復興庁 監修委員に就任
復興庁より監修委員を拝命しました。
復興庁では、被災三県の復興を発信するため、特筆するべき復興事例を選定しています。
その事例収集に関する監修委員を拝命しました。
3.11の直後に、ボランティアで行なった講演活動が、そもそも私の地方貢献のはじまりでした。
それまでは東京の中小製造業ばかりを支援していたのです。
けれども、宮城の数ヵ所を訪れたことによって私の目は開かれ、地方の持つ課題と悩みが見えてきました。
そこからです。
全国の商工会・商工会議所様、中小企業団体中央会様などで、マーケティングのノウハウをお伝えする講師として登壇するようになりました。
2011年からはじめた講師活動は、500回超を数えます。
また、中小機構では販路開拓コーディネーターだけでなく、震災復興支援アドバイザーも拝命。
結局、被災三県に足を運んで当地企業からご相談を受けたり、取材させていただく機会にたくさんめぐまれました。
そうした活動が評価されての、今回の下命かと思います。
委員は、4名。
東北学院大学 教授 柳井雅也氏(座長)
東北大学 教授 福島 路氏
レオス・キャピタルワークス 藤野英人氏
そして、弓削です。
藤野氏は、ワールドビジネス・サテライトにコメンテイターとして出演されていますね。
数回の委員会を経て、がんばった会社さんが選ばれます。
その結果も楽しみです。
ご無沙汰しております
相当、投稿に間があいてしまいました。
楽しみにしていてくださった方にはたいへん申し訳ありませんでした。
こんなに記事を書かなかったことはブログをはじめて以来、なかったことです。
なぜ、書けなかったのかといいますと、別にたくさんの文章を書かなければならなかったからです。
今年の春に出版した「顧客は展示会で見つけなさい」では、あたりまえですが相当量の文章を書かなければなりませんでした。
その他の文章を書く気にならなかったのですが、それでもがんばってブログも書いてはいました。
執筆が終了しますと、こんどは本業以外の書籍の販促や出版パーティなどで多忙になりました。
おかげさまで書籍が好評で、売れ行きも好調です。
有名な何人かの書評家の方が高評価をしてくださったり、Yahoo!トップニュースに掲載されたりで、出版社さんにも売上を褒めてもらいました。
加えて、出版のおかげで本業のほうも多忙になりました。
「展示会のセミナー講師をお願いしたい」というご依頼が毎日のように入ってくるのです。
そしてその後、じつは4冊目の出版が決まり、すぐに執筆にかからなければなりませんでした。
その本の脱稿は9〜10月であり、いまはまさに佳境です。
ホントに別の文章を書くまでの気力が回りません。
ちなみに、最新刊はキャッチコピーの書き方の本です。
来年の1月に発刊となる予定です。
また、近づきましたらお知らせいたしますが、キャッチコピーに悩む人への最終回答となるような内容をめざしていますので、どうかよろしくお願いいたします。
ものづくりのルーツ、刀剣
「弓を削る── 」
先祖はものづくりをしていた弓削です、武器ではありますが。
日本における刃物の名産地は新潟県燕市、岐阜県関市などがあげられます。
新潟・佐渡で講演をしたときは、「海外からの注文をさばききれない」という刀鍛冶の方にお話を聞きました。
また、燕市でいまは鋭利な爪切りを生産している諏訪田製作所にお邪魔して工場見学をさせていただきました。
諏訪田さんの工場の第一印象は「黒」です。
工場の外も内もすべて黒。
展示会で諏訪田製作所さんのブースを見かけることがあれば、ブースも黒いことに気がつくでしょう。
統一されたブランディングなのですが、ではなぜ黒なのか。
もともと諏訪田さんは鍛冶屋から発祥しています。
火の熱量を知り、火花の行方を把握するために、鍛冶の作業場は真っ黒に塗られていたとのこと。
そのルーツが、いまのブランディングに通じているわけです。
あの本田宗一郎さんの祖父は刀鍛冶であって、本田さんは生涯、鍛冶のことを語って飽きることがなかったといいます。
日本の刀鍛冶の製造技術は平安から鎌倉時代には確立していたようです。
そして、刀に対する信仰、文化的価値を見出していたともいわれます。
同時期に、朝鮮などでは刀工の名前一つ残っていないのに対し、日本では何百という優秀な刀工の名前が記録されているのです。
室町時代に下ると、刀剣は中国へと輸出される重要な産物となっていきます。
つまり、当時の先進国であった中国よりも高品質な刀を生産することができるようになっていたということなのです。
歴史研究で知られる磯田道史氏は、これを「日本が世界最高の技術水準に達した最初のアイテム」と表現しています。
すなわち、世界最高品質へと磨かれた刀剣の道は、ものづくり立国・日本へと続く歴史街道であったわけです。
いまも、テレビのバラエティ番組では「日本刀VSライフル銃」のような対決企画もありますね。
