Thinking and Sinking -5ページ目

夏の終わり

秋の虫が鳴くのをきいた。

ぴ、ぴ、ぴ、ぴ

って目覚ましみたいに鳴いてる。

なんか得した気分。

夏も終わりかーもうそんな季節かー。

今年の夏は思いのこしたことないなあ。

アリバイ

「なんか私って、昔から自分がしたいこととか言いたいことをそのまま表に出せなくて、それよりも人に好かれることばっかり考えて、長いことそんなこんなしてたら自分がしたいこととか言いたいこととかなくなっちゃった気がする。」

岡村孝子のピエロって歌の歌詞みたいだなぁと思いつつ
そんなことを友達に相談した。

私は物心ついたときから
自分自身であることより、人に好かれる人間であることを
優先させて生きてきたような気がしていて、
ようやくこの年になって、そんな自分をふと、
いぶかしんだのだった。

友達は

「そうかなぁ。私の知ってる高校生のときのあなたは、確かに人のことを考えたり、人に興味を持ったりする人だったけど、だからって自分がないわけじゃなくて、自分がしたいことをしてたし、自分が考えてることを言ってたよ。あなたらしい、っていうものが確かにあったよ。」

え?そうだったっけ。

そういえば、そうだったかな。
おかしいな、いつのまに、まるっきり自分自身なんて持たない人生を歩んできたようなネガティブな記憶違いをしてたんだろ。

人は、自分に自信のないときは、
自分に都合の悪いように記憶まで塗り替えてしまうのだな。

自信のなさを裏打ちするための証拠を
記憶をねじまげて作り上げてしまっていた・・・のかも。

自分では自分のアリバイは証明できない。
これからは、そんなときは迷わず人に頼ろう。



好きになったことに間違いは無かったって思ったら嬉しかった!

ほっしゃん。のブログに、モトカノへの気持ちでこんなことが書いてあった。


「好きになったことに間違いは無かったって思ったら嬉しかった!」


うおーなんだこの36歳。
ピュアピュアじゃん。

ほっしゃん。かっこよすぎるぜ。
こんな感情、ここ数年持ったことないや。


別に、別れた男を全員恨んでるとか、憎んでるとか、もちろんそんなことじゃなしに、つまり別れた相手の質の問題じゃなく、自分の心の純粋具合の問題で

「好きになったことに間違いは無かったって思ったら嬉しかった!」

こんなまっすぐな感情、もう何年も持ったことないなぁ。







逆に、10代くらいのときはこんなこと考えがちだった。

「好きになったことに間違いは無かったって思ったら嬉しかった!」

以外にも、

「あの人のコト好きになってよかった!」
「後悔とかしてない。あの恋で私は強くなった」

とか、もう今考えるともう鼻血が出そうなアホな青クサい感情を臆面もなく考えていた。

たぶん、10代くらいが持つそういう気持ちって、実感が伴っていないただの奇麗事であって「夢は必ずかなう」とか「なりたい自分になれる」とかと同じ、

「唱えているとなんかいい気分になれるお題目」

でしかない。

実際に、何年にもわたる因果を目の当たりにした末に
「後悔とかしてない。あの恋で私は強くなった」
と実感して言っているのではなく、単にそう「思いたい」か、そう「思ってる自分が好き」か、そのどちらかだったりする。

10代はいい意味でも悪い意味でも短絡的で独善的で純粋だ。




まぁ、少なくとも私はそうだった。

だから20代後半になって。

まだまだ未熟な若輩者ではありますが、
それでも10代に比べたら世知辛い現実とか
辛酸とか苦汁とかもろもろひとなめずつしてみて、
だらしないことに気力も尽きており、
そうなってくるとまぁウカツに奇麗事を言えないというか、
奇麗事を純粋に信じ込めなくなってくるというか、
いやそもそも、
奇麗事のことなんて実はすっかり忘れてた。


「好きになったことに間違いは無かったって思ったら嬉しかった!」


こんな気持ちをすっかり忘れてたよ。


なんの不安も迷いもない10代の子が言うんじゃない、
背負うもんも人生経験もなめた苦汁も
私よりずっとある36歳の男が言う、こんな綺麗な言葉には、
思わず心を動かされてしまうよ。

