行田を歩く! | ちゃちょのブログ

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実践している健康のことや近況

ちゃちょの東京を歩くにようこそ。毎日暑いね。今日は、利根川、荒川からの土

や水と夏季高温を利用した藍染の綿布を利用し、日本遺産になった足袋蔵のまち、

行田(ぎょうだ)を訪ねます。日本最大級の古墳群と2000年前の古代ハスも巡ります。

 

訪問した7月23日(日)は、熱帯夜じゃなかったし、埼玉県・行田市は34.2℃まで

の真夏日で済みました。関東・東北は昨日22日に、平年より3日遅く梅雨明けです。

 

帰ってからの7月最終平日の方が、35℃超えの猛暑日が続きました。北海道も

猛暑日でした。太平洋高気圧が活発でした。

 

行田市は、埼玉県最北で、利根川をはさんで群馬県と接する、人口7.6万人、

67,5㎢です。地形の成り立ちから、日本遺産になった経緯までを明らかに

していきます。万葉集にもある、埼玉県名発祥の地です。


ほぼ全域が、利根川と荒川の堆積平野です。土地の高低差がなく平らです。

1603年徳川家康が入府の際、河川の付け替えを命じました(6月2日見沼を歩く!)。

海抜19.7m(市役所)しかなく、最高は古墳の36mです。

 

江戸中期より下級武士の内職として足袋の生産が始まり、交通の要衝だったこと

から履き替えに重宝繁盛し、明治には機械化で最盛期1938年に8500万足、

全国シェアの8割を占めました。日本遺産ストーリーになったわけです。

 


現在も、行田市近辺は、都心へも1時間圏内の埼玉県北部です。関東各地への

道路網も発達しています。埼玉県内の主な鉄道路線へのアクセスも良好です。

都心から熊谷までは、事実上の快速急行のJR高崎線が、ほぼ1時間で、埼玉県を

縦に縦断します。

 

熊谷から、行田市駅へ、単線の秩父鉄道へ乗り換え、3駅6.6km、10分です。

上の図では、熊谷から羽生へ行く途中に、秩父鉄道・行田市駅があります。

JR行田駅とは、名前が似ていますが5㎞離れており、何の関係もありません。

 

秩父鉄道は、1899年創業、単線、37駅、1時間1~3本ですが、埼玉北部の交通を支えて

来ました。今は道路網が発達し、秩父のスーパーで売っているほとんどのものは、

熊谷産です。石神井公園から秩父は、西武池袋線で行けますが、行田は初めてです。

 

行田市は、コロナ禍の自粛生活でも人々の心を明るくと、2020年春、行田八幡神社と

埼玉(さきたま=埼玉県発祥の地)神社で始まり、地域全体でも秋から商店や民家の

軒先にも花手水を飾る、2週間置きの花手水weekが約100ヵ所で始まりました。

1・11月の月後半2週間を除き、2~6月、9月~12月は月前半2週間です。

 

「希望の光」と言って、2~6月、9~12月(11月だけ第3)の第2土曜には、

日没から~22:00まで、行田八幡~忍城(おしじょう)周辺の花手水は、一斉に

ライトアップします。

 

忍城では、和傘や灯篭による演出も行われます。

 

観光物産館「ぶらっとぎょうだ」では、着物の貸し出しも行われます。

もちろん、行田の足袋も。着物・足袋姿で300円以上買い物した人は

▲5%引き、煎餅1袋も出す店もあります。2021年ふるさとキラリ大賞。

 

このように、行田八幡~忍城周辺の行田市内商店街全域の約100店舗で

行われるのです。少し離れた埼玉(さきたま)神社でも、行われます。

 

豊臣秀吉の水攻めに、唯一、城を守った忍城のことは、2007年、和田竜が「のぼうの城

として歴史小説を書き、2012年野村萬斎主演映画化で、日本アカデミー賞を受賞しました。

 

