科学者のいろいろな逸話、最近はあまり語り継がれなくなってきているのか、エジソンがタマゴをお腹で暖めてかえそうとした、みたいな、昔なら普通に知られていた逸話(その真偽はともかくとして)が、知られなくなってきています。
ということで、以前、スギさんと科学者の逸話を集めて、なんらかの形で伝えたいね、という企画を考えたことがありました。
そのときびっくりしたのが、あのカミナリから電気をとらえた、という逸話で有名なベンジャミン・フランクリン。逸話が多すぎる!
いったい、どんな人だったんだろう・・・と唖然としました。
まあ、ぼくたちが調べた逸話を、ごらんください。原典のわかるものは示してありますが、二人でああだこうだと集めているうち、原典がわからなくなってしまったものもあります。ご容赦下さい。(と思っていたのですが、集めた逸話の中で重複するものを省き、やはり原典のあやしいものを除いていったら、アシモフ先生の本のものばかりになってしまいました。おそるべし、アシモフ先生!)
なお、物理学上の業績としては、電気の流体説を唱え、プラス、マイナスという言葉を電気に用いたのがフランクリンです。
では、ベンジャミン・フランクリンの逸話をどうぞ。今回はアシモフ先生の本に書かれている豊富な逸話から、ベンジャミンさんの人となりがわかるエピソードを選びました。
◆多才な人フランクリンは、アメリカ独立宣言の文章を手伝わせてもらえなかった。ジョークをもぐり込ませるのではないかと警戒されて。(アシモフの雑学コレクション)
これがいちばん印象の強い逸話じゃないでしょうか。すごい。さすがアシモフ先生、おいしい話題を逃がしませんね。この文章だけで、フランクリンの人となりがうかがい知れます。
◆フランクリンによる避雷針の発明は、自然現象に対する科学の初の成果だった。その二年後にリスボンで地震があったが、ボストンの牧師の何人かは、神の怒りを防ごうとしたことへの天罰だと公言した。(アシモフの雑学コレクション)
うーん、こういう発想はキリスト教保守大国のアメリカならでは、ですねえ。
そういえば、晩年のエジソンさん、神の存在に関して本音をぽろりともらし、ひどいバッシングを受けましたね。こういう感覚は、日本人にはちょっとわかりません。宗教が生活の一部、思考の一部(ひょっとしたら、大部分かも)になってしまっている人たちの言動は、中世にガリレオたちを弾圧した人たちの言動に通じるものがあるのかなあ・・・
さらにおまけをひとつ。
質問:歴史上、一番遅れて「魔女狩り」を行った国を挙げよ。
さて・・・
答は、アメリカです。
ヨーロッパの魔女狩りが収まったあと、アメリカでは百年ほど遅れて魔女狩りが行われました。
◆フランクリンは凧での雷雲からの電気実験で有名だが、きわめて慎重にそれをやった。あとでまねてやった人は、二人とも感電死した。(アシモフの雑学コレクション)
これはわりと知られた話ではないかと思うのですが、いかがでしょう?
ベンジャミン・フランクリンがこの実験をしたのは1752年。ライデン瓶を知ってこれが使える!と発想したのでしょうね。
タコを揚げてそれにカミナリを落とし、その電気を雷電瓶に蓄えるという発想もすごいのですが、ベンジャミンさんは危険回避のため、感電しないようにきちんと対処したのですね。それをおこたった(おそらく、電気についての無知のため)人が感電死したということでしょう。
とはいえ、ファラデーが電気の場の理論を提唱したのは、これより1世紀あとですから、電気の正しい知識はまだ確立していない時代です。
フランクリンは、慎重にやったとはいえ、命がけの実験をしたといえます。
◆フランクリンは、電気は流れであると考えた。過剰から不足へと、電流が動く。どっち側が多いのか、調べようがなく、確率は半分と、勝手に方向を決めた。 それははずれで、現在でも配線図では、マイナスの極からプラスの極へと流れることになっている。(アシモフの雑学コレクション)
電流はプラス極からマイナス極へと流れますから、最後の一文は間違っているのかな、と思ってしまいますが、これは少し付け足すと意味がわかるのではないでしょうか。
「それははずれで、現在でも配線図ではマイナスの極からプラスの極へと流れることになっている」→「それははずれで、現在でも配線図では(本当は)マイナスの極から(本当は)プラスの極へと流れることになっている」
でも、やはりわかりにくいですね。訳者は星新一なので、じゅうぶん内容はわかっていたと思います。
この最後の文を文意を生かしてわかりやすく書くなら、少し長くなりますが、こんな感じになるのではないでしょうか。
「それははずれで、現在配線図では、電池のプラス極からマイナス極に向かって電流が流れることになっているが、ほんとうは、負電荷の自由電子がマイナス極からプラス極に向かって流れている。もし、フランクリンが電子の電荷をプラスと決めていたら、電流は電子の流れと一致し、今の電池のプラス極はマイナス極となり、マイナス極はプラス極となるので、電流はやはりプラス極からマイナス極に流れることになる。そして、電荷を運ぶ実態である電子の流れは、電流の流れと一致する」
このように、電荷のプラスマイナスを思い切って全部変えてしまうという選択肢もあるのですが、現在、科学ではその方法は採用されていません。理由はカンタンで、すべてプラスマイナスを定義し直すと、膨大な訂正が必要となるからです。
それよりは、本当は電子は負の電荷を持っていて、電流の向きと思われているのとは逆向きに移動しているんだよ、と但し書きをつける方が、時間的あるいは経済的な問題を最小限に抑えることができます。
なお、ベンジャミンさんの電流に関する貢献については、アシモフ先生の『科学と発見の年表』に詳しいので、この逸話に関連する部分を要約して紹介しておきます。
*** *** ***
1747年、フランクリンはデュ・フェーが唱えた電気二流体説を否定し、電気は一種類しかなく、それが過剰にある状態と不足した状態に区別できると考えた。フランクリンは過剰状態の方を正電気、不足状態の方を負電気と呼ぶことを提唱した。フランクリンは勝手に推測して正負の区別を行ったが、後にそれが間違いであることが明らかとなった。(『科学と発見の年表』より要約)
*** *** ***
こちらの文章だとおもしろみには欠けますが、電気のプラスマイナスの歴史としては、より正確です。
◆上半分と下半分の度の違う遠近両用の眼鏡を初めて作ったのは、ベンジャミン・フランクリン。(アシモフの雑学コレクション)
すごいですね。最近の技術かと思っていましたが、この時代にもう生まれていたとは・・・!
