読んだり観たり聴いたりしたもの -91ページ目

好きっていいなよ。/葉月かなえ

続いて消化マンガ。

主人公は女子高生橘めい。小学校の頃イジメに遭い、他人に絶望し、16年間、彼氏も友達も作らずきた。
高校でも陰気ないじられキャラとして扱われ、一方のめいも、そうしたバカどもと交わる気などさらさら無かった。
あの日までは。

いつものからかい半分のちょっかいに、珍しくキレためいの回し蹴りが炸裂。しかし、ターゲットを逸れた踵は、学校一のイケメンモテ男、黒沢に誤爆。こんな奴見た事無いと、度肝を抜かれた黒沢は、めいに激しく興味を抱く。めいに近づき、携番を渡してなれなれしくしてくる黒沢に、めいはドギマギしながら困惑半分。
そんな折、バイト帰りに怪しいストーカーにつきまとわれて動けなくなっためいは、一縷の望みで黒沢へ電話。助けに来てくれた黒沢は、ストーカーを撒くための演技として、めいのファーストキスを奪ってしまう。
こんな自分の言葉で、他人が動いてくれるなんて。
友達も誰も要らない、信じないと他人を拒み続けてきためいだが、心の扉が僅かに開くのを感じた。
それに、あのキス…。

こうして黒沢を起点に、少しずつ交遊を拡げてゆくめい。学校一のモテ男に彼女宣言されるなど、黒沢に振り回され、でも黒沢が気になって仕方ない。彼女という実感は皆無だし、モテまくって女に手が早い黒沢と自分のギャップにも違和感が消えない。
それでも、黒沢が語ってくれた誰も知らない中学時代の苦悩や、そして黒沢の「本気のチュー」。めいは、人を信じ、人との関係に立ち向かう事を決めた。…というような話。

まあ、シンデレラストーリーな訳ですが、展開が早すぎて勿体ない。めいの16年間が軽すぎるでしょ。
作者の実体験をベースにした話らしいが、ベースに囚われすぎると逆に伝わりにくい部分も出てくるのかな、という印象。本人には説明不要で凄くインパクトのあるイベントでも、それだからこそ、漫画で描いて他人が読むと、サラッと流れてしまって、主人公の気持ちの変化に付いていけない…、という感じか。
もう少しじっくりと描いて、読者に納得感を抱かせるべきだろう。
それに、めいのキャラがあまり立って無くて弱い。確かに初っ端は良かったが、後半はただの普通の女の子、と言う感じ。もう少し、なるほどこれは黒沢が惚れる訳だ、という様なエピソードや台詞回しなどをドンと立てて、めいの輪郭を太くすべきだろう。

キャラ絵は普通か。あまり好みではないタイプ。ただ、横顔の描き方はやや印象的で良い。

続きは、まあ、機会があれば、と言った所。

葉月かなえ
好きっていいなよ。

悪魔とラブソング/桃森ミヨシ

例によって職場ゲットマンガの消化。

これもアタリだった。非常に面白い。

ミッション系お嬢様学校の聖カトリア女子を退学になり、十塚学園高校へ転校してきた、可愛マリアが主人公。
「悪魔」というのはマリアの事である。と言ってもオカルトものではない。

見目麗しい少女マリア。しかし、人並み外れた鋭い勘で他人の本質や言動の意図を掴んでしまい、そして歯に衣着せぬ直言でそれをそのまま直球として投げてしまう。結果として超毒舌。そして人にこびない、おもねらない、虚飾を廃した素直すぎる性格が災いし、周囲との軋轢が絶えなかった。カトリアの退学理由も、真相はまだ不明だが、教師を殴りすぎたため、という不穏なもの。

しかし、マリアは荒んでいる訳ではない。その素晴らしく美しい声で歌う賛美歌のように、その性根は素直で、真っ直ぐに人間を見つめている。マリアは誰も疑わない。偽善もない。彼女は確かめようとしているのだ。人を信じる事で報われる事があるのかどうかを。

