選組のふるさと歴史館。日野市本町2-15-9。9:30-17:00。

月休。200円。分館の日野本陣とのセット券300円を買います。北上すれば2分

で着いたのに、とんだ回り道をしました。ネットで調べた古い地図、役立たず。

 


入口に掲げられた、土方歳三(ひじかたとしぞう1835-1869)。甘いマスクで

義理に厚い。幼い頃に両親を亡くし、口減らしに江戸の商家へ丁稚に出された

苦労人。剣も人一倍修業し、人を見る目が養われ、新選組副長として活躍しました。

 

賊軍として、千葉で近藤勇が捕まり、宇都宮、会津、仙台、函館と転戦。五稜郭

で官軍に腹を撃ち抜かれ落命。享年35。義を重んじ、一直線に生きた多摩人。辞世の句。

「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも 魂(たま)は東(あずま)の君やまもらむ」

 

京の治安を守るための浪士隊が結成され、近藤が隊長、土方が副長となり、

食い詰め浪人の集まりは「壬生浪(みぶろう)」と蔑まれました。

 

土方は鬼となり「違反すれば切腹」の鉄の掟を主導しました。40人以上が処断

されました。京都5年間の新選組自体の基本方針は捕縛だったため、抵抗されて

やむを得ず切った敵の20人足らずを、大幅に上回っていました。

 

以下に、日野が新選組のふるさとであることを、展示資料を参考に構成してみます。

実際はクイズ形式で、小学生でも覚えられるようになっています。

 

新選組を結成し、その中核となっていくのは、天然理心流宗家の近藤勇が、新宿区

牛込から出稽古に赴いていた日野・佐藤道場の土方歳三や井上源三郎たちでした。

彼らはここで出会い、生涯に亘る強い絆を作りました。1863年、行動を起こします。

 

天然理心流は、2kgの太く重い木刀を用い、棒柔も入れ、野外でもやる実践型でした。

 

外国の脅威を天皇と相談するため、229年ぶり上洛の14代将軍家茂の警護に

加わりました。しかし、朝廷は攘夷実行を申し渡し、直ちに江戸にもどる

大半の浪士隊と分かれ、近藤たちはあくまで京都守護職の松平容保(かたもり)

に京の市中警護を願い出ました。家茂はわずか18歳でした。

 

翌1864年、長州などの浪士や公家が京に放火して京都守護職を殺し、天皇を

長州へ連れ去ろうと陰謀していたのを京から追い出した、6月「池田屋事件

8月18日の変」で手柄を認められ、「新選組」という名をもらい、京内外でも

怖れられるようになりました。7月「禁門の変(蛤御門の変)」でも、褒美をもらっています。

 

天皇の命令で2回、幕府は長州と戦いますが、二度目は裏で薩長同盟が結ばれて

いたため、幕府は負け、将軍家茂は京から出られず21歳で病死します。

 

15代将軍になった慶喜は、1867年、先手を打って大政奉還し、徳川家が別の形で

政治に関わり続けられると考えましたが、1603年から264年続いた江戸幕府は

終わりを告げました。

 

1867年12月、準備のないまま挑発に乗り、徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦いに敗れ、

江戸に船で帰ります。続いて江戸に下った新選組は、無血開城を守る勝海舟に

よって、甲府を守るよう言われ、1868年3月甲州街道を下り、日野に立ち寄り、

佐藤彦五郎らと合流します。

 

しかし、旧幕府軍は、1万5千対5千と兵の数では多かったものの、戦う意欲が

なく、1年5か月に亘る戊辰戦争は負けました。隊士たちも江戸へばらばらに逃げ、

近藤勇は千葉・流山で新政府軍に捕まり、偽名がばれ、4月板橋で処刑されました。

 

この後は、先に書いた通り、後を託された土方歳三らが、宇都宮、会津、

函館と転戦します。5月11日新政府軍総攻撃で、ついに函館五稜郭で、

土方は腹部に弾が当たり戦死します。

 

さあ、これから回る、JR日野駅周りは、新選組ゆかりの場所が集中しています。

どこも数百mしか離れてなく、この第1・3日曜しか開いてない処もあります。

 

まずは、1本道を宝泉寺まで歩きます。じりじりと暑く誰も歩いていません。

 

700mで、宝泉寺に着きました。日野本町3-6-9。1329年開山。

 

新選組六番隊組長、井上源三郎の墓です。日野本町の墓には、必ず参拝者

がわかりやすいように、新選組の隊旗「誠」が立てられています。暑くて

お寺には誰もいないので、旗があって、助かりました。

 

