視力は悪くない。
最近かなり視力が落ちたことが判明し、0.9くらい。
別に生活するのには問題ない。
ただ、本は読めない。パソコンも出来ない。
だから、そういう時は眼鏡を掛ける。つまり老眼対策。

上記の通り、生活には困らないから、掃除する時などは眼鏡をしていない。
でも、時々、うっかり、たまたま眼鏡を掛けて部屋を見回すと、
あちこちが汚いことに気づく。

今朝は、レンジ周りを眼鏡を掛けて片付けていたら、
隅々の汚れが気になる。
最初は拭いていたのだけど、その内いろんなものを駆使して
隅を磨き始まる。
そして、私は実は完璧主義者だったのだ。と気づく。

切りがないのだ。
今日は、ガスレンジだけ掃除しようと思っていたのに、
眼鏡を掛けて掃除し始めると、
その周りが気になり、
調味料の瓶が汚れていることが気になり、
引き出しが気になり、
流しへ、冷蔵庫へ、
ひとつ終われば次に気になる箇所が現れる。

でも、くたびれてしまって一度にすべてを掃除することは出来ないのだ。
その内、掃除そのものが楽しくなくなってゆく。

そんな時は、眼鏡を外してしまえばいい。
途端に気にならなくなる。
というより、その汚れが見えないのだから。
そうやって年寄りの家は汚れていく。

でも体力が持たない時は仕方がない。
今日は元気で掃除するぞぉ~!という時に前掛けをして眼鏡を掛け取り掛かる。
そしてもう疲れて無理そうになってきたら眼鏡を取る。
ON OFFがはっきりしていていいじゃない。

掃除の合間に、眼鏡を掛けたままトイレに入った。
電気のスイッチ周りの黒ずみが気になる。
眼鏡を取ってOFFにする。
今日はトイレの電気のスイッチを掃除する予定はないのだ。

掃除好きの私は、汚い所を見ない振りすることはそれなりに厭だが、
眼鏡を取って見えなくしてしまうことは、結構ラッキーにも出来てしまうのだった。


昨日やっと税務署に行って確定申告を終えました!

私が青色申告を自分でやるようになったのは2007年。
その前の白色の時は、全部郵送でやっていたのだけれど、
青色になってやはり作業も増え、難しくなり
(慣れればたいしたことないんだけど新しいことが発生するたびにトラブル)
帳簿だけ作って、それ以降の入力は税務署でやるようになった。
お蔭で専門家に質問出来るのでほぼトラブルなく済んでいる。

フリーランスでたいして稼いでいない私は毎年還付金が発生するわけですが、
通常2月15日始まる確定申告だが、
還付の人は1月中旬あたりから受け付けてくれる。
当然、その方が空いているわけだから、
なるだけ早くやってしまいたい。(待つのが大嫌いなのです)
だって、毎年、年を超えるとこの作業に入り、終わるまでなーんだか気になって落ち着かないんだもの。
しかし、支払調書が全部揃わないと申告できないわけで
いつも自分のやるべきことを終えたら、支払調書が届くのを待つ。
今年は、いつになく一社が遅く、
毎日ポストを確認する日々。
やっと17日に届いたのです。
15日から確定申告なのだから、それ以前にはきちんと届くようにして頂きたい!

自分の作業で終わる仕事は、期日までにやればいいけれど、
それを受け取ってから、次の人が作業をするような仕事は、
とにかく一日も早く、一秒も早く自分の仕事を終えて相手に仕事を受け継ぐということが、
仕事の出来る人だと、私は思っている。

そもそも15日を過ぎると日々税務署は混んでくるのだ。
3月になったらもう大変なことになっている。

で、昨日の税務署ですが、
実は、いつになく作業がスムースに進んだのです。
私は今まで15日より前に税務署に行って空いている環境で作業をしていると思っていたのですが、
違っていました。
昨日が一番スムースだったのですから。
多分、理由は……
15日からみんなが申告を始め、当然税務署は大変な忙しさになる。
そのために、15日からスタッフを増やしている。
だけではなく、
明らかにいつもよりも仕事のできるスタッフを増やしていたと感じられました。

お蔭で、昨日は今後のためにいろいろ質問する余裕もあり、
またひとつ申告について詳しくなりました。
こういったことは、勉強して知識が増えれば、
無駄な税金を払わなくて済む→つまり得をする。
そもそも勉強する、知識を得るということはそういうことなのだと思います。