足袋老舗工場の社長が、足袋でランニングシューズを開発し、優勝する「陸王」は、

「下町ロケット」で直木賞の池井戸潤が2016年に刊行、2017年TBS日曜劇場テレビ

ドラマ化で、役所広司が主演、テレビアカデミー賞受賞。

 

ちゃちょは、見落として、全然知らなかったのですが、出かける7月23日の前々週

7月15日の土曜の放送のブラタモリでも、行田が取り上げられていたのでした。

現地で知りました。だからNHK+ではもう間に合わず。220円払ってあわてて見ました。

 

ほとんど延々と田んぼですが、3大スポットは、忍城、古墳、古代蓮で

あることがわかります。関東地方以外の人には、なじみが薄い場所なので、

行く意義・特徴・注目度を先行させて一部、ご紹介する形になりました。

 

前置きが長くなりましたが、今回のコースは、秩父鉄道行田市駅から、

足袋蔵まちづくり施設、忍城(行田市郷土博物館)、外堀だった水城公園、

さきたま古墳公園、埼玉神社、古代蓮の里と巡り、スイーツを帰り道に寄ります。

 

案内では、13㎞、4時間5分、1万7400歩でした。早く無駄なく歩いたつもり

でしたが、19・34㎞、1040kcal、4時間45分、30,212歩でした。都会の

ごみごみしたところを気を使って歩くより、青空の下をどんどん歩けました。

 

地元の練馬区、西武池袋線・石神井公園駅を急行池袋行き7:48発に乗ります。

休日でも、仕事とレジャーの人が半々で、結構、混んでいました。夏休み。

池袋7:59着、JR池袋8:08発埼京線、8:15赤羽着。

 

JR高崎線・赤羽発8:29、熊谷着9:23、53分です。

 

JR高崎線は、一種の快速急行で、埼玉県を南から北ヘ縦貫する赤羽~熊谷で13駅

53分です。(上野からでも15駅63分、東京からでも72分です)。

 

JR熊谷駅出口改札です。秩父鉄道は一旦出て、3分ほど歩き、左へ

折れると改札があります。黒く「秩父線」とJRの一支線のような表現です。

秩父鉄道側の改札口でも、自身を「秩父線」と看板を出していました。

 

単線・秩父鉄道熊谷発9:35羽生行き。1時間に1~3本です。接続に無駄がない

よう、調べておきました。これは、都営地下鉄三田線を改造したものです。

青いラインとステンレスを貼ったのが特徴です。必ずどこかの鉄道のお古です。

 

行田市駅3駅目9:45着。コロナ禍で、秩父鉄道は、2022年3月から電車の

本数を思い切って減らし、37駅中、行田市駅を含む23駅で改札をICカードタッチで

無人化しました。駅長室も固く閉まっていました。乗車人数は、2021年1日平均609人。

5km離れたJR行田駅の1日乗員数は、2021年5010人です。

 

閑散とした駅前です。大型商業施設は一切、ありません。これは、熊谷羽生線と

古墳通りが交わる、行田市の中心街から少し外れていることもあります。

人口7.7万人、67,5㎢、人口密度1139人/㎢で、ここも人口減少中の市です。

 

駅南側周辺図です。秩父鉄道の南側300m(1cm)をまっすぐ東西に走る黄土色が

県道128号の熊谷羽生線、南(下)へ延びるのが、俗称、古墳通りです。南の東京

へ延びている水色が、東京砂漠を救った武蔵水路です。中央に行田八幡神社。

ここでは、西(左)側の緑の忍城と、その外堀だった南の緑の水城公園までです。

 

まず、訪れたのが、NPO足袋蔵まちつくりミュージアムです。行田市行田5-15。

10:00-16:00。無休。1階で足袋蔵マップなどの観光情報を入手でき、2階の

日本遺産ガイダンスセンターで理解を深められます。

 

和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田~2017年、県内唯一の

日本遺産となった構成要素には、埼玉古墳群、忍城、足袋蔵まちづくりミュージアム、

和菓子十万石本店(元山田呉服店、国有形文化財)、足袋とくらしの博物館(牧野本店

 

