ちゃちょの東京を歩くブログにようこそ。
今回は、都心から20㎞にある、さいたま市に大きく残った
貴重な緑地、見沼田んぼを水路沿いに爽やかに、歩きます。
来週から雨続きの予報でした。
出発した5月28日(日)は、最低17.8℃、最高25,9℃の夏日でした。
29日(月)の東京・練馬は、一日雨で、最低18.8℃、最高21.7℃でした。
北九州、中国、四国、近畿、東海が梅雨入りしました。
30日(火)は、最低18.7℃、最高26.1℃の曇った夏日でした。
九州南部が梅雨入りしました。
31日(水)は、最低16.7℃、最高21.8℃の曇りでした。
6月1日(木)は、最低13.8℃、最高25.2℃の夏日で晴れ、夜から雨です。
さいたま市は、人口2001年に、浦和市、大宮市、与野市、岩槻市が合併し、
人口がどんどん膨らんでいる、134万人の県庁所在地です。
市境と都境とは5㎞も離れておらず、JR湘南新宿ライナーでは、
浦和駅~東京都北区赤羽駅は。各停で7分です。
今回は、池袋ー赤羽径路を使わず、だいだい色の武蔵野線の新秋津駅から
目的の東浦和駅まで7駅25分で行きます。旧貨物路線を利用しています。
○○浦和という駅名が多いですね。「見沼」も、旧浦和市の東半分を指す通称で、
地名や駅名には、ありません。浦和の西半分がJR線沿いに開発されたのに、比べ
緑豊かな農業地帯で、法律上も、自然保護されています。ヌゥがゆるキャラです。
日本最大規模を誇る都心緑地空間“見沼田んぼ”の主の子孫。
生まれ育った見沼(ミヌマ)から「ヌゥ」と名づけました。
ヌゥ=nu にはフランス語で「飾り気のない」「素」の意味があります。
「飛んで埼玉」が2019年、二階堂ふみ・ガクト主演で、日本アカデミー賞
最優秀賞、ファンタジア国際映画賞のアジアン最優秀賞長編金賞を受賞
していますね。2023年、No.2が上映予定。
西武池袋線の秋津駅とJR武蔵野線の新秋津駅までは、約380m5分、
外に出て歩かなければいけません。
接続が悪いのは、秋津駅が東京都と埼玉県3市にまたがり、調整が難しく、
連絡通路を地元商店街が反対したためです。また、JR武蔵野線が
開通した1973年当時は、JRと西武鉄道は仲良くなく、駅は離れました。
これから行く見沼田んぼは、JR武蔵野線・東浦和駅で降りた緑色の
3km四方のy字型のところです。
ですからコースは、東浦和駅を起点・終点に、爽やかな水路沿いを巡って、
見沼田んぼができた歴史や工夫、スイーツ、神社にまつわる伝説を辿ります。
案内では13.9kmと出ていましたが、23.76kmも歩き、37,127歩でした。
現地滞留時間は、9:48~16:45と7時間に及びました。
地元の練馬区・石神井公園駅から下り8:48発に乗ります。
6駅17分で、秋津駅です。日曜なので、下りホームも混んでいます。
秋津駅9:07着。なんとここに、次のJR武蔵野線・新秋津駅で乗れそうな
電車の時刻が出ていました。浦和方面行ですから下段の9:23発です。
構内を歩く時間も考慮に入れた16分先の時刻です。
新秋津駅まで約380m5分です。JR武蔵野線は、旧貨物線利用の
裏?路線ですから、各停だけの10分置きの発車なのでした。
9:23発に余裕で乗れました。
東浦和駅9:48着。始発駅からぴったり1時間でした。
驚いたのは、駅舎回りにツバメが何羽も舞っています。西武池袋線なら
終点の西武秩父まで行かないと、見かけない光景です。あわてて
シャッターを切りましたが、もう小さな点になってしまいました。
駅前スーパーでチェックしたら、大きな三角お握りが108~118円です。
出がけに石神井のファミマでは、小さな丸握り2個税込275円でした。
こっちが、2個で30~40円安い。都心と埼玉の差?
駅前はパチンコ屋などなく、数店舗だけで健全だけど、やや不便?
皆、車やバスでイオンモールなどへ行くのが前提なのでしょうか?