人の心を惑わし、心に闇を棲まわせるもの。それを悪魔というなら、マリアは悪魔だった。マリアに本心を言い当てられ、マリアの真っ白すぎる直言に照らされたクラスメートは、自分の汚れを思い知る。日常生活で互いに見ぬふりをしてやり過ごせるはずのシミ。そんなシミで薄汚れた自分自身を、白日の下に晒されてしまうのだ。
「あんたは人を汚れさせる」退学の日に、親友だと信じていた友達から言われた言葉だ。
マリアは悩んでいた。好きで周囲とトラブっている訳ではない。
「にげだしたい 自分がきらい ごめんなさい かわりたい 誰かに好きと 言ってみたい 自分を好きと 言ってみたい 心から」
しかし、同時にもう一つ分かっている事があった。
「あたしは あたしにしか なれないんだ」

転校初日から教師を始めクラス中から問題児とターゲットされ、孤立し、嫌われたマリア。
ただ、同じクラスの神田と目黒の二人の男子生徒だけは、この一風変わった転校生に興味を惹かれ、関係を築こうとする。
一見ラブリーなお調子者で人気者、しかし、人間関係はサバイバルと言い切り、表面的な処世術をマリアに教えようとする神田。逆に、人が嫌いではなく真に優しい心を持っているにもかかわらず、集団が嫌いで目立つ事が嫌いな目黒は、それゆえにマリアの中にある無垢な魂に惹かれてゆく。
マリアも、この二人に影響を受け、少しずつ変わろうとしていた。

一方で、クラスの女子グループによるマリアへのイジメはエスカレートして行き…。と言うようなところ。

甘いものとフリフリの可愛い物が大好きなミッション系美少女が古風な物言いの超毒舌キャラ、というだけで十分に惹き付けられるものがある。コメディとしても面白い。陰惨な人間の憎悪に立ち向かう悪魔は凛々しく応援したくなる。たぶん、マリアの人を信じると言う気持ちが周りに影響を与えていくような物語だろうと思うが、そうして変わってゆく未来を見てみたいと思わせるのだ。もちろん目黒や神田との恋愛関係にも期待大だ。

次巻も非常に楽しみである。

桃森ミヨシ
悪魔とラブソング

リーゼロッテと魔女の森 2巻/高屋奈月

本当は、1,2巻同時発売だったのだが、やや空いて、2巻購入。

ほのぼのファンタジーベースだった1巻から、いよいよ物語は進み始める。

辺境に封じられても明日を見つめ、生きる事に希望を失わなかったリーゼロッテ。
少しずつ心を開いてくれた農民が教えてくれたように、知ろうとする事、関わってゆく事が大切だと感じたリズは、魔女に会い、挨拶し、魔女の正体を知ろうと森に出掛けてゆく。
何となく場所が分かるというエンに導かれて進んだ昼なお暗い森の奥で、おどろおどろしい雰囲気と共に現れたのは、1巻でも出会ったあの魔女であった。魔法でリズ達を封じ込めながら人の巣へ帰れと凄む魔女。自分を厄災をもたらす存在という魔女の言葉に反応し、ここ一番の胆力で魔法を粉砕し、自分を厄災などと言うなと魔女に詰め寄るリズ。驚いた魔女は使い魔と共にその場に泣き崩れる。それは、ボスに命令され、一生懸命に苦手な虚勢を張っていた、心優しく弱気な辺境魔女ヒルデの正体であった。
ヒルデの無能に業を煮やしたヴェルグが登場し、人間どもを排除しようとするが、脅しに負けず挨拶し、あの家にいさせて欲しいとリズは粘って嘆願する。ここぞというタイミングで取り出した手みやげの「リズ特製ケーキ」が火に油を注いだ所で、事態は急転直下、新たな登場人物を迎える。
それは、かつて王宮で兄に雇われてリズの命を狙い、エンリッヒに深手を負わせ離別の原因となった刺客であった。はるばるこの地までリズ達を追ってきた刺客は、騒がしい森でリズを見つけると、自身の仕事を完遂しようとした。
リズを守る、という使命を心に宿していた淵月にとって、奴こそが「本命」だった。自らの体が傷つく事も厭わず、リズを守りながら刺客を圧倒していく淵月。私のために罪を負うなとリズがトドメを刺そうとする淵月を押しとどめ、ヒルデが魔法で刺客を封じる。
しかし、満身創痍の淵月は、今度こそリズを守れたという想いを抱いたまま、体はその場に動かなくなってしまう。
かつて王宮で刺客相手に深手を負ったエンリッヒを追っ手から守るため、リズはエンリッヒを小舟に乗せ、御守りのペンダントを携えさせて川に流した。大丈夫だ、エンリッヒ、君は助かる。いつか、また会える。
しかし、エンリッヒは助からなかったのだ。
黄泉の淵を漂うエンリッヒを拾い上げ、ズタボロの体から魂を取り出して淵月という傀儡に仕立てたのが、ヨミが仕えるヴァーテリンデという偉大な魔女なのだという。

