読んだり観たり聴いたりしたもの -84ページ目

もうダマされないための「科学」講義/菊池誠他

現代文明が科学技術の上に成り立っている事を疑う人はいないだろう。
では、その世界を支える、「科学」とは、何か?
「科学」と「科学でないもの」は、どこが違うのか。

科学の振りをして権威や正当性を主張するエセ科学。科学者でない一般人の科学的なものに接する態度。そしてそれらを左右するメディアの姿勢。こうした我々の生活に直結する科学の領域問題を、4人+αの論客が、それぞれの視点で持論を展開するオムニバス本。

なかなかに根深い問題がある。結局、科学に携わるもの、科学報道に携わるもの、科学の恩恵を受けるもの、の三者が共に思考停止して、努力せず、だれも火中の栗を拾おうとはしない、という点が問題だろう。
問題がない間は問題はない、という態度では、いざ問題が起こった時にあわてふためく事になる。

原発問題にしてもそうだ。安全神話を無邪気に信じていたかと思えば、一転、原発無用のゼロリスク信仰。どう考えても極端すぎる反応だろう。
リスクのない生活はないし、リスクのない人生もない。要はきちんとリスクを知り、把握できる事が重要だ。

こうしたリスク判断は、自分自身の問題であり、誰かに判断してもらう事ではない。もちろんそうした判断のためには、正確な科学知識が欠かせないが、複雑で高度な科学知識を誰しもが理解できる訳ではない。だから、そうした科学知識について誰かが行った判断を、外側から正しく評価できる初歩の科学知識は必須であり今後もますます重要になってくるだろう。

菊池誠
もうダマされないための「科学」講義

とらわれの身の上/樋野まつり

積み漫画消化。

時間がないので簡易メモ。

基本、主従恋愛もの。室町時代、武家の屋敷に忍び込んだ盗賊がいた。盗んだ掛け軸に込められた呪いにより、子々孫々、主君の昴上家に使える定めとなった黒石家。しかし14年前に現当主が事故で失踪し、以来その遺言に基づき、遺産を継いで優雅に暮らしてきた大学生の石黒恵が主人公。ところがある日、中国奥地で生きていた当主の娘が帰国する事になり、そんな優雅な生活にも終止符が。それよりも、鼻で笑って信じていなかった我が家に伝わる呪いだったが、子供の頃会ったきりで、14年ぶりに再開した、美しく成長した昴上鈴花を一目見た途端、我知らず跪き、姫と呼んで甲斐甲斐しく尽くし出す自分に唖然。呪いの血統は絶えていなかったのだ。強大な呪いの力に困惑しつつも、少しずつ鈴花に惹かれていく恵。しかし、その気持ちは自然な恋なのか、それとも「呪い」がもたらす幻影なのか。恵自身、そして鈴花も、恵みの気持ちを計りかね、ぎくしゃくしながらも、少しずつ仲を深めてゆく…、というような出だし。

基本ドタバタ恋愛コメディだが、後半呪いを解くために中国へ旅立ったりと、呪いをベースにしたストーリー展開にも幅があり、悪くはない。
が、絵柄が趣味に合わないのと、若干ごちゃごちゃと詰め込まれすぎのページに、やや食傷。
惜しい漫画である。

樋野まつり
とらわれの身の上

大阪ハムレット 4巻/森下裕美

ヘンテコ大阪漫画も第4巻。
今巻も期待通り変な話が6話。コンサート前後編。阿倍野マリア前後編。おカアさんのいた街前後編。

こうしてこの漫画を読み終わって思うのは、結局、人間なんて誰も、せせこましく案じて動いて働いて、生まれて生きて死んで、と、ただただ、そんな凡庸で下らない日常の積み重ねなのだという事だ。そしてそんな下らない人間のうごめく様を、どうしようもなく見聞きしたい、という業とも呼べる人間の性がある、という事なのだ。