店蔵)、Cafe閑居・足袋蔵ギャラリー門・パン工房KURA・クチキ建築設計事務所

(市内唯一の3階建て蔵、いづれも足袋蔵)、旧忍町信用組合店舗(Vert Cafe)、旧小川

忠次郎商店店舗及び主屋(1925年原料扱い、NPO蕎麦屋忠次郎蔵)、奥貫蔵(蕎麦屋あんど)、

 

藍染体験工房「牧偵舎」(シェア工房&体験施設)、用具及び関係資料(博物館内)、

フライ・ゼリーフライ(ネギお好み焼き・おからコロッケ=足袋工場女工のおやつ)など。

 

以上、リンクした文化庁HP参照。

 

2017年4月、埼玉県では初めての日本遺産が、足袋蔵のまち行田として認定されました。

こちらは、市の詳しいHPとリンクしています。

 


2つの大きな川(利根川・荒川)ばかりでなく、かつて無数の川が枝分かれしていた

水上交通の要衝でした。たくさんの古墳が出土したように、万葉の昔から

人の営みがありました。

 

関東造盆地運動という周辺の山の隆起で、肥沃な盆地が出現しました。

関東平野は、1万7000㎢、日本の平野の18%と断トツに大きく、中央部が沈降し

周辺部が隆起する地殻変動でした。沈降中心部は行田市です。

 

関東の2大河川である利根川も荒川も流れ込み、肥沃な水と堆積した土の盆地です。

そこでは、藍や綿がよく採れました。藍染めの綿布が生産できたのです。

また、隣の熊谷では、2018年7月23日午後3時11分、国内観測史上最高の41.1℃を記録

したように、土や水ばかりでなく、日照条件も良かったのです。

 

江戸時代、日光や江戸・八王子への交通の要衝だったところへ旅行ブーム到来、

下級武士の内職に過ぎなかった足袋履き替え地として宿場町へ、販路は東北・

北海道へ延び、全国シェア8割の足袋のまちへ発展したのです。

 

最盛期の1938年(昭和13年)、85000足、全国の足袋のシェア8割を誇りました。

200もの登録商標があります。今も80の足袋蔵が残っています。特徴的なのは、

大企業へ合併せず、中小分業体制へ発展したことです。

 

蔵も、川越のように道に土蔵でなく、間口税を考慮した店―住居ー工場ー蔵と

奥に細長いです。明治からの工場と蔵は、江戸時代、馬を休ませる庭でした。

 

これは、上のリンクしたNPOのHPから鮮明に引き出せますが、足袋蔵MAPです。

中小分業体制ですから、足袋作成の13工程のさまざまな目的の工場や蔵があり、

石造り、木造、モルタル造り、土蔵、鉄板張りなど、見学に目が離せません。

 

ちゃちょが見た通りに歩いている、同じ感想を言っている動画を見つけました。

 

足袋蔵が、目的によって、造りが違うことを、手で示しながら説明して

下さいました。

 

1つ示せば、この今津蔵は、足袋のいろいろな模様の印刷所でした。

行田市行田250-1。個人所有、外観のみ。田山花袋(1872-1930)の「田舎教師」

(1909)に出る老舗の行田印刷所のモデル。嘉永年間(1848-1854)建設、行田で

最古の店蔵です。

 

もう1つ示せば、大澤蔵。行田市9-5。1923年の関東大震災の教訓を受けて、

1926年、行田でただ1つのレンガ造りです。「花形足袋」の大澤専蔵商店の

7代目が書類の保管を目的とした文庫蔵です。

 

足袋とくらしの博物館です。行田1-2。土日のみ開館。10:00-15:00。

12月中旬~1月上旬休み。200円。行田随一と言われた牧野本店の足袋

工場を再生し実演中。館内は、工場そのもの。第2日曜に体験あり。

要予約、2500円~。048-556-5171。2005年開館。

 