ベンジャミンさん、すごい!・・・あなどれないです。
◆ゆり椅子の発明者は、ベンジャミン・フランクリン。(アシモフの雑学コレクション)
こういうトリビアは、どこから手に入れるんでしょうか、博覧強記のアシモフ先生。
すごすぎます。
それにしても、ベンジャミンさん、なんでもかんでもやっていますね。
◆フランクリンは、アメリカの国鳥を七面鳥にしたかった。鷲はものをくすめる、不道徳な鳥と思っていた。(アシモフの雑学コレクション)
ここは、前後の記事と比べると、どうもベンジャミン・フランクリンのことをさしているようなんですが、もう一人、歴代大統領の一人にフランクリン氏がいるので、どちらの逸話か、よくわかりません。でも、独立宣言の時代のフランクリンさんといったら、ベンジャミン・フランクリンなので、おそらくこれもベンジャミンさんの逸話であろうと思われます。
◆ヨーロッパで、貴婦人たちが帽子に避雷針をつけ、針金を地面に垂らして歩くのが流行した。フランクリンが1757年に出した本に、避雷針のことがのっていたため。(アシモフの雑学コレクション)
アシモフ先生はこういうトリビアも含めて書くので、油断できません。
ベンジャミンさんの避雷針の発明は、たくさんの人の命を救ったという点で比類のないものです。
避雷針という訳語が誤解を招きそうですが、避雷針は本当は「誘雷針」です。尖った金属の先端付近の電場は非常に強くなるので、空気中の分子が電離し、電流が非常に流れやすくなります。雷が落ちやすい場所ですね。(本当は「落ちる」のではなく「つながる」のですが、詳しいことはこのブログサイトの過去記事を参照されるか、web日本評論にあるぼくのマンガ「さりと12のひみつ第5話:雷のひみつ」をご覧ください)
※マンガはこちら
※マンガの解説はこちら
※静電遮蔽の効果はこちらで
※より本格的な解説はこちらで
※こちらも本格的な解説ですが、電気のそもそもの話とベンジャミンさんのお話を少々
※他のリンクも含め、最後のリンク欄にまとめてあります。
『雑学コレクション』には避雷針についてはこの程度しか書かれていませんが、同じくアシモフ先生の『科学と発見の年表』では、避雷針とベンジャミン・フランクリンについては1752年の項目のほとんどを費やして紹介されています。
その一部を要約して紹介すると、次のようになります。
*** *** ***
彼はカミナリが特定の建物に落ちやすいことに気がついた。ライデンびんをつかった経験から、びんに先の尖った針を近づけると放電が起こりやすいことを知っていたから。そこで、屋根に先の尖った金属棒をつけ、それを針金で地面につなげば、集めた電気をすばやく静かに流し出すことができる。
避雷針ははじめアメリカで、次いでヨーロッパで建物に備え付けられるようになった。人間は歴史上初めて、祈りやまじないでなく、自然の法則を理解することで、災害を回避できるようになったのである。(『科学と発見の年表』より要約)
*** *** ***
避雷針が科学の勝利の象徴として描かれています。さすが、アシモフ先生、にくいですね。
◆室内に暖炉をつくると、煙の問題が生じ、煙突が工夫されるようになった。しかし、暖炉と煙突は場所をとるし、火で暖められた空気は煙突を通って昇っていってしまうため、室内はそれほど暖まらないという問題点もあった。そこでフランクリンは、室内に鉄製のストーブを置くことを思いついた。熱くなった鉄が空気を暖め、煙はストーブから出た管を通して煙突に送り込ませばよい。このストーブは急速に普及した。(『アイザック・アシモフの科学と発見の年表』より要約)
ベンジャミンさんは守備範囲が広い。
このストーブは赤外線放射によって暖めるので、ただ火をたくだけの暖炉より暖かい。少し前まで、灼熱するセラミックなどを使ったストーブが全国の学校にありました。今は、火傷や不完全燃焼の事故を防ぐため、ファンヒーターに変わってしまいましたが。
それにしても、ベンジャミンさん、本当に万能の人ですね。優秀な物理学者であり、アメリカ独立運動の旗手の一人であり、現在のと同じタイプの図書館を初めて作った人でもあります。
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