第1巻の第1話。父が死んだ直後、母と自分に寄り添って一緒に暮らしはじめるおっちゃんとの関係に悩む中学生久保君の、表題としてハムレットになぞらえた物語。自身をハムレットと揶揄された彼は苦労して原作を読んで先生に突っかかる。この物語の意味は何やねん?何で悲しい事辛い事がおこらなあかんねん。不良少年にビビる先生は答えて曰く、だって物語やから、その方が面白いですやん。ぶち切れる久保君。
と、おぼろな記憶で思い出して書いたが、結局は、これに尽きるのである。これが真理なのだ。

人間は、人間の話を見聞きするのが大好きなのだ。そしてどうせ見るなら、嬉しい事も悲しい事も盛りだくさんの話の方が面白いから大好きなのだ。
物語に込められたテーマとか暗示されたモチーフとか、そんなんどうでもええねん。
作者はこの漫画を、面白い話、として描き、読者は面白い、と言って読む。それだけのシンプルな関係であり、シンプルな作品である。そしてそのダイレクトなシンプルさ自体が、もっとも才能と技術を要する点なのだろうとしみじみ思った。

「コンサート」で描かれるのは、大和郡山の中学校の同級生だった女性三人が40歳で再開しそれぞれの生き様を噛みしめる様である。いじめられっ子だった主人公福子は、東京の鍼灸院に勤め、26年ぶりに、かつてのいじめっ子京香に偶然再会する。慣れない東京暮らしで、いじめられっ子の娘を持つ母になっていた、かつてのいじめっ子に対し、変わらない思い出と変わってゆく印象。そして彼女の好意で、もう一人の女性への細い糸を辿る。いじめられっ子だった福子に当時親しくしてくれた理代である。ギャンブル狂の父の元、幸福ではない人生を送っていた中学生の理代は、それでも凛として大きな世界に駆ける夢を持っていた。しかし、母が死に、父と夜逃げをする事になった理代に、福子はとうとう向き合えないまま、別れを言う事ができないまま26年が過ぎていた。再開した理代は少女の夢のように成り上がる事もなく、水商売で辛酸を舐め痛々しい暮らしをしていた。夢を持つ一方で、金魚になぞらえ、「どこに逃げても 運命はかわらんのに」と諦観する心も中学生だった理代の一面であった。その運命から逃れる術はなかったのだろう。
理代の母が亡くなった直後、福子の家に深夜借金の無心に来た理代の父。そのおぞましさ。鳥肌が立つような、不幸の穢れの描写にはぞっとする。その穢れにまみれるのを厭い、親友を救えなかった福子。哀しみと困窮の淵に沈む理代を、救いに行く勇気のもてなかった福子は、悔恨と共に生きてきた。そして「現在も」彼女が不幸の陰に囚われたままである責任の、そのどれだけが、かつて少女だった自分に存するのだろうか。福子がその後、かつて自分をいじめた京香と親しくし親身に接するようになるのは、そうした代償なのかも知れない。本作の扉絵、親友だったはずの福子と理代の間に横たわる水路は、人の間を裂く、不幸による隔絶を象徴するかのようだ。
と、まあ、上で書いている「シンプル」とは間逆な感じの感想であるが、読者が勝手に深読みできるのは、それはシンプルな作品がもつ力強さゆえである。
薄幸の美少女が、気が強くて夢を持っていたにもかかわらず、やっぱり不幸な運命に翻弄されたままという、自然な描写がポイントなのだろう。京香も、福子に昔のいじめを謝る事はない。多分本人は当時もいじめてると思って無くて、またそんな過去や、まして福子が今でも夢に見て悲しむ気持ちなど、思いもよらないのだろうと思う。
安易に過去は清算されることなく、うやむやに現在は積み上がってゆく。それが「変な話」の印象であり、そしてある種のリアリティとして魅力に繋がるのだろう。

