コロナ禍、とにかく出かけなくなった。

以前、どう言う感じだったのか思い出せない。

 

コロナ当初は、活動的な若者は可哀想だなあと、そればかり思っていた。

夢を追いかけてバリバリ活躍しようとした矢先の子達。

都会に出て来て狭いアパートに引っ越したばかりの子。

 

でも、今になって考えると、どの世代にも厳しく可哀想だった。

 

青春真っ只中の、とにかく行動力があり行動範囲の広い若者は、

その自由を奪われて辛かったに違いない。

 

私は、家に引きこもり、このまま一生出かけなくても大丈夫なんじゃなかろうか?と思われたり、昔の友人や遠くの友人と会っていないことで、このまま閉鎖的になっていくのではないかと言う恐怖感が先に立った。

 

私よりも年配の人たちは、出かけないことで、身体を使わず筋肉が衰えて行ったり、人と会話しないことで、脳が活性化されず、病気になった人、病気が悪化した人も少なくないだろうl。

 

変化の少ない毎日。

平凡な暮らし。

 

でも、そこに少し風を送ることはそれほど難しいことではなかった。

 

先週、私は茨城の知り合いに電話して、久しぶりに長電話した。

次の日、その繋がりで千葉の友人と電話で話した。

その三日後、東京の知人から電話があり多くを語った。

その繋がりで、都会にいた頃の仕事仲間とZOOMでMTGを行い、

数年ぶりにみんなの顔を見た。

 

それだけのことなのだけど、確実に日々の暮らしの中に違う風が吹いた。

 

ザワザワと

フワフワと

ドキドキと

 

それだけのことで、誰かを想う気持ちがちょっと増え、

ご飯の支度をしている時に、にやにやしたりした。

 

そりゃあ、直接会って喋りたいけど、

コロナのみならず、遠くだし、みんな忙しいし、私は体力がないし。

今は色んなツールで、遠くの人を近くに感じることが可能な便利な時代。

好き嫌いは別として、それを使わない手はない。

 

気が滅入ったら、誰かに電話するだけで元気になれることがある。

誰かの顔が見られたら更に良い。

 

メールじゃない方がいい。

 

絶対に声を聞いた方がいい。

先日、友人の90代のお母様がコロナに感染した。

介護施設で感染者が出たので、同じフロアの人全員に検査をしたら陽性だった。そして病院に入院した。

けれど、無症状。

 

90代の方でも無症状。

でもコロナは、指定感染症。

いまだに感染したら、隔離。濃厚接触者も自宅待機。

 

ウクライナから戦争裁判の映像が流れてきた。裁判所で、つまり室内で、誰1人マスクしていなかった。取材に集まった記者たちも。

 

しかし、日本では、どの映像を見ても、ほぼ全ての人がマスクしている。

なんか違和感。

 

90代の方が無症状ならば、もしかしたら私もこれまでに罹ったのではないかと疑う。濃厚接触者にならなければ検査もしないわけだし、実際、私はPCR検査なるものをまだ一度もやったことがない。ラッキーにもその機会がやってきていない。

 

先日、屋外で、ほとんど会話をしない時はマスクをしなくてもいい。ということになった。

そもそも会話しないならば、室内でもマスクしなくてもいいような気がするが…。

屋外で野球やサッカーを観戦しているサポーターたちも全員マスクをしている。マスクしている上に声を出さないでくださいと言われている。

 

結局は、はっきりしたことが言えないから、マスクしなくてもいいですよとは言えず、すごーく安全なところからゆるめていくしかないのだろうが、今の環境だと、マスクしていない人は周囲の人から睨まれること必至だ。

 

このままこの国は全員マスク着用の国になるのではないかとちょっと不安。

 

どうやってここからコロナ後に移行していくのか、全く分からない。

 今月の初旬、5月9日の戦勝記念日にプーチン大統領が何を言うかと報道されていて、一体何の戦勝記念日なんだろう?と思ってニュースを見ていた。

 結果、ナチスドイツに勝ったことを祝う日だった。

1945年、昭和20年に終結した第二次世界大戦のこと。

 その日が、いまだに、ロシアでは重要な祝日で…つまり戦争に勝ったことを祝っているわけだ。

 

 私には、違和感しかない。

 

 戦争に勝った日を祝う。

 