大体は、さいたま市緑区ですが、まず、この案内板通りに、線路の
南側の埼玉県川口市寄りを、歩きます。
緑区大間木1506に、1989年オープンした見沼通船堀公園です。
歩5分。6,600㎡。
セグロセキレイが、ジジッと草むらから鳴いています。
通船堀公園は、竹林の繁る、落ち着いた空間でした。
脇を通船堀の跡が流れています。
見沼通船堀は、国指定史跡です。見沼を流れる3つの水路、すなわち
東西の見沼代用水と、真ん中を流れる芝川をの間に船を通すために
1731年、8代将軍吉宗が命じて造られました。
芝川は、荒川に流れ、江戸の隅田川や神田川に通じていました。
芝川が3m低いのを克服して、水運上、とても大切な堀でした。
代用水西縁の下流は、細く水が流れる程度でした。
そこで、1.5㎞東の代用水東縁まで行くと、高低差を埋めるための
手前の一の関跡と、奥の二の関跡が、復元されていました。
角落としと呼ばれた、関の幅に合わせて、高さ18cm×9枚=162cmの角材を
落す場所を、一の関と二の関に作って水圧で支え、その間を船を通し、計3.3m、
克服しました。
水の高さを下げるときは、角材の取っ手を引っ掛けて1本ずつ持ち上げました。
見沼通船堀は、8代吉宗が、井澤弥惣衛兵に命じて新田開発をさせ、その米を運ぶために、
1731年に造らせた、閘門式運河(こうもんしきうんが)です。同じ仕組みのパナマ運河
より約180年古く、日本有数の古さを誇ります。
水位を上げるのに50分から1時間かかり、下げるのに20分から30分
かかりました。船頭だけでは無理で、舟運に携わる地元の者が総出で助けました。
緑区大間木1889に、通船堀の一切を仕切っていた鈴木家住宅があります。
積み荷や船頭の割り振りです。文政年間(1818-1830)の母屋は非公開で、
土日祝10-16時だけ、庭に入って通船堀作業のビデオを無料で見られます。
ここで、これから回る見沼田んぼの成り立ちがわかるように、
大昔の見沼、初代家康の河川付け替え・八丁堤、8代吉宗の干拓・
見沼代用水・見沼通船堀、現代の見沼の要点だけ、お話しします。
大昔は、浦和の2/3は、海底でした。6000年前に海が後退し、
沼地や湿地が、たくさん、残りました。
1603年徳川家康入府の際、関東群代の伊奈半十郎に命じて、利根川を銚子寄りに、
荒川を江戸湾寄りに付け替え、江戸に洪水が集中しないように、河川の流れを変えました。
家康はまた、関東群代の伊奈半十郎に命じ、見沼のやや北部に、
赤い線の台地の幅が870mと狭い場所に八丁堤を築き、見沼溜井を造りました。
しかし、下流の22村は、洪水があふれたり、日照りの干ばつに苦しみます。
一方、八丁堀の上流の村は、見沼溜井で、1/3が水没しました。石高が減り、
移住を余儀なくされ、これを「水いかり」と言います。
八丁堤870mの上は、赤山街道と言って、関東郡代の代官所がありました。
さて、8代吉宗は、1727年、井澤弥惣衛兵に命じ、八丁堤を壊し、
干からびた沼に利根川から水を引きました。代用水を約1㎞幅で、
東縁16㎞、西縁22㎞に渡って、開発した水田に通しました。
代用水は、見沼田んぼまで多くの水路や道路を横断しなければなりません。
そのために、川底をくくらせる伏せ越し53基(上図)、川の上を通す掛け渡井4基
(下図)、取水口、橋など、延べ労働90万人、15,000両かけ、半年で完成させました。
東西台地の代用水は、田んぼばかりでなく、周囲の村にも用水をもたらしました。
戦後の高度経済成長で、住宅・学校。道路に転用されました。台風で遊水機能が
認められ、1965年、宅地化を認めない見沼三原則が制定されました。しかし、
米の生産調整、斜面林減少、耕作放棄地への残土投棄が進みました。
1995年、都市近郊の数少ない大規模緑地として見沼田んぼを保全・活用・創造の
基本方針が策定され、1998年には、公有地化推進事業が始まりました。
さて、話を戻し、通船堀を仕切っていた鈴木家の後を歩いていきましょう。
通船堀を越えて、東斜面の坂を上ると、花あかりの幟旗が見えてきます。
緑区下山口52-3に、喫茶 花あかりがあります。10:00-17:30。
月火休。花あかりさんも、アメブロ持っています。
1人でも気軽に入れ、落ち着いた雰囲気で、ベランダもあります。