でも今の私には
「いつまでもそんな気持ちを忘れずにいたい」
とは言えないけど。

実際今まで忘れてたし、今でもその気持ちにサッパリ実感はわかないし。

でもやっぱり、好きになったことに間違いは無い素敵な元恋人のことを思って

「嬉しかった!」

って思えるような36歳は素敵だと思うなぁ。




夢診断

ショッキングな夢は時々見るけど、今日は死刑執行を待つ夢を見た。

船みたいなものに乗って、死刑執行の場に向かいながら、翌朝の執行を待つという夢。

怖い、死にたくない、でも死刑になるようなことやったんだからしょうがないな、でもやだな、人が人を死をもって裁くなんて間違ってるな、などなど意外と冷静に考えて朝を待ってるところで目が覚めた。

起きてからもなんかイヤーな気持ちをひきずっていたのでなんとなく

「夢診断 死刑」

でググッてみたら、こんな結果が。


死刑
過去の自分との決別を示します。ココロの中にある後悔や未練などを一掃したいという思いがあるのかもしれません。古い考えやこだわり・苦い思いを捨て去り、非を認め反省したなら新しい自分として一歩を踏み出しなさいというメッセージなのでしょう。悪い夢と思いがちですが、過去や古い傷・嫌な自分をバッサリ断ち切るというよい意味合いをもつ夢です。


へーぇ。

案外、悪い意味でもなさそうな?

だけど夢の中で死刑を嫌がってたのは、「過去の自分と決別」するのを嫌がってたってことかな?

いかんいかん。

古い布団でぬくぬくしてたい、って気持ちはいいかげん捨てなきゃ。

死刑の夢、いい契機なのかも?



理屈っぽい私

そうやっていつも、論理論理で話すよね。

理屈っぽいよ。

私はまだ、そんなふうに考えられない。





って友達に言われた。

恋に悩む彼女。

正論で、結論を急がせる私。

「こうでこうでこうだからこうなの?」

「だからこうなんじゃない?」

こんな要領で、私が下した安直な整理は、だいぶ理屈っぽかったみたい。

全然気づかなかった。

整理してあげてる気でいた。

痛い痛い。

ふくらんだ風船を針で刺されたみたいに、私はぺちゃんこになった。





私は理屈っぽいんだってさ。

ああ、そうですか。

と開き直りたくなる、けどぐっとこらえてみる。

確かにそうかもしんない。

私はいろんなこと全部分かるって、全部整理できるって自分のこと思ってたのかもなぁ。

人の心は私の脳ではじきだした安直な整理よりもっと、まばらで、めこぼしやとりこぼし、ずれやあいまいさで混沌としてるみたい。

合ってるか合ってないか、じゃなくて、気分や感情でいろんなことがゆれるみたい。

そうだよね、黒か白か、置きたくないときもあるよね。

私は未熟で、性急で、知ったかぶりだ。

考えるだけしか能がない。





あーあ。

なんだかなぁ。

そうだったのかよ。

思ってもなかった反論を受けて、ショックだけど、反省。

分かってるんだけど。

割り切れない思いもある。

じゃぁなんで・・・ってこっちにだって言いたいことあるよ。

もうね、いろんなこと棚に上げて、ヤサグレたい気分。






ああ、でもそうか、そうだ、なるほどなぁ。

私が理屈っぽくなるのは、たぶん相手の気持ちを考えて、考えすぎて、それによりますとあなたに合ったかんがえはこれこれこうですよ、と、相手の気持ち重視で物事を理解・整理しようとするからだ。

こっちとしてはおせっかいかもしれないけど善意。

でも相手にしてみりゃ押し付けがましいことこの上ない。

あなたの気持ちはこれこれこうで、こうだからこうなのでしょう?なんて、相手の気持ちに沿って理屈をこねるうちに、私は相手の悩みや考えの道筋を「支配」したがってたのかも。

でね、今日のところの結論。

相手の気持ちを思いやるのは大事だけど、でも結局のところ、あなたはこうでこうである、なんてもってまわった理屈をこねるくらいなら、そんなんどうでもいいから「私の気持ち」を大事にしなきゃいけないんだ。

私はこう思う!に間違いはないんだから。
(最低限の礼儀や思いやりは必須だけど)

そうやって自分の気持ちをぶつける覚悟で話をするほうがいいんだ。

そうすれば、おせっかいが裏目に出たときの、こんなしみったれたショックなんか受けないんだろう。






あれ?