こうしてリーゼロッテが追放の過程で命を狙われるくだりや、エンリッヒそして淵月の正体など、一気に物語の背景が語られ謎が解きほぐされてゆく。
一方で新たな謎も生まれる。ヴァーテリンデとは何者か。魔女とは一体どのような存在なのか。そして壊れて消えゆこうとする淵月を、エンリッヒの魂を救う事はできるのか。

予想より展開が早く、またかなりダークな雰囲気に驚いた。非常に良い感じだと思う。1,2巻同時発売とした訳が分かった。1巻だけでは不安だったが、まとめて読むと物語に入りやすいだろう。
次巻が待ち遠しい。

しかし、前々から少し思っていたが、高屋奈月は、キャラ絵は凄くあか抜けて上手くなった半面、動きや構造、アクションの描写力が弱くなっている気がする。つまりポージングは上手いが、躍動感が薄いような印象。フルバや翼では結構アクションが上手く描ける人だなと思った記憶がある。まあ気のせいかも知れないが。

リーゼロッテと魔女の森の過去エントリ

高屋奈月
リーゼロッテと魔女の森 2巻

Silver シルバー/末次由紀

例によって職場で拾ってきた本。

スポ根ものかと思ったが、奇しくもアンドロイドもの。時代設定はやや未来。
背は低いがバレーボールの才能に溢れ、オリンピックを真剣に目指す栄進学園1年女子、遠野青葉が主人公。
青葉のクラスメートで、どこか抜けたちょっと変わった奴、と思っていた銀という少年は、実は学園のスポンサーでもある天才工学博士山田教授が開発し、極秘に学園生活を送る精巧なアンドロイドなのであった。
試合中の足の怪我でバレーの夢を奪われた青葉は、球技大会のバレーをきっかけに銀と親しくなり、やがて銀の秘密を知ってしまう。国際規定に引っかからない闇手術でケガの治療をするのと引換に、データを取るために銀と友達関係を続けるよう山田博士から取引を持ちかけられる青葉。
あんなに親密に思っていた銀が「生きていない」事に、激しい生理的嫌悪と戸惑いを感じ、また、バレーへの夢と、国際ルールを犯す事の罪悪感との間に、少女の心は揺れる。
プログラムで動く冷たいロボットと、友達になれるのか?青葉の出した結論は…、という様な話。

非常に面白い。
カラクリオデットが、オデット自身を主人公として、自身が感じる人間との違いをテーマにしているのに対し、こちらは、そういうアンドロイドをパートナーとしてどう捉えるのか、という人間自身の心理にフォーカスしている。
描写も近未来の、わりとリアル指向で、オデットのような本筋上のギャグはない。
人工物の不気味さ、といったポイントを上手く描いている。
粗く言うと、オデットとは和と洋、といった対比の印象かも。視点がかなり西洋的な印象。

若干表情に癖があるが絵も良いし展開も上手い。マンガとしても申し分ないレベル。銀の後悔のシーンはかなりぐっと来た。

という訳で、次巻も楽しみだな~、と思いつつ調べていると意外な事実が判明。

この著者の作品は読んだ事無かったが、なんか見た事のある名前だな~、と思ってはいた。
あの有名な「ちはやふる」の作者であった。そして、うっすら名前を聞いていたのは、数年前のトレース事件の報道でであった。
そうなのである。著者の作品は、制裁として絶版処分。とくに丁度その時連載中だったのが、このシルバーという事で、作品は打ち切り、全2巻で終了の上、絶版。