掛かった時間は、
かなり無駄に質問して話していたにも関わらず、1時間15分。
そして終わってからの解放感と言ったらo(^▽^)o

1月からずーっと頭の片隅にあったなんか気になる重いモノがすべて取り払われた喜びです。
更に、還付金と言う私たちフリーランスにとって唯一のボーナスが入ってくるという楽しみです。

解放感から早速遊びに行きたいと、親友にメールを送りました……忙しいと言われてしまったけど……(´_`。)

3月になると税務署は混みます。
世の中には、こういう面倒なことは後に後にしてしまう人が多いからなのだと思われます。
私は、どうせ同じことをやらなければならないならば、
空いている時に、なるだけ待ち時間を少なく終わらせたいと思っています。
待つ時間は、この場合、全く無駄だからです。
更に言うと、書類を提出してから税務署さんの仕事が発生するのでしょうから、
早くやってあげるに越したことはありません。
そして早くやれば、早く還付金が入金されます。
先にやることはいいコト尽くめなのであります。
昨日発表されたニュース

【常磐自動車道 常磐富岡IC~浪江IC間を3月1日開通させる】

という。

また福島第一原発傍の道路が開通して、

やったー!って思いますか?
それとも
怖ろしい! って感じますか?

車で通過する時は、窓を閉めて、
空気の流れも車内だけにして、
走っている途中、放射能が高い所には線量計があるので
(政府が設置した線量計の数値は正しくないと思った方がいいです)
それをチェックしながら車を走らせる。

目的地がその先にある人たちにとっては、
とっても便利になって早く目的地に着けて、
輸送コストも削減、経済効果があがる。
ラッキーですか?

でも、線量が高い地域を通過した車は、
その先で、放射能をまき散らします。
つまり福島の放射能を車に乗せて
東京や東北へ散らばすということです。

出来れば走って欲しくない。

そもそも福島県民を他県に移住させ、
福島県そのものを隔離した方がいいと考えている私ですので、
当然、通過するなんて NO! です。

国は、安全と言われる放射線量の基準値を
福一事故後どんどん上げることで、地域住民を家に帰し、
彼らの健康被害については、責任を取るつもりはないように見えます。
出荷できる食品の線量基準もぐっと引き上げられました。

放射能は怖いです。
一番の理由は、目に見えないからです。
排気ガスで東京の空がくすめば(最近は中国、北京などで映像を見るコトが出来ますね)
空気が汚れている、マスクしよう!とか
退避しようという気になれるけれど。
放射能は見えないので、その気分にならないのです。
危険だと言われても、今すぐどうとかなる変化が見えない場合が多いので
うっかりしてしまうことが怖いのです。

先日見たアメリカの輸入制限品目。
福島県産の農産物、海産物はほとんど輸入禁止。
これは想像どおりでしたが、
秋田以外の東北地方、全関東地方の
ある品目は輸入禁止になっています。
今の所、もっとも危険なのはきのこ類、そしてやはり太平洋のお魚でしょうか?

でも放射能汚染されたお魚を一匹食べたからと言って、
身体に支障を感じるわけではありません。
それが怖いです。
私のように若くない人はまだいいけれど
(影響も少ないし、寿命も少ないし)
でも子どもたちは、それを食べることで将来苦しむ可能性がたくさんあります。
その頃には、親もなく、
原発推進した政治家もいず、
それでも福一の二の舞になる原発が出ていなければ、
「安全で良かった」とこの国の国民たちは言ってしまうのでしょうか?
そして、一方では、水俣病患者たちのように
福一放射能被害者たちが、訴訟を起こしているのでしょうか?

東日本大震災から学ぶことはたくさんありました。

私たちは、今こそ、経済第一主義から、
もっと大切なモノを追い求める生活に少しずつシフトしていく時なのではないでしょうか?