積極的に戦争を進めたり戦った人々にとっては当たり前のことなのかもしれない。「勝った」のだから。

 

 1991年、私はニューヨークで、凱旋パレードなるものを見たことがある。湾岸戦争で勝利したことを祝うパレードだった。

 

 たまたまアメリカ人の男性と一緒にそのパレードを目撃したのだけれど、私にはやはり違和感しかなかった。

 

 どんな理由があれど、戦争。戦争で多くの人が傷つき、亡くなり、または誰かを殺害した人もいるであろう人々が戦車などに乗って大騒ぎするのだ。

 

 「何を大騒ぎして祝っているの?」と呆れ顔の私に、

そのアメリカ人の男性は、私の言葉を理解できないと言った感じで少しムッとしたのを覚えている。

 

 戦争を知らない私が、ニューヨークにいたことで、初めて戦争後を目撃した。

 そして、今私たちはテレビの中でウクライナとロシアの戦争を毎日見させられている。

 そう、生まれて初めて。

 

 勝つためにやっているとはいえ、勝った時に喜んでいいものなのだろうか? 全く理解できない。

 

 別のある時、私は言ったことがある。

「この世界に男性がいなかったら、戦争なんて起こらないのにね」

 その場にいた日本人男性が答えた。

「この世に男性がいなかったら、経済はこんなに発展しなかったって言いますよね」

 

 その通りだと思う。

 もう、経済発展は充分になされた。私はこれ以上の経済発展は望んでいない。

 戦争も望んでいない。

 

 ウクライナに思いを馳せる時、ただただ、体が震えるほどの恐怖を感じるだけだ。

 何が欲しくて、何のために…

 

 家族や子どもを守るために男性は武器を手にして戦う。

でも、

 女性は、子どもを守るために武器は取らないのだ。

 ただ、子どもの上に覆いかぶさるだけだ。

数日前NHKのパーフェクトプラネット第二回(火山)を見た。

「パーフェクトプラネット」は素晴らしい番組で、録画しておいて、1つずつ楽しんで見ている。

その回の、フラミンゴの雛鳥の顔が忘れられなくて、思い出しては毎日泣いている。

 

簡単に書くと、

50万羽のフラミンゴの幼鳥が、親たちが待つ水のあるところまで5キロメートルの旅をする。

途中、天敵が現れる。

群れからはみ出た弱い子たちが天敵にやられる。

それとは別に、泥にまみれて羽も体もぐしょぐしょになり、もう歩けなくなり、

諦めてうずくまり亡くなっていく幼鳥がアップになる。

その子の遠くを見た目が忘れられない。

こうやって文章を書いていても、思い出しては涙が止まらなくなる。

 

50万羽の幼鳥と一言に言っても、大きさが倍くらい違うのが存在するのだ。

だから小さい子はついていけなかったり、

ついていくために、大きな幼鳥に踏み潰されないように群れの外側を必死で走り、

そして群れから少しずつ離れて行くので天敵にやられてしまう。

 

そもそも、どうして幼鳥にそれほどの差があるのか。

それは、弱い親は巣作りをする場所を得るのに時間がかかり遅れたり、元々親が弱いから子供も弱いのだと考えられる。

そして、まだ生まれて間もない小さな幼鳥も、他の幼鳥たちと一緒に旅立たなければならない。

 

もう!どうして親たちは先に飛んでいっちゃうのよぉー! って思ってしまう。

 

それが野生の世界。弱肉強食の世界。

 

だから、嫌い。

悲しすぎる。

 

今、我が家の庭でも鳥たちが巣を作り、雛が生まれ、毎日せっせと餌を運んでいる。

時々、雛が旅立たずに、何者かにやられた後が残っていることがある。

私は庭でべーべー泣くことになる。

 

辛すぎる、野生の世界。

 

強いものは、弱いものを守り、手を貸すとか助けるとかすればいいじゃない!!!!