下級武士の内職から始まり、明治時代から電気ミシンで女工さんが

作りました。

 

工程は、ひきのし(裁断用に10枚揃え)-裁断(金属型で打ち抜く)ー通し(こはぜ

に使う太い糸の通し縫い)ー押さえ(止め縫い)ーハギマチ(こはぜの裏に当て布を

ハギ合わせ)ー甲馳付け(こはぜ縫い合わせ)ー羽縫い(表裏縫い合わせ表に返す)ー

 

甲縫い(内甲、外甲縫い合わせ)ー尻止め(かかと丸く止め縫い)ー爪(指先ふくらませ皮と底

縫い合わせ)ー廻し(先付けから後ろのかかとの裏表を縫い合わせ)ー千鳥(回し縫いの外側

をからみ縫い)ー仕上げ(木型に入れ木槌でたたき、アイロン)の13あり、後は包装します。

 

現在も、大相撲力士をはじめ、オーダーメイドの注文が絶えないそうです。

 

行田市駅から熊谷羽生線の出たところの高札場跡。行田市4。享保年間

(1716-1736)に、往来の中心として建てられました。後ろの武蔵野銀行

行田支店は、1934年忍貯蓄銀行として建てられた国の登録有形文化財です。

 

ここから古墳街道を南へ200m、行田八幡神社があります。行田16-23。

1189年、源頼義が奥州征伐に出かけた際、建立。全国制覇が完成しました。

癌封じ、ぼけ封じ、虫封じ、眼病平癒の効能があると言われています。

忍城下の守り神でした。

 

近年は、この、なで桃がパワースポットとして知られています。

 

1925年に建てた布団屋、忠次郎蔵があります。忍1-4-6。国の登録有形文化財です。

今はNPOが蕎麦屋を運営して有効活用しています。11:00-14:00、月休。

 

中は、上がって食べれる座敷で、手前でNPOの方が蕎麦を打っています。

 

忠次郎蔵十割そばのもりで900円、天ぷら300円とリーズナブルです。

 

忍城の鐘楼がある、かねつき堂。本丸13-13。11:00-18:00。月休。

ふらいとゼリーフライの店です。町の至る所に、「ふらい」「ゼリーフライ」

と看板が出ています。日本遺産、足袋蔵のまち行田の構成要素になっています。

 

行田名物のゼリーフライ2個1人前220円です。足袋制作で忙しかった女工さん

たちの手軽なおやつでした。おからとじゃがいもを主とし、人参・ネギが入ってます。

醤油味・ソース味が選べます。平ベったい「ふらい」は、ネギ入りお好み焼き400円。

 

ゼリーフライのフラべえとこぜにちゃんが、市のゆるキャラです。

 

忍城です。本丸17-33。1478年築城と言われます。1701年の御三階櫓は

廃藩置県で取り壊されましたが、1988年、再建されました。

 


北の利根川、南の荒川の広大な沼地と自然堤防を生かした、難攻不落の関東七名城です。

冒頭紹介した、忍城の戦いは、2007年和田竜「のぼうの城」、2012年野村萬斎主演で

映画化で日本アカデミー賞受賞です。また、古墳群の石田堤で紹介します。

 

武家の忍藩がそのまま市名になってもおかしくないのに、ちいさな紫色の一角の

町人地の地名「行田」が市名になったのは、足袋が全国8割のシェアを誇ったからです。

藍・綿に適した肥沃な地で下級武士の内職だったものが、宿場町の地の利を得て大発展。

 

 

7月15日のブラタモリでも、代官所跡の碑を境に、字名の忍と行田が

別れている地点を、撮影していました。忠次郎蔵とかねつき堂の間です。

 

石田三成の水攻めにも耐え抜いたという忍城内部は、行田市郷土博物館です。

本丸17-23。9:00-16:00。月・祝翌、第4金休。200円。

 

常設展では、戦国時代の忍城や江戸時代の城下町を紹介。他にも

埼玉古墳群などの古代の歴史や文化、明治以降の足袋作りにも触れています。

 