気づけばこれも理屈っぽくなってる。

なんだかなぁ。

ライブ

先日、ずっと好きだったバンドのライブへ行ってきた。

終わって、天地がひっくり返ってまだ元に戻ってないみたいな、自分がここにいるのにここにいないみたいな、心が自分の体のはるか上空にあるように感じられるような、そんな高揚した気持ちからずっと抜けられない。

まだ、地に足をつけたくない。


グシャッとわしづかみにされた心臓が元に戻らないように、明日は二度目の参戦。

のんき

アゴにぽつんとできたニキビが痛いなぁ。

相変わらず、雨ばかりだなぁ。

最近ちょっと太ったかも。

メールがいつも返せないなぁ。

前髪が好みの長さに伸びてきたよ。

なんでこんなに人に気を使っちゃうのかな。

心臓、小さすぎるなぁ。

湿気多いんですけど。

台風前夜の、ゆがんだ夜の雲が夏っぽくていいね。





こんな、日々のこまごまとした混沌。

といっても、
地獄の釜のような混沌ではなくて、
ごった煮のポトフのような平和な混沌。

ポトフと言えど、その混沌に身を任すのは、難儀なことですね。




昨日はグロいくらい滅入ってたけど、
今日は地元の女友達に救われる。

毎日なんだかんだでありがたい。


当たり前のものを当たり前だと思わないようにしようという当たり前の格言が、この年になるとしみじみ実感できる。

あんまりきばらず、そのまんまなかんじで。

七夕の一日

七夕の午後。

しばらくぶりに本格的な家中の掃除に手をつける。

お風呂場のゴムパッキンを歯ブラシでこすりながら、
どうでもいいことをとめどなく考える。

掃除の話でよく耳にする
「私、掃除って普段マメなほうじゃないんですけどいったんやりだすと止まらないんですよー」
っていうのはいさぎよくない言い方だ。
そんなん誰だってそうだ。
「掃除はマメにはしないです」
で止めるか、それが嫌なら
「掃除は毎日してます」
って言い切れるくらいがんばるかどちらかだろ。

そんなどうでもいい思考のおかげで、気づかぬうちに掃除もはかどる。

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掃除ついでに冷蔵庫の中身も一掃する。

ケッパーの実やレバーペーストなど、開封せずに期限を終えたビン詰めたちの中味を処分。

入れ物の空きビンはかわいいのでよく洗って、
中になにかこまごましたものを入れようかななどと考え、
けど入れるのに適したものは特に思い浮かばなかった。

このかんじ、なんかに似てる、と思ったら、
ブログになにか書きたいけど書くことが浮かばないときのあの感覚だ。

他にも日々のいろんなシチュエーションでこの
「入れ物はあるのに入れるものがないもどかしさ」
を感じているような気がした。

他ってたとえばどんなときだっけ…
と少し考えをめぐらせてみたけど、
まぁそれを思い出しても滅入るだけなのでうやむやにして流すことにした。

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掃除も一息ついた夕方、女友達から電話。
七夕ツアー行きますか、と、遠くの海まで往復6時間ドライブ。

海にも山にも特に感動するタイプじゃないけど、
なんだか今日見た海はやけにロマンチックでテンションあがった。
海辺で空を見上げたら、ひとつふたつ星が見えた。
天の川のかけらか。
ロマンチックじゃないか。

隣にいるのは素敵な彼氏ではなく古顔の女友達だけど、だからこそ、ロマンチックでいい夜だ。
今夜彼女と笑いあったくだらない馬鹿話の中味は明日にも忘れてると思う。
でも、彼女とくだらない馬鹿話を笑いあった今日の夜のことは、きっと忘れられんなぁ。