「阿倍野マリア」。すごいベタなタイトルである。
イタリア料理を修行中のミチルは、女性しか愛せない女性だ。ミチルの姉は子宮全摘の手術を受け、子供を産めない事を生涯負い目に感じるよりはと、愛する夫に別れを迫る。せめて子供がいれば、という母や義兄の妄想は、ミチルの代理母出産へ繋がってゆく。しかし、未婚で出産経験のないミチルに代理出産は許されない。処女懐胎は、無理なのである。
そんな折り、ミチルは店の客だった詩織に惹かれ、交際するようになる。ミチルの恋愛心を知っても付き合ってくれる詩織との仲を、ゆっくりと深めてゆく。
この作品でキーになる言葉。みんな同量の幸福なんてありえへん。でも足して分け合えばいい。
そして、「そのままの あなたが 好き」。女しか好きになれないと知ってもミチルに思いを寄せてくれる同僚のシンヂの言葉であり、そしてミチルから詩織への言葉である。もちろん、義兄から姉への想いも含まれているだろう。そのままでいい。例え生まれ変わったとしても、また同じあなたにしかなれないのだから。

「おカアさんのいた街」は心に傷を負った一人のフィリピーナの話である。子供の頃姉が自殺した。好きな人と結ばれない運命を拒否し、結婚式の当日、銃で自分を撃ち抜いたのだ。それ以来、神様を信じる事ができなくなった主人公のサビィは、紆余曲折の末、日本人男性と結婚し大阪で暮らす。2巻で出てきた、バレエの先生の話。その生徒だったハナコの伯父が、サビィの旦那である。
ハナコの母、史子は生母から辛く当たられて育った。その史子を、ウチの嫁に文句言うとはどういう了見だ、手ェついて謝らんかいと、かばい守ってくれた義母が居たのを覚えているだろうか。あの義母は、今、死に瀕しているのだ。手術を受けた後ずっと入院し、この先もう長くないという事で、一旦、家に戻される事となった。暮らしていた八百屋の実家は、店の仕事もあるし、史子がもうすぐ臨月という事もあり、サビィのマンションでしばらく預かる事になった。旦那の、長男としての意地のようなものもあっただろうか。
サビィは別に好きで旦那と結婚した訳ではない。単に日本で生存する権利を求めての事だった。女性に縁が薄く気弱で優しい旦那はサビィの好きにさせてくれ、気ままに暮らしてきた。
だから急に母の介護を打ち明けた旦那は、まさかサビィがあっさり二つ返事で諒解するとは思ってもいなかった。受け入れの準備からはじめ、家事に介護にサビィは献身的におカアさんに尽くす。
突然に姉を失ったあの日から、また失って悲しむぐらいなら、もう誰も深く愛さないと誓ったサビィ。
でも、一人はもっとイヤ。だから、おカアさんの世話を頼まれたのは嬉しかったのだ。頼りにしてくれる。褒めてくれる。そして、おカアさんとずっと一緒にいられる。
いや、ずっとではない。目標にしていた年内を待たず、おカアさんは旅立ってしまう。
死んだら仏様神様になると信じる日本の風習。数限りない神に囲まれていても、やっぱりおカアさんはこの街には、もういないのだ。サビィの、持って行き場のない、叫びのような祈りは、どこに届くのだろうか。

PSのサンパギータ をプレイしたお陰で、幼いサビィが摘んでいるのが、フィリピンの国花であることが分かってちょっと嬉しかった。あと、ミチルがシンヂに秘密を打ち明けるシーンには百合の花を持ってきたりと、結構花が印象に残った巻だったかも。