城を出て、南へ2km行くと、外堀の1つだった10.3haの水城公園

あります。1964年に整備してオープン。8~10月に咲くホテイアオイの

紫色の花の群生が、きれいでした。

 

ここから古墳通りを1直線に東南へ2km行きます。気温はずっと30℃を

超えたままで、誰も歩いていません。

 

途中、民家が切れると、一面の田んぼです。よく灌漑されておらず、

水が干上がって土がカチカチの田もありました。でも稲は緑です。

カエルは、農薬のせいか一匹も鳴いていません。

 

埼玉古墳群のさきたま古墳公園へ着きました。地面の標高は19.7mで平ら。

円墳の最高地点は30mです。見どころは9基という古墳の多さ、かつて陪臣

の古墳35基もありました。6世紀初頭です。稲荷山と丸墓山には登れます。

 

もっと広く見ると、左(東)側に、利根川を取水口とする、6月2日ブログの

見沼代用水も見えます。利根川と荒川に囲まれた標高17-18mの平らな関東

ローム台地が、東京湾へ穏やかに傾いている「関東造盆地運動」の結果です。

 

上空から見るといかに1カ所にこれだけ古墳が集中しているか、わかります。

 

まず、公園内の、さきたま史跡の博物館へ行きます。埼玉(さきたま)4834。

9:00-16:00。月休。200円。忍城入場券を見せると120円。目玉は、

稲荷山古墳から見つかった、国宝金額錯銘鉄剣です。真ん中のガラスケース。

★2023年9月~2024年3月は、空調工事で休館。

 

国宝 金錯銘鉄剣。471年、奈良ヤマト政権の雄略天皇に仕えたことを示す

115文字も古墳時代に刻まれていました。東アジアで最古の副葬品、世紀の大発見です。

最初、錆びていた鉄剣を竹筒で奈良の修復専門係へ出すと、遺品車で帰ってきました。

 

奈良中央ヤマト政権雄略天皇に仕える警備隊長であることを誇っています。

雄略天皇(455-489?)は、考古学的に実在がほぼ確定している最初の天皇です。

 

右側の縄文土器より、左の弥生土器の方がずっと薄くて軽く、使いやすい

ことがわかります。

 

副葬品の埴輪も、たくさん収蔵されています。(警備員が後ろを向いたとき撮影)

 

9つあるうちの、水に浮かぶ愛宕山古墳です。このように2重の堀に

守られているのが特徴です。6世紀後半、墳丘長さ54.7m、この中で最小です。

内部は未調査です。

 

二子山古墳です。6世紀前半。埼玉県では最大規模の古墳です。墳丘長132,2m。

前方後円墳。9つの古墳とも、国の特別史跡、埼玉古墳群に指定されています。

 

これから左(北)側の高くて登れる円墳を巡ります。

 

上まで登れる丸墓山古墳は、日本一高い18.9mで北側からは93段。行田市埼玉4834。

古墳公園内住所は全部同じ。6世紀半ば直径106m、東日本最大級の円墳、国の特別史跡。

埋葬施設内容は未確認。1590年、石田三成は、忍城攻撃の陣を頂上に張りました。

 

丸墓山遺跡は、陣を張るには、北方の沼地にある忍城がよく見えました。

 

南側から古墳に至る道は、石田三成が、忍城を水攻めにしたときに築いた延長

14㎞の、俗称、石田堤です。豊臣秀吉は、天下統一の最終段階にあり、余裕のある

ところを見せたいプライドがありました。

 

石田堤の高さは、平均2.3mあり、延々と地形の高い所を結びました。

わずか5日間で1万5000の兵が築いたと言われます。忍城の成田氏は500名

でした。

 

丸墓山古墳から忍城を望みます。

 

こんなものも、貼ってありました。タモリが行った場所ごとに、市の担当者が

1分ぐらい解説している動画です。

 