非常にガッカリである。

打ち切られると分かっている作品をわざわざ入手して読む、というのもどうかということで、続きはたまたま見かける事があれば、という感じか。

しかし、逆に、「ちはやふる」は絶対いつか読もうと心に留めた。

また、あちこちwebを見ていると、この作品は、タニス・リーの銀色の恋人へのオマージュでは?という意見がチラホラあったので、ちょっとそちらを読んでみようかと思った。

末次由紀
Silver シルバー

困っているひと/大野更紗

難病に冒された若い女性の手記である。
闘病記ではないと冒頭にあるが、その通り、多少特殊な本となっている。
昨年あたりかなり話題になったので読んでみた。

感想を一言で言うと、大変残念な本だと思う。

本書執筆時点で著者は25才。一回りちょっと違う年齢差だけでは、この感性の違いは説明できない。
敢えてそうしたのだとは分かるが、最初から最後まで、ベッタリと滲んだ著者の感性・感覚、そしてスタイルに、私はとうとう共感したり馴染んだりする事ができなかったのだ。果たしてそこは押すべき所だったのだろうか。本書の意図は、個性の表現なのか、窮状を訴える事なのか。虻蜂取らずの結果として、どちらとも付かない曖昧な印象に終わってしまっており、誤解される割合も増えたことだろう。

著者は、上智大学大学院でビルマ難民の研究に現地を飛び回っているさなか、突然の難病に倒れる。1年間あちこちの病院をたらい回しにされても診断が付かず、ゆえにもちろん治療もなく、死を覚悟して飛び込んだ最後の病院が運良く「オアシス」であり、そこで9ヶ月の入院生活を送った後、退院して今に至る。国の難病指定にされている自己免疫疾患系のその病気は、もちろん容易に治癒するものではなく、むしろ治療法すら確立されておらず、だましだまし対症療法を行いながら、生涯疾病と付き合っていかなければならない。24時間365日発熱し、体中の筋肉関節は痛みで動かせず、至る所に炎症ができた。治療といってもステロイドの錠剤を飲む以外にできる事はなく、むしろその副作用である免疫力の低下や、体調の悪化と闘う日々である。

思い立ったら一直線の性格で、ビルマ難民研究に飛び込んで、「困っているひと」の助けになるべく奮闘してきた著者は、一転、自分自身が「困っているひと」になってしまった訳である。

こうした紆余曲折から始まり、主に入院生活での闘病を記し、身体障害者として福祉行政のあり方を問い、死の淵をさすらう一つの命としてのエッセイを綴るのである。

が、その文体が、独特で軽い。というか、とても知性は感じるものの、非常に内向的で、自己愛的なのだ。当たり前といえば、当たり前かも知れない。たとえ自己憐憫に溢れた愚痴を書き殴ったとしても、実際、彼女はそれだけの目に遭っていると思う。しかし、多分そうではない。そういうのとは若干ニュアンスが違って、彼女の生来の個性として難病発症前からの性格がそうなんだろうな、という部分を「個性」としてモロに開帳しているのだが、敢えてキツイ言い方をすると、それが凄く鼻についてくるのだ。
スッと馴染んで共感できるひとも多いのだろう。十万部超の大ヒットである。ただ、私には合わなかった。読んでいて思い出したのが、津村記久子「ポトスライムの舟 」の主人公の内向性との相似である。

それを一言で説明すると、つまり、彼女には彼女を中心とした一つの世界しかないという事だ。他の人々にもそれぞれを中心とした世界があるのだ、という認識が抜け落ちているか、もしくは極めて弱い。
つまりはある種想像力の欠如なのだろうか。この世界の色は、自分が見えている色ですべて塗られていると考えている。その一色だけが、世界の真実だと思いこんでしまう。

決して傍若無人ではないし、ワガママ放題でもない、常識も持ち合わせている。知能も観察力もあり、医師や看護師や他の患者への気遣いも怠りない。しかし、それはあくまで、自分の世界というスゴロク上にあるコマへの配慮なのである。他人がスゴロク上で自分の思惑通り安定して動いていれば安心する。だが自分の希望と異なる動きを見せたコマは、驚くほどあっさりと無視または拒否される。自分の世界から排除しようとする。それを認める事ができない。自分自身が自分のスゴロク盤のコマにどう思われているかではなく、相手の世界で、現実としてどう立ち現れているのか、という想像が及ばない。
だから他人に依存することはあっても他人を信頼する事はない。他人の批判をしたり、自省する事はあっても、他人からの批判を直接的に素直に受け入れる事はない。他人からの援助に対し、歓喜はあっても、本当の意味での感謝はない。