何か、4巻まで読んで急に気が付いた感じなのだが、森下裕美は、かなり作画が手塚治虫に影響受けてるなあ、と思った。時々、あれっと思う程そっくりだ。

不定期連載のようで、取り敢えず刊行されているのはこの4巻までである。
すごく面白いシリーズだったと思う。作者の別の作品も漁ってみようと思う。

大阪ハムレットの過去エントリ

森下裕美
大阪ハムレット 4巻

3DS/川島隆太教授監修 ものすごく脳を鍛える5分間の鬼トレーニング/任天堂

という訳で、月曜日になったので、この1週間のトレーニングの成果(?)を。

<近況まとめ>
全体的に、やや停滞してきた感がある。トレーニングは結構キツイ。鬼トレは、鬼計算+その日の気分と順番で他の鬼トレ1~3個、鬼トレ補助適宜、脳トレパズル系は毎日、その他適宜、というようなメニュー。
鬼トレ3個+集中力+その他で30分程ガッとトレーニングすると、脳にじゅわじゅわ充血する感じ。そしてぐったり疲れる。特に、記録が伸びずに落ちたような時には疲労感もひとしおだ。
コツコツやっているだけあって、鬼計算がじわじわ伸びているのと、やはりコツコツやればやっただけ伸びるパズル系の上昇だけで、あとは伸び悩みか。

鬼トレの効果に若干疑問が出てきた。
鬼トレは、ワーキングメモリの容量を増やす、と言われている。もちろん、「ワーキングメモリ」などというのは脳機能を説明するための仮説上の仮想概念であって、実際にそういう組織が脳内にある訳ではない。だから、その「容量が増える」という表現も、あくまで比喩である。だから、あまり微妙なニュアンスに拘っても意味がないのだが、どうも、容量は、そう簡単には増えそうにないという実感だ。鬼トレで鍛えられるのは、むしろ狭い容量を効率よく使う方法ではないか、と思うのだ。しかし、結局の所、鬼トレの効果があるかどうかは外部からのテストで評価するしかなく、つまり、この両者は、区別することが困難だ。区別する意味があるのかどうかも分からない。
例えば、伸びてきた鬼計算。4バックという事は、4つ前の計算結果まで覚えておいて、それを順次書かなければならない。計算しながら数字を書きながら、という負荷がある事を別にしても、人間はそれほどいくつも数字を覚えておく事はできないので、既に書いた数字はさっさと忘れ、新に計算した数字を覚える「スペース」を用意しなくてはならない。つまり頭の中に4つの箱を用意し、ここへ順繰りに数字を移してゆくのである。アルゴリズム的に言うと、左端の数字を書いたら消して、全ての数字を左へ一つずらし、右端に新しい数字を覚えておく、という感じである。言葉で言うと簡単だが、実際は難しい。だから、いろんなテクニックを使って補助する事になる。「テクニック」の使用は鬼トレでも推奨されている。
例えば、誰でも思いつくのが音声を使った記憶補助法である。数字を口に出す事で記憶の確度を上げる。これを応用して、例えば、4235と発声して記憶し、4を書き、新に計算した7を加え、2357と発声して記憶し、2を書き、新に計算した9を加え、3579と発声し…というテクニックがある。これは妻が得意とする方法だ。
ところが私はこれが苦手で、3バックの3つでも上手くできない。発声していると上手く計算できないのだ。
だから、順送り方式は諦めて、最近、区切り方式を考案した。これはnバックのn個の数字をパックして覚えておく方法だ。上の例で言うと、順次計算した結果を繋げ、まず4235という数字を作り、これを覚える。覚えたと思ったらもう意識せず、次の数字に集中し計算しながら9716と次の4桁の数字を作って覚える。この時、計算しながら覚えながら、さっきの4235を「残像」を頼りに順番に書いてゆく。9716が完成したら、覚えて、意識を次の計算に移す。
という様な方法である。やっている事は一緒では?という疑問があるだろう。妻にも説明してもなかなか違いが分かってもらえなかった。しかし本人にとっては全然違う。脳の使い方も多分違うはずである。

ここで思うのは、これはやはり「ワーキングメモリの容量」を節約する事で能力を上げる、という訓練のような気がするのである。むしろ、テクニックを使わず、声も出さず、目で見て覚えた数字だけで2バックや3バックをやる、という方が容量自体を増やすためには(もしそれが増えるものなら)有効な気がするのだが、さてどうなのだろう。