徳川への忠誠心が高い、甲州武田軍団の遺臣が中心の八王子千人同心の家に

産まれた井上源三郎は、墓碑の「真摯篤実寡黙実行」の人であり、武士道精神を

貫いた頑固者で、愚直に打ち下ろし、跳ね上げる剣法は、相手の肩を打ち砕きました。

 


1867年、大政奉還、王政復古の宣言後、傷を負った近藤勇と肺結核が悪化した

沖田総司は大阪に下り、新選組の指揮は土方歳三に委ねられました。1868年、

鳥羽伏見の戦いが始まり、大阪への撤退命令が出されました。

 

それでも、生涯独身、素朴で実直な井上源三郎は、退却を拒み、敵陣へ一直線へ

いつも通り隊長が率先して切り込んでいき、六番隊全員が付き従いました。

銃弾が体を貫き、土方もなす術がありませんでした。

 

JR日野駅です。手前東側が旧甲州街道。今の甲州街道は駅の反対の

西側を南北に走っています。

 

ここでちょっと寄り道、パティスリー・ルパン。日野本町3-12-1、無休、

10:00-19:00。テイクアウトのみ、日野駅より歩3分。

 

ショーケースの中の主だったものは、モンブラン572円、エクレール324円、

マンゴープリン432円、ほうじ茶プリン464円です。ホールケーキはHP参照。

 

シュークリーム324円、ティラミス540円、ひのたまなめらかプリン464円です。

2,500円以上ネットで買うと、八王子・日野・立川は550円で配達します。

 

歩1分で、八坂神社です。日野宿鎮守。日野本町3-14-12。1398年建立、

多摩川で見つけた牛頭天皇像を祀ります。下の天然理心流奉納額は、5月

と9月の例大祭で公開されます

 

1858円、井伊大老による安政の大獄があり、国難に対処できるよう剣術上達を願い、

近藤勇、沖田総司らが献納した額です。土方歳三は、翌年25歳で、正式入門してい

ますから、まだ名前はありません。沖田総司は1850年、9歳で入門しています。

 

旧甲州街道から、民家の細道へ東へ100m入った処に、井上源三郎資料館

があります。日野本町4-11-12。12:00-16:00。第1,3日曜のみ開館。500円。

 

近藤勇が京都からの土産として源三郎兄・松五郎に贈った「大和守源秀國」。

 

旧甲州街道に戻ると、日野宿交流館(観光案内所)。日野本町7-5-6。

9:00-17:00。月休。1階は土産コーナーで「誠」旗1600円で買っちゃった

けど、2階の「甲州道中日野宿の歴史と文化」は、充実していました。

 

昔は、5大街道の1つと言われながら、本当に多摩川沿いの河川敷でした。

両岸を小山が覆い、田んぼばかりで、人が追い立てる川漁をやって、アユを

採っていました。


大きな橋のなかった時代の「日野の渡し」は、大きな収入源でした。

 

日野宿では継送りのため25人疋の人馬を提供していましたが、幕府から周り

の37村が「助郷」に指定されました。多摩・八王子・立川・昭島・府中と広範囲です。

参勤交代で往来するのは、3藩のみで、東海道や中山道より少なかったのですが。

 

1738年まで宇治の茶を江戸まで運ぶ「茶壷道中」や、無役旗本の参勤交代、

交付勤番、八王子千人同心、甲府定飛脚が頻繁に往来しました。

 

1605年、有力農民を集めて日野宿誕生が告げられました。日本橋から40.8km、

規模の大きい府中や八王子の間にあり休憩の旅人が多かったです。町並みは、

1843年で人口1556人、423軒、うち旅籠20軒でした。裏は多摩川からの田でした。

 

東西1㎞、佐藤家が本陣、八坂神社は日野宿鎮守、大昌寺は時の鐘を告げました。

 

日野宿本陣。日野本町2-15-9。9:30-16:30、月休。200円もしくはふるさと館

とセット券で300円。市運営なのでスタンプラリー回収場所です。

 

実際は、新選組を物心両面で支え、日野の名主を務めた、佐藤彦五郎の屋敷です。

手前の駐車場で、天然理心流道場が開かれ、土方歳三は18歳から激しい稽古に励

みました。現存する建物は、150年以上前からあり、都内で唯一残る本陣建築です。

 

随所に伝統建築の匠の技が見えます。より格式の高い部屋は、燐家が

災害に逢った際、惜しげもなく、切り離して、転がして譲りました。

リンクしたHPからバーチャルリアルティで内部が見られます。

 