自分の小さな箱庭世界を不可侵と守り、外部からの干渉を許さず、外部へも干渉せず、その中の小さな色の変化だけを世界の動きと見つめ続ける。

これは批判ではない。難病もなにも関係なく、本書を読んで感じた著者の感性が、こうではないか、という観測である。そしてその印象が、個人的には、非常に馴染めない性質のものであった、という事だ。

そして、それを端的に示し、拍車を掛けるのが、独特の文体である。
例えば、本書には、あだ名のような独自の語彙が溢れている。故郷をムーミン谷、両親をムーミン2匹と呼んだり、主治医はクマ先生、自身は難病女子、その他、オアシス、ワンダーランド、ペーパー、モンスター、難病ミッションインポッシブル、おしり、etc。これらは全てを一旦自分の世界に安置させる、という儀式みたいなものだという印象だが、何より、非常に読みづらい。また、その無用の変換には愛情の温もりを感じない。
そして軽妙な比喩とパロディの入り交じった、妙に浮ついた文章。一見、自らの苦境をあえてユーモアを交えて書くという風にも見えるが、そうではない。ユーモアというものはあくまで読者など相対する者とのコミュニケーションであるが、著者のそれは不必要に独善的断定的で、読者の追従を許さない。

ただ、もちろん良いところもある。著者の受けた苦難に比べたら天国のように快適なものであったが、それでも休職して都合3ヶ月入院し、4回の全身麻酔での手術を経験した身には、首肯する記述も多く、一部のシーンの描写は大変素晴らしいものがあった。

それだけに残念である。


大野更紗
困っているひと

愛のために/河原和音

高校デビュー が結構良かったので、こちらも読んでみた。
例によって、職場に山積みのマンガの中から拾ってきた訳である。

短編3作品収録。
「愛のために」。人が好きで、友達が多く、合コンをセッティングしたり、彼氏彼女の引き合わせの世話焼きが大好きで、紹介の女王と呼ばれる女子高生原田ひかる。しかし、他人の世話に忙しすぎて、自分の彼氏を作る暇はなかった。ま、みんなが幸せなら嬉しいし楽しいからいっか、と思っていたひかるの日常は、ある日、同じ学年の古谷貴弘と出会って少しずつ変わる。何故かちょっかいを出して自分を見てくれる古谷に惹かれていくひかる。そんな古谷を紹介して欲しいと友達に頼まれ、ひかるは古谷を誰にも渡したくない気持ちに気づく。…というような話が表題作。どうと言う事のない良くあるような話だが、キャラで読ませる感じ。

「こんな私でよかったら」。1週間でナンパした女とチューまで漕ぎ着ければ一人千円だすという賭けを、悪友達にけしかけられた根は真面目少年の橋本。ターゲットは、ラブに夢見る天然少女めぐみ。下心と幻想が混じり合い、紆余曲折を経て、互いの本心を知り、傷つきながらもやがて現実の恋へ収束してゆく、という話。信じる事で救われるという夢見る乙女の都合の良すぎる展開だが、山あり谷ありな分は読者を惹き付ける。定期券を出して自己紹介する愚直さのシーンは良かった。

「チョコレート・ステークス」。バレンタインデーのチョコの授受を巡る男子高生の妄想から、やがてチョコが欲しいという気持ちに変わり、気になっている女の子への想いへ膨らみ、チョコがもらえなかったVD当日、いやむしろ、告白しなきゃ男じゃねえ!と爆発するまでのお話。結局実は相手の子も自分を想ってくれてました、というハッピーエンドなのだが。この作品が一番味があって変なので好きだ。