新しく出た、札番増減 難しい、がようやく1勝できて嬉しい。同色整列のすごく難しいは、やってはいるが、いまだに勝てない。


出席日数30日
鬼トレグレードB
賞状 30→38/106

記録(初回 → 前回 → 今回)。○印は前回から伸びたところ

●集中時間 測定
○46秒 → 1分39秒 → 1分58秒

●鬼トレ
○鬼計算 3バック → 速い3バック → 4バック
鬼めくり レベル9 → レベル9 → レベル9
鬼ネズミ 4匹 → 速い4匹 → 速い4匹
○鬼朗読 レベル4 → レベル4 → レベル5
鬼記号 速い2バック → 3バック → 3バック
鬼ブロック レベル5 → レベル6 → レベル6
鬼カップ 5カップ → 5カップ → 5カップ
鬼耳算 2バック →2バック → 2バック

●鬼トレ補助
計算20 40秒 → 25秒 → 25秒
漢字破壊 2分07秒 → 1分22秒 → 1分22秒
倍数探し 54秒 → 54秒58 → 54秒58
加算格闘 109点 → 245点 → 245点
漢字宇宙 222点 → 254点 → 254点
○釣銭渡し 1分38秒 → 1分38秒 → 56秒
○計算100 2分13秒 → 2分13秒 → 2分8秒
○加算破壊 1分8秒 new

●脳トレ
○陣取対局 3面 → 16面 → 22面
○赤黒赤黒 普通 2勝 → 5勝 → 6勝
○赤黒赤黒 難しい 1勝 → 3勝 → 4勝
名曲演奏 91点 → 95点 → 95点
○同色整列 簡単 1勝 → 3勝 → 4勝
○同色整列 普通 1勝 → 2勝 → 3勝
同色整列 難しい 1勝 → 2勝 → 2勝
同色整列 すごく難しい 0勝 → 0勝 → 0勝
○飛石課題 1面 → 8面 → 15面
聖徳太子 100点 → 100点 → 100点
○札番増減 普通 3勝 new
○札番増減 難しい 1勝 new

●リラックス
脂肪爆発 簡単 2189点 → 2189点 → 2189点
脂肪爆発 普通 1432点 → 1432点 → 1432点
脂肪爆発 難しい 1170点 → 1170点 → 1170点
細菌撲滅 簡単 82点 → 616点 → 616点
細菌撲滅 普通 183点 → 183点 → 183点
細菌撲滅 難しい 249点 → 249点 → 249点

鬼トレの過去エントリ

赤とうがらし物語/槇村さとる

妻が借りた漫画。

東京の下町、頑固親父が営むカレー屋「赤とうがらし」を舞台にヒロインの成長と恋愛を描いた作品。男手一つで育った主人公、森田勇は浪人生。受験勉強と、出て行ってしまった母親に代わってカレー屋を切り盛りする生活の両立に追われる日々。もうすぐ年の瀬という頃、幼なじみだったけど中学に上がる時に引っ越してしまって以来の中山憲太郎が訪ねてくる。広島で大学を出て、東京に職を得た彼は下宿先を見つけようと懐かしい古巣を訪ねていたのだ。折しも親父が骨折で入院。家族からも逗留を勧められ、急遽店を手伝ってくれる事になった憲太郎に、勇は懐かしい気持ちを感じ、だんだんと惹かれてゆく。受験とカレー屋、そして恋。仕込みの鍋のようにグルグルと回り続ける勇の悩みは、溶け合い響き合っていつか豊かな味を引き出すのだろうか…、という様な感じ。

物語の中心に料理がある点はおいしい関係に繋がるような気もするが、漫画としては極平凡的な印象。
ただ、何となくカレーが食べたくなる。作中に出てくるような、毎日食べられるような、優しいカレーは良いね。


