長引く5月病と自分不信。
そんなとき彼とも別れてますますふさがってしまった。
それから一年、少しずつ、再生しながら日々に思うこと。
コミュニケーション
近所に友達が住んでいることがわかり、飲もうねなんて約束したもののなかなかかなわず。
ついに金曜の夜、飲みが決行。
そのバーは、彼女と彼女の今お気に入りの人が出会ったバーだそうで、自然とその話へ。
とりあえず、好きになる前に一度セックスしたんだという。
好きになってからは、まだしていない、という。
今度二人で遊ぶときがチャンスだと思っている、という。
彼にとって2番目の女でいいという。
と、言う彼女の顔はあまりにも晴れ晴れして楽しそうだった。
この顔は
「2番目であってもそのセックスは、それはそれで素敵なことだ」
と信じているからできる顔だなぁと思った。
彼女の、夢を語るときのような強い口調と、妄信的な感じ。
となると、言えることはないよなぁ。
「はじめに体ありきの関係になったら彼女に昇格することは難しいと思うよ?」
というキレイゴトの正論は今の彼女にとって
「クラブだなんて危ないから行っちゃいけません!」
と未成年の娘をしかるお母さんのお説教くらい、うざくてどうでもいい言葉だろうと思った。
あんまりものを深く考えない、けもの道がけもの道ゆえにキラキラしてみえる、と言う若いときにありがちな視野狭窄は、その場で誰かに何かを言われても矯正できるもんじゃないんだろうと、あきらめている。
言っても決して伝わらないだろうという、コミュニケーションへの絶望。
土曜日は友達の結婚式。
久々の友人と、式後のお茶で昔話と近況報告に花が咲く。
女同士っていいよなぁやっぱり。
下世話な子も俗っぽい子もほのぼのした子も純粋な子も、みんな根が善良でジーンとした。
その場で上記の子の話をしたら、反応がさまざまでおもしろかった。
ある子はそういう「勢い交じりの視野狭窄」を、青春だと言い、うらやましいときがあると言った。
なるほど。
なるほど。
確かに、
「そういう時期もあったけど今は落ち着いたよね~」
「あの子もあと数年したら分かるんじゃん」
というような「上から目線」で若い人を十把一絡げに断じる行為・感情のなんという生命力のなさ。
オバハン化。
オバハンというのは、年齢によるものではなくて、自分の経験を過信して自分より若い子をステレオタイプにはめるような行為をする人のことだ。
簡単にたどり着くステレオタイプは、自分の経験からじゃなくて、単にどこかで読んだ、誰かに聞いた模範解答である可能性が高い。
人の言葉だから、届かせる自信がなく、コミュニケーションにより絶望してしまうのではないか?
自分を正解だと決め付けて、相手を不正解だと決め付けて、自分の正解が届かないとためいきをつくのは、思慮深くなったからじゃなくて、考えることを手抜きしてるからだ。
影響。共鳴。化学反応。をもう一度信じてみる。
確かに、彼女からは生命力を感じる。
好きな人には好きだと言ってしまわずにはおれないんだそうだ。
生きてるなぁ。
彼女はそれでいい気がしてきた。
次に会うときまでもうちょっと考えてみよう。
傷ついたのはどっち
胸が痛む。
キレるほどのことではなかったのかも。
やっぱりイライラしてるんだろうか。
愛すべきダメ人間とでも言うべき人がいて、ゲゲゲの鬼太郎のねずみ男みたいな、ルパン三世の峰不二子みたいな、そういうトラブルメーカー的な存在。
彼女は一流企業勤務、容姿端麗、ときて、だけどプライベート(とくに酒癖)が悪く、あれやこれややらかしてしまう。
本人以外、直そうと思って直せるもんでもないので、一生こんな彼女に付き合うんだろうな、と思ってる。
いつもいつも、些細な迷惑をこうむってる。
だけど、私が厳しすぎるのかもしれない。
今日みたいな日は、ちょっとした彼女のわがままを何も言わずに許してあげればよかったのかもしれない。
私は彼女に甘えてるところがあるし、だからいつもみたいに彼女がわがままを言うのを甘えさせてあげるべきなのかもしれない。
とくに彼女が私にわがままを言うのは、疲れてるときか、酔っ払ってるときなんだから。