と思うけれど、

野生の世界のルールは全く違うから、弱って見すてられた雛を助けても何にもならないことも頭では分かっている。

 

そういうのをテレビでも見せつけられて、実は生まれた時期が単に遅いということ、

人間で言う、早生まれみたいに小学校入学時だとすっごく差がある状態。

そのことが理由で群れから取り残されてしまう、あの小さいフラミンゴの幼鳥が私の脳裏から消えないのだ。

 

せめて人間社会だけは、そういうことがないように。

強いもの、余裕のあるものが、そうでないものたちに力を貸せるように。

そういう心と仕組みが必要だ。

人生の勝ち負けだって、ほとんど運の差だ。

ついていたことで得たプラスαは、ついていない人たちに還元して、きっと数字では表せない徳を得るのだと思っている。

 

それにしても涙が止まらなくてブログが書けない。

フラミンゴのあの顔は、あの目は、私の脳裏から、もう消えていくことはないのだろうか…辛すぎる。

ロシアが隣国ウクライナに侵攻。

侵攻?

なぜ?

 

ある日突然、隣国が武器を持って攻めてくる。

それも、そもそもは、同じ国だった非常に繋がりの強い国。

 

日本は、どの国とも国境を接していないので、イメージしにくいが、

普通に、つまり、県境みたいな何にもないけれど、地図上ラインが引かれているところを超えて、

軍事侵攻。

 

これは、戦争ですよね。

いまだにロシアのウクライナ侵攻という言われ方をされることが多いけれど。

 

多くの女性や子どもたちは国外に逃げて難民生活を強いられている。

若くて戦える男性は国に残り、ウクライナのために戦っている。

 

そして、国に留まった多くの市民が亡くなっている。

それも悲惨なやり方で、

ロシアの戦争犯罪?

 

わああ、言葉がよく分からない。

全部、戦争ですよね。

戦争になると、人は常軌を失う。

それが、戦争。

 

アメリカは、ウクライナを助けるために参戦はしなかった。

なぜなら、そうすることは、第三次世界大戦になるから。

その代わり、多くの西側諸国が武器供与という形でウクライナを支援している。

そしてロシアに対して制裁を次々に科すという形で攻撃している。

 

それしか方法がない…

それが、戦争。

 

本当に恐ろしいと思います。

ある日、どこかの国が軍力で攻めてくる。

誰も助けてはくれないのです。

自国を守るのは自国民だけです。

私は、信州の畑で野菜を作っていられればそれだけでいいのに。

 

 

 

2022年冬ドラマ (1月から3月に放映されたテレビドラマ)

 

 

今回チェックしたドラマは【恋せぬふたり/ ミステリと言う勿れ/ ドクターホワイト/ ユーチューバーに娘はやらん!/ ファイトソング/ ムチャブリ!わたしが社長になるなんて/ ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○/ ケイ✖️ヤク/  真夜中にハロー!/ となりのチカラ/  しもべえ/  愛しい嘘~優しい闇~/  妻、小学生になる/  シジュウカラ/  おいハンサム!!/  逃亡医F/  もしも、イケメンだけの高校があったら/  鹿楓堂よついろ日和/  生きて、ふたたび/  鎌倉殿の13人/  真犯人フラグ真相編/  DCU/  スナックキズツキ(計23作品)(鎌倉殿の13人は対象外)】

 

 ドラマの傾向としては、なんだか感情の分からない人が増えている。好きが分からない。または、感情を表情に出すことができない人が増えている。そんな登場人物が随所にいました。これが今の社会現象でしょうか? 

 相変わらず、原作が漫画のものに、職業漫画家が多い。世の中こんなに漫画家がいるの?っていう割合になってしまっている。  

 

 

 

2022冬   MYアカデミー賞

 

 

作品賞  おいハンサム!! (フジテレビ)

 

(次点:ファイトソング(TBS)  妻、小学生になる(TBS))

ファイトソングは、初回とラスト2回以外はとても素敵で、絶対この作品…って思っていたら、ラスト2回が残念な結果でした。

妻、小学生になるも素敵なドラマでしたが、憑依していたという流れと(←これは仕方ないのだろうけれど)やはり最後に1日だけお母さんが戻ってくると言う流れ、その1日の過ごし方が出来過ぎというか無理というかでした。

つまり終わり方はそのドラマの印象として重要ということです。

おいハンサム!! は、全体に面白く、最終の2回は最高でした。ドラマの中が結構バタバタとしていて、意図的に演出的にそういう作りなのだろうなあと思いつつも、少しバタバタ感が否めない。

 

 

主演女優賞 毎田暖乃  (妻、小学生になる)

