今月の初旬、5月9日の戦勝記念日にプーチン大統領が何を言うかと報道されていて、一体何の戦勝記念日なんだろう?と思ってニュースを見ていた。
結果、ナチスドイツに勝ったことを祝う日だった。
1945年、昭和20年に終結した第二次世界大戦のこと。
その日が、いまだに、ロシアでは重要な祝日で…つまり戦争に勝ったことを祝っているわけだ。
私には、違和感しかない。
戦争に勝った日を祝う。
積極的に戦争を進めたり戦った人々にとっては当たり前のことなのかもしれない。「勝った」のだから。
1991年、私はニューヨークで、凱旋パレードなるものを見たことがある。湾岸戦争で勝利したことを祝うパレードだった。
たまたまアメリカ人の男性と一緒にそのパレードを目撃したのだけれど、私にはやはり違和感しかなかった。
どんな理由があれど、戦争。戦争で多くの人が傷つき、亡くなり、または誰かを殺害した人もいるであろう人々が戦車などに乗って大騒ぎするのだ。
「何を大騒ぎして祝っているの?」と呆れ顔の私に、
そのアメリカ人の男性は、私の言葉を理解できないと言った感じで少しムッとしたのを覚えている。
戦争を知らない私が、ニューヨークにいたことで、初めて戦争後を目撃した。
そして、今私たちはテレビの中でウクライナとロシアの戦争を毎日見させられている。
そう、生まれて初めて。
勝つためにやっているとはいえ、勝った時に喜んでいいものなのだろうか? 全く理解できない。
別のある時、私は言ったことがある。
「この世界に男性がいなかったら、戦争なんて起こらないのにね」
その場にいた日本人男性が答えた。
「この世に男性がいなかったら、経済はこんなに発展しなかったって言いますよね」
その通りだと思う。
もう、経済発展は充分になされた。私はこれ以上の経済発展は望んでいない。
戦争も望んでいない。
ウクライナに思いを馳せる時、ただただ、体が震えるほどの恐怖を感じるだけだ。
何が欲しくて、何のために…
家族や子どもを守るために男性は武器を手にして戦う。
でも、
女性は、子どもを守るために武器は取らないのだ。
ただ、子どもの上に覆いかぶさるだけだ。