昨日も東北地方、三陸沖で大きな地震が起きました。
その度に、「女川原発は異常ありません」と報道されます。
そんなことが報道されることが「異常」です。
あんなものなければ、そんな心配はいらないのです。
今、全部の原発が止まっている今。
日本は、経済的にかなり逆戻りしたとしても、正しい道を歩きはじめるべきです。

原発が、低コストなんて嘘です。
まったくの出鱈目です。

火力発電は、化石燃料のお金が掛かるのと、
地球温暖化問題のためによろしくないという人へ。
今、どんどん自然エネルギーを使った発電は、
全国的に開発され続けています。
バイオマス発電は始まったばかりで、
日本はかなり問題を抱えているようですが、
2000年から始めたドイツでは、安定供給になっています。
ドイツ人に出来て、日本人に出来ないはずがない。

原発は、何も良いモノを産みだしません。
二度と再稼働させない。
それが私たちと日本の国土を大切にする心だと思います。
第二次世界大戦下、多くの諸外国人を殺戮した軍事大国であり、
その後、1945年敗戦という形で終わった日本とドイツだが、
戦後70年の歩みにはかなりの差がある。

①そのひとつは、戦後処理。

私は小さい謝罪していないとか、戦争の賠償をしていないとか文句を言ってくるのだろう?と
疑問に思ったり、不快に思ったりした。
そして、今もなお、しょっちゅう日本は責められている。

ドイツが戦後処理をきちんとやって、日本はやっていない?
そのひとつひとつを検証するほど勉強をしていない私は、
比較することが今は出来ないのだけど、
日本の問題点について、先日読んだモノが目から鱗だったので、
ここに書きたい。

日本の問題点は(分かり易く書くと)広島と長崎に原爆を落とされたことによる被害者意識だ。

日本は、本当は戦争加害者だったのに、
あの瞬間、戦争被害者になってしまったのだ。
そして未だに、その意識が強いような気がするのだ。

IAEAの活動などを語る時いつも
「日本は世界で唯一の被爆国なのだから、核軍縮のために出来るコトがあるはず」
というコメントを何度も聞いてきた(実際私も外務省関係の仕事をしていた時TVで発言していた)
それはある種、都合のいい響きを利用しているだけに留めておけばいいと思う。
そして利用することで、核軍縮に貢献できるのならばいいと本気で思う。

日本は、近隣諸国を植民地化し、戦争下とはいえ、多くの虐殺をしたにもかかわらず、
その反省の気持ちが、少ないのではないかと思う。
その理由は、勿論教育にある。
小学校、中学校の歴史教育できちんと事実を教えられなかった私たちは、
大人になってから愕然とすることになる。

私の場合は、本当に無知で、
大人になってから、韓国の友人と話をする中で、そのズレを感じた。
無知と言うのは、恥ずかしいし、罪悪だ。
それを国の方針でたくさん作り上げられてしまった。

どんなことでも真実を知識として知ることが必要であり、それが教育だ。
更に、その事実を知った上で、それについて考え、意見交換することが必要だ。

その点で、ドイツの方がはるかに優れていたのではないかと思う。

戦争を知らない私たちが、
つまり何もした記憶のない現代の私たちが、
お隣の中国や韓国の人たちから、「あなたたちが私たちの国民(家族)を殺した!」と責められる。

国の代表である人が、きちんと頭を下げたりしてこなかったツケが、
70年経った今も続いている。

あの広島、長崎の原爆がなかったら、
日本人はこれほど被害者意識を持たずに、
戦争で酷いことを山ほどしてしまった国民の子孫という意識をもう少し持てたのではないかと思うのだ。

私は、戦争反対です。
どんな理由があろうとも、今は、戦争反対です。
(若い頃は、戦争しか解決方法がない場合もあるかな?とか思ってた時期がありました)
何故なら、戦争で解決できる問題はないからです。
問題のほとんどは、当事者同士が一緒に時を過ごし、
話をして解決していく以外に道はないと思っています。

何かあるたびに、中国や韓国が先の大戦の日本のしたことを取り上げてくる。
日本人として気分はよくない。
しかし、逆の立場に立って考えてみれば分かること。
やられた彼らにしてみれば、日本が何か(政治家の靖国参拝とか)するたびに
文句を言いたくなる。その気持ちは理解できるじゃないですか。

例えば、私の祖父母が、植民地下、韓国語を喋ることを強要され、
人間として扱われないような日々を過ごし、
相手を恨んだまま亡くなっていたとしたら……。

今年戦後70年ということで、
安倍首相は、「戦後70年談話」を出すと言っている。
出来れば出さないで欲しいと思っている。
そもそも安倍首相になる前の日本は、中国とも韓国とももっといい関係を作っていた。
彼が談話を出すことで、それがいい方向に向くと考えられる根拠が、
この政権下見つけられない。
歴史に何を残したいと思っているのかは知らないが、
かなり危険なことをしようとしているとしか感じられない。