右上の欄間は、鬼滅の刃と同じ結界が張られた麻の葉模様です。禰津子の着物

の柄ですね。函館で果てる前の土方歳三が、従者の少年に遺品を持ち帰らせる

ため、農民に変装させました。右端は、少年が3年近く、隠れ住んだ控えの間です。

 

廊下は本来、武家以上が張って良い畳が、佐藤家の矜持で張られています。

 

浄土宗の大昌寺(だいしょうじ)です。日野本町2-12-13。1596年建立。

日野宿に時を告げた鐘楼があります。

 

新選組の後援者佐藤彦五郎と、その妻であり土方歳三の実姉ノブなど

ゆかりの人々の墓があります。ここも、「誠」の旗が立っていて、一発でした。

 

人の道、正しい道は、実はごく手近な所にある。しかし、人はわざわざ高遠な

理想を追って、むずかしく遠くを見がちだ。(中国戦国時代の孟子の名言)

物事の在り方は、本体はいたってシンプルなもの。

 

ただ祖先を敬い、年長者を大切にすれば人の道は平らになる、と続きます。

 

さて、もう1つの第1,3日曜のみ開館の佐藤彦五郎新選膿資料館です。

11:00-16:00。日野本町2-15-5。500円。日野本陣裏手。名主で剣豪

だった佐藤彦五郎の膨大な資料から展示されています。

 

近藤が土方に譲り渡した短筒です。撮影禁止なので、上を向きながらお腹に

カメラを押し当てて撮ったため、少し位置がずれました。

 

土方の愛刀。松平容保より拝領したとされる、葵御紋が刻印された『越前康継』。

近藤、土方、沖田の写真も揃っています。ここには年30~50回カメラが入るようです。

 

やっと5つの資料館のスタンプが集まりましたので、応募券をボックスへ

入れました。何が当たるんだったっけ。もう2時18分。雑談から土方生家に

行くバスがあると聞き、時刻表控えを見ると、あと5分。猛ダッシュです。

 

後でわかりましたが、この日の午後2~3時の日野市の最高気温は、38.3℃。

日野本町から土方生家までの2.5㎞は、歩いていると最後の高幡不動の4時まで

の新選組ゆかりの遺品を見られないので、初めて禁を破り市ミニバスに乗車。

 

万願寺経由・高不動尊駅行きが、日野本町に14:23に来る直前で、渡りに船

だったのでした。超ラッキー。40分に1本なんだね。

 

多摩都市モノレール万願寺駅着14:30。たった7分で炎天下2.5㎞を

体力・時間キープ。

 

万願寺駅プレートも土方歳三生誕の地と、大々的に宣伝しています。

 

今からこの万願寺を拠点に、南西へ75mの土方歳三資料館と、南西へ

100mのとうかん森、南西へ200mの石田寺(せきでんじ)へ向かいます。

 

運の悪いことに土方歳三資料館は、去年12月から長期?休館中です。1994年開館。

75mは歩いて見に行って、以下、写真はすべて過去の開館中のものをお借りします。

 

土方歳三資料館です。2022年12月から長期休館中。石田2-1-3。「長期休館中」の

プラスチック札がかかっていました。ここも、第1,3日曜のみ12:00-16:00。500円。

土方は、1846年の12歳から1863年29歳上洛まで過ごしています。石柱だけ昔の物。

 

開館中は、ファンの長蛇の列。多いときは1日に1000人、年間1万5千人が来ました。

これをコロナ禍は、人数を区切って消毒、それ以外に、今までの陳列、補修、営業、

準備、後片づけと一人でしていた疲れからの休業です。

 

明星大学客員教授で地域ブランド力も講義している、土方愛(めぐみ)さん52歳は、

歳三の兄・隼人喜六から数えて6代目です。「子孫の」という肩書がつくのを詐称だと

いう人もいるけど、本人は独身のまま、死んじゃってるからね。遠い縁者です。

 

voicyにて配信中の「ゆるっと幕末トーク」はvoicy2021年上半期【旅行・地域&歴史】

部門で1位を獲得する人気コンテンツ。上智大学イスパニア語学科卒業。歳三の生家にて

生まれ育っています。

 

玄関にある大黒柱に向かって、歳三は、ぶっつかり稽古をしたそうです。

 

歳三が17歳の時、「武人となりて名を天下に挙げん」と植えた

矢竹(篠)です。これでストラップも作って売りましたが、すぐ売り切れ。

 