タクシーを捕まえながら、彼女にキレて、言いたいこと全部言って、
私のは正論だから彼女は言い返せずに、ごめんね、と言って私の名前を呼んだ。
たぶん彼女は私を引きとめようとしたけど、私はタクシーに乗って帰ってきてしまった。
たぶん、許そうと思えば許せたのに、イライラしていて、許せなかった。
いつもの彼女の甘え、いつものことなのに、些細なことなのに、私には今日は余裕がなかった。
悪いことをした。
たぶん彼女を傷つけてしまった。
彼女は仕事も、人生も、一生懸命がんばってる。
だけどさみしくてお酒に逃げたりする、彼女は弱い。
私は仕事も、人生も、なにひとつがんばっていない。
だから余裕がなくて、彼女にキレたりする、私は弱い。
自己嫌悪。
正解
あんたは、がんばってない。
がんばらないで、できない言い訳を先に探してる。
これがあるからだめ、これもあるからむり。
やるって決めたら、言い訳に使ってたむりなことも「どうにかしよう」って乗り越える方向に思えるもんだよ。
だから、がんばってみなよ。
がんばって失敗したら、それはしょうがないよ。
と、いうようなことは、よくJ-popなんかでも歌われており、もう使い古された感もあって、目新しくない。
けど、今日これらの言葉を身近な人に言われて、目が開けた。
なるほど、広く流通してる薬はたしかによく効く。
そうなんだよなぁ。
今は3つの可能性しか見えないけど、がんばって動いた先に可能性が増えることはあるはずだ。
前向きすぎる口上に乗ってる自分がダサく感じるけど、でもこれはたしかに正解だな。
意外と正解って手の届くところにあったりもするんだな。
電波
「なにかしなきゃ!!」
「なにかないかな!!」
って、あてどのないなにかを求めて心が空回ってるときにはつられて行動も空回って、魅力的なヒトやモノやコトとの出会いにつながらない。
あるお笑い芸人が行ってたけど、出会いってのはリモコンと電波なんですよー。
明確に
「8チャンネル!」
と決めてリモコンの8を押すから、空からくる8の電波を受信できる。
今の私のように
「何チャンかうつんないかな!」
と念じてリモコンを握り締めていても、なんの電波も降ってこない。
都心を散歩すると、ほんと、からからに乾いて、のどから手が出るほどなにか求めている自分に気づくのだけど。
ドアをたたかなきゃだめなんだわ!!
済州
彼の家に、jejuと書かれたお土産っぽいキーホルダーがあった。
またこんなダサいの、と思って手に取ったとき、それはハートを半分にした片割れのキーホルダーだと気づいた。
とりあえず聞いてみた。
「jejuってなに?」
「・・・え?知らない?韓国の島で、ほらなんてったっけ。」
「・・・」
「昔、韓国に行ったとき、買って、それで。」
早口で答えにくそうであからさまにあやしい。
別に、その昔に誰かと韓国に行ってハートを二つに割ったキーホルダーを片割れずつ買って半分コだねって言って分けた・・・とかなんとか、そんなおたわむれ、いまさらまったくかまわんのだよ。
ただ、それを大事に持っているところが、日常でめちゃめちゃ使うようなものにくっつけてるところが、むかつくのだよ。
その後私はなんとなくそのことについてききそびれて、だけど割り切れずに、あえて不機嫌になってみせて、不機嫌になった私に気づいてない、あるいは気づいてないふりをしている彼に異常にイライラしたのだった。
・・・という自分が幼稚すぎて悔やまれる。
絶対に、そういうのは聞いたほうがいい。
「これハート型なんだね。片割れは誰が持ってるのさっ」
と、どうせ昔のことなんだしけして深刻にせずに、ちょっと冷やかすように、やきもちをやくようにかわいく聞けたらよかったのです。
聞きたいのに聞けなかった自分のチキンさを、わざと不機嫌になることで穴埋めする「聞けない気持ちを察しろ」作戦は中2で卒業しておきましょう!
2点!
結局もやもやしたまま、帰った。
すきなんだかすきじゃないんだか微妙な彼への気持ちだけど、だから、こんな小さなことで、やきもちをやくなんて、不機嫌になるなんて、思ってなかったな。
意外と彼のこと好きなのか?
