もう一ヶ月前のことになりますが、芥川龍之介の『奉教人の死』を読みました。
 本作を選んだ理由はよく覚えていません。


 正直言って胸糞悪い作品でしたが、3読目を見つけてから面白くなってきたので、解説めいたものを書いていきます。

 読み始めた当初の twitter には、だいだい以下のような感想を残しています。
 

 

■1読目 2020/03/26


『奉教人の死』芥川龍之介 1918
芥川を読んぢまった。読了はしたけど1500m走 全力した感じで今日はもうダメかもしれない。

感想は、
しめおんが、クソ野郎過ぎる。

しめおんと傘張りの娘の愛も素晴らしいと言う感想もあるけれど。
牛頭は違う。

なぜなら。
冒頭で、「ろおれんぞは少年でござった」と虚偽を語ったからである。
虚偽と言うよりも、世間の認識をそのまま書いている。
たとえば「ろおれんぞと傘張りの娘が対等」というのも、世間の認識をそのまま書いたものっだからである。

語り手は、皮肉屋であり告発者。
そして意図的に読みにくい文体。

その先にあるものは、なんだ?

語り手は、
【何を伝えてたくて語ってるんだ?】

ろおれんぞが如何に純粋であっても、しめおんがクソ過ぎる。

タイトル通り、愚かさを告発するだけか?

本作はつまらない。
 

 

■2読目 2020/03/29

数日後、2読目をしました。
twitter には、こう残しています。


『蜘蛛の糸』と『奉教人の死』は同じ1918年の作品だけども。
文体「その作者にみられる特有な文章表現上の特色」
といったものを見ることができるだろうか。

作者は、目的に応じて文章表現を使い分けているだけではないだろうか。

 

『蜘蛛の糸』
  ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂おいが、絶間なくあたりへ溢ふれて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。

 

『奉教人の死』
  去んぬる頃、日本長崎の「さんた・るちや」と申す「えけれしや」(寺院)に、「ろおれんぞ」と申すこの国の少年がござつた。これは或年御降誕の祭の夜、その「えけれしや」の戸口に、餓ゑ疲れてうち伏して居つたを、参詣の奉教人衆が介抱し、それより伴天連の憐みにて、寺中に養はれる事となつたげでござるが、何故かその身の素性を問へば、故郷は「はらいそ」(天国)父の名は「でうす」(天主)などと、何時も事もなげな笑に紛らいて、とんとまことは明した事もござない。


『蜘蛛の糸』は、青少年向けに書かれた作品で、芥川はこういう平易な文章表現ができる。
もう一方『奉教人の死』は、三田文学(慶應義塾大学文学部雑誌)に向けた作品である。

作中の『れげんだ・おうれあ』はでっち上げだし、
「ろおれんぞ」を悼むなら「しめおん」こそ非難されるべきなのに不問にされている。


要は芥川は読者を試している。

肝心なところに気づくかどうかを問いかけ。
気づかない者には、わざと「安土桃山時代の京阪地方の話し言葉」などと言う読みにくい文章で、読者を虐めている。

芥川は、純文学の人ではない。

 

 

■読感の悪さ

 物語がよくないですね。
 娘を妊娠させておいて、他人に責任を擦り付ける話 でしょうか。
 現代のモラルと相性がよくないですが、大正時代の当時でも同じだったのではないでしょうか。

 青空文庫で読むことはできますが、おススメしませんよ(笑

◆『奉教人の死』 - 青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/49_15269.html


 要は。
 しめおんは、傘張りの娘に妊娠させておいて ろおれんぞに責任をひっ被せて。
それでもろおれんぞは、火事の中から赤ん坊を救い出して、命を落とすわけですが。
 奉教人たちは、肝心なことに気がつかない。赤ん坊の種とは しめおんであることに。
また語り手も、それを明確に指摘しない。


 こうした「物語の悪さ」や「肝心なこと」に気がつけば、読み終えたといえるのかな。ハテサテ



 2読目のツィートでは、むしろ「文章表現のいやらしさ」に文句を言っています。
 文体のことではありません。

 文体とはなんでしょうか。
 世間ではよく「純文学とは文体」などと言われます。
 芥川龍之介賞の選評では、文体が重視されているようです。



 まず牛頭は、文体というものを信じていません。

 「文体」と特殊な言葉を用いなくても「文章表現」でいいのじゃないでしょうか。
 それほど高級なものではなくて、作文技術かと思います。

 絵画で言えば、西洋画も日本画も描ける。
 楽器で言えば、ピアノもバイオリンもこなせる。

 まずこのレベルの話ではないかと考えます。




 「文体」をコトバンクして、意味は明確にしておきます。

◆【文体】 - コトバンク

https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E4%BD%93-128581
 

ある特定の個人,時代,流派などの言語表現を特徴づける様式。
<ブリタニカ国際大百科事典>

その作者にみられる特有な文章表現上の特色。
作者の思想・個性が文章の語句・語法・修辞などに現れて、
一つの特徴・傾向となっているもの。スタイル。
<デジタル大辞泉>

語句・語法・修辞などにみられる、その作者に特有な文章表現。
<大辞林 第三版>


 「作者の特有」というところがポイントです。

(これは、「芥川龍之介賞は新人賞」である事実を考えると、一種の皮肉になります。

 ネコをはじめて見た人は、「ネコの特徴はシマ模様だ」と言うことはできませんし、したとしても間違った特徴です。

 ある1作だけを取り上げて、その作家を特徴付ける文章表現だと、見出すことは不可能であり、間違っています。

 複数の作品を見なければ、「特有」はわかりません)


 1918年の同じ年に。
 芥川は、一方で『蜘蛛の糸』、もう一方で『奉教人の死』を書いていて、
芥川特有の共通した文章表現を見ることは困難です。
 どちらでも書けるということでしょうか。

 もう一歩進めれば、
 『奉教人の死』の読みづらさは、芥川ならではの表現の仕方ではなく、芥川のイタズラかもしれません。

 

 ところで、3読目の入り口を見つけたので、このシリーズを始めました。