利根川と荒川の水を流し込み、石田三成はイメージとしては、このように水没

させたかったのでしょう。前に見たように、城はやや高い島部分にあり、うまく

水没せず、親城の小田原城の方が先に開城したため、それに従いました。

 

さて、丸墓山古墳の頂上から、もう1つの稲荷山古墳が目の前に見えます。

これから行く古代蓮の里の50mの展望台も見えます。こんなに近く古墳同士

が見られるのは、密集しているからこそで、非常に珍しいケースです。

 

稲荷山古墳の展示室へ行きます。さっき払った120円で入れます。

 

中では、実際にイメージしにくい古墳の中身を見ることができます。

先ほどの史跡博物館に展示されていた国宝の金錯銘鉄剣は、死者の脇に

置かれ、勾玉は胸に飾られていました。

 

さて、古墳群の脇にある前玉(さきたま)神社へ回ります。埼玉県の名前は、古墳時代

に創建された前玉神社に由来すると言われています。前玉郡(さきたまのこおり)という

地名が、埼玉(さいたま)と読みが変わりました。

 

江戸時代の埼玉郡は広く、廃藩置県で、浦和県・岩槻県・忍県が統合して

旧埼玉県ができ、現在の東半分を占めていたため、県名を埼玉としたのです。

 

前玉(さきたま)神社です。埼玉(さきたま)前宮5450。御祭神は、前玉彦命と前玉姫命の

二柱で、恋愛成就、夫婦円満の強いパワースポットです。創建は、古墳群の首長層が祭祀

した400年代後半から500年代前半と推定されます。

 

高さ8.7mの浅間塚古墳上に本殿があります。

 

電柱も、埼玉(さきたま)となっています。

 

交差点も、ちゃんと、「さきたま」と振り仮名を振っています。


埼玉古墳群を後にし、1900m先の古代蓮の里へサイクリングロードに

沿って歩きます。「ポタリング」と書いてあるのは和製用語で、歩くように

目的もなく、ぶらっとゆっくり自転車を走らせるという意味です。

 

一面の田んぼ、延々と炎天下、サイクリングロードは続きます。

カエルや鳥の声は一切なし。かなり効率を狙って、農薬を撒いてます。

 

やっと古代蓮の里に着きました。小針2375-1。展望台のある会館(400円)は、9:00-

16:00。月休(7月は7:00-無休)。1400~3000年前の蓮の種子が発見され、保存

を目的に9年かけて2000年オープン。6月中旬~8月上旬に42種12万株が咲きます。

 

展望台は90分待ちで諦め、裏手の世界最大と言われる1haの田んぼアートはYouTube

でどうぞ。「翔んで埼玉パートII~琵琶湖より愛をこめて」11月23日公開。

2019年のパートIは、二階堂ふみ・ガクト主演で、日本アカデミー賞最優秀賞。

 

行田市への帰り道は、観光会館で教わった古墳群より東側を直線で、行田市駅

を目指します。もう午後2時を回りました。ラストスパートです。

途中の成就院です。1573-1592年創建の古社。本尊は不動明王。

 

境内の三重塔は、1729年に建立され、塔内には、忍城主阿部忠秋から

拝領された葉衣観音菩薩が安置されています。江戸時代に建てられた

三重塔は県内に3基あるが、この塔が最も低いです。県指定有形文化財。

 

ここで、急に現れた、首都圏の生活を広く支える、一級河川の武蔵水路を渡ります。

 

 

武蔵水路は、1964年のオリンピック後、急に水不足になった東京を救うため、

1965年、開削されました。その後、水質改善するため、使用しつつ、2009ー

2015年にかけて、14.5㎞を全面改修しました。

 

ここは、忍城のところでも触れましたが、利根川と荒川がもっとも接近して

います。

 

利用しつつ、改修するため、水路を半分の2つに区切りました。

 

土質に問題のあるところは、全部、土を取り換え、鋼板を張って整流しました。

 