槇村さとる
赤とうがらし

Eensy weensy モンスター/津田雅美

積み漫画消化。

津田センセの連載もの。どうも全2巻予定らしい。彼カノ 連載終わった後の、2007年頃の連載のようだ。

内容は、学園物。例によって才色兼備の男女がわらわら登場し、そんな中に埋もれるような平凡な一般人、五月七花(なのは)が主人公。四つ葉高校のオスカルと呼ばれる美貌の竜崎のばら、そして超秀才の佳人御堂蓮花の二人のスターに、なぜかこよなく親しまれる七花は、穏やかに楽しく高校生活を送っていた。しかし、そんな彼女には、「モンスター」が棲んでいた。容姿端麗成績優秀スポーツ万能、キラキラ王子として女子に絶大な人気を誇る常磐葉月、この男にだけは、無性に悪意を覚え、嫌悪を抱き、あの穏和な七花のどこから?という、辛辣で激しい罵倒がわき上がってくるのだった。彼女には毒虫が棲んでいるのだ。その毒虫が嫌うのは、モテ願望丸出しの中身のない勘違い男。自分の中のそんな印象を悟られないよう、できるだけ王子を避けるように学園生活を送っていた七花だったが、うっかり接触を繰り返す毎に、微妙な態度を相手に不審がられ、とうとうある日、偶然の機会から、思いっきり死ぬ程面罵してしまう。それをきっかけにプライドを打ち砕かれた王子は、女嫌いに…。というような出だし。

激しく嫌悪していた男が、自分の一言をきっかけに生まれ変わり、素晴らしく成長していく。実は非常に良い奴だった王子。そんなきっかけをくれたとして、元王子が敬い慕ってくれる、モンスターに従っただけの何の取り柄もない自分。さて、二人の関係はいかに?という様なお話みたい。

面白いし、洗練されてはいるが、彼カノを読んだ後なら、またこのパターンか、と言う気がする。手に入れば読むが、わざわざ求める程でも、という印象。

なんか、描かれ方の定型化が進んで、まるで歌舞伎の役者絵を見ているようだ。どうもパターンによる美、の様なところを目指している印象。ちょっと江戸まで 程ではないけれど。


津田雅美
Eensy weensy モンスター

〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実/S・スコット/谷口功一他訳

眉唾な話が多いビジネス界でも特に多い話題は起業家にまつわるものだ。学校を中退した若者が、意志と才能だけを元手に、努力でチャンスをつかみ、見る間に巨大ビジネスを築き上げる、まさにアメリカンドリームの神話。とくに昨今IT産業の勃興はそうした逸話に事欠かない。人々が「起業」に寄せる思いは、そうして神格化されているのである。

そうした神話の霧に包まれ茫洋とした「起業家」の実体を、この本はデータに基づき暴いてゆく。

起業家とは何か。最近新しくビジネスをはじめた人の事である。すると、その実体は、何の変哲もない、そこらにいるような最近商売をはじめた自営業者が大半を占めるのである。無論、私もその一人であった(過去形なのは起業してからもう10年も経つので)。

本書が暴く起業家の実体として、面白いものには、

・アメリカでは起業家の数は減少している。
・アメリカは起業家が多い国ではない。ペルーの方が3.5倍も起業家が多い。というか、全人口に対する起業家の割合は、むしろ日本の方が多い。
・起業家は、わざわざ失敗しやすい業種を選んで開業する。それは、建設業や小売業など、最近まで自分が働いていたレッドオーシャンだからである。
・起業家が起業する理由のトップは、他人の下で働きたくない、というものだ。次点は、失業したから。
・典型的な起業会社では、なんの革新的なプランもなく、それどころか通常のビジネスプランさえない。
・7年後も続けていられる起業家は、1/3しかいない。
・典型的な起業会社の資本金は2万ドル。殆どが本人の貯金で、従業員も本人しかない。
・典型的な起業家は、長時間労働した上、雇用されていた時に比べ収入も少ない。

経済的に豊に発展すると、雇用が安定し、給与が増える。その為、起業した場合に比べ、被雇用者となった際の機会費用が増大し、起業を避ける傾向が出てくる、という自然な話である。
ゆえに、起業するのは他人の下で働くのが嫌になったり仕事を失ったりした中年が多いのが実体だ。貯金を元手に、自分のかつて働いていた業種の周辺で、プランもなく、ただ、食べていければいいというだけの目的で起業する、というような起業家が大半を占める事になる。そして、競合が多いのにノープランであれば必然的に失敗する可能性が高い訳だ。
本書では、彼らを、失敗するために起業する愚か者と断じている。