田んぼとは、かけ離れた、でも自然の中の空間にラッキー感が漂います。
入口のメニューに、今日のコーヒー400円とあります。
カスタードプリン350円。全くウクライナ侵攻後の値上がりはありません。
抹茶シフォンケーキ350円。
さらに坂を上ると、緑区大間木2395に、水神社(すいじんじゃ)が、あります。
創建は、見沼通船堀が開通した翌年の1732年。 祭神は罔象姫命(みずはめ
ひめのみこと=水の神・雨乞いの神)で、見沼通船堀の水難防止が祈願されました。
神社奥、川口市東内野596に、木曽呂の富士塚があります。
1800年に富士講の一派が、代用水東縁と通船堀の連絡点の崖上に、
盛り土5.4m、直径20mに造りました。国指定重要有形民俗文化財。
県内最古の富士塚で、火口・お中道・胎内巡りができる穴があります。
皇太子(現天皇)ご来駕の石碑があります。由来が3本の石碑に刻まれています。
ここで、JR武蔵野線をくぐり、見沼田んぼの中心の北側へ出ます。
ちょうど正午。
見沼田んぼは、今、田植えが終わったばかりでした。
見沼代用水西縁に沿って北上します。桜並木が続き、サイクリングや
ジョギングをしている人がすれ違っていきます。
セッカが、澄んだ声でヒッヒッと鳴いています。
代用水西縁の東側の芝川との間は、公有化推進事業が進められ、
92.3ha(東京ドーム約20個)の広さの芝川第一調整池が、
2023年3月~9月の工事で完成します。
目的は自然保護で、貯水量は550万㎥になります。ここに
ツバメ3,000羽のねぐらがあり、駅へも飛んでいくのでしょう。
日本野鳥の会が全国30カ所のツバメねぐらを集めたうちの1つ。
「現在地」から、国道463号線を東へ行きます。
芝川を渡ります。
緑区下山口新田1179-1に、浦和くらしの博物館民家園があります。
1995年オープン。9:00~16:30。月祝休。無料。
古代ハスの池、水路、畑、芝広場があります。
1919年に建設された旧浦和農協三室支所倉庫は、大谷石と白い漆喰の
土蔵の石蔵で、国登録文化財です。他に、市内最古の江戸中期の家から
明治までの建築物7棟が移築復元されています。
石蔵内には展示室があり、県内収集家による昆虫展示がありました。
上の小さい蝶が、ミドリシジミで埼玉県の蝶です。下2つはオオムラサキ
で、小さい方がオス、大きい方がメスです。
江戸時代までは、木ばかりでなく、人の食べた米・野菜・魚
まで人糞として、畑や田に、腐熟させてから撒かれて、100%
自然循環していました。江戸へ米、野菜を運び、人肥を持ち帰りました。
国道463号線をさらに500m東進し、北へ入ると、緑区大崎3156-1に
さいたま市園芸植物園があります。9:00~16:00。月休。無料。
1978年オープン、35,000㎡。
手前のマリーゴールドの寄せ植えが見事です。メインは、
ガラス張りの花き展示温室です。
ルリゴクラクチョウカ(瑠璃極楽鳥花)が、白い花を咲かせて
います。
見沼の農業生産は、キャベツ、いちご、なし、ぶどう、さといも、
切り花、植木、鉢物、枝物、米、さつまいも、乳牛などです。
緑区農家数538戸、さいたま市全体2998戸は、埼玉県内1位です。
都心への重要な供給源です。
植物園すぐ北側に見沼代用水東縁をまたいで、緑区大崎3170-1に、
1977年オープン、3万8,000㎡の大崎公園があります。入園自由。
月休。日曜なので芝生広場にテントを張っている家族がたくさんいます。
土日限定の電動アンパンマンカーは、親子で乗れます。
釣場奥の子供動物園は、10:00~16:00。
目玉のレッサーパンダ、アメリカ赤リス、カピバラは、お休み中で
黒いテープで隠しています。モルモットだけ元気です。
後は、水鳥と、見沼で見られる動物や爬虫類です。
ツクシガモが1羽、寄ってきて、指を甘くかみかみしてくれました。
目が膿んで、つぶれてしまっています。飼育員さんは、他の動物の
エサやりに必死です。膿を拭きとって、消毒すればパッチリ開くのに。
大崎公園を出て、見沼代用水東縁に沿って北上します。
道路に赤い汁を出して実が踏みつけられているので、見上げると
クワの木が、たくさん、黒紫の実を付けていました。
1.5cmの黒紫の粒粒の実を採って、ジューサーに蜂蜜と混ぜると