 

この子がいなければ、この作品そのものが成立し得ない、素晴らしいキャスティングでした。

当初、体の小さい中学生が演じているのだろうと思っていたら、本当に小学生で、その開き直った存在感とでもいうのでしょうか、素晴らしかったです。逆に子どもに戻った時に作っている感が出てしまっていましたが、そちらは本物の小学生ということでOK

 

 

主演男優賞 間宮祥太朗  (ファイトソング)

 

この人は、とても明るい方のようですが、こういう影のある役の方がはまっています。

 

 

 

助演女優賞 藤原さくら   (ファイトソング)

 

今回は、素晴らしい助演女優賞候補が居並ぶ中、この子は凄いですよね。大好きな役者です。多分、心の中にたくさん蠢くものがあるんでしょう。どのセリフにも厚みがあります。テンポや音といった演技技術はもちろんのことです。人との距離感がいいですね。

 

(次点:佐久間由依 武田玲奈 MEGUMI (おいハンサム!!) 上戸彩(となりのチカラ))

 

 

 

助演男優賞  宮崎吐夢(シジュウカラ)

 

こちらも今回は素晴らしい助演男優賞候補ばかりで非常に悩みました。なんかごく普通に嫌な夫という、対外的にはっきり文句は伝えられないものの、そこら辺にいる感じの嫌な夫役、素晴らしかったです。

 

(次点:高杉真宙(おいハンサム!!) 三浦優斗(愛しい嘘~優しい闇~))

 

 

 

気になる役者   當真あみ(妻、小学生になる) 田中俊介(妻、小学生になる)

         片山友希(ムチャブリ) 大倉空人(ムチャブリ)

         高橋文哉(ドクターホワイト) 林晃平(その日のまえに)

 

実は、この中に、前回気になる役者に書いた人が2人もいました! ずっとドラマを見ていて、最後に名前を調べるまで同一人物とは気づかなかったのです。やっぱり素敵だし、好きな役者さんなんだと感じます。そして、気づかないほど印象が変わっていたなんて、更に好きです。

 

 

 

脚本賞  該当なし 

 

(次点:岡田惠和(ファイトソング) 山口雅俊(おいハンサム!!)

 

タイトルバック賞   ファイトソング

 

主題歌賞  スタートライン (ファイトソング)

 

キャスティング賞  おいハンサム!!   

          妻、小学生になる

 

演出家賞  大九明子(シジュウカラ)

 

(次点:山口雅俊(おいハンサム!!))

 

 

ドラマの感想(敬称略)

 

【おいハンサム!!】

 主演の吉田鋼太郎は、小劇場で活躍されている時に大好きな役者さんでしたが、映像ではちょっと芝居(存在?)がうるさすぎる。と残念に感じていたのですが、今回は魅力的な女優を4人家族に従え、バランスの良い役でした。

 キャスティングが素晴らしかった。長女を演じた木南晴夏は、空気を埋められる役者です。セリフに厚みがある。次女佐久間由衣は、スタイルだけかと思ったら、彼女らしさのままこんなに自由に面白く演じられるなんて感動です。3女武田玲奈は、色っぽい女優さんで、今回も若さと色気が微妙にバランスしていました。他の役者も素晴らしく見える人が多く、これは脚本の力だと思います。例えば、高杉真宙、今までのなんだか可愛らしい爽やかな年下の男の子のイメージと違って、微妙に気持ち悪い男を素晴らしく演じていました。

 時々脈絡もなく挟まれるシーン。父親と三姉妹の同時進行している日常を描くためには、その脈絡を書いていると時間を使い過ぎるのかと思います。だから、単に差し込まれても、その後に生かされている限り、良い編集だと思いました。しかし、時々、あのシーンは必要だったのだろうか?と思うことも。原作で面白かったところを捨てきれなかったのか?使いきれなかったのか?