取水口である、埼玉県北端の利根川は、流域面積日本一です。向こう側は

もう群馬県です。

 

ここにも「関東造盆地運動」という地殻変動で、回りが山になり、

盆地を流れた利根川が、目の前の古墳を堆積土砂で埋めてしまいました。

 

酒巻古墳群という6-7世紀の前方後円墳3基、円墳20基の23基が、田んぼの下

1-1.5mのところに埋まっていることが、1983-1988年の調査でわかりました。

 

さて話を戻し、成就院から、武蔵水路を超え、行田市駅へ午後2時過ぎに向かっています。

人も車も通らない炎天下をただ直感でまっすぐ伸びた市街地をひたすら歩きます。

 

ここで、やっと十字路の形状から、辿って、高澤記念館cafe gallaryに着きました。

長野3-5-41。11:00-17:00。(ランチ-14)月~木休。1859年の庄屋跡。国登録有形文化財。

群馬から来た6人のおば様が道にしゃがんで?おしゃべりしていました。3歩先の左側。

 

明治末~昭和初期の高澤氏は、県議会議長でした。典型的な養蚕中二階造りで、

母屋、土蔵、長屋門、離れ、納屋がある広いお庭でした。

 

埼玉県女流工芸作家協会創設者の妻の染色、陶芸、金工が常設展示販売され、

金土日のみ、カフェギャラリーとして、母屋の一部を公開しています。

毎週第4日曜14時から忍の行田の「昔ばなしの語りべの会」が無料開催されます。

 

NPOによる、さきたま古代米カレー1,100円、コーヒー付き1,380円は、

14時のランチタイムまでです。ライスは前方後円墳の形に盛ります。

 

リンゴのタタン風ケーキセットは、950円。

 

ここで、カフェにいた地元のおばあさんが、暑いと大変だからと、

行田市駅まで車で送ってあげると言ってくださいました。3時過ぎ。

渡りに船です。もう一人のおばさんと来ていました。巧みな運転でした。

 

最後の目的地?和菓子十万石本店です。8:30-19:00。無休。もとは呉服屋、

足袋の倉庫の時も。建物は、国の有形重要文化財です。足袋蔵のまちは、こうして

再利用され、現代に生き返っています。

 

1979テレビ埼玉の開局当時から放送され続けてる「うまい、うますぎる」に、

行田市役所がコラボしています。

「うまい、うますぎる」は、版画家・棟方志功が食べたときの言葉だそうです。

 

十勝小豆のこし餡を新潟県産コシヒカリの粉と山芋でつくるしっとりとした

皮で包んでいます。130円、税込み140.4円、5個バラ売り702円。

帰って食べたら、小ぶりの普通のおまんじゅうでしたが、すっきり食べられました。

 

途中、車に数分乗せてもらったお陰で、行田市駅ゴール16時のオンスケジュール。

16:11発に余裕で乗ります。なにしろ1時間に1~3本だからね。

 

池袋の西武池袋線急行も17:40に駆け込み乗車できました!

石神井公園17:48着、自宅着17:58!シャワー、うがい、洗濯、

外、落ち葉掃き。

 

雨戸を閉める前に、シジュウガラにテラスで与えているヒマワリの種から

ひょろひょろヒマワリが咲いていました!毎朝、鉢に水を撒いているからだね。

 

新太郎君も「帰ったんだね」と、今日は手の平に乗ったところをぎりぎりで

撮らせてくれました。本当は腕で頭を丸め、ウトウトしているところを

撮りたかったのですが、そこは敏感に逃げられました。

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

ゆっくり休んでくださいね。

 

コメント帳なくなっちゃったから、

すぐ新しいブログの記事が受け取れるように、この機会にフォローしてね。

​​(メールでの更新通知を受け取る、にもチェックを忘れずにね)

 

リンクは全部、生きてます。

 

次は、8月11日(金)アップだよ!夏らしく、浦賀を中心に横須賀の海沿いを歩きます!

 

皆、元気でね。じゃ、またね。