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なんか今日はよかった。

あのじわじわくるまったり感は夏の土曜の夜特有だと思う。

以前「お気に入りの時間帯とかがない」という記事 を書いたけど、今日めでたく私のお気に入りの時間帯は「夏の土曜の夕方から夜」だと判明した。

ま、たいてい社会人なら好きな時間帯は土曜の夜だろうし、特に夏の土曜の夜なんて、嫌いな人を探すほうが難しいくらいかもしれない。

でも、なんとなく「私の夏の土曜の夜」は他の人とは違う、「特別なもの」みたいな気がするんだよ。

なんて、そんなこと真剣に考える自分が、なんだかあほっぽいような、ほほえましいような、きつねにつままれた気分。

たぶんこれも夏の土曜の夜のせい?


しがらみ

私の前職にまつわる特集を組んでいる雑誌を本屋で見かけた。

その職種の最近の動向に興味を持てない自分をいさめて、「買ったほうがいい」とレジへ持っていった。




一番好きだったミュージシャンの何年ぶりかのライブが決定した。

うれしい反面、行くことが義務のように感じられるのはなんでなんだろうと思いながらチケットを予約した。




100%乗り気ではないんだけれど、じゃぁバッサリ、とは断ち切れないしがらみがいくつもある。

でもそれは、取っ払ってしまえば楽になれるのに…というような嫌なしがらみではなく、むしろ本当はいつまでも持っていたい「プライド」だったりするから、しかたないのだ。

持っていなかったら、自分が何者でもないただのボウフラになってしまいそうだから、手放さないように必要以上に強く握ってしまうもの。

ついてまわる面倒くささは、強く握りすぎた手の痛みみたいなもの。



モラトリアム人間

どうしても開かなければいけないカードが目の前にあって

この場合開くことが絶対に正義であり

だけどどうしてもその正義を行いたくない場合

人はうだうだとその決断から逃げる。

モラトリアムに、甘えてしまう。




「いつかはやらなきゃいけないの分かってるんでしょ?」

「だったらできるだけ早く動いたほうがいいじゃない!!」



と、その理論は心底正論で、心底共感できる。

だけど、その正論に共感しながらも、それでも「なにもしない」というラクな選択肢には、共感も正論もねじまげてしまう強力な魅力がある。




友達の彼氏が浮気しているようで、だけど友達はそれを確かめるのが怖いと言う。

彼の家にメイク落としみたいなものがあったけど、怖くて確かめられなかった。

彼の家に女とのプリクラみたいなものがあったけど、怖くて確かめられなかった。

と、言う。

そんなの確かめなきゃいつまでもじわじわ不安で苦しむことになるよ、つらくても今はっきりさせなきゃだめだって。

と、私は行動を促す。

でも彼女は動かないのだ。

もう、何年も。

信じられないと思う。




だけど、私はまったく同じことを、人生においてしている。

恋愛においてモラトリアムな彼女と、人生においてモラトリアムな私。

実に似ている。





動かなきゃいけないことは分かっていて、だけど「なにもしない」ほうに逃げ続けて、ズルズル先延ばしして甘え続けて、今じゃ頭に霞がかかったみたいに、なにもしたいと思えないし何をしていても楽しめない。

「どうしたらいいのか分からない」という言葉はとっても卑怯だ。

答えが出るか出ないかは問題じゃない、出なくても「分からない」と投げ出さないで考え続けるしかない。

だけどもう長いこと無気力の中から立ち上がれない。

この無気力には正体があるんだろうか?

それとも、私が作り出した勝手な幻影だろうか?





開かなくてはいけないカードを開くことを、心と頭と体が全力で拒否する。

共感できて励まされる自己啓発の本にいくら涙しても、占い師の前で心情を吐露していくら涙しても、仲のいい友達に慰められても、そういった刺激で心は何回も何回も生まれ変わるけど、結局行動に、結びつかない。

磁石が反発するように。

最近流行のプチウツとやらのせいにするのは馬鹿馬鹿しいと思う。

私はストイックな人間ではない。

甘えと言い訳と性格。

それが今の私のすべて。







では、これからどうしよう。

自分に定めたタイムリミットが迫っている。

今度こそ、守れるだろうか?

0が1になるだろうか?