 分かりやすいところでは、隣の主婦(今HPチェックしたら藤田朋子の名前がないのだけれどどういうことでしょうか?)が毎週1シーン出てくるのだけれど、あのシーンは、関わっている母親MEGUMIに効果を生んでいない。となると、面白いシーンでなければ意味がない。と感じた。面白くなるかなぁ?と期待してみてはいたけれど、笑えることはなかった。

 MEGUMIが毎朝見送る時に発する変な「いってらっしゃーい」はラストにきちんとオチがあったのにね。

 こんなに面白くて、サザエさんのようにずーっと続けられそうなドラマが8話で終わってしまって残念です。つまらないのに10話とか2クールとかやる番組と入れ替えていただきたい。

 色々考えさせられる内容が満載でした。

 

【ファイトソング】

 初回がつまらなくてどーしよーと思っていたら、2話からずーっと楽しみになり、ラスト2回は、いまひとつでした。岡田惠和脚本で期待し過ぎたかなぁ? 

 今回も登場人物が問題を抱えているので、ハッピーエンドのラブストーリーというのは最初から予測ができました。それが分かっていて見た最終2話だったからかなぁ? それにしても芦田が花枝に伝えたいことをみんなの前でやるっていうのは、やっぱりいただけない。慎吾が花枝に打ち明けた時の花枝の台詞も嫌だった。でも、それ以外は、さすが岡田惠和、セリフが時々とっても素敵でした。少したっぷりすぎるキライはあるけれど、最近。

 間宮祥太朗は、こういう影のある役の方があっていますね。それで後半性格がストレートになったくだりからあまり素敵に見えなくなってしまったのかなぁ?

 とにかく、ラブストーリー好きの私は、2話から最終話の2年後の話以前まではとっても楽しく拝見させてもらえてハッピーだったわけです。何が問題なのか、心の中のモヤモヤが全く説明できないほどに楽しんだわけです。やっぱり私の期待し過ぎが問題なのかなぁ? 2年後に行く前までは、絶対にこれが作品賞だったのだけど……。

 

【ムチャブリ!わたしが社長になるなんて】 

 とても面白いとか、次が楽しみとか、目が離せないとかではないけれど、TVドラマとしては十分に楽しめる作品でした。

 脚本:渡邊真子 話の展開が素晴らしいとかではないけれど、セリフの1つ1つに気を配っていることが感じられて好きです。最終2回は結構笑えたし、ラブストーリーとしては素敵なシーンがいくつかありました。

 山田真歩演じる深山という社員の言葉遣いが、3話あたりから突然変わったように感じたのは、私の聞き逃しとしても、語尾を捨てることに非常に違和感がありました。多分、これは脚本家が意図した通りに演じられていなかったのだと思います。語尾がきついからこそもっと丁寧に語尾を使わないとおかしなキャラになってしまいます。

 高畑充希の衣装がなかなか鮮烈で楽しみにしていました。そして髪型が格好良くて毎週チェックしていたのだけれど、高畑充希って頭の形が西洋人並みにめちゃくちゃ良いことに気づきました。

 どっちの男性と上手くいくの?っていうラブストーリーの展開が、最終的には、イケメンで仕事のできる年下男子が支えてくれるという、ある種理想の形になり、これってもしかして最近の白馬の王子?と感じさせられました。志尊淳が美し過ぎる。徹底的に2枚目を貫いて欲しい男優のひとりです。

 

【妻、小学生になる】

 アイデアが素晴らしいのは原作が漫画ならでは。それでは、これを単なる夢物語に終わらせずに感動させるためには…。当然、お母さんはいなくなるのだろうから(でも小学生の彼女に18歳になったら結婚しよう!っていうのは良かったなぁ)彼女が小学生の体を借りて戻ってきたことで、周囲の人たちが変わらなければならない。ダメダメだった父親と娘と弟が変わる。そして体を借りたマリカの母親も変われたことが良かった。

 けれど、最後に1日だけ戻ってくるところが出来過ぎというか…。

そもそも死んだはずの母親貴恵が戻ってくる。誰だって愛した人を亡くした人は、その人にもう一度でいいから会いたいと心の中で望んだことがあるはずだ。けれど、もしもその人と再会したら、再びあの辛い別れを経験しなければならないということ。それを更に更にもう一回やるか…。

 そして1日という期限付きの場合、何をするか。このドラマでは、貴恵の夢を叶えてあげることにするのだけれど、貴恵の夢が、MYレストランを持って美味しいものを作って喜んでもらうことだったとしても、結果として数時間で素敵なレストランを作り、彼女が働くという形になってしまうことが…どうにも納得できませんでした。