絵もお話の構成も、一定以上のレベルで安定した感じ。クセがなく読みやすいだろう。

河原和音
愛のために

「はやぶさ」からの贈り物/朝日新聞取材班

はやぶさ 本である。
内容はまずまずというところ。

この本は主に、はやぶさの打ち上げから帰還、微粒子の分析までの事象を、新聞記者の視点で綴ったものである。よって、科学的工学的な解説は一般レベルに端折ってあり、プレスリリースと取材がベースなので、行方不明時など情報のない時期の記述が薄い。

しかし何と言っても写真が美しいし、やはりブン屋さんだけあって感情を煽るように書いているし、そもそも盛り上がるシーンにフォーカスしてページを割いているので、あの感動をもう一度と思った一般の人が読むには最適だろう。絵図写真が豊富で割と字が大きく薄い本である事もそうした目的には非常に合致している。

読んでいたら丁度帰還の6/13を迎えた。
ちょっとびっくりして、もう2年も経ったんだと感傷に浸った。


朝日新聞取材班
「はやぶさ」からの贈り物

ちょっと江戸まで 6巻/津田雅美

友達がようやく返してくれたから、とスタッフが持ってきて貸してくれた。
これは嬉しいと早速読んだ。

将軍の落胤である事が江戸中に知れ渡ってしまった水戸家が嗣子迪聖(ミッシェル)。例え異端ではあっても、気さくなぼっちゃまが将軍になるのは案外アリかもね、と平民はこぞって世継ぎ支持。一方で権謀術数渦巻く武士階層は反応も様々で、過激派は早速ミッシェル暗殺に動き出す。しかし、持ち前の強運と人徳で、ありとあらゆる策謀をはねのけてしまう。本来もっとエグい話があるはずだが、持ち前の明るさでさっぱりと漫画的に乗り切ってしまう。そして世論をがっちり掴んだところで、そうびと共に江戸城へ移るのだった。

こうして最終話では、48才のミッシェルとそうびが並んで城下を歩くシーンで終わる。登城してから12年後に将軍職を継ぎ、20年の治世を経た後、32年ぶりの江戸の町である。主役級から脇役まで、その間のキャラ達の活躍をパラパラと挟みながら、二人の幸せな明るい人生のパノラマを描く。彼氏彼女の事情 など他の作品でもしばしば見られる、津田得意のエンディング手法であろう。

結局、津田が描きたかったものは何なのだろうか。
それは、忠というものは、今の言葉で言えば、それは愛なのだという事ではないだろうか。
将軍を頂点とした武家社会。その壮大なピラミッド構造を支えるものが忠である。生まれ故に人は人の上に立ち、そして同じく、生まれ故に、人は人に仕える。そこに選択の自由はない。逸脱を許さない厳格な社会規範が、江戸の世を、数百年の安泰に導いたのである。
自由を奪われ、宿命を背負わされ、それでも人がそうした枷を粛々と受け入れるのは何故なのか。現代人の感覚では理解しがたい、こうした制度の土壌が忠であり、それはつまり愛の別称なのではないだろうか。

現代人の感覚では、愛こそはその信奉する自由意志の発露であると意識している。しかしそれは錯覚だ。
愛にはむしろ選択の余地などほとんどないのである。親子愛など最たるもので、生まれながらに相手が決まっている。そこに親子として愛すべき対象を他から選ぶというような過程はない。もちろん例外はあって、親子であっても愛し合えないという事はある。しかし、多くは生得の機能として親子愛があるのである。
夫婦愛も同様である。マッチング制度である見合いはもちろん宿命的な性格を帯びるし、自由恋愛といってもその範囲は狭い。一説によると大多数の人はその生活圏の半径5m以内で伴侶を得るという。学校、職場、地域などである。友愛にしても同様である。もし親友と呼べる人がいたとして、たまたまその人物が自分と同じ年に同じ地域で生まれるという偶然はできすぎだろう。愛する人に近づくのではなく、近くにいる人を愛するように、人はプログラムされている。

人は、愛ゆえに関係を繋ぐのではなく、関係性が存在するからそこに愛を見いだすのだ。群れで生きる動物として当然の資質だろう。
お前は家来に生まれたので、殿様に生まれたこの人に一生尽くせ、と言われても、人はそこに忠という名の愛を見いだし、進んでそれを受け入れるという事なのだ。殿様とて同様に立場による枷をはめられ、関係性の維持を求められ、自分の本心を押し殺してでも殿として振る舞い、家臣を愛する事を信条とするのである。