・・・っていう、この気持ちは、なんかそれっぽい漫画(魚喃キリコとか南Q太とか)でそのまんまの文章を読んだ気がして、なんかまるでオリジナルの気持ちみたいに感じられるこの気持ちだけど実は全然二番煎じで、そういうところが影響を受けやすい思春期の女の子みたいで、自分が気持ち悪い。
あと、私が気持ち悪いなぁと思うのは、
「どうして○○○な私を(恋人に)選んだの?」
という、まぁ○○○はどんなことでもいいんだけど、とにかく単純に○○○な自分を肯定してほしいというのが見え見えの、質問。
「そんなの関係ない」
みたいな前向きな答えがほしいんだろ。という。
絶対聞いてはいけない、めんどうだから。
と思ってたのに、もう、つい、こぼれて、聞いてしまった。
自分に自信がないときは、ほんとあの手この手で自信を補充しようとして、こういう姑息な気持ち悪い質問でもしてしまう、そういうところが女の嫌いなところです。
「どうして○○○な私を(恋人に)選んだの?」
聞いてしまった。
「いやそんなことないんじゃん」
という中途半端な回答。
しかも、この質問の正解は「好きになったらそんなの関係ない」なんだよ、女心を分かってねーな。
という理不尽な感情。
「じゃぁどうして○○○な男を彼氏に選んだの?」
と聞き返されて、そういう問題じゃないんだけどな、と思いながら
「でも私の場合は…」
と理論的な説明をしようとして、まぁいいや。と流した。
あ、私も正解を言えなかったや。
「好きになっちゃったからだよ」
でしょう。
あーあ、この気持ち悪い質問も、2点。
いやもう私、精密な恋愛検定みたいなものを受けたら、ほんと、ひどい点数だろうな。
7月
たのしくないなぁ、日々が。と思った。
うやむやで自暴自棄でつまらない、そんな気持ちに支配されて、いかんともしがたい。
数日前からその傾向はあった。
友達のおせっかいメールに悪態をついたり、自分勝手なところのある友達の嫌なところをあれこれ思い出しては散々にののしったり、友達からの日々の愚痴メールを心底うざいと思ったり、ふだんならなんでもないことが、急にイライラに変わり始めて、なにかしら、と思っていた。
そんな折、やさしいやさしい文章をとあるサイトで見つけてなんだか泣けてきた。
そして分かったことには、今私は誰かに頼りたいのだなぁということ。
だけど、なかなか頼れる人って私いないなぁ。
私はいつもどこでも聞き役だなぁと思う。
そもそも人の話を聞くことが好きだから聞き役ってのは趣味と実益を兼ねてていいんですけど、でも不意に訪れる
「あたしだって誰かに聞いて欲しいんじゃー」
って気持ちのやり場に困る。
どうやってどの程度の力加減で人に頼ったらいいのか、自分のことを話し慣れてないから困る。
えんえんと1時間も自分の話ばっかりしゃべりつづけられる人を、すごいと思う。
聞き手が飽きないかな?って心配にならないのかな?
最近、なにもつまらない。
彼氏のことももうなんだか好きなのか好きじゃないのか微妙だ。
なにもしてなくても、つまらないときは妙に体が疲れるもんなんだな。
7月。
一年で一番好きな月だから、もうちょっとうきうきしていたいものだけど。
とくに今夜なんて、風があって涼しくって、本当にいい夜だ。
お酒でも買ってこようかな。
マジカル・ミステリー・ツアー2
高校のとき一度来て以来の街をねりねり歩く。
散歩は、実際にするのも、テレビなんかで見るのも、どっちも好き。
ちいさんぽとか、アド街とか、ぶらり途中下車の旅とか、ああいう街散歩番組はテレビをつけてやっているとついつい見てしまう。
だけどその実、ああいう散歩番組と実際の散歩とは、まったくの別腹。
好きな理由が全然ちがう。
散歩番組で味わいたいのは、知らない街で感じる人情や趣き、いわゆる「街のあったかさ」。
だけど実際の散歩で味わいたいのはその逆で、知らない街で感じる疎外感やヨソ者感、家を思って胸が切なくなる感じ、つまりは「街のつめたさ」だったりする。私の場合。
スティングの歌で、Englishman in New Yorkてのがあって、歌詞は
I'm an alien I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York
こんなかんじなんだけど、知らない街を歩いてるときの私はまさにエイリアン気分。
そして自分がエイリアンになったみたいな気持ちで知らない街を歩くときのなんともさみしいひとりぼっちな感じが、私はどうにもこうにも中毒的にすき。
ちいさんぽの地井さんみたいに、「こんにちは~」なんてどこにでも入っていけるならいざ知らず、私は知らない街を散歩しても誰かと口をきくことなんかできないので、あるであろう人情に触れることもなく、そうして黙りこくって長いこと歩いていると、自分と世界の間に妙な違和感がでてくる。
ふだん、日常生活では自分と世界はとっても密接に信頼関係を築いていて、たいてい、裏切られない。
家から駅までの近道を歩けば最短で駅まで到着するし、蛇口を左にひねると水が出てくるし、時計が止まってたらそれは電池切れだ。