 森田望智が、やっと普通の役でいい役でレギュラー。田中俊介、當真あみ、そして毎田暖乃、楽しみな役者さんがたくさんキャスティングされていました。

 

 

 

さて、その他は、短めに

【ミステリという勿れ】初回素晴らしいセリフのやりとりだったので期待していたのに、次のバスジャックの話がサイテーの脚本で(登場人物に均等にその人の話を盛り込み喋らせるという最も長く感じさせてしまうやり方)そのあと、結構グロイ話もあり、つまらなくなった。最終回の手紙の謎を解くようなああいう話になると、普通の大学生らしくていいと思うのだけれど、それだけではドラマにならないのかしらん? それにしてもあの特急列車(新幹線?)の車窓を照明で飛ばしてしまった作戦はどうなんだろう? 確かに大阪から名古屋の景色をずーっと流してもうるさいけれど、もう少し窓の写り込みを少なく短くしてくれれば許される範囲なのかな? あの照明ではまるで現実世界の電車ではないみたいです。【ドクターホワイト】は浜辺美波を可愛く写しましょう大会でしょうか?彼女のファンが見ればいいドラマです【ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○】普通に面白いのに、楽しみでもなく、役者もそれなりに魅力的なのに、特に記憶にも残らない。TVドラマなんだから、このくらい楽に楽しめる範囲でいいんじゃない?って感じでした。でも瀬古凛々子の子役は、顔は似てないのに、すごーく似てて良かった。【愛しい嘘~優しい闇~】波瑠のキャラ変化していますよね。当初は、冴えない子でした。そして後輩を筆頭にめちゃくちゃ人に憎まれるキャラって、その人にも問題があると思うのだけれど、結局はモテキャラ?に変わっていた。演出ですかねぇ。キャラ(役作り)が極端すぎる。【真犯人フラグ】最初は、事件の被害者がネットによって加害者のように扱われるという社会性を持ったドラマに見えたのですが、途中からはグロいし、ごちゃごちゃだし、ただ煽っているだけだし、辛かったです。どうしてこんなドラマを2クール出来るのか、視聴率が取れているのか? 以前やはり2クールやってつまらなかった【あなたの番です】っていうドラマを彷彿とさせました。辛かったので、途中からテキトー見なので、細かく感想は書けないのですが、なんとなく、(なんとなくですが)演じている役者さんたちが毎週新しい台本を読むたびに「えーっ!」って驚いているような。出演者である役者を驚かせなくて良いです。例えば、田中哲司は、最初から自分が犯人だと分かって全てを演じていたのか?っていう疑問が…。それ分かっていないと役は演じられないですから。でも真相編で、十分に話の辻褄を合わせていた感じはしました。つまらなくても最後まで流し見していたのは、ひとえに一部の役者の力です。私は久しぶりに民放連ドラ出演の宮沢りえを見るためだけに最終回まで頑張りました。ふぅー、頑張りました、私。【となりのチカラ】一言で言うと、雑な作りのドラマでした。初回だったかな?横断歩道を渡るチカラの後ろに停車している車を編集で差し込む必要があったのだろうか?繋がらないのに。ナレーションが、あの猫ですって言ったと思うんだけど、チカラの心の声になったりする。つまりご都合主義。マンションの住人もただ個性だけでバラバラに集め、仲良しになるはずがない。その人たちの問題を解決したら、妻が突然の家出。家出に根拠がなさすぎる。認知症の症状もあまりにもご都合主義で忘れたり思い出したり。マンションのセットも、部屋の雰囲気をそれぞれ変えるのは美術の力だけれど、台所の流しの向きが変わるマンションはなんて。脚本、演出、遊川和彦のせいでしょうか? 遊川さんの脚本以前は好きだったのになぁ。気づけば【シジュウカラ】について何も書いていませんでした。不思議な空気感のあるドラマでした。演出が感じられる。ただ、実はまだ最終回を見られていないのです。

私は、何処かの企業の社員になったことがない。

そして、今後もなることはない。

若い頃は色々アルバイトをしたので、事務職のアルバイトもしたことはある。

でも、時給で働くアルバイト。

 

この度、村の役場でお仕事をさせて貰った。

私の特技を活かせる、有線放送の仕事。

時給で、週3日、1日3時間というバイト、と思っているのは私だけで、

役場のお仕事なので、つまり公務員業務なので、

バイトではなく、会計年度職員という、なんだろう?契約社員みたいな感じでしょうか?