今こそ、政府が、きちんと戦後処理が出来なければ、
私たちの子孫がまた、「どうしてこんなに責められなければならないの?」
と感じることになる。
私とは違って、戦争経験者のひとりも周りにいない若者たちが、
中国や韓国に責められる日本を見て聞いて、
いい気分がするとは思えないし、
そのことが、両国関係にいい結果を産むとも思えない。

今の政府がなんとかしなければ……と思う時に。
ダメだ、
だって、今の政府が、更に悪化させたのだから……
と首を垂れるしかない……。
家事仕事大変ですか?

私は主婦歴8年の新人で、まだまだ家事のプロとは言えません。
料理することは、自分が食べるわけですから、主婦としてではなくてもずっとやってきましたが、
主婦の大変なところは、自分の食べたいモノを食べたい時に作ればいい、わけではないところですよね。

家族の都合に合わせて、その時間に。
下手すれば、一日に何回も温めなおしたりして食事を提供する。
だから大変なんです。
一日三回、そんなことやってたら自分の時間なんかありません。

そもそも料理が好きな人でも嫌いになると思います。

そこで、毎日やらなければならないことを少しでも楽しいことに変えるために
みなさんとっても工夫されているのだと思います。

私の場合は、
作りたい時にとにかくまとめて作ります。
八ヶ岳の帰りに山ほど地元の野菜を買ってきた次の日は勿論料理の日ですし、
一週間の内、数日は料理の時間を取らないと、
逆に日々の家事が大変になる。

料理作る日は、仕込み料理からまず作り始める。
例えばカレーを煮込む。
煮込みながら、こちらで野菜を肉で巻いたり。魚を漬けたりと下ごしらえ。
そして最後に、その日の夕食の準備に入る。
だから我が家では、台所にカレーの匂いが立ち込めていても
その日の夕食はカレーではなかったりするわけです(・∀・)

以前、副交感神経のことに興味を持って調べていた時
ある知り合いに言われた言葉をずーっと思い浮かべながら料理を作ります。
会話の流れの中で彼が言ったひとこと
「ゆっくり家事をするのって副交感神経の働きにいいらしいですね」
つまり、ゆっくり家事をすることは、身体にいいのだ。
身体にいいということは、
家事のストレスをためない=精神にもいいことになる。

近年、みんな忙しくなり、何もかもせわしなくなり、
まるで時計の針が以前よりも早くぐるぐる回っているような錯覚をするが、
そんなことはない。(もちろん)
やることが増えて(または自分で増やして)忙しくなってしまっている。
でも、時間の使い方は本人次第だから、
ある日、のんびり煮込み料理を作る時間を持てることは、精神衛生上とてもいいことなのだ。
まあ、イメージしてみれば、みんな分かると思う。

そんな時間あるわけないじゃん。
とおっしゃる若い方は多いかもしれないが、
そんな時間をきちんと作れている若い方もいる。
実際、忙しい時の方が有意義な時間は作れるものだ。

だから、毎日の家事は大変だけど、
時々、今日は布団干すぞー!
今日はテレビの裏側を掃除するぞー!
今日はあめ色玉ねぎを作るぞー!
という日は、それはそれで充実した日になるのだと思う。

日々、それを楽しむことが如何に難しいか?
でもそれを実践している人が実際に存在していて、
その人たちが一番幸せを知っている人なのだと思う。
そもそも家事は、誰かがやってくれなければ、それぞれの人がやることになる。
つまり誰だって出来なければならないモノ。
それを楽しむか楽しまないかで、人生はかなり差がつくのだと思う。
「夜と霧」 ヴぃクトール・E・フランクル著 を読んだ。

アウシュビッツ強制収容所を経験した心理学者である著者が、
そこで暮らす人々を心理学的見地から書いた本です。

この本の中で、
あのような閉鎖され、自分の生活のすべてを取り上げられた辛い状況下、
人は、自分の感情を押し込めることにより生き延びる。
そうしないと生きていけない。
それが出来ない人は自死や狂気と言った方向へ行ってしまう。

そうして、生き延びた人たちは皆、長いこと感情を押さえこんでいた。

「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階は、
ほどなく毎日毎時殴られることに対しても、何も感じなくさせた」