法則と経験から作り上げた常識によって、世界を疑うことなく生活ができる。
だけど、一人で知らない街を散歩していると、歩けど歩けど他人顔の建物、容赦なく暮れていく時間、コンクリとアスファルトののっぺりしたグレー、点在するうっそうと茂る緑・・・となんだか世界が妙によそよそしく、見慣れたものとは違って見え、どうもあやしくなってきて信頼できなくなり、急に違和感を感じずにいられなくなる。
向こうの角からシロクマが曲がってくるような、電信柱にくくりつけられたスピーカーから聞こえる商店街の宣伝が、人間の声じゃなく聞こえるような、なんていうかあやしいふわふわした気持ち。
それはたとえば、小さいときによく考えた
「自分の見てる赤は他の人には青に見えてるのかもしれない」
とか
「ヌ。という文字をずっと見てたらヌがヌじゃないみたいに崩壊してきた」
とか
「今すれ違った人が振り返ったらいないかもしれない」
とか、そういうふだんだったら考えもしないのに特殊なシチュエーションでのみ急に思いついて頭から離れなくなる変な考えに似てるもの。
そうこうしてるうちに妙に「世にも奇妙な物語」気分が高まり知らない街はもはや異空間。
これが私の散歩の真骨頂で、そんなときはオーガニックごはんが出てくるしゃれたカフェよりもベロア生地の椅子が昭和を髣髴させる純喫茶に入りたいよね。やっぱり。
そして散歩も終盤に差し掛かり、おなかもすいてきて夕暮れ、これからどうしようかなと空を見ると、昼と夜がせめぎあって空がものすごい奇妙なマーブル色になってることがある。
夕暮れ・黄昏の時間帯を逢魔が刻というそうだ。
うーん、さもありなん。
そんなときはもったいないので、どこにも入らずまた淡々と歩く。
マジカル・ミステリー・ツアー
コーヒーにメープルシロップを入れて飲んだらとろけそうになった。
長い一日の終わりの夜に、しあわせであるなぁ。
としみじみ。
これもコーヒーのおいしさゆえでなく、今日がいい日だったからそのせい。
いい仕事した後のビールはうまいのと同じ道理。
今日は、午後から近所の散歩をした。
初夏らしいいい天気で、猫が寝てたり犬が寝てたり。
木がうっそうと生い茂る公園でひとやすみ。
その公園は人と同じように木に存在感があって、個性があって、当たり前だけど生きてるんだなぁと実感する。
しかし、そこは一周ぐるりとまるで異空間だなぁ。
花やしき的な俗っぽい、ユニークさもあって、大好きになった。
ぽつぽつと石畳の上を歩いて、足元のありんことハトのフンに、子供のころをなまなましく思い出した。
子供のころをこんなにくっきり思い出せる場所は、なかなかない。
そのまま公園を抜けて、図書館に向かった。
途中、いい坂があった。
坂好きで有名なタモリさんに教えたくなる。
なだらかな勾配で、上り切ったあたりの右側の壁が空ごと緑に覆われている。
上りきって、その緑はなんの場所なんだろうと思ったら、旧財閥の資料館だった。
さもありなん、なアナクロな雰囲気。
今日、痛感した。
特に東京では、「うっそうと茂る緑」には魔力がある。
長く生きてる木々にはなにかが宿っているんだろうな。
図書館に着くと、中は空調を切ってあり、むしむしと暑苦しく、でも不快ってほどじゃあない。
通りすがりの棚にあった、ワールドミステリーツアーの「東京編」を読んでたら、今行ったばかりの公園のことが書かれていた。
興味深く拝読。
ワールドミステリーツアーなんて本を読んだせいで、心がミステリー色にそまる。
火曜サスペンス劇場を見た後で日本海に行くと、いつも以上にわびしさを感じ、心が探偵気分にそまるのと同じ道理。
図書館を出て、帰路。
ざわざわした心持のまま、またぞろ町に点在する「うっそうとした緑」をふらふら歩き求める。
よい加減に日もかげり、曇り空、ミステリー気分は高まるばかり。
近所のお寺で、縁日があったらしく、境内で屋台をしまうひとびとと散り始めるお客さんを見て。
まさに祭りのあと。
家に帰り、そこからは日常的な庶務・雑務におわれて時間はなんのロマンもなく過ぎ去り、そして深夜、こうしてコーヒーを飲んでちょっと今日を思い出して悦に入ったりしてるわけです。
前髪を切る
たいてい、夜帰ってきてお風呂に入る前に不意に欲求が高まり衝動的に切り始める。
10回に9回は失敗する。
あとちょっと、あとちょっと…で結果切り過ぎてしまうという古典的なアレだ。
「このミスを繰り返さないと前回誓ったのに…」
と痛感したことは、少なめに見繕って50回は下らない。
それが今夜は、10回に1回の快心の結果を出すことができた。
なんか、鏡の中の自分がかわいい気がする。
昨日、最近人間らしい生活していないな…と思いながら鏡をのぞいたときは自分に絶望しかけたけど。
今日は、久々に自分から行動して新しい輪に飛び込んで、友達と遅くまで語って、そんな人間らしい行動に心が弾む一日だった。
ん?だからか?
うん。前髪のカットに成功したように見えるのは、単純に私の髪きり技術とか運によるものじゃなくて、今日という日が私をいい表情にしてくれたせいなのかも。