美味しいジャムができます。クワ畑からのそっと出てきた農家の
奥さんが、教えてくれました。すぐつぶれて手が赤く染まるので、パス。
ここもサイクリングやジョギングをする人が、爽やかに行き交います。
新見沼大橋有料道路をくぐって、北上します。
「現在地」は、かなり北まで来ました。
さいたま市には、見沼を中心に、龍神伝説がたくさん、あります。
赤い●の位置がおかしいけど、No.14の左甚五郎の竜を見に行きます。
本来なら、No.3くらいの位置です。
見沼代用水東縁を東へ渡って坂を上ります。
するとすぐ、緑区大崎2378に、曹洞宗の国昌寺があります。
戦国時代の開山で、開かずの山門があります。
山門欄間に、左甚五郎(日光東照宮の猿を彫った名工。全国に
彫ったと言い伝えられる幻の大工)が彫って、
があります。
江戸中期のもので、棺を担いで入ると中の遺体を竜が食べることから、
山門は、竜を彫って封じ込め、開かずにしました。脇から入れます。
さいたま市指定有形文化財です。
国昌寺本堂です。中に、宮中から書の指南に呼ばれたという
2世文竜の書いた軸物があります。市指定有形文化財です。
国昌寺を出ると、見沼代用水東縁は、大きく東へ蛇行します。
この辺りが、昔の見沼の面影をよく遺していると言われています。
歩いていくと、後ろからホーホケキョとハッキリした声で
ウグイスが鳴きます。こちらも口真似で答えると、またすぐ、
ホーホケキョと返してきます。3回応答し、まだ自分だけで鳴いていました。
代用水東縁の湾曲が終わると、870mの八丁堤の端に出ました。
八丁堤を壊して、利根川からの代用水を東と西に分けたんでしたね。
ここは、緑のヘルシーロードの起点に近いです。
振り向くと、1990~1991年にかけて市民からの寄付、約7億
1,600万円で取得した埼玉みどりのトラスト1号地、竜の森でした。
11,336㎡あります。ホーホケキョの土地もそうだったんですね。
東に坂を上るとすぐ、緑区南部領辻2944に、1577年開山の
総持寺があります。この山門の鐘桜門だけが当時のものです。
総持寺本堂です。代用水へ向かう斜面に650株の牡丹が植えられて
いましたが、開花を終わり、刈り取られていました。
八丁堤だった見沼大橋で、芝川を代用水西縁に渡ります。
ここが、見沼田んぼの今回の折り返し地点です。午後2時を回りました。
先を急ぎます。
代用水西縁です。
ここから南へ代用水西縁を通って、氷川女體神社へ向かいます。
緑区宮本2-17-1に、1667年に4代将軍家綱が命じて建立させた
氷川女體神社があります。
創建は、実在の最初の天皇、10代崇神天皇が出雲大社から勧進したと伝わる、
2千年以上の歴史を持つ古寺です。
武蔵国一ノ宮と言えば、大宮氷川神社ですが、古来より一ノ宮氷川神社は
三社ありました。中川の中氷川(現中山)神社と、この三室(みむろ)の氷川女體神社
も加えた三社が一ノ宮氷川神社です。御沼(見沼)を御手洗(みたらい)として一体です。
新田開発までは、見沼は神沼として存在し、12㎢の広大な沼地でした。
そしてこの三社は龍神伝説で結ばれ、奇跡的に一直線に並んでいる光の道です。
大宮氷川に夏至の太陽が沈み、氷川女體から冬至の太陽が昇ります。
関東では、夫婦が対峙する寺社形式が多くあります。
・大宮氷川神社(須佐之男命スサノオノミコト、夫)
・中氷川神社(大己貴尊オオナムムチノミコト、子)
・氷川女體神社(奇稲田姫尊イナダヒメノミコト、妻)
階段を登り切った鳥居から、本殿を臨みます。
巫女さんから、田植えを教わる子供。泥を触ったことがなく、
「稲苗の根をもって、しっかり泥の下まで突っ込むんだよ」と
言われても「えー、本当にこの中に手を入れてもいいの?」でした。
巫女さん人形は、社務所で1200円でした。
願いが叶ったら、人形に着物を着せて、お礼参りをして、
この社務所の脇の処に収めるのです。かなり女性の願いが
叶っています。強力な女性のパワースポットです。
ご神木は、暖地性常緑広葉樹のタブノキです。クス、タブ、シラカシが
茂る社叢は、市の天然記念物で、埼玉県の「ふるさとの森」にも指定さ
れています。ここらへんではめずらしく、北限に近く、神に守られています。
タブノキのコブを近くで見ると、熊の顔に見えませんか?