このように愛には条件がない。愛する理由というものは存在しないのだ。無条件こそが愛の本質であって、つまり人間の最も不合理な感情が愛なのである。
主を愛する=忠を尽くすのは、決して主が人徳者であるからではない。主への忠=愛は、主と家来という関係性自体から生まれるものだからである。どんなバカ殿であろうとそこに忠はあり得る。そして家来が忠を尽くそうとするのと同様、主も家臣を愛そうとして、人徳者になろうとするのである。

こうした社会、こうした生き方は、実は凄く楽だろうと思う。
悩む必要がない。
自分の役割を明確に与えられ、自分の愛する人を与えられ、それらに尽くし、尽くすという事自体で報われる人生。自分の立ち位置を踏みしめ、役割を肝の底まで心得、一点の曇りもなく見通せる生涯。
忠という名の愛に包まれる至福、必要とされる満足感、認められる安心感。
一人の人間の生き方としての幸福度を指標に取れば、多分ブータンなど裸足で逃げ出すハイスコアを叩き出すのではないだろうか。数百年の安定は伊達ではない。
歴史物が根強い人気を博し、またたびたびブームが起こるのも、こうした失われた理想郷への渇望が根底にあるのではないかと思う。

翻って現代は過酷だ。そもそも自身の存在に、自分自身で理由を探さなくてはならない。自分の愛する人も自分で探さなくてはならない。選択をしなくてはならない。原理的に選択の理由が存在しえないものに対し、無理矢理にでも理由をひねり出さなくてはならないのだ。
年間数万人に及ぶ自殺者の何割かは、自由という名の下に課せられる、社会から隔絶した個人としての自立という過酷な重圧に耐えかねての事ではないかと思う。

では、昔に戻れ、となるか。

江戸の社会が示すような、人間本来の自然な生き方をすれば、多くの人は自然に楽に、幸福に暮らせるだろう(もちろん例外は必ずある)。個人の生きる目的が、その生涯での幸福感の積算の最大化であり、リスクの排除という事であるなら、そうした社会、そうした生き方に価値を見いだす事は至極真っ当である。

津田がこの物語を、江戸時代の逸話ではなく、わざわざ平成20年の江戸社会での物語と設定した意味がそこにある。安定し変遷する事のない幸福社会。もちろん、ミッシェルとそうびが見た32年後の町並みも、何一つ変わっていなかった。

私は、幸福に生きたいと思うのと同じぐらい、理解もしたいと願っている。生きる意味を知りたいのだ。
生きる意味を社会から与えられることで人は幸福に生きられるが、それは同時に、進歩や探求の停滞でもある。既存の価値をドラスティックに疑う、という事がない。
探求する社会では、幸福は自動的には維持されない。幸福もまた個人が探求すべきものとなるからだ。探求すればするほど、これまでの幸福を永久に破壊するような知見が、次々と現れるだろう。それは社会学的な発見かも知れないし、科学技術の応用かも知れない。多くの同胞を不幸にすると分かっていながら、しかし、そうした探求を求めてやまない人々も多数存在するし、私もその一人だろう。

愛は心ではない。愛とは単なる関係性である、と知る事は、愛についての価値を減ずるだろうか。私はそうは思わない。私は、私自身が動作する原理を知った上で、なおその自身の動作を愛で楽しむ事ができると思うからだ。つまり、ただ愛するだけでなく、愛する事を愛する事ができる。これこそが知能を持つ存在として生きる喜びの本質であり、それは上記の江戸社会における幸福より、明らかに一段上位の愉悦であると私は信じる。

こうした観点から振り返ると、ミッシェルとそうびの位置付けの違いが際立つ。二人は共に幸福江戸社会で超社会規範的な存在だったが、どれ程かぶこうとミッシェルがあくまで社会規範に則した視点であったのに対し、そうびのそれは、常にややメタ的な性質を帯びていた点が興味深いと思うのだ。