 

そもそも担当の人が急に辞めて困っていたところ、コロナ禍とっても暇にしていた私に振って沸いたようなお仕事だった。

小中学校時代の放送委員気分を思い出し、楽しんで、次の人にバトンタッチするまでの短期契約。

それでも公務員なので4月から1年間の契約。

その契約が今月末で切れて、晴れて退職となった。

 

私としては、何度も言うようだけれど、短期のバイトみたいなもの。

でも、お仕事ですからしっかりやります。

無遅刻無欠勤は当たり前、仕事内容も(一応こちらは喋りのプロなので)完璧に近くやり遂げたつもりです。

 

最終日、仕事を終えて帰る時、なんとなんと花束をいただいてしまった。

そして総務課一同に見送られてしまった。

花束を胸に、職員一同、起立で見送ってくださるなんて、まるで定年退職みたいじゃないの。

そしてなんとなく感無量に。

(私にぴったりの美しい花束。そしてそれをチェックしたついでに負けじと美しい顔をこちらに向ける於市の方)

 

仕事している時は、ストレスも文句もそれなりにあったのだけど、

私は単なるバイトだから…と、どこ吹く風。

なんにしてもいつまでと決まっていることは頑張りやすいのです。

こうやって辞めるとなるとなーんにも問題はなかったかのように、

喪失感だけが強く心に残る。

 

そして思ったんです。

定年退職される方の気持ち。

産まれて初めて直線的に考えてみたのです。

ドラマなどで時々見かける定年で退職される方を見送るシーン。

花束と感謝の辞が贈られ、去っていく寂しげな60男。

 

たった、一年強働いただけでも、心がジーンとしてしまうのに、

学校を卒業後、ずーっとその企業で働いてきた方にとってのその日は、

どれほど胸に熱く、そして重く存在することか…。

 

私は、ほんのちょっとだけそんな気分を味合わせていただいた幸せ者ですが、

第二の人生に踏み切る決心もなく、

ただ、その年齢になったからという理由だけで会社を去る人の気持ち。

それを暖かく見送る人々がいるだけに辛いその気持ち。

 

そんなことを想像できただけでも、嬉しいドキドキの日でした。

 

明日から、また畑を耕す日々に戻ります。

「おにぎらーず」という食べ物を知っていますか?

私が知ったのが遅くて、もうすでに周知の食べ物なのかもしれません。

 

先日、近くのデリで食事をしたら、テイクアウトメニューに「おにぎらず」というのがありました。

コロナのお陰で、多くのレストランがテイクアウトを始めてくれたのは、

とてもラッキーなことです。

コロナが収まってからも是非続けていただきたい!

 

さて、「おにぎらーず」

作り方はいたって簡単。

一枚の海苔の中央にご飯と具を入れて折り紙のように海苔を折って包むだけ。

半分に切ったりするので、作り方によってはとっても綺麗なご飯サンドができるので、

握らなくていい分作るのは楽だし、

色々なものを入れて楽しむことができる。

 

先日、「おにぎらーず」に合った具材をチェックしようとネットで検索したら、

やっぱり「おにぎらず」という表記だった。

 

そもそも私がこれを知ったのは、小川糸さんの本からで、

彼女が「おにぎらーず」と呼んでいる料理だったのに、

もしかして、今は、「おにぎらず」という料理として知名度を得つつあるのでしょうか?

 

でも、「おにぎらーず」の方が良くない?

なんか可愛いし、怪獣っぽいし、呼びやすい。

私だけどこに行っても「おにぎらーずください」って言い続けても大丈夫かなぁ?

単に間違えて覚えてるおばさんって思われちゃうのかなぁ?