ある日、そんな彼らに解放の日がやってくる。

収容所から徒歩で外へ出た瞬間……
「歓び!」などという感情は全く現れないのだ。

感情と言うモノは、自分で抑え込み殺してしまうと、もう現れなくなってしまうのだ。

満員電車の中、
感情を殺し、隣にいる人間を殺し、何も聞こえない、
何も感じないふりを続ける東京の多くの人たちを観察しながら、
この被収容者のコトを思い出してしまった。
勿論、全く違う。
でも……思い出してしまった。

若い人たちに演じることを教えていて、
最近よく出会うのが(もうだいぶ前からだが、)
「怒ったことがない」という人。

演技の基礎として、人前で感情を出せることはとても重要なことなので、
エチュードなどで喜怒哀楽をテーマに掲げる。
この中で、とりあえずやり易く、そして感情を爆発させやすい
<怒り>という感情。
それがうまく出来ない人と話している中で、
この「怒ることないです」という発言が出てくる。

次に、恐ろしいのが「人を好きになったことがないです」発言。
勿論、異性と言う意味の<好き>だ。
それは幼稚園の頃でも小学生でも、
そして本当に異性を意識しての中学生以降でも、
ごくごく自然に発生する感情だと思う。
自分で気づいていないだけなのか?
それとも恥ずかしくてごまかしているのか?

いずれにしても、感情は出さないとでなくなってくる。
怒りや悲しみを押さえこんでばかりいると、
その内、そういった感情は発生しなくなってくるのだ。

一人の時でもいいし、映画を見ている時でもいい、
出来れば、誰か感情をぶつけられる家族のような人がいると更にいい。
感情をきちんと出して行った方がいい。

だって<感じる>ことで人生は豊かになり、
その時の感情をストレートに出せる人は魅力的だ。

今、世の中、いろんな問題を抱えてはいるが、
戦争下に比べればすべてが自由である。
是非、自由に素直に正しく感情を出して下さい。
ウクライナ問題を解決するべく
ドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領とともに
ロシアのプーチン大統領とウクライナのポロシェンコ大統領が
内戦後、初めて同じテーブルに着いた。

ロシアのクリミア半島併合からどれだけ経っただろう?
当時は、アメリカ主導で行われていたが、
結局、遠い国アメリカを排除しての会議で結果を出した形。
15日に停戦という結果。

ヨーロッパの問題は、ヨーロッパで片付けようということだ。

アジアの経済会議にも必ずアメリカがいる。
アメリカは、世界の警察のみならず、
経済に関しても世界中で主権を取りたいようだ。
そしていつもそれに追従している日本と言う国がある。

これだけの経済大国なのだから、
アジアの経済については日本が主導権を取ってやった方が
日本は勿論、多くのアジアの国にとって良かったと思うが、
日本にはその力がない。

以前から言われていることだが、
外交力が恐ろしく劣っている。

これは日本人が全般的に議論というものを出来ないという
日本の教育、日本人の国民性によるもので、
政治家だけが外交力を持つなんてことは期待しても無理なのだろうか?

いや、そんなことはない。
政治家なのだから。
高い給料もらっているのだから。
そもそもお金が掛かる政治家は、もはや一般市民は成れない職業になってしまったのだから。
そもそもお金持ちの家に生まれ、
政治家の家に生まれ、
充分なお金で教育を受けてきたのだろうから。
なんとかしてもらいたい。

隣国、中国との領海問題にしても、アメリカが口を出してくる。
それで助かっている雰囲気の日本政府の姿も垣間見える。
自分一人では何もできないからだ。
「お隣さんの木が境界線を越えてきて困ってるだ」
と親に電話しているようなものだ。

どんな問題だって当事者同士が対面して時間を掛けて話し合うのが解決への一番の近道だと誰でも知っている。

昨日の4者会談は、時間を延長して16時間話し合ったそうだ。
一国の問題を話し合うのに、別に長い時間ではない。
でも恐ろしく忙しい国家元首4人が16時間使うのは大変なことだろう。
でも、それで結果が出たのだ。
何にも変えられない。

日本の首相も、中国や韓国に出向いて関係改善のために時間を使ったらどうだろうか?
ODAという名のお金をばらまいて、歓迎を受けて気持ちよく滞在できる国だけでなく。

お隣は近いです。
そして大切に、仲良くするべきです。


私は仕事柄、通勤時の満員電車に乗るという経験が非常に少ない。
仕事のスケジュールがランダムで、朝通勤するという訳ではないから。
それでも以前はそれなりに混んだ電車に乗っていた。
千葉県に住んでいたので、東京に向かう電車は仕方がないのだ。