祭祀は、見沼に座す女神に対して行われてきましたが、1727年、
新田開発により不可能になり、沼に小山を築き池を掘り、見沼に
見立て1729年から磐船祭として斎行されました。跡地も見つかりました。
注連竹が多数発見され、祭場遺跡として復元されています。
2001年より、磐船龍神祭は、復活しています。
唱歌に「案山子」(かかし)が、1911年、女體神社の神官を辞した
武笠三によって、作詞されています。
往古は、同等、勢力も同じ夫婦神社でありながら、家康から大宮神社
は100石、氷川女体は50石の寄進と差別しました。明治では大宮は、
宮城の四方拝の一社にまで格が上がり、氷川女體は、郷社止まりです。
案山子に擬して地の利を生かして精力を延ばした大宮氷川神社の祭祀を
批判していると思われます。現在、大宮は参道だけでも40分かかり、初詣
は210万人です。一方、氷川女體は、江戸中期の修復のままで雨漏りしています。
本来の案山子は賢い神なのに、不遇をかこち「歩けない案山子」の哀れさ=
知りながら何もしない関係者、「聞く耳を持たない案山子」への苛立ち=
真実の声を聞こうともしない執行者を、皮肉っているとも思えるのです。
午後3時を回りました。氷川女體神社に時間を取られました。
見沼代用水西縁をの一本道を急ぎます。
急に、ドボンと用水路から跳ねる物がりました。80cmを超える
鯉です。あわててシャッターを切りましたが、向こう岸の中頃に
背を見せて遠ざかっていきます。見沼の竜神様の励ましと思い、急ぎます。
国道463号線まで戻り、JR東浦和駅まで、商店街の見沼台通りを
行きます。途中、緑区東浦和7-24-27に、2010年オープンの
蕎楽房一邑(きょうらくぼういちむら)という手打ち玄そば屋があります。
11:30~14:00、17:00~20:00。月休。
一番人気は、野菜9品が付く野菜天せいろ1850円。少し前までは
1500円だったのに。
道の反対側、緑区東浦和4-32-18に、2016年オープンのカフェ併設
ケーキ屋、マイドゥーブルがあります。10:00~18:00。不定休。
うちランチ11:30~14:30。予約048-716-6589。
フルーツタルトケーキ518円。
おやさいランチプレート1000円要予約。
緑区東浦和5-18-9に、800年頃、慈覚大師が開山と伝わる天台宗、
清泰寺があります。慈覚大師作の十一面観音立像は、12年に1度、
開帳(次回は2024年)されます。市指定有形文化財です。
武田信玄の息女・見性院は、1622年没後、こうして葬られて
います。
少し見にくいですが、十三重塔の下にずらっと351基並ぶ、
庚申塚が圧巻です。
JR東浦和駅発16:46に乗ります。
17:10新秋津駅着。これから西武池袋線へ約380m5分、歩きます。
ぞろぞろ列を作って早足で歩いている人が、西武線秋津駅へ吸い込まれて
いきます。
17:16発まであと1分。乗る前に、西武ライオンズのユニフォーム
を着た客がたくさん降りてきました。日曜で試合があったんだね。
石神井公園17:33着、自宅着17:43。シャワー、うがい、洗濯。
ずっと待っていてくれた文鳥の新太郎君に、「帰ってきたよ」と挨拶、
先に雨戸を閉めて、2時間、一体感を持って遊びました。羽替わりの
時期なので、頭も背も毛羽立っています。7月になれば、きれいになります。
前日、冬場の庭の落ち葉を竹ぼうきで掃きまくり、70ℓビニール袋
11個、燃えるゴミに出しました。一家3袋までなので、分散して
並べました。
春先、トノサマガエルらしいのが、庭先でグググと夜になると、
メスを求めて鳴き続けていました。近所に池のある家はもうないし、
ダメだと思っていました。
夏日に水着で池の底に腐敗した、落ち葉を掻きだしていたら、
底の方でピクピク動きまわるのを発見。バケツで洗ったら、
生まれて初めて自分の池で見るオタマジャクシです。
蛙の精子で、金魚は全部、腐ってなくなっていました。真夏日が
5月17日、18日と続き、夏日も7日あったので、腐敗したのでしょう。
丈夫な姫和金を補充しました。3㎝@128円、送料込@324円×5匹。
また、長いのを、読んで下さり、ありがとうございます。
お疲れさまでした。
ちゃちょも、余裕をもって今朝全部書いたんだけど、ミスで
全削除。一から全部、やっと真夜中直前に書き直せました!
ゆっくり、良い休日を取られてください。
すぐ新しいブログの記事が受け取れるように、フォローしてね。
皆、元気でね。じゃ、またね。