土方歳三が愛していた和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)です。

新選組副長として京にあった1867年、兼定に鍛えさせたものです。

1869年函館戦死時、従者に生家へ届けさせました。長さ70㎝。

 

池田屋事件で胃に付けた鎖帷子です。長州藩の者は何の準備もないまま、

その場で15人切られました。桂小五郎(1833-1877木戸孝允)だけは気配を

察して逃げました。味方の負傷は1名のみです。

 

ちゃちょが訪れた7月16日、土方愛さんは、京、壬生寺にクラウド・ファウンディング

で完成した男前な土方歳三像の除幕式に出席中。目標1500万円のところ

2100万円集まったそうです。

 

カヤの雄株樹齢250年、とうかん森です。資料館から東へ300m、多摩川沿い、

川原公園そば、石田1-23-1、万願寺から歩6分、石田寺の北方100mです。

歳三の生家がありました。幼い歳三もよじ登ったと思われます。「とうかん」は十家。

 

12歳のとき、多摩川・浅川が決壊し、残った母と土蔵が資料館のあるところへ

親戚や近所の者によって運ばれました。カヤとムク、フジが繁茂しすぎ、

氏子はお稲荷様の返納を決意、市によって公園へ改変工事中です。

 

真言宗・石田寺(せきでんじ)山門です。石田1-1-10。万願寺駅より歩8分。1361年開山、

多摩川を流れてきた観音像を祀ります。9:00-17:00。

 

樹齢400年を超えるカヤの木があります。とうかん森が雄株だったのに

対し、こちらは雌株です。樹高6m、幹回り4.2m。市天然記念物です。

 

土方歳三の墓(供養のための「引き墓」で、埋葬されていない)です。

やっと、お墓参りに来たおばあさんの助言で見つけました。

 

なぜなら、驚いたことに、お寺のお墓は90%、「土方」なのです。

そして、どの土方さんも、左三つ巴紋なのでした。縄文時代から、毛利家の小早川、

武田家の山本勘助、山本五十六、各神社などにも多く使われてきました。

 

調布の近藤勇と土方歳三の生家は近いです。同じ多摩川上流で距離4.4㎞。

土方は18歳から、新宿牛込にある天然理心流の道場から出稽古に来る近藤に

佐藤道場で指導してもらい、めきめき腕を上げたのです。他流試合を重ねてきた

 

土方の剣は、8歳から学んだ直伝の沖田総司と違って、武者修行剣法でした。

土方は、近藤の祝言も1860年、取り仕切っています。

 

近藤勇(1834-1868)は、多摩川が曲流し、野川が流れる調布の農家に

生まれました。上石原村の石高は275石、83軒とのどかな農村です。

新田開発で豪農となり、広い庭はのちに天然理心流の稽古場になりました。

 

父は数少ない文字の読める識者で、三国志、源義経、楠木正成、加藤清正

らの武功談を、読み聞かせ、勇を愚直なまでに素朴で一本気だった多摩人、

に育てました。面倒見の良さと人情もろさは、祖父から教わりました。

 

勇は出稽古に来た天然理心流の先生に「実践向きだな」と認められ、1848年、

15歳で正式入門し、新宿牛込の試衛館道場に移り住み、1861年、28歳で

天然理心流4代目を襲名しています。道場は新宿でしたが、基盤は、井上兄弟の

いる多摩でした。

 

近藤の生家と墓は、JR中央線の武蔵境という(新宿から19分の)駅から出ている

6駅だけの西武多摩川線の多摩駅から、東へ歩15分です。そして土方の

生家とは、わずか4.4㎞です。同じ多摩人同士、気が合ったのでした。

 

さて、話を戻して、土方の生家まわりの万願寺から、わかりやすく

多摩都市モノレール沿いに、ゴール高幡不動を目指します。浅川を

渡ります。

 

モノレールと京王線の高幡不動駅をくぐれば、もう高幡不動参道です。

 

高幡不動尊仁王門です。日野市高幡733。慈覚大師円仁(794-864)が清和天皇

の勅願で建立。草創は、701年とも伝えられます。関東三大不動尊の1つ。

2つは、高幡不動と千葉の成田山新勝寺ですが、3つ目は3候補があります。

 

・埼玉県加須市、不動ヶ岡不動尊

・埼玉県飯能市、高山不動尊

・神奈川県伊勢原市、雨降山大山寺

 

高幡不動尊は、張ったHPの動画が充実していて、見るだけで行った気分です。

 