それにしてもあの電車に毎日乗っていると、精神はかなり病んでくるだろうなと思う。
周りの人たちを無視することでしか自分を守り抜けないと思うからだ。

転勤などで地方勤務になった人を見ると、
満員電車の通勤から解放されて、のびやかになった人を見たことがある。
毎日往復で2時間でこぼこ
知らない人たちと押し合いへし合いすることは、精神的にいいわけがない。

今の私は、かなり車通勤になったお蔭で、電車に乗ることが減った。
それでも都心に仕事などで向かう時は、電車に乗る。
満員電車というわけでなくとも
中央線なので、帰りなどはそれなりに押し合いへし合いだ。
かなりストレスになる。
それでもたまにだから、それはそれで生活とは別の経験として楽しむ余裕はある。

先日も電車に乗った。
電車に乗ると人間観察している。
そもそもは役者だからそうしていたのだけど、
今は目が悪くなって、本を読むにもツィッターやるにも眼鏡を掛けなければならないから面倒なのだ。
それよりは、いろんな人を見ている方が目にも心にも良さそう。
最近は、半分以上の人がスマホを見つめ続けているので、
誰の視線にも邪魔されずに人間観察をすることが出来る。
イヤホンをつけて耳からの外界を遮断する人。
目は、ずーっとスマホに釘付けの人。
眠っている人。
みんないろんな意味で外界を遮断することをしている。
それを見ているのは結構楽しい。
スマホ人口がどのくらいの割合なのか?
年齢層は?男女比は?
読書する若者はどのくらいいるのか?
若者の服装からは色々学べることもある。

そして、必ず変な人、失礼な人を見かけるのだ。
電車の乗り降りの時がやはり多いかなぁ。
電車は降りる人が優先。
そりゃそうでしょ、降りないとスペースが出来ないから乗れない。
入り口付近の人は、駅に着いた時は場所を開けるべきでしょう。
それをしないから、誰かが誰かに体当たりすることになる。
その順番を守らないから、あっちこっちで不快な接触が起こる。
でも誰も何も言わない。
「痛いっ!」とか、私はなるだけ声に出して言うようにしているけど(笑)

知らない人と身体を触れ合っていることも気持ちが悪いが、
かなりの力でぶつかられ、そのまま行かれると不愉快この上ない。
その怒りを持ったまま帰宅しなければならないからだ。
ぶつけるところがない。
だから人は皆、あたかも存在していないかのようにすることでやり過ごしている。
でもやり過ごすにはやり過ごす努力が働いているのではないか?
そこにはストレスというものが少しずつ蓄積されていくのではないか?

年を取るにつれて、身体を楽にすることのために使うお金が増えた。
そのひとつが、都心と逆方向へ向かう時は「車通勤」だ。
車を運転してても、マナーの悪い人はいるし、むかつくこともある。
が、大きな違いは、
車は、どんなに失礼な人でも、接触してくることはない。
そしてむかついた時は、その度に、大声で文句を相手めがけていう事が出来る。

若い時は、学生の時は、会社員の時は、
色々な理由で電車通勤は必要だし、東京の満員電車に乗り続けなけばならない人が多いのだろう。
が、少し考えてみたら、
何かを失うことで、その通勤を辞めることが出来るかもしれない。

今年も東京の人口は増えたらしい。
大阪と名古屋の人口が減ったのに対して、東京だけが一人勝ち(本当は負け?)
一極集中はどんどん進んでいる様子。

無理な人は、我慢して頑張ってるのだから、「頑張ってぇ!」
だが、
出来る人は、
これらのストレスを避けるために
東京ではない選択を模索してみたらもう少し幸せになれるかもしれない。

幸せになるために一番必要なモノは、
今の会社の地位でも、会社から得られる給料でもないかもしれない。
一度きりの自分の人生をどうするか?
あの朝の満員電車に揺られながら、
隣の人の肘が痛いなぁ!とか考えるよりも
今後の自分の人生をバラ色にするイメージで過ごすのもいいかもしれない。
そしたら……何か違った色が見えるのかも。