であるので、起業家に対する優遇政策などは、その起業家の実体を見極めて行うべきだと注意を喚起している。実際に、こうした起業家がもたらす経済効果、雇用拡大効果は、ほぼ無視できる程度である事を本書は示している。今後10年間、9人の雇用を生み出すためには、今から43人がそれっと起業をはじめる必要があるという計算は非常に示唆に富んでいる。

本書は起業自体を諫めるものではない。起業は資本主義の心臓である。新境地で未知のビジネスを立ち上げ、需要と雇用を生み出し、経済成長を牽引する、そうした起業は必要である。しかし、そうした成功例は一部であり、政策上「起業」とひとくくりにされている「自営業」の実体は、既知の市場で顧客を奪い合い、成長する気も雇用する気もなく、何のプランもないような、失敗が必然の商売が大半であり、そうした二者をきちんと峻別して施策せよ、というものだ。たしかに一理あるだろう。

起業を考える人はじめ、起業に関する政策やビジネスの担当者、そして自営業者は、一読しておいて損はないだろう。

最後に、著者が見逃したか、記述のなかった点について語ろう。
まずは起業の経済効果について。起業は、起業をサポートするビジネスまたは起業自体を顧客とするビジネスへの経済効果があるだろう。いわば、大規模な体感型アミューズメントといったサービス業とも言える。虎の子をはたいて大家に貢ぎ、内装業者を潤し、什器屋を喜ばせ、半年後にはリサイクル屋に舌なめずりさせる、そんな起業家の存在は、各種企業にとって貴重な栄養源に違いないと思われる。

次に、成長と発展だけが価値ある経済活動なのか、という点。人間は経済を行うために生きているのではない。生きるために経済を用いるのである。であれば、今この時点に留まる、維持するための経済活動があっても良いだろう。だから、成長についての何のプランもなく、ただ食べていければいいというだけの、雇用も新規需要も生み出さない起業であっても、その存在自体を疎まれるべきではない。もちろんそれらに対する援助施策は必要ないだろう。しかし、そうした個人経営のただ存在するだけの自営が一掃された社会とはどうなんだろうか。特に規模拡大も効率改善も目指さない。ただ、当たり前の仕事を、昨日と同じように、今日も当たり前に行うだけ、という存在が淘汰されていってしまうようでは、何かがおかしいと感じる。

例え経済への寄与が0%であったとしても、すくなくともマイナスでなければ存在の意味はあるのではないか。本書で見るように、起業は失敗しやすく生存率は低い。失敗し失業状態になれば少なくともマイナスだろう。もちろん、どこぞの企業で馬車馬のようにこき使われる方がはるかに経済への寄与は大きいだろうが、それは、個人の選択の自由である。
殆どの起業家が失敗するのは、起業家として非常に愚かだからだ。それなら資金援助するのではなく、サバイバル術を教え込んでサポートするような施策があれば効果を発揮するのではないだろうか。統計が教えるところによれば、起業の成功と生存に最も寄与するファクターは、業種なのである。皆、もっとも失敗しやすい業種を、わざわざ選んで起業するのだ。だからまず、そこからアドバイスするようなサポートがあれば、起業の環境は大きく変わって行く可能性があると思う。ハイエナ業者には困る話だろうが。