日本刀に対して芸術品としての価値を見出す傾向は、以前にもまして強まっているのかもしれません。
いわば、鑑賞に供するための美術刀剣── 。
現代はこれを愛する女性も増えているのだそうです。
なんで[メルカリ]なんだろう
近々、株式公開されるといわれているメルカリ。
ネーミング方面の興味から、なぜ[メルカリ]と命名したのだろう、と思っていました。
「メル」はなにかファンシーな響きがします。「カリ」は、借りるでしょうか。
なんでも借りられちゃう「めちゃ借り」が、かわいらしく「メルカリ」になったのでは? などと想像していました。
ところが、調べてみましたら、メルカリとはラテン語で「商売をする」という意味なんですね。
ちゃんと語源がある。でも、売買サービスなのに「借り」という響きはどうなんでしょう。
たまたま成功したからよかったものの、失敗していたら「ネーミングのせいでは」と指摘されかねないワードです。
さて、このメルカリを提供している会社は社名もメルカリですが、もともとは「コウゾウ」という社名でした。
メルカリの成功を受けてサービス名と同じに社名変更をしたのです。
以前、ブランド名を社名にしてしまった大手企業の記事を書きましたが、ベンチャー系、IT系の企業もブランド名、サービス名を社名にしてしまった会社がたくさんあることに気がつきました。
コイン → クックパッド
CFO → freee
ゴクロ → スマートニュース
NHN japan → LINE
ギャラクシーエージェント → AKIPPA
ジェイド → ロコンド
ロケットスタート → nanapi
EC studio → ChatWork
フューエル → ウォンテッドリー
ウェルセルフ → ココナ
ウェブッテネット → クルーク → ピクシブ
TopNotch → Retty
イー・マーキュリー → ミクシィ
こう見てみると、ヘンな社名が多いと感じるのに対し、サービス名称はなじみがあるだけでなく、意味が何となく伝わるワードになっているなと思います。
ところで、シリコンバレーなどアメリカには、起業家に社名を提案するクリエイターがおり、1社あたり1万ドルから2万ドルほどを請求します。
かのマーケティング先進国では、社名の重要性をじゅうぶんに理解しているということです。
しかし、上記の事例を眺めても、「起業のバタバタのなかで暫定的に決めたのでは?」と思わせられる社名が多いのも現実。
であるなら── 。
ある会社が適当な社名をつけて走り出してしまったあと、複数あるブランド名称のなかで、成功したもののネーミングを社名に据えよう、と最初から考えるのもひとつのやり方です。
成功の理由はネーミングだけではありませんが、結果的に多くの人に理解されて受け入れられ、記憶してもらえたということは事実。
ヒット商品のパワーに引っ張られ、会社全体も浮揚していくに違いないのです。
展示会の時代が来た!?
新刊、「顧客は展示会で見つけなさい」が上梓されてから一か月と少しが経過しました。
顧客は展示会で見つけなさい 弓削 徹 著 1,944円
インターネット販促がレッドオーシャン化し、営業マンによる売り込み──飛び込みやテレアポがお客様にも社員にも敬遠されるようになった今、第三の販路開拓ルートである展示会が注目されている。
そのような現況を背景に書いた本なのですが、このことを実感している社長さんや担当者さんがどれほどいるのか、は読み切れない部分でもありました。
しかし、いざ発刊されますと、予想以上の反響をいただけていることに気づかされました。
(その対応のために、このブログの更新も滞ってしまうことになりました)
毎日のように講演のご依頼が入るようになり、商工会議所や県庁のご担当者様から「展示会出展を推奨しているため、早速、買いました」とのご連絡もたくさんいただいています。
本の紹介記事はなんとYahoo!ニュースやグノシーにも掲載されたのですが、記者さんによると、「展示会というキーワードがこんなにバズるとは思いませんでした」とのこと。
私などが期待した以上に「展示会」に対する関心は広がっていたのですね。
もちろん、本の内容に対する評価が高くなければならないのは最低限の前提です。
展示会に出展するノウハウを統合的に書くだけでなく、マーケティングの原理についても実践的な知識を含んでいますから……。
その点では、著名な書評家さんたちが高評価をしてくださっているうえ、アマゾンのレビューも星が多いようで、安心しております。
こうした反響を受け、版元さんである日刊工業新聞社さんも営業担当の方々が力を入れるべく動いてくれているそうで、ありがたい限りです。
などと、書いている今日も、なんらかの展示会が東京ビッグサイトや幕張メッセなどで開催されています。
時を同じくして、「初めて展示会に出ることに決めました」という支援先企業も3社ほどあり、よいタイミングだったのではないかと感じているところです。