先月亡くなったシュルツくんは、当初の予定では八ヶ岳の庭に埋めてそのまま土に返す予定でした。
そのまま土に返るのが、猫にとって最も幸せだというのが私の考えだからです。
でも、天気や諸事情で八ヶ岳に行くことがままならず、火葬するという結果になりました。

ネットで火葬してくれるところを探しました。
以前、車で動物を火葬することで苦情が出ているというニュースなどを見ていたので、
どうも厭なイメージがありましたが、
お寺で火葬してくれるところ限定で探し、
ま、ある種「良さそう」というだけの理由で決めたペット火葬の常憲社
なかなか良かったのでお奨めします。

江戸川区一之江にある廣済寺というところで火葬してくれます。
予約は多分30分に一組だと思われます。
駐車場もありますが、前の人がいる可能性があるので、あまり早めに来られると困るような雰囲気でした。
実は30分前に着き、駐車場で乗ったまま待っていました。
駐車場はその日は空いていました。

私の予測ですが、その日は、日が良かったので
法事などが入っていなかったのだと思います。

薦められた10分前に行くとすぐ火葬する場所に入れました。
シュルツを火葬台に乗せて、しばし別れを惜しむ間、担当の人は待ってくれたのだと思います。
シュルツを撫でると、生きている時と何も変わらずシュルシュルしていました。

それから一時間掛かりますということでお寺の部屋で待つことが出来ます。
その2階には、ペット霊園があり、待っている間に拝見しました。
ロッカー型の霊園ですが、ガラスの扉で、中に位牌、遺骨の他、ペットの写真やペットが好きだった物が
溢れるほど並べられて、1時間では見切れないほどです。
東京でペットを飼うと、その後土葬することも出来ない人が多くいるのだと実感します。
そこのペット霊園は、もちろんいつでも行くことが出来ます。
それに毎月18日には、ペットたちの合同慰霊祭もあり、無料で参加できます。

40分くらいで呼ばれたと思います。
シュルツの遺骨を骨箱に入れる前に、骨の状態を説明してくれました。
人間の時と同じように丁寧に。
更に、本人がどこが痛いとか調子が悪いとか言えなかった分、人間よりも丁寧に。
シュルツの骨が如何に丈夫だったかという事。
私の予想に反して、歯は大丈夫だったこと。
予想通り、頭の良い子だったこと。(だから人には懐かない子が多いとのこと)
その日の朝、舐めたチーズケーキも。
私が知っていることと、知らないことを話した。
その短い時間、私は誰にも懐かなかったシュルツのコトを、全く初対面の人と語り合うことが出来る素敵な時間だった。

担当の方は、必要以上に丁寧過ぎず、でも猫のコトを、私の気持ちを慮って気を使ってくれていました。
丁度良い心遣いでした。

私がお願いしたのは立会火葬というものです。
値段も他と比較して安い方でした。
お寺で待ち時間を過ごせるし、この対応なら手ごろだと思います。

紙に書かれた位牌と、上写真の遺骨と携帯用のカプセルをくれます。
カプセルの中には、シュルツの爪と歯を入れてくれています。
そしてシュルツは遺骨になって今私の前にいます。
将来、八ヶ岳の庭に納めるつもりですが、それまでは私の傍に、ここにいます。

和歌山県で、住宅街で、午後明るい時間に
11歳の男子が、刃物で多数刺されて死亡するという事件が起きた。

次の日、昨日容疑者が逮捕され、今取り調べ中とのこと。
近所の事件で、目撃者もいたので、すぐに逮捕されるだろうとは思っていた。

詳細は分からない。

ただ、問題は、11歳の男の子が殺されたという事実だ。
怨恨か?無差別か?分からない。

しかし、異常だ。
怖ろしい。

子どもを殺すということがやはり異常で恐ろしいのだ。

この国は、やはりどこか間違った方向へどんどんまわり続けている。
それは、戦後高度経済成長期を超え、
豊かになった資本主義社会全体に起こっていることなのだろう。
戦後、ずっとアメリカを追ってきたこの国は、
いつもアメリカよりはまし、という安全神話で自分たちを守ってきた。
でも、別にアメリカと比較することはない。
だって、この国はアメリカではないし、
日本人は本質的にアメリカ人とは全く違う人種。
比べることにはほとんど意味がない。

単に、この国で、小学生が、
どんな理由があろうが、殺されることは異常なことなのだ。

それをきちんと感じて生きていかなければならない。