S・スコット/谷口功一他訳
〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実

幸福喫茶3丁目 3巻/松月滉

という事で3巻目であるが、内容はというと、ケーキ喫茶でバイトする潤が、周りの人達と少しずつ親しく、仲良くなっていく、というだけの話である。
今巻も、進藤や一郎のエピソードを織り交ぜ、安倍川や潤の両親も登場し、全方位で真綿のような幸福(しあわせ)感がむくむくと膨らんでゆく。
ボヌールで進藤が創るスイーツのように、ただひたすらこの甘い雰囲気を貪って、お腹いっぱいになるのを楽しむ漫画なのだろう。
ストーリーなどあって無きが如しであるので、そこを許容できるかどうか。
潤や進藤の笑顔を見ているだけで、こっちも頬が緩んでしまう、という人には無価値ではないだろう。
4巻も読みたいなと、若干ながら思ってしまうのがとても悔しいが、まあ、この大甘展開でどこまで無理なく引っ張れるものか、興味本位で見届けるため、という事にしておこう。

幸福喫茶3丁目の過去エントリ

松月滉
幸福喫茶3丁目 3巻

裁いてみましょ。/酒井直行/きら

10年程前のコミックス。

いよいよ数年後、裁判員制度が始まりますという啓蒙漫画。このテーマでは日本初との事。
市民が人を裁く陪審という制度の意味を、主人公の若手女性裁判官の公私ともに迫る苦悩を交え、割合ドラマティックに描いた漫画である。
裁判員制度を紹介するという、当時の役割は十二分に達成された事だろう。さらにもう一二歩進めた展開は当時としては先鋭的だったのでは。単なる一漫画として読んでも、そこそこのレベルである。

幾多の裁判を通して浮かび上がってくる、裁判員制度の意味、というモチーフ。
裁判員制度に100%反対の立場である私は、もちろん首肯する事は出来ないが、議論としては面白い。

流石に多数の実裁判を経た現時点では古さは否めないが、読んでも損にはならないだろう。

酒井直行/きら
裁いてみましょ。

スラムダンク 28巻/井上雄彦

今巻を一言で表すと、それは叫び。

前巻末での、花道の客席への咆哮に続くかのように、湘北の叛逆が始まる。
安西先生の期待通り、リバウンダーとしての才能を遺憾なく発揮し、湘北に勝利へのリズムを呼び起こす。
そして馳せ参じてくれた魚住の言葉で我を取り戻した赤木。
河田との勝負に拘るばかりに、そのプレッシャーに押しつぶされ周りが見えない深い淵に滑り落ちていた。
赤木は、腹を括り淵の底で泥にまみれる。河田には負けても良い。No1センターの称号も譲る。
しかし、湘北は負けんぞ。
舞い戻った湘北の魂、巨躯の司令塔は自らを鼓舞するように雄叫びを上げる。このシーンはやっぱり印象的だね。
体力の限界に到達し、もはやリングしか見えない三井。赤木のスクリーン、リョータのパス、そして花道のオフェンスリバウンド。チームメイトに全幅の信頼を置き、三井は一瞬の躊躇もなく3Pを打つ。そして山王が外に気を取られればすかさずゴリダンク。
湘北は、ついに10点差まで詰め寄った。
…行ける。流れは完全に湘北だ。勝てるぞ!わきかえる湘北サイド。

しかし、さすが山王。湘北のリズムメーカーを花道と見抜き、なんと河田をマークに付かせる。
あの日本一のセンター河田が、3ヶ月前まで素人の花道をマークしているのだ。なんとういうシーン。
しかし、感慨に浸る間はない。流石の花道も河田にはリバウンドで負けてしまう。
湘北の反撃はここまでなのか…?

いやいや、ここまで来たらきっと次巻、魅せてくれますよね?流川センセ。後半ここまで活躍無しなんだから。

ところで、この巻で一番印象に残ったのは、実は河田である。花道の活躍に感心し、向かってくるその闘志を本当に嬉しそうに受け、実に楽しそうにプレイしている。マークに付いた後でのリバウンド対決とか、本当に表情が素晴らしい。こいつは本当にバスケが好きなんだな~と感じ入った。

しかし、この分だとスラムダンクという作品は、湘北山王戦で終わりそうだね。

という事で次巻、刮目して待て!

スラムダンクの過去エントリ

井上雄彦
スラムダンク 28巻