「夜と霧」 ヴぃクトール・E・フランクル著 を読んだ。

アウシュビッツ強制収容所を経験した心理学者である著者が、
そこで暮らす人々を心理学的見地から書いた本です。

この本の中で、
あのような閉鎖され、自分の生活のすべてを取り上げられた辛い状況下、
人は、自分の感情を押し込めることにより生き延びる。
そうしないと生きていけない。
それが出来ない人は自死や狂気と言った方向へ行ってしまう。

そうして、生き延びた人たちは皆、長いこと感情を押さえこんでいた。

「感情の消滅や鈍麻、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階は、
ほどなく毎日毎時殴られることに対しても、何も感じなくさせた」

ある日、そんな彼らに解放の日がやってくる。

収容所から徒歩で外へ出た瞬間……
「歓び!」などという感情は全く現れないのだ。

感情と言うモノは、自分で抑え込み殺してしまうと、もう現れなくなってしまうのだ。

満員電車の中、
感情を殺し、隣にいる人間を殺し、何も聞こえない、
何も感じないふりを続ける東京の多くの人たちを観察しながら、
この被収容者のコトを思い出してしまった。
勿論、全く違う。
でも……思い出してしまった。

若い人たちに演じることを教えていて、
最近よく出会うのが(もうだいぶ前からだが、)
「怒ったことがない」という人。

演技の基礎として、人前で感情を出せることはとても重要なことなので、
エチュードなどで喜怒哀楽をテーマに掲げる。
この中で、とりあえずやり易く、そして感情を爆発させやすい
<怒り>という感情。
それがうまく出来ない人と話している中で、
この「怒ることないです」という発言が出てくる。

次に、恐ろしいのが「人を好きになったことがないです」発言。
勿論、異性と言う意味の<好き>だ。
それは幼稚園の頃でも小学生でも、
そして本当に異性を意識しての中学生以降でも、
ごくごく自然に発生する感情だと思う。
自分で気づいていないだけなのか?
それとも恥ずかしくてごまかしているのか?

いずれにしても、感情は出さないとでなくなってくる。
怒りや悲しみを押さえこんでばかりいると、
その内、そういった感情は発生しなくなってくるのだ。

一人の時でもいいし、映画を見ている時でもいい、
出来れば、誰か感情をぶつけられる家族のような人がいると更にいい。
感情をきちんと出して行った方がいい。

だって<感じる>ことで人生は豊かになり、
その時の感情をストレートに出せる人は魅力的だ。

今、世の中、いろんな問題を抱えてはいるが、
戦争下に比べればすべてが自由である。
是非、自由に素直に正しく感情を出して下さい。