先日、香港から絵葉書が届いた。

香港⁈

香港から手紙が届くのは初めて、誰だろう?と手紙を読む。

なんとなく、香港の空気が一緒に贈られて来た気分になる。

 

私はしょっちゅう手紙を書く。

そのお陰で、結構手紙が届く。

手紙が届くと、差出人を見て、何か重要な要件と判断しない限りは、そのままテーブルに置く。

そして、雑用が終わって、お茶を入れて一服出来る時に、ゆっくりと手紙を開く。

 

手紙を読む時間は数分間。

でも、読み終わった後に、しばらく書いてくれた人とその周りの空気が私の周囲にただよう。

手紙によってはそれから数日、その人のことを想う。

 

映画やドラマ、本の世界もそうだけれど、

そこに書かれている事実を楽しんでいるだけではなく、

その空気感、世界観を楽しむ。

そしてインパクトのあるものは、その世界観が数日残り、

私はその空気の中に居ることを愉しむ。

 

それは実は手紙を書いている時も同じである。

書くのは少々時間がかかる。

私はキーボードを叩くので手書きよりは早いが、

数十分間、ずーっと相手のことを頭に思い浮かべている。

その時間が貴重なので、私は手紙を書く。

 

日常のささやかなきっかけで、旧友のことを、または旧友とのある出来事(思い出)を思い出すことがある。

それが素敵な記憶だったりすると、すぐ手紙を書くようにしている。

最近は特に。

素敵な気分を相手にも届けたいのだ。

あとで後悔しないように、いますぐ。

結局書けないで終わってしまわないように。

 

コロナで会えなくても、出かけられなくても、

私の思考を止められるものは何も存在しない。

私は、大好きな人のことを想う時間、それをきちんと言葉にして手紙にしたためているだけだ。

 

良かったら…、ちょっとその気になったら、

手紙を書いてみてください。

文字にすることは素敵なことだし、

それを相手にきちんと伝えられた方が価値があると思う。

相手に迷惑?なんて考えない。

だって、私は手紙を受け取っただけで幸せな気持ちになれるから。

 

メールやSNSという便利なアイテムがあり、

なんだか忙しない現代だからこそ、

ゆっくり想いに耽りながら手紙を書くことの素晴らしさを感じられると思います。

そして、もうひとつ、

日本の郵便料金の高さも痛感できると思います。

 

 

 

 

私の相撲人生は(TVで相撲を観戦する人生)千代の富士が横綱に上り詰める頃に始まり、貴乃花とりえちゃんの婚約破談で終わりました。

幸せそうに手をつないでの婚約記者会見から、一転の破談。

それは仕方がないとしても、その後、貴乃花は日本相撲協会に守られ表に出ず、芸能人の宮沢りえちゃんだけが表立って対応しなければならなくなった。

それが許せないのは…私の性格です。

こんなことが時々あります…。

 

さて、その中断していた相撲人生が再スタートしたのは、2016年。

私が原村に移住した年のことです。

その年、長野県出身の御嶽海が初めて三役になり、長野県が盛り上がっていました。

毎夕、長野県のニュースでは、長野県出身の御嶽海の取り組みが流れます。

否が応でもだんだん詳しくなっていくわけです。

 

これは、田舎に来て初めての経験なのですが、長野県に住んでいると長野県出身の人のニュースがたくさん耳に入ってきます。

長野県出身というだけで、長野県のテレビによく登場します。

 

私が育った千葉県に住んでいた頃は、千葉県出身者というだけでちやほやされる人は稀でした。

千葉県は都会だし、人口も多いので、千葉県出身の有名人は数知れず、だからでしょうか。

 

二度目の三役昇進からほぼずーっと御嶽海は小結と関脇を行ったり来たりして、大関に一番近い力士と言われ続けていました。

その間に、何人もに抜かされてきたのです。

 

先場所の優勝で御嶽海はやっと大関を決めました。

考えてみたらこれほど長いこと三役の座に居続けたことは間違いなく力はあるということ。

この所、(怪我などの理由はあれど)今ひとつ強くない大関ばかりの中、

安定した強い大関でいてくれるのではないかと、

私というよりも、

長野県全体がめちゃくちゃ期待して、応援しているわけです。

 

本場所にも地元の人たちが大挙して応援に出向いている様子がテレビで見て取れます。

時々、応援しているのは長野県人だけなんじゃないの?と恥ずかしく思わないこともないですが、

地元の人が応援するということは、とても美しいことだと感じています。

 

スポーツ観戦大好き我が家では、

だから奇数月は、大相撲観戦があって、夕方の日程がずぶずぶになります。

でもサッカーなどと違って、何かをしながらでも観戦できる相撲は、

なかなか捨てがたい楽しみなスポーツになりそうです。