もちろん、このような頓珍漢な穿った解釈などせずとも、お気楽江戸風マンガとして素直に楽しめる作品であったと思う。
ただ、やっぱりちょんまげキャラは個体識別が難しいので、ちょっと時間があくと、これ誰?となりやすいのは難点だった。そもそも、そうびとミッシェルですら結構混同しそうになるぐらいである。ちょっと作画力が低下しているのかも知れない。皆、顔は斜め45度か正面だし。

取り敢えず、津田の次作も期待しようと思う。

ちょっと江戸までの過去エントリ

津田雅美
ちょっと江戸まで 6巻

恋したがりのブルー/藤原よしこ

妻が職場で拾ってきたマンガ。2巻まで読む。

主人公の水嶋蒼(あお)は、高校入学の初日、通学路で針谷陸につまずいて転ぶ。友達とケンカしたといって涙をこぼす陸は、初対面の蒼に意外な言葉を告げる。「オレの 彼女になって くれないか」。
親友の海が彼女と別れたのは、自分がその彼女にちょっかいを出したためだと陸は思いこんでた。自分に彼女ができれば、海は安心して彼女とヨリを戻せるだろう、という作戦だった。
うやむやなまま陸の人の良さに惹かれて巻き込まれた蒼だったが、「彼女のフリ」だけだったはずの自分の心に、陸への強い想いが満ちてくるのを止められない自分に気づく。
一方で、陸と海の思い人が、蒼のクラスメートで、高校で初めて友達になった空谷清乃であったことに戸惑うが、陸への想いと、清乃への友情は変わらなかった。
しかし、互いに気持ちが通じ、本物の彼女になってよ、とまで陸に言われた蒼だったが、陸のバイク事故をきっかけに、実は清乃は陸に思いを寄せている事を知ってしまう。…というような話。

こうして、偽装恋愛、隠した本当の恋心、四角関係、そして友情と、イベント山盛りで話が進んでゆく恋愛マンガである。

構成やテンポが良くて読ませる。キャラも割合ナチュラルで落ち着いた印象があり、目の表情に味があると思う。あと、キスの質感やリアリティにこだわりを感じた。

ただ、惜しむらくは、こうした純粋な恋愛ゴタゴタマンガには、正直あんまり興味がもてない、という点が個人的にネックであった。
まあ、続きは機会があれば。

陸海空蒼というストレートなネーミングは良いと思う。

藤原よしこ
恋したがりのブルー

3DS/マリオカート7/任天堂

メッセージボードにも記したが、ようやく★2つ達成。

半年がかりである。
とは言っても、ここ2ヶ月ほどはパルテナなどに押し出されてあまりプレイしていなかったのだが。

実は最近妻が★1つ達成したのだ。そして勢いに乗って★2つを狙い始めた。追われる者の焦りを感じたため、急遽★が取れず残っていたサンダーカップをプレイしたら、偶然調子良くあっさりゲットできた、という訳である。

やはり最後まで残るのは、スペシャルカップやサンダーカップ。レインボーコースは新旧とも焦ると落ちるのが痛いね。

操作はずっとホリのマリオカート7ハンドル を使用している。心配だったボタン破損もおこらず、アタリだった模様。ちなみにパルテナもずっとこれでプレイしている。スタンドが無くても割合保持しやすいと思う。

★3つも狙いたいとは思うが、気が遠くなるほど先は長そうだ。
残り19カップと半数以上。

マリカ7は、マリカWiiに比べると、★の判定が極甘と言って良いほどだと思うが、それでも★3はなかなか出ない。どのコースも1位を取るだけなら難しくない。しかし、カップの総合1位、というだけでは当然ダメで、ぶっちぎりで勝たないと★はもらえない。
妨害のキビシイマリカでは、こうなると運頼みになってくる。たまたま、なんの妨害もなく独走してしまった~、という様なラッキーが続かないとぶっちぎれない。
もちろん超上級者は、ベースのラップもそもそも段違いだろうし、追撃のかわし方、妨害の避け方も上手く、★3つも余裕なのだろうな。

まあコツコツと挑戦しようと思う。

あと、ネット対戦。パッチで、チートが消えたのは大きい。コース選択時、各プレイヤーの希望コースリストが半分ウーフーアイランド2、みたいな現象はすっかりなりを潜めた。


マリオカート7の過去エントリ

任天堂
マリオカート7