不動堂は、東京都最古の文化財建造物です。慈恵大師が山中に建立しましたが

1335年暴風雨で倒壊、1342年、山中より移建しました。

 

萬年をかけて竣工した五重塔は、高さ39.8mで平安時代を模しています。

 

新選組関連で見どころは、赤まるの、土方歳三像と、大日堂200円

と奥院300円です。

 

高幡不動を菩提寺とする土方歳三像です。先に紹介した1888年の近藤・

土方両雄の碑もあります。生まれは近藤が1834年と1年早いものの、

近藤打首(1868年)後1年で土方も函館で受弾、共に35年の人生でした。

 

短いく太く、輝いて散った、一本気な多摩人たちでした。

 

1874年(明治7年)、新政府と戦って死んだ人の墓が許されると、1888年に

高幡不動尊の境内に、近藤勇、土方歳三両名の幕府への忠義を称えた「殉節

両雄之碑」が完成します。

 

日野をはじめ多摩の人々、新選組の子孫や関係者たちの思いは消えることなく、

様々な資料で今日まで大切に残されてきました。日野は、新選組のふるさとなのです。

 

土方の命日5月11日には、「ひの新選組祭り」が開かれ、全国の新選組

ファンが集まり隊士パレードをします。この日は、第1,3日曜のみ開館の

日野本町の井上源三郎と佐藤彦五郎の資料館も開きます。

 

奥殿300円、9:00-16:00。月休。13:30にはガイド解説つき。たくさん

の文化財が収蔵、特に、土方の東照大権現幟、土方の手紙や写真、

井上源三郎脇差の他、榎本武揚、徳川慶喜、勝海舟らの書も見られます。

 

1864年の土方歳三の書です。日野の同志に宛てた京の様子が描かれています。

 

天然理心流の木刀です。普通は1.5~2㎏はありますが、やや細身です。

 

大日堂です。9:00-16:00。200円、月休。高幡山の総本堂です。1987年改修

が完成しました。鎌倉時代様式を入れ、入り母屋造り、本瓦葺、内陣総漆仕上

で材は尾州檜です。大玄関は、桃山時代様式です。鳴り龍天井や彫刻を楽しめます。

 

不動明王像。開山時からある1100kgの巨像で、関東では希に見る古い

重要文化財です。

 

近藤勇・土方歳三・沖田総司・井上源三郎位牌の他、新選組隊士大位牌

もあります。

 


これはお借りしましたが。不動明王のご朱印には、6つの種類があります。

関東36不動、多摩四国88ヶ所、武州厄除け不動尊、東国花の寺百ケ事、

弘法大師、大日如来で、各300円です。ご朱印を頼むとどこを回ったのか

詳しく聞かれます。黙っていると、多摩四国88ヵ所のを渡されます。

 

また、直観があったので、おみくじを500円買うと、4つが大吉、

生、勇、友、結とテーマもついたわかりやすい現代語の説明です。

熊手、大黒天、達磨、招き猫、銭亀と財布に入れる金印も独特でした。

 

京王線高不動駅前に、パティスリードゥシェフ・フジウがあります。

高幡17-8。9:00-19:00。火休。藤生(ふじう)義治1947生まれ、

1969年渡仏修行、72年帰国し、1993年オープン。

後進の指導育成にも当たる、東京都認定マイスターです。

 

予約制で自身で作る代表作は、シャルロットポワール1850円。洋梨のお酒の香り、

食べやすいフランス菓子です。フランポワーズのソース(ラズベリー、レモン汁、

ブランデー)も、もちろん、手作り。

 

ちゃちょは、税込み220円のシュークリームを買って帰りました。

高名な割にリーズナブルな値段で、黄色い濃厚な味でした。

 

帰りは、京王線高山不動駅16:09発の特急新宿行きに乗ります。新宿16:43着、

自宅17:23着の予定でした。ところが新宿直前の明大前で人身事故。明大前は

同じ京王井の頭線と連結していたので、吉祥寺に出、バスで17:06自宅着でした。

 

新太郎君は、ちゃんとお留守番。「どこ行ってたの?じゃ、遊ぼうね」で、

3時間たっぷり、スキンシップ。この頃は、手の平に体をねじ込んできます。

 

庭に出たら、知らないうちに山野草のノアザミが咲いていました。

 

最後まで一緒に読んで下さり、ありがとうございました。

ゆっくり休んでくださいね。

 

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次は、8月4日(金)アップだよ!埼玉県初の日本遺産、足袋蔵のまち・行田を歩きます!

 

皆、元気